◇風見鶏◇
この物語はフィクションであり、登場する神々や神使・人物はすべて架空のものです
…――次に火之夜芸速男神を生みき。亦の名は火之かが毘古神と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ。此の子を生みしに因りて、美蕃登炙かえりて病み臥せり。多具理邇生れる神の名は、金山毘古神、次に金山毘売神。次に屎に成れる神の名は、波邇夜須毘古神、次に波邇夜須毘売神。
次に尿に成れる神の名は、弥都波能売神、次に和久産巣日神。
此の神の子は、富宇気毘売神と謂ふ。
故、伊邪那美神は、火の神を生みしに因りて、遂に神避り坐しき。
凡べて伊邪那岐、伊邪那美の二はしらの神、共に生める島、壱拾肆島、神、参拾伍神。
さて、此処からそう遠くないもう一つのニッポンで――
20XX年 孟秋。
出雲エバーグリーンホテル
最上階、鳳凰の間――
よっぴいて雑務にいそしんでいた言霊たちの側を一陣の風が吹き抜けた
言霊たちは慌てて書類の山を手で抑えた
「誰だ!ばかもの!」
カミムスビノカミが怒りをあらわにした
風がやみダークスーツに身を包んだスマートな男がそこに立っていた
「失礼しました。会場の設営が終わりましたのでそのご報告に」
「ああ、お前か。もう少し静かに移動できんのか」
「我が社はスピードが命ですので」
イベント会社韋駄天の責任者は頭をかいた
「まあよい。終わったんだな?出ていく時は普通に歩いて出ていってくれ」
「かしこまりました」
小さなつむじ風が起きて担当者は消えた
「普通に帰れ!普通に!まったく!」
カミムスビノカミは地団駄を踏んだ
「騒々しいな?」
アメノトコタチノカミが背後から声をかけた
「わっ!驚いた!」
「すまん」
「何処から来たのだ?」
「俺は霊だ。いちいち説明がいるのか?」
「ごもっとも」
「様子を見にきた。こっちのあんばいはどうだ?」
「今しがた韋駄天のスタッフが帰ったところだ」
「会場準備の協力会社か」
「無礼な外注業者さ」
「口を慎め。総勢五十音の言霊のうち、三十二子音の言霊が春の人事異動で海外に派遣されたからな。我が法務部もアウトソーシングに頼らざるを得ないのだ」
「ふん。要するにリストラのツケじゃないか。それにしても韋駄天というのは仏教の神だろう。いかに我らが多神教とはいえ、なぜ仏教の神がうちの株主総会にまでしゃしゃり出てくるのだ?」
「何も知らないんだな。我が社はこの度、中国巨大企業との業務提携を決定したのだぞ」
カミムスビノカミは目を丸くした
「青龍社。相手は中国最大の総合商社だ。バックには政府がついてるともっぱらの噂だ」
「知らなかった。つまり韋駄天は青龍社の傘下なのだな?」
「そうだ。提携についてはじきマスコミ発表もある。お前が知らなくてどうする」
「俺は感情を司どる。思考を司どるお前と違い、いつも怒ってるから肝心なことは誰も教えてくれないのだ。うははは!」
「笑いごとではない。ベトナムやタイに飛ばされたくなければもう少し勉強しろ」
カミムスビノカミは今度はぎょっとした
「そんな話があるのか」
「新社長は営業畑一筋の叩き上げだ。商売の鬼と言われた方が、全社をあげてグローバル化に乗り出すらしい」
「ヱビスノカミか…」
「すでに内々に極秘プロジェクトが――」
二人の顔のまん前にトヨクモノノカミが現れた
「ぎゃあ!!」
アメノトコタチノカミは腰を抜かしかけた
トヨクモノノカミは今回の株主総会の事務局長である
「暇そうだね?」
「またまたご冗談を。あはは…」
「祝詞の最終チェックは済んだのかな?」
「おおむね順調です」
「宜しい。就任挨拶の原稿の方はどうだ?」
アメノトコタチノカミは口籠もった
言霊たちはアイウエオ(母音)・ワヰウヱヲ(半母音)の五母音(ウはアによって初めて「吾」という意識が芽生え、同時に客体ワが生まれる。それまでウは主体と客体の区別が未分化の状態)、チイキミシリヒニの八父韻(イはヤ行のイ)と、残りの三十二子音プラス神代表音『ン』の計五十音からなる
海外出向を免れ、本社に残った母音と半母音と親音と父韻合わせて十七言霊。
たった十七言霊だけですべての関係書類を準備するのはそもそも無理であった
だが――、アメノトコタチノカミは笑顔をひねり出した
「正直てこずりましたが、なんとか」
無理を無理といっていたらサラリーマンは勤まらない
合理化の波はもう足元まで打ち寄せてきているのだ
「そうか。安心した。本番も頼んだぞ」
「御意に」
トヨクモノノカミは満足げにうなずいて消えていった
「風見鶏め」
カミムスビノカミが毒づいた
「そう責めるな。中間管理職のつらいところだ」
カミムスビノカミは遠い目をした