ガキ大将に
あたしの両親は莫大な借金をヤクザに作っていた。
競馬や宝くじ、パチンコに愛人遊び。
酒瓶と借金だけが増える。
夫婦に愛なんて存在していなかった。
何で結婚してあたしを生んだのかわからない。
妻の方もよくわからなかったみたい。
夫の方は『オロセ』って言ったみたいだけど、あたしは此処にいる。
矛盾してる。
夫は酒を飲むとあたしを殴った。
よれよれの服を着た幼いあたしを、容赦なく。
妻は奥で愛人と絡まっていた。
気持ち悪い声を出してグジュグジュって水音が聞こえる。
見ていて不快だった。
夫の方はスッキリするとあたしを玄関に放り投げて、ガチャンと扉の鍵を閉める。
夫の愛人は妻のように香水臭くて、あたしをゴミのように見るから嫌い。
夫や妻のいない所で愛人は私を好き勝手殴る。
まだ小学生にもならないあたしをサンドバッグのように。
フラフラと立ち上がり、鼻血が止まらない酷い顔で歩いて行く。
行く宛など無い。
でも、夜道を歩いていると必ず会う人間がいる。
「メイ。」
壁に手を付きながら歩いていると、声をかけられた。
あの人特有の呼び名。
あたしの名前は日月だけど、この人は何故か『メイ』って呼ぶ。
漢字を繋げると“明”だかららしい。
まだ小学校に入ってないあたしに漢字がわかるわけがない。
でも、この人にそう呼ばれるのは嫌いじゃない。
痛む顔を無理矢理振り向かせると、やっぱり。
真っ黒な生地に赤い椿を咲かせた着物を身に付けた女の人。
黒くて長い髪に簪を刺した姿は、子供ながらに綺麗だと思った。
立ち振舞いも上品で、華やかな衣装なのに媚びていない。
紅い口紅や白い肌は夜でも映えて、その存在を消えさせはしない。
あたしに対等に接してくれる、唯一の人間。
スッと背筋を伸ばしたままあたしの前にしゃがむ女性。
この人の名前は梓。
前に教えてくれた。
綺麗な顔が汚いあたしの顔を覗き込む。
「こりゃまた酷い顔だね。夫の仕業かい?」
「…ふぅ、うあぁぁぁあんん!!!」
「よしよし、メイはよく頑張ったよ。
それじゃ、あたしの家で手当てしよかね。」
「アズサ、アズサ…ふぇぇ…」
血だらけのあたしを、着物が汚れるのも気にせず梓は優しく抱き上げてくれる。
人の温もりは梓に教わった。
彼女の腕の中は酷く安心する。
あたしは下ったらずな言葉で何度も何度も梓の名前を呼んだ。
その度にポンポンと背中を叩いてくれて、それにまた泣きわめく。
殴られても罵声を浴びせられても我慢出来たのに、梓の前では思いっきり泣いてしまう。
見た目にそぐわない梓の婆臭い言葉遣いが好き。
綺麗な顔が好き。
優しい手の平が好き。
抱き上げてくれる温もりが好き。
人と認めてくれることが一番嬉しい。
梓が与えてくれるモノ全てがあたしの世界。
小さな小さな優しい世界。
夜道をゆったり歩く彼女と見た夜空が綺麗だった。
手を伸ばして梓にあげようとしたら『メイがいるから、星なんかいらないよ』と笑われた。
訳がわからずにきょとんとしていると、梓の唇が額に当たる。
柔らかい感触。
あたしもお礼に頬にキスをした。
驚いた梓が可笑しくて『へへ』と笑うと、彼女はまたキスを落とした。
今度は腫れた瞼に。
梓はあたしによくキスをする。
その唇はとても柔らかくて、色っぽい。
夫婦が愛人にするような気持ち悪いのじゃなくて、触れるだけのキス。
唇にはまだ一度もない。
「梓は何でキスするの?」
子供の純粋な疑問。
梓の面食らった顔が面白い。
『んー』と夜空を見上げて悩む梓に何故か心臓がドキドキした。
チュッと音がして、今度は頬にされた。
ニヒッといたずらっ子のように笑う。
その顔も好きなモノの一つ。
梓の表情は全部好き。
「メイが可愛いからさ。あたしの可愛いメイにキスするのは当然。キスは嫌かい?」
「キスって唇にするものじゃないの?夫婦は愛人にそうしてるよ。後、変な場所にもキスしてる。」
「…メイがもう少し大人になったら唇にしてあげようかね。」
困ったように笑った梓。
初めて見る表情。
これだけは、嫌だ。
梓のこんな顔を見たくない。
言葉が少ないあたしは抱き着いて泣いて訴えた。
そんな顔しないでって。
オロオロする梓も嫌で、更に泣きわめいた。
梓には笑っててほしいから。
梓を困らせてごめんなさい。
ごめんなさい。
梓のお家は広くて、沢山の人がいる。
恐い顔の人もいるけど、みんなみんな優しい人達。
一つ年上の空もその中にいた。
怪我の手当てが終わるまでずっと頭を撫でてくれる空が兄のようで、梓の次にすぐ懐いた。
お風呂に入れてもらい、空と遊ぶ。
その光景を梓は毎回優しく見守ってくれる。
空と遊ぶのは楽しい。
けれど、夜中は子供の寝る時間。
二人とも目が痒くなり睡魔が眠りの世界へ誘惑する。
あたしは眠たくなると毎回梓の膝に頭を乗せて眠る。
まるで母親のようにあたしの頭を撫で、壊れ物のように抱き上げてくれる梓。
空は空のお母さんに連れて行かれる。
あたしは梓の布団に一緒に入り、白い着物になった梓に抱き締められながら眠る。
誰かと一緒に寝るのは梓だけ。
家では布切れを投げられ、部屋の隅でそれにくるまって眠る。
それか追い出されて、公園のベンチに横たわるしかない。
その時に梓に出会った。
梓は夜に存在して、相変わらず綺麗だった。
会えて良かった。
拾ってもらえて良かった。
梓に救われた。
だから、家で耐えられる。
四人の暴力に泣き言一つ言わない。
強くならないと。
あたしは強くなるんだ。
周りを怖がらせるように。
あたしのように弱い奴を助けれるように。
梓に自慢できる自分になる為に。
月日を重ね、私は小学生になった。
その頃には四人とは全く会わず、梓の家で生活をしていた。
疑問は抱かない。
だって、今が幸せだから。
毎日梓といれて嬉しい。
空と登下校ができる。
あたしは養子になったらしいけど、よくわからない。
梓がいてくれればいいや。
難しいのはどうでもいい。
あたしは空と一緒におじさんに鍛えてもらい、そこそこ強くなった。
同年代の悪ガキを懲らしめる程度には。
でも、まだ足りない。
毎朝早起きして空とおじさんとランニング。
足が早くなった。
逃げる悪ガキを捕まえれるようになった。
でも、まだまだ。
一人で重たいものを持ち運べれた。
怒ってばかりの先生に誉められた。
でもダメだ。
クラスメートに慕われても先生や大人は白い目で見下ろす。
たまに上級生に囲まれてボコボコにされる。
その度に空や先生が助けてくれるけど、あたしは強くなりたいんだ。
このままじゃダメ。
次の日に鉄パイプ片手に仕返しをした。
何人かは病院に行った。
あたしは悪くない。
先に手を出したのはあいつらだ。
家に帰って、ランドセルを投げ捨てて梓に勢いよく抱き着いて。
ポロポロポロポロ涙が止まらない。
「あたしは梓の自慢になりたくて強くなった。今までのやり方は、間違ってるの?
わからない…わかんないよ、梓。」
あたしを膝の上に乗せて優しく頭を撫でてくれる梓は優しい。
顔を上げて返事を待つと、瞼にキスを落とされた。
久しぶりのキス。
小学生になってからあまりされてない。
もっとしてくれればいいのに。
「馬鹿な子だね。あたしは自慢する子供なんか要らないさ。」
「え…」
「メイが自慢の子供だから、あたしはそれで充分なんだよ。
あんたが無理に変わる必要なんかないさ。自分のペースで、焦らず、ゆっくりおやり。どんなメイもあたしは好きだよ。」
「…ふぅぅぅ。」
梓があたしにくれる言葉は魔法だ。
傷口から梓の温かさが浸透するみたいに安心する。
昔から変わらない安心感。
あたしが求める言葉を無償でくれる紅色の唇。
その唇に触れたくて、あたしから顔を近付けた。
驚いた梓は固まっている。
あたしは止めない。
「…メイ?」
チュ。
目を閉じて唇を重ねた。
柔らかい感触。
そっと目を開いて体を離す。
でも、梓の手が後頭部を固定してそんなに離れられなかった。
梓の視線が、庭にいる犬のように鋭い。
瞳の奥に宿る濁った鈍い光に捕らえられ、ゾクリと背筋が凍った。
恐い。
逃げたい。
初めて梓をそう感じた。
腰に回された腕があたしを強く抱き締める。
小さく溜め息を溢した梓を恐る恐る覗き込む。
「梓?」
「ったく、せっかく人が我慢してやってたのに。もう手放してやらないからね。
優しくはしたるから、逃がしはせん。」
口紅があたしの唇に移るほど強く、呼吸が苦しくなるほど。
キュッと着物にしがみつく。
皺がつくくらい握りしめても梓はやめてくれない。
ずり落ちる着物に一層激しく、食べられてしまうかもしれないと思うほど強引に何度も重ねる。
呼吸が出来なくて、力が入らない手で腕を叩くけど離れてくれない。
漸く息が出来た時にはあたしは肩で呼吸するだけでいっぱいいっぱいの状態。
じんわり頭が痺れて何も考えられなくなっていた。
あの夫婦の記憶が甦る。
愛人にしていたキスを。
さっきみたいに舌を絡めて貪り合う醜い行為。
あたしも同じになるのかな?
あんな奴らと同じ動物に。
嫌だな。
嫌だな、そんなの。
でも梓は『逃がさない』って言ったから、もう戻れないんだろうな。
梓になら……いいかな。
どうせ処女はアイツに奪われてるんだ。
今更綺麗なフリをしても現実は変わらない。
あたしは昔から汚れている。
この人に上書きしてもらえると考えれば、まだ楽かな。
拾い主に従順でいなくちゃ、ペットは捨てられる。
「梓、梓、」
「愛しいメイ。あたしが死ぬまで可愛がってやるよ。」
服を脱がされ、布団の上に押し倒された。
そういえば、梓は女性だよね。
女同士ではどうやるんだろう?
アイツには歪なアレがあったし。
ま、いっか。
次の日、空の態度が変わってた。
「おはようございます。」
正座してあたしに頭を下げている。
昨日の気さくな挨拶じゃない。
他人、いや、恐い顔の人達が梓にするような、距離がある行為。
あたしはその意味を深く考えなかったけれど、体験して理解した。
これはもう対等ではない。
空は隣にいてくれない。
あたしの後ろで、見えない溝を挟んで話さなくてはならないんだ。
原因を作ったのはあたし。
踏み間違えたのもあたし。
何もかも悪いのは、あたしだ。
その場に膝を着き、ボロボロポロポロ涙を流す。
首筋や衣服の下に咲く赤い痕が昨夜の営みを思い出させる。
金切り声で、何も悪くない空を責めるように叫ぶ。
「…空…離れないで。遠くに行かないでよ…。
あたしを一人にしないでよっ!空ぁ!!」
「…自分はヤクザの父親の子供です。お頭の娘さん、梓様の愛人の姉さんに並ぼうなんて、万死に値します。打ち首ものです。」
「…本当に、あたしは一人になったの?」
「いいえ。」
バサッ。
パジャマの上を脱ぎ、右肩を露にさせた空。
肩に巻かれた包帯を外し、隠されたモノを曝し出す。
そこには、百舌鳥の刺青が若い肌に彫られていた。
痛々しいヤクザの証。
将来は恐い顔の人、ヤクザの人達のように背中に何かを背負うのだろう。
その瞳は真剣だった。
真っ直ぐあたしを捉える。
まだ小学生なのに空の顔は甘えを捨てた、迷いを打ち払った清々しい表情。
こうなるのが当然だと言わんばかりに。
「自分はこれから姉さんの下に着きます。周りに言われたからではなく、自分の意思でそう決めました。
ですから、一人ではありません。自分は姉さんの傍らにおります。己の命を盾に姉さんを守ります。
改めて。自分、九藤 空と申します。これから良しなに頼みます。」
床に手を着いて額を畳に押し付ける空の決意に、あたしは背中に抱き着いて泣きわめいた。
そんなことをしてほしいんじゃない。
そんなものを求めていない。
そんなことを決めないでほしかった。
そんな責任を背負ってほしくなかった。
あたしは、あなたには変わらず、空の下で笑いかけてくれるだけで満足だったのに。
手を繋いで一緒に帰り道を歩いてくれれば我が儘を言わなかったのに。
しきたりや命令何かで傍にいてほしくない。
空は何処までも自由でいなくちゃならないのに。
あたしの存在が理不尽に自由を根こそぎ奪った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい空!!」
「……っ。」
泣くあたしの背中に空は手を伸ばしたけれど、それは空を掴むだけ。
近くにいるのに、触れているのに、こんなにもあたし達は遠い。
空は悔しさに下唇を噛み締め、畳に涙の染みを作らせた。
延々と続くような時間に終わりは訪れない。
あたしも空も、弱さや過ちにひたすら涙を流すだけ。
二人にはそれしか方法がない。
そうするしか相手に詫びる方法がない。
縁側から見える空は壮大で、此処にいる私達はどうしようもなく小さな存在だった。
それから何日か経った曇りの日。
木の上で考え事をしていると下から声がかけられた。
声変わりする前の男の子の耳につく高い声。
最近空が声変わりを終えたから懐かしく思える。
「ねぇ、君が巷のガキ大将?」
「…何の用?仇討ちにでも来たのか?」
「そんな面倒な事しないよ。今日は友達を助けてくれたお礼に。
俺は日比 沙紀。助けてくれてありがとう、ガキ大将。」
よじよじと木に登りあたしの前で男の子はペコッと頭を下げた。
律儀な奴だ。
友達なんぞの代わりに頭を下げて礼を言いに来るなんて。
…友達。
あたしにはそんなの、いなかったな。
空は友達と違う。
あたしを慕っている奴等も、違う。
梓は勿論違う。
……あたしは一人ぼっちか。
こんな風に友達を大切にしてやれる奴、あたしも欲しいな。
対等な存在が、利益なしに傍にいてくれる“親友”が、あたしに足りない。
やっと少しだけわかった気がする。
何がダメだったのか。
狭い木の上で二人、何となく空を眺める。
こいつの周りの空気は、他の奴とちょっと違う。
何かこう、ゆっくり進んでる感じ。
独特な雰囲気を纏ってる。
見た目はそこらへんの奴と変わらないのに。
名前が女っぽいからかな?
でも、それに違和感を感じない。
「…なぁ、沙紀。」
「何?ああ、名前が変ってこと?」
「いや、お前の名前、あたしは嫌いじゃない。」
「お世辞をどうも。無理しなくていいよ?」
「いや、あたしは嘘はつかない。嘘は相手も自分も傷つける。そんなのは、意味がないと思う。嘘をつかれたら、悲しいじゃないか。」
膝を抱えて顎を乗せる。
幼い頃、家でヤクザさん達が話しているのを立ち聞きしてしまった。
あたしは借金の代わりに梓のモノになったんだって。
あたしは夫婦には不必要で、ただの“モノ”だったんだって。
梓はあたしを“人間”だって認めてくれてなかったんだ。
…悲しかった。
梓が嘘をついた訳じゃないけど、あたしの勝手な解釈だけど、無性に寂しかった。
あたしはどうすれば良いんだろう。
生まれなかったら、こんな思いをせずに済んだのかな。
もうわかんない。
わかりたくない。
最近泣いてばっかりだな。
泣いたら沙紀が困るだろうに、こいつの傍は落ち着いて本音が次から次から溢れ出る。
空にも梓にも言えなかった、あたしの思い。
「…あたしは、生まれて、あたしの、人権があるのに、周りはあたしを人間だって、認めてくれないんだ。大好きな人にも、大切な人にも、両親にも、あたしはただの“モノ”にしか見えてない。周りだってそうだ。弱い奴は頭を下げて、強い奴は反抗して喧嘩売ってきて、あたしは喧嘩してる時にしか、自分を見出だせないんだ。ボロボロになっても、子供のあたしには、それしか方法がないんだ。
一人ぼっちだったんだな、あたしは。人の中でもずっと一人ぼっち。」
自覚していたけど、口に出すのは結構辛い。
自分を責めるような言い方に心臓がズキンズキンと痛んだ。
他人なら、もう会わないと思うから、打ち明けやすいな。
辛い思いはしたけど、胸の重りは少し外れた。
トントン。
肩を叩かれた。
顔を上げると、不思議そうな顔の沙紀が覗き込んでいた。
何で泣いているのかわからないといった表情。
子供のコイツに言っても理解されなかったか。
いや、あたしも同い年の子供だったな。
しかし、コイツは予想外の事を口にした。
それがあたし逹の今後を決めさせる。
「ガキ大将はさ、日影 日月って人間なんでしょ?自分がそう思っているなら、君は立派な“人間”だろ。先ずはガキ大将自身が一人の人間だと自覚しないことには、何も始まらない。
俺の勝手な意見だけどね。
ま、俺は死んだ姉さんの“代役”だから、ちょっとはガキ大将の気持ちがわかるかな。寂しいよな、親に見てもらえないのは。俺の母さんは壊れちゃったから、入院してる。父さんは俺を見ては悲しそうにするから、家に居づらいな。
…もうちょっとだけ、此処にいていい?」
沙紀は落とすように笑った。
悲しさや寂しさを隠すように。
子供の脆い心に沢山の願望や現実を詰め込んで、いま生きているんだ。
あたしの人生と沙紀の人生、どちらが不幸かなんて考えたくない。
わかっているのは、お互い必死にこの世界で生きているってこと。
いつの間にか沙紀の手を握りしめていた。
よくわかんないけど、さっきのとは違う涙が溢れて止まない。
神様は酷い。
こんな小さなあたし逹に過酷な人生を歩ませようとするんだ。
あたし逹に少しの希望を与えて、更なる絶望に落とすんだ。
あたしのぐちゃぐちゃな顔を見て沙紀は吹き出した。
初めて声を出して笑った。
でも、沙紀の瞳にも一筋の滴が流れた。
あたしも声を出して笑う。
お互いの泣き顔が面白いからか、滑稽なあたし逹が可笑しいのか、理由はどうだっていい。
声を出して笑える事実に、また笑えた。
「沙紀、あたしと友達にならない?性別なんて関係ないだろ?」
「いいよ。友達にも“親友”にもなろう。日月が困った時は、俺が助けてやるよ。暴力以外でね。」
「他に何があるの?」
「先生や大人への言い訳とか、弱味を握ったりとか。影でサポートするのが性に合ってるんだ。お父さんが情報関係の仕事に就いてるから、そういう分野は任せて。
表は日月、裏は俺。バランス良いでしょ?」
「うん!背中は沙紀に任せた!」
手で涙を拭い、満面の笑顔で頷いた。
沙紀も微笑んでくれる。
拳と拳を合わせて約束。
神様に見放された者同士の永遠の友情を。
時間は関係ない。
これから信頼を築けばいいだけだ。
それから、あたしが暴れても沙紀が教師に有無を言わさぬ物言いで丸め込み、怒られることは少なくなった。
荒れる頻度も減り、怪我をあまりしなくなった。
心が穏やかになっていく感覚。
沙紀も事が終われば楽しそうに笑っている。
喧嘩する相手が不利だとわかれば沙紀は年上の空をも使って圧倒させる。
刺青のせいで周りに一線置かれている空の睨みは表現出来ない。
一目散に逃げてしまう喧嘩相手に腹を抱えて笑ってしまった。
泣く代わりに、よく笑うようになった。
沙紀が傍にいると安心するからかな。
それを見て空が驚いた顔をしたが、昔のように見守る眼差しで、ホッと安堵の表情を見せた。
廊下で二人が話しているのを度々見かける。
空と沙紀があたしの知らない所で交流を深めていたことに、ちょっと不満だった。
でも、あたしを確認すると二人とも快く会話の輪に入れてくれるから、さっきまでのはどうでもよくなる。
梓と夜の営みも耐えれるようになり、早く朝にならないかと思うようになった。
朝になれば沙紀と遊べる。
土日は空が保護者になって三人で山に遊びに行くんだ。
縁側で月を眺めながら、日々の小さな幸せを噛み締めていた。
しかし、神様は残酷だ。
あたしが小五になった翌日、梓が車に引かれた。
即死だった。
ヤクザ関連じゃなく、一般人の車だった。
こっそりあたしの誕生日プレゼントを買って驚かせようとしていたらしい。
梓の世話係の人が葬式の日に教えてくれた。
家を出る前にとても嬉しそうに、楽しそうに笑っていたんだと。
あたしが喜んでくれる顔が楽しみだって。
世話係の人は最後には泣いてあたしに抱き着いた。
その時、あたしは寝ていた。
『行ってらっしゃい』も言えずに、梓と最後に話した言葉も曖昧で、このままお別れ。
梓はあたしを大切にしてくれていた。
出会った時から、両親に見捨てられていたあたしに梓は手を差し伸べてくれた。
無償の愛情を降り注いでくれていた。
あたしはそれに応えていられた?
夜は辛かったけど、昼間は母親のように接してくれた。
普段優しい梓も時に厳しく、たまに甘えるようにあたしを抱き締めてくれる。
辛いのは夜だけだった。
昼間は何もしなかった。
それが梓の優しさだったのだ。
今更知っても、梓は死んでしまった。
梓はもういない。
綺麗な顔は包帯で巻かれ、白い着物を着た梓はただ寝ているみたい。
手や顔は冷たくて、心臓が動いていない。
「梓、ねぇ、梓。あたしはいい子だった?梓が誇れる子供だった?天国の神様は酷いから信じちゃダメだよ?
あぁ、でも……梓と出会わせてくれだがら、そごまで、悪い゛人じゃな゛いがな?幸ぜだっだよ、ぁり゛がどお。ふぅぅぅ…っ。」
声を殺して唇に血が滲むほど噛み締める。
床に膝を着いて喪服を握り締めるあたしの背中を、空が力強く抱き締めてくれた。
「今日だけは特別な。梓様もきっと許してくれる。」
「…ぅあああああああああああああああああっっ!!!梓が、空、あたしは、また、失っ、あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「日月、今は思い切り泣け。梓様を思った分、沢山沢山泣け。泣き止んだら、笑顔で見送ろう。俺も一緒に笑うから。」
両手で顔を覆って我慢しても、背中の温度が優しくて喉が枯れるほど泣き叫ぶ。
周りの人達も泣いてる。
空も泣いてる。
なのに神様が見下しているのか、天気は透き通るほど青い快晴。
憎らしい。
返して、あたしの梓を。
皆の梓を、あたし逹に返して。
酷い神様。
何なんですか。
あたしが、梓が何をしたっていうんですか。
何で失うモノが無いあたしじゃなくて、沢山ある梓なんですか。
理不尽だ。
いっそのことあたしを殺してくれれば良いのに。
何であたしが生きてるの?
何であたしが此処にいるの?
あたしがあたしが本当は死ぬ運命じゃなかったの?
こんなに考えても、悔やんでも、梓はもう笑ってくれない。
あたしの世界が無くなった。
「う゛わぁあぁぁぁぁぁぁあああぁあぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ごめんね、梓。
ダメな子供でごめんね。
大好きだよ、梓。
おやすみなさい。
最後のキスは冷たくて、塩辛い味だった。
あたしはその後、梓の世話係だった女性の養子になった。
この夫婦はとても優しくしてくれる。
他に子供がいるらしいが成人して、社会で働いているらしい。
梓の遺産は殆どがあたしに与えられた。
けれど、その十分の一しか受け取らず、後は梓の父親に全てを任せた。
梓の父親は均等に分けてくれて、余ったお金はあたしの銀行に入れてくれた。
元々遺産の配分を話し合っていたらしい。
あたしが梓の遺産をあまり受け取らないこともお見通しだったらしい。
梓の父親、お頭は乱暴にあたしの頭を撫でて苦笑いしていた。
恐い顔が、今は困った顔になっていた。
「同性愛者の娘で私も悩んだが、相手がお前さんで本当に良かったよ。あいつは人を見る目だけは確かだった。
君はまだ若い。これからは梓を気にせず、違う人を愛しなさい。
最期までありがとう。」
頭を下げたお頭は、一人の父親として娘のお礼を述べた。
突然のことに言葉が見つからないあたしに、お頭は小さく笑った。
お頭の顔が見れなくて、あたしも床に手を着いて頭を下げた。
言葉は出なかった。
そんなあたしを、お頭は許してくれた。
卒業式、学校があるのにも関わらず空が来てくれた。
葬式の翌日、空に『もう従わなくていい』と言ったのに、『自分の意思で決めたことですから』と空は目を伏せて断った。
この関係はどちらかが死ぬまで続くのだろう。
あたしは梓がいない寂しさから、彼女の口調を真似るようになった。
婆臭い、けれど梓が言うと違和感がない、懐かしい口調を。
帰り道、沙紀と父親を見掛けた。
あたしは組の人達と義理の親夫婦、空に囲まれて写真を撮っていた。
二人は家に帰る様子だったので慌てて走って追いかける。
「沙紀!待ちなよ!」
「…あ、日月。」
「友達か?」
「前に話した親友だよ。こっち俺の父さん。」
「息子が世話になっている。中学も同じらしいね。これからも仲良くしてやってほしい。」
「日影 日月です。こちらこそお世話になってばかりで助かってます。」
「父さん、ちょっと待ってて。すぐ戻るから。
日月、話がある。来て。」
「?はいよ。」
沙紀に手を引かれ、父親に頭を下げてから沙紀の後に続いた。
空に待っててもらうようジェスチャーして、沙紀と一緒に人気の少ない所に行く。
沙紀は背中を向けていた。
良からぬ雰囲気に嫌な予感しかしない。
「どうしたんだい?」
「……一昨日に、入院してた母さんが、自殺した。」
「…。」
「舌を噛みきって、大量出血で、手の施しようもなかったって。原因は、わからない。」
小刻みに肩が震えていた。
握り締めた拳に爪が食い込んだのか血が滴り、コンクリートに赤い小さな水溜まりが出来る。
鼻を啜る水音が聞こえる。
今日は寒い。
泣くのを堪える声がする。
あたしも泣いていた。
何で神様は、持ち物が少ないあたし逹から大切なモノを奪うんだろう。
根こそぎ奪われた日には、あたしは神様を殺すと決めた。
普段滅多に弱音を吐かない沙紀が泣いてるんだ。
そんくらいさせてくれよ。
「…ッズズ、今日は寒いな。くっついていい?前に沙紀がしてくれたみたいに。」
「…ぅん、温めてほしいな。」
ギュウ。
梓が死んだと沙紀に告げた時、黙ってあたしの頭を抱き締めてくれた。
『これなら顔が見れないよ』って涙声で言うもんだから、あたしはまた沢山泣いた。
慰める手の平が温かくて、余計涙を誘う。
今度はあたしが慰める番だ。
沙紀の前に回って力一杯抱き締める。
この場所から崩れ落ちないようあたしの背中に縋る手は必死で、ちょっとだけ痛かった。
でも、沙紀の心のがもっともっと痛いと思うから、あたしは少しでも安心するよう背中を撫で続けた。
この気持ちを共感出来れば、痛みや悲しみを二人で分け合えれば良いのに。
あたし逹が双子だったら、そうなれたかな。
双子だったら、もうちょっと人生違ったかな。
けれど現実は別々の人間で、あたしはあたし、沙紀は沙紀でしかない。
本当に、神様は意地悪。
沙紀の希望までをも取り上げるなんて、あたしは絶対許せない。
憎むべきは神。
悲劇の主役は神に宣告する。
「最後には二人で幸せになる。場所は違うかもしれないけれど、あたし逹にその権利はあるんだ!」
叫んでみても神にあしらわれるのは知っている。
しかし、あたしは嘘はつかない。
万能の神に宣戦布告だ。
幸せになって、見返してやる。
どんな手段をとろうが、最後には指差して笑ってやる。
今はまだ、親友の痛みが和らぐまで、休戦だ。
寒々しい天を睨み付け、沙紀のマフラーを掛け直してやった。
中学生になったあたし逹のクラスはバラバラだった。
あたしはガキ大将だったことを隠すように大人しくなった。
近くにいる沙紀の幸せを手に入れやすくするために。
一つ上の学年に金髪に染めた空がいる。
まあ、浮いているけど、変わった友達がいるらしく平気らしい。
授業をサボって空を見上げる。
一時間くらいそうしていると、悩み事で悩むあたしが馬鹿馬鹿しくなって気が楽になる。
時々、空も一緒にサボっている。
息抜きだと言っていた。
近くに誰かがいるのは嫌いじゃないから構わない。
沙紀に新しい友達が出来た。
良い傾向だと思い、あたしは離れた。
趣味が共通出来る友達らしい。
あたしもアニメや漫画は沙紀に貸してもらったりして読んでいるが、そこまで詳しくない。
時間が沙紀の傷を癒していっている。
そう信じていた。
帰り道、下駄箱で偶々出会った沙紀と公園に立ち寄る。
空は先に帰らせた。
ベンチに並んで腰掛ける。
二人っきりは久しぶりだ。
沙紀から話を切り出した。
「面白い奴がいるんだ。生真面目で真っ直ぐな、人間味のある奴。」
「ほぉ、ついにあんたにも春がきたかい。どんな奴だろうと、あたしは応援するよ。困ったら何でもいいな。」
「ありがとう。相手は、男なんだ。千鶴って名前。片思いで終わるかもしれないけど、相思相愛になれば嬉しい。ま、のんびりやるよ。
もし、俺が相手に執着し過ぎて壊れた時は、お前が思いっきり殴ってくれ。それから相手を遠い安全な場所まで離してほしい。頼んだ。」
「任せときな。」
「ありがとう。」
沙紀はポケットに手を入れて、落とすように笑う。
昔と同じ笑い方。
変わったのは声がないだけ。
大丈夫、何かあればあたしが叶えてみせるから。
狂った沙紀を、あたしが止めてみせるから。
せめて、相手が沙紀を傷付けない人間なことを祈るだけ。
数週間後、沙紀が嬉しそうに報告してきた。
あのリンチに合っていた千鶴って奴と相思相愛だったらしい。
上手く行き過ぎて、後が怖くなった。
幸せそうな沙紀の顔は嬉しいけれど、神がどんな手を出してくるかわからない。
様子を見てから数ヵ月、千鶴を呼び出すことにした。
偶々沙紀が用事がある放課後、橋の上でお喋りをする。
相手はあたしを知ってても怯えない肝が座った奴だった。
馬鹿にしたような口振りで、でも賢い部類。
自分の弱さを自覚して、しても大丈夫な範囲を理解してる。
ただ、沙紀とズレてる箇所があったけど、後で解消されるだろう。
あたしはこれ以上何も出来ないから、後はあんたが幸せにしてほしい。
大切な大切な親友を。
沙紀の次は、あたしが幸せになるから。
幸せを見付けにいくから。
二年生。
中間テストが終わって少し経った頃、転入生が入ってきた。
神が何を企んでいるのかわからないけど、あたしと沙紀と千鶴は同じクラスになった。
千鶴の独占欲は半端ない。
登下校に沙紀と手を繋いでアピールするもんだから、腹抱えて笑い転げそうになったほど。
これは神も手出しが出来ないと安心してる。
ザマアミロ。
転入生は素直で大人しくて変わった女の子。
名前は紗理奈っての。
最初に空にぶつかって怯えたかと思えば、最後には何回も頭を下げてお礼を言っていたらしい。
勇気があるのか無いのかわからない場面が何回かあったらしい。
給食の時間に見せた表情や、無駄に足が早いこととか。
よくわからない女の子。
空に惚れたらしく、あたしはまた応援しようと思っている。
空と紗理奈の後からでも、きっと間に合う。
先ずは、まだ気づいていない紗理奈の気持ちに気付かせて、空を解雇することから始めようかな。
あたしはまだ梓を愛している。
梓に愛された分、人の手伝いをしてもバチは当たらないさ。
今日は良い天気だ。
梓にも見えてるかな?
あたしの世界はこんなにも広がったよ。
ガキ大将。
ある人の誇りになりたくて、間違った強さを求めていた。
人間と認めてくれない周りに悲しみ、体を捧げ、居場所を求めた。
代わりに多くを失い、傷つけ、瞼を泣き腫らす日々。
泣いている己を止められず、荒れた心で独り、喧嘩を望む。
そんな中、一人の同じような境遇の男の子と出会う。
初対面で泣き、笑い、誓った不滅の友情。
それは神に見捨てられた反抗でもあり、初めての友達の“絆”でもあった。
しかし神は容赦なく二人から大事なモノを奪い、ガキ大将は宣言した。
二人が幸せになれば、二人の勝ち。
最後には神に指差して笑ってやる、と。
親友の恋路の幸せを願い、終わらぬことを祈る。
次は、大切な家族と友達の手伝い。
天国の愛する人より愛せる人が見つかるまでは、胸に椿の花を咲かせる。
広がった世界の中心には、愛しい人の名の木が生い茂る。
ガキ大将に、新たな花が芽吹くのを待つ。




