モブAは
今日、転入生が登校してきた。
パッと見、地味で大人しい女の子。
「佐藤 紗理奈です。よろしくお願いします。」
声も外見と同じように大人しく小さい。
緊張しているらしく、新品の鞄を握る手は震えていた。
佐藤 紗理奈、イニシャルはS・Sだな。
そんなことを思いながらクラスメートと一緒にパチパチと拍手をする。
佐藤は何度も何度も長めの黒髪を振るようにペコペコと頭を下げていた。
その日、赤垣中学校の2-3は席替えをした。
くじ引きで学級委員が順番に回ってくる。
くじ引きの結果、佐藤は窓側から三列目の一番後ろ。
俺の真後ろの席。
隣の席の女子と小さく挨拶しているのを欠伸をしながら耳にしていた。
次の休み時間、2-3の前の廊下は野次馬が出来ていた。
勿論、新人の佐藤を拝見するために。
当の本人はクラスメートにグルリと囲まれ、矢継ぎ早に質問責めされている。
野次馬には見えないらしく何人かはクラスに侵入して、教師に摘まみ出されを繰り返す。
俺はミーハーじゃないし野次馬にも属さない。
少し離れた場所で友達と雑談をして小さく笑ってる平凡な男子中学生。
佐藤に興味がないと言えば嘘になる。
が、女子だから男子の俺とそこまで関わらないから遠巻きに見遣るだけ。
「おいお前達、そろそろ次の授業の用意しろよ!」
人が多すぎてビビってる佐藤を見兼ねた学級委員が注意して、その場は収まった。
ブーイングが学級委員に向けられたが、ギロッと彼が睨めば何事も無かったかのように顔を反らすバカな奴。
『チッ!』と舌打ちして席に戻る学級委員は、必然と俺達の所へやって来る。
誰にでも自分にも俺達にも厳しい学級委員は、俺の友達の一人。
こんな奴だから不評が多いけど、俺はコイツの生真面目な性格が結構好き。
中学は不真面目な奴らばっかだから、コイツがいるくらいがバランスが保たれる。
そんな学級委員は隠れオタクで、休日や放課後は此処にいる皆で盛り上がっている。
『ギャップは大切な萌え要素だな』と前にコイツに言ったら、カッ!と顔を真っ赤にして思い切り殴られた。
痛かった、あれは痛かったよ。
照れ隠しとはわかっていたけれど、とてつもなく痛かった。
そんな俺達は今日の時間割の用意がスクール鞄に入っているからのんびりしてるわけで。
今日の放課後について話し合っていると赤垣中学校特有の音色のチャイムが鳴り響く。
全員に短く挨拶して、それぞれ席に戻った。
席に戻る時に気付いたが、佐藤の隣の席の女子はサボるらしく教室にいなかった。
元々サボり癖がある奴だから、気付いた時の反応は薄い。
今まで話してた女子がいないからか佐藤は居心地が悪そうに俯いている。
俺は教師が来るまで隣の席の友人と談笑して時間を潰す。
「次、英語だよな。お前宿題やったかよ?」
「モチ。アイツ忘れ物とか煩いから絡むの面倒くさいし。」
「しかも学級委員並にキッツイもんな。この前なんか忘れ物多すぎて一時間説教で終わったしよ。」
「まあ、俺達は楽してたけど。」
「……英語、ない。どうしよう。」
微かに聞こえた、小さな小さな絶望の声。
俺の後ろの席で鞄を漁っていた佐藤の顔は真っ青。
俺達の会話を聞いて確認してたのだろう。
だって、怯えた表情で体を戦慄かせていたから。
恐い教師に怒られる前に特に大人しい生徒がなる、今の彼女のような現象。
この先の恐怖に対して言葉を無くしている。
ガラッ!
そうこうしている内に英語の教師が現れた。
学級委員が号令をかけて生徒がぞろぞろと席を立つ。
佐藤は少し遅れて席を立った。
挨拶を終え、ノロノロと、けれど立ち上がる時よりも早く席に座る。
隣の席の奴は佐藤に哀れみの眼差しを向けてから授業に入る。
俺も同じようなことをして、パッとあることを思い出した。
それは今頃保健室でサボっているであろう女子の、面倒臭がりな性格の行動を。
汚い机が佐藤の助けになる。
助ける義理はないが、気付いててわざわざ怒られるのを眺めるのも気が引ける。
しかも佐藤は転入初日だし。
ビリッ、とノートの端を破ってそこにシャーペンで書き込む。
そして黒板に英文を書き込み説明をする英語教師にバレないように紙を後ろに回した。
佐藤の左隣の男子は眠そうに椅子に深く腰掛け項垂れている。
アイツ寝るな。
紙と俺を交互にキョロキョロと顔を上下に動かして意味を尋ねる。
俺は口だけを動かして紙を開くよう促した。
教師に気付かれないよう座り直すフリをして佐藤を背に隠す。
〔隣の席の女子の机から俺の英語の教科書引き抜いて。貸したままなんだ。〕
読み終えた佐藤と視線だけで合図するとコクコクと何度か頷いて行動を開始した。
物分かりが良くて助かる。
まあ俺は成功しても失敗してもどちらでも良いが。
けれど、こういう瞬間はちょっとワクワクして、スリルがあって嫌いじゃない。
見つかってしまった言い訳を授業を聞くフリをして考えるのはとても緊張して胸が高鳴る。
できれば発見されたくはないが、自分の今の実力を試したい気もする。
「すまない、宿題にするプリントを忘れてしまった。少し待っていてくれ。」
彼女は運がいい。
滅多に忘れ物をしない英語教師が今日に限ってヘマをした。
ガララ。
教師が出た瞬間、彼女は積極的に探し始めた。
俺は横でそれを手伝う。
友達が質問してきたが適当にあしらった。
汚い机の中、あの女子は教科書やノートを全てこの中に突っ込んでいる。
ロッカーには体操服やジャージ、体育館シューズしか入れてないらしい。
前に自慢気に笑って教えてくれた。
理由はわからない。
女子もきっと理由は何となくだろう。
「あった。」
やっと目当ての物を発掘。
よれよれのボロボロのぐちゃぐちゃな英語の教科書。
よし、名前は書いてない。
もうすぐ英語教師が戻る頃合いだ。
パンパンと埃を払ってなるべく見栄えをよくする。
それを佐藤に渡して、これからの注意を早口で教えた。
「あの人は最後に君を当てるだろうから、ちゃんと話を聞くこと。それは後でまたこの机の中に突っ込んでおいて。本当はコイツのだから。」
「あ、りがとう。」
「次からは気をつけろよ。」
カラッ。
英語教師入室した時には二人とも座っており、教室の空気は何も無かったと英語教師に伝える。
教室をグルッと一通り見回し、昼寝していた奴の頭をペチンと平手打ちしてから授業は再開された。
運んできたプリントを配り、プリントの説明をして、恒例の質問タイム。
この人は授業の最後にちゃんと話を聞いていたかチェックするため、何人かの生徒を当てて質問をする。
一発で正解だったらセーフ。
間違えると内申に響く。
三年生なら最悪だ。
ジロジロと人を値踏みするように生徒を確認する英語教師。
佐藤の左隣の奴、やっぱりアイツ寝たな。
佐藤はずっと下を向いて静かにしている。
英語教師が指差した。
「じゃあ、新人の佐藤いっとくか。」
「は、ひゃい!」
緊迫したムードで名を呼ばれ、佐藤の返事は裏返り教室に笑いを起こす。
悪いが俺もちょっと笑ってしまった。
耳まで真っ赤にさせて体を縮こませる佐藤に女子の数人は『可愛いよ!』と冷やかした。
更に体を小さくさせてしまった佐藤だが、英語教師に起立するように言われおずおずと席を立つ。
この時にはシィンと、赤子も泣かないような静まり返った空間。
少し考えないとわからない質問を佐藤にした。
その間に次に当てる生徒を探す英語教師の目につかないよう、殆どの生徒が教科書を凝視する。
佐藤は答えた。
自己紹介の時よりもボソボソとした声で。
俺と隣の席の友人くらいの距離の人間には聞こえた。
その内容は正解だった。
だけど、勿論英語教師の耳に届くわけもなく。
佐藤はもう一度デカイ声で発言するよう指摘を受けた。
佐藤は間違えていたかもしれないという不安を露にした顔をして、ギュッと細い手でスカートを握り締めた。
見るに見兼ねた俺は後ろを向いて助言する。
「間違ってないから、もう一回言ってみなよ。」
「え…?」
「最悪、あの先生の目の前に行って答えても大丈夫だから。」
「おい!お前何している!」
「まだルールを知らないので教えていました。しかも俺に聞こえた内容が正しかったので。」
英語教師が怒鳴ったので冷静に返事をした。
俺の言い分にもう叱る要素がないため、相手は悔しかったのか唸って諦めた。
ギイィ。
そんなやりとり終えた空間で一番最初に音を出したのは俺の後ろ。
佐藤が椅子を引いて、体を退けて中に戻し、おずおずと前に歩み出した。
それを見守るクラスメートと英語教師。
佐藤は胸辺りで両手を絡めて、一歩一歩小刻みに震える足を踏みしめ進む。
漸く英語教師の前に着き、俺には聞こえないけれど先程の答えを口にしたようだ。
学級委員がチラッと俺の方に振り返り、小さく頷いてくれたからわかった。
俺が笑顔で頷くと少し頬を赤らめ、プイッとそっぽを向いてしまった。
あらあら、可愛い反応してくれるわね。
…って言ったらまた殴られそうだけど。
頬杖をついてニヤニヤしていると、前方から戻ってきた佐藤と目が合った。
口パクで『お疲れ』と言うと彼女はペコッと頭を下げて『ありがとう』と呟いた。
次に俺の隣の席の女子が当てられたけど難なく答え、本日の英語の授業は終わった。
休み時間、学級委員をからかいに席を立つ。
そのままアイツの席に向かおうとすると、クイッと遠慮がちに学ランを引っ張られた。
振り返って確認すると佐藤が犯人だった。
チラチラと頬を染めた顔で俺を見上げ、何か言いたそうにする。
何かあっただろうか?
隣の席の友人も気付いたのか、一緒に首を傾げて佐藤を見下ろす。
「あ、あの、さっきはありがとう。」
二人に見詰められて真っ赤になりながら言った言葉は先程のお礼。
ああ、と思い出して『どういたしまして』と返した。
今までサボっていた奴が教室に返って来て、丁度いいやと思い紹介する。
「アイツ、サボり癖はあるけど根はいい奴だから。何かあれば頼るといいよ。」
「う、うん。ありがとう。」
「んー?あたしのことかい?」
ボサボサの髪を掻きむしりながら自分の席にドカッと腰掛けた噂の人物。
小学校から同じコイツは出席番号が前後の為、よく他の友達も含めて一緒に遊んでいた。
大雑把で姉御肌な彼女に親も教師も手を焼いていた。
けれど、俺達子供には頼れる存在として君臨していた懐かしい幼少期。
「でも小学校ではガキ大将だったから気をつけて。
あ、英語の教科書勝手に借りたぞ。助かった。」
「ガハハハ!今でも力は衰えちゃいないさ!まあ、高校生になるまでは大人しくする予定。
お前なら勝手に使っていいよ。色々世話になってるからね。」
「お前がしでかした事の尻拭いとか、大人達への言い訳を考えたりとかな。あれはあれで楽しかった。」
コイツがヘマをすると俺がしょっちゅうフォローしていた。
子供なりにズル賢い知恵が備わっていた俺は、補佐役として影で手を回して事を治めていたりする。
表立った行動を俺は好まないから、裏方仕事は楽で地味にワクワクしていた。
そんな俺は滅多に失敗したりしなくて、周りに恩を売ってはかなり貯まっている。
失敗してもフォローが上手いから問題ないんだ。
それに、コイツの裏表のない性格は嫌いじゃない。
もう休み時間も残り少ないから席に座り、四人で雑談をして終わった。
昼休み。
この学校は座席に合わせて六人一班で昼食を食べる。
だから、俺の前の席と右斜め前、隣の席の友人と佐藤とアイツと俺で一班。
ガタガタと全員が机をくっ付けて食べる準備をする。
よくある教室の光景。
給食を机に運んで、日直の号令で食事開始。
隣の席の佐藤も休み時間にクラスメートと交流を深め、大分クラスに打ち解けてきたみたいだ。
最初の頃と比べてよく笑っている。
膝を立てて給食を食べる元ガキ大将を友人が軽く注意するが、アイツは馬鹿デカイ笑い声で話を流す。
それにクスクス笑う佐藤。
クラスもそこらへんで笑い声が生まれる。
俺も落とすように笑った。
声を出して笑わない俺を誰かがそう表した。
三人くらいいたかな。
そのうちの二人が教室にいる。
今日の給食は最後にメインディッシュをアイツに奪われて終わった。
その代わり食器を片付けさせたから±0。
オカズ一つでちょっとだけ楽をした。
キーンコーンカーン。
下校時間。
学級委員は用事があるとかで、俺は一人下駄箱で待っていた。
他の奴らは『さっさとアニメを見たいから』と先に帰ってしまった。
薄情な奴らだ。
ま、中学生の友人なんかそんなものだ。
下駄箱のある昇降口の壁に凭れ、人気の少ない場所に吹く風に頬を撫でられる。
気持ちの良い風だ。
そう風に伝えるよう空にそっと笑む。
向こうで野球部がグラウンドを走る掛け声が聞こえた。
その中に友達を見つけ、小さく手を振って挨拶。
気付いた友達もコーチにバレないよう、小さく手を振って返してくれた。
「青春だなぁ。」
太陽の下で部活に励む人達は皆輝いて映る。
帰宅部の俺と比べると断然カッコイイ。
「あ、え、えっと…」
「?」
後ろの下駄箱の方から声が聞こえた。
誰もいなかったよな。
不思議に思い顔を向けると、そこに佐藤がいた。
確かアイツに校内を案内してもらってたはず。
佐藤の後ろを確認するとやっぱりいた。
段差に腰掛け、がに股で派手な靴を履いている奴と視線が交わる。
お節介な性格だからこういうのを積極的にやる元ガキ大将。
祭り事とかでウザいくらいテンション上げるから、近々行われる球技大会で活躍するだろう。
頭よりも体を動かすのが得意だから、毎年そういう行事の時のコイツは見物である。
「ありゃ、いたのかい。もしや学級委員待ち?」
「うん。もうそろそろ来る頃合いかな。
学校案内お疲れ。これから町案内するの?」
「そりゃぁするだろう。腕が鳴るねぇ。」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくされました、てか?ガヒャヒャヒャ!!」
ペコペコと腰を折る佐藤に女らしさの欠片もない笑い声を発する女子。
性格が正反対だな。
けれど、真反対の方が意外と仲良くなったりするらしい。
これ、俺の体験談。
詳しく言うと両親のこと。
真逆な性格だけど夫婦仲は円満。
理想の夫婦像だと俺は思っている。
やっと履き終えた女子は佐藤の隣に並ぶ。
コイツは気味の悪い笑みを俺に向け、チラリと校舎を盗み見てから言った。
「じゃ、“ボーイフレンド君”によろしく。進展したら報告しとくれ。」
「アイツに言ったろ。」
「やめとくれ。あたしはまだ生きたいよ。
そいじゃ、また明日。」
「ば、バイバイ。」
「不審者に気をつけて。さようなら。」
鞄を肩に掛け直し、二人が手を降ろすまで手を振って見送った。
そのまま門を抜けるかと思いきや、佐藤はクルッと体を反転させ、小走りで俺の所までやってきた。
向こうでアイツがニタリと意味深な笑みを浮かべてる。
肩で呼吸する佐藤が落ち着くまで俺は待った。
「あ、あのね。名前、教えてくれないかな?」
「俺の?教えてなかったっけ?」
「う、うん。……ダメかな?」
不安と期待に満ちた眼差しで上目遣いに見上げる。
普通に可愛いな、と思った。
てか、アイツに聞けば良いのに。
よくわからんな。
…しかも、自分の名前嫌いだから教えたくないんだよなぁ。
家族や恋人にしか呼ばれたくない。
「俺の事は、『モブA』で。自分の名前が嫌いだから。」
「も、モブA、君?」
「うん。親しい奴らにはそう呼んでもらってる。」
通行人のようにどうでもいい存在。
ひっそりと生きて、誰にも迷惑をかけず、すぐに忘れられる人間。
俺の価値などそんなものだと思ってたのに、俺の恋人は怒って否定してくれた。
だから、今の『モブA』にはちゃんと意味がある。
大切な大切な呼び名。
通行人は恋を知り、ステージの除外で愛を育む。
応援してくれるのは、ごく数人。
アイツもそのうちの一人。
佐藤を通り越し、門に背を預けてるアイツに『ありがとう』と笑顔で呟いた。
俺にしては満面の笑顔。
鏡に映った自分は普段とそこまで変わらないけれど。
ずっと見詰めていた佐藤を思い出し、ポンと肩を叩いて促した。
「帰りたくなったら遠慮しないで伝えるんだよ。アイツは気にしないから。」
「あ、ありがとう。」
タタッと走り去る彼女がアイツと合流する。
日差しが強くなってきたので、俺は校舎の中で待つことにした。
早く来ないかな、千鶴。
ぐでーと下駄箱の前に置いてある板の上で寛いで待つ。
委員会は終わったようで複数の生徒が俺の前を通って帰った。
文化部の生徒達も、もう校舎にはいないだろ。
運動部はよくやるよ。
まだ一生懸命、大会に向けて励んでいる。
がむしゃらに打ち込めるモノがあって羨ましい。
タタタ!
廊下をスリッパで駆ける音が遠くで聞こえた。
この少し遅めの足音は、待ちに待ったアイツのもの。
下駄箱を使ってその場に立ち上がる。
タイミングよくアイツが、学級委員が、千鶴が姿を現した。
急いで来たのか額に汗が浮かんでは流れる。
千鶴はハッ、ハッ、と呼吸を乱して、ゴクと生唾を飲み込んだ。
「ま、待たせた…。」
「お疲れさま、千鶴。そんなに急がなくても俺はちゃんと待ってるよ。」
「ん…ありがとう。」
靴を履き替える千鶴に近づいて袖で汗を拭ってやる。
誰かにとってはちょっとしたことだけれど、千鶴が俺の為に走ってくれたことが嬉しい。
こんな俺を心配してくれる彼が、誰よりも愛しいよ。
前屈みに体を動かし、千鶴の顔を覗き込む。
「ね、千鶴。待ってたご褒美ちょうだい?」
「っ!」
カッ!と火照った体を耳まで赤くさせ固まる千鶴。
目付きの悪い顔が見えなくなって更に頭を下げて伺う。
「嫌ならいいよ。俺は平気。だから顔見せて?そっちのが寂しい。」
「……~~!!」
「千鶴?ねぇ千鶴?」
声にならない音を発する彼を何度も呼ぶが、一向に愛し君の素顔を見れない。
寂しいな。
淋しいな。
千鶴千鶴、俺をその瞳に映して?
モブAの存在価値はそれくらいしかないんだよ。
君が求めてくれなきゃ、俺は空気に解かされ融合しちゃう。
俺はただの意思を持たない通行人。
モブキャラは何も考えちゃいけない。
権利を最初から与えられていない。
そうか、なら俺は君の“恋人”である権利も剥奪される運命か。
運命は必然。
ならば仕方ない。
「ごめんね、帰ろっか。」
「――っ!?」
タン、と一歩間隔を空けて離れる。
他人なら、こんな距離かな。
嗚呼、千鶴がいるのに遠い。
手を伸ばしても届かない。
悲しいな。
心が冷たいな。
温めてよ、千鶴。
―ガッ!
いきなり胸ぐらを掴まれた。
ビックリしている間に千鶴が距離を詰める。
俺より若干小さい千鶴の顔が突然近づいて、互いの唇が温まる。
真っ赤な顔でギュッと目を瞑ってる彼が凄くいとおしい。
触れるだけのキス。
緊張で震える体を掻き抱き、離さないように腕に力を込める。
好き、千鶴大好き。
不安定な俺に、不器用な優しさがじんわり胸に広がる。
腕の中の恋人も腰に腕を回して隙間を無くさせる。
耳が熱いのがまた可愛い。
頭から湯気がのぼりそう。
「……沙紀。」
「何?」
女のような名前。
大嫌いなコンプレックス。
両親を一時期軽蔑したほど。
だけど、恋人の口から紡がれる己の名前はとても心地よい。
何度も、何回も、何時でも聞きたくなる。
千鶴の目に映りたくて少しだけ間を空けると、見られたくないのか千鶴が更に引っ付いてきた。
これはこれで幸せ。
よしよしと頭を撫でてやると千鶴の体温が高くなった気がした。
そろそろ昇降口が閉じられそうだ。
でも、この空気を壊したくない。
「沙紀、お前、今日あまり、来なかったな。」
「千鶴の席に?ごめんね。佐藤に何回か質問されたりしてたから。俺も寂しかった。
席替え、隣同士が良かったな。そしたら、ずっと一緒にいられるのに。」
「…あんま、転入生と喋るなよな。お前は、他人に優しいから、ガキ大将以外は…きっと勘違いする。」
嫉妬してくれてる。
ヤキモチ妬いてる俺の恋人。
世界一可愛いよ、大好き。
しかし、アイツは随分千鶴に信頼されてるな。
千鶴が俺以外を認めるなんて、ちょっと妬ける。
でも、自分の恋人と友人から友情が生まれた事実は素敵。
俺もアイツは家族よりも信頼して、信用している。
家族とは、千鶴とは違った形で、“親友”という大事な存在。
性別は違えど関係ない。
ありがとう。
ありがとうありがとう。
「千鶴が誰とも話さないでほしいなら、俺は無口になるよ。関わってほしくないなら、俺はマネキンになる。千鶴だけが俺を可愛がってくれれば、何もいらないかも。」
「俺は人間の沙紀が、好きだ。マネキンなんか欲しくない。」
「…俺はいらない?」
「変わらないお前がいい。でも、他の奴らより、優先してほしい。我が儘は嫌か?」
「千鶴のなら大歓迎。もっと甘えて。」
「…機会があれば、な。」
スリ、と頬を擦り寄せる千鶴。
猫や犬みたい。
俺も千鶴の頭に顔を埋めた。
胸いっぱい千鶴の匂いを吸い込む。
暫くそうやってお互いを確かめ合い、最後には手を繋いで帰った。
恋人同士の、甘い空間。
通行人モブA。
その他の人物モブA。
背景モブA。
幼い時代から、モブAは自分の存在価値は石ころよりもないのだと自覚していた。
―しかし、あの告白をきっかけに世界が色づいた。
コンクリートにたんぽぽが芽生えたかのように。
告白を受け、その瞬間、初めて呼吸をした。
感動に身震いし、ハラハラと涙を流した。
物語のステージから除外された場所で、小さな恋の花を咲かせた。
モブAは幸せだった。




