第23話 指先に届く距離
三度目の値も、違っていた。
藤井は測定器を持ったまま、標準片を見た。
同じものを、同じ場所で測っている。
一度目は高く、二度目は低い。三度目は、その間だった。
当てる場所は分かる。
値を採る前に、何を確かめるかも覚えている。
それでも、数字がそろわなかった。
「いったん置きましょう」
指導担当者が言った。
藤井は測定器を台へ戻した。
村瀬が横で練習記録を確認している。
「握りすぎていますか」
「触れてから、少し押し足しています。そのとき、向きも変わっていますね」
指導担当者が同じ標準片を測った。
接触子を当て、表示が落ち着くのを待つ。
離して、もう一度。
ほぼ同じ値が出た。
藤井は、その指先を見た。
軽く持っているようにも、しっかり支えているようにも見える。
持ち方をまねて、やり直した。
表示が動く。
また、そろわない。
「もう一度、いいですか」
指導担当者は時計を見た。
「先に休みましょう。続きの時間は取ってあります」
藤井は道具から手を離した。
自分だけでなく、人の時間も使っている。
早く覚えようとするほど、指が固くなった。
休憩用の椅子に座ると、家からメッセージが届いた。
『今日はどう?』
返信欄に、順調、と打つ。
少し見てから消した。
『まだ練習中』
送信して、端末を伏せた。
村瀬が隣へ来た。
「画面では、できたんですけどね」
藤井は自分の手を見た。
「当てるだけだと思っていました」
「判断するところは、できていましたよ」
村瀬は答えた。
「今日は、道具を扱う方です」
予定表を開く。
午後の欄には、力覚訓練室の番号が入っていた。
実物練習の案内で見た部屋だった。
「予約してあります。接触するときの力を、感じやすくして練習できます」
藤井は部屋の説明を読んだ。
「そのあと、もう一度これで測れますか」
訓練台の道具を指すと、村瀬がうなずいた。
「その時間も取ってあります」
午後一時。
隣室の机には、関節の付いた短い腕と握柄があった。
東都とアステラの訓練点で、教材の共同試用に使っている装置だった。
藤井が握ると、軽い抵抗が返ってきた。
実物の測定器とは、形も重さも違う。
指導担当者が可動範囲と停止操作を説明する。
藤井は自分で一度止め、握柄から力が抜けることを確かめた。
視覚端末をかける。
机の上に、標準片と接触子が重なって現れた。
握柄を動かすと、接触子が近づいていく。
触れる。
その瞬間、手に返る抵抗が変わった。
藤井の手が止まる。
「当たったのが分かる」
「ゆっくり、少しだけ進めてください」
押すと、力を示す線が上がった。
接触子の向きも、わずかに傾く。
指導担当者が午前中の映像を横へ出した。
実物に触れたあと、藤井の手が同じ方向へ動いていた。
確実に当てようとした、その一押しだった。
通話画面に、エマとマークが現れた。
藤井の同意を得て、練習の一部を教材改善のために共有している。
ダニエルも、アステラ側の訓練点から加わった。
近い種類の測定器を使っていた経験があり、今日は有償の示範を頼まれていた。
「俺の動きと、比べてみてくれ」
挨拶のあと、ダニエルが言った。
「道具も持ち方も違うから、そっくりに動かさなくていい」
向こうの握柄が動く。
接触する。
力が立ち上がる。
そこで、動きが小さくなった。
記録が東都側へ届く。
指導担当者が再生する範囲を確認し、実物の測定条件に基づく案内と分けて表示した。
藤井が再生を選んだ。
握柄に、記録された動きと抵抗の変化がゆっくり返ってくる。
自分が押し足したところで、示範の動きはほとんど進まなかった。
藤井は、もう一度再生した。
遠くの机で行われた動作が、いま、自分の手に届いている。
「ここで、止めるんですか」
「支えたまま待つ。強く止めようとすると、俺も握り込む」
藤井は自分で動かした。
触れる。
止めようとする。
力の線が跳ねた。
「……今、握りました」
「俺も、言いながら握ってた」
ダニエルが手を開いた。
藤井は少し笑い、握柄を離した。
肩を下げて、やり直す。
一度は、小さな動きを保てた。
次は、また押しすぎた。
画面には、途中の力と向きが残っていく。
マークが尋ねた。
「押す直前、何を見ていました?」
藤井は記録を戻した。
測定値の表示を見ている。
線が揺れ、値が変わる。
そのあとで、力が増えていた。
「数字です」
「動くのが気になりましたか」
藤井はうなずいた。
「ずっと、落ち着かせようとしていました。押さえれば止まると思って」
自分で言って、もう一度映像を見た。
手元より先に、目が数字を追っていた。
「この線、消せますか」
藤井が尋ねた。
エマが表示を示す。
「力の線ですか」
「数字も。今度は、触ったところを確かめたいです」
指導担当者がうなずいた。
「記録はこちらで見ます。やってみましょう」
表示が減った。
接触する位置だけが残る。
藤井は握柄を動かした。
触れる。
抵抗が変わる。
そこから先へ押し込まず、支えて待った。
さっきまで見つめていた線はない。
それでも、自分が動き続けているかどうかは感じられた。
離して、もう一度。
三度目に、少し押し足した。
「今のは、やりました」
藤井が言うと、指導担当者が記録を見せた。
力の増えた場所が、思っていたところと重なった。
藤井は身を乗り出した。
「これです」
実物の訓練台へ戻る。
指導担当者が測定器の状態と基準を確認し、標準片を置いた。
藤井は道具を持った。
訓練器より重い。
握る位置も、指先へ伝わる感じも違う。
持ち直して、接触子を近づけた。
触れたところで、押し足さずに待つ。
表示が落ち着く。
値を記録した。
離して、もう一度。
三度目を終え、記録を見た。
午前中より、そろっていた。
指導担当者が別の標準片を出す。
藤井は順序を確かめ、測定を始めた。
途中で、接触子の向きがずれた。
その値は採らなかった。
離して、当て直す。
予定した確認が終わると、指導担当者は記録を読み返した。
「今日の項目は、基準を満たしています」
藤井は数字を見た。
午前中の記録も、同じ画面に残っていた。
あれだけ離れていた値が、決められた範囲に収まっている。
すぐには、言葉が出なかった。
「次は、形の違うものでも練習しましょう」
その声を聞いて、藤井は顔を上げた。
「はい」
測定器を台へ戻す。
今度は、置くときまで指に力を入れずに済んだ。
村瀬が次回の候補日を開いた。
通常業務との調整を担当部署に確認し、日時を確定する。
藤井の予定表に、次の練習が入った。
通話を終える前に、藤井は画面へ向き直った。
「ありがとうございました。向こうから、ここまで教わるとは思いませんでした」
ダニエルが手を上げる。
「最後に測ったのは、そっちの手だよ」
藤井は笑って、うなずいた。
マークは、今日の記録を整理していた。
数字を落ち着かせたくて、押さえた。
その一文を、映像と結びつける。
さらに、藤井から表示を消したいと申し出た時刻を加えた。
次に同じところで迷う人がいたら、ただ「軽く」と繰り返す前に聞けることがある。
藤井は標準片を片づけ、私用の端末を出した。
家からの問いが残っている。
今日はどう?
返信欄を開いた。
『今日は、できたことが一つ増えた』
続けて打つ。
『次の練習も決まった』
返事はすぐに来た。
『よかった。帰ったら聞かせて。何が食べたい?』
藤井は画面を見て、ようやく腹が減っていることに気づいた。
いつもの料理の名前を打った。
送信すると、端末をしまい、訓練台へ戻った。
借りた道具を確認し、指導担当者に挨拶する。
出口で、新しい通知が届いた。
配置転換先の担当者からだった。
来週、仕事内容と勤務条件について話したいという。
習得後に担当する作業と、面談の候補日が添えてある。
藤井は次の練習日を確かめ、空いている時刻を選んだ。
聞きたいことを一つ書く。
実際の一日の流れを、教えてください。
送信して、端末を閉じた。
帰ったら、まず今日の話をしようと思った。
お読みいただき、ありがとうございます。
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