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第4話:騎士の焦燥と鉄の味がするスープ


第4話:騎士の焦燥と鉄の味がするスープ


 ガタゴトと、車輪が轍を噛む音が延々と続いている。

 王都を出てから三日。空は鉛色の雲に覆われ、初冬の冷たい風が馬車の窓枠をガタガタと揺らしていた。

 聖騎士レオナールは、向かいの席で泥のように眠る主の姿を、祈るような、あるいは懺悔するような眼差しで見つめていた。


(……痩せられた)


 それは、毎日傍にいる彼だからこそ気づく、残酷な変化だった。

 毛布にくるまったアリアンナ――アリの身体は、出会った頃よりも一回り小さくなっているように見える。

 眠っている時だけは、あの不敵な「強欲の聖女」の仮面が外れ、年相応、いや、実年齢よりも幼く儚い少女の顔になる。

 毛布から投げ出された手首は、枯れ枝のように細い。かつてはぴったりだった革の手袋が、今は少しぶかぶかになっていた。


 『今のペースで神力を使い続ければ、あと三年』


 先日、王都の闇医者が告げた言葉が、呪詛のようにレオナールの脳裏を回っていた。

 三年。

 それはあくまで「最大値」だ。今回のように、王都の噴水をすべて黄金に変えるような無茶を続ければ、その砂時計はもっと早く落ち切ってしまうだろう。


『王家と教会の権威の為とはいえ、神力を無駄な事に使うとは…あんな見せかけに使うなら未だに増え続ける瘴気溜まりに向かった方が…』

「……ん……」


 馬車が大きな石に乗り上げ、ガタンと跳ねた拍子に、アリが微かな呻き声を上げた。

 レオナールは反射的に身を乗り出し、彼女が座席から滑り落ちないよう手を伸ばす。


「アリアンナ様。……お目覚めですか?」


 アリの琥珀色の瞳が、うっすらと開かれた。焦点が合うまでに数秒かかる。その瞳はガラス玉のように美しかったが、以前のような燃えるような生気が薄れ、どこか濁っているように見えた。


「……今、どこ?」

「国境付近の山道です。次の宿場町まであと半日ほどでしょうか」

「そ。……お腹すいた」


 第一声がそれか、とレオナールは苦笑しそうになったが、頬のこけ具合を見て胸が締め付けられた。

 彼女の「空腹」は、健康な人間のそれとは意味が違う。

 それは「燃料切れ」の警告音だ。枯渇した血液と生命力が、補給を求めて悲鳴を上げているのだ。


「もう少しの辛抱です。日が暮れる前にキャンプに適した場所を見つけますので」

「……肉。レバーがいい。血の滴るようなやつ」

「分かっています。途中の村で、新鮮な牛の肝臓を仕入れてありますから」


 アリは満足げに小さく頷くと、またすぐに瞼を閉じた。

 ただ座っているだけで体力を消耗しているのが分かる。

 レオナールは、自身の膝の上で拳を握りしめた。爪が掌に食い込む痛みだけが、彼の焦燥感を紛らわせてくれた。

 自分は「聖騎士」などと呼ばれているが、結局のところ、何も守れていないのではないか。

 剣で魔物は斬れても、彼女の体を蝕む「神の代償」は斬れない。

 彼女が血を吐くたび、その背中を支えることしかできない自分の無力さが、レオナールにはどうしようもなく許せなかった。


 日が傾き、森の影が濃くなり始めた頃、馬車は街道沿いの開けた場所に停車した。

 古びた石の祠があり、旅人たちが野営に使う場所だ。


「アリアンナ様、着きましたよ。少し外の空気を吸いましょう」


 レオナールが扉を開け、手を差し伸べる。

 アリはふらつく足取りで馬車から降りた。地面に立った瞬間、膝がカクンと折れそうになるのを、レオナールが素早く抱き留める。


「……っ、悪いわね。座りっぱなしで足が痺れただけよ」

「無理をなさらないでください」


 アリの体は、羽毛のように軽かった。

 十七歳の女性の重さではない。まるで、魂の重さまで減ってしまったかのようだ。

 レオナールは彼女を祠の近くの岩場に座らせると、手際よく薪を集め、火を起こした。

 パチパチと薪が爆ぜる音が、静寂な森に響く。

 レオナールは鍋を火にかけ、水筒の水と、道中で購入した野菜、そして赤黒い牛のレバーを大量に投入した。

 凝った味付けはいらない。必要なのは栄養と、鉄分だ。

 彼は腰のポーチから、乾燥させた薬草の粉末を取り出し、鍋に振りかけた。これはボア枢機卿が手配してくれた、造血作用のある貴重な漢方だ。

 グツグツと鍋が煮立ち始めると、独特の生臭さと、鉄錆のような匂いが立ち込める。

 普通の人間なら顔をしかめるような匂いだが、岩場に座るアリは、鼻をひくつかせ、うっとりとした表情を浮かべていた。


「……いい匂い。私の血と同じ匂いがするわ」


 その言葉に、レオナールはお玉を握る手に力を込めた。

 血と同じ匂い。それを「いい匂い」と感じるほど、彼女の体は飢えているのだ。


「もうすぐできますからね」


 レオナールはスープを木製の椀によそい、アリに手渡した。

 濃厚な赤褐色のスープ。具材はドロドロに溶けかけ、見た目は決して良くない。まさに「薬」のような料理だ。

 アリは両手で椀を包み込むように持ち、その温かさにほう、と息をついた。

 そして、ふうふうと冷ますこともなく、一口すする。


「……ん」


 ゴクリ、と喉が鳴る。

 濃厚なレバーの味と、血の風味、そして薬草の苦味。

 「おいしい」という感想が出るような味ではないはずだ。だが、アリは目を細め、身体の隅々にまで染み渡る感覚を味わっていた。


「……生き返るわ。鉄の味がする。錆びついた硬貨を煮込んだみたい」

「例えが悪すぎますよ、アリアンナ様」


 レオナールも自分の分の椀を手に取り、向かい側に座った。一口飲むと、強烈な鉄分が舌を刺す。

 彼は眉をひそめながら、それでも黙々と口に運んだ。彼女がこれを命綱にしているなら、自分も同じものを味わうべきだと思ったからだ。


「ねえ、レオ。そんな辛気臭い顔して飲まないでよ。せっかくの食事が不味くなる」


 アリが苦笑しながら言った。口の端に、赤いスープの跡がついている。


「もっとこう、『うまい!』って顔しなさいよ。私が稼いだ金で買った肉なんだから」

「……美味しいですよ。身体に力が漲るようです」

「嘘ばっかり。あんた、根が真面目だから嘘つくとき左眉が動くのよ」


 アリはクスクスと笑い、二口目を喉に流し込んだ。

 焚き火の明かりに照らされた彼女の横顔は、病的な白さの中に、一瞬だけ少女らしい無邪気さが戻っているように見えた。

 だが、その笑顔を見れば見るほど、レオナールの胸中には黒い焦燥が渦巻いていく。

 ――止めるなら、今しかないのではないか。

 このまま旅を続ければ、彼女は遠くない未来、本当に消えてしまう。

 ボア枢機卿の命に背いてでも、彼女を無理やり安全な場所へ連れ帰るべきではないのか。

 いや、そもそも自分は、彼女の「騎士」として、彼女の命を守るのが最優先ではないのか。彼女の意志よりも、命を。


「……アリアンナ様」


 レオナールは椀を置き、焚き火越しに彼女を見据えた。

 その声の真剣さに、アリの手が止まる。


「何よ、改まって」

「この旅を、最後にしませんか」


 アリの表情から笑みが消えた。

 森の空気が、急激に冷え込んだように感じる。


「……どういう意味?」

「言葉通りの意味です。今回の依頼……北の辺境伯領での浄化を最後に、引退してください。故郷の村の復興資金は、もう十分なはずです。チェリーの木の再生も成功したと聞いています」


 レオナールは言葉を継ぐ。堰を切ったように、溜め込んでいた想いが溢れ出す。


「貴女はもう、十分に戦いました。王都でのルルティア様の代役も、これまでの数々の依頼も、常人の一生分以上の奇跡を起こしてきました。これ以上、命を削る必要はありません」

「……必要はあるわ」


 アリは冷たく言い放ち、スープを飲み干した。


「村の維持費がいる。結界装置の魔石代、孤児院への寄付金、それに……」

「それは、貴女が命を懸けてまで背負うべきものですか!?」


 レオナールが声を荒げた。

 焚き火の炎が大きく揺れる。

 アリは驚いたように目を丸くし、それからスッと目を細めた。


「……随分と偉くなったものね、聖騎士様。雇い主に向かって説教?」

「私は貴女の騎士だ! 貴女が死に向かって歩いているのを、黙って見過ごすわけにはいかない!」


 レオナールは立ち上がり、アリの元へ歩み寄った。その瞳は潤み、悲痛な光を宿している。


「あのスープを飲む貴女を見ていて、私は怖くなるのです。貴女が『おいしい』と言うたびに、貴女の中の人間としての部分が、神の炎に食い尽くされていくようで……。血を吐く姿を見るたびに、私の心臓も一緒に削り取られるようだ」


 彼はその場に膝をつき、アリの細い手を両手で包み込んだ。

 冷たい手だった。


「お願いします、アリアンナ様。生きてください。たとえ村の復興が遅れても、……貴女がいなければ、何の意味もない」


 レオナールの言葉は、魂からの叫びだった。

 アリは黙ってそれを聞いていた。彼女の冷たい手が、レオナールの温かい掌の中で微かに震える。

 一瞬、彼女の瞳が揺れた。

 年相応の、死を恐れる少女の弱さが顔を覗かせた。

 だが、それはすぐに、いつもの「強欲な仮面」の下へと隠された。


「……嫌よ」


 アリは静かに、けれど力強く手を引き抜いた。


「レオナール。あんたは優しいわね。優しくて、甘くて、まるで砂糖菓子みたい」

「アリアンナ様……」

「でもね、私は砂糖菓子じゃ腹は膨れないの。私が欲しいのは、もっと生々しい、確かな『証』なのよ」


 アリは空になった椀を置き、立ち上がった。

 ふらつきはしなかった。スープの鉄分が、彼女の体に芯を通していた。


「私がここで引退したら、どうなると思う? 十年のんびり生きて、病室で孤独に死ぬだけ。そんなの、生きてるとは言わない。ただ『死んでないだけ』よ」


 彼女はレオナールを見下ろした。その琥珀色の瞳は、焚き火の光を受けてギラギラと輝いていた。


「私は強欲なの。金も、食も、村の未来も、全部欲しい。そのためなら、寿命なんて安いチップよ。……私が私であるために、私は戦う。あんたが止めても」


 レオナールは言葉を失った。

 彼女の覚悟は、自分の想像を遥かに超えていた。

 それは自暴自棄ではない。あまりにも純粋で、あまりにも激しい「生への執着」の裏返しだった。


「……それにねぇ、私の力は神から授かったもの。私以上に扱える聖女がいない以上、私がやるべきなのよ。たた、無料奉仕が嫌なだけ」


 アリは自重気味にクスリと笑みを浮かべた。


「分かってくれないなら、ここで解雇よ。王都へ帰りなさい」


 アリが突き放すように言う。

 だが、レオナールには聞こえていた。彼女の声が微かに震えているのを。

 『一人にしないで』という無言の叫びが、強がりな言葉の裏に隠されているのを。

 レオナールはゆっくりと立ち上がり、深呼吸をした。

 そして、胸に手を当て、騎士の礼をとった。


「……解雇は、お断りします」

「……はあ?」

「貴女が命をかけて役目を果たそうとするのなら、その露払いも騎士の務め。……私が間違っていました。貴女を止めるのではなく、貴女がその無謀な望みを叶えて、なお生き延びられるよう、全霊で守るのが私の役目でした」


 レオナールは顔を上げ、濡れた瞳で微笑んだ。

 それは、諦めではなく、共犯者としての覚悟を決めた男の顔だった。


「お供します、強欲の聖女様。……その代わり、次の町では最高級のレバー料理を食べさせますよ。あんな泥臭いスープではなくね」


 アリは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をし、それからフンと鼻を鳴らして背を向けた。

 耳が赤くなっているのを隠すように。


「……当たり前よ。不味い飯なんて二度とごめんだわ」


 焚き火がパチリと爆ぜた。

 騎士の焦燥は消えてはいない。だが、その質は変わった。

 迷いは消えた。

 たとえその先に破滅が待っていようとも、彼女の最後のひと口まで、傍で見届ける。

 鉄の味がするスープは、二人にとって苦い契約の味がした。


 翌日の昼過ぎ、馬車は北の鉱山都市ガルガントに到着した。

 ここは鉄と石炭の産地として知られる街だが、空は常に煤煙ばいえんで灰色に曇り、空気には硫黄と錆びた鉄の臭いが充満している。

 その重苦しい雰囲気は、街全体を覆う瘴気の影響もあった。


「……臭いわね。金と欲望と、腐った鉄の臭い」


 馬車の窓から外を眺め、アリは不快そうに鼻を鳴らした。

 昨晩の焚き火での口論――いや、契約更新を経て、二人の間に流れる空気は少しだけ変わっていた。

 レオナールはもう、アリに「休め」とは言わない。その代わり、彼女の一挙手一投足を見逃すまいとするような、鋭く、それでいて過保護な視線を常に注いでいる。


「アリアンナ様。依頼主の屋敷は丘の上です。……顔色がまだ優れませんが、歩けますか?」

「平気よ。これからたっぷり栄養補給するんだから」


 アリは強がって見せたが、馬車のステップを降りる足取りは鉛のように重かった。

 昨夜の「鉄の味がするスープ」のおかげで最悪の事態は免れたものの、蓄積したダメージは深い。今の彼女は、ひび割れたグラスに無理やり水を注いでいるような状態だ。

 依頼主である鉱山主、ボルゾイ伯爵の屋敷は、成金趣味を凝縮したような悪趣味な建物だった。

 通された食堂には、部屋の隅々まで金箔が貼られ、目が痛くなるほど煌びやかだ。


「おお、お待ちしておりましたぞ、聖女様! 我が鉱山の主坑道に巣食った魔物のせいで、採掘が止まっておるのです。一日止まるだけでどれほどの損失か……!」


 太鼓腹を揺らして現れた伯爵は、アリの顔色など気にも留めず、自身の損失について唾を飛ばして熱弁した。

 アリは冷めた目でそれを聞き流し、テーブルを指先でトントンと叩いた。


「事情は分かりました。で、契約の話をしましょう。着手金として金貨二千枚。成功報酬として、鉱山の採掘権の5%を十年間、私の指定口座へ譲渡すること」

「な、なんだと!? 採掘権だと!?」


 伯爵が目を剥いて泡を食った。


「金貨なら払おう。だが権利は渡せん! それは我が家の家宝だ!」

「うーん。本来ここはそんなに瘴気の出る場所じゃないんだけどなぁ…もしかしたら何か瘴気を呼び寄せるものとかあったりして」


 アリは腕を組み、チラリと伯爵を見ると、うんうんと頷く。


「じゃあ、私は帰ります。魔物が坑道から溢れ出て、この屋敷まで飲み込むのにあと三日ってところかしら。家宝を抱いて死ぬのも、まあ貴族らしくていいんじゃないですか?」


 アリが椅子を引いて立ち上がろうとすると、伯爵は「ぐぬぬ」と呻き、助けを求めるように同席していたレオナールを見た。

 清廉潔白で知られる聖騎士ならば、この強欲な聖女を諌めてくれると思ったのだろう。

 だが、レオナールは彫像のように無表情のまま、冷徹に言い放った。


「伯爵。アリアンナ様の提示は絶対です。彼女は命を削って貴方の資産を守るのですから、その対価としては安いくらいだ」

「なっ……き、騎士殿まで!」

「それに、彼女には時間がない。交渉に使う一分一秒すら惜しいのです。……払うのですか、払わないのですか?」


 レオナールの手は剣の柄には掛かっていなかったが、その身から発せられる威圧感は、魔物を前にした時のそれだった。

 「払わなければ斬る」とでも言い出しそうな迫力と、瘴気を呼び寄せる鉱物を発掘した事を国に届け出たいないのを知られた事にも。

伯爵は愕然とし脂汗を流して崩れ落ちた。


「わ、分かった……! 払おう! 権利書も用意する!」

「まいどあり。払うものさえ払ってくれたら黙っておいてあげるからね」


 アリはニヤリと笑い、すぐに真顔に戻って付け加えた。


「それと、もう一つ。この街で手に入る最高級の『仔牛のレバー』を使った料理を用意して。ソースは赤ワインとバルサミコで濃厚に。焼き加減はもちろんレアでね。……今すぐに」


 十分後、テーブルには湯気を立てる皿が運ばれてきた。

 昨夜の泥のようなスープとは雲泥の差だ。

 新鮮な仔牛のレバーは厚切りにされ、表面だけをカリッと香ばしく焼き上げられている。ナイフを入れると、中は艶めかしいほどの薔薇色だ。濃厚なソースの香りが、アリの枯渇した食欲を強烈に刺激する。


「……いただきます」


 アリは祈るように手を合わせると、肉厚な一切れを口に運んだ。

 咀嚼した瞬間、濃厚な旨味と、独特の血の風味が口いっぱいに広がる。臭みは全くない。純粋な生命の塊だ。


「……んッ」


 アリの喉が鳴る。

 胃の腑に落ちた肉が、即座に熱となり、冷え切っていた手足の末端まで巡っていくのが分かる。

 向かいの席で、レオナールは水だけを飲みながら、アリが食べる様子をじっと見守っていた。

 以前なら「行儀が悪い」と眉をひそめていたかもしれない。だが今は、彼女が一口食べるごとに、それが彼女の寿命をわずかでも延ばす儀式であるかのように、安堵の表情を浮かべている。


「……おいしいですか?」

「ええ。生き返るわ。昨日のスープも効いたけど、やっぱりプロの料理は違うわね」


 アリは皮肉っぽく笑ったが、その瞳には感謝の色があった。

 レオナールは「面目ない」と小さく苦笑する。


「約束通り、最高級のレバーです。しっかり食べてください。……これからの戦いのために」

「分かってるわよ。残さず食べて、きっちり仕事してやるわ」


 皿が空になる頃には、アリの青白い頬に明らかな赤みが戻っていた。

 ナプキンで口を拭い、彼女は立ち上がる。

 その目には、猛禽類のような鋭い光が宿っていた。


「行くわよ、レオナール。……食後の運動にしては、ちょっとハードになりそうだけどね」


 鉱山の入り口は、地獄の釜の蓋が開いたような有様だった。

 坑道の奥から噴き出すどす黒い瘴気が、周囲の草木を枯らし、岩肌を黒く変色させている。

 風に乗って聞こえてくるのは、風切り音ではなく、無数の亡者の呻き声のようなノイズだ。


「……こりゃ酷い。採掘権5%じゃ安すぎたかしら」


 アリは顔をしかめ、ローブの裾を翻した。

 坑道へ足を踏み入れると、すぐに「それ」らが現れた。

 瘴気に当てられ、動く死体と化したかつての鉱夫たち――いや、今はただの泥と瘴気の塊である「魔人グール」の群れだ。

 彼らは生前のツルハシやハンマーを引きずりながら、生者の匂いを嗅ぎつけて襲いかかってくる。


「アリアンナ様、下がっていてください!」


 レオナールが前に出た。

 聖剣を引き抜き、青白い闘気を纏わせる。

 レオナールが白銀の剣をスラリと抜き、構える。

 一閃。

 先頭の魔人が両断され、黒い霧となって霧散する。

 レオナールの動きは疾風の如くだった。狭い坑道の中で、アリに指一本触れさせないよう、完璧な剣技で魔人の群れを薙ぎ払っていく。

 アリはその背中を見つめながら、坑道の奥へと進む。

 以前のレオナールなら、「聖女様、まずは祈りで浄化を」と言っていただろう。

 だが今の彼は、アリに神力を使わせないために、物理的な暴力で道を切り開いている。

 一匹でも多く斬る。一秒でも長く、彼女が血を流す瞬間を先延ばしにする。

 その鬼気迫る背中は、信仰心というよりは、一人の少女への執着で動いているようだった。


「……馬鹿ね。あんたが頑張っても、最後は私がやらなきゃ終わらないのに」


 アリは小さく呟いたが、その声は優しかった。

 最深部。広大な採掘場に到達すると、そこには巨大な「核」があった。

 岩盤にへばりついた巨大な肉腫のような瘴気の塊。それがドクドクと脈打ち、次々と魔人を生み出している。


「レオ、離れて!」


 アリが叫ぶと同時に、レオナールが大きくバックステップで距離を取った。

 アリは核の前に仁王立ちになり、懐から純白の布を取り出した。

 さっき食べた高級レバーの味が、まだ口の中に残っている。

 それが、これから鉄の味に塗り替えられるのが少しだけ惜しい。


「……お金のためお金のため…」


 アリは布を口元に押し当て、体内のスイッチを入れた。

 全身の血液が沸騰する感覚。

 内臓が悲鳴を上げ、喉の奥から熱い奔流が駆け上がる。


「……ぐ、ぅッ!!」


 ゴボリ、と湿った音が坑道に響く。

 アリの口から吐き出された鮮血は、暗闇の中で瞬時に黄金色に発光した。

 キラキラと輝く光の粒子が、暗黒の坑道を昼間のように照らし出す。


「消え去れっ!!」


 アリが布を振るうと、黄金の血飛沫が霧となって瘴気の核へと降り注いだ。

 ジュッ、という何かが焼ける音と共に、核が断末魔を上げて身をよじる。

 黄金の光は慈悲も容赦もなく、不浄なものを食い尽くしていく。

 魔人たちが糸の切れた人形のように崩れ落ち、黒い瘴気が白い蒸気へと変わっていく。

 圧倒的な神の力。

 だが、その光源であるアリの体は、激しく痙攣していた。

 膝が震え、視界が歪む。

 今回の瘴気は根が深い。一回の吐血では足りない。


「……まだッ!」


 アリは更に強く腹に力を込め、二度目の吐血をした。

 致死量に近い血液の喪失。

 黄金の光が爆発的に広がり、坑道内の全ての闇を消し飛ばした。

 同時に、アリの意識もプツリと途切れた。

 体が、温かいものに包まれている。

 アリが目を覚ますと、彼女はレオナールの背におぶわれていた。

 揺れる視界。コツコツという足音。

 坑道を脱出し、夕暮れの道を歩いているようだ。


「……レオ?」

「気がつきましたか、アリアンナ様」


 レオナールの声は穏やかだったが、少し震えているようにも聞こえた。

 アリは自分の口元を触ろうとしたが、手が動かない。それどころか、顔が綺麗に拭かれていることに気づいた。


「口、拭いてくれたの?」

「ええ。……血の跡がついたままでは、街の人々が驚きますから」

「ふん……気が利くじゃない」


 アリはレオナールの首元に顔を埋めた。

 鎧越しだが、彼の体温と、微かに汗と鉄の匂いがする。それは、さっき食べたレバーの匂いにも似ていて、不思議と安心できた。


「……ねえ、レオ」

「はい」

「私、重くない?」

「軽すぎます。……羽根のようです」


 レオナールは痛ましげに言った。


「もっと食べてください。次の街でも、その次の街でも。貴女が望むなら、竜の肉だって調達してみせます」

「竜の肉かぁ……硬そうだけど、精はつきそうね」


 アリはクスリと笑ったが、その笑みはすぐに消えた。

 彼女は自分の命が、ろうそくの芯のように短くなっているのを感じていた。

 今日の浄化で、また大きく削れた。

 二十歳まで、あと三年と言われたが、このペースでは二年、いや一年持つかどうか。


「……急がないとね」

「アリアンナ様?」

「村の復興。……私が動けなくなる前に、全部終わらせないと」


 アリの呟きに、レオナールは背負った腕に力を込めた。


「終わらせましょう。私が、必ず貴女をそこへ連れて行きます。……村の復興を見届けるまで、死神になど指一本触れさせません」


 それは、騎士としての誓いであり、一人の男としての祈りだった。

 アリは何も答えず、ただ静かに目を閉じた。

 背中の温もりが、冷え切った体に染み渡る。

 夕闇が迫る中、二人の影は長く伸びていた。

 次の目的地は、まだ遠い。

 だが、孤独な旅路はもう終わりを告げていた。

 強欲な聖女と、その連れとなった哀れな聖騎士。二人の絆は、血と鉄の味によって、鋼のように固く結ばれていた。


(……レオナールには気の毒だけど…悪くないわねぇ、こういうのも)


 アリは薄れゆく意識の中で、今日食べたレバーの味を反芻しながら、深い眠りへと落ちていった。

 ――数日後、彼女の元に故郷からの手紙が届き、運命の歯車が大きく加速することになるのだが、それはまだ先の話である。

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