第5話:沈黙のアルト師匠と、おしゃべりなスープ
宿屋の窓から、柔らかな日差しが差し込んでいた。
ベッドの上で、アルト師匠が不満げに頬を膨らませている。
彼の首には包帯が巻かれ、サイドテーブルには筆記用具が置かれていた。
「……」
彼は何か言いたげに口を開くが、すぐに顔をしかめて喉を押さえる。
「ダメですよ、アルト師匠。お医者様に『一週間は絶対安静、発声禁止』と言われたでしょう?」
私は湯気の立つスープ皿を手に、ベッドサイドに座った。
先日の荒野での無茶が祟り、彼の喉はボロボロだ。命に別状はなかったものの、しばらくは歌うことも、喋ることもできない。
私のために、彼は声を犠牲にしたのだ。
アルト師匠は渋々頷き、羽ペンを走らせてメモ帳を私に見せた。
『腹減った』
「ふふ、食欲があるのは良いことですね。今日は特製の薬膳スープを作りましたよ」
私はスプーンでスープをすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
黄金色のスープには、喉に良いハーブや野菜がたっぷり溶け込んでいる。
「はい、どうぞ」
私がスプーンを差し出すと、アルト師匠は一瞬きょとんとし、それから急に顔を赤くして視線を逸らした。
そして、またカカリとペンを走らせる。
『自分で食える』
「ダメです。手も震えているじゃありませんか。こぼしたら大変です」
私は譲らない。
あの時、彼は私のために命を削って歌ってくれた。これくらいの世話を焼かせてもらわなければ、私の気が済まないのだ。
「さあ、口を開けてください。……あーん」
私が子供をあやすように言うと、アルト師匠は観念したように、おずおずと口を開けた。
パクッ。
スープを口に含んだ瞬間、彼の表情がパァッと明るくなる。
『うまい!』
彼は親指を立ててジェスチャーした。
私は嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。
「よかった。おかわりもありますからね」
それからしばらく、静かで穏やかな時間が流れた。
カチカチというスプーンの音と、窓の外の鳥の声だけが響く。
言葉はない。歌もない。
けれど、こうして彼にご飯を食べさせているだけで、胸が温かくなる。
まるで、本当の家族になったような――あるいは、新婚の夫婦のような。
そんな不謹慎な想像をしてしまい、私は慌てて首を振った。
いけない。彼は18歳の少年で、私は……。
その時、窓辺で毛づくろいをしていたマロンが、パタパタと飛んできた。
アルト師匠の枕元に止まり、彼の顔を覗き込む。
「チチッ! 『アーン、ウレシイ? ドキドキ?』」
マロンの問いかけに、アルト師匠はギクリとして固まる。
そして必死に首を横に振り、「違う違う!」とジェスチャーする。
しかし、マロンは容赦ない。
「『ホントハ、ズットコウシテタイ? ココロンノ手料理、毎日食ベタイ?』」
アルト師匠の顔が、スープよりも赤く染まっていく。
彼は慌ててマロンを捕まえようとするが、マロンはひらりと躱して私の肩へ。
「『ココロン、大好き! 結婚シテ! 卵産モウ!』」
「ぶふっ!!」
アルト師匠が音にならない悲鳴を上げて、布団に潜り込んでしまった。
丸まった布団の山が、小刻みに震えている。
私はマロンを撫でながら、布団の山に優しく語りかけた。
「……マロンったら、また適当なことを。アルト師匠が困っているでしょう?」
布団の中から、返事はない。
けれど、私は知っている。
マロンの言葉が、あながち嘘ではないことを。そして、私自身も、そんな未来をどこかで夢見ていることを。
「早く喉を治して、また素敵な歌を聞かせてくださいね。……アルト師匠」
私は布団の上から彼をポンポンと撫でて、空になったスープ皿を片付けた。
言葉がなくても、伝わる想いがある。
そんなことを知った、静かな午後だった。




