第29話:最後の夜
階段を登りきった先には、巨大な門がそびえ立っていた。
門の前で、私たちは最後の野営をした。
ここから先は、神の領域だ。
焚き火の炎が揺れる。
私の心も揺れていた。
怖い。明日、女神に会えば、全てが終わる。
許されるのか、消されるのか。
もし離れ離れになってしまったら?
不老不死を捨てる覚悟はしたけれど、その「未来」が来なかったら?
「……寒いですね」
私は毛布を引き寄せた。気温のせいではない。心の震えだ。
アルト師匠がスープを差し出してくれる。
「飲めよ。温まるぜ」
彼の顔を見たら、涙が溢れそうになった。
18歳の彼。出会った頃よりずっと逞しくなった彼。
失いたくない。この温もりを、絶対に。
「……アルト師匠」
私は震える声で呼んだ。
「私と、結婚してくれませんか?」
彼が目を見開く。
私は言葉を重ねた。すがるように。
「今ここで。明日が来なくてもいいように。……私を、あなたのものにしてください」
それは、詩篇姫としての誇りも、年上の余裕も捨てた、ただの弱い女の願いだった。
彼に縋り付き、不安を埋めたいだけの、身勝手な求愛。
アルト師匠は、驚いた顔をしていたが、やがてふわりと微笑んだ。
その笑顔は、かつて10歳の彼が見せた無邪気なものではなく、全てを包み込む大人の男のものだった。
「ココロン。……やっと俺の魅力に気づいたか?」
彼は冗談めかして言った。
けれど、その目は真剣で、優しかった。
「なんてな。弱ってるだけだってわかるぜ。怖かったんだろ?」
彼は私の隣に座り、肩を抱いた。
「でも、いいよ。結婚しよう」
「……え?」
「俺はずっと、10歳の時から決めてたんだ。君を幸せにするって」
彼は私の涙を指で拭った。
「本当は、18歳になって成人したら、すぐに君を迎えに行くつもりだったんだ。……ちょっと予定より早くなっちまったけど、俺の気持ちは変わらない」
「でも、今じゃない。明日だ」
「明日……?」
「ああ。女神様の前で、堂々と誓おうぜ。『俺たちは罪人じゃない、夫婦だ!』って」
「明日が来ないなんて言わせない。俺が必ず、最高の明日を連れてくるから」
彼の言葉に、胸の震えが止まった。
彼は私よりもずっと強く、未来を信じている。
そんな彼に愛されていることが、何よりも誇らしかった。
「……はい。楽しみにしています、あなた」
私は彼の肩に頭を預けた。
マロンが「チチッ(早ク寝ロ! 明日ハ結婚式ダ!)」と急かす。
私たちは寄り添って眠りについた。
夢は見なかった。明日起きれば、最高の現実が待っていると知っていたから。




