第28話:天空への階段
光でできた螺旋階段は、天頂へと向かってどこまでも続いていた。
足元を見下ろせば、先ほどまでいた空中都市の残骸が、豆粒のように小さく見える。さらにその下には、分厚い雲海が広がっていた。
私たちは雲を抜け、空の色が鮮やかな青から深い群青へ、そして星々が瞬く宇宙の黒へと変わっていく境界を歩いていた。
風の音さえしない、完全な静寂。
聞こえるのは、二人の足音と、少し早くなった呼吸音だけ。
その静けさの中で、前を歩くアルト師匠の様子が、少しずつ変わっていった。
一歩登るごとに、彼の纏う空気が重厚になっていく。
背筋が伸び、歩幅が広がり、少年特有の頼りなさが消えていく。まるで、長い眠りから覚めた王が、玉座へと向かう道程のようだ。
その背中は、私の知っている「アルト師匠」のものよりも、ずっと大きく、遠く感じられた。
(……アルト師匠?)
私は胸の奥がざわつくのを感じた。
彼の中で今、何かが起きている。
空中都市での戦いで、彼はかつての「幽霊王」としての力を完全に解放した。その代償として、封印されていた記憶の奔流が彼を飲み込もうとしているのではないか。
もし、過去の記憶が勝ってしまったら?
私の大好きな、生意気で、優しくて、ちょっと抜けている「アルト師匠」は消えてしまうのだろうか?
冷徹な復讐者である「幽霊王」に乗っ取られてしまうのだろうか?
「……師匠」
恐る恐る声をかけると、彼はピタリと足を止めた。
振り返った彼の瞳を見て、私は息を呑んだ。
その瞳には、数百年分の時を超えたような、深く、静かな色が宿っていた。
「……思い出したよ」
彼が口を開く。その声色は、いつもの彼よりも低く、落ち着いていた。
まるで別人のような響きに、私は一歩後ずさる。
「あいつ……前世の俺が見ていた景色のことだ」
彼は遠い目をして、眼下に広がる世界を見下ろした。
「あいつは、女神を憎んでいたわけじゃなかった。怒りに狂って反逆したように見えたけど、本当は違ったんだ。ただ、悲しかったんだよ」
「悲しい……?」
「ああ。女神もまた、システムに縛られた孤独な存在だって気づいていたから。世界を管理するために、感情を殺し、ただの『機能』として振る舞い続ける。その孤独が、あいつには痛いほど分かったんだ」
アルト師匠は、自分の胸に手を当てた。
そこには、かつて幽霊王が貫かれた傷跡があるはずだ。
「だから、あいつは女神を壊そうとしたんじゃない。解放しようとしたんだ。……やり方は間違ってたけどな」
彼はふっと自嘲気味に笑った。その仕草は、大人の男のそれだった。
私は不安に押しつぶされそうになりながら、問いかける。
「あなたは……誰ですか? 私の知っているアルト師匠は、もう……」
言葉が続かない。涙が溢れそうになる。
彼は私を見つめたまま、ゆっくりと近づいてきた。
そして、私の頭にポンと手を置く。その手は、温かかった。
「バカだなぁ、ココロンは」
聞き慣れた、悪戯っぽい声。
顔を上げると、そこにはいつものニカッとした笑顔があった。
「俺は俺だよ。アルトだ。幽霊王の記憶も、感情も、全部受け止めた上で、俺が俺としてここにいる」
「……本当に?」
「本当さ。あいつの記憶は、ちょっと重たいけどな。でも、今の俺には君がいる。君との旅の思い出がある。それが錨になって、俺を『今』に繋ぎ止めてくれてるんだ」
彼は私の頬についた涙を、親指で優しく拭った。
その表情は、少年の無邪気さと、王の威厳が見事に溶け合い、以前よりもずっと頼もしく見えた。
「今回の呼び出しは、罠じゃない。女神も待ってるんだよ。誰かが自分を『解放』してくれるのを。……あいつがやり残したことを、俺たちが終わらせてやるんだ」
「解放……ですか?」
「ああ。俺たちの歌で、女神様も笑わせてやろうぜ。しかめっ面の管理者に、愛の歌を叩きつけてやるんだ!」
彼は拳を突き上げた。
その力強い宣言に、私の不安は霧散した。
過去の亡霊はもういない。ここにいるのは、過去の悲しみさえも力に変えて未来へ進む、私の最強のパートナーだ。
「はい! 行きましょう、アルト師匠!」
私は彼の手を握り返した。
二人の手が触れ合うと、指先から温かい光が溢れ出し、階段を照らした。
私たちは顔を見合わせ、頷き合うと、最後の段差を駆け上がっていった。




