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「子供だから」と振った少年が、世界を敵に回しても私を守ると言い出した ~詩篇姫と反逆の吟遊詩人~  作者: 蒼山りと


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第25話:砂漠の蜃気楼

海を渡り、たどり着いたのは、見渡す限りの砂の世界だった。

 頭上からは太陽が容赦なく照りつけ、足元の砂は靴底を焦がすほど熱い。

 水筒の水は、昨日の夜に尽きていた。


「……あつい……」


 アルト師匠の足取りが重い。

 私も限界だった。視界がぐにゃりと歪み、遠くの景色が揺らめいている。

 熱砂の海を歩いていると、前方に蜃気楼が見えた。

 最初はオアシスかと思った。けれど、近づくにつれて、それは人の形をとった。


 小さな女の子だ。

 ボロボロの服を着て、裸足で、泣きながら荒野を彷徨っている。

 ……あれは、15年前の私だ。

 両親を失い、孤児院に引き取られる前の、孤独だった頃の私。


「……あれは、私の後悔が見せている幻影です」


 私は立ち止まった。喉が引きつって、声がうまく出ない。

 幻影の少女は、ゆっくりと顔を上げ、私を睨みつけた。その瞳は、憎悪で濁っていた。


『どうして私を置いていったの?』


 少女の声が、頭の中に直接響く。


『どうしてあなただけ、幸せになろうとしているの? お父さんもお母さんも死んだのに。あなただけが生き残って、笑って、恋をして……そんなの許さない』


 少女の背後から、黒い影が次々と現れる。

 それは、私がこれまでの旅で出会い、救えなかったかもしれない人々の顔をしていた。

 『お前のせいで』『偽善者め』『詩篇姫なんて嘘っぱちだ』

 罵倒の声が渦を巻き、私を押しつぶそうとする。


「うっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 私はその場に膝をついた。

 その言葉は、私がずっと心の奥底に封じ込めてきた「罪悪感」そのものだった。

 私は幸せになってはいけない。苦しみ続けなければならない。

 そう思うことで、生き残った罪を償おうとしていたのだ。


 幻影の少女が、砂でできたナイフを振り上げる。

 私は目を閉じた。これで楽になれるなら、それでもいいと思った。


 ガシッ!


 鈍い音がして、いつまで経っても痛みは来なかった。

 目を開けると、アルト師匠が私の前に立ちふさがり、少女の腕を掴んでいた。


「……離してよ! こいつは死ぬべきなの!」


「死なせない。絶対に」


 アルト師匠は、汗だくの顔で、しかし真っ直ぐに幻影を見つめた。

 その瞳に迷いはなかった。


「置いていったわけじゃない。連れてきたんだ」


「え……?」


「今のココロンがいるのは、お前が……過去のココロンが、歯を食いしばって生きてくれたからだ。泥水をすすってでも、今日まで命を繋いでくれたからだ!」


 彼は少女の手からナイフを取り上げ、放り投げた。

 そして、少女の小さな肩を両手で掴む。


「お前が泣いてた分、俺が今のココロンを笑わせてやる。お前が寂しかった分、俺がそばにいてやる。だから……もう自分を責めるな」


 彼は少女を抱きしめた。

 その手つきは、かつて私が10歳の彼にしたように、優しく、壊れ物を扱うようだった。


「よく頑張ったな。偉いぞ、ちびココロン」


 その言葉を聞いた瞬間、少女の瞳から憎悪が消え、大粒の涙が溢れ出した。

 『……辛かった。寂しかったよぉ……』

 少女はアルト師匠の胸で泣きじゃくった。

 それは、私が15年間、一度も流せなかった涙だった。


 私も立ち上がり、二人を抱きしめた。

 過去の自分を、今の彼ごと抱きしめる。


「ごめんね。もう一人じゃないよ。私たちがいる」


 私の言葉に、少女は驚いた顔をして、やがてふわりと笑った。

 それは、私がずっと忘れていた、無邪気な子供の笑顔だった。

 『……うん。幸せになってね』

 少女は光の粒子となって弾け、砂漠の風に溶けて消えた。


 気がつくと、蜃気楼は消え、ただの砂漠が広がっていた。

 けれど、不思議と暑さは和らいでいた。


「……ありがとうございます。過去の私も、あなたに救われました」


「へへっ、どういたしまして。……でも、ちょっと水欲しいかも」


 アルト師匠がガクッと膝をついてへたり込む。

 見れば、彼の手足は小刻みに震えていた。幻影とはいえ、人のトラウマに干渉するのは相当な精神力を削るはずだ。

 彼は私にかっこいいところを見せようと、ずっと虚勢を張っていたのだろう。


「あっちに岩陰があります。休みましょう」


 私は苦笑しながら彼を支えた。

 岩陰に座り込むと、彼は不安そうに私を見上げてきた。


「なぁ、ココロン」

「はい?」

「さっきの俺……ちゃんと『師匠』っぽかったか? その……頼りになったか?」


 その瞳は、まるでテストの結果を待つ子供のように揺れている。

 私は思わず吹き出しそうになったけれど、真剣に頷いた。


「はい。世界で一番、頼りになる男性でしたよ」


「よっしゃ……!」


 彼は顔を真っ赤にして、小さくガッツポーズをした。

 それから、ボソリと呟く。


「……早く追いつきたいな。君が、俺を子供扱いしなくなるくらい、でっかい男に」


「ふふ、もう十分大きいですよ。背も、器も」


「まだだ! もっとだ! ……あ、ココロン。さっきの『ちびココロン』、可愛かったな」

「……今の私は可愛くないですか?」

「い、いや! 今の方が断然可愛い! 超可愛い! 大人の色気もあるし!」


 慌てて言い訳する彼を見て、私は声を上げて笑った。

 砂漠に二人の笑い声が響く。

 私たちは手を繋ぎ、足跡を刻みながら歩き出した。

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