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「子供だから」と振った少年が、世界を敵に回しても私を守ると言い出した ~詩篇姫と反逆の吟遊詩人~  作者: 蒼山りと


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第1話:生意気な師匠との出会い

土砂降りの雨が、森の木々を激しく叩いていた。

 地面を打つ雨粒が跳ね返り、泥の匂いを立ち上らせる。

 街道沿いにある、朽ちかけた旅人のいおり

 私はその軒下で、濡れたローブを抱きしめてうずくまっていた。


「……重い」


 腰に下げた「空白の本」が、鉛のように重い。

 革のベルトが肩に食い込み、赤く鬱血しているのがわかる。

 さっき、隣村で一人の女性から「言葉」を回収してきたばかりだ。

 彼女が吐き出したのは、夫を亡くしたことへの後悔と、自分への責め苦。

 システム上は「反省文」として処理されるべき、重く冷たい記録データだ。

 これを天界へ提出するまで、私はこの重みに耐え続けなければならない。

 この十数年、私はそうやって、世界の罪を背負って歩いてきた。

 この世界は、悲しむことが義務付けられた巨大な牢獄。私たちはその看守だ。


 その時だった。

 バサバサッ! と雨を切り裂く羽音がして、庵の中に何かが飛び込んできた。


「チチッ! クルルッ!」


 栗色の小鳥だ。

 ずぶ濡れになりながら、私の周りを嬉しそうに飛び回る。

 水滴が私の頬にかかる。冷たい。


「あら、どうしたの? 迷子?」


 私が指を差し伸べようとした瞬間、背後から元気な声が響いた。


「あ、やっぱここか! マロン、でかした!」


 振り返ると、一人の少年が立っていた。

 年齢は18歳くらい。大きなベレー帽に、旅装束。

 雨に濡れた栗色の髪をかき上げながら、彼はニカッと笑って私を見た。

 その琥珀色の瞳は、雨雲を吹き飛ばす太陽のように輝いていた。

 肩には、先ほどの小鳥――マロンが止まっている。ただの鳥ではない。これは「御使い鳥」。人の魂の波長に敏感な、希少な聖獣だ。


「詩篇姫ココロン様ですか?」


 私は警戒して身を引く。

 私の正体を知っている? 管理者の使いだろうか。


「……そうですが。何か御用ですか?」


 私が冷たく返すと、少年はズカズカと庵に入り込み、私の隣にドカッと腰を下ろした。

 湿った服から、微かに日向の匂いがした。


「いやー、探したよ。俺さ、これから『運命の恋人』を探す旅に出るんだ!」


「はあ……」


 唐突な自分語りに、私は呆気にとられる。


「でさ、なんかあんた、すごい詩篇姫らしいじゃん? 人の悩みがわかるとか何とか」

「だから、俺の専属お悩み相談役になってよ! 旅の道連れってやつ!」


 彼は悪びれもせず、とんでもない提案をしてきた。

 私はため息をつき、立ち上がる。


「お断りします。私は子供の遊びに付き合っている暇はありません。それに、私は公務中です」


「公務? ああ、その重そうな本のこと?」


 少年の視線が、私の腰にある本に向けられた。


「顔色が悪いよ。そんな『反省文』ばっかり溜め込んでたら、いつか潰れちまうぜ」


 ドキリとした。心臓が早鐘を打つ。

 彼は知っているのか? この本の中身が、ただの言葉ではなく、罪の記録であることを。


「……あなたには関係ありません」


「関係あるさ。だって、そんな暗い顔した美人は見たくないからな」


 彼はそう言うと、ふいに歌い出した。


 ♪――


 それは、雨音さえも味方につけるような、透き通る歌声だった。

 歌詞はない。ただの即興のメロディ。

 けれど、その旋律が空気に触れた瞬間、私の腰に走っていた鈍い痛みが、ふっと消えた。


「え……?」


 私は恐る恐る、肩に食い込んでいた革ベルトに触れた。

 本はある。そこにあるはずなのに、まるで空気でできているかのように、重さを感じない。

 試しに指一本で持ち上げてみる。

 ひょい、と浮いた。

 中身が空っぽになったわけではない。ページにはびっしりと文字が刻まれている。

 けれど、その文字が持っていた「鉛のような質量」だけが、きれいに消え失せていた。


 気づけば、強張っていた奥歯の力が抜け、肺の底まで深く息を吸い込んでいた。

 冷え切っていた指先に、血が巡る熱さを感じる。

 15年間、常に背負い続けてきた重力が、突然消滅したような浮遊感。


 これは、浄化ではない。

 改竄だ。

 世界のシステムが定めた「罪の重さ」を、個人の「愛の軽さ」で上書きする、許されざるハッキング行為。

 彼の歌声は、システムの根幹にある「悲しみ=重さ」という定義コードを、強制的に書き換えているのだ。


 この魂の響き。この圧倒的な反逆の力。

 そして何より、この旋律は――。


 ドクン、と心臓が跳ねた。

 彼が口ずさんでいるメロディ。それは、かつて幽霊城で、あの方と踊った時のワルツに似ていた。

 誰にも知られていないはずの、二人だけの記憶の曲。


「……まさか」


 私は驚愕に目を見開き、少年を見つめた。

 栗色の髪、琥珀色の瞳。外見は似ても似つかない。

 性格も、あの方のような静謐さはなく、生意気で騒がしい。

 けれど、この懐かしさは何?


 ――いいえ、違う。期待してはダメ。

 私は首を振った。

 私が未練がましいから、都合の良い幻聴を聞いているだけだ。

 あの方はもういない。私が殺したのだから。

 目の前にいるのは、ただの歌の上手い、不思議な少年だ。


 彼は歌い終えると、得意げに鼻をこすり、ニヤリと笑った。


「へへん、俺を年下だって侮っていただろう!」


 彼は立ち上がり、私を見下ろすように胸を張る。


「すごいだろ? 俺の歌があれば、あんたの本なんていつでも軽くしてやるよ。だからさ……『師匠』って呼べよ、これからは!」


 師匠。

 その生意気な響きに、私は思わず吹き出しそうになった。

 そして同時に、目頭が熱くなった。

 間違いない。この魂は、あの人のものだ。

 8年の時を超えて、彼はまた私を見つけてくれた。しかも、こんなに騒がしくて、頼もしい「共犯者」として。


 私はフードを脱ぎ、彼に向き直る。

 そして、ドレスの裾をつまみ、深く頭を下げた。


「……お見それいたしました。私の負けです」


 顔を上げ、私は彼に――私の新しい、そして懐かしい相棒に微笑みかける。


「よろしくお願いします、師匠。……あなたの恋人探しの旅、お供させてください」


「おう! 任せとけ弟子一号! マロン、出発だ!」


 師匠が歩き出そうとした、その時。

 肩の上のマロンが、翼を広げて高らかに叫んだ。


「ヤッター! ウマクイッタ! ズットイッショ!」


 それは、さっきまでの師匠の内心をそのまま代弁するような、歓喜に満ちた声だった。

 師匠が真っ赤になって慌てる。


「わわっ! バカ、マロン! 黙れって!」


「ズットイッショ! ズットイッショ!」


「あーもう! ココロン、違うからな! こいつ適当なこと言ってるだけだから!」


 必死に弁解しながら先を急ぐ師匠の背中を見て、私は思わず吹き出した。


「ふふ、賑やかな旅になりそうですね」


 雨はいつの間にか小降りになっていた。

 雲の切れ間から差し込む光が、水たまりに反射してキラキラと輝いている。

 先を行く少年の背中を追いかけながら、私は軽くステップを踏んだ。

 重荷はもう、ない。

 私たちは、この牢獄のような世界で、小さな脱獄を始めたのだ。

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