第15話:歌姫の沈黙
音楽の都アリア。
街中から楽器の音が聞こえるはずのこの街は、今日は静まり返っていた。
冷たい雨が、街の音を全て吸い込んでいるようだ。
「……ここが、アリアか」
アルト師匠が傘の下で呟く。
彼の表情は暗い。
この街には、彼が幼い頃から憧れていた伝説の歌姫、セレーナが住んでいる。
しかし、噂によると彼女は数年前から突然歌わなくなり、引退してしまったという。
私たちは彼女の屋敷を訪ねた。
かつては華やかだったであろう館は、今は蔦に覆われ、廃墟のように静まり返っていた。
「帰ってください。私はもう、歌えません」
扉の隙間から現れたセレーナは、やつれ果てていた。
かつての輝きはない。その喉元には、鋭い棘のような黒い塊が突き刺さっている。
「才能への呪い」だ。
完璧を求めすぎた結果、自分の歌声を愛せなくなり、歌うこと自体が苦痛になってしまったのだ。
「セレーナさん! 俺、あなたの歌が大好きでした! あなたの歌を聞いて、俺は吟遊詩人になったんです!」
アルト師匠が必死に訴える。
しかし、セレーナは冷たく首を振った。
「私の歌は、ただの雑音です。完璧じゃない歌なんて、歌う価値がない」
彼女は扉を閉ざしてしまった。
「……どうすればいいんだ」
アルト師匠が膝をつく。
憧れの人に拒絶されたショックは大きい。
雨脚が強くなる。
私は傘を差し出しながら、静かに言った。
「完璧である必要なんて、あるのでしょうか?」
「え?」
「雨音を聞いてください。不規則で、雑多で、でも心地よい。……あなたの歌も、そうでしょう?」
アルト師匠がハッとする。
彼の歌は、決して完璧ではない。音程が外れることもあるし、歌詞を間違えることもある。
でも、だからこそ人の心に届く。
「……そうか。俺の歌は、雑音上等だったな」
彼は立ち上がり、リュートを取り出した。
雨の中で、彼は歌い始めた。
♪――
それは、セレーナの代表曲だった。
けれど、アレンジはめちゃくちゃだ。テンポは速いし、歌詞も勝手に変えている。
「完璧」とは程遠い、泥臭いロックンロール。
♪――
天使の歌声 そんなのいらない
掠れた声で 叫んでくれよ
生きてる証 聞かせてくれよ
泥だらけの翼で 飛べ!
屋敷の窓が開いた。
セレーナが驚いた顔で外を見ている。
「なんて……ひどい歌」
彼女は呟いた。けれど、その目からは涙が溢れていた。
完璧という檻に閉じ込められていた彼女の心に、アルト師匠の「自由な雑音」が風穴を開けたのだ。
私は詠唱する。
**鳥籠の 鍵は錆びつき 開かずとも**
**歌声だけは 空を駆ける**
セレーナの喉から、棘が抜けた。
彼女は震える声で、アルト師匠の歌に声を重ねた。
最初は小さく、やがて朗々と。
雨音と、下手くそなギターと、伝説の歌声が混ざり合う。
それは、世界で一番美しいハーモニーだった。




