第13話:記憶を食べる古書店
古都ビブリオは、インクと紙の匂いに包まれた街だった。
しかし、今日のアルト師匠は静かだ。
なぜなら、昨日の雨で風邪をひき、完全に声が出なくなってしまったからだ。
「……(カキカキ)」
彼がスケッチブックを掲げる。
『腹減った。肉食いたい』
「ダメです。喉にいいスープにしましょう」
私が却下すると、彼はガックリと肩を落とした。
そんな静かな散歩の途中、私たちは路地裏で不思議な店を見つけた。
『ミセス・メモリーの古書店 ~あなたの記憶、買い取ります~』
店内には、本ではなく「記憶」が詰まった瓶が並んでいた。
店主の老婆は、私たちを見るなりニヤリと笑った。
「おや、珍しいお客さんだね。……そこのお兄さん、大事な『歌』を忘れたいのかい?」
老婆はアルト師匠の喉の不調を見抜いたようだ。
「声が出ないのは、心が歌うことを拒んでいるからさ。辛い記憶が喉を塞いでいるんだよ。……私がその記憶、買い取ってあげようか?」
老婆の言葉に、アルト師匠が動揺する。
確かに、彼は過去のトラウマ(8歳の失恋や、幽霊王の記憶)に苦しむことがある。
老婆が瓶の蓋を開けると、甘い香りが漂った。
その香りを吸い込んだ瞬間、アルト師匠の目が虚ろになり、ふらふらと老婆の方へ歩き出した。
「アルト師匠!」
私が止めようとするが、体が動かない。金縛りだ。
老婆はニタニタと笑いながら、アルト師匠の額に手を伸ばす。
「さあ、楽におなり……」
その時。
アルト師匠が、震える手でスケッチブックを老婆の顔に押し付けた。
バシッ!
「ぐえっ!?」
老婆がのけぞり、金縛りが解けた。
スケッチブックには、震える文字でこう書かれていた。
『俺の記憶は、俺のメシの種だ! タダでやるか!』
「……師匠」
私は呆れるやら安心するやらで、力が抜けた。
彼は声が出なくても、やっぱりアルト師匠だった。
私たちは店を飛び出し、安全な大通りまで走った。
息を切らして立ち止まると、彼がまたカキカキと文字を書く。
『助けてくれてサンキュ。……でも、肉は食いたい』
「もう! わかりましたよ、ステーキにしましょう!」
彼がニカッと笑い、音のないガッツポーズをした。
言葉がなくても、心は通じ合っている。
そんな当たり前のことが、今はとても嬉しかった。




