幕十三 対象と首と
アラーナは、地図も記録も持たずに歩いていた。
手がかりはない。
けれど、問題はなかった。
彼女にとって、探すという行為は必要ない。
沈黙が深く、言葉の気配がまったくない場所――
そこに“声を奪われた者”はいる。
ただ、それだけで足りた。
旧市街の外れ。
かつて宗教施設だったという建物の奥――
今では誰も近づかないその廃屋の一角に、かすかに“重い沈黙”が沈んでいた。
埃とカビの匂い。
ひび割れた窓から差す光が、床の端で何かを“照らさないように”避けている。
アラーナは物置の扉を開けた。
中には、ひとりの少女が膝を抱えて座っていた。
年齢は十にも満たないだろう。
髪は乱れ、服は薄く、素足のままだった。
喉元には焼け焦げた痕跡――鉄印を押しつけられたような刻印。
声帯を奪う儀式か、制裁か、あるいは処分のための“管理印”かもしれない。
アラーナは、何も言わない。
少女も、声を出さない。
出そうとしたのか、出なかったのか――それすらわからない。
ただ、見上げてくる瞳だけがあった。
彼女は逃げようともしない。
むしろ、“ずっとここにいること”が自分の役目だと知っていたように、動くことも、拒むこともせず、そこに居た。
ルメア銀貨十枚。
契約は、すでに成り立っている。
老人の言葉が思い出されることはない。
けれど、この“結果”が、あの依頼の結末であることは確かだった。
少女にとって、救いは訪れなかった。
だからこそ――その役割は、沈黙のまま委ねられた。
アラーナは、腰から鎌を抜く。
そして――
少女は、ほんのわずかに、微笑んだ。
それは安堵でも、諦めでもない。
ただ、“見つけてもらえた”という本能の反射のような微笑だった。
アラーナは、目を細めた。
呼吸が一拍だけ遅れる。
黒い金属の弧が、空を裂き、わずかに光を返す。
その刃先が空気を裂いた瞬間、少女のまぶたが震える。
首が落ちる音は……しなかった。
床に転がったそれは、目を閉じたまま、まるで祈るように、誰かに抱き締められていたような痕が、首筋に残っていた。
アラーナの足が、一瞬だけ止まった。
その理由を、彼女自身も知らない。
ただ――“何かが終わった”というより、“何かが返ってきた”気がした。
アラーナは、それが何なのかを考えることはしない。
振り返ることも、跡を残すこともなく、その場を離れた。
沈黙が、またひとつ深くなった。
(つづく)




