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最終話 人間と死神の二重奏

 

 翌日――下校途中。

 俺はいつものようにシオンと二人で歩いていた。

 

「なぁ、シオン。本当にあんな別れ方でよかったのか?」

「いいんだよ。アタシが伝えたかったことは曲の中で十分に伝えたよ」


 シオンはカットワーク刺繍とフリルのついた大きな日傘を高く差しながら言った。心なしかいつもより彼女が違ってみえた。


「ふーん。そんなもんか」


「カナタ」

「ん?」

「ありがとな!」

「あ、ああ」


 彼女は良くも悪くも素直な子だ。春香さんの年を考えれば、シオンはかなり幼い時に亡くなったはずだ。


「それよか、カナタ。お前の身体の“指”。アタシの思った通りに良く動いたぞ。ピアノの才能あるかもな」

「俺が? まさか!」

 

 その時だった――俺のポケットの中でスマホがブルブルと連続で震えた。

 

「どうしたカナタ?」

「クラスのグループだ。シオン。これ……一体どういうことだ?」


 俺はシオンにもグループチャットの画面を見せた。


 クラスのグループチャットではネットで拡散されたニュースの動画が持ち切りだった。

 それは街の騒ぎを映したものだった。


 ざわめくスタジオの音声の向こうで、黒い影が道路を駆け、街灯をへし折り、車が無人のまま宙を舞う。


『緊急速報です。夕暮れの商店街付近で、正体不明の黒い影が暴れているとの情報が入ってきました。現在、警察および消防が出動していますが――』


 画面は切り替わり、現場からの生中継に変わる。

 ハンディカメラが激しく揺れ、逃げ惑う人々の悲鳴がマイクを割った。


『こちら現場です! 見てください! あれが問題の黒い影です!』


 視界の先、夕暮れの商店街のアーチの上を、黒い獣のような塊が這うように移動していた。

 手足はあるのかないのか曖昧で、黒い煙のようなものが形を作ったり崩したりを繰り返している。

 街灯が折れ、ショーウィンドウが砕け、破片が通りに散った。


『ひ、人影ではありません! 明らかに、人間の動きでは……!』

 記者の声は裏返っていた。


 カメラは拡大され、黒い影の中心に一瞬だけ「人の顔」のようなものが浮かび、次の瞬間には掻き消える。

 それは呻くような声を上げながら、通りを縦横無尽に跳躍し、看板をなぎ倒していく。


『繰り返します! 夕暮れの商店街にて正体不明の黒い影が暴走中です! 周辺の方は至急避難してください! 現在も――』


 音声が途切れる。

 次の瞬間、カメラごと地面に叩きつけられたような衝撃映像が映り、画面は砂嵐に切り替わった。


 スタジオに戻り、アナウンサーが蒼白な顔で原稿を読む。


『ただいま入った情報によりますと、現場は依然として混乱しており、負傷者も多数出ている模様です。繰り返します。付近の住民の方は絶対に近づかず、指示に従ってください――』


「……あーあ。暴走しちまってるな、コイツ」


 シオンは俺のスマホを覗き込みながら言った。


「暴走?」


「人間と死神が互いに主導権を奪い合って破綻した状態。どっちでもない人間でも死神でもない“中間”の存在。――アタシ(死神)たちは悪魔って呼んでる」


 汗が手ににじんだ。


「止めないと」

「止められないよ、普通はね。人間も、死神も、悪魔には触れられないから」


「なんとかならないのかシオン!」


 彼女は傘の柄をくるりと回し、こちらを見た。


「でも、アタシ達が“あの時”みたいに一つになるなら――話は、別」


 * * *


 鐘が鳴る。


 夕暮れの教会。尖塔に立った俺達に、鳩が弾かれたように飛び立った。


「いけるか?……てか、本気かよカナタ?」


「当たり前だろ、シオン。そして……力を貸してくれるんだな。こういったことには無関心なのかと思ってた」


「お前には借りがあるからな」


 彼女の言う借りというのは昨日のことだろう。

 

「うん。シオンは――」

 

 俺が言いかけると彼女が言った。


「そんなことより、先にアッチをなんとかしようぜ。……いいか。サッキも言った通り昨日アタシがやった“憑依(ひょうい)”とは違うぞ。

今度はアタシもカナタも意識を持ったまま“融合”するんだ。失敗したら暴走してアイツ(悪魔)みたいになるけどな」

「ああ。何度聞いてもよくわからないけど、やってみるしかない」


 差し出された彼女の白い手袋に、俺は自分の手を重ねた。冷たい。けれど、どこか熱かった。


 次の瞬間――世界が裏返る。


 視界が燃えるように赤く染まり、髪が風にほどけて色を帯びる。胸に黒い布が走り、どこからともなく漆黒のコートが羽織られる。手ごたえとともに黒い日傘が掌に現れた。


「な、なんだコレ」

『気にすんな。アタシの趣味というか“イメージ”だよ』


 俺は地面を蹴って協会の屋根から飛び上がる。


 空気が軽い。屋根から屋根へ、石畳の上に影を落としながら飛ぶ。


「すごい!……これが」


 ――人と死神の融合体。『悪魔』の力。


 暴走を続ける悪魔は、瓦礫の山となった商店街を彷徨っていた。


 黒いオーラが人の形をくずしながら渦巻き、四肢は関節の意味を失って。顔に当たる場所はのっぺりと黒い膜で、時おり目のような穴が開いては潰れ、奇妙な鳴き声が漏れた。


 俺達の最初の一撃。


 閉じた日傘の、先端でヤツを突く――

 悪魔の腕が泡のように弾け、だが、すぐに再生する。


 悪魔は腕を伸ばして俺に打ち付けようとする。


(ひら)け!』


 開いた傘を盾にして衝撃を殺し、反転して蹴りを入れる。足裏に、ぬめる冷たい感触。

 悪魔はのけぞったが、背中から噴き出した黒いオーラを推進力に変え、瓦から瓦へと跳ねていく。


「デタラメな速さだな!」

『ぼーっとすんなカナタ!』


 悪魔は壁を走り、瓦礫の隙間に潜り、別の隙間から飛び出してくる。

 人ではないその「速さ」に、俺の病弱な身体が悲鳴を上げた。


「くっ!」

『カナタ、左!』


 シオンの声が頭の奥で鳴る。

 左側から悪魔の腕が伸びた。俺は傘を差す。叩きつけられた黒い質量を弾じきかえす。


 その瞬間――音がした。


(これは……シオンの記憶……!そうか、融合下にあるから彼女の深層心理ともつながっているのか!)


 彼女の記憶の断片。鍵盤の感触。指先の重さ。ハンマーが弦を叩くときのわずかな遅れ。


 彼女の記憶が、俺の中を鮮明に走った。

 緊張で汗ばむ手。袖口のレース。ハルカの顔。


 そして――、音。


(……これが、君の記憶。そして夢か)


 胸の中が熱くなる。嘘じゃなかった。あの傘の下の黒い笑みの奥に、こんな澄んだ音を隠していたのか。

『カナタ!』


 俺は彼女の声に現実に引き戻された。それは今までの現実とは思えないような現実。


(しまった!)

 

 一瞬の油断。

 

 遅れた反応を、悪魔は見逃さない。

 黒い腕が弧を描き、もろに脇腹に入った。

 視界が回転し、コンクリートの壁に身体が叩きつけられる。瓦が砕け、肺から空気がすべて抜けた。


「……っぐ」


『カナタ! 立て!』


「悪い、シオン。今のうちに――俺を乗っ取れ。君だけの方がヤツと上手く戦えるだろ」


『はあ!? 何言ってんだ!』


「さっき、君の記憶を見た。君が生き返った方が、この世のためになる。この身体はもう返さなくていい」

 

 悪魔が跳躍して俺達にとどめを刺そうとする。影が覆い被さる。



『くそ! カナタのバカ野郎! こうなったら――』


 音も光も、いったん遠のいた。


 ――暗闇。

 

 底のない海みたいな場所に、俺は浮いていた。


(……そうか。シオンと入れ替わって、俺は死んだのか。まぁ、それでも――あの子なら)


「馬鹿カナタァ!!」


 とつぜん、赤い光が暗闇を裂いた。


 疾走する彗星みたいに飛び込んできた光が、俺の脇腹に日傘のフルスイングを叩き込む。


「いってぇ!! なにすんだ!」


 胸ぐらを掴まれ、乱暴に引き起こされる。


「いてぇか!? そうだろ! それは、お前が生きてる証拠だ!」


「……!」


「その痛みは、誰のでもない。お前だけのもんだ。――誰にも渡すなよ!」


「なんで、そこまで」


「アタシも、お前の記憶を見たんだよ。カナタがアタシの音を、記憶を感じたみたいに。……お前、アタシなんかよりでっかい理想持ってんじゃん。分かってないだけで」


「俺の……理想」


「そう。やり方が分かんねぇだけ。怖いだけ。でも、選べるだろ。痛くても、苦しくても、最後まで足掻く方を」


 シオンは笑う。ひどく優しく、そしてひどく乱暴に。


「だから――カナタ、戻れ」


 目が、開いた。

 鐘の音。瓦の匂い。骨の軋み。


 悪魔が、最後の攻撃の態勢を取っている。黒い腕の塊が膨張し、降下してきている。


 俺は立つ。足は痛い。だけど、これは――俺のものだ。


『さぁカナタ。最後だ! 一緒にやるぞ!』

「ああ」


 飛翔()ぶ。


 夕日を背に、影が重なる。

 

 日傘を両手で握り、大きく振り抜く。


『「くらえぇぇぇ!」』


 直撃――


 黒い悪魔の顔面に日傘の一撃がめり込む。鐘を叩いたような音が無人の空間に響き渡る。

 その巨体は空中で吹き飛んで、地面へと転がっていく。

 

 歪んだオーラが霧散して、内側から死神と融合していたと思われる一人の男性が崩れ落ちる。

 

 その男性に憑いていた死神は空に消えていった。



 トン――


 再び教会の尖塔に降り立った俺達は夕日を見つめていた。

 

 日が沈んでいく。夕暮れ時から。――夜へと進んでいく。


 静寂。


 遠くからサイレンが近づいてくる音。そして、人々のどよめき。


 俺の瞳から、ゆっくりと赤が退いていく。指の中で日傘が軽くなり、黒いコートが風に薄くなる。

 隣に、シオンが立っていた。


「良い二重奏(デュエット)だったぜ、カナタ。……これで、アタシの未練は消えた。多分、じきにあの世に帰る。そんで――」


 言葉の途中で、彼女の輪郭がすでに薄くなっていく。


「シオン!」


「気にすんな。どのみち、お前が生きる意味を見つけた時点で、アタシはもう、お前からは見えなくなる運命だった」


 笑って、傘を開く。ゆっくりと顔を隠し、くるりと背を向ける。


「じゃあな、カナタ。楽しかったぜ」

「ああ、シオン。俺も楽しかった」


 黒のワンピースの白のフリルが、風に揺れながら空気と同化した。


 俺は空を見上げ、ゆっくりと息を吸った。


「シオン。俺は――生きるよ。君の旋律を胸に」




 * * *



 ――十年後。



 都心の大ホールは、今夜も満席だった。シャンデリアの光が客席を柔らかく撫で、舞台の上にだけ濃い静けさが降りる。


 舞台中央。純白のタキシードを身にまとった華奢な男が、艶のある黒いピアノの前に腰を下ろす。

 鍵盤に触れる前、彼は一度だけ譜面台へ視線を落とした。


 ページの上部に、小さく記された文字。

 ――「紫苑(しおん)」。


 その男は、ほんの一瞬だけ微笑み、深く息を吸い込む。


 最初の一音が、ホールに落ちた。

 澄んだ旋律がひろがり、人々の胸に静かに沁みていく。切なく、温かい。


 十年前、踏切の向こうで出会った死神の少女との記憶が――今も確かに、彼の身体の中に息づいていた。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。


今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

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