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薔薇のオルゴール


学校の裏に、小さな林がありました。緑の風が吹いて、それは明るい季節のオーケストラのような、軽やかな音楽を林に奏でていました。その林の中を今、ひとりの子供が、泣きながら、さまよい歩いていました。


「どこだよ。どこに捨ててしまったんだ…」

子供は、しゃくり声をあげ、頬に流れる涙を何度も手でぬぐいながら、林の中を、何かを探して歩き回っていました。

「大切なのに。もうあれひとつっきりしかないのに。なんでこんなこと、するんだよ。なんでこんなひどいこと、するんだよ」

子供は、林の草むらの中を手で探りながら、かすれた声で言いました。涙が次々とあふれてとまりませんでした。


「どうしたんだい? 君」

ふと、誰かが、後ろから声をかけてきました。それは澄んだテノールの美しい男の人の声でした。子供が振り向くと、木々の向こうの、林の中の一筋の道に、黒い服を着て、長い紐のついた皮のカバンを肩から斜めに下げている男の人が立って、子供の方を見ていました。子供は、さびしくて、辛くて、誰かにすがりたくてたまらないような気持ちだったので、思わず、その人に、言ってしまいました。


「本を探してるんだ。ジャンが、ぼくの大切な本を、林に捨ててしまったんだよ」

「本を? なんでジャンが、君の本を捨てたの?」

男の人が、やわらかいテノールの声で、まるで不思議でたまらないというような感じで言いました。

「ジャンは、ぼくが嫌いなんだ。ぼくが教室で本ばかり読んでて、一緒にボール遊びをしないからなんだよ。だから、ぼくの大切な本を盗んで、林に捨ててしまったんだ」

「ジャンて、君のともだちかい?」

「うん、去年から教室がいっしょなんだ。でも、ジャンはいつも、意地悪ばかりするんだ。ぼくは何も、ジャンに悪いことしないのに。なんでなんだろう。ぼくわからない。ジャンは、なんでぼくが本を読むのが、いやなんだろう?」

子供は、しきりに目の涙をぬぐいながら、言いました。すると、男の人はやさしく微笑んで、言いました。


「大切な本なんだね。ぼくもいっしょにさがしてあげよう。どんな本なの?」

「うん。表紙に黄色い鳥の絵が描いてあるよ。中にはね、古くてきれいな歌のことばがたくさん書いてあるんだ。お父さんからもらったんだよ。お父さんも、おじいさんからもらったんだ。もう本屋さんでは売ってないんだ。あれひとつっきりしかないんだよ。だから、どうしても見つけなきゃ」

「そうか、黄色い鳥の絵の本だね」

そういうと、きれいなテノールの声の男の人は、林の木の下に入り、一緒に草むらを探し始めてくれました。子供は、なんだかうれしくて、胸の中が温まり、涙もとまりました。子供と、男の人は、しばらくいっしょに、林の中の草むらを、本を探して、歩き回りました。


「なかなか見つからないねえ」男の人は言いました。

「うん。ジャンも、そんなに林の奥にはいけないと思うんだ。捨てるとしたら、ここらへんだと思うんだけど…」

男の人は、林の木の上に登り、少し上から林の中を眺めて、それらしいものが見つからないか探してみました。でも見えるのは木と青い草むらばかりで、黄色い鳥の影はかけらもみえませんでした。男の人は木から下りて、子供に言いました。


「探し物がどうしても見つからないときは、しばらく探すのをやめて、休むことだよ。そうすると、焦る気持ちがおさまって、落ち着いて、本当のことが見えてくる。坊や、おいで、こっちに来てお座りよ」

男の人は、一本の高い木の根元に座って、子供に向かって手を振りました。子供は、本がどうしても見つからないのが、とても苦しくてたまりませんでしたが、疲れてもいたので、男の人のいうとおり、その隣に座って、少しの間休むことにしました。


木の下に座ると、一息風が吹いて、木の梢をさわりと揺らしました。かすかな木漏れ日がちらちら揺れました。すると、やっと、子供は、この男の人が、とても不思議な人であることに気づいて、言いました。


「おじさん、どこの人? なんでぼくの本を探してくれるの?」

「さあ、なぜかな。それはきっと、君がとても、大切なひとだからだよ」

「ぼくが? たいせつ?」

「うん、少なくとも、ぼくにとってはね」

男の人は、そう言うと、肩から下げたカバンの中から、小さな小箱を取り出しました。それは、白い蓋に緑色の薔薇の模様を描いた、とてもきれいな箱でした。男の人が、その箱の蓋をあけると、きれいな音楽が流れ始めました。

「あ、オルゴールだね。この歌、知ってるよ」

子供は、歌い始めました。


国には不思議な王様、住んでいる。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。

こりすが踊って、歌ってる。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。

しろかねのお月さん、聴いている。

黙ってそれを、聴いている。

王様、ひとりで笛を吹いている。

カチカチ鳴るは、金時計。

こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。

王様、笛を吹いている。

ひとりで笛を、吹いている。


「これはね、この国に、古くから伝わる歌を、ある音楽家が新しく作りなおした歌なんだ。きれいなメロディだろう? ぼくの仕事は、こんなオルゴールを作ることなんだ」

「ふうん、おじさんは、オルゴールを作るのが仕事なの」

「うん。正確には、オルゴールの箱のほうさ。この緑の薔薇の模様はね、ぼくが描いたんだよ」

「へえ。でも、なんで緑色なの? 薔薇っていえば普通、赤とか、ピンクとか、白とかじゃないか」

「うん。ぼくもそう思うんだ。緑の薔薇なんか、あるのかなあって。でも、なんだか、緑色に描いてしまうんだよ。つまりは、ぼくが好きなんだね。緑色の薔薇が。ぼくは、緑色の薔薇を見ていると、とても不思議な気持ちがするんだよ。ほんとうに、やさしい気持が、ここに隠れているような気がするんだよ」

「…ふうん。でも、きれいだね、緑色の薔薇って。ぼくも、好きになりそうだなあ」


オルゴールは、繰り返し、同じメロディをかなで、やがて、ねじが静かにきれて、とまりました。男の人は、オルゴールの蓋を閉めると、それをまた、カバンの中にしまいました。


「少し落ち着いたね。また、探そうか」男の人が言いました。

「うん。でも、いいの? おじさん、オルゴールの仕事、しなくていいの?」

「いやね、ほかに、大事な用があるもんだから。今日はそっちの方は休んでるんだ。とにかく今は、君の本を探さなきゃ」

そう言うと、男の人は、また、林の中の草むらを探り始めました。子供は、ちょっと首をかしげましたが、親切なおじさんが、一生懸命自分の本を探してくれるので、なんだか嬉しくて、少し勇気がわいてきて、自分も草むらの中を探し始めました。


そうして、林の梢の向こうに見えるお日様が、少し傾いて、空が赤みを帯びてきた頃、男の人が、大きな声をあげました。


「あ、あったよ! これじゃないかい?!」

子供は驚いて、草むらにつっこんでいた顔をあげて、振り向きました。見ると、男の人は、一本の木の上に登って、その高いところにある穴の中から、小さな白い本を出すところでした。子供は、うわあ!と声をあげました。白い本の表紙には、確かに黄色い鳥の絵が描いてありました。


木から下りてきた男の人から、本を受け取ると、子供は顔を輝かせ、本当にうれしそうに、何度も、何度も、お礼を言いました。

「ありがとう、ありがとう、おじさん! ほんとに、ありがとう!」

「いや、いいんだよ。よかったね。大切な本が見つかって。ぼくもうれしい」

子供はほっと息をついて、大切な本を開いて、中をぱらぱらとめくりました。本は、しばらく木の穴の中に放っておかれて、少し湿っていましたが、どこにも傷や破れたところはなく、無事に子供の元に帰ってきました。


「きれいな本だね。どんなことが書いてあるの?」男の人が尋ねました。

「うん。ぼくの好きなのはね、ここなんだ。古くて難しいことばだけど、お父さんに読み方を教えてもらったんだよ。こう読むんだ。『まことのねは、ひめたることりのしることなり』。つまりね、『ほんとのことは、秘密の小鳥が知ってるよ』てことなんだよ。…とってもきれいな言葉だろう? 意味はまだ、よくわからないんだ。でも好きなんだ。読むだけで、なんだか胸がきれいになる気がするんだよ。なんでかわからないんだけど、きっと、おじさんみたいなおとなになったら、ぼくにもわかるようになるんだと、思う。おじさんは、この言葉の意味、わかる?」

「ああ、わかるよ。秘密の小鳥は、ぼくんちの地下室にも、いるよ」

「ええ! ほんと? それって、どういうこと?」

「それは、今は知らなくていいよ。君はいつか、自然に、わかるだろうから」


子供は、本を大切に抱きながら、林の中を出て、道の方に出てきました。男の人も、その後からついてきました。

「じゃ、ここらへんで。君は学校の方にいくんだろう?」

「うん、まだ学校にカバンをおいてあるから」

「ぼくは反対側のほうに行くんだ。今日はここでお別れだね。君に会えてよかったな。本も見つかったし」

「うん。ほんとにありがとう。でもおじさん、なんでぼくの本を探してくれたの?」

「だから、君が、ぼくにとって、大切なひとだからさ」

「なんでさ。ぼく、おじさんには、初めて会うよ。おじさん、ぼくを知ってるの?」

「うん、知ってる。でも、名前はまだ知らない。君、名前は、なんていうの?」

「ぼく? ぼくは、ウジェーヌ、ウジェーヌ・ポル。おじさんは?」

「ぼくは、ノエル。覚えておいてくれるかい? いつかまた、君に会える時が来る。そのときまで、覚えておいてくれるかい? ぼくは、ノエル・ミカール。青いアコーディオンを弾くのが、仕事なんだ」


「へえ? オルゴールじゃなくて?」

「うん、それも大切なんだけど。アコーディオンの方が、大事なんだ。いつか、もう一度君に会える時、それは教えてあげるよ」

「ふうん?」


ウジェーヌは、ノエル・ミカールに、もう一度お礼を言うと、うれしそうに、林の中の道を、学校に向かって走っていきました。ノエル・ミカールは、その後ろ姿を、じっと見送っていました。


やがて、ウジェーヌの姿が道の向こうに見えなくなると、ノエル・ミカールは、くるりと後ろを向き、林の中の道を、ウジェーヌとは反対の方向へと、歩き始めました。ノエル・ミカールは歩きながら、カバンの中からオルゴールを出し、ネジを巻いて、蓋を開けました。金色の音楽が流れました。


国には不思議な王様、住んでいる。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。

こりすが踊って、歌ってる。

誰も知らない王様が、ひとりで笛を吹いている。

しろかねのお月さん、聴いている。

黙ってそれを、聴いている。

王様、ひとりで笛を吹いている。

カチカチ鳴るは、金時計。

こばとがきょとんと顔を出し、笛の調べに耳澄ます。

王様、笛を吹いている。

ひとりで笛を、吹いている。


「ウジェーヌ・ポル、いつかきっと君に会いにくるよ。大切な鍵を、渡しに…」

ノエル・ミカールは、薔薇のオルゴールを閉じると、それを再びカバンにしまい、林の風の中を、歩き始めました。

お日さまはもう、だいぶ暗くなって、空にかかる半分のお月さまが、白く光り始めていました。





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