貸せない理由
閉店後。カウンターのテーブルを
拭こうとする琴葉が、
「おっちゃん、起きて。家帰んなよ」
カウンターに額から突っ伏す辰夫の肩を
背後から揺すった。が、辰夫は起きない。
「ちょっとー」
琴葉が辰夫の顔を覗き込むと、
「?」
辰夫の閉じた眼に薄っすら涙が滲んでいた。
「・・・・なんで逝っちまったんだよぉ・・・・」
辰夫の寝言に琴葉は天井を見あげ、鼻をすすると
背後のテーブル席を拭き始めた。
「すみません、抜けちゃって」
ドアが開き、スマートフォンを手にした直人が入ってきた。
「どうしました?」
「は?なんでもない」
琴葉は目を擦り、
「で、誰?」
外に出た理由を訊いた。
「えっと、前の店の店長です」
直人はそう言うとそそくさと
カウンターに入り、洗い物を再開した。
「戻って来い、って言われた?」
「・・・・」
琴葉のからかいに直人は作業に集中したまま
応えなかった。
「?図星?」
琴葉は少しだけ顔を曇らせた。
「・・・・俺のバーテンの師匠でもあって。
店、継いで欲しいって」
作業を続けたまま言った。
「!」
「体調が優れないみたいで。元気なうちに
店を誰かに任せたいって。だから俺に・・・・」
「・・・・そっか」
「・・・・あの」
直人が手を止め顔を上げた時、琴葉のスマートフォンが鳴った。
「美悠ネエ、しつこい。貸せないったら貸せないの!
レンタカー借りりゃいいじゃん・・・・え?
どこ行くのよ?・・・・横浜?何しに?」
通話に出るなり、捲し立てた琴葉だが、いつしか
スマートフォンに耳を傾けていた。
会話を聞き取れない直人は黙ってその様子を窺った。
「・・・・止めた方がいいって。無茶だよ」
「??」
「でもさ、アレはホント貸したくないんだって。
・・・・あ!それは墓場まで持ってく約束じゃん!!
何、奥の手出してきてんのよ!」
・・・・何のことやら?琴葉はやたらと慌てふためいた。
「そう言うなら、私だって美悠ネエの悪事バラすから!
そんな脅しにビビるとでも思ってんの?!じゃあね!!」
そう言うと琴葉は通話を切り、スマートフォンをテーブルに放った。
「・・・・また美悠さん、車の催促すか?」
「え?まあ」
「止めた方がいいって、なんすか?」
琴葉は言うべきか、少し迷うが
「・・・・美悠ネエ、お姉ちゃんいるんだけど
アルツハイマーに罹ってんの」
「アルツハイマー?認知症ってヤツすよね?」
琴葉は頷き、
「で、そのお姉ちゃんを生き別れた
息子に会わせに連れてくんだって」
「病気なのに大丈夫なんすか?」
「よかないでしょ。でもー」
「?」
「気持ちはわかるよ」
会いたい人に会いたい気持ち。
琴葉はため息を吐き、片づけを再開した。
直人はそんな彼女ジッと見つめると
カウンターから出、
「ん?」
琴葉と面向かった。
「・・・・車、なんで貸せないんすか?」
「は?」
琴葉は意味が分からなかった。