パンドラの箱の底側に
<世界観設定>
欲:その個人に宿る特殊能力であり、ある条件を満たした者にのみ発現する。原則最上位の優先度を誇り、防御や対応、相殺するには同じく欲の力を行使しなければならない。
源術:人体を構成する基本的要素である『源素』を応用し、攻撃や防御をするために作られた術の総称。分かりやすく言えば魔法であるが、力の源は魔力ではなく身体を構成するエネルギーそのものであるため『一時的に命を削る技』とも言える。なおこの世界に魔法や魔力といった言葉や概念は存在しない。
源素:この世界の人間は『木(風)』『火』『土』『金(鉄鋼)』『水』の計5つの要素によって成り立っており、これをまとめて『源素』と呼ぶ。いずれか1つの要素でも完全に失ってしまうと人体を保てなくなってしまい、人間としての機能を失う。故にアルマの過度な使用は厳禁である。
我成:5つある源素「木(風)」「火」「土」「金(鉄鋼)」「水」の内、『金(鉄鋼)』の要素を使用して形成される武器のこと。出現させる人によって姿形が異なり、武器種も様々。誰にでも簡単に呼び出せるものではなく、ある程度の鍛錬や条件を要す。
「なんで...なんでアイツがッ!?ギルバートをッ!?」
数百メートル先に見える、惨劇の場。
氷戈の目にはヴェラートがギルバートを後ろから刺し、これでもかと痛ぶっている様子が鮮明に映った。
雨で視界が悪い中、氷戈は源素由来のこの雨をも無効化している為、嫌でも遠くが透いて見えた。
ついさっき決心した『フラデリカを殺す』という覚悟を側に、氷戈は駆けていた。
「ギルバートぉッ!!」
別に覚悟が揺らいだとか、燈和がどうでも良いとか、そういうんじゃない。
ただ自分を仲間と思ってくれて、自分と冗談を言い合って、自分を少しでも好いてくれていたギルバートが死ぬのを許容できないだけ。
この感情に疑問は無い。
ところが、彼女がそれを許すはずも無く_
「何処へ行く気だ青髪ッ!!?・・・この期に及んで背を向けるなどッ!私の心を弄ぶのも大概にしろよッ!?」
「ッ!?くっそがッ!!」
ガンッ!!
背後から凄まじい殺意の剣撃が襲い来る。
動転した状態で走る氷戈でも勘付けるほどの殺気を纏った攻撃を、自身のガイナで受け止める。
「っ邪魔すんなッ!!今は引っ込んでやがれッ!!」
氷戈はフラデリカの足元を瞬時に凍らせ、摩擦力を激減させることで武器の押し合いを制す。
「くッ、小賢しい真似を....なッ!?」
後ろに押し返されたフラデリカに、氷戈は間髪入れず次の手を講じた。
小域に留まっていた氷の床を後ずさるフラデリカの方へ一瞬で伸ばし、捕らえる。
地から伸びた氷がフラデリカのくるぶし辺りにまで伝り、行動不能に陥れたのだ。
「グっ!?こんなもので!!」
身動きの取れないフラデリカへ向けて、放つ。
「『氷牢結誅』ッ!!」
詠唱と共に、足元から彼女を包み込むようにして氷の牢が形成されてゆく。
フラデリカを一時的に幽閉し、その間にギルバートを助けに行く算段であろう。
競り上がる氷がフラデリカの足元を隠し、腰を隠し、胴を隠し....
_肩が隠れる、その手前。
「っ舐ァめるなぁッッ!!!!」
「ッ!?」
フラデリカは咆哮と共に、己が足に纏わり付いた氷を力づくで砕く。
自由の身となった彼女は『氷牢結誅』が閉じ切る前に抜け出そうとジャンプを試みる。
「そこまで原作再現すんなよッ!?これじゃ間に合わなッ....!!」
最早打つ手はないと思われた、その時だった。
「合わせてっ!『滝下り』っ!!」
「らじゃー!『雨盛り』!」
突如、フラデリカの頭上高くで聞こえた2つの女性の声は、それぞれ詠唱をする。
すると、凄まじい勢いの水流がフラデリカ目掛け直下する。
名の通り滝を彷彿とさせる規模の源術を見たフラデリカだが、それでもジャンプでの強行突破を選択した。
「・・・誰だか知らないが、この程度のアルマっ!!打ち消すには造作もないことだッ!!」
フラデリカは身体に爆炎を纏わせ、『滝下り』の水流と真っ向からぶつかった。
彼女の欲『相殺』を駆使して『滝下り』の源素エネルギーを全て食い尽くすつもりなのだろう。
案の定、『忘レ人』であるフラデリカの源素量を上回ることが出来なかった『滝下り』の水流は押されることとなる。
しかし、いつも突然なのが『雨もり』である。
フラデリカが優勢だったのはコンマ数秒。
次の瞬間『滝下り』の水流が数倍にも跳ね上がり、フラデリカを『氷牢結誅』内へ押し戻すことに成功する。
「馬鹿なッ!!この私が押し合いで負けるだ_」
ザアアアァァァァァァァァっ!!!
フラデリカの声は、滝行でしか聞かないような水の打ち付ける音にかき消されてしまった。
周囲には波が押し寄せ、氷戈も見た目上は巻き込まれてしまっているが『絶対防御』のお陰で影響は受けていない。
氷戈は(表面上)波に呑まれながら、フラデリカを『氷牢結誅』に閉じ込める手助けをしてくれた人物を探す。
すると、彼女たちは荒れる波の上へ華麗に着地して言ってみせた。
「へへんっ、どーんなもんですか!・・・これでリグレッドの奴も舐めた口利けないわねっ!?」
「やったねー、おねーちゃん!」
「おまっ....ルカ!?シーナ!?なんでここにッ!?」
氷戈は居るはずのない増援に驚きを隠せずにいると、すかさずルカにちょっかいを入れられる。
「なーに?お魚みたいに口開けちゃって。・・・もしかしてー、惚れちゃたり....?」
「え、いや。違うけど。・・・じゃなかったッ!?」
「へ///?・・・ハ?」
氷戈は彼女たちがここに居る理由を聞くよりも早く、ギルバートの方に体を向ける。
同時に氷戈の「じゃなかった」発言に一瞬照れるも、そういう「じゃない」ではない事に気づいたルカは声を低くして言う。
「あっちはリグレッド達が上手くやってるから大丈夫よ。・・・それより、何か言うことがあるのではなくて?」
「え?・・・あ?・・・は?リグレッド?ッ本当だ...。どうなって....?」
ルカの声を聞きながらギルバートの方へ目を細めると確かにリグレッドとフィズ、トーラ、更にはアイネスの姿まで見えたので氷戈は再度驚いた。
「・・・ったく、しょうがないわね」
「・・・?」
ルカは呆れた声で続ける。
「少なくとも私とシーナはヒョウを助けに来たの。・・・それ以外のことは後でリグレッドに聞いて。あなた達が『茈結』を出た後、説明も無しに突然『おっしゃー、ボクらも乗り込むで!』って始まったんだから....」
「そ、そうなんだ....」
あまりにも無茶苦茶な行動だが、その中心にリグレッドがいるのであれば不思議と飲み込めてしまった。
驚きが去り、ギルバートも助かりと、やっと一つ安堵のため息を漏らす氷戈。
それとは対照的に、ルカは早口で言った。
「ヒョウ。あなたの気持ちも分からないでもないけど、自分のやるべき事にもっと集中しなさいよね。・・・あのフラデリカって人、よく分からないけどあなたにとって大事な人なんでしょ....?」
「・・・」
-ルカは俺を心配して言ってくれてるんだよな。・・・確かに俺の当初の目的は燈和を取り戻す事だったけど、だからと言って俺の目の前で仲間が死ぬのを黙って見過ごす事は今後も出来そうに無いな....。欲張りかもしれないけど、どっちも助けたいから。全部、守りたいから-
「うん、ありがとう。お陰で集中できそうだ」
氷戈はギルバートの方へ目をやるのを止め、フラデリカが入っている氷の牢へ向き直る。
中ではフラデリカが暴れているらしく、『氷牢結誅』は直に崩壊するだろう。
今度はルカがギルバートの居る方へ体を向けると、静かに言った。
「っし!んじゃあ、私たちはギルバートの方に行くから。・・・これ以上手を出すのはリグレッドから止められてるし、なによりそっちの方が良いでしょう?」
「ルカ、お前....」
氷戈は、密かに抱く『燈和は自分の力で取り戻したい』をいう意志を尊重してくれたルカの言葉に胸が熱くなる。
「なんとなくだけど、分かるから。その気持ち....」
「・・・そうか.....そうだったな」
氷戈はルカ達姉妹が自分と似たような境遇にあることを思い返し、深く頷いた。
話に区切りがついたと思ったルカは、シーナに「行くよ」と目配せをしてギルバート達の方へ踏み出した。
と、同時に背を向けた状態で_
「私、見てたから。大事な人を取り戻すために頑張るあなたを。・・・何年経っても絶対に諦めなかったあなたを。・・・それで、いっぱい勇気貰ったんだ」
「・・・」
「だから信じてる。私が見てきた、『そんなあなた』を。・・・・頑張ってね!」
そんなことを言い残し、颯爽と駆けていくルカ。
シーナもこちらへ「あばよ」の手振りを送り、ルカの後を追っていった。
小さくなっていく2人の背を眺めて、俯く。
「・・・ッ!!」
-俺を....信じてる?ゲームしか取り柄の無いこんな俺を....?なんで....?-
歯を食いしばる。
氷戈はルカに対して、申し訳ない気持ちが溢れたのだった。
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確かに、無連 氷戈という人間は幼馴染以外の人間とここまで打ち解けられるような性格では無い。
事実、現実世界で15年生きてまともに話せるのは幼馴染だけ。家族に対し悪い記憶が多いせいか、信頼を置けるのも幼馴染だけ。
故に氷戈はこれでもかというほど『幼馴染』と、そして独りでも自分に価値を見出せる『ゲーム』に依存してしまっていたのだ。そしてそこでしか自分の価値を感じなくなってしまっていた。
これが『幼馴染を取り返すこと』にここまで固執する理由でもある。自分が無価値になるのが怖かったから。
こんな氷戈が幼馴染を失った状態で何故、人の多く集まる『茈結』などという組織に属し、そこのメンバーの一人に『信じてる』とまで言って貰えるようになったのか?
それは異世界であるここを『ゲームの中の世界』であると思い込んで、自己暗示して、自分をそこの『主人公』とすることで価値を見出していたから。
得意なゲームの中に居ると考えれば、自分に価値が生まれる。自信が生まれる。
だから見ず知らずの人たちとも話せたし、友達もできた。だから誰かに信じて貰えるようにまでなった。
氷戈は全部分かっていた。
だからこそ申し訳なかった。情けなかった。
どうしよもない理由で自分を騙して、偽って、楽をして出来上がった『虚構の主人公氷戈』。
そんな『彼』に対して、心からの信頼を寄せたルカの気持ちを弄んでいるようでならなかったから。信頼された『氷戈』を、自分自身で否定しているような気持ちになったから。
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ザァァァァァァァァ.......
「・・・」
ゆっくりと顔を上げた彼は、虚か、実か。
ごうごうと降る雨とは対照的に、氷戈は非常に晴れやかな表情を浮かべて言う。
「・・・ありがとう、ルカ」
-ずっと、気がかりだったんだ。偽りの俺が、俺の『空っぽ』をただ満たしたいが為に幼馴染を取り戻そうとしていたことが。そんな不純な理由でフラデリカを手にかけようとしていたことが。・・・それでもルカは『そんな俺』でもずっと見ててくれた。信じてくれた。それを伝えてくれた。・・・お陰でそんなのは嫌だって、違うって、気付いたんだ。だから俺は初めて、氷戈としてこの世界に生きようと思うよ。この世界の主人公としてじゃなく、俺の人生の主人公として!・・・ありがとう-
新しい『俺』を見つけてくれて。
空っぽだと思っていた『今』を、満たしてくれて。
何かを決心したその目は真っ直ぐ、獄炎に包まれた敵を捉える。
「私を幽閉しているその間に、随分と上機嫌になったじゃないか....?青髪っ!?」
手に持ったレイピアと、その馬鹿力で『氷牢結誅』を破壊したフラデリカは猛々しく問うた。
彼女からすればさっきまで全く余裕の無かった氷戈が突然落ち着いた様子を見せているので、至極当然の疑問であろう。
「ああ、ちょっとな?・・・フッ」
「・・・馬鹿に、しているのかッ....?」
異様なまでの清々しさと、余裕の笑みを見せる氷戈に苛立つフラデリカ。
比例し纏う炎の勢いは増すが、氷戈は油を注ぐのを辞めようとはしなかった。
「だってよ?お前の目の前に居るのは、覚醒イベントを終えたばかりッ!出来立てホヤホヤな主人公様だぜ?・・・負ける道理なんざ無ぇだろ?」
「・・・もう、いい」
フラデリカは氷戈との会話を断つ。
降り頻る雨が地に届くことはない。
その一粒一粒が大地にたどり着く間もなく蒸発してしまうからだ。
ふと、考える。
-俺の想いもあの雨粒のように、届くことも叶わず消えてしまっているのだろうか-
覚悟を、決めなければならない。もう失敗は許されない。
「さぁ...燈和。今度こそ、助けてやるからな」
「・・・」
獄炎に包まれた幼馴染に声をかけるも返答は無く、代わりにただただ殺意だけが向けられた。
「・・・何度言わせる。私は、トウカなんかじゃない」
その美形な顔を恐ろしく歪ませて、告げる。
「私の名はフレイラルダ=フラデリカ!!。・・・フラミュー=デリッツの焔騎士であり、No.2の名を冠する者だ‼︎」
「・・・そうか、そうだったよ。・・・フラデリカの人格も、生きてるんだよな....」
「何をまた、訳の分からないことをッ....!?」
燈和か、フラデリカか。トウカで、フラデリカか。燈和と、フラデリカか。
彼女は憎悪の対象に哀れみの表情を向けられ一瞬戸惑うも、その覇気を揺るがすことはなかった。
「行くぞ、青髪!貴様の首を落として『私と姉さん』は勝利するッ!」
「・・・来いよ。絶対に、取り戻す!!」
フラデリカは2刀のレイピアを、氷戈はガイナを構え両者は臨戦体制へ。
「はぁぁッ!」
「・・・ッ‼︎」
熱き『赫』と凍てつく『蒼』の激突の、その行方が語られることは無く___
「茈電『一』....」
ザンッ.....!!
突如放たれた無慈悲な『茈』が、誰を捉えたかが語られる。
「・・・ぁ?」
慣性の働いたそれが前からまっすぐ、こちらへ転がって来て__
トンっ.....
足元にぶつかり、そこで止まる。
「あぁ.....ぁぁッ.....?」
困惑。絶望。・・・もしかしたら、この世にある言葉では表せないのかもしれない。そんな切れ切れな声を漏らして、見つめる。
さっきまで幼馴染の顔をして生きていた、はずだったものを。
「どう....し.....と...うか?そん....な.....あぁぁ....ッ!?」
足元にあるのは、見れば見るほど見慣れた幼馴染の顔だった。
でもおかしい。そこから下が、どうしても見当たらない。
探そうと、視線をゆっくり前へとやる。
地に付いた血痕が道導のようにして、探し物の在処を教えてくれた。
ゆっくり、ゆっくり。
恐る、恐る。
やがて、視界の端に地獄への入り口が映りかけた.....その時___
___声がした。
「・・・オール....OK。ターゲットの斬首、成功....」
聞けば聞くほど聞き慣れた、そんな声。
氷戈は燈和の死体へ向けようとしていた目線を、まるで逃げるようにしてそちらへ逸らす。
『絶望』を目の当たりにした氷戈は、『希望』を見ることになる。
絶望よりも色濃い、希望を。
「・・・ッ!!?し....ぐれっ!?お前....シグレなのかッ!!?」
事実から逃げたくて。誰かに縋りたくて。幼馴染を見たくて。
氷戈は首の無い燈和の真横で静かに佇む、茈雨と思しき人物の元へ走り出す。
「シグレっ!!シグレっ!!俺....俺ッ!!」
ただ呼びたくて。ただ分かってほしくて。
そんな想いから、ひたすらに声を出す。
2年間ずっと探してた幼馴染の姿を目に焼き付けるようにして、無我夢中で走った。
「・・・ぁ?」
だからこそ、気付いてしまったのだ。
誰が燈和を殺したかってことに。
足を止めた氷戈は、彼の握る刀を見て問うた。
「・・・お前が....殺った....のか....?」
「・・・」
彼から帰って来たのは無言。
代わりに、刀の鋒から滴り落ちる赤い雫が全てを教えてくれた。
「・・・あ。ああ。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!」
慟哭に溺れる氷戈。
雨に打たれる筈の無いその顔は、誰の顔よりも濡れていた。
第4話『燈和とフラデリカ』の場面はここだったんだね....
まさか、その直後にこんな展開が待ち受けていただなんて思ってもみなかったけど....
燈和....死んじゃった、のかな....?