逃れられぬ『つみ』
<世界観設定>
欲:その個人に宿る特殊能力であり、ある条件を満たした者にのみ発現する。原則最上位の優先度を誇り、防御や対応、相殺するには同じく欲の力を行使しなければならない。
源術:人体を構成する基本的要素である『源素』を応用し、攻撃や防御をするために作られた術の総称。分かりやすく言えば魔法であるが、力の源は魔力ではなく身体を構成するエネルギーそのものであるため『一時的に命を削る技』とも言える。なおこの世界に魔法や魔力といった言葉や概念は存在しない。
源素:この世界の人間は『木(風)』『火』『土』『金(鉄鋼)』『水』の計5つの要素によって成り立っており、これをまとめて『源素』と呼ぶ。いずれか1つの要素でも完全に失ってしまうと人体を保てなくなってしまい、人間としての機能を失う。故にアルマの過度な使用は厳禁である。
我成:5つある源素「木(風)」「火」「土」「金(鉄鋼)」「水」の内、『金(鉄鋼)』の要素を使用して形成される武器のこと。出現させる人によって姿形が異なり、武器種も様々。誰にでも簡単に呼び出せるものではなく、ある程度の鍛錬や条件を要す。
激しく降る雨の中、少女を片脇に、少しガタイの良い男性を肩に担いで全力疾走する美形な男が居た。
このどこへ行ってもあまり見られなさそうな図は、やはり疑問を呼ぶらしく....。
前に見えた北部防衛戦線部隊の内の一人が前へ出てきて、代表して問うた。
「そこ!とまりな....って、おや?・・・あなた、もしやアゾット様では...?」
「ハァ...ハァ...ええ、そうですよライデル隊長。ですので後ろの方々の構えを解いてはくれませんか」
「ん?・・・あ、ああ承知いたしました、直ちに。・・・総員ッ!!下せぃ!!」
『ライデル』と呼ばれた男性が後ろで源術の発動準備をしていた部隊へ号令を送った。すると彼らは何かのスイッチが切れたかのようにその構えを解く。
これを確認したライデルはアゾットへ当然の疑問を投げかけるのだった。
「それでアゾット様。其方の方々は一体...?それにギルバート様のお姿が見受けられないようですが....」
「大変失礼ですが、説明は後にさせてください。今はとにかく、この2人をマーベラットで一番安全な場所へ運ばなければなりません。・・・どこか良い場所はありませんか...!」
アゾットのただならぬ雰囲気を汲み取ったライデルは、詮索をせずに真っ直ぐマーベラットを指差した。
「それでしたらやはり、国の中央部に位置する王宮がよろしいかと」
「ありがとうございます。・・・では、私はこれで...」
先を急ぐアゾットをライデルは敢えて引き止める。
「お待ちください、一つだけ...」
「・・・はい?」
「我々も前へ出た方が宜しいですかな?そのご様子だと、現在ギルバート様はお一人で....」
アゾットはライデルの気遣いに感謝しつつ言った。
「そのご厚意、感謝いたします。ですが今は留まっていた方がよろしいかと。これより前ではNo.4が暴れておりますが、見たところ一人でした。圧倒的な個に軍を充てがうのは得策でないと考えます」
「なんと!まさかNo.4が出向いて来ましたか...。でしたら、確かに。軍はここで待機しておきましょう」
「・・・しかし戦況把握という意で数名、偵察に向かわせてもよろしいかと。No.4がどんなに強いとはいえ、一人で国の戦線を突破しにきたとは考えにくいですから」
「なるほど...流石は大国ウィスタリアの最高位指揮官様ですな。直ちに偵察部隊を派遣することとします。・・・お急ぎのところ、引き留めてしまい申し訳ございませんでした!」
「ええ、それでは...」
そうしてアゾットは軍列の脇を沿うようにして走り抜け、マーベラットを目指す。順当にいけば国内に足を踏み入れるまでに数分、そこから王宮までも5分ほどで至れる計算だ。
僅か10分、然れど10分。
「クッ...急がねば...」
戦場での10分は当然、普通に過ごす10分とは訳が違う。気を抜けば次の瞬間、命を落としていてもおかしくは無い場。そんな場所に自身の支える君主を一人で放っておいているのだから生きた心地はしなかった。
アゾットは気が気ではなかったがために、彼女の声に気づくのに遅れる。
「・・・ット....ねぇ、アゾットってば」
「・・・っ?ああ、クラミィ様...」
ついさっき殺されかけ、恐怖に怯えていただけのクラミィ。そんな彼女が脇に抱えられた状態で突然話しかけてきたので、アゾットは少し驚いた。
「如何なさいました...?乗り心地について文句を言われても困りますからね」
「そんなんじゃ無いし...。ちょっと、聞きたいことがあって....」
アゾットは「今じゃ無いといけませんか?」と言いかけたが、こんなにもしおらしいクラミィを見るのは初めてだったので聞くことにしてみた。
「・・・はい。どうされました?」
「あのね、ヴェラートが私の欲の影響下にある今の内に聞いておきたいんだけど...」
ウィスタリア国16代目国王のギルバートの実妹であるクラミィ・ラル・ウィスタリア。
彼女は先代国王の末っ子ということもあり、誰よりも甘やかされて育てられた。そのためにクソ生意気で自分勝手な性格となってしまったが、身近な者、特にギルバートに対する好意が目に透けてしまうが為に王城では子ども扱いされることが多い。
ところが、彼女のカーマ『愛ノ僕』は子ども扱い出来ないほどに強力なものである。
内容は『自身の投げキッスやウインク等を見た対象を一定時間、我が僕としてしまう』というものであり、催眠系のカーマの中でもその発動条件が緩いことで恐れられている。
故にヴェラートが『愛ノ僕』をくらい、クラミィの指示でここまで来ることの難易度としては言うほど高いものではない。
気になるのは方法では無く、その動機である。
幾らギルバートが自分に無断で戦地へ赴き、その危険性を周囲から煽られたからといってここまでするのは流石に異常である。
アゾットのみならず、誰しもが疑問に思った『この行動をとった理由』が語られる訳なのだが__
「・・・ヴェラートってこの作戦の内容、全部知ってるの?」
「・・・はい?まぁ知っていると思いますが。何なら『茈結』で行われた作戦会議に勝手に参加してギルバート様にこっぴどく叱られたとか何とか....」
「・・・じゃあヴェラートは兄ぃがヒョウカの護衛に自分で立候補したことや大勢の敵とは戦わないっていうのを知ってたってことよね?」
「え、ええ。・・・立候補はギルバート様がその会議で突発的になされたと聞いていますし、ギルバート様の役割がヒョウカ様の護衛のみだという内容もその場で決まったようですので知っていないとおかしいかと...」
「じゃあおかしい....」
「え?」
クラミィが神妙な顔で鸚鵡返しをしてきたので、アゾットは思わず疑問符を浮かべた。
「一体、どうなさったのですか?」
「『兄ぃ達がたった3人で沢山の敵を相手にする』ってことや『兄ぃやアゾットのカーマじゃあ大勢を相手取るのは無理』ってこと、そして『兄ぃが無理やりヒョウカの護衛にさせられた』ってことも全部、ヴェラートが言ってたの....」
「・・・は?」
違和感。
なんだろうか、この不気味な感じは。
アゾットは一旦事実を確認するため、クラミィに問おうとするが
___突然、アゾットの足が止まる。
「・・・?アゾット?ひゃッ!?」
「・・・ッガ!!....ガハっ!!?」
転がり落ちるクラミィ。倒れ込むアゾット。
そして、華麗に着地するヴェラート。
地面に俯けとなり、痛みにもがくアゾットの胸からは大量の出血が見られる。
「いやぁ〜、いけませんねぇクラミィ様?お兄様の信頼している臣下をそう易々と疑うべきじゃないですよ?・・・まあ?今回に関しては色々と上出来でしたので感謝していますが。・・・その平和ボケした脳みそで良くぞ気づかれましたッ...ねッ!!?」
グサッ!!
「グアァっ!!?」
ヴェラートは手に持つ、既に血塗られたダガーナイフを転がるアゾットの背中に勢いよく差し込んだ。
目の前で苦しみの声を上げるアゾットを見たクラミィは呆然と言う。
「ウ....ソ...。な...んで?何を....?『愛ノ僕』は....?」
「おやおやぁ?どうにも状況が理解できていないようで。・・・まぁあの程度の誘導に引っかかってしまうような、やはり平和ボケした脳みそをお持ちなのですから仕方の無いことです...」
「誘...導...?」
跪いた状態のクラミィは、困惑を極めた表情で聞く。
ヴェラートにはこの表情が堪らなかったらしく、無駄にテンションを上げて応じるのだった。
「ええそうですともッ!・・・貴方の聞こえる場所で、貴方の不安を煽る嘘でまかせを言いさえすればもしかして...と思いましたがそのまさかでしたよ?貴方はまんまと私の手中に落ちてくれました!」
「・・・ヴェラート、き...貴様ッ。一体...何者...」
地に這いつくばるアゾットは、憎しみを交えた顔と声で問う。
「ん?いやですねぇアゾットさん。可愛い後輩の役職を忘れるだなんて?・・・私はウィスタリア国16代目国王ギルバート・ウル・ウィスタリア様の近衛第3部隊隊長ですよ?」
「お...のれ」
「おっとぉ、いけないいけない。もう一つ役職があったんでした...」
ヴェラートは大袈裟なリアクションを取りながら意気揚々と話していたこれまでとは180°変わった雰囲気で_
「私に与えられたたった一つの使命。・・・ギルバートの暗殺を命じられたラヴァスティのスパイ、という役職が」
「「ッ!!?」」
アゾットとクラミィは驚愕のあまり、言葉を出すこともできなかった。
戦闘要因のアゾットがこの様なのを良いことに、ヴェラートは饒舌に語り出す。
「いやぁ、ずっと待っていたんですよ。ギルバートとエミルが離れる瞬間を。エミルが近くにいると首を刎ねても毒を盛っても殺せない可能性がありますからねぇ」
『エミル』というのはギルバートの側近であり、ウィスタリアで最も強い騎士の名である。本名は『エミル・ラウスロード』。その強さから全国に名を轟かせ、世界で見ても抜けた実力を持つ騎士の総称である『六峰』の内の一人に数えられるほどだ。
そんな彼を脅威視するのは当然のことであり、そんな彼の居ない今の状況は最高の好機と言えよう。
「エミルはとても厄介でしたよ...。あなた方やギルバートとは違って、出自がウィスタリアでない私をずっと怪しんでいたようでしたから。・・・しかしこうして奴の目を盗んで国から出て来れたのも、ウィスタリア城へ押しかけてきた『茈結』の皆さんと....そう。あり得もしない戯言に見事惑わされて下さいました、クラミィ様のお陰なんですよ?」
「ウソ...嫌...」
「あっはは!良いですねぇその顔、そそります....。これから殺してしまうのが惜しいくらいに」
「ッ!!」
バンっ!!
「おっと....」
アゾットはうつ伏せの状態で腰に下げていた拳銃を素早く取り出し、ヴェラートに向けて放つ。
ところがヴェラートはこれを予知していたかのようにすんなりと交わしてしまった。
「そんな見え透いた攻撃、私に当たるとでも思いました?・・・いつも、アゾット先輩がご自身で仰ってたじゃあないですか?『当たらない攻撃は攻撃じゃない』ってねッ!!?」
ザクッ!!
「ガアッ!!」
ヴェラートは新しいダガーナイフを取り出し、動けないアゾットの顔面を目掛けて投げつけた。
アゾットは満身創痍の中、即座に左手を自身の顔の前に出し肩代わりさせる形で顔面へ直撃を防ぐ。
「流石先輩....。見た目によらずしぶといですねぇ?・・・ま、面倒な貴方は後回しで良いでしょう。そ・れ・よ・り・も....」
ヴェラートは撫でるような、ゆっくりとした動きでクラミィへ目をやる。
「ヒっ...!!」
「貴方ですよぉッ!?クラミィ様!!・・・取るに足らない貴方を殺してこいという命令はされていませんが、大のウィスタリア嫌いで在られる我が陛下なら、貴方の死もさぞ喜んで頂けることでしょうッ...!!」
凶悪な狂気を纏うヴェラートに、ただひたすら怯えることしか出来ないクラミィ。
ヴェラートは薄気味悪い笑顔のまま、クラミィのもとへ歩み出す。
1歩、1歩。
「・・・」
クラミィは動けない。
1歩、1歩。
「・・・」
クラミィは動かない。
1歩、1歩....
「・・・ッ!!」
パチンっ!!
クラミィは動く。
「ク...ラミィ様...まさか....?」
その様子を見ていたアゾットは驚く。
緊迫したこの状況でクラミィがしたのは、恐怖の涙で濡れた渾身のウインクであったからだ。
だが、お察しの通りただのウインクで無い。
見ただけで相手を強制屈服させる強力無比な欲『愛ノ僕』の力を帯びた最強のウインクである。
「・・・」
ウインクの直後から、その場に立ち尽くしてしまったヴェラート。
どうやら彼は、クラミィがその恐怖で完全に折れてしまったのだろうと油断していたらしい。
一瞬で今まで散々馬鹿にしてきた者の下僕へと成り下がったヴェラート。
その笑いは自身の滑稽さからか、はたまた別の理由からか....
「フフフフ....」
「ッえ....?どういうこと....?」
「フフフ....フハハハっハハァッ!!・・・これはたまげた!まだそんなものが私に通用すると思っていたのですかクラミィ様ァ!?おめでたいにも程がある!」
「なんで...」
クラミィは再び絶望に顔を染める。
「なんで?・・・もしや、まだ気づかれていないのですか?・・・ここまで貴方を運んできた時もそうでしたが、私は『愛ノ僕』の影響を受けてはいませんでしたよ?」
「え...え?」
「全く....能無しさんは聞くことしか出来ないんですか?・・・まあネタバラシもないまま終わるのは私が味気ないですから教えてあげますよ。・・・フリをしていたんです、貴方のカーマにかかったフリをね?」
「フリ....?で、でも確かに見て...」
「ええ、見ましたとも。ですが催眠にかけられたら遂行できないでしょう....裏切りが」
「ヴェラート....貴様、何を言って....」
敢えて先の見えない話し方をするヴェラートに苛ついたアゾットは問うた。
対するヴェラートは聞く耳を持たずに、クラミィを煽り散らかす。
「中々に滑稽でしたよ。私が催眠下に落ちていないとも知らずに、都合の良い命令ばかりする貴方は。・・・おや?信じられないって顔ですねぇ?・・・もしかして私が貴方を釣り出す最後の一押しに言ったあの言葉、真に受けていた訳じゃあありませんよねぇ!?」
クラミィの目から、色の無い涙が溢れる。
「『クラミィ様の欲さえあれば、ギルバート様の命を脅かす数百の軍勢も全て一瞬で屈服させられるはず。これほどまでに強力なカーマをギルバート様は何故利用しないッ!!?』・・・でしたっけ?・・・我ながら迫真の演技でしたよアレはッ!」
「ッ....」
「確かに貴方のカーマは強力ですが、持ち主の貴方がそんなでは恐るるに足りません。恵まれているのにこの有様....反吐が出ますよ、本当。・・・そういう私の私情も挟んで、殺しますね?」
途中、態度が豹変したヴェラートは再度歩き出す。
「ク...クラミィ様ッ....どうか...逃げ...」
アゾットは残った右手をクラミィの方へ伸ばして言う。
これにヴェラートは嘲笑を返す。
「何を馬鹿な....戦闘経験も無いに等しいひよっこ風情が、この私から逃げおおせると本気で_」
「逃げちゃダメですッ!!どうか私に近づいてっ!!」
「・・・ッなに?」
アゾットは声を張ってそう言った。
聞いたこともないアゾットの声量に一瞬驚くも、クラミィは直ぐ言う通りに動いた。
ヴェラートもアゾットの発言に疑問を隠せないでいるが、とにかくそうはさせまいと2人の間に入ろうと試みる。
しかし、それよりも早く_
「展開『必中領陣』ッ!!」
「ッ!!?おのれッ!」
アゾットが唱えると同時に3メートル半径ほどの、紋様が描かれた円が展開される。と、同時にアゾットは出血をしながらも膝立ちで銃を構えヴェラートへ向ける。
一方ヴェラートは、この陣の展開を警戒して後ろへ下がる選択を取った。その様子的にも、この陣の能力を理解しているようである。
地面に描かれた陣の中心にアゾット、真横にクラミィ、そして10メートルほど離れてヴェラートが立つ構図となる。
ヴェラートは構えられた拳銃に警戒しながらも、笑って問うた。
「そう、貴方も大概厄介なんでした。・・・ですが、貴方に引き金が引けるのですか?陣内にクラミィも居るで」
「ハァ....試してみますか?・・・グッ...!」
背中と左手に刺さったナイフと出血多量によるダメージが隠しきれていないものの、強気に笑って答えるアゾット。
「チッ....このまま籠城する気ですか、小賢しい....」
ヴェラートは舌打ちをして、苛立ちをみせる。
数秒の沈黙が続いた後、再びヴェラートが口を開く。
「ま、いいでしょう。・・・貴方は放っておいても失血死は免れないでしょうし、隣の無能姫はそもそも何もできやしない....。そして私の本来の目的はあくまでギルバートを殺すこと。こんなところで時間を浪費して、このまたと無いチャンスを逃す訳にはいきませんので....」
ヴェラートは一行が来た方向へ体を向けると、言い捨てるようにして
「では、今から我々の君主を手にかけてこようと思います。・・・残念でしたねアゾット先輩。君主を守り通すという使命を果たせなくて」
「・・・フフッ、そうですかね?・・・カハっ...」
「あん?」
「ギ、ギルバート様は....自らの護衛に付いている私にこう仰いました。『クラミィ様を頼む』と。自身の護衛よりも、クラミィ様のお命を優先せよと。・・・本来であれば....グっ....どちらも果たさねばならない使命ですが...こうしてクラミィ様を守り通せたという喜び...。果たして、そこまで残念ですかね....?」
「フン。前から思っていましたが、貴方と話すことほどつまらないものは無いですね。・・・では先輩、永遠にごきげんよう....」
不貞腐れた態度でその場を去ったヴェラート。
これを見届けたアゾットは力尽き、再び地面にうつ伏せとなる。
「ね....ねぇ!!?アゾット...アゾットってばッ!!?」
クラミィは倒れた彼の名を、何度も叫ぶように呼ぶ。
「申し訳...ございません....ギルバート様。使命を....果たせず....」
無情に降り頻る雨は、小さなその声をも掻き消して_。
「私も...つみ....ですね..。どうか....ご無事で....」
こんな...こんな裏切りがあるのかよ....