オリヒー&ヒコタン
「ポー、ホケキョ、ホケホケポケポケェェ」
鴬の鳴き真似なんかやりながらヒコタンはウカレポンツクだった。まぁ、それも仕方ない。六月も下旬になり、待ちに待った七月になろうとしていたのだから。
「もう少しでオリヒーに逢える(はあと)。ああ早く逢いたい。メサメサ逢いたい」
近頃のヒコタンは四六時中オリヒーの事ばかり考えていた。恋女房なのに、一年に一度しか逢えなくなってしまったのには理由があった。
ヒコタンとオリヒーは恋に堕ち、そして結婚へ至った。それはそれは幸せな日々が始まった。
「オリヒー、これからはずっと一緒だかんね、チュ」
「ヒコタン、わたしマンモスウレピー。チュ」
「オリヒー、ムギュムギュムギュのチュチュチュ」
「ヒコタン、チュチュチュのムギュムギュムギュ」
そんな具合に毎日、一日の殆んどをベッドで過ごしていた。そんなある日の午後、インターホンからピングポーン!という音がして直後に「居るかぁぁ」という地響きのような声が聞こえた。
その声に聞き覚えがあった。オリヒーの父上であるところの、所謂お義父様のものである。お義父様はメサクサ怖い人だった。ハッキリ言って本職やないの?って感じの人だ。ヒコタンは思った。
「詰んだかも」
そこから嵐の連打でインターホンが、ピングポン!ピングポン!ピングポン!ピングポン!と打ち鳴らされた。意を決して服を纏い玄関へ向かったのは三分後だった。
「はい。どちらさんでっか?」
ヒコタンの声は死んでいた。
「わしじゃい。はよ開けんかいダボっ」
お義父様はお怒りみたいだ。カシャっと頼りのない音をたてて施錠を解錠すると同時に、外から勢いよく玄関ドアが開けられた。あまりの勢いにヒコタンは二メートルくらい後ろへフッ飛んだ。
「お前ぇ、仕事もしんと毎日毎日何しとんじゃい」
「えっと、それは…」
「オリコ、お前も出て来んかーい」
オリヒーは思った。「うざっ」
「こんな仕事もしん男のどこがエエんじゃい。おいクソヒコ、お前の牛な、死にかけとんぞ。牛飼いが牛の世話しんでどうすんじゃいボケ」
ヒコタンはぐうの音も出なかった。そこはオリヒーも何も言えない。
「我慢しとっとけんどな、お前ら離婚さすわ。オリコ、お前うちへ戻ってこい」
「そんな殺生な。お義父さん、これからはちゃんと働きますさかい勘弁してつかさい」
ヒコタンは必死に食い下がる。
「お前の言う事なんかあてになるかアホンダラ」
「オラ、来い」そう言って鬼の如くお義父様はオリヒーの腕を引っ張って連れて行く。
「痛い痛い。父さん放して」
「お義父様、やめて下さい。オリヒーが痛がってますやん」
「うっさいんじゃボケ。ワレが働かんからやろ」
「オリヒー」
「ヒコターン」
と、こうして二人は引き裂かれた。
そこからヒコタンは働いた。オリヒーを取り戻す為にまた一生懸命に牛飼いへ専念した。仕事も軌道に乗ってきて生活にも余裕というものが出てきたけど、ヒコタンは遊んだりせずに仕事にまい進した。そしてそれを陰ながら見ている者があった。お義父様である。
「あいつ、やりよんのぉ。もう大丈夫ちゃうか?いやいやいやいや、またオリコと一緒になった途端にああなりよるに決まっとる。やけど、ちょっとは何かしたろか」
鬼の如くなお義父様ではあったのだけど、親心も持ち合わせていた。そんな事など全く知らないヒコタンは「あんニャロメ(怒)あんニャロメ(怒)」と義父へ怒りをぶつけながら働きまくっていた。
仕事を終え帰宅したヒコタンがビールを飲みながらオリヒーの事を想い、のめり込んでいる最中だった。いきなり連打されるインターホン。ヒコタンの脳裏にお義父様の映像が突然現れ、もう少しで妄想のオリヒーと遂げる寸前で萎えてしまった。
「マジか、クソが」
そう思いながらも玄関へ。誰だかは分かっているけど、一応社交辞令みたいな感じで嫌々声を発した。
「どなたでっか?」
「わしじゃい」
ヒコタンは、知っとんじゃボケ!と思ったけどヘラヘラした感じで玄関を開けた。
「おこんばんわ」
ヒコタンの声に張りはなかった。
「ワレ、最近ようやっとるみたいやのぉ」
「はぁ」
「でな、わしも鬼やないんやからちと考えての」
ヒコタンは、なにぬかしとんじゃダボ!と思ったものの、続きを聞いた。
「年に一回オリコに会わしたるわ。そうやな七月七日でどや?今年も直ぐやろ?どや?」
「え?マジっすかお義父様」
「マジや、そんかし次の日にはちゃんとオリコ返して貰うし、また仕事に専念せぇよ」
「はいぃぃぃぃ」
ヒコタンは秒で返事をした。
そこから、年に一回ではあるもののヒコタンとオリヒーは一夜を過ごす事が出来るようなった。そうやって数年が経った。今年も燃えるような夜を過ごしたのだけど、なんというか前年比とあまり代わり映えがしないというか、この日にかけるスペシャル感をもっと味わいたいというか、そういう欲が湧いてきた。そこでヒコタンは考えた。ネンイチでは自分の欲求も溜まるばかりだし、それに新たな技も取得しオリヒーをもっと喜ばせたいという考えに至った。
「そうだ!ナンパをしよう!すんで色々と開発しよう!そうしよう!」
ヒコタンの目が悪く輝き始めていた。
次の日から仕事を終えるとヒコタンはシャレオツなバーへ赴き、一人カウンターで飲んでいる女性を見つけては声を掛けた。
「ベイビーひとりかーい」
その声に振り向いた女性は大体舌打ちをして小さく言い放つ。
「去ねや、ボケ」
ヒコタンはその場は去るものの、日を改め来店すると、そんな事を繰り返していた。しかし、[下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる]とは良くいったもので、ひとり、またひとりと女性を上手い事アレする事が出来た。ヒコタンは書物やインターネットを駆使し得た情報で、あんな事やこんな事を試した。そんなこんなで今年も七月を迎え、あと数日で七日になるという時だった。オリヒーにもうすぐ逢えるという興奮の坩堝で自宅に居た時、ピングポン!ピングポン!ピングポン!ピングポン!ピングポン!ピングポン!ピングポン!と何時もにも増してインターホンから呼び出し音が轟いた。云わずもがなお義父様である。
「ワレ、仕事はしよるみたいやけど、あん?夜な夜な何さらしとんじゃ?」
ヒコタンは、何でこのオッサン知っとるん?と思ったけど、待て、これは罠だ。俺を揺さぶっとるだけだ。落ち着け俺。と落ち着いた。
「お義父様、何の事でっしゃろ?」
ヒコタンはシラを切った。
「お前、オリコが居りながら、ようさんの女イカシとるよなぁ?なぁて?」
お義父様の手には見たこともないようなゴツい刃物が握られていた。ヒコタンは思った。
「マジで人生詰んだかも」
しかし、ここで諦める訳にはいかない。一年間、待ちに待った日がもう目の前まで迫っていて、更に今年は数々の必殺技を取得している。オリヒーとのめくるめく夜を逃してたまるか。そこでヒコタンはフランクな感じでお義父様を招き入れた。
「玄関先で立ち話もアレなんで、どうぞ中へプリーズ」
お義父様の方も決着をつけるべくそれを飲んだ。
「そんなら上がらせてもらうわ」
そう言って上り框へ腰をおろして靴を脱ぎはじめた。物騒な刃物は框の上に置いてある。ヒコタンは閃いた。この一年ルールも、元はと言えばこの糞親父が勝手に決めたものやんけ?つかこいつさえ居らんくなれば、俺ハッピーになるんじゃなくなくなくなくなくね?
ヒコタンは框に置かれた刃物をそっと拾い上げ、お義父様の背後で振りかぶった。
その頃オリヒーは、数日後に逢えるヒコタンの事を考え、胸がキュンキュンしていた。訳もなく、歌舞伎町のホストクラブで飲んだくれていた。少し尿漏れしながら。
おしまい