いじめ手当
「やあ、さっそくだけど、うん。単刀直入に言って、君、いじめられているよね?」
とある中学校。その一室。ソファーに座る少年は居心地の悪さからと見てわかるほどに縮こまっていた。
テーブルを隔てて、少年と向かい合う形で座るその男は膝の上で手を組み、少年の口から出る言葉を待つ。
「……はい?」
「いじめられてない?」
「いじめぇー……ですか?」
「うん」
「……あー、ははは。いや、あれは遊びの延長というか、その、あれです、いじり。実際、僕もやり返したりしてますしね」
と、少年はへへへと笑いながらそう答えた。
「延長、ね……」
男はそう言うと、ふっーと息を吐き、ソファーに深く腰を沈めた。ソファーの皮とスーツが擦れ合う音の後、静寂。
「そう、そうなんですよぉ、遊びでね――空気を――キャラというか――僕以外にも」と間を埋めるように喋り続ける少年。男はただ黙って話を聞いていた。
「……それで、クラスメイトにされたことを正確に、この紙に書いてくれるかな? ここね」
話はもういいよ、という風に男は紙とペンを少年の前へやった。指でトントンと空欄の部分を叩く。
少年は「はぁ、まあ」とペンと紙を自分の方へ引き寄せた。
「……はい、書けました」
「どれどれ……『後ろから首を絞められた』『耳元で大声を出された』『いきなり後ろから突き飛ばされた』と他にもうん、暴力中心だね。それも怪我しない程度の。これは、ああ、証拠が残らないタイプのか。なるほどね」
「はい。でもまあ、ふざけ合っていただけで、大したことないですよ。普通に会話したり、昼休みも普通に校庭で一緒に遊んだりしますし。ははは……」
「C2かな」
男はソファーの横に立つ女を見上げ、そう言った。
女は「はい」と一言。手にあるバインダー、紙に何かを書き込んでいる。少年はなんだか歯医者みたいだなと思い、顔を歪めた。
「じゃあ、さっそくこれだけど」
「え? これは……」
「いじめ手当。聞いたことない?」
テーブルの上に置かれたその白い封筒を見ながら少年は記憶を辿る。いじめ手当。前にテレビのニュースやっていた気がするが、詳しい内容は覚えていない、いや知らない。自分には関係ない、と興味を持とうとしなかった。
男はまたフッーと息を吐くと少年に淡々と説明を始めた。
「……えっとつまり政府が考えたいじめ対策で、いじめられた子はその被害に応じてお金が貰えるというわけですか?」
「まあ、そうなるな。学校でアンケート書かされなかった? いじめに関するやつ」
「え? ああ、この前の。でも僕、いじめられたとか書いてないですよ」
「で、その情報をもとに、君のようないじめられ疑惑がある子たちに会って審査しているんだよ。君は毎月、それくらいかな」
「えっ、毎月!? お、けっこうある……」
男に促され、封筒の中を覗き込んだ少年はそう呟いた。
男はフッと笑った。まあ、中学生には大金か。といった顔であった。
少年はふと、いじめが原因で自殺した子の親が加害者と学校、それに市を相手に訴訟を起こしたというニュースを思い出した。前述の通り、興味を持とうとしなかったのでその結果は知らないが、ままある話だ。市のお金は国から配分されるもの。そういった多額の賠償金を払うくらいなら、小出しに補助していたという既成事実を作ろうと考えたのだろうか。と少年は思った。
「君がさっきひとりで喋っていたように、君がいじめられ役になることにより、誰かの役に立っている可能性を否定まではできない。
だからその見返りというわけさ。黒い羊効果。集団の中には必ずあぶれ者というのが出てくるんだよ。そしてそのお陰で集団の絆は強くなる。必要悪というのかなぁ。正当な報酬と思ってくれていい」
「いじめられてるというほどではないですけども……」
「ああ、はいはい。いじられ役ね」
「はい……」
黒い羊効果。その話を聞いた少年はガラスで作ったナイフで刺されているような気分になったが、お金が貰えるというのは悪い話ではない。
いじめっ子のお陰で儲かる。つまり、嫌なことをされている間、その連中から搾取しているという考え方もできるのだ。ましてや自分はいじめられていないので。得でしかしない。
まだ実験段階のプロジェクトということと、いじめっ子とグルになり虚偽の申告する可能性があるから他言無用。
少年はそのことには納得したが、男に訊ねる。
「で、でも、本当にいいんですか? いじめじゃなく、いじりですよ? 後で返せとか言われたら……」
「んー、まあ、いじりもいじめの範囲と見ていてね。実験段階と言っただろう? その辺の基準がまだ曖昧でね。でも考えてみれば、ほら、テレビに出ているお笑い芸人さん。たまにあのいじりひどいなぁ、って思わないかい?
でも彼らはそれでお金を貰っているわけだからね。君にだって貰う権利はあると思うな。ランクアップは審査はいつでもやっているからね。この連絡先に気軽にどうぞ」
「じゃあ、はい……」
その後、少年はいじられ続けた。前にもましてヘラヘラと道化に徹した。映像や音声の証拠があるとよりランクアップ申請が楽と聞いて、そうした。中学生だ。バイトはできないが欲しいものはたくさんある。金はあるに越したことはない。叩かれ突き飛ばされキモい臭いあいつヤバくね。どんな罵詈雑言も金になる。喜んで受け入れた。そして……
「……あの、呼び出してしまってすみません」
しばらく経ったある日。とある駐車場。少年は男に連絡し、会う機会を作ってもらった。
男は車の屋根に肘を乗せ、言った。
「構わないよ。またランクアップの件かな?」
「いえ、あの……」
口ごもる少年。男はふぅーと息を吐く。何も言わず。しばらくの静寂。風が木をくすぐり落ち葉が鳴いた。
「……話してごらん」
「……その、やめたいというか、その、やめさせてほしいというか……」
「何を?」
「いじり……いじめを……こんなの、割りに合わないというか、その、つらいです助けてください……」
「……もちろんだよ。限界が来る前によく認め、助けを求めてくれたね」
男はそう言い、少年の肩に手を置いた。
その優しい声と微笑みに少年は心の底から安堵し、そして目の奥が熱く、喉が痛んだ。
初めから全て見透かされていると思っていた。自分の安っぽいプライド。いじめられてなどいない。百歩譲っていじめに分類されたとしてもチクるような真似はカッコよくないという言い訳めいた想い。沸き上がる若干の自己嫌悪に蓋をし、ヘラヘラと喋り続けていたことも。
いじめに関するニュースから目を逸らし続けていた。自分には関係ないことだと。誰も自分を、自分さえも目を向けていなかった。ただ、彼だけが見ていた。自分のことを。いじめを。
少年は泣いた。思いっきり泣いた。
子供の不登校、自殺は今はまだ僅かにだが、確かに改善の兆しが見られているという。