Page:08 百戦錬磨の猛者オタクたちね……面構えが違うわ。
いよいよ商業都市シンフェミアで開催された三日間の大イベント「幻燈祭」。そこへ出店するカフェミストの息子『ルシェ―ド・二クロフ』と彼の学生時代のツインテ後輩『スティア・フリューゲル』は、音楽フェスと化した開会式に飛び込んでいく、オタク系転移少女の『クロガネ・レンカ』を止めることはできなかった。そんな彼女が踊り荒ぶる中、裏では別の問題も発生していて━━━━?
「━━━━これ、どういう状況なんですか…」
ツインテールの後輩は、口元を引き攣らせた。
憤りと困惑入り混じる、その声と共に。
「え、えーっと……それは…」
ジトっとした眼差しを注ぐ、アイリス色の双眸。
その目は、早く状況の説明をしろ…と言わんばかりに、軽蔑するような眼光を飛ばす。
俺は言葉に詰まらせながらも、彼女の顔色を窺うように……。
「お、俺もよく分からないんだよ…。自然にこうなったというか、気づけば演じ始めてた…というか?」
ありのままのいきさつを語った。
深いため息を漏らした後輩は、この説明に思う所があるようで、歪ませた口を面倒くさそうに開く。
「━━━失礼ですが先輩…。昨晩、この子に何か吹き込みました…?」
「ひ、人聞き悪そうな言い方だな!?別に俺は変なこと言ったりなんて、断じてしてないからな!……し、してないから…」
歯切れ悪く、言葉を濁してしまう。
別に変な意図や、引け目があったわけではない。
ましてや、心当たりなんて…。
「あー!やっぱり、何か吹き込みましたね!?後半の消え入るような弱弱しいボソ声がなによりの証拠です!!いいから、さっさと、白状してください、先輩!この子に!何を!言ったんです!?」
高圧力で俺を圧迫させてくるツインテ悪魔。
まくし立てるような声は、返答の催促を申し立ててくる。
普段、彼女の圧は標準搭載で高めに設定をされてはいるが、今日は一段と圧力の設定レベルを上げているらしい。
今なら、彼女から出る空気圧で、美味しいコーヒーの一杯や二杯でも淹れられそうだ…。
(あぁ…、エアロドリップコーヒー飲みたくなってきたな。…なんて言ってる場合でもないか)
「な、何をって……。えーと、スティアがお嬢様だってことを教えてあげたくらいだけど…」
一番心当たりのあった内容を告げる。
予想では、原因は多分……これだ。
「はぁ~?本当にそれだけですか!?それだけだとしても、普通こうはなりませんよね!?だって……」
ありのままを伝えたが、納得いかない様子の彼女は俺から目を逸らし、件の中心人物である我が偽妹にフォーカスを合わせた。
そして現在、絶賛注目を浴びている渦中のメインヒロインである彼女はというと…。
「まぁ、スティア様ったら、おかしなことを仰いますのねー。これといって、わたくしは何も変わりありませんことよ?おほほ、きっと春の陽気に当てられて。頭が、パぁ…になり始めているんですわよ~」
━━━━なぜか偏見入り混じった、お嬢様ムーブをキメていた。
「あたしがお嬢様なのを知って、どうしてこの子がお嬢様っぽい喋り方になってるんです!?一般的にはポジション逆じゃないですか!?バレた側がお嬢様っぽい喋り方になるのが普通ですよね!あたしのアイデンティティ的なの?バラされた側に取られちゃってるんですが!?あたし普段からお嬢様キャラで生活してないんで、別にそれはいいんですけどね!?ですけど、なんか偏った知識で構築されたタイプのお嬢様ですし!!どさくさに紛れて、何気にあたしディスられてますし!?先輩!!先輩に説明を求めます!!この子どうして壊れちゃってるんですかっ!?」
どうして彼女が壊れたのか……。
というか、壊れているのは今に始まったことではない気もするが、こうなった事の経緯を俺の理解し得る情報を含めて端的に。極めて端的に語るとしよう。
……だが、あらかじめ言っておくと、これから話す内容に彼女を狂わせた答えは存在しない。
だから、このツインテ後輩から投げかけられた『どうして壊れたか…』という質問に対しての俺からの返答はこうだ。
「━━━━それは知らん」
◆◆◆
【神廻歴4201年3月15日】
【AM 7:50 シンフェミア Coffee shop カフェ ミスト】
普段であれば、日中この時間帯の店内は、開店前の準備で忙しなく従業員の誰かが動き回っている。
だが、今日は俺たち三人だけ。
閑散とした店内の中で、一卓のテーブルを取り囲み、椅子に腰かけていた。
ひとけのないひっそりとした空間。
静寂の中に鳴り渡る、カチャカチャというコーヒーカップの擦れる音が、今日はやけに耳についた。
……ん?にしても、カチャカチャいい過ぎなのでは……。
「カチャカチャカチャカチャカチャ……」
「━━━━あの、レンカさん。なに…してるんでしょうか?」
俺は、恐る恐るその行為について聞いてみる。
「うん?見て分かりませんこと?カチャカチャカチャ。わたくし、今カフェオレを作っているところですわよ。カチャカチャカチャ。……うーん!良い色になって参りましたでございますわ!…では、失礼して。こきゅ…こきゅ………カチャ。………うっっすい、でございますわね…。………カチャカチャカチャカチャ…!」
「そのカチャカチャやめろぉっ!?スプーンでミルクと砂糖をかき混ぜるのは止めねぇよ。止めねぇけど、それはどう考えてもかき混ぜすぎだろ!!カップ内でミニマムサイズの渦潮起きてんじゃねぇかっ!!ずっと縁ばっかりかき混ぜてるから、渦に吸い込まれていく砂糖さんが中央で沈殿してんじゃん!そろそろ砂糖さんが堆積して中州さんになって顔を出し始めてもおかしくない頃合いだからなっ!?レンカさん、アナタ仮にも今お嬢様なんでしょう!?だったらしっかり最後まで、マナーあるお嬢様としての行動を心がけなさいよぉっ!!」
お嬢様に、かぶれておられるレンカさん。
薄いのは当たり前です。
だってミルク全然入って無いし、砂糖も混ざって無いし…。
糖分摂りすぎて糖尿病なりますよ、お嬢様。
「━━━━━あのぉ、先輩……。キャラ、ブレ始めてませんか?途中からこの子の姑みたいになっちゃってますけど…」
何とも言えない表情で、俺たちの掛け合いを見ていたスティアが口を挟む。
キャラがブレて原型無くなりかけてるのは圧倒的にレンカの方ではあるが、俺としたことが取り乱してしまったようだ。
自分を見失ってしまっては、彼女のようなモンスターに身をやつす結果になるのだ。
ここは、冷静に。
そう、優雅に…。
「そうですわね。……セバスチャン、口調がキモイですわよ?」
「うるせぇな!?今のお前にだけは言われたくねぇよ!何があったか知らないけど、没落させられたくないなら、早くそのご令嬢口調やめちまえっ!」
冷静じゃ、いられねぇよ!?
なんだこいつ!口を開けば煽って来るじゃん!!
ああ、いいよ!上等だよ!!
お嬢様だって言うなら、貴族としてやっていけないくらい没落させて……!
「━━━━なに言ってるの?そもそもわたし、貴族じゃないから没落なんてしないわよ?」
「え、あの…。急に素に戻るのやめてもらっていいですか?」
小首を傾げた彼女は、お嬢様キャラをキャンセルしていつも通りのレンカさんに戻っていた。
なんだろう、この妙に悔しい気持ち…。
「ともかく、お嬢様ごっこが終わったなら早いところ行くぞ。ほら、そのバカみたいにたくさん砂糖を入れたカフェオレも早く飲み干しなさいよ?」
「もちろんですわ。でもねセバスチャン、ひとつだけ訂正させていただきますわね。これは、ごっこ遊びではなくてよ?お嬢様への解像度を上げるための訓練…なんですわよ」
またコイツは、妙なことを言い始めた……。
「な、なんだそれ?」
「仕方ありませんわね。庶民の貴方にも理解できるように、わかりやすく説明をしてあげますわ」
(こ、こいつぅ…。調子に乗り始めたぞぉ…)
イキリ令嬢ムーブが息を吹き返し、また調子を上げてきたレンカお嬢様。
露骨に、やれやれといった態度を表に出してくる。
なんとも腹が立つが、まだ我慢はできる…。
「わたくしは昨晩セバスチャンから、スティア様が貴族のご令嬢だという事実を告げられて、頭を疑いましたわ」
「━━━━ん?ちょっとまて、疑ったのは目と耳じゃなくて?頭…なのか?」
「はぁ、話の腰を折らないでくださいまし。ええ、はい。そうです。疑ったのは突拍子もないことを言ってきた頭……。セバスチャンの頭で、間違いありません」
「おい待てぇ!その言い方だとまるで、俺の頭がおかしいみたいじゃないか!」
「そうだけど?」
「てぇんめぇええ!?」
早々に我慢の限界は、やってきた。
俺の煽り耐性が無さすぎるのか。
はたまた、彼女の煽り力が高すぎるのか…。
どちらかの問題ではないんだと思う。
限界を迎えたところに、強力な煽りの渾身の一発が撃ち込まれた……。
単に、それだけなのだ。
「うぅうんっ!うぅうううんんんっ!!!」
「待ってください先輩!!話の途中なんですから、落ち着いて聞いててください!あっ!暴れるからコーヒー零れてるじゃないですか!!」
レンカに襲い掛かる俺。
必死に俺の手綱を握りしめるようにして、それを食い止める後輩。
何事もないような。すました顔で、コーヒーカップ内に渦潮を起こし続けるレンカさん。
絵面としては、混沌を極めていた。
「……あと、先輩。セバスチャンってなんのことです?先輩って、変わった愛称で呼ばれてるんですね」
「呼ばれてねーよ!?呼んでるけど、呼ばせてねぇよ!?」
レンカに飛びかかろうとした俺は、スティアに取り押さえられ、半ば強制的になだめられる。
というか、セバスチャンってどなただよ。
こっちも知らない愛称だよ。発祥はどこからなんだよ!
「セバス、はしたないですわよ。今はお茶の席ですわ。静かに、お喋りに身を投じるのが、マナーですのよ?どゅーゆーあんだーすたん?」
「ぬぅ…うぅ…んんっ…!」
「先輩、ステイです。ステイですよ、先輩」
必死に込み上げてくる感情を押し殺す。
スティアから介護をされながら。
俺はゆっくりと椅子に、憤る心を抑えて腰を下ろした。
調子に乗って、脂が乗りに乗り、勢いづくレンカさん。
自業自得で泣きじゃくる未来が、その先の己に待ち受けていようとも。
人を煽ることを決してやめない、イキりモンスターに豹変した彼女は止まらなかった。
そう、たとえ泣きべそをかいて、幼児退行のように後でぐずり始めるとしてもね…。
「つ、続けて…くれ」
「おっけいですわ。仕切り直しますですわね」
(もう、この人。語尾に『ですわ』を付けとけば、それっぽく聞こえると思ってるんじゃないのか…?)
お嬢様というキャラが、いよいよ何なのか俺にも分からなくなってきたところで、彼女は一口だけコーヒーカップに口をつける。
明らかなまでの『うっすぅ……』という微妙なリアクションで、眉間にシワを寄せたレンカ。
どうやら、カフェオレ完成には、まだほど遠いようだ。(そのやり方では一生無理そうだが)
それなら自分で作らずに、初めからコーヒーの準備をしていた俺に頼めばよかったのでは…?
ウチ、カフェオレのメニュー。元々あるのに…。
「えーと…どこまで話したっけ…。あっ」
(自分のキャラ設定、もう忘れてる…!?)
キャラクター性を見失いかけた彼女は、誤魔化し気味に軽い咳払いをする。
うっとりとした表情に、ゆるむ口元。
役作りに入った彼女は、視線を卓上から隣の窓へ移した。
窓の外を眺め、朝焼けの清々しい空へ思いを馳せるかのような。
そんなわざとらしい神妙な面持ちで、話の続きを語り始めた。
「あれは、スティア様との楽しいひと時を過ごし。セバスチャンの家に帰宅した昨晩のこと……。あ、もう途中で話の邪魔されたくないので、回想シーン入りますわね。それではどうぞ」
「━━━え?こっから回想入んの?」
■
■
■
━━━昨晩は、幸せいっぱいだったわ。
もちろん、お腹の方は空腹感でいっぱいだったから、夕飯がとても楽しみだったのよ。
だけど、帰宅したわたしを待っていたのは、パパスの作る美味しい料理なんかではなかったわ…。
「帰ったわー!わたしが帰ってきたわよ~」
「ああ、おかえりレンカ。夕飯は食べてきたのか?」
とまあ、流れるようにお店の勝手口から帰宅したわたしは、リビングに居たルシェに出迎えられたわ。
次の日の幻燈祭の準備をするとか言ってたけど、わたしよりも早く帰ってきてたみたいね。
「ううん、食べてきてないわよ?パパスの料理食べたかったからお腹空かせて帰ってきたのよ。……あれ?今、ルシェだけ?」
リビングのソファに、腰かけてテレビを見ていたのはルシェだけだったわ。
いつもなら、パパスも一緒にテレビ見てるか、キッチンに立ってるか、隣で趣味の機械いじりしてるんだけど。
今日はルシェだけ。
だらしなくソファで、溶けた顔して、テレビ見てたわ。
異世界にテレビがある環境にも、IHクッキングヒーターがあることにも、慣れて受け入れたけど。
いまだに、スマホだけ無いのには甚だ疑問よ。
車も無いけど、似たのなら違う国で使われているらしいじゃない!
なんでスマホは作ってないのよ!?無線機はあるって言ってたのよ!?
技術的には結構いいとこまで行ってるはずよね?
なぜベストを尽くさないのよ!?
せめてガラケーでいいから!固定電話でいいから!公衆電話でもいいからっ!
ワガママ言わないから、連絡ツールの発展に、もっと力を入れてよー!!
ひとりで遠くまで行っちゃいけないって、ルシェに言われてるし。
連絡手段ないと、外出も不便なの!!
電光掲示板とテレビと無線機があるならいけるんじゃないの!?
スマホくらい作れるんじゃないの!?
スマホ、スマホよ!スマホをわたしにぃぃぃいいい……!!
━━━━━失礼。脱線したわ。
スマホもなければ、パパスもいない。
マミーも、ダイニングテーブルで雑誌を読んでいない。
それが言いたかったのよ。
ああ、次はルシェのセリフだったわね。
「父さんと母さんは会場の設営が終わったら、他の備品関係を買い出ししてから帰るってさ。俺は先に上がらせてもらったけど」
「てことは、まだ夕飯は出来てないってこと?」
「父さんが作ってたスープはあるよ。温めれば食べられるけど、それ以外は何も出来てないかなぁ」
「そーんなぁ~!ルシェ、なんか作ってよ」
「先にスープ飲んでればいいだろ?あ、全部食べちゃダメだからな」
「なによぉ…。ルシェは料理できない系男子なの?」
「できる系男子だけどレンカには作りたくない系男子かな」
「なによそれ!?」
ご飯は基本パパスが作ってくれるのよね。
マミーは、料理が苦手…って言ってて可愛いけど。
ルシェは、出来るけど面倒だからしない……とかいう、一番ダメなやつなのよ。
え、わたし?
わたしは、出来ないわよ?なに言ってるの?
女子高生よ?まだ子供よ?扶養家族内の子供なのよ?
料理なんてしないわよ。
今年で成人するとしても、養ってもらえる内は、しっかり養ってもらうんだから。
まあ、てな感じで。
たわいもない雑談をしてたんだけど、突然ルシェが例の話題を振ってきたの…。
「ところで、誘惑に負けて結局スープを温め始めたレンカさんや。スティアがお嬢様だってことは本人からもう聞いたか?」
「━━━お嬢さまぁ?なにそれ。ティアちゃんが温室育ちだって言ってるの?そんな世間知らずな印象はなかったけど。ルシェったら、人をディスるセンスもないのね。お嬢様を例えに出して悪く言っても自分の品格を貶めるだけよ?」
「別に俺はスティアをディスってないし、お前は俺をディスってくるな」
「わたしはディスるとは何なのか…というお手本をルシェに見せてあげたのよ。…ありがとうは?」
「そうか、そいつはどうもありがとう!!……って、違う違う。こんなしょうもない話じゃなくて、スティアがお嬢様っていう話だ。スティアに何か高いものをご馳走になったりしなかったか?レンカ、お金持って行き忘れたろ?だから心配だったんだよ」
「まったく、そんな心配するなんてルシェはわたしのお母さんなの?ええ、確かにご馳走にはなったけど。……ふぇ?まってまって。ティアちゃんがお嬢様っていう話って、ガチなやつ…?」
「うん。さっきからそう言ってんじゃん」
「━━━━━━。」
その時、わたしの頭の中で駆け抜けていったわ。
恥ずかしさにも似た、数多の後悔の言葉が、目まぐるしく……ね。
「レンカさん?おーい、レンカさーん?もしもーし!」
「━━━━━━。」
間の抜けた声で、ルシェが私に声をかけていたっぽいけど、わたしは全く相手にしなかった。
現在直面している問題を、解決するのに忙しくて構っていられなかったのよ。
脳内での試行錯誤の末に、わたしはついに一つの答えを導き出したわ。
「レンカさーん?スープ煮えてるぞー?」
「━━━━ルシェは、おバカさんですの?これは温めて、ジャガイモをグズグズにしているんですのよ?」
「いや、グズグズってお前……あれ?レンカさん、なんかいつもとキャラ違くないか?その無理なキャラ作りは後でキツくなるぞー」
「はぁ、身の程を弁えない庶民は本当に嫌ですわ。ルシェ……いいえ、セバスチャン。まだ間に合いますわ。わたくしは今晩から、お嬢様をラーニングしていきます。なので、貴方も付き合いなさい」
「セバスチャンって誰だよ。って……え?お嬢様をラーニング?レンカさん……お前、なに言って……」
「『さん』じゃないですわ!敬称には、お嬢様をつけなさい!このセバス野郎!!わたくしは令嬢よっ━━━━!?」
■
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■
「━━━━と、いうわけですわ」
「「( いや、なんにもわからないんだけど……)」」
ずっと二人でレンカの回想を大人しく聴いていたが、無駄に情報量が多いだけで彼女の説明には、なぜお嬢様ムーブをしているのかという最も知りたい部分がすっぽりと抜け落ちていた。
異世界とか言っちゃってたけど、スティアには話してんのか?そこんとこ…。
「ごめんなスティア。レンカは色々と言葉足らずな所があって…」
「いいえ、先輩。あたしも薄っすらとは察していましたので、それについては大丈夫です。ですが、疑問があります。━━━━━この子は先輩の家で同棲してるんですか?二人はそういう関係だったんですか?あとは、異世界とか何とか……」
「あ、ううんと……。話がややこしくなるから、その話題は一旦スルーしてもらえる?」
「それは、セバスがわたくしの異世界お兄様だからですわ~!」
「もっと話が拗れるから余計な要素を付け足すんじゃないよ!?」
スティアの発言から理解は出来た。
レンカは今までにあった、様々なゴタゴタ事を一切話していない。
仮に伝えても頭のおかしい奴として他人の眼に映るだけだろうから、正しい選択と言えば正しい…。
だが、だったらなぜ……。
自分から危ない発言するんですかね!この異世界ガールは!?
「妹いたんですか先輩!?今までそんな話、聞いたこと…。あ、複雑な家庭事情があるんですね…。すみません、聞かなかった事にします」
「ほら、こうなるじゃん!?」
カオスな展開に話が飛躍し、色々と面倒になってきたが、これ以上ぐだぐだするわけにもいかない。
だって祭は、待っちゃくれないのだから…。
「もうお嬢様でもなんでもいいから、そろそろ行くぞ。急がないと幻燈祭の開会式始まっちゃうだろ?」
「そうですね、開会式までには会場入りしておきたいところです。式が始まったら人の流れが止まっちゃいますから、動けるうちに移動しておいた方がいいかもですね。すみません先輩。それじゃあ、ちょっとだけお時間いただきます」
俺の意見に、珍しくも素直に同意したスティア。
彼女はピンクのポシェットから、鏡やメイクポーチ等を取り出すと、手慣れた手つきで化粧直しを始める。
コーヒーを飲んだだけではあるが、女子という生き物は少しの化粧崩れでも気になってしまうらしい。
これは、男の俺には分からない点。
女子特有の思考性…といったところか。
別の言葉で言い換えるなら、女子力が高いと賞賛するポイントでもあるのだろうか。
そんな女子力高めな、スティアの様子を見たレンカさん。
なにやら、自分も真似をしようとソワソワしているが…。
「━━━━セバス。……なんでわたくしは化粧品を持っていないんですの?」
「あれ?持ってなかったのか?メイドのお給仕してる時は、ばっちり、メイクしてるって言ってなかった?」
「あれはセバスのマミーに化粧してもらってただけで、わたくしはメイク道具なんて持ってないですわよ。……なぜ、持っていないのです?」
それは純粋な質問だった。
持っているのが当たり前だと、持っているのはおかしいでしょ…と。
素朴に思わせて、裏のある。
けれど悪意のない、その気持ち。
純粋なる物欲。
あの子が持ってるから、わたしも欲しい。
幼少期の誰しもが経験する、ないものねだり。
思春期真っ盛りな彼女が抱く疑問に、俺はあえてこう答えるのだった。
「え、最初からコッチに持ってきてなかったからなんじゃないか?」
これが答え。
持ち込んでいないのだから、ない。
持ち込まなかったのだから、ない。
それ以上、それ以下でもなかった。
だからだろうか、認められなかったのだろう。
一度は納得したような素振りを見せるが、彼女は答えに苦言を呈するのだった。
「そうですか…。━━━━━━買ってよ」
「給料日まで我慢しなさい」
「なんでよ!女子には欠かせない生活必需品なのよ!?」
「無理です。そんなお金ありません」
「うそよ!わたしにたくさんハンバーガー食べさせてくれたじゃない!ルシェは持ってるはずよ!いいから隠し持ってる有り金ぜんぶ出すのよ!!」
「お前は強盗か!!あの日お前に、バカみたいな量を奢ったから金欠なんでしょうが!!あれが無かったら未来は少し違ったかもな!!」
レンカを連れてシンフェミアに帰ってきたあの日の朝。
オーク肉を使ったハンバーガーを山ほど食べさせてあげたが、あれで俺の財布の中身や、貯金の蓄えも全てスッカラカンになってしまっていた。
だが、俺の経済事情を知らないレンカは、プクーっと頬を大きく膨らませて拗ねていた。
この暴食魔は、一度養ってしまえば最後。
死ぬまで根こそぎ、出涸らしも残らないほどに搾り取られそうで、本当に恐ろしい。
やっぱり今晩あたりにでも、山に捨てに行くべきか…。
「ねぇー!買って買って買ってよー!!」
「お前は幼稚園児かっ!お嬢様キャラどこ行ったんだよ!?」
幼い子供のように、ばたばたと駄々をこねるレンカ。
女性なら化粧をして可愛くなりたいと思うものだろうし、それを否定するつもりもない。
しかし、俺も本当に金欠なのでこればかりはどうしようもない。
「先輩とクロの関係には、深くは踏み込まないでおきます。ですが、女の子はオシャレをして可愛くなりたい生き物なんですよ先輩。ほら、おいでクロ。あたしがメイクしてあげる。だから、もうよく分からないキャラ作りは止めなよ?」
「え!ありがとうティアちゃん!!うん!やめるやめる!」
「やめるのかよっ!?やけにあっさりしてるな!?」
しっぽを振るという表現が、かつてないほどに似合う女。クロガネ・レンカさん。
お嬢様ロールプレイを終えて、スティアに従順に駆け寄っていく今の彼女は、それこそワンコ系女子っぽさも兼ねていた。というか…。
「なんだその、クロ…っていう愛称。そういえば、レンカもスティアのことティアちゃんって呼んでたな。なんというか、二人とも昨日一日で距離縮まりすぎじゃないか?」
昨日、俺が会場の設営に勤しんでいる間、二人は一緒に出かけていた。
半日だけだとしても、多少距離は縮まるだろうが、出会って初日だぞ?
互いにニックネームで呼び合うなんて、よほど気が合ったのか、共に戦地を潜り抜けたかくらいでは…。それとも、女子高生ってこんなもんなの?
「昨日は遊ぶだけじゃなくて色々ありましたからね…。で、クロって呼び方かわいくないですか?ワンちゃんみたいで~!」
駆け寄ってきたレンカの頭を撫でる後輩の手つきは、飼っている愛犬に対する、それだった。
「━━━━あれ、ペット…?」
彼女からペット扱いされているなんて、露ほども知らず、自分の世界に入り込んでいるレンカ。
化粧をしてもらえることが、嬉しかったようで。
スティアの隣席に椅子を移動させて、女児よろしく、足をぱたつかせ、ちょこんと座っていた。
(たしかに子供だ…。本人も、よく言ってるけど…)
歳を考えると少し痛い気もするが、可愛げがないよりはマシだと思っておこう…。
ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら瞼を閉じ、スティアにアイラインを描いてもらう17歳女児。
そんな俺たちの話が聞こえていないっぽい、お気楽ガールな彼女にスティアは一つ質問をする。
「クロはどうしてお嬢様キャラをしていたの?あたしがお嬢様だってことと、何か関係があるみたいな話だったけど…あ、目開けて」
「うん。ティアちゃんがお嬢様だってことを知った後ね。わたしは昨日の自分の行動を振り返って、すごく恥ずかしくなったの」
「恥ずかしい?そんなに問題行動は起こしてなかったと思うんだけど…あ、目閉じていいよ」
そんなに…と言っている辺り、やっぱり昨日。
二人の間に、なにかあったようだ。
何があったのか少し気にはなるが、二人だけの秘密~みたいな雰囲気も感じられるので、ここで俺が聞くのも野暮というものだろう。
レンカが問題行動を起こすのはよくあることだが。
彼女の様子から察するに、今回に限っては少し違う意味合いのようだ。
「ううん。問題はあったのよ。ティアちゃんはお嬢様でしょ?そんなお嬢様のそばにいるなら、ティアちゃんに恥をかかせないような言葉遣いをしなきゃって、思ったの…」
「だからお嬢様キャラを…?」
「うん…」
アイメイクが終わり、瞼を開けたレンカ。
流麗に描かれたアイラインにより、少し大きく見える瞳は目の前の彼女を見つめていた。
あのキャラ作りはレンカなりに。
お嬢様という肩書きを持つ、スティアを思っての行動だったということか。
まあ、お嬢様への偏見が反映された言動で、やや空回り気味ではあったけれど…。
「もー、そんなこと気にしてたの?気を使いすぎ。あたし、お嬢様っていっても広く認知されてるくらい有名な家柄じゃないし。普通にしてれば、誰も気づかないと思うから。昨日と同じ、自然体なクロでいてくれていいのに」
呆れつつも眉を下げて、にっこりと微笑む。
手のかかる妹を愛おしむような、優しくも大人びた眼差しで…。
スティアはレンカの頬を、ぷにっと突いて、そう言った。
「本当に自然体でいいの?わたし、ガサツな所あるけど…」
「それも昨日一緒に居て、ある程度分かったから気にしてない。むしろ、そういう側面があるんだって思って安心したくらい。まあ、初対面の時にあんなにガツンと言われたから、ギャップには驚いたけどね」
あはは…と、スティアがどこか自嘲気味に笑う。
ギャップという点では、自身も思うふしがあるのだろう。
言ったそばで、ぽりぽりと自分の頬をかいて申し訳なさそうにしている。
一方でレンカさんは一転し、ぱぁあっと表情に明かりを灯して俺の方を向いた。
「こ、心が広いわあ…!ルシェ、これがお嬢様の器ってことなの!?」
「かもな。俺は庶民だから知らんけど」
「そうね!ルシェに聞いたのが間違いだったのよ。━━━ねぇ、ティアちゃん?」
「うん?」
「ありがとっ!」
瞳をキラキラさせたレンカさん。
スティアを羨望の眼差しで眺める彼女は、実に楽しげに顔をほころばせていた。
にこにこ微笑むレンカに、スティアも笑いかける。
確かにレンカは、どうしようもない問題児でトラブルメーカーだ。
だけど、表情をコロコロ変える感情表現豊かな彼女を、どうしても俺は嫌いにはなれない。
周りを振り回し、掻き乱すけれど。
その分だけ、彼女がいるだけで。
闇に覆われた晦冥に、灯りがともされるように、周囲が自然と明るくなる。
それが彼女の長所であり、魅力でもあった。
そんな彼女だから俺は……。
「はい。メイク終わったよ」
スティアがレンカの唇から口紅を遠ざけながら発した。
その声で、ふっと我に返る。
「ありがとうティアちゃん。どう…かな?」
ぱちぱちと瞬きをして確認をとるレンカに、スティアは自信ありげに答える。
「あたし的には、いい感じに仕上がったはず。でも、もし鏡で確認しても心配なら、先輩に聞いてみたら?きっと、クロがほしい回答をくれると思うし」
後輩は、コーヒーを飲んでいた俺へと、企むような微笑を飛ばす。
「ぅ!?げっほ、げほ……お、俺に振る!?そんなこと急に言われても…」
コーヒーを吹き出しかけた。
思わず吹き出してしまう所だった…。
レンカのほしい回答だって?そんなの……。
「ねぇルシェ。……どう……かな?」
「━━━━。」
急なバトンパスに戸惑う中、レンカは俺をジッっと見つめていた。
童顔気味で、幼さの残る顔立ち。
そんな印象は、どこにもなかった……。
メイクを施した現在の彼女からは、コスプレをした姿で、初めて出会った時に感じた雰囲気のような。
それとはまた違う、お淑やかさのような。
なにか、魅力ある大人っぽさのようなものが感じられた。
スティアが手掛けたからなのか、メイドコス姿の彼女とは化粧の仕方が違うようで、目元が普段よりもキリッとしている。
母の手掛けたという、メイド喫茶モードの化粧も、これとはまた違った印象で見えるのだろうか?
レンカに口伝え聞いただけで、一度も彼女のお給仕姿を見たことがないので、想像しかできないが…。
正直な感想を述べるなら、彼女はとても素敵な女性に見えた。
━━━━中身は、いつものレンカさんなんだろうけども。
「か、かわいい……んじゃないか…?……たぶん」
どうしても口に出すと照れてしまうが、それは心からの本音だった。
俺からの回答に、レンカさんは、ぱちくりと瞼を動かす。
それから、少しの間があり。
首をゆるやかに移動させ、彼女は無言でスティアを見つめたのだった。
「ん?どうした?」
わずかに首を傾げて、見つめられた後輩は優しい口調で尋ねた。
けれども、無言で視線を送り続けるレンカは、難しい顔をして語る。
「━━━━と申されておりますが。地雷系女子のティアちゃんから見て、このルシェの煮え切らない返事はどっちだと思う?わたしを褒めてるの?それともテキトーに合わせて返事を言ってるだけ?」
すこーしだけ、口を尖らせていた。
誉めたのに何故か不満げなレンカさんは、よくわからないことで疑心暗鬼になっているらしい。
恥ずかしさに動揺した、俺の誉め方にも問題がありそうなので何も言えないが…。
「あたしは地雷系でもなければ、メンヘラ系女子でもないけど、先輩が恥ずかしそうに答えてるし?褒め言葉ってことでいいんじゃない?」
(こ、こっちを見るな!そんな顔で!)
後輩は、『そうですよね?』とでも言ってそうな目で、俺を見てきた。
ニマっとした笑顔が、心境に何とも刺さりまくる。
隣のレンカも、よく見るわっるい表情を浮かべ……。
「そっか。そうなんだぁ……。ふふっ」
とても満足そうに、けれど悪戯っぽく、はにかんだ。
からかわれている……。
そう自覚した時には、恥ずかしさがピークを迎えていた。
「~っ!も、もういいだろ!メイクが終わったんなら、ほら。早く行くぞ!」
「ええ、ルシェの困り顔が見れて満足したし向かいましょ~!幻燈祭に!」
もう絶対に、からかわれまいと思っていた。
レンカだけなら大丈夫だった。
だけど、女子二人での集中攻撃は反則だろ!
可愛いものに可愛いと言えない、そんな世の中。
なんとも世知辛い……。
「ふふっ、そうだね。あ、ご馳走様でした。先輩、食器はどうします?」
「え?……ああ、そこに置いてていいよ。今日は店開けないし、帰ってから片付けるから」
「そうですか?」
既に全員分の食器を集めて、お盆で運んでいたスティア。
それを聞くと彼女は、持っていたお盆をカウンター席の辺りに置いた。
わざわざ集めて下げてくれるとは、本当に気が利く後輩である。
「ありがとうスティア」
「いえ、先輩とはいえ。こうして、ご馳走になったんですから、普通です」
彼女はそれが当然…という風に答えるが、ウチでは普通ではない人もいる。
ほら、ウワサをすれば…。
「ルシェー!!お祭り早く行きましょー!!」
ウチの普通代表が、元気よく出発の音頭を取っておられる。
飲食店でランチを摂っても、後片づけをしないで席を立つタイプの人なんだろうな……あの人。
「━━━━スティアが常識ある人で、本当に良かったよ…。これからもレンカと仲良くしてやってくれ…」
「…え、先輩。もしかして泣いてます?あのー、花粉症ですか?」
泣いた俺を心配してくれたのか、『花粉症の薬…持ってますけど使いますか?』なんて優しい言葉も、珍しくかけてくれている。
なんだこの良く出来た後輩は!
俺をさらに泣かせるつもりなのか?ええ!?
「花粉じゃないけど…そうだな。病名としては、突発型の特定アレルギー性鼻炎なんじゃないかな…」
「ティアちゃんも早く行くわよー!!じゃないと、会場の食べ物ぜんぶ食べ尽くしちゃうから~!!」
「おい!頼むからそれだけはやめろぉおおお!?あ!まて!勝手に行くんじゃない!お前、会場の場所知らないだろーがぁ!?」
元気よく、彼女は店から飛び出していく。
可憐な装いに、垢抜けた大人メイク。
コロコロと鈴を転がすような澄んだ声。
美少女……なんて、彼女とすれ違う者は思ってしまうかもしれない。
しかし、騙されるな!
それは錯覚!一瞬の気の迷い!悪魔が魅せた幻!
まんまと罠にかかった、俺が言うのだから間違いない!!
━━━━さっき素敵な女性と言ったな。前言撤回、あれは嘘だ。
彼女は、どう考えても。
総合的に、総称して、トータルで評価しても!
ただの問題児です。
「へー、こうやって振り回されてる先輩を見るのも、案外楽しいですね?」
「ちっとも俺は楽しくねーよっ!?」
◆◆◆
【AM 8:35 シンフェミア ピースサイドパーク】
すでに事態は、深刻を極めていた。
「━━━━どうして、こうなった…」
後悔の念に苛まれながらも、理由はハッキリしている。
「いらっしゃいませ、ご主人さま♡」
「「うおーー!!ひめちゃーんッッ!!(野太い声)」」
仮設的に置かれたテーブル席は、既に満席。
カウンターでコーヒーを受け取り、持ち帰る客たち。
彼らも、ズラっと列を成して、自分の順番を今かと待ち詫びていた。
客観的に見ると、喫茶営業としては申し分ないし、事情を知らなければ大盛況なんだろう。
しかし、当店の名前を用いてのイベント出店としては、違和感を覚える内容であった。
だってメイドが、お給仕をしながら走り回っているのだから。
「……先輩のお店ってコンセプト系の喫茶店でしたっけ?」
「ち、違うけど!違くは、なくなったんです…はい」
企業方針が変わるのは、個人事業では仕方ない。
仕方がない…のだが、これは…なんというか…。
はじめてこうして、例のメイド喫茶を見ているわけだが。
ウチの店がメイド喫茶をしているというのは、何とも妙な気持ちになってしまう。
そもそもの発端は、レンカの意見をウチの両親が良しとし。
メイド喫茶事業に手を出してしまったことが、事態の原因なのだが…。
「オーマイガー!レンカちゃんのおかげで、ぜんぜんお客さんが絶えない!!1人で何杯も飲むお客さんもいるから、予定よりも今日の営業は早く終わってしまうかもしれないな…。ま、嬉しい悲鳴なんだけど!」
父は腕組みをして、ニッコニコで仮設厨房から義理の愛娘の様子を見守っていた。
「もー、メルさん?口ばかり動かしてないで、軽食も作ってよ?」
母はコーヒーとソフトクリームを配膳用のお盆に乗せ、父にやんわりと説教をしている。
「わかってるけど、我が娘が誇らしくてな。つい言葉に出してしまいたくなるんだよミレイユ」
「まぁ、困った人ね。私も自分の娘が、立派で可愛くって、嬉しくなっちゃってはいるけれどね」
「パパスもマミーも、お話してないでお仕事してー!!あ、撮りますねー!ご主人さま~♡はい、オーク!」
「「やっぱりウチの娘は可愛いなぁ…」」
「━━━━━━━━。」
あの両親、大丈夫か?
両親ともに異常なほどにノリノリである。
気が付けば、メイド喫茶がウチのメイン事業になりつつあることに、俺は若干の恐怖を感じていた。
今日は、本来なら俺たちは非番だった。
レンカが、メイク道具欲しさに給料を前借りしたい…と、父に打診するまでは…。
父いわく、『給料は締め日まで待ってほしいが、今日は非番ということもあり、すぐにでもお金が必要なら日雇いのバイト扱いとして、日払いでの給料を渡せる…』とレンカに伝えたのだ。
━━━━この一言が、彼女の汚い心を強く動かした。
「美味しくなーれ!萌え萌えきゅーん♡」
「ずっぎゅーーーんッッ!!と、当方の心は、ひめさまに萌やされてしまったでありますよ…!もっと、もっと萌やして壊してほしいであります!!」
「馬鹿野郎!次はワイの番や!ひめちゃんとチェキ撮って、サインも体に書いてもらうんや!!ひめちゃーーん!!ワイの体に墨入れてくれー!!」
「はーい!一生消えない重いヤツ彫っていきますからね~?リラックスして待っててくださいね♡」
所々で、おかしな発言も耳に入るが…。アレ、止めなくていいのだろうか。
どう見ても、ヤバそうな客層が確実に日々増えてきているんだけど…。
あ、昨日の変態客もいる…。
「━━━メイド喫茶って、こんなんでしたっけ?あたしが知ってるやつとはちょっと違う気がするんですけど。墨入れ……したりもするんでしたっけ…?」
「いや、あれはオリジナリティなんじゃないかなぁ…。当店の……」
自分で言ってて、やるせなくなってきた…。
なんで墨入れしてんの、ウチ…。
でも、よかったよ……。
俺の感受性がおかしいわけじゃなかったんだな!
あれは、普通に考えても、おかしいんだよな。
スティアも同じように思ってるんなら安し……んしちゃダメだな!?
当店が、堅気じゃない人たちの、タトゥースタジオになろうとしてんだから!!
「ていうか先輩。店主さん……先輩のお父様が、クロのことを娘って仰っていたんですが、どういうことです?先輩が、クロは妹ではないと、道中で頑なに否定されてましたが。だとすると、娘っていう言い方に━━━━はっ!まさか、先輩とクロって…もう……!?」
「違う違う!違うからな!?妹でもないし、娘に来たわけでも……いや、娘には来たのか。…じゃなくて、ややこしい状況になってるんだよ!だから、きっと今説明しても理解されないと思うんだよなぁ…。だけど後で、あとで必ず話すから!!いまは!!見逃してくれ!!」
「そ、そうですか…。複雑…なんですね…。わかりました。しばらく見逃してあげますよ」
「ありがとう、助かるよ……」
ここで語るとなると、少々話がこじれそうだった。
スティアに、実はレンカは異世界からやって来た異世界人。
その後、ウチの娘になって暮らしている……。
なんて話を、後ほどしなければならないことは、俺の頭を酷く痛ませた。
しかし、いつか話さなければ、今後より面倒なことになりそうなのは明白。
この際、彼女にならハッキリと言ってしまった方がいいかもしれない…。
信じてくれるかは、ともかくとしてだけど。
「あ……。あ、あの、先輩。開会式は10:00からなので、それまでには一区切りつけて、聖火台付近までお願いしますね。それじゃあ、あたしは……」
流暢さを失った、彼女の言葉。
泳いだ目は、全く視点が合う様子はない。
ひどく動揺する彼女は、言い残すことだけ伝えると、足早にどこかへ向かい出す。
急な彼女の変化に、口を挟むことも忘れてしまっていたが、どうしたのだろうか…。
しかし、答え合わせは思ったより早く訪れた。
「━━━ティ~ア、ちゃん?」
「ひっ!!な、なにかなぁ…クロ…?あ、あたしは、開会式まで会場をブラブラしてくるから…。お仕事、がんばってね?━━━━それじゃあっ!」
震えた声での、一方的な返答は、あまりに拙かった。
しかし、気にせずにシュバっと、綺麗なフォームで手を上げ、上擦る声と共に別れを告げる彼女。
そんな後輩は、俺たちに背を向けて颯爽と去り行……けなかった。
「━━━━ねぇ、どこへ行くの?ティアちゃんも一緒に…しよ?」
「ひぃぃいいっ!!」
立ち去りかけたスティアの腕をグイッと掴むと、レンカはその場に彼女を立ち留まらせた。
掴まれた行為と恐ろしい囁き声に、ビクリと身震いする後輩。
彼女は、ぴくぴくと引き攣る顔で、恐る恐るレンカに聞き返す。
「な、なにを?」
本当は彼女も理解しているはずだ。
だから、勧告される前に逃げ出そうとしたのだ。
それも残念ながら、未然に終わってしまったようだが…。
━━━━と、いうわけで、彼女の逃走劇は幕を閉じる。
「なにって。ん~……メ イ ド さ ん ♡」
「━━━先輩。昔のアレコレは、この際水に流しましょう。なので、あたしを助け…」
「メイクして可愛くしてくれたから、今度はわたしがティアちゃんをもっと可愛い衣装で包んであげるわ!!ね、ティアちゃん。一緒にお給仕しましょう?」
「い、いぃ……いぃやぁあーーーー!!!」
「━━━━。」
スティアはジタバタと、見たこともない切羽詰まった顔で必死に抵抗している。
が、レンカの方が……力が強かった。
彼女は半ば引きずられる形で、カフェの仮設テント裏へと引き込まれ……。
強引に拉致られた。
「━━━━俺は……会場の下見でもしてこようかな」
「あぁあああっ!!せんぱぁーーーいぃぃーー!!!」
「━━━━━━━━。」
遠くから聴こえてくる、魔物のような咆哮。
(あれは幻聴。あれは幻聴。あれは幻聴……)
悲鳴にも聞こえるその呼び声を、幻聴だと思い込みながら。
スティアの無事を祈りつつ、俺はその場から颯爽と立ち去るのであった。
「━━━━許せ、スティア…。美味しいもの買って、必ず戻ってくるからな!!」
「ひぃやぁああああああ!!せんぱぁーーー」
◇◇◇◇
「トゥエルノ様。幻燈祭での式辞の件ですが、如何いたしましょう?本来なら亡くなられた旦那様……。いえ、トネリ氏が述べられる予定でしたが…」
執務室のデスクに、乱雑に広げられた数枚の冊子。
その中から、幻燈祭プログラム関連の進行資料に目を落とす。
執事のロベルトの話を聞いた私は、該当の冊子を手に取りページをめくる。
「32ページでございます」
「うん。ありがとうロベルト」
幻燈祭のプログラム関連を含む根幹の管理は、市長だったあの男が全て取り仕切っている。
だが、どうも事務仕事は他者に丸投げだったらしい。
事実、この資料もロベルトが制作していた。
しっかりと熟読してページ数まで覚えておきたかったが。
作った本人がいるのだ、ここは製作者に頼らせて頂こう。
私は、まとめられた数枚の資料の中から、式辞の段取りが組まれた項目を開いて、彼に語った。
「それなら私が担当する。市民達には、市長は体調不良による欠席…とでも伝えるつもりだ。失脚だの没命しただのと、いきなり報じたところで混乱を招くだけだからね。何より祭の参加者たちには、この3日間は終始、何も知らずに楽しく過ごしてほしいという個人的な願いもある」
この幻燈祭は、市民の協力により成り立っている。
彼らが共に盛り上げてくれるからこそ、都市を上げての盛大な三日間を創ることができる。
だが、その熱気高なる場で市長の訃報を流したとすれば、善良な市民は心を痛めるだろう。
あくまで、この祭りにおける主役は、市民達なのだ。
開会式を追悼式にはできない。
私は、彼らから笑顔を奪うことはできない。
だから、隠し通す。この三日間だけは…。
「━━━━よよよ…。坊っちゃまの聡明なご判断とご立派な心意気に、わたくしは涙を禁じ得ませぬ…!」
私の発言に執事は涙する。
一見、大げさな反響だが、ここではよくあることだった。
「ロベルト…。だから、坊っちゃま呼びは止めてくれと…。ともかく、元はと言えば私がまいた種。あの男が遺していった公務は、市長代理として責任を持って全て私が受け持つよ。それらが片付き次第、機を見計らって次の未来ある者へとこの座は空け渡すつもりだ」
あの男のようには、ならない。
市長という存在を私物化し、好き勝手に公務と称して、権力をかざし回るつもりはない。
代理期間を終えたら、速やかに、次期市長を一般公募から募り、私は退位する予定だ。
もっとも、私が街を治められるほどの統率力や発言力に富んだ者ではない…ということが、此度の立案に至った最大の要因にはなるのだが…。
と、思索にふけっている私の横では、執事のロベルトがなぜか腰を屈めて、頭を下げてきた。
「これは大変失礼致しましたトゥエルノ様。悦びのあまり、孫を愛でる年寄りのような口調になっておりました。ご無礼をお許しください」
「まってくれ。そんなに畏まる必要はないよ。ロベルトは私の育ての親みたいな存在なんだから。そうだろ、じいや?」
かしづいていたロベルトは、勢いよく顔を上げると、滝のような涙を流し始める。
「ぼっ、坊っちゃま~!!おぉぉおっ!!貴方にお仕えが出来て、じいやは!じいやは幸せ者でございます!!」
その緩み切った表情は、もはや執事ではなく、ただの私のじいやの顔だった。
キリッとした執事の佇まいも良いが、私はこちらの方が断然落ち着く。
むしろ、普段からこれでもいいのに……。
「コンコン…。失礼します、トゥエルノ様。まもなく外出のお時間です」
ロベルトとの会話に表情が緩んでいた私も、その声で我に返った。
扉を叩く音を発しながら、すでに開け放たれている部屋へと入室する一人のメイド。
後頭部で束ねた栗色の髪をくるくるとお団子状にまとめ、ダークブラウンの眼鏡をかけた長身女性。
メイド長のジェシカ・コーネリウスが訪問をしてきたのだった。
「ありがとうジェシカ。まさか、ノックの代わりに口でノック音を表現して入室してくるなんてね…。本当に面白いことをするよジェシカは」
私とロベルトが会話中だったからなのか、彼女なりに気を遣ってくれたようだ。
それにしても、今回はノック音か……。次は何をしてくれるのか、楽しみだ。
「滅相もございません。わたくしめが訪れた時には予てより扉が開扉されておりましたので、音声による入室訪問でのお知らせを行わせていただいた所存です。お気に召されないのでしたら、インターホン仕様で宜しければ、次回からはそちらを起用させていただきます」
「ああ、いや大丈夫だよ。気を遣わせてしまったみたいで悪いね」
ちょっと変わったキャラクター性をしているメイド長のジェシカは、ときどき意表を突いた行動を取ることがある。
このユーモアあふれる行動が、狙ってしているものなのか。
天性の真面目な性格と、行動が生んだ副産物なのか。
それについては疑問だが、彼女という人物が、非常に良い人柄の持ち主ではあるのは間違いない。
━━━━ところで、インターホン仕様とは何なのだろう…。気になるな。
「恐縮でございます。では、大変恐れ入りますが、お話の続きを…。まもなく幻燈祭の開会式が始まる時間です。トゥエルノ様におかれましては、礼装への御召し替えをお願い申し上げます」
ジェシカの、腹部辺りの空間。
そこへ、手首にぶら下げた鍵束の内の一鍵を添えると、くるっと鍵を一回転させた。
するとその空間からは、見えない衣装棚に収納でもされていたかのように、式辞用の礼服が現れ、吸い寄せられるようにして、彼女の手の中へと納まった。
礼服を抱え、コツコツと靴音を鳴らしながら真っすぐに、私のいるデスクへやってくるジェシカ。
彼女はデスクの空いたスペースに礼服をそっと手から降ろすと、数歩下がり、綺麗なお辞儀をした。
「では、わたくしめはエントランスでお待ちしておりますので、ご準備が整いましたらお越しくださいますようお願いいたします」
「わかった。すぐに着替えて向かうよ」
「はい。お待ちしております。では、失礼いたします」
私とロベルトに軽くお辞儀をすると、ジェシカはスタスタっと、あっという間にエントランス方面へと向かって行った。
真面目なジェシカのことなので、私が向かうまでは、エントランスで何が起きても微動だにせずに待ち続けるんだろう。
健気で雇用主としては嬉しいが、早く着替えを済ませて向かってあげないといけないな。
「ロベルト」
「はい、トゥエルノ様」
私が彼の名を呼ぶと、即座にロベルトは手慣れた手つきで宙に絵を描き、部屋の隅に簡易的なドレッシングルームを創り出した。
「どうぞトゥエルノ様。中にはハンガーもご用意しましたのでお使いください」
「そんな細かい描写まで描いてくれたのかい?すごいな。もう、ウチの執事を辞めてアーティストにでもなった方がロベルトの才能を生かせるんじゃないかと、私は思ってしまうよ」
「ぼ、ぼぼぼぼっ、坊ちゃまっ!?わたくしは解雇なのですか!?ランス家は定年退職制度が設けられてはいないはずですがっ!!わたくし、終身雇用の予定で坊ちゃまのお世話をさせていただくつもりだったんですがっ!!」
冗談を言ったつもりだったが、この話題はロベルトには致命傷レベルの特攻ワードだったらしい。
それにしても、執事からの愛が重たすぎる気もする。
私は重い愛も受け止めるけど。
「ははっ、たとえ話だよ。ロベルト自身が離れたくなるまでは、何歳までも自由にいてくれていいから。私もロベルトがいてくれて助かっているからね」
「ぼっ、坊ちゃま~!!ええ、勿論です。わたくしは生涯このランス家で、貴方様を傍らから見守り続けますとも。死んでも地縛霊としてこの家に憑りつかせていただきます」
「あー、できれば守護霊とかにしてくれると嬉しいなあ…」
「ははは、細かいことは死後にでも考えるといたします。ささ、お着替えをどうぞ」
ブラックジョークをかますロベルトに促されて、私はドレッシングルームへと向かう。
今や残された家族のような、親密な繋がりはロベルトくらいなものだ。
彼がいなくなるなんてことは想像もしたくはないが、人とは年齢を重ねていずれは死へと向かう生き物。
その免れない自然の摂理に、我々人間は抗えない。
だが、大切な人にいつまでも健康でいてほしいと願ってしまうこの感情や、想いに抗えないのも現実。
なので私は、ロベルトにこう伝えるのだ。
「ロベルト。できれば私は、ロベルトにはこのまま元気に長生きしてほしいよ。だからそんな縁起でもないことは、冗談でも言わないでくれると助かるな?」
「坊ちゃま…。そうですね。あと二十年は、貴方様に元気でお仕えできると、お約束いたしましょう。ですので、坊ちゃまも素敵なお嬢様を見つけてください。わたくしが元気な間に、晴れ姿を見せていただけることを願っておりますよ」
「それは…。うん。考えておくよ」
「はい、楽しみにしております」
ロベルトは、また口元を緩めて優しく微笑んだ。
私の大好きな、その表情で…。
しかし、素敵なお嬢様…か。
そんな女性を、ロベルトに紹介できる日はいつになるのか…。
曖昧な返事を彼には返したが。
確かにそろそろ、そういう相手を見つけなければ、いけない年齢になっているのもまた事実。
私は婚活事情への悩みを膨らませながら、来たる幻燈祭の準備を始めるのだった。
◇◇◇◇
【AM 9:40 シンフェミア ピースサイドパーク ポップアップストア カフェミスト】
「いらっしゃいませーご主人さま♡…あ、ほら!ティアちゃんもわたしに続けて言って!」
「いっ、いらっしゃいませぇ…ご、ご主人さまぁ…♡」
「「か、かっわぁいい~!!!!!!」」
「もっ、もも、もちろん!ひめさまも、いつものひめさまとは違う、大人っぽい化粧で最高に可愛いでありますが。ティアラ嬢は、別次元的に!超絶美少女で!可愛いすぎるであります!!」
「うんうん…。(後方腕組み彼氏面)」
「喩えると、ひめちゃんが女神ならティアラちゃんは大天使なんじゃないかとワイは思ってるんやが、にぃちゃんはどうや?」
「それがしは姉妹のように見えてきている。メイド喫茶の看板姉妹…。なかなかに、萌えあがるものがあるであろう?」
「「た、たしかに!!」」
━━━━なんっ……じゃ、こりゃぁぁあ!?
どこを見ても、オタク、オタク、オタク、オタク…!!
客層が完全に、オタク色に染まりきってるじゃねぇかぁぁああ!!
偶像都市ラティアのライブハウスで、地下アイドルがファンミーティングしてる時みたいな、景色になってるよ!!
もう、オタクの聖地になっちゃってんじゃん。ウチの店!!
おそらく、アレ…が、火付け役になったんだろうなぁ…。
「も、もう無理だよぉ。あたし、こういう接客の仕事した事ないしぃ…」
「なに言ってるのよ!ティアちゃんの可愛さで、今まさに千客万来の波が来てるじゃない!この波に乗らなくていつ乗るの!ここで見送ったら万バズは程遠いわ!!バズりの瞬間は待ってはくれないの!さあ、このビッグウェーブに乗って体を委ねるのよ!ティアちゃん!!」
「あ、あぅ…」
「「( ティアラちゃんの困り顔かわいすぎかよ…!? )」」
「━━━━━━━━。」
目がガンギマっているレンカに、嬉しくもない鼓舞をされる後輩。
フリフリのメイド服に身を包んだスティアは、今にも泣きそうな顔で客の元にコーヒーを運んでいる。
スティアの怯える、か弱い仔犬のような動き。
それがオタク達の心を見事に鷲掴み、彼女を守らなくてはいけない!…という父性にも近い、謎の強い使命感を抱かせているのだった。
「おまたせしました…ご、ご主人…さまぁ…。ミストレス…エスプレッソコーヒーに、なりますぅ…」
「でゅふふ、待ってたよ。えーと、ティアラちゃんでいいんだよね?」
目的の席へと着いたスティアを待っていたのは……。
ねっとりとした視線を彼女に向けた、小太りの男性客であった。
舐めまわすような目で、スティアの身体を下から順に観察する客。
その行動に彼女は、ビクッ!…っと身震いした。
唇の震えから動揺が見て取れるが、スティアは頑張って接客を続けようとする。
「は、はぃ…。本日入店したばかりの……あっ、ティアラですぅ…」
メイドをしている時、レンカは“ひめ”と名乗っている…と言っていた。
それに倣い、スティアは“ティアラ”という名前で接客をさせられているようだ。
━━━━間違いなくレンカだな…。
ネーミングセンスがちょっといいから、危うく騙されそうになったけど。
今回も、あいつが付けてるな…。
言葉を詰まらせながら、たどたどしく接客をするスティア。
客は彼女に、なにか熱いものを覚えたようで、はあはあと吐息を激しく漏らしながら話す。
「初々しくて、カワイイねぇ…。あ、ご奉仕のミルクもお願いできるかなぁ?」
「???」
どうやら追加の注文を受けたようだが、スティアの様子からすると対応の仕方が分からないようである。
だが、そこへ!
先輩メイドひめちゃんこと、レンカさんがピッチャー片手に駆け寄ってきた。
『ティアちゃん。ご奉仕ミルクって言われたらこれを使ってラテアートを描いてあげるのよ!』
どうやら、駆けつけたレンカさんはスティアにヒソヒソと耳打ちし、対応の仕方を教えてあげているようだ。
ヒソヒソの割には、コッチにまで言ってること筒抜けで、ガバガバに聞こえてきているけども…。
『えぇ!?そ、そんなのやったことないって!』
『だいじょうぶよ!まずカップを傾けてね、ミルクをうにゃうにゃ!ってコーヒーの上に垂らしたら、最後はカップの端に向かってフィニッシュ!で問題ないから!』
『ほ、ほんとかなぁ…』
ものの数秒で、先輩からのアバウトすぎるレクチャーは終了した。
受講後、スティアはレンカからミルクピッチャーを受け取る。
ひとこと、提供後のコーヒーを拝借する断りを客に入れると。先ほど男に提供したコーヒーを手に持って、緊張に震える手で先輩に言われた通りにラテアートを描き始めた。
しかしながら、ミルクの方はレンカが用意したのだろうか?
父は軽食作りとコーヒーを淹れる作業に追われているし、母もオーダーを取りながらバッシングやデシャップを行い慌ただしくしている。
その片手間に、彼女のご奉仕とやらの準備を行うほどの暇もないだろう。
ちなみに、あのピッチャーに入っているのはフォームドミルクだが、ミルクのスチーミングをレンカに教えた覚えはない。
もちろん彼女が作っているところなんて、当然一度も見たことはなかった。
なんといっても、まず初心者がラテアートで最初につまずくのがフォームドミルク作りなのだが…。
いや、彼女なら有り得るか。
あのメイド。技術センスだけは、ケタ違いのスペックを有しているからなぁ…。
「す、すごいよティアラちゃん!!すごいけど……これはなに?」
おっと、自分の世界に入っている間に、スティアのラテアートが完成したらしい。
今さっきの、レンカの身振り手振りと擬音を含めた拙い説明からすると。
たぶん、ハートをスティアに描かせようとしていたみたいだけど、上手くできたのだろうか…。
━━━ん?お客さんが困惑…してるな?
「え、えっとぉ…。初めてだったので…本物よりも可愛く描けなかったんですけど…。一応……これ、オーク…です。」
「「 オーク!? 」」
あ、俺も声を出してしまった。
なんだって?オークって言ったのか…?いま…。
ここからは、さすがに見えないので出来の程は分からないが…。
いやいや、そんな初心者がオークなんて描けるほど……。
「すごいわねティアちゃん。本物をまだ見たことない、わたしでも上手いって解るわ……このオーク」
やっぱりオーク描けてんの!?
ラテアートで、あの娘オーク描いちゃったの!?
え、なんだそれ!?
━━━俺も教えてもらいたい!
「ティアラちゃん…オークって、魔物のオークだよね?イノシシっぽい見た目で攻撃的な、食用にもなってる…。あの、オークなんだよね?」
引き方が本気……ということは、本当に描いているようだ。そこにオークを。
(スティアの絵が上手いのは知ってたけど、ラテアートでも通用するもんなんだな…。今度教えてもらおう)
ところで、客からオークについて質問されたティアラさん。
客の言葉を聞いた瞬間に、彼女の眉が動いたのを俺は見逃さなかった。
あー、始まるわ……。
「はい。あの、ふてぶてしい態度で乱暴してくるけど本心では人間と仲良くなりたいだけなんじゃないかってあたしとしては個人的に考えてる普通の接し方が分からない不器用で可愛い魔物のオークです」
「━━━すっごい早口で、上手く聞き取れなかった……。え、あの、ティ、ティアラちゃん?ティアラちゃんのオーク像。……すごく美化されてない?」
急に饒舌に語りだし、ギャップを覚える男性客。
客はスティアの癖を知らないためか、俺からは引き攣った表情をしているように見えた。
━━━まあ、その感想と顔が正しい反応なんだと思うけど……。
「美化…ですか?いいえ、脚色してるつもりはありませんよ?お客様はオーク…。かわいいと思いませんかぁ…?」
「━━━ッ!!」
かわいいは壊せる。
無意識下で行われた、上目遣い。
これで、お願いをされて断るのは……俺では無理だ。
上目遣いで同意を求める、ティアラ嬢。
今のメイドモードのスティアの前には、おおよそオスでは太刀打ちができないだろう。
どんな屈強な大男や、強面なモンスターでさえも……。
男としてこの世に生を受けたのであれば、彼女のソレは特攻すぎて壊されてしまうかもしれない。
かわいいという概念の暴力性で、男たちは破壊されてしまうのだ。そう、心を……。
あの男性客も、抗えない。
目の前の彼女を蔑ろにするなんて、出来っこないのだから……。
「かわいい…。かわいいよぉ!!」
それはどちらに対して発された言葉なのか。
言葉の真意は不明だが、この小太りの客からの返答はスティアには好回答として映った。
「ですよねっ!かわいいですよね!!」
パァっと明るい顔を見せ、客側にグッと距離を縮めるスティア。
これも多分、無意識下での行動なので本当にあざといったらありゃしない。
━━━ここまでの内容で大体分かるだろうが、彼女もまた、オタクである。
それも、重度のニッチなジャンルのオタクなのだ。
「こほん。ティアちゃん。最後の仕上げがまだ残ってるわよ?」
と、ここまで比較的に静観を貫いてきたレンカは、ここで意味深な言葉を突然を挟んでくる。
「え、アレ…やるの?」
やけに身をよじり始めるスティアさん。
最後の仕上げとレンカは言ってるが、ラテアートが完成した今、何をしようというのだろうか。
「モチのロンよ!アレ込みでセット価格なんだから!さあ、見せてあげなさいティアちゃん!アナタの可愛さを!!」
「//////……!!!」
今世紀史上、稀に見る姿だった。
頬を赤らめたスティアの恥ずかしがり様は、上目遣いを凌駕していた。
破壊力バツグンだ。
(こ、こんなの……。かわいさの平手打ちじゃないか!)
叩かれる、痛い、かわいい、叩かれる、痛い、かわいい……。
その可愛さに、俺の脳内は思考を止めかけていた。
これを写真に収めて、全世界に配布すれば…。
世界から、戦争すらもなくなり、紛争の根絶に繋がるやもしれない…。
と、割と本気で、その時の俺は確信していた。
『ほ、本当にしないとダメ…?クロが代わりにしてくれたら嬉しいんだけど…』
『だめよ!ティアちゃんがするからこそ、至高で最高なんじゃない!!自信を持ってぶつけるのよ!!そして砕けるの!』
またもや、スティアがレンカになんか言われている。
ここまでの話の流れから気づいたが、昨日レンカから聞いた例のアレをさせるつもりなんだろう…。
客とレンカに見守られる中。
モジモジとしながら、一生懸命ポーズをとろうと試みるスティアさん。
まだ己の心が拒絶し、必死に抵抗を示しているようで、プルプルと震えている。
ぎこちない動作で、ポーズの起点となる胸の位置まで、ぎゅっと目を萎ませ、手を移動させていく。
ここでストップをかけてあげるのが、良い先輩としての後輩に対する本来の在り方なのかもしれない。
が、どうなるのかこの先を見てみたい…という探究心を止められない俺が、彼女を止めるなんて到底出来るはずがなかった。
なので、この際は俺も開き直ることにしよう。
━━━さあ見せてくれ、その恥じらいの先にあるものを!!
「それじゃあ、魔法の言葉。お願いしていいかなぁ?(ニチャァ)」
最初に言っておくと、これは決してお客さんに使う言葉ではない。
しかし、小太りの客は歯を剥き出しにし、気持ちの悪い微笑みをスティアに送っている。
向けられた当の本人ほどではないだろうが、それはとてつもなく不気味で、悪寒を感じてしまうくらい生理的に無理でした。
対してスティアは、客のキモさに一瞬だけビクつきはしたが…。
コクリ…と、首を縦に振るなり、例の魔法の言葉を震えつつも、たどたどしく唱え始める。
「お、おいしく…なぁれっ。かわいく…なぁれっ。も、萌え、萌え……きゅん。(ボソッ)」
あー、死人が出そう。
素直に、そう思えるほどの可愛さがそこにはあった。
一般的に見ても、可愛さとは良縁がないはずの、オークの描かれたラテアートコーヒー。
そこへ、スティアが勇気を振り絞った渾身の愛情が、フェードアウト気味に、今まさに注ぎ込まれた。
コーヒーに、ハート型でかざされた手は、ワナワナと小刻みに震え、目はウルウルと半泣き状態。
見てて少し可哀想に思えてくるが、可哀想は可愛い……という性癖を持つ方々には、即死レベルでドストライクなはずだ。
そんな性癖を拗らせた変態が例えば、今スティアが接客しているお客さんだったりするわけで…。
「ぁああぁぁああぁあぁあああぁああぁああぁあぁあぁああぁぁああぁあぁあ!!!心がぁ!心が壊れるぅうう!!これはぁ、死っ!!」
ブルブルと感電したかのように、身体を痙攣させ発狂する客。
彼は、遺言のような言葉を残し。その場にバタン…と、椅子ごと真後ろへと倒れ込んだ。
その異様な光景と断末魔は、その場に居合わせたオタク客たちの目を、耳を、釘付けにした。
「えっ!あの…。だ、大丈夫ですか?」
「━━━━━━。」
心配したスティアが倒れたままの客に声をかけるが、返答はおろかピクリとも動かない。
「ど、どうしよう…。あたし…」
戸惑うスティア。
顔を真っ青にし、困惑した彼女に後方から声がかかる。
「ティアちゃん、ちょっと替わるわね」
混乱するスティアを背後に下がらせた、先輩メイド。
彼女は、白目を剥く客の顔前にブンブンと手を横切らせてみたりした後、意識を失った客の首元にスッと手を当てた。
「━━━━━━みゃッ!!」
客に触れた彼女は、数秒遅れて反応を示す。
一瞬だけ、ハッ…っと思い詰めた表情を見せ、眉をひそめたのだ。
あと、踏まれた猫みたいな声も……。
その後、コクコクと一人で何かに納得したように、何度か頷くと…。
スッっと、突然立ち上がり、やけに重々しくも神妙な面持ちで口を開いた。
「えー、大変残念ですが。━━━ご主人さま……ご臨終です」
━━━あいつは、なにを言ってんの?
無表情。
そこには感情は、存在していなかった。
目は座り、口は平行を保ち、表情は……とてもリラックスしていた。
彼女は、まるで感情を失くしたかのようにして、その事実を淡泊に告げていたのだ。
「え、ご臨終って……え!?」
スティアは倒れた客と、無表情で立ち尽くした死んだ顔のレンカさんを交互に確認した。
いきなりそんなことを言われて、テンパっているスティアの姿は正しい。
おかしいのは、あのメイドなのだ…。
「ん?ええ、ご臨終は、ご臨終よ。きっと、ティアちゃんの可愛さにコロっと死んじゃったのね。まったく、幸せすぎる死に方よ。理想の死に方すぎて、今頃は天国で先立ったオタク仲間たちに自慢しまくってるんじゃないかしら?」
死因と、召された後のことを、ペラペラと語るレンカ。
人の心を失った発言には、物申したいが…。
そもそも、本当に彼は死んでいるのか?
彼に触れていないので、生死の確認を俺は出来ていない。
だが、若干一名。
彼女のテキトーな言葉が見事に、ぶっ刺さっている者がいた。
「あ、あたしが…殺しちゃったの…?ど、ど、ど、どど、どーしよぉ…!あたしもツェドみたいに捕まっちゃうんじゃ…!!!…あれ?ってことは、ツェドと刑務所で実質会えるってこと…?━━━きゃー!!どーしよぉぉお!!緊張してきたぁぁ!!!」
(━━━えーと、二人ともイカれてる?)
あの客の状況や、死因(本当にしんでるのかは別として)はともかく、人が気絶して動かないなら救急隊に連絡をするだとか、第一優先として他にやるべきことがあるだろ!?
さすがに彼女らの行動に見かね、痺れを来たした俺は、近くの無線連絡所へと緊急の連絡をかけようと走り出した……その時だった。
「すみませーん!!どなたかー!」
(え、レンカの声…?)
なんということでしょう。
さっきまでバカなことを言っていたレンカが、周りに助けを求めだしていたのだ…。
確かに、店に集まっている客や周辺の者達の中に医療従事等の関係者がいてもおかしくはない。
幸運にも、もし近くに医者がいた場合。
この機転により、最悪の結果だけは避けられるかもしれないのだ。
それに、この呼びかけで事の重大さを理解した善意ある者。
彼らの力を借りることで、様々な手段を用いて救急隊への連絡が可能になることも有り得る。
…ったく、レンカのやつ。
ちゃんと真面目な場面では、しっかりしてるじゃないか。
少し見直し…。
「どなたかー!ご主人さまの中にー!特殊清掃業者の方はいらっしゃいませんかー?」
「さっそく死体処理作業のステップに移行してんじゃねぇよ!?切り替えるな、片付けるなっ!!」
あ、しまった…。
あまりにトンチンカンな発言だったから、我慢できずにツッコんでしまった。
なるべくなら、直接関与したくなかったんだが……。
「ふぇ?この聞き覚えのあるキレッキレのツッコミ……。あ!ルシェじゃない!!」
「え、先輩!?あー!!ニクロフ先輩ぃぃ!!やっと来たぁぁ…!!」
(まあ、バレますよね…)
俺を見つけたスティアは、ようやく給仕業務から開放されると思ったのだろう。
涙目でその場に、ぺたんと座り込んでしまった。
後輩に意地悪をしてしまったようなものなので、その姿に何とも申し訳なさを覚える。
そこまで別に隠れていた訳では無いし、見つかっても正直構いはしなかった。
ただ、見つかったら見つかったで、面倒な事をさせられそうだったので気配を消していただけだ。
しかし、的外れすぎる彼女の呼びかけには、些か黙っていられなかったわけで…。
「え、人が死んだのか…?」
「ティアラちゃんに殺されるなら。ぼ、ぼかぁ、幸せだけどなぁ」
「次はワイの番やな。ほな、逝きますか」
「うん?メルさん、レンカちゃんが何か言ってるけど大丈夫かしら?」
「んー?ルシェが戻ってきたんなら大丈夫だろー。なんたって、お兄ちゃんなんだからなー。ほい、軽食のサンドイッチ」
カフェスペースの至るところで、ガヤガヤと騒がしくなる。
興味、無関心、疑念、楽観、恐怖。
声の種類は様々だが、この状況に不安を感じている声も少なくはない。
レンカの騒ぎ立てで、いよいよ事件感が強まってくる中…。
「ご安心ください、ご主人さま方!もう大丈夫です!ここに、どんな名医も、思わずメスを投げ捨て、妬み呪うであろう技術を持った先生がお越しになりました!」
「━━━は?…おま、それって…!」
「先生……いいえ、ドクター!……よろしくお願いします!」
よろしくお願いされた。
……巻き込まれた。やっぱり巻き込まれた!
彼女に指名された俺は、周囲の視線を集め、一躍注目の的になってしまっていた。
しかし、レンカはここで…。
ここで、死んでしまった客に使え…と、そう言っているのだ。
俺の持つ、蘇生の力を…。
『バカッ!こんな大勢の前で出来るわけないだろ!死を無かったことにするなんて。そんな行為が可能だなんて、世間に公になってみろ!必ずどこかで、悪意が生まれる!間違いなく。絶対にだ!この能力が悪用されたら、とんでもないことになるって、一度死んで生き返ったお前には分かるだろ?』
レンカにしか聞こえない距離まで、俺は彼女に近づくと、力の濫用による弊害の危険性を伝えた。
人には、永遠を手に入れたいと願う者の方が圧倒的に多い。
永遠といっても、時間や物、友好関係、景色など多岐にわたる。
その中でも人間は、古来より、ある永遠を求めた。それは……。
━━━永遠の命。
それを叶えるには、現実的に考えるならば、老いを招く細胞の劣化が深く関わっている。
寿命で亡くなる場合、ほとんどが老衰ということにはなる。
呼吸器官や内臓機能が年齢により弱まり、十分な身体の維持が出来なくなったり、免疫力の低下による感染症や、身体の不調で病死…ということも別段珍しいことではない。
つまり、人間は寿命で亡くなることすらも、通常生活においては非常に困難だと言える。
しかし、死という概念を仮に…。
肉体から、排除することが叶うとしたら?
それが実現するのなら、事故や病死で亡くなることはなくなる。
死を克服した後は、老いの問題…ということにはなるのだが。
こと老化に関しては、すでに半ば……人類は攻略済みだった。
━━━とある場所に、星の名を冠する者たちが住まう、空中都市があった。
そこには、若返りの霊薬…という薬液が満たされた水瓶が存在する。
ゆえに、空中都市で暮らす彼らは、霊薬を摂取し続ける限り、半永久的な不老の賢者達であり、俗世から離れた天人でもあった。
そこは簡単に辿り着ける場所でもなく、仮に辿り着けたとしても…。
生きて霊薬を身に浴びることすらも、叶えられないだろう。
それでも、確かにそこには存在する。
それでも、この世界に不老の力は存在していた。
存在するのなら……。手に入れられる機会は、幾らでもあるのだ。
老いて辿り着いても構わない、霊薬で若返れば良いのだから。
死ぬ前に手に入りさえすれば、そこで人類は永遠になる…。
これは、人類の希望ある悪意に、これ以上染めてはならない力。
俺は数年間、これを使ってきた。
出来るだけ人目を避けて使うようにしてきた。
時には姿を偽り、時には悪意に加担してしまったとしても。
最小限の範囲に、能力の行使は絞ってきたつもりだった。
だけど…。だけれども……。
彼女は、俺に使えと訴えかけてくるのだ。
だが、彼女にも。
彼女の考える理由があった。
『分かってないのはルシェの方よ!』
『なんだって?』
『もし、このままルシェが助けてくれなかったら、どうなると思う?お客さんの死因は分からないけど、わたしでも、これからの結末くらいならわかるわ。ねぇ、ルシェ。……ティアちゃんを、人殺しにさせるつもり?』
『━━━━━━。』
レンカの言いたいことは、なにも間違っていない。
彼女が予想した結末も、なにも間違えていないだろう。
これが何らかのトラブルが重なって生まれた偶然の事故だったとしても、最後の引き金を弾いたのは間違いなくスティアだった。
彼女は、ただ一生懸命に接客をしただけ。
それが、レンカに無理やりさせられたことだったとしても。
世間がこれをどう見るのかは、一目瞭然だった。
選択を迫られている。
自らを未だ見ぬ危険に身を晒すことと、後輩の人生。
その二つを天秤にかける……。
━━━必要もないよな……。
「やるよ。……レンカ、少し離れていてくれるか」
選択なんてなかった。
初めから一択だったのだ。
自分の身は、危険になってから自分で守ればいい。
けれど、スティアは……。
━━━俺の後輩は、いましか救えない。
「ええ、頼んだわよ。ドクター」
レンカは決め顔で、サムズアップする。
それは俺を信頼してのジェスチャーかどうかは知らないが、少しイラっとした。
空気を読まない行動は彼女の十八番だが、その表情どうかならない?
だがまあ、ここは頼まれるとしよう。
「うるさい、誰がドクターだ…」
彼女への悪態をつくと、俺は男性客の体に触れる。
触れた手から脳へ。
能力を通して、情報が伝達される感覚を味わう。
そしてここで、ようやく初めて。
彼が、本当に死んでいることを理解する。
(━━━まさか、ホントに亡くなってるなんてな……。だけど、まだ間に合う…!)
幸いなことに、条件は満たしていた。
遅れたとはいえ、第一発動の条件内ではあったことは僥倖だろう。
彼の様子を見たところ遺体に外傷はなく、死因も内面的なもの…らしい。
今回の最終的な殺害者としては、有力な候補はスティア…。
ならば、手遅れになる前…。
第二発動条件前に、蘇生をさせてしまおう。
「条件は整っているな…。じゃあ、始めよう」
遺体の中心から現れる黒点。
それは、徐々に…。
拡がりゆく枝のように、細く、細く。
網状的な腕を、四方へと伸ばす。
彼から発せられる死の匂い。
香りに引き寄せられた、黒く禍々しい霧状の闇。
小太りな男性客は、すっぽりと闇に喰らわれるようにして、瞬く間に霧の中へと包まれる。
準備完了…とばかりに、躍動する濃霧共に、俺は名を与えた。
『さあ、この世界に戻ってこい。死喰らい』
できるだけ。
最低限に声を抑えて、その名を口にする。
告げられた名に嬉しがる闇。
尻尾を振り回す犬ように、死を喰らう猛犬はブンブンと霧を拡散させ。
大気へと、一目散に四散する。
空気中へ散った霧は、一点に収集され。集まり、固まり、再び形を帯びていく。
やがて球状へと凝縮され、どろりと球体の膜が溶け落ちた。
それは、チョコレートのようにドロドロと…。
崩れ、溶け流れた球体の中からは、足を抱えて背を丸めた、小太りの客が現れたのだった。
「成功だ…」
「「うぉぉぉぉぉおおおお!!!」」
「━━━━はい?」
蘇生が終わると同時に、謎の歓声が沸いた。
周囲の客や、通りがかった人々からも、一斉に拍手が打たれている。
巻き起こったそれに理解できないでいると、歩み寄ってきたレンカが俺の耳元でボソッと呟いた。
『初めて見たけど、すごいわね。ルシェの能力!わたしもあんな風に生き返ったのね~。……あっ、でも主人公は、わたしだから!』
『はいはい。お褒めにあずかり光栄だよ…。でも、どうすんだよ…あれ。なんかさっきよりも騒ぎが…』
『大丈夫よ!あれでしょ?ルシェのしたことが、蘇生能力ってことがバレなきゃいいんでしょ?なら、任せなさいよ』
ぱちんっと、ウインクをして自信満々な表情で、耳元から離れるメイド。
今のウインクは可愛かったが、その胸に抱いたであろう過剰な自信は恐ろしかった。
(なにか、あいつ…。絶対やらかすな……)
てこてこっと、眠ったままの男性客の傍に駆け寄ったレンカ。
彼女は彼の首元に再び手を当てると、目を見開きオーバーなリアクションで、声でかでかと発言する。
「先生!!手術は無事に成功です!!ほぼ瀕死の危篤状態だったご主人さまを、華麗な手刀捌きで高速オペをされるとは…。あまりに早すぎて、わたしじゃなきゃ見逃してましたよ!さすがドクター!命を救う分野では、あなたの右に出る能力者はいませんねー!!」
「━━━え?あ、ああうん。そうだね。また尊い命を一つ救ってしまったよ。はっはっはっは…」
とりあえず、流されるままに機転を効かせたレンカの寸劇に乗ってはみたが…。
「す、すげーよ!あの外科医!!いや、内科医なのか?分かんねーけど!www」
「手刀…?メスじゃなくて手で手術をしたの!?ちょっと衛生面は気になるけど、スゴすぎじゃないあの人!ねぇ!あの店行ってみようよ!」
「死んだーなんて聞いた時はビックリしたけどよ、これもパフォーマンス的な演出だったりするんじゃね?これが無料ってま?ドリンク付きで、こんなん見れるのコスパ最強すぎんか?」
「拙者には見えたでござるよ。ううむ、あの領域にまで達するのは至難の業であろう。一太刀の一線が幾重にも連なって見えたでござるが……おや?いやはや、見えておったのは拙者と、ひめ殿!のみであったか!やはり我らは、互いに結ばれる運命の…!!」
という感じに、想像以上に反響は大きかったらしい。
各々の解釈で、なんか上手く勘違いしてくれているみたいで、俺としては正直助かったけども。
「あ、気がついたか」
「う、うーん。えーと…何が起こって…」
意識を取り戻した男性客は、のっそりと身体を起こして右へ左へと見渡し、状況の把握に努める。
その視界へ、やさしく微笑む彼女がひょこっと映りこんだ。
「ひめちゃん…僕は…」
いまだ何が起きたのか理解できていない客は、レンカに回答を求めた。
その問いに笑顔で返す彼女は、目線を客に合わせるようにしゃがみこむと落ち着いた口調で語りだした。
「いいですか、まずは落ち着いてください。焦ることはありません。お目覚めになってすぐですが、ご主人さまにお話があります。いいですか?」
「え、あ、うん…」
目覚めた直後で、受け答えが不安定だが、客は彼女へ頷きながら言葉を返す。
客の反応に、レンカも穏やかな表情で頷き返した。
ここまでは、天使だった。
ここまでは、俺も経験したことがあるシチュエーション。
問題は、この先だ。
あのクロガネ・レンカが。
あの問題児が、清楚のまま。ここで、こんなところで、終わるはずがなかった。
「ご主人様は許容量を超えた尊さを過剰摂取しました。ええ、ええ、分かっています。その後どうなったか?身に余る尊さを浴びたご主人さまは……。━━━一度死んで蘇りました。つまり死に戻りを、したんです…」
「━━━!?(呼吸が荒くなり、胸部の苦痛を訴える)」
「あぁ!どうか暴れないで、暴れないでください!大丈夫、落ち着いて、落ち着いて、そう、大丈夫です、大丈夫…」
━━━なにやってんだろ、あの人。
あえて彼を刺激するようなことを言うのは、もっとも悪手だと思うが…。
死んだ側の気持ちも、ちゃんと考えてほしいものだ。
レンカに介抱され、落ち着きを取り戻した客は虚ろな目をしていた。
ショックというよりも、現実味がない……といった表情だ。
「し、死んだのに生き返ったってことは本当だとして、僕の死因はなんだったの……?」
「尊死です」
彼女の回答は早かった。
客が質問を問いかけ終わる前に、食い気味で先んじて回答を述べたレンカ。
どう聞いても、それは答えというには無理がありそうな、頭のおかしな返答だけど…。
実際に亡くなってたわけだから、完全に否定はできない…。
死因までは、さすがに俺でも分からないし…。
「━━━トートシ?それはどんな…」
「ティアちゃ…。んじゃなくて。ティアラちゃんにガチ恋してしまったご主人さまは、魔法の言葉に込められた、デカすぎる愛情を尊いと感じてしまったんです。時に愛情は麻薬よりも甘い依存性と、刺激を含みますから仕方ないですね…。だから!尊さのあまりに死んだのです!この幸せすぎる死に方を一部の界隈では、尊死と呼びます…。覚えて帰ってくださいね!」
「と、尊くて死んだ…?」
あまりにもバカげた死に方をしたと気づき、客は困惑の色を見せる。
説明した本人だけは、なぜか得意げで満足気なんだよなぁ…。
「クロ、あたしの…」
レンカ看護師から診察を受けていた客の元へ、様子が気になってさっきから落ち着きがなかったスティアさんが訪れた。
男性客の状態を伺いながら、口を開いた後輩だったが……。
「ダメよティアちゃん!!あ!ご主人さまも今はティアちゃんを直視してはいけませんよ!病み上がりならぬ、死に上がりなんだから!見たら、またティアちゃんの可愛さで死んじゃいます!!それでも可愛いティアちゃんを見たいなら、せめて寄り目での面会にしてください!リハビリ用にティアちゃんとのチェキも、処方箋で出しておきますから!それで尊さに耐えられる体づくりに励んでくださいね!お大事に!」
まくし立てるように喋り、処方箋まで用意しようとしている薬剤師レンカさん。
言ってることは聞き取れたが、内容は処方箋のくだりしか理解は出来ていなかった。
頭に入らないのではなく、入れたくないというか…。
入れたら、頭を悩ませる内容というか…。
「しゃ、写真も撮るの!?あたし写真映り悪いんだよぉ…」
スティアが、へにゃっと、表情を歪ませる中。
処方箋作りに熱心な薬剤師さんは、どこから取り出したのか一台のインスタントカメラを手に持って、ウキウキと心を弾ましておられる。
「ティアちゃん。これは今後、ご主人さまが帰ってきた時に、致死量のティアちゃんを見ても死なないようになってもらうためなのよ!これは人肌脱がないといけないことなの!……頼んだわ!」
「ぬ、脱ぐ!?ティアラちゃんが脱ぐの!?でゅ、でゅふふふ!あー、また尊死しちゃうかも…」
「脱ぎませんからっっっ!!!」
しっちゃかめっちゃかな、話の状況になってきた。
しかし、ひとまず事件というか、事故というか、微妙な騒動は解決した。
それにしても、致死量のスティアって……何なんだよ。
「ティアラ嬢の尊死…。ゴクリ…。と、当方も味わってみたいであります…!」
「わ、ワイも、ワイも体験してみたいわぁ!本当に死んでも、あのドクター尊死っちゅうんが蘇らせてくるんやったら何も心配ないしな!」
「お、俺も!」「ワタシもお願いするわ!!」「拙者にもよろしいか!」
死ぬほどの可愛さ、幸福さとは一体どんな感覚なのか。
かつて誰も体験したことがない世界は、彼らオタク達を惹き付け、焚き付けた。
これを尊さとは言っているが、自発的に味わいたいと申請する彼らは、要するに死へと志願しているようなものなんだが…。
その自分から死を求める光景は、自殺志願者を客観視しているようで、気分が良いものでは無かった。
━━━ん?ちなみにそれって、誰が蘇生させるんだ…?……俺か?
まてまてまて、俺しかいないじゃん!俺しかできないじゃん!?
死ぬ度に俺が蘇生させることになるなら、断固としてお断りだ!
あと一部で、俺の事をドクター尊死…とか言い出してない?
お願いだから、変なあだ名つけないで下さいね。
いや、ほんと、頼むから……。
「…はい、オーク!」
「と、撮れた?もういい?あたし、もうメイド服脱いでもいい?」
気が抜ける撮影の掛け声と、脱メイドを一早くしたがる可哀そうな声。
例の写真撮影会が、すでに始まっているらしい。
「うーん、また目瞑ってるのよ。ティアちゃーん!おめ目をカッ!っと見開いててくれる~?もう一回撮るから~!」
ぱたぱた手を振って、カメラのレンズを覗き込むレンカさん。
『ふぅ…』っと、ため息をつくスティアは八の字の眉で小さくぼやく。
「また撮り直しぃ…?━━━ご、ごめんなさい、ご主人さまぁ…。もう一回ポーズして貰えますか?」
「うんうんうん、何度だって構わないよ!(はすはすはす……あー、こんなに近くにくっついてるとティアラちゃんの柑橘系っぽい落ち着く甘い香りが鼻腔をくすぐるぅうう!!せっかく近付いてるからしっかりティアラちゃんを見たいけど、直視したらまた尊死しちゃうよぉおおお。はすはすはす……寄り目じゃなきゃ、今頃死んでるよ…僕ぅ…)」
気持ち悪い……おっと失礼。
鼻の穴を大きく広げ、ちょこんっと隣に立つ、少女の香りを楽しむ変態。
吸っては吐き、吸っては吐きという一連の動作を、いやらしく何度も繰り返す。
直視できない分、どうやら匂いで快感を得ているらしい。……ホント気持ち悪い。
気持ち悪さに俺が身を震わせる中、スティアに呼ばれた。
「こ、このご主人さま…。こ、心の声出てますけど…。せ、せんぱぁーい…。この吹き出しなんなんです??」
「吹き出し?」
彼女に言われて客の頭上に視線を向ける。
すると、スティアと写真撮影会中の客の頭部上からは、何かが出ていた。
先程まではなかったモクモクとした、それこそ絵でよく見る吹き出しのようなもの。
現れたその枠内には、心の声…なのだろうか?
気持ち悪い文章が、ツラツラと書き綴られていた。
「うーん、その人の神の加護なんじゃないか?心の声を文章として具現化させる…みたいな」
変わったもの、人とは違うもの。
こういう現象や特徴が見られた場合、大体は神の加護だ。
それらと共に暮らしている俺たちにとっては、それは別に忌避するものでも、おかしなことでもなかった。
その人の体質、個性、魅力。
持って生まれたアイデンティティに過ぎないのだから。
「た、大変そうですね…。主に日常生活において…」
それについては同意するが、さっきまで吹き出しは出ていなかった。
なので多分、出し入れの制御は出来るのだろう。
今は、単に…。
スティアに興奮して、彼の制御下から離れてしまっているだけなんだろうけど…。
「よそ見してないでいくわよー!はい、オーク!……うん。半目だけど全閉じよりはマシよね。……何この吹き出し。ちょうどいいわね、ここにラクガキしてっと…。はい!おっけいよ!じゃあ、ルシェ。この写真ご主人さまに渡しといて」
「え、ああ、はい…」
ほいっと、写真をレンカから受け取る。
受け取ってしまったが……いい顔してるな、この写真。
半目でサムズアップする、口角が片方だけ引き上がったティアラ嬢。
薄目でカメラ…ではなく、横のメイドをチラ見して、手で片翼のハートを作る笑顔の客。
見たら死ぬとあれだけ忠告されても、スティアをしっかり見てるな…。
薄目なら大丈夫とは、レンカが言ってた気がするけどさ。
それだけ彼女は、客の心を掴んだのだろう。
(みんなの笑顔や幸せのために……か)
あの時、レンカが語った言葉を思い出した。
メイド喫茶を作りたかった理由。
作り上げようとしている環境。
生まれていく交流。
そして、心を豊かにする幸せの魔法。
彼女が目指したものは、案外…。いや、もっと近くに…。
「(あ り が と ♡)……か。変に媚びてない感じが、またレンカらしいな…」
「次のご主人さま~!」
「クロぉ!?次ってなに!?あたし、テーマパークのマスコットキャラクターとかじゃないんだけど!もう聖火台に行かないと、間に合わなくなるよ!」
━━━そうだった。
スティアに言われるまで、すっかり忘れていたが開会式は10:00からだった。ちなみに今の時刻は…。
「おい!あと10分で開会式が始まるぞ!早く着替えて聖火台に向かわないと!」
遅刻間近でした。
「10分!?ギリッギリの時間じゃないですか!すぐに着替えます!ほら、クロも早く行こー!」
時間を聞いたスティアは「おいでー」っと、まるでペットを連れて行くかのように両腕を差し出して呼びかけている。
しかし、ペット扱いされているレンカさんは……。
「次のご主人さまですね!すぐに、ご案内します!チェキを希望されるご主人さまは、順番に仲良く並んでくださーい!けんかしたらチェキ撮ってあげませんよ~!」
「「はーーーーーい!!」」
「「━━━━━━━━━。」」
いつの間にか、交通整理をしている工事現場の人にも引け劣らない手腕で、待機列を形成させていた。
スティアの声も空しく、次の写真撮影待ちの客を通し始めてもいる。
仕事熱心でウチとして助かるよ。助かるんだけどさ……。
(時間がねぇって言ってるでしょーが!!)
今のあいつは、オタクを笑顔にするために接客しているんじゃない。
化粧品欲しさに働いてるだけの、物欲にまみれたメイドだった。
「クーロ~!!行かないんだったら、あたし先に行っちゃうよ~?」
「「 えー、行かないでー! 」」
「「━━━━━━━━━。」」
野太い声に混じる、可憐な声。
口角を落とし、瞳を潤ませ、しゅん…とした表情。
レンカと群がるオタクたちは、みな一様に同じ態度をとると、スティアに寂しげな視線を送った。
「なんっで、ご主人さま達に混ざって、クロもそっち側であたしを呼び止めるの!?開会式は毎回演出が変わるから見て後悔しないよ!」
スティアのキレッキレなツッコミ……。
━━━━━悪くないな。
「うーん、わたしが行きたくなるような誘い方してくれたら行く」
(( なんか無茶苦茶なこと言い出した!? ))
「え?あぅ……。あ!花火も上がるよ!おっきいやつ!昼間だけど聖火を使うから綺麗に見えるんだよ!」
レンカの無茶ぶりに動じながらも、精いっぱい開会式の良さをアピールするスティアさん。
なんだこの、プレゼンは……。
彼女はスティアから聞かされた光景を想像しているのか、『ふーん、へぇー、ほぇー』なんて言いながら考え込んでいる。
まあ、レンカのことだから好奇心に負けてすぐに……。
「もう一声」
(( もう一声!? ))
彼女は落ちなかった。
その言葉は、これで陥落するとまで思っていた俺たちに、予想外の衝撃を与える。
た、戦えるのか…?彼女に……?
手札は出し切った…という顔をしていた後輩は、額に汗を滲ませる。
瞳はレンカを見つめ……てないな!?
あれ?なんかぐるぐるしてない!?正気失いかけてない!?
彼女は思考を放棄しかけていた。
今の彼女には、致命的に幸福が足りていなかったのだ。
ぷっくりとした彼女の唇がパクパクと震え始めたところで、苦し紛れの言葉が口から漏れ出た。
「むぇえ!?うぅ……ん。━━━美味しいご飯が……た、タクサン…アルヨ…?」
「乗った!!わたしも同行しよーう!!」
「「 結局食い意地!? 」」
片言な言葉で、絞り出した提案。
美味しいご飯というフレーズが、彼女をメイドモードから退勤させる。
「パパス~!マミ~!ルシェとティアちゃんの三人で開会式見に行ってくるのよ~!」
もうエプロンを外し始めているレンカさんは、むふーっと頬をほころばせながらウチの両親に手を振る。
彼女の頭の中は、きっと食べ物のことでいっぱいなのだろう。
あんなにも、表情筋が仕事してないからな…。
「ああ、行っておいでー!店はお父さんとバイトちゃんで回しておくからー!ルシェー!二人が変なやつに絡まれないように守ってやれよ~!それとレンカちゃんのバイト代は家で渡すよ~!スティアちゃんは帰りに寄ってくれ~!バイト代渡すから~!」
父は、フライ返し片手に手を振り、大きな声で伝えてくる。
それに対して、俺は軽く手を上げて返答。
スティアは、つま先を揃えて、深くお辞儀をする。
彼女の佇まいは、なんというか絵になるよな……うん。
で、レンカさんは……。
「ありがとーパパ―ス!安心してー!ルシェは、わたしが守るのよ~!」
なんか、ズレたことを言っている。
父の言った二人は、俺とスティアじゃないと思うが…。
予想と違う答えに父は眉を動かすが、優しく手を振り返し笑っていた。
「三人とも気をつけるのよ~。幻燈祭の間は、街並みが変わって見えるから迷子にならないようにね~?」
ふわふわとした口調で見送る母。
スティアは会釈をし、レンカは元気いっぱいに大手を振って応える。
「はーい!行ってくるわー!!それじゃあ、ティアちゃん行こ?」
「そうね」
父と母にレンカは手を振りながら、エプロン片手にスティアの手を引き。
そのまま、颯爽と、テント裏へと移動したのだった。
「━━━行ってしまったであります…。しかし、幻燈祭でも、ひめさまに接客してもらえるとは僥倖でありましたね…」
「そうだな、ひめさまは今日も可愛かったよ…。ティアラちゃんっていう新人の子も最高だったし」
「でゅふふふ、ぜひとも同士の皆さんにもティアラちゃんの尊死を味わってもらいたいよ。あー!忘れられない…あの感覚!!」
「確か、あのドクター尊死はカフェの常勤店員さんだったはずやで。せやから、死んでも手術で何とかしてくれるんやないか?」
「なんと!では、死に戻り放題というわけでござるな!?ううむ、これは来たるティアラ殿の次なる出勤日まで、拙者の魂が興奮でそそり立ち上がってしまうやもしれんな!」
なんか不穏な会話しているな!あのオタクたち!!
手術と称して能力を酷使される嫌な未来しか見えないので、ほとぼり冷めるまで当分は休みをもらおうかな…。
うん、そうしよう。休職しよう。ニートしよう。
「おまたせー!!着替えて来たわよーう!」
「ん……早くない!?」
テント裏から戻って来た彼女らは、朝着ていた服に装いを戻しているが……それにしても早いよ!!
早着替えの特技でもあるのかよ!?
時間がないし早いのはありがたいけども!!さすがに早すぎないか!?
女子は、お色直しとかで、色々と時間が掛かるものと思ってたけど…。
レンカは、先日の俺との街散策で購入した、オフショルダーの春物ファッションコーデ。
一方スティアは、ホワイトカラーのリネン生地フリルワンピース。
ボトムスは、黒のフロントタックパンツ。
その上から、薄手のグレー色チェスターコートを羽織っており、少し大人っぽい春風漂うレイヤーコーデとなっていた。
━━━あれ、スティアの服……朝と違くないか?
「ティアちゃんの服、ボタン留めるタイプの服だったでしょ?だから時間かかるーって言ってたから、マミーの服借りてきたのよ!」
━━━は?
「いやいや、なにやってんの!?」
「すっぽり着れるワンピースだったらすぐに出発できるからね!もちろん私は日々コスプレしてますから、ボタンものなんて関係なく早や着替えは得意なんだなぁ~これが」
「いや、お前のコスプレ事情は知らんけど!!」
むふーっと自慢げに胸を張るレンカ。
彼女はともかく、スティアの服装が朝と違ったのはそういうことらしい。
スティアの普段の服装傾向は、真面目な優等生コーデ。
もしくは、地雷系……って言ったら、怒らせそうだが。
そんな印象を抱かせる装いだった。
お嬢様ではあるが、お嬢様らしい服を着ているところは、そういえば見たことがない。
ドレスとか、着たりすることもあるのだろうか……?
と、話がずれてしまったが。
彼女は、自然とボタンをかけるブラウスのようなトップスを着用する機会が多いのだろう。
だがしかし。問題はそこじゃないだろ。
「どーすんだよ!母さんの服勝手に着てっちゃって!母さん着替える時、困るよ?きっと!」
「だいじょーぶよ。マミーには許可をもらってるわ!」
「本当かよ…」
自信を持って断言したレンカは、注文をとってカウンターに戻る最中の母に対し、遠くから親指を立て、ばちこーん☆…っとウインクを送る。
とつぜん、ばちこんされた母。
母は、レンカと服装に既視感あるスティアを順番に見て、不思議そうな顔と共に首を傾げた。
「━━━━ほらね?」
「本当かよ!?」
無許可であることは間違いないと確信はできた。
だけど、今から着替えなおす時間はない。
だって、あと3分だからね!
「すみません先輩。ですが、開会式が終わってから着替えに戻れば問題はないかと。今は、ひとまず急ぎましょう。クロにとっての初めての幻燈祭。そのスタートはしっかり良い思い出として刻んでほしいので」
後輩は新しくできた友人を想い、そう語る。
ここは先輩としても、しっかり支えていきたい…。
「スティア…。ああ、もう仕方ねぇな、わかったよ!!もし怒られたらみんなで一緒に謝る。…それでいいな?」
「はい。構いません」
「なになに?なんの話?それより急がなきゃよ!もうあんなに人がギチギチに聖火台広場って所に集まってるわ!!それも集合体恐怖症の人が見たら吐いちゃうくらいに!!」
焦るレンカさんが言う通り、既にパーク内は人でごった返していた。
いや、そもそも時間をロスった原因は、全部このコスプレメイド。ひめちゃんなんだけど!?
「やっぱり人の流れがほとんど止まってるな…。あ、そうだ。とりあえず、はいこれ」
あることを思い出した俺は、彼女に一つの紙袋を差し出す。
「むぇえ!?な、なんですかこれ?」
「さっき出店で、クレープたい焼き売ってたから買っといた。スティア、たい焼き好きだったろ?レンカに巻き込まれて疲れてるんじゃないかと思って、甘いものをな。……ああ、ちなみに中身はアップルあんみつだぞ」
彼女は甘いものが好きだった。
中でも、この手のスイーツには目がないと、俺は記憶している。
「な、なんでこの状況で…。まあ、好きですけど…たい焼き。はむっ…………おいしいです…(ボソッ)」
文句を言いながらも、美味しそうに頬張る。
レンカとはまた違う、気持ちの良い食べっぷりだった。
ちょっと小動物みたいな食べ方するんだよな~スティアって。
「そうか、お気に召してもらえたようで良かったよ」
こんな顔されたんじゃ、買ってきたコッチまで嬉しくなってしまう。
だがまあ、この状況に納得しないよなぁ……彼女は。
「ちょっとまって!!のんきにたい焼き食べてる場合じゃなくない!?……たい焼きって、こっちにもあるのねぇ……。じゃなかった!!ルーシェー!!わたしの分はどーしたのよ!?」
レンカは激怒した。
わかってはいた。こうなることは…。
でも、こいつは……。
「お前はスティアをさらった犯人だろ。そんな悪い誘拐犯にはあげられません」
後輩を無理やり誘拐した凶悪犯だ。
それを見逃して止めなかった俺も……同罪ですが。
「なーんーでーよぉー!!あぁ……たい焼きぃ…」
へにゃぁ…っと力が抜けたようにぐったりする彼女。
この人は食い意地が張ってるだけなので、後で店に連れて行けば元通りに復活するだろう。
なので、今は…。
「スティア……頼めるか?」
「はむ……はむ……んん。……ん、そういうことだろうとは思いましたよ。先輩が貢いでくるときは決まってお願い事をしてくるときですから」
ぺろっと、あんこの付いた唇を舌で舐めとる。
その仕草にドキッとしてしまうが、今は心を揺らしている場合ではない。
ここでは彼女の力が必要だ。
おそらく今ので、最低限の補充は出来たはずだ。
俺の要望に対して、スティアは軽いため息を吐きながらも、くすっと微笑んだ。
「ふぅ、なんか懐柔されてるようで気分は乗りませんけど、幸福度は上がりました。…先輩、後でしっかり足りない分の代償は、戴きますからね」
指に付いた蜜をちゅるっと、舌に運び。俺の顔を見て承諾を取る後輩。
その目には、凛とした眼光が戻ってきていた。
「ああ!頼んだぞ、スティア!」
「はい、取引成立……ですね」
言質を取った彼女は、たい焼きの空袋を俺に預けると紅く瞳の色を変える。
掌を自分の胸へと添え。
瞼に、すぅーっと幕を降ろす。
それを皮切りに、ぴりっと空気が振動する。
スティアの周囲に、彼女を中心とした、うねりを伴う特殊な風域を生み出す。
生まれた風域の地表。
駆け巡るのは、どこからともなく現れた紫色のイナズマ。
バチッと、鋭い音を全方へと掻き鳴らし、踊るように駆け回る。
輪を描くように、しだいにそれは、ひとつながりの正円へと変化した。
足元の風域。
ここからの上昇風によって、彼女の髪の毛がふわりとなびき始めるのが召喚の合図だった。
「━━━あなたに決めた…。来て!≪迅雷纏いし双頭≫!」
少女は彼の名を告げた。
瞼をパッと開眼し、紅く澄んだ瞳から色素が抜ける。
深紅からアイリスへ。
脱色されるように色を失う瞳と、少女の胸元から、彼女の手を押しのけて溢れ出る何か。
「みゃっ!ティアちゃんの体から何か出て来たわ!あれは……わんこ?」
にゅっと、スティアの体から這い出てきた大きな双頭の獣。
そいつはバチバチと身体から放電をしながら、少女の胸より全身を露わにする。
獣は、ドスンっと地面に降り立つと、俺たちを見下ろす形で座り込んだ。
「な、なにあれーー!?」
「おい、あれって、魔物じゃないか!?」
「また演出の一環だろ?さっきのドクターも一緒だし」
カフェの方では少々ざわつく声もあるが、さっきの蘇生があった為か、これもショーか何かだと思われているようだ。
聞き捨てならない発言が、一部で聞こえはしたが…。
「あ、頭が二つあるわ。これ…魔物?それともティアちゃんの飼い犬なの?」
まんまるとした目で、召喚された双頭の獣を凝視するレンカ。
スティアは彼女の驚いた顔に、くすっと微笑み一瞥する。
彼女は、ぴょいっと、獣の背中に飛び乗ると、俺に声をかけた。
「さ、先輩。乗ったら振り落とされないようにクロのことをお願いしますね。飛ばしますので、くれぐれも飛ばされないように、先輩もせいぜい気をつけて下さい」
「了解。…ってちょい待て!レンカには補足事項付けといて俺にはその扱いってなんで!?急な塩対応やめろぉ!!……まあ、慣れてはいるけどもさぁ…。ほい、てことで背中に乗らせてもらうぞレンカ」
雑な扱いにもめげずに、俺は獣に手を掛ける。
声をかけたレンカからは、反応がないが……。
「パチパチ……いいえ、バチバチ~ってヤバめな音がしてるけど乗って平気なの!?感電したりしないわよね!?ティアちゃんだけ雷耐性持ちだったりしないのよね!?」
ビビるレンカさんは、入念にスティアへ確認を行う。
「安心して、あたしの使い魔たちはみんないい子だから。そんなことしないよね、オルト?」
「バッシャ――――――ン!!」
耳をつんざくような悲鳴……いや鳴き声?
これには俺も身体を震わせてしまう。
黒板の引っかき音よりは、マシな気がするけれど。
「━━━ず、ずいぶん個性的な鳴き声ね……あはは…。━━━━ていうか、いま使い魔って言った?え、魔物?ワンちゃんじゃなくて?」
レンカの引き攣り笑いが、彼女の抱える現在の感情すべてを物語っていた。
見た目は確実に魔物だし、実際中身も魔物だからな…。
正直、気持ちは分からんでもない。
ただの犬ではなく、魔物だと知って何か言ってるし……。
「よっと……!昨日はレンカに見せなかったのか?色々あったそうだけど」
スティアが召喚した使い魔によじ登った俺は、彼女に尋ねた。
「はい、今日が初見です。初対面の初日で友人に、この子達を見せていくほど冒険心あるチャレンジャーではないので、あたし」
それはそうだろうな…。
これを見せて初見でビビらない人なんて限られるもんなぁ…。
「だ、だよな。……おーい、レンカも早く乗ってくれ。この魔物はスティアの神の加護で手なずけられた安全な魔物だから、レンカを取って食ったりも感電死させたりもしないからなー。初めは怖いかもしれないけど、大丈夫だからー」
一応、彼女が知りたがっていた情報も、補足説明として伝えてみる。
だがしかし、怯えるレンカの姿には少し意外だった。
ウォンカとも仲良くなってしまっていた彼女だ。
スティアの魔物にも懐くだろうと思っていたが、この威圧感は…怖いよな…。
「こ、怖くなんかないわよ!でも、そのぉ…やっぱり今回は遠慮して……」
「バッシャ――――――ン!!」
弱気になるレンカさんだったが、ここで一番に痺れを切らしたのは彼であった。
そう、怖がられている本人です。
「うわあぁ!なに?なんでわたし浮いて……って、咥えられてるぅ!?」
躊躇して一向に乗らない、逃げ腰のレンカさん。
彼女にじれったさを感じたためか、雷の使い魔犬オルトロスは、彼女の身体をパクっと咥えて移動準備に入る。
「ルシェー!!パクーッってぇ!パクーッって、わたしぃ咥えられたんですけど!?これほとんど食べられてなーい!?」
脚を、ぷらぷらさせての宙づり状態。
レンカさんはパクっと、上顎と下顎に挟まれ、もがいていた。
いや、あれは宙には浮いてないか……食われてるし。
ところで……。
「━━━スティア、これで行くのか?」
念のために確認をする。
「━━━ええと……こ、これで行きましょう。こっちの方が安定感ありそうで、振り落とされそうにないですし」
後輩からのGOサイン。
━━━━これで行くらしいです。
「まってよ!!まって落ち着いて冷静になって話あえばきっと分かり合えるわ(早口)!?振り落とされはしないかもだけど、何かの拍子にアゴに力が入っちゃったらわたし…。わたし、かみ砕かれちゃうんですけど!!重い物を持ち上げる時は、歯を食いしばらないとダメだったりするじゃない!?魔物も同じなんじゃないの!?知らないけどさあ!!」
レンカの必死な説得も空しく、オルトロスさんはゆっくりと助走に入り始めました。
やっぱりこのままで行くらしいです。
「クロー!口を閉じてないと舌を噛むよー!もう行くからー!」
「まってったら!!もう怖いなんて思ってないからせめてわたしも背中にぃ……ぃぃぃぃぃぃいいいい!?」
オルトロスは数歩助走をつけたかと思えば、次の瞬間には地面を離れ……テイクオフしていた。
「━━━━━━!!!」
とんでもない風圧に目も開けられない。
彼にしがみつく両手はヒリヒリと痛みを帯びる。
振り落とされぬように、投げ出されぬようにと耐える。
この中では呼吸をするのがやっとで、他のことに割く余裕も、思考もその瞬間には存在しなかった。
加えて、気圧の変化は脳を震わせ、同時に軽い眩暈を覚えさせる。
移動した距離と、時間は、多分一瞬だったんだろう。
しかし、一瞬だけだとしても、それだけだとしても。
その驚異的な速度による反動は、人の身に少なからずダメージを与えるには、十分すぎるほどだった。
この魔犬がたとえ使い魔になっていたとしても、魔物であることには変わりがない…ということが骨の髄まで理解できたところで、この特急列車は終点へと到着した。
「━━━どわぁ!っと……つ、着いたのか?」
停止の衝撃に両手が、すっぽ抜けかける。
どうも、止まったということは、そこへ着いたらしい。
死にそうな思いをした分、安堵を覚えた身体からはスッと力が抜けていく。
…と、脱力感に身を委ねていると、俺に背中を向けていた後輩が振り返った。
「お疲れさまでした先輩。時刻は10時…。時間ちょうどです。目的地の聖火台広場上空に、無事到着しました。これから降りようかと思ってるんですけど、広場は人でいっぱいで降りれるような場所も入り込めるような観覧スペースもなさそうですね…。どうしましょうか。このまま上空で見ますか?」
あの空中体験を味わった後にも関わらず、表情を曇らす様子のないスティア。
彼女があまりにも、けろっとした顔をしているので、その座っている位置だけ特別なんじゃないかと疑心暗鬼になりかける。
で、なんの話だっけ?
「あ、ああ。スティアが大丈夫ならそうしようか。オルトロスさんには悪いけど、このまま降りて変に騒ぎになったら開会式どころじゃないし。……ところで、レンカ無事か~?」
忘れていたウチの義理の妹。
レンカさんへ声をかける。
彼女の咥えられてるって状況に、同情はしたが。
なんだかんだ言って、そこが一番安定してそうなんだよなぁ…。
しかし、どうも顔色の悪そうな様子だけど……大丈夫なのか?
「ぶ、無事なわけ…な、ないでしょ…。うぅ…!おrおrおrおr……」
━━━あー、吐いちゃったみたいです。
「ばっか!!ここで吐いたらその吐しゃ物、ぜんぶ会場の人たちに降り注いじゃうだろうが!!」
「……ん?雨かな?スンスン……なんか酸っぱい匂いするけど…。まさか酸性雨?」
「雨が降るなんて予報出てたかしら?まあいいわ、ほらほら、始まるわよ!」
広場の中央にそびえ立つ大きな燭台。
その周りからは、カラフルな煙を携えて円筒の筒からいくつもの玉が空へと打ちあがった。
天高く昇っていく玉に、人々が目を奪われる中。
ステージには、くるっと巻かれた特徴あるヒゲを携えた。一人の男が舞台に立っていた。
「レディースエーンドォジェントルメェーン!!祝砲とともに今年も始まりますよー!」
━━━シュバ――――――――ン!!!
会場に声を響かせたのは、カールヒゲの男性。
聖火台の足元に設置された仮設ステージ上。
そこで声高らかに天へと指を指すと、タイミングよく空に放たれた複数の球体が一斉に弾けた。
空高く弾けた玉は、眩くも煌びやかなインクを青い空に散布させると、鮮やかで彩りよい無数の花々を咲かせる。
夜の花火が、光の大輪を夜空に咲かす、光と音の織り成す協奏曲だとするのなら。
この真昼の花火は、様々な種類の華々しい色が、青空の中で飛び交い、色彩豊かな独自の花畑を作り上げており。見る者すべての想像力を掻き立ててていくような、幻想的な交響曲とも捉えられるだろう。
「ね、綺麗でしょ、クロ?聖火の炎を帯びると、普通の花火玉でも発色がよくなるんだよ。だから、周りが明るくても、しっかり打ち上がった光が見えるんだよ」
「わー!キラキラしててロマンチックね~うぅ……おrおrおrおrおr…」
「「━━━━━━━━。」」
キラキラした吐しゃ物を撒き散らしながら、ロマンス皆無な虹をかけるレンカさん。
まだこの手の幻想的な風景の楽しみ方は、彼女には早かったのかもしれないな…。
ところで、あのゲロシャワーいつ止まるんだろう。
「花火職人の方々、ファンタスティックな祝砲ありがとーう!!それでは、幻燈祭の開会式を始めていきましょーう!!司会進行は、このオレ!DJカマスが、みんなを最高潮までご案内だー!さあー!準備はいいかーい!?Are you ready~?」
「「「 YEAHHHHHHHHHH!!!!! 」」」
「━━━なんか想像の10倍は野外音楽フェス感強めね…。わたし、テンション高すぎて一瞬ナイトクラブに来ちゃったのかと思ったわ。いやここ、空なんだけどね」
吐くだけ吐いてスッキリした顔のレンカは、盛り上がる会場を見下ろして呟いた。
しょうもない発言も最後にしてるし…。
まあ、体調面も、これといって問題なさそうだな。
安心した俺は、オルトロスさんの口で観覧しているレンカに話しかける。
「開会式は毎年こんなテンションだよ。司会を担当するDJによってテンション感に差はあるけど、今年は低めな方じゃないか~?」
「あれで低いの!?陽キャじゃないわたしには、これ以上高かったら最悪の場合、命を落としていたかもしれないわね…。ま、ルシェがいるし何とかなるけど」
「すぐにその考えに行き着くのは、やめなさい。お前のせいで全然関係なかったコミュニティにもその、生き返れるじゃん思想が広がり始めてんだから!」
メイド喫茶に集まるオタクにも似たような傾向が表れ始めた今。
ここで、感染の根源たる彼女の悪い思想を潰しておかないと、更に拡大する危険性がある。
特に彼女の場合は、何かと人の心を変に動かしてしまう宣教師じみた、謎のカリスマ性があるので恐ろしい。
「オーウケーイ!!バイブスアゲアゲのノリノリでイカしてるじゃねーか!!それじゃあいくぜぇええ!!」
ここで聖火台のステージに動きがあった。
どうやらこれから、DJが会場…改めフロアを温めてくれるようだ。
いや、DJが…というよりは…。
会場の客と一緒に…って感じか。
「見て!DJがスクラッチを刻みはじめたわ!今年はどんな曲を流してくれるのかしら!」
「どんな曲が来ても私はバッチリよ!この日のために手当り次第にフェス向きの曲に使うコールも完璧に仕上げてきたんですもの!……でも、あの団体さんには敵わないけどね…」
「お前たちー!サイリウムは持ったかー!」
\ おー!! /
「昨晩は8時間しっかりと睡眠はとれたかー!」
\ のー!! /
「おっと、志も忘れるなー?」
\ イエッタイガー!! /
(━━━が、ガチ勢だ…)
フェス熟練者の気合いの入りようが凄すぎて、なんか彼らの熱気が空まで伝わってくる気がする。
というか、空にいるのバレてないな?
もしかして、バルーンか何かと思われてる?
「あれは数多の音楽フェスで打ち師として時にはオタ芸を、またある時にはヲタ芸を踊り続けてきた百戦錬磨の猛者オタクたちね…。面構えが違うわ」
こいつ急にどうした?
「オタ芸?…とヲタ芸?……お前は、何言ってんの?」
顔の描写が変わるくらい真面目に、オルトロスさんに咥えられながら語る彼女はともかく…。
会場の観客は、曲が始まる前だというのにも関わらず、かなりホットにバイブスぶち上がっていた。
……自分で言うと少し気恥ずかしいな、バイブスって言葉。
「ウェーイ!!まずはこの曲から行くぜぇ~?みんな大好きあの名曲ぅ!!大好きなのはぁ~?」
「「 ミネラルサプリ~!! 」」
その時、咥えられた少女に動きがあった。
いや、実際に、もぞもぞと動き始めていた!
「え、えぇっ!?ねぇ、ルシェ!さっきの掛け声…。それに今かかり始めたこの曲って…ヘムじゃない?とっとけヘム太郎じゃない!?なんでよ!?なんで、この世界でもヘム太郎が人気なのよ!?ヘム太郎は全国を飛び出して、全異世界で放映されてるの!?この間は冗談で言ったけど、本当にヘム太郎が流されるだなんて聞いてないわ!?」
あごに挟まれて、落ち着きなく身をよじらせるレンカ。
ヘムヘム言ってるけど、今度は何を言い出したんだ?
「いや、アニメはそんな詳しくないし知らんけど…」
「アニメ!?アニメなんてこの世界にあるの!?…いや、あるわよね。テレビがあるんだし…。じゃあ、なんでスマホはないのよ!おかしいじゃな……!!」
また一人で納得して、勝手に怒りだしておられる。
で、そのうち別の物に興味が移って、静かになると…。
━━━幼稚園児かよ……。やっぱり、女児じゃないか…。
彼女の今後を思うと、少しばかり悲しくなってくる。
ヘム太郎とレンカから呼ばれている曲。
それは確かに人気のようで、会場でも掛け声のようなものが所々で上がっていた。
そんなに人気なのかぁ…それって……。
「先輩知らないんですかヘム太郎?結構有名なアニメですよ。ヘム鉄の主人公ヘム太郎が様々な人間の体に入り込んで、酵素を全身に運びまわる物語です。たしか宿主がミネラルサプリを摂取すると、ハイテンションで体の中を駆けずり回り始めるんですよ、ヘム太郎」
「どんな物語だよ!?」
ヘム太郎とかいう、ぶっ飛んだアニメが人気な理由。
今の話からでは、まるでサッパリ分からなかったが、レンカが知っているというのは、冷静に考えておかしなことだった。
彼女は異世界からの来訪者。
その彼女が住む世界でも、ヘム太郎が放映されているのだとしたら…。
もしかしたら、ヘム太郎のアニメ制作スタジオが、レンカの世界についてなにか情報を握っているのかもしれない。
彼女を元の世界に帰してあげるためにも、これは後々調べてみる価値がありそうだ。
「あー!!やっぱり輪になって回り始めたぁ!!ヘムじゃない!!やっぱりヘムよ!!」
「ヘムヘムうるさいぞ。って、人がぐるぐる回ってるけど…あんなことして何が楽しいんだ…?」
集まった客たちは、会場の中心に大きな穴を作り、巨大なサークルを形成していた。
サークルは、洗濯機のようにぐるぐると回転し、走り回る人々は曲に合わせて何かを叫んでいる。
遠目からでも分かる、この危なさ。
あそこに近づけば吸い込まれてしまいそうな、そんな危うさを俺は感じていた。
「行って回ってみればルシェにも良さが分かるわよっ!あー、もう我慢できないわ。わたし、あそこの輪に入って一緒に回って来る」
口の中で、じたばたと暴れるレンカにすごく迷惑そうな顔をするオルトロスさん。
スティアが命令してるから、離さないだけなの分かってんのか?…とでも言いたげだ。
だが、この場所から参加するってことは……。
「おおい!ちょっと待て!入るって、ここから飛び降りるつもりか?落下して死ぬぞ!」
下手すれば、死は免れない高さに現在の俺たちはいる。
違った。下手しなくても死ぬよ……この高さは。
「わたしにはチートスキルがあるんだし大丈夫よ。ああもう、ほら!わたしを離してよワンちゃん」
ジタバタと暴れてオルトロスの口から脱出を試みるレンカ。
それに咥えているオルトロスさんも、今度は「なんだコイツ、死にたいの?」という顔してますやん。
自分から落ちたがるレンカさんに、確実に彼は引いていた。
そして、魔物にヤバいやつ認定されたお前に、俺は引いていた。
「クロ?行ってきてもいいけど、アフターフォローは出来ないからそのつもりでね?」
スティアさん!?
え、この人行かせようとしてんの!?
「大丈夫よティアちゃん!全力で楽しんでくるから」
お前も、やっぱり行くのかよ!?
心配してるのは、お前が楽しめるかじゃねぇんだよ!
お前が死なねぇかの話してんだよ!?
「そっか、命を賭ける価値があることなんだね…。オルト、その子を離してあげて。でも、あたしがいいよって言うまではまだそのままで…」
━━━なぁ、この人ら話噛み合ってないよな…絶対に…。
いや、噛み合ってないように見えて実は噛み合っているのかもしれない。
それは本人たちにしか分からないけど。
スティアの許可が下り、晴れて解放されることが決まったレンカさん。
彼女は嬉しそうに、鼻歌なんか歌っちゃってます。
楽しそうで何よりだけど、これから投下されること分かってんのかなぁ……この子。
「じゃ!わたしちょっと行って……(スンッ)」
「「!?」」
途中まで何か言いかけたレンカは瞬く間にスッとその場から姿を消した。
……否、オルトロスから地上へと投下されたのだ。
これが、お前のしたかったことなんだな…レンカ。
骨は……拾った方がいいか?
「くりゅぅぅぅぅぅうう……!?」
「あ……落としちゃった…。オルト!?あたし、まだって言ったよね!?クロになんの心の準備もさせずに落としちゃったよ!!あの子、水に溺れてる人みたいにパタパタ空中でもがいてるよ!!もしかして、どれだけ羽ばたいても人は飛べないって知らない!?大丈夫って言ってたけど全然大丈夫じゃなくなりそうだよ!?」
「バッシャ――――――ン?」
「そうだよ!!地面に衝突したらバッシャーンなっちゃうよ!!先輩どうしましょーう!?クロが死んじゃうぅぅ!!」
焦り散らかすスティア。
彼女が動揺するのは当たり前だ。
俺だって、レンカが急に落とされてびっくりしたよ。
でも、あいつは『行ってくる』って言った。
その言葉を残して落下した。それなら……。
「大丈夫、じゃないかな?」
「━━━先輩……人でなしですか?」
「やめろやめろぉ!そんな軽蔑する目で俺を見るなっ!違うからな、別に見捨てたとかじゃなくて、レンカを信頼しての発言だからな!?」
スティアの、まるでクズを見るかのような……。
━━━いや、クズを見る時はもっと輝いてるな。彼女の場合…。
汚いものを眺めるような冷たい目線は、俺の心を抉っていた。
メイドの時とは、また別の意味で、破壊力バツグンで、心が……しんどい。
「信頼って…!今にも観客側に突っ込んじゃいそうなのにですか!?いくら先輩の神の加護で蘇生できるとしても、救わない理由にはならないですよ!!それにクロから聞きました。まだ出会って1週間とかなんですよね?そんな短い間柄なのに信頼もなにも……」
「そうだな、スティアは間違ってないよ。たしかに彼女と出会って日も浅いし、彼女の好きな食べ物が現状キノコとオーク肉ってことくらいしか分からない。けどな、短い期間でもレンカのことは……クロガネ・レンカの人間性みたいなものは少なからず理解しているつもりだよ。本人いわく彼女は……物語の主人公…ってことらしいからな。だったら、どんな逆境でも……必ず覆すさ」
レンカが口癖のように、ことあるごとに言っている主人公という言葉。
本当に彼女が主人公なら、こんなバンジージャンプくらい、どうってことないだろう。
それに、俺は彼女を隣で見てきた。
彼女の行動を、勇気を、奇跡を。
だから、そこに日数なんて関係ないのだ。
彼女と過ごし、共に潜り抜けた。
あの経験が胸にあるのだから。
「一部、クロの聞き捨てならない好物が判明した件については、後ほど取り調べさせていただくとして、だったらクロはこれから何をするつもりなんです?先輩は知ってるんですか?」
スティアは、落下したレンカをチラチラと心配そうに確認しながら、俺に問う。
何をするのか……それに心当たりはあった。
「そりゃあ……ねぇ…?」
空から地面へ真っ逆さまに落下する状況。
あまり既視感を覚えたくない状況だが、陥ってしまったなら好都合。
この手のハプニングは以前に一度、俺たちは攻略済みだ。
「なんです?知ってるなら教えてくださいよ!」
逸る気持ちと不安げな心を取り払うようにして、スティアは俺に再度質問を投げかける。
そんな後輩の気持ちを和らげられるかは分からないが、俺は例の名前を伝える。
「うーん…。━━━チートスキル、その2…かな」
『だーいすきなのはー!』「「ハィッせーの!」」
『ミ~ネラルサプリ~!』「「おれもーー!!」」
いい歳した大人達が全力で意味不明な歌詞を叫び、ぐるぐると渦を作り続ける異様な光景。
回りながら熱唱するオタクたちは、その上空から人知れず一人の人間が降ってきていたことに知る由もなかった。
「そのぉぉ…2ぃぃい…!!」
風に煽られながら、空気抵抗に逆らいながら。
彼女は両手を地上へ向けて降ろし、手の中から射出させる。
『レバーも~嬉しいヘム太郎~♪』
「「虎! 火!人造! 繊維!海女! 振動!化ぁせ…!」」
━━━ボォウフゥゥウウ!!!!
「んな、なんだっ!?」
「急に風が…!これは舞台演出ってやつなのか!?」
「凄いわね!今年のフェスは凝ってるじゃない!!」
「おいおい、主催者側の熱意に負けてられねーぞ、おまいら!」
「おっ、そうだな!もっと回せ回せー!!ヘム鉄を全身にまわせー!」
『だーいすきなのはー!』「「ハィッせーの!!」」
『ミ~ネラルサプリ~!』「「おれもーーーー!!!!」」
謎の突風に襲われるも、渦の回転と魂の込められたオタクたちの雄叫びは止まらない。
それどころか、更に回転の流れには統一感が生まれ、より洗練された動きとなっていた。
きっかけは、その巻き起こった突風を演出と誤認したことだったのか、それとも新たに加わった一人のヘム太郎コール経験者オタクが影響に関与しているのか…。
ともかく、彼女は誰にもに気づかれることなくオタクの渦に自然と参加を遂げたのであった。
『や~っぱり~運ぶよヘム太郎~♪』
「「チャペ!アペ!カラ!キナ!ララ!トゥスケ!ミョーホントゥスケ!」」
「『「と~っとけ~!どうぶつ~♪」』」
「━━━なんかのカルト宗教だろあれ」
レンカが無事に参加できたことを見届けると、俺は思っていたことを口に出す。
「こうして客観的に見ると危ないやつな気はしますけど、元は健全なアニメですからね。ヘム太郎」
永遠に怪歌に合いの手を入れながら、ぐるぐる回るそれに終わりが来るのか…?
ずっと見続けていると心配になってくるが…。
「先輩」
「ん?どうした?」
スティアは、下の混沌とした光景を眺める俺を呼ぶ。
「先輩が言ってた意味なんとなく理解できました」
「そう、か…」
改まって、そんなことを言われても単調な返ししか、俺にはできなかった。
理解って…。チートスキルのことだろうか。
俺は何にも分からんけど。
「はい。クロと先輩の間に何があって、どんなことを一緒に経験してきたのかは分かりませんけど。ですけど、なんかいい関係だなぁって感じました」
「そ、そうなのか…」
おんなじような、相槌打っちゃったよ。
なんか、今日のスティアさんってば、しっとりしてるんだもん。
そりゃあ、驚いて似たような言葉しか出てこなくなるよな…。
スティアは、面白みのない俺の言葉に言及……してくるわけでもなく話を続けた。
「そうなんです。だから、あたしもクロを信頼して。先輩とクロみたいな関係に……なりたいです」
頬を染めた彼女は、どこか照れくさそうに、だけど努めて宣言をするように。
夢膨らませて、瞳に光を集め、俺を直視した。
今度ばかりは、彼女の求める答えは返せそうだ。
だが、それじゃあ意味がなさそうでもあるんだよなぁ…。
言ったら拗ねそうだけど…。
「そうか。でも、もうなれてると思うぞ、俺は…。」
ほら、ふて腐れた顔してるよ。
知ってたよ。知ってたけどさあ。
それでも、伝えたくなるじゃんか……後輩なんだし。
「むっ!先輩の目は節穴ですか!さっきもクロをまだ心から信頼してなかったから……!」
「信頼はしてると思うよ。レンカはスティアのことを信頼してる。だから、スティアがお嬢様だって知ってあんな行動を取った後に、すんなりお前の言葉で納得してただろ?『ありがとっ』って…。」
「た、確かに言ってましたね…。クロは、あたしを信頼をしてくれていたんですね……ってことは。信頼してなかったのはあたしだけ……」
「そんなことはないぞ?」
なぜか、今にも泣きそうになっているスティアに待ったをかける。
このタイミングで泣かれても困る。
それにまだ自覚がないようなので、いっそ俺から言ってしまおう。
「え?それはどういう……」
「もう信頼したんだろ?レンカのこと。それなら、今は信頼しあえてるじゃないか。お前たち二人」
「━━━━━━。」
彼女の瞳から、ひとつ、またひとつ…と涙が流れ落ちる。
どうやら、本当に気づいていなかったらしい。
その溢れ出ている涙と、覆った口元が隠せない証拠じゃないか。
ほんと、世話の焼ける後輩だよ……まったく。
「で?どうなんだ?信頼関係は築けたか?俺は、もうなれてると思うんだけど…?」
ちょっとだけ、ぶっきらぼうに返してみる。
優しく柔らかく言葉をかけるよりも、俺たちの関係上はこっちの方が合ってる。
これも、形は違うが。
お前に対する信頼関係だと、勝手に俺は思ってるけど…。
「なんですか~。後輩が泣いてるんですよ?ちょっとは優しい口調でもいいと思うんですけど…。でも、ありがとうございます。はい。先輩の言う通りでした。あたしたち……。なれてました。先輩たちみたいに…!」
涙に濡れた唇を開き、白い歯を見せる。
花火ほど大きくはないし、誰の目にも留まることはない。
けれど、この上空に小さな笑顔が大輪の花を咲かせていたことを俺は忘れないだろう…。
「━━━ふっ、だろ?」
「あー!先輩、いま鼻で笑いましたね!そんなに、あたしの顔ブサイクでしたか!?」
「違うって、あーほら!落ちそうになってんじゃん!」
むーっとした顔で暴れるスティアに、俺はまた自然と笑顔がこぼれた。
彼女は俺の顔を見て吹き出しながら言葉を紡いだ。
「せんぱいって、案外面白い人ですよね。今まで、あたし誤解してました。ツェドをたぶらかす悪い人……みたいな印象でしたから」
「なんだそれ。ツェドをたぶらかそうと頑張ってるのは、スティアだろ?」
「なっ!そ、そんなつもりないですからっ!!やっぱり先輩は嫌いです。……せっかく、ちょっとは信頼してあげようと思ったのに…(ボソッ)」
「え?俺は信頼してるけど?」
「地獄耳ですかぁぁあ!?」
なんだかんだで、嫌われてはいるらしいけど。
少しだけ、ほんの少しだけ。
彼女との距離が縮まったような、そんな気がしていた。
「あ……。せ、先輩!三巡目の歌詞も終わりの方に近づいてますし、そろそろ次の曲に行きそうです!」
ほんのりと耳を赤くした後輩は、下で踊るヘム太郎ダンサーたちを指さす。
手を上げステージから会場の客を盛り上げ煽っていたDJは、手元のミキサー機器の辺りを弄り始めた。
「オーウケーイ!!オマエたちの熱いヘム太郎ラブコールはガンガン魂に伝わってきたぜー!この後も、もっと楽しんでいきたいんだが…ここでストーップ!!一時中断だぁ!!ああ、わかっている。そんなシラケた真似すんじゃねぇって顔してるな?オマエ達の怒りはごもっとも!だがぁ、なにも音楽だけが幻燈祭じゃないぜぇ!グルメ、アミューズメント、その他にもびっくりするようなイベントが目白押し!オマエ達の中には開会式を早く終わらせて、美味いもんたらふく食べたい!っていう食いしん坊さんもいるんじゃないか~?だったら面倒な話は先にやっちまおうぜぇ!」
「「 Fooooo!!やっちまえーー!! 」」
「物分りのいい野郎どもだーー!!最高だぜオマエらー!!て、ことで~?市長さんヨロシクぅー!!」
DJカマスが伝えた話の内容を要約すると、式辞やらの形式ある社交辞令は、早いとこ済ませてから各々で幻燈祭を存分に楽しめ…ということらしい。
挨拶関係の枠は、どのイベントでも必ず煙たがられる時間だが、彼のように運営側がバッサリと言い切ってしまうと、実に聞く立場としても気持ちよく清聴できるというものだ。
と、半ば自虐的な紹介をされた我らの市長さんがステージ袖からお見えになった。
「ははは、いやはや、手厳しい紹介に預かりましたなあ。どうも皆さん、市長のトネリ・ランスです。色々とスピーチは考えてきたんですが、DJの彼にも言われてしまいましたのでここは手短に一言だけ…。皆さん!今日から3日間は幻燈祭を余すことなく楽しんで、事故なく笑顔で帰宅してください。帰るまでが幻燈祭ですからね!いいですか~オマエたち~!」
「「 YES!YOUR!MAYOR!!! 」」
「なんかウチの市長って、お歳の割にはノリいいですよね。若者に寄り添ってるっていうか、独りよがりな政治をしてないっていうか」
「そうだな。だからこそ、シンフェミアはいい街なのかもな」
市民との距離が近いからこそ良い街づくりが行える。
それは、街を治める者にとっては大事なことだ。
彼等の暮らしがどういう風に流れ、どこが住みづらいと感じているポイントなのか。
常に上の立場からの目線で、お山の大将を気取っている者では見えてこない景色にも、目を向けているシンフェミアの市長は、人望もそれなりにあるといえる。
「ははは、元気が良くて大変けっこう。それでは参りましょう。…コホン。只今よりシンフェミアの一大イベント幻燈祭の開幕をここに宣言します!」
宣言を行った市長が、両腕をガバッと頭上に上げる。
ステージ背後にそびえる聖火台。
そこに、市長の動きと連動させて、温かいオレンジ色の聖火がボウッっと灯された。
揺らめく橙炎は、見つめるだけで邪な心を溶かし、見る者に安堵と活力を与える。
それが理由なのだろうか。
幻燈祭時期には、こぞって別の街の介護老人ホームの利用者さんが、介護士さんに連れられてシンフェミアへお出かけにやって来ることもあるみたいだ。
まあ、それだけ目に見えるリラクゼーション効果が出ているということなのだろう。
「今年も聖火が灯りましたね。では、私とはこれで。次は、また、閉会式でお会いしましょう。皆さん、良い幻燈祭を!」
「「 ありがとーう!メアー!! 」」
まるで友達かのようにフレンドリーなコールが軽率になされるが、にこやかに手を振り、ステージを後にする市長の大人の対応力には全く敬服してしまう。
「市長さーんありがとーう!さあー!いよいよ幻燈祭が始まったところで、最高の曲をオマエ達にプレゼントだー!これからもっと盛り上げていこうぜぇー!!農産業、水産業!サカナの様子がぁ~?」
「「 お か し い っ !! 」」
◇◇◇◇
「━━━どうして貴方が生きているんですか。……父上」
幻燈祭のメインステージがある聖火台を離れ、近場のイベント出張型カフェで優雅にコーヒーを味わう父に私は尋問をする。
「逆に聞くがトゥエルノ。わしがいつ死んだといった?お前が死んだと思い込んでいただけだったんじゃないのか?ああ、そうか。自分の手際があまりにも良すぎて、わしを殺せたという快感に浸っていたのだな?…げはは、げははははははっ!さすがはわしの息子だな。よく、似ている」
父は汚い笑い声を漏らすと、私を嘲罵した。
「似ている?貴方と私が似ていると、今そう仰いましたか!ありえない!!私は貴方のように、腹に黒い獣を飼った卑しい人間ではない!!」
「ではなぜ、そんな怯えた顔をしておるのだ?」
「━━━!!」
違う。
私は目の前の男とは、違うと言い切りたい……が、完全に言い切ることは出来なかった。
ほんの少しでも、心の片隅にでも。
それを、その感情を私は抱いたのだ。
━━━父を殺して解放された、快楽と悦びを…。
「げははははは!どれだけ否定しても、どれほど拒んでも、どこまでいっても!……お前はわしの息子だな、トゥエルノ」
「━━━━━━。」
蛙の子は蛙。
この男の遺伝子を分け与えられた私には、どうすることもできない問題だった。
意思と心では、父のようにはなるまいとするが、本質的なところでは逃れられない。
結局、私が意図的に歩む道をずらしたところで、私の中に流れるランスの血が、父と同じような思考へと道を捻じ曲げ、行きつく場所へと勝手に収束させてしまう。
「で、お前はわしをまた殺そうとするのか?するだろうな。その目、殺意に満ちたドス黒い眼。……だがやめておけ。わしを殺そうとすれば、次はお前が死ぬぞ?」
詭弁のように聞こえる。
だが、ここで異議を唱えても父のペースに呑まれてしまうだけだった。
冷静に、努めて冷静に…。
「どういうことですか……。いったい何が言いたいのです」
気持ちを鎮めると、私は父へ問いを投げかけた。
この男の真意を測らなければいけない。
次にこの男が犠牲者を出す前に……。
私の意図をどう読み取ったのかは知らない。
父は歯茎を見せて汚く笑うと、侮蔑の視線を向けて、私にこう語り始めたのだ。
「お前はツラと容姿に恵まれた。我が息子ながらに憎くてたまらんほどにな。だが、わしは人望に恵まれておる。……何が言いたいか分かるか?わしを殺せば、お前は社会的に死ぬ。つまりは、ダークヒーローの誕生というわけだ!げはははは……。おっと、すまない。一躍、犯罪者になる……の間違いだったか?」
典型的な煽り文句だった。
揺らぐことなき感情。
軽薄なまでの冷罵。
嘲笑を浮かべる唇。
これまで何度も向けられた、父からの醜悪なまでの蔑視。
限界は超えていた。
超えていたから、反した。
それでも、父は戻って来た。
それでも、父は■せなかった。
一度見た、経験した、夢にまで見た。
あの時間を。
私は、忘れられなかった。
「トネリィ!!」
気づけば、父の胸倉を掴んで睨みつけていた。
私は負けたのだ。
私は飲まれてしまったのだ、内に秘めていた。燃えて消えることのない、怒りに。
震怒した心は、止まらない。
怒りで震えた腕は、際限なく力がこもっていく。
なぜ笑っている。
どうしてこいつは、まだ笑っていられるんだ。
ここでなら死なないと?
市民の前ではできないと?
私を嘲う。私を挑発する。私を……加害者へ誘導する。
「この様子も事情を知らぬ市民からすれば、どう映るだろうな。市長を襲う男は、実の息子だった……げはははは!いい見出しになりそうだ。おっと、お前は新聞にも載らなかったんだったな。先日の火事での活躍もな…?」
「━━━━━━ッ!!」
父は私をあえて挑発してきている。
ここで私が挑発に乗り、手を出すこと。
怒りに任せて、父を害すること。
私を犯罪者に仕立て上げること。
それが、この男の狙いだ。
父に手を上げて騒動を起こせば、市民全てをこの男は味方につけ被害者面をするはずだ。
そうなれば私は、それこそ人生を棒に振ることになってしまう。
しかし、父を掴む手と空いた拳には、殺意が着実に蓄えられつつあった。
━━━━そんな時だった。
「ちょっとお客さんケンカは困ります。って…市長さん?だ、大丈夫ですか!?」
カフェの男性店員…いや、店主だろうか。
オーナーのような男性が、我々の仲裁に割って入った。
彼の視線の先は、父から私の腕へと。
胸倉を掴み上げ、力のこもった拳に集中している。
「━━━━━━━━。」
ほどく拳と、微かに口の端を細める父。
私は自ずと彼の手前、この男を解放せざるを得なかった。
「ええ、平気ですよ。すみませんね、息子とケンカしてしまって。ははは、お恥ずかしいところをお見せてしまいましたね…」
乱れた襟元を手直しすると、父は作り笑いを浮かべた。
汚い口調から、社交的な口調。
変調させたその声で、男性へ謝罪の言葉をかける。
「そ、そんなことありません!いやぁ、市長さんほどの方でも息子さんの前じゃ一人の父親ってことなんですね。なんか意外な一面が見れてむしろ安心しましたよ。どこの家庭でもパパは大変なんですねぇ…。」
男性は共感するように頷きながら語る。
どこの家庭でも……。
その言葉に、私は胸が痛くなる。
「ははは、これが親子での行き違いが多くてウチは大変なんですよ~。マスターさんも苦労されてるタチですね」
「おや、わかりますか」
「ええ、顔に書いてありますよ。子供たちが自由過ぎて心配だってね」
「あははは…まったくおっしゃる通りで…お恥ずかしい」
たわいのない談笑。
はたから見れば、父親同士の何気ない会話。
だが、父から。
この男から、息子として、父の愛を受けたことはなかった。
父から貰ったのは、罵倒の数々のみである。
「いえいえ、お互い自由過ぎる子を持って苦労しますな。もう少し落ち着きがあってほしい」
父の目は笑っているが、これも市民からの支持を得るための演技なんだろう。
この男が市民との会話で心から笑っているところなんて、私は生まれてこのかた一度も見たことがない。
父が笑顔を漏らすのはいつだって、私利私欲を満たしたときのみだった。
依然として会話は、つつがなく行われていたが、ここで男性が言い淀む。
「それは…そうですが。私は、少し…違いますかね」
「?……と、言いますと?」
「息子たちが自由過ぎることには同意ですが、もう少し頼ってもらいたい…というんですかね?何かと自分一人で解決をしようと、背負い込んで行動をしがちな子なので、もっとあの子の力になりたいというか…。まあ、成人した歳ではありますし、自由にやらせてはいるんですが。どうやら、また最近なにか悩んでいるみたいで…。多分、新しくできた娘のことが関係しているとは思うんですけど、なかなか向こうから相談をしてくれないものですから、こちらは見守るしかないんですよね。あんまり干渉しすぎると怒られちゃいますから。あはは……あ、すみません!つい、自分語りをしてしまいました」
男性は、申し訳なさそうに何度か頭をペコペコと下げた。
我が子に対する胸の内の想い。
さらけ出された言葉は、親ならば抱えることもある悩みだろう。
距離感の関係に悩む問題。
一般家庭ならではの、ありふれた出来事。
理解でき、心から共感できるのは、それを経験した者。
貼り付けたような笑顔を晒す、この男には。
一生、分かるはずもない事柄だった。
「ああ、お気になさらずに。我が子を思う気持ちは皆さん同じです。私も至らない点多き父親ですが、共に頑張っていきましょう。では、ごちそうさまでした。お会計宜しいですかな?」
「はい、ありがとうございます!お会計ですね。ミレイユー!バイトの子、レジに一人回してもらえるかな~?」
男性は女性の店員さんに呼びかけると、軽く我々に会釈し、厨房の方へと戻って行った。
彼に手配され、レジカウンターに立った若い女性。
手をレジカウンター前へと差し出すと、『こちらへどうぞ』という仕草。
笑顔と共に待機する彼女は、会計の誘導をしてくれていた。
会計場所の確認をした父は、卓に置かれた伝票を手に、私を一瞥し━━━━。
「トゥエルノ。わしはこれから大事な用がある。ああ、言っておくが、いつ殺しに来てもいいぞ?お前が後悔しないんだったらな…げははは…」
鼻につく口調と、汚い笑みを浮かべ。
捨て台詞のような安っぽい皮肉を述べると、私の元から離れていく。
彼は殺せていなかった。
それはつまり、自宅へ戻れば、メイドへの暴行も続けていく…ということ。
夜な夜な市民を襲いに、街へ赴くことも……。
━━━━決断を下す時が、近づいているのかもしれない。
私の人生をかけてでも。
この都市から、この世界から、あの男を排除しなければならない。その時が…。
「━━━━もう少し頼ってもらいたい…か。そんな風に考える父親もいるんだな。……いや、ウチが異常なだけなんだ」
私は、あの男性の子供たちに。
少しだけ嫉妬心を持ってしまいそうになる自分が、とても気持ち悪く、とても醜く感じていた。
◇◇◇◇
【AM 10:36 シンフェミア ピースサイドパーク 聖火台広場】
「「 ハイッ!イエッタイガー!!!!!! 」」
「━━━━あいつ、いつまで踊ってんの!?しかもどの曲でも同じようなダンス踊ってるし、同じような掛け声だけどあれって本当に面白いのか!?」
バイブスは加速し、上昇を続けていた。
一曲をまるまる使う曲もあったが、ほとんどがミックスされて流されているため、今が何曲目なのかは把握していない。
それでも、数十曲以上は流されていた。
ほとんど踊りっぱなしの客たちwithレンカさん。
俺には同じようにしか見えないが、ダンスに心血注ぐ彼らには違うのだろう。
フェス自体は夜まで続くので、各自途中で抜けて自由に休憩を取る。
休憩を終えた者は、再度フェスに戻って来る……というスケジュールで活動する者が多いとのこと。
要は、一日を通して踊り狂うってわけだ。
「先輩。あたし…。も、もう、音楽フェスは十分です。あの子回収して他のエリア行きませんか?」
どっと疲れた表情で、スティアは提案した。
「バッシャ――――――ン……」
「ほら、オルトも疲れたって言ってますし…。あたしも、そろそろ召喚代償を身体で支払わないといけなくなりそうなので…」
気だるげな声が、口からこぼれる。
彼女に撫でられる魔物も、情けない鳴き声で主張をしていた。
「いやそりゃ、回収したいけどさぁ…。見ろよ、レンカの姿…」
二重の線が一本増えている後輩は、極めてだるそうに。のっそりと、下を覗き込む。
「輝いてますね……。飛び散る汗で、そう見えているだけかもですけど…。確実にメイドの時よりも輝いてます。先輩、あれがクロの天職なんじゃないですか?」
「あれでどうやって生計立てろと!?」
レンカのとんでもない才能が発掘された瞬間に、俺たちは立ち会ってしまう。
とても採算の取れる職ではなさそうだが、彼女の適職話は二の次だ。
この場では、スティアの能力解除をさせることが最優先事項…。
「スティア。幸福感は、後どのくらい持ちそうだ?」
楽しそうに踊る地上のレンカ。
彼女を凝望し、小箱座りをする猫のような体勢になっている後輩に俺は問いかける。
「えー?そうですねぇ…。数値に出てるわけじゃないですしぃ…。何パーセントとか、具体的なことは言えませんが…。━━━━ビスケット三枚分くらいです」
「幸せ度合いが分かりずらい!!ビスケット三枚分て!!一枚じゃなくて三枚って所が、やや分かりずらさに拍車をかけてるな!?」
なぜそれを、選んだのか。
なぜそれで、例えてみようと思ったのか。
一枚ではなく、三枚……それは幸せなのか?
「しょうがないじゃないですか!!あたし換算の幸福理論なんですから!!先輩にとっては一枚でも、あたしには三枚なんですよ!!」
「余計に分からんわ!!」
物に抱く幸福への価値観は人それぞれではあるが、食べ物を引き合いに出されると判断が難しい。
もちろん、俺がこんな訳わからない質問をしたのには、きちんとした理由がある。
スティアの神の加護≪従順たる仔犬≫は、魔物を使役し使い魔として召喚する能力。
彼女の好みで、犬系の魔物ばかりに偏った契約をしているそうだが、それはまあいいだろう。
契約を結びさえすれば、どんな魔物でも召喚対象となるこの能力にも問題…というか発動条件にクセがあった。
スティアの幸福度。
それが、彼女が契約した魔物を呼び出す際に消費するコストであり、代償。
発動中も絶えず支払われ続ける代償は、彼女の幸福感を確実に削っていく。
やがて支払いにより、幸福感が枯渇してしまった場合。
恐ろしいことに、次の標的は契約者である彼女自身の肉体へと移行する。
魔物を人間が使役するには、それなりの代償が必要だということなんだろうが、やはり俺たち人類にこの神の加護という能力を授けた神は、かなり性格のねじ曲がった偏屈野郎だったんじゃないかと思わずにはいられない。
なので、スティアの幸福感が無くなる前にオルトロスさんには、お早めにお帰りになってもらいたいのだ。
幸福感がゼロに近くなると、スティアの機嫌も悪くなって大変だからね!
「それならビスケットが一枚にならないように、どこでもいいから下に降りるぞ」
「分かりました。では、あの少し離れた湖畔に行きましょう。あそこだったらひとけが少ないので、オルトが着陸しても騒ぎにはならないはずです」
幻燈祭会場のピースサイドパークという平和公園には、聖火台を正面にした際の南西方面に小さめの湖が存在した。
規模で表すと、ゴルフのウォーターハザードに使うくらいのサイズ感。
実際、ピースサイドパークは高齢の方々によくゴルフ場として使われているし、正直どう見ても池なのだが、シンフェミア市民からは湖と呼ばれ親しまれているので不思議だ。
そこを指差したスティアは俺に目配せをすると、自身の使い魔に湖のほとりへ向かうように指示を出した。
彼も、ずっと空中に浮遊し続け、疲れていたのだろう。
指示を出されると、待ってましたとばかりに湖を目指して空を駆けた。
「先輩、あたしもうカツカツなので、追加の貢ぎ物お願いします……。幸せ不足ですぅ……」
「お、おう…」
感情があまりこもっていない声で、燃料の請求をしてくる後輩。
気だるげな目をしながらも、オルトロスを的確に誘導し、休憩する人々を避けて湖畔へと着水させる。
「バッシャーン!!!」
「ふふふっ。水しぶきと自分の鳴き声を掛けた面白いジョークね。少し幸せになったよ。ありがと、オルト」
(いや、なんて分かりずらいコミュニケーション!!)
オルトロスさんがなんか上手いこと言ってるらしいが、スティアの相槌を聞く限りは、ギャグの発想がオジサンのそれなんだよなぁ。
もしかして、結構なお年を召していらっしゃるのだろうか、この魔犬…。
湖畔へと降り立った魔物。
オルトロスさんを目撃した周辺の人々も、特別騒ぎ立てている様子はなかった。
不思議なことが起きたとしても、幻燈祭だから…という理由で、何でもイベントとして見られているのだろうか。
祭りの影響力に感謝する一方で、ちょっと危機感の薄れているこの街の人々が心配にもなる。
思いふけりながら、周囲に目を走らせていると後輩からお呼びがかかった。
「さ、早く降りてください先輩。あたし、なんかこう……キレそうなので」
「オルトロスとの対応の差だよ!!」
俺とスティアとの間には、決して埋まらない何かの壁があるらしい。
さっきの信頼が~っていう、エモいシーンは夢だったのか?
当たりが強い彼女の対応も、幸福切れで生じたものなんだろうけど、やっぱり心に来るものはある。
渋々、腰を上げた俺は、魔犬の背から緑生い茂る湖畔の陸地へと降り立つ。
足の腹が靴越しに地面をとらえると、とたんにぞくりとした視線を感じた。
(う、後ろから見られてる…?)
そんな、ぞくっとする視線に俺は振り返る。
ジトっとした目で、こちらを眺めるスティア。
今にもその目は人を殺しそうですが…。
(目つきが悪くなってるのは幸福不足だからだよな?そうなんだよな?)
怯えた俺は、とっさに目線を逸らす。
それが正解だったのか、彼女は俺から視線を外すと、ぺたぺたと魔物の背を移動し頭部付近へ寄っていく。
(なにしてんだ…?)
疑問を感じる俺だったが、次の彼女の行動で察する。
半ば首に跨る形で、オルトロスの顔へと手を伸ばした彼女は。
彼ら二頭の頬を、すりすりと両手で優しく撫で……。
「お疲れ様、オルト。また力を借りる時はよろしくね」
温かな目をし━━━━。
二ッと、はにかみ━━━━。
愛情を持って彼らに触れ━━━━。
双頭の魔物に、心からの労いの言葉をかけていた。
「バッシャ――――ン!」
魔犬は目を薄め、先ほどまでとは少々違う、トーンの高い鳴き声で吠える。
糸目になっているからか、その姿はまるで主人に喜んでもらえたことが嬉しくて、笑っているようにも俺には見えた。
魔物が好きで、魔物からも好かれている。
俺とレンカの信頼関係を気にしてたけど…。
彼女たちに比べれば、まだまだだと思うよ。俺たちは。
ふっと、一人と双頭の様子に微笑ましくなった。
あのジト目は、これからすることを見るな…ということだったのかもしれないな。
━━━━ほどなくして、魔犬はスティアに撫でられながらふわっと姿を消した。
消えた魔犬の背に乗っていた彼女は、空中からストン…と華麗に地面へ降り立った。
……ジっと、コチラを見つめられている。
「先輩」
「わかってる。絶賛ハジけ踊ってるレンカを、聖火台広場まで迎えに行きながら。何か買い食いしながら移動しようか。なにが食べ…」
「甘いものです。餡子のお菓子なら尚良しです」
食い気味に、自分の食いたいもの言って来たな……この娘。
「おっと即答…。いいぞ、しっかりスティアの幸せ度上げながら向かおう」
「はい、よろしくお願いします。……にへへ、甘いもの…」
すごい顔してる…。
まだ見ぬスイーツに想像を膨らませて、ふにゃっと顔がにやけ溶けてしまっている。
━━━━なんか今は今で、幸せそうだけども…。
可愛く顔面崩壊起こした後輩。
彼女を連れて、俺たちは踊り狂うレンカを止めるために出発したのだった。
「たい焼き…あんまん…あんドーナツ……へへへ…。にへへへへへ~!」
「あんまり人に見せちゃいけない顔してますよスティアさん!?」
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今月も、ご一読頂きありがとうございます。
先月は更新されなかった?はて?なんのことです?
……とまあ、しらばっくれてもどうしようもないのですが更新間に合いませんでした~!(ゴメン)
一度執筆作業に入ると永遠にデスクモニター前に居座っちゃうので、他の家事や仕事関係が滞っちゃうんですよね…。
なので、まとまった休みに執筆しているわけなのですが今回は時間配分を見誤ってしまいました~。
今回を教訓にして次回からは時間の配分管理を徹底したいところ…!
なんて、プライベートな自分語りはそこそこにしておきましょう。
本編では、幻燈祭が開幕しました。
格式高めな厳かな祭りではなくフェス感満載の現代っぽいお祭りをイメージして描いているので、結果として音楽フェスにしちゃいました。(作者のド趣味)
はっちゃけて、ぶち上がっているテンションのレンカちゃんを皆さんにはお届けしていますが、今だけなので大目に見てあげてください。
そしてスティアさんの神の加護も判明しましたね。
彼女は魔物を仲間にして使役するテイマーみたいな能力を持っています。
早い話がポ〇モントレーナーですね。
スティアさんは代償を払って能力を使用するわけですが、戦闘中に幸福で居続けるって難しいことですよね。……つまりはそういうことなんで、これから彼女の保護者のような目で(壊れるまで)温かく応援していってあげてください。
祭…というのは時代の流れと共にカタチを変化していくもの。
では、幻燈祭はどうだったのでしょうか…?
それを追求するためには、帰って来たトネリ父上様に聞いてみるのが良いかもしれませんね。
あんなんでも市長ですし何か知っているのかもしれません。
さて、今回の後書きはここまでです。
次の更新は、次月(予定)となりますのでよろしくお願いします。(更新間に合えっ!)
それでは、またご縁がありましたらお会いしましょう。