Page:04 ふーん、そうなんだぁ……えっちじゃんか。
復活を果たした自称主人公のメインヒロイン『クロガネ・レンカ』。そんな彼女のバタバタ加減に付き合わされる青年『ルシェ―ド・二クロフ』が絶体絶命の状況へと追い込まれた時、ついに彼女が“覚醒”の時を迎える。しかし、その覚醒によって事態は最悪な方向へと向かってしまうが……。残された夜明けまでの時間は僅か。果たして夜明けまでに彼らは本当に帰るつもりでいるのか━━━━!?
【神廻歴4201年3月9日】
【AM 2:05 ヒカゲ小路】
「あったわよルシェ。まったく、なんでこんな所に大事な袋を置いて行っちゃったの?まったく世話が焼ける異世界人よね、まったく…」
「どこかのお馬鹿さんが毒キノコを食べて寝ちまったからだろ!?それに、俺からすればキミも十分に世話の焼ける異世界人なんだけど!?」
自称、異世界からの来訪者であるクロガネ・レンカ。
空腹のあまり、彼女は誤って毒キノコを拾い食いした。
結果として昏睡状態に陥り、俺が少し前まで彼女を背負って移動していたわけなんだが。
「で、これで持って帰らなきゃいけないコーヒー豆の袋は全部?」
「いや、全部じゃないけど、手で持ち運べる袋の適量としてはこれくらいだろうな」
お使いの商品であるオルマナ農園のコーヒー豆が詰まった袋。
購入したこれを実家である店に届けることが当初の目的であったのだが、本当に道中色んなことがあった。
猿の魔物ウォンカに襲われ、異世界から来たと言い張る謎のコスプレメイドオタクが目の前に急に現れ、そして彼女は殺されて生き返り、よくわからない宗教と信者を誕生させた…。
という所までが前回までのハイライトである。
━━━━ほんと、こうして言葉に並べて見ると、実に頭を抱えたくなる内容だが、実際に起こってしまったことなのだから仕方がない…。
かくして、度重なる騒動に終止符を打ち、これから帰路へ着こうとしている我々です。
「かなり時間が遅くなっちゃったけど帰ろうか。もう道も元通りになってるようだし、二時間もあれば街まで行けると思うよ」
街道を歪ませていた元凶とやらを排除したことで、周囲の迷宮化は解除されていた。
但し、その排除方法は決して公にできるものではないんだけど…。
「?なんで道に迷わないのか気になってはいたけど、ルシェ……あなた何かしたの?」
「ま、まあね?サクッと推理して謎を解き明かした~みたいな感じかな?……あはは」
言えない。
間違っても、『サクッと犯人を殺して解除させたんだよ』…。
なんてとんでもないこと、言えるはずがない。
気になる人は前回のページを見てくれ…。
俺からは以上!!
「ふーん?ルシェって、文系に見えてその実態は理系だったってことなの?いや、文系だからこそ、こういう推理物が得意だったり…?いやいや、推理小説って文系が書いてるイメージあるし……あ、でも。お医者さんが、ミステリー小説書いてたりもするのよ……」
どうやら勝手に余計な想像を働かせ始めたようなので、ひとまず話を逸らす作戦は成功のようだ。
彼女の興味に対するポイントは未だ理解できないが、一方で彼女の興味の逸らし方だけは習得して、無駄に上手くなってきた気がするよ…。
━━━いや、なんだこの。汎用性のない無駄すぎるスキルは…。
「はぁ…。ほら、置いてくぞー?夜明けまでには帰らないとマズイだろうから」
「え、ふつう逆じゃない?夜は動かず、明るくなってから行動するべきなんじゃないの?野営の基本も知らんのか!って、戦士ジョバンニならそう言うわよ?」
「一般的にはそうだけど、今の俺たちの服には致死量レベルの血が付着してるんだぞ?こんな格好で日中の街中を歩いてたら、流石に職質待ったなしだろうからな。…てか、ジョバンニって誰だよ」
「それもそっかぁ。それじゃあ……故郷へと参ろうかサルピエスコ。さあ!わが心は偉大なるミートボールと共にぃぃぃぃー!!」
「━━━━━━。」
怒涛の展開で、アホみたいに元気よく走り去っていく。無駄に容姿の良い残念すぎるコスプレ女。
黙っていれば完璧な美少女なのだ。そう黙ってさえいれば……。
「━━━もしかして、ジョバンニごっこが始まってんのか……これ」
◆◆◆
【AM 4:10 フェミリア林街道 上空】
━━━━━人は空を飛べない。
それは、飛行能力があるだとか、飛翔機能が備わっていないから、という話をしているわけではない…。
「━━━なあ、どうしてこうなったんだ?怒らないから…。そう、怒らないからさ。ちょっと話をしようか…?」
「やですわぁ、ルシェったら。顔が既に 、『 お こ (#^ω^)』…っていう顔文字みたいになっていますわよ?心から怒りが滲み出ちゃってるのに、これ以上怒らせたい人がどこにいるんですの~?オホホ~」
「ん~?怒らせる原因に何か心当たりでもあるのかなぁ~?あるんだね。すごく顔が、引き攣ってるもんね?あるなら、早めに謝っておいた方がいいんじゃないかなぁ?」
「━━━もん…」
蚊の囁き声程度の、か細い声が聞こえた。
「聞こえません!大きな声でもう一度!!」
俺の催促まがいな申請に、彼女は瞳をうるうると滲ませて……懺悔を垂れた。
「だ、だってぇ……。だって、知らなかったんだもーーんんん゛!!ごべんなざぁぁいぃぃ!!だずげでよぉ~るじぇ~!」
あえん、びえん。と、喚き散らすメイド。
また泣かせているのかと、思われても仕方のない部分もある。
しかし、ここまで俺が怒っているのにはもちろん理由があった。
だってここ……。
「無理だよ!?空中に生身の人間が放り出されて、どうにか出来てたまるかっ!!」
「いぜがいじんだっだらなんどがじでぇ~!!」
「異世界人に過度なファンタジー要素を求めるんじゃねぇぇぇよ!!??」
人間には飛行経験があまりにも少なかった。
機械等を用いれば飛ぶことは自体は可能だ。しかし、生身だと話は大きく変わってくる。
何かを干渉させての操縦…というやり方では、飛べはする。が、自身の体を空中で意のままに操り、自由に飛行することは極めて困難だ。
仮に僅かながら移動は出来るだろう。だがそれは、落ちることを前提としたものである。
そう。人間が一度空中へと浮かび上がれば、後はただ下へと落下するのみなのだ。
鳥や気球のように、空を揺蕩いながら安全に着地なんて、装備なしの人類には当然のごとく不可能だった。
「だから、知らないキノコには手を出すなとあれほど……っ!!」
「なんでぇ!?わだじ、どぐギノゴだいじょうぶなのにぃぃ~!」
自然界には、自分を捕食する天敵に対して、様々な対処法を使い、身を守る生き物が数多く存在する。
菌類であるキノコも、毒を自ら生産して身の安全を確保している。
本来なら、これで外部からの脅威には対抗できる……はずだった。
しかし、彼女のように特殊な体質で毒が効きにくかったりする者も、稀にいるのだろう。
その結果、彼らは独自の成長を遂げ、受け身の立場から攻めの姿勢へと、種として更なる進化をした。
これが、彼らの導き出した捕食者への対策であり、そして今ここで、新たな信頼と実績をキノコ界に積み上げたのだ。
恐るべき菌類界からのニューカマー。その名は……!
「あれは毒キノコじゃないんだよ!!菌類種の魔物マッシュロードっていう魔物なんだって!」
「━━━━へ?なにそれ、おいしいの?」
「だから、すぐに食べようとするなぁああああっ!!」
━━━━キノコを超越した、戦闘特化型のキノコ。“マッシュロード”。
便宜上では、奴のことは一種の派生型として、キノコの分類に枠組みをされている。一方で、奴らのその正体は、魔物である。
正しくは、魔物に寄生したキノコが、宿主の自我を支配し、主導権を奪っている状態なのだ。
だから、キノコとも呼べるが、本体のベースとしては魔物という、ややこしい括りにはなる。
自己防衛のために、より強い器となる苗床を探し、魔物に寄生する様は恐ろしくもあり、種の存続を成し遂げようと必死に生きる、生物の美しさをも感じる。
そして、それを食べようとして噛り付いた食いしん坊なメイドにも、人間の逞しさというか、貪欲さ的なものを感じざるを得なかった。(褒めてない)
見た目からヤバそうな、サイケな色合いで構成された四足歩行型のキノコ。
奴に億することなく、嚙みつく様は、もうどっちが魔物なのか、分からなくなってしまう程の絵面だった。(もちろん褒めてない)
まさか、あの形になってまで捕食してこようとする、勇敢でイカれた人間がいるなんて、当のマッシュロードも、微塵も思っていなかっただろう。
で、どういう原理か、彼のキノコ傘から引き起こされた上昇気流によって、現在に至るわけです。はい。
「レンカ……。絶対にまた生き返らせるから。その…先に着地……いや、何でもない」
「ねぇ!いま最低な発言しようとしてなかった!?わたしがクッションになれってこと!?いやよ!わたしは一回死んだんだし、順当にいったら次はルシェの番でしょ!?ルシェがわたしのエアバッグになって!!ほら、早く!」
「まてまてまて!!やめなさい!俺が死んだら誰が蘇生させるんだよ!?自分で自分を生き返らせるなんて無理だから!だから、俺の背中にリュックサックのようにしがみついてくるんじゃありません!!」
「いいえ、セルフリザレクションくらいルシェならできるわ。わたしは、信じてる……。今ここで、限界を超えるのよ!覚醒の時は来たわ、さあ早く覚醒して!時間は待っちゃくれないわ!!ほら早く覚醒して!!」
「無茶いうなぁああああ!!!!!!!」
このままでは、本当に二人とも死んでしまう。
俺が授かった神の御加護なら、死亡後すぐであればデメリットや特別な条件をすっ飛ばしての蘇生が行える。
きっと、これも何らかの俺が知らない対価が、何処かで支払われているのかもしれないが、現状はノーリスクだと思っていい。
だが、俺が死ねば二人とも間違いなく助からない。
では、この状況をどうする……。どう解決する。ルシェ―ド・二クロフ…!
「はぁ…。なら潔く諦めるわ。ルシェも覚醒できないみたいだし…」
「レンカ?お前、急に何を…?」
背中にしがみついていた彼女の体が。手が。するっと、俺の元から離れていく…。
「まさか……。俺のために、人間クッションになるつもりなんじゃ…」
「ならないわよ!!諦めたのは下敷きなるかどうかのことじゃないから!!」
ぷいぷい怒るメイドは、空中で手をブンブンと振り回すような動きを見せた。
きっと今も彼女が背中にいれば、その動作で、ポカポカと頭を殴りつけられていたのかもしれない。
まあ、あの動きじゃ、あんまり痛くはなさそうだけど。
「じゃあ何を諦めたんだよ。何かいい案でも浮かんだのか?もうすぐ地面に衝突して死にそうだけど」
「ええ、死にそうね。だからこそだわ」
これから俺たちが落下するであろう、地上の激突地点が視界に入る。
確認が出来る距離まで近づいたということは、もう万事休すみたいなところではあるが。
しかし、その時の彼女には絶望なんてしている様子どころか、逆にキラキラと瞳を輝かせて高揚しているような雰囲気さえ醸し出していた。
その時の俺は、彼女から奇想天外な、ぶっ飛んだアイデアがまた飛び出してくることを、どこか心待ちにしていたのかもしれない…。
「い、いったい。何をするんだよ…?」
「簡単よ。ルシェが覚醒しないなら、わたしが覚醒すればいいだけの話じゃない!見てなさい!わたしは今から限界を超えるわ!」
「━━━━━━あ、だめそう…」
(だめだぁぁぁあああああ!!!!!彼女に何かを期待してた俺が間違いだったぁぁぁああ!!なんも考えてないよこの子!考えてるのは、ファンタジーな夢いっぱいの幻想思考じゃあねぇか!!)
ここで彼女が凄い妙案を出し、この状況を打開できる足がかりになるかもしれない…と、一瞬でも期待した俺も、彼女と同じく夢いっぱいの幻想思考野郎でしたね!
そして案の定。
既に時間は残されておらず、もはや衝突までの時間を待つばかりに……なってるじゃあねぇぇぇぇかぁああ!?
「あら、顔面蒼白って初めてみたけど…。なかなか良い表情してるわね。それなら軽くバズるんじゃないかしら?」
「━━━お前がなんのこと言ってんのか分からないけど、もう放っといてくれ。俺は最後の時は、静寂の中で死ぬって決めてんだよ…」
瞼を降ろし、空気のベットに身を委ねる。
死を受け入れる瞬間というのは、存外にあっさりとした気持ちの切り替えで済むらしい。
もっと、こう。葛藤とかあった末の決断…のように思っていたが、俺は何だかんだで、この人生を楽しめていたということなんだろうか。
過ちや、償いのような経験も少なからずしてきた。
素直に幸せだった…なんて、被害者たちの手前、とても言葉には出来ないが、この特別でハチャメチャな子との出会いがあったことは、決して忘れないだろう。
それゆえに、俺は最後に彼女へ、この言葉を残そう。
「レンカ、少しの間だったけど楽しか……」
ズギュ―――――――――――ン…!!!
「━━━━━━━━━━━━え?」
星が割れたのかと、錯覚するほどの轟音。
鼓膜は無事ではあるが、キーンとした耳鳴りが残響となって、俺の脳内に未だ反響し、轟く。
既に瞼は開いていたが、全く状況は理解できていなかった。
「━━━━━━空、だ……」
今まで自分たちが居た空を、今度は仰向けになって見上げている。
「無事に着地。できてる……な」
手のひらを、日がまだ顔を出さない、早朝の薄暗い空へかざした。
手は動く、足にも異常はない。地面に接している背中にも、痛みなどの違和感はなかった。
五体満足での着地…なんて、想像していなかっただけに、健康な状態で生きているという、それだけの当たり前を深く噛み締めた。
「いや、まて!レンカは…!?」
辺りに彼女の姿はなかった。不謹慎ではあるが死体もない。
なら、彼女はどこへ…。
「ここー、ここよ~」
ん?今なんか遠くで声が聞こえた…?
やや、こもってはいるが。悔しくも、どこか可憐で、それでいて、聞き覚えのある……彼女の声だ。
「レンカ?もしかしてレンカか~?どこだー?無事なのかー!?」
「ここっ、ここっ…」
確かに声は聞こえるが、姿がどこにも見えない。
地上にいないということは、もしや……上?
声が聞こえた付近の木を、何となく見上げてみる。…すると、そこには。
「━━━━なにしてるの?」
「なにって、見て分かんないの!?挟まっちゃったの!!この枝から抜けないのよ!だから助けっ……。ねぇ、ちょっとまって。ルシェがわたしを見つけて、そんな反応してるってことは……。もしかして、今のわたしって、すごい恥ずかしい格好してる!?こ、こっちからは何にも見えないから、なんも分かんないんだけどっ!!」
「え、えーと、なんていうか……。状況的には、レンカのお尻と会話してる感じ…かな?」
「━━━━━━ねぇぇえええええ゛!わたしのおしりと勝手に会話しないでよぉぉぉ!!るしぇぇ、たすけてぇーー!!」
何がどうなってこうなったのかは知らないけど。彼女は頭から木に突っ込み、無事に引っかかってました。それと…。
『また、見えてる……』
スカートが全部めくれ上がり、白いレースの下着がモロ見えだったことは、心の内に大切にしまっておきました。
一応、彼女の尊厳の為にもね…………。
━━━━ありがとう、良い臀部です。
◆◆◆
「ありがとうぅ、ありがとうぅ…。ぐすっ。おしりいたい…」
とりあえず、彼女を木から降ろしたのだが、なかなかに良いハマり具合だったので、予想よりもかなり手こずった。
━━━━特に臀部が…。
まあ、それだけ魅力的なワガママボディをお持ちだということにしておこう。
「無事で良かったけど、なんでまた木の上なんかに…。あ、あと、さっきの爆音って…」
「ふふーん!聞いて驚かないことね!わたし、ついに覚醒したのよ!そう!毒キノコソムリエは卒業したと言っても過言ではないわねっ!……木の上に落ちたのは誤算だったけど、でもルシェを助けることは出来たわ!」
「━━━━それ本当の話?それとも、あんな事やこんな事が出来たらいいなぁ…っていう、将来への展望の話?」
「━━━こほん。…もぉう、仕方ないなぁ、ルシェ太ぁくんわぁ…。はぁい!デッテレテッテッテーテーテーン!!空ぅ気ほぉーうぅ!」
その時。
妙にダミった口調と、軽快かつ、何が出てくるのかワクワクするような、やけに耳に残る謎のメロディーが俺の脳内を支配する。
聞こえないはずの幻聴が聞こえ、そのコミカルな曲へと動揺する俺に、流れるようにして彼女の掌が向けられる。
掌内からは何か…。
何か、プルプルと震える透明なものが、どこからともなく集まり。
(━━━━━あ。避けなきゃ、死ぬやつだ、これ……)
「どぉーん!」
彼女の大きな掛け声と共に、手のひらで生成され圧縮された、空気の塊が押し寄せる波のように俺に向かって放たれた。
「っ!?!?」
両者の距離感は、ほとんどゼロ距離であった為、俺は避けることを一旦諦めた。
避けられないなら、本体をどうにかするしかない。
ならばと、レンカの手からそれが射出された瞬間。彼女の腕を僅かにずらして軌道を変える。
けれども、それは正確な軌道上を通るわけではないらしく、俺は右頭部のこめかみの毛を綺麗に持っていかれた。
おそらく、バリカンで思いっきり剃られたような感じで…。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
普通に殺されかけた。
けれど、攻撃の際に彼女からは全く殺気を感じなかった。
対人戦だけは得意だが、殺意の一切込められていない、確実に当たれば即死級の必殺の刃を向けられたことは、これが人生で初めてだった。
今日は本当に、初めての経験ばかりさせられている気がする…。
━━━━━で、これはどういうことだ?
「あれ…?ル、ルシェ、だいじょう……」
「どういうつもりだ…。お前はレンカじゃないのか?」
「な、なに言って…るの?わたしはレンカだよ?怒ってるの…?ごめん、そんなに……」
「いまのはぁ…!……それは、俺が殺した奴の神の御加護だ…!なんで、お前が生きてる?お前は殺したはずだ!またレンカを……レンカを今度はどこにやった!?」
「え?…あの、あ、う、……………ごめん」
━━━━深く俯いた、レンカのフリをした偽物。
それは、かく乱させて逃走を図る為か、地面に思いっきり空気の斬撃を打ち付けて、周囲に粉塵をまき散らした。
「けほっ、けほっ!……くっそ、逃げる気か!」
粉塵から逃れるようにその場から遠ざかっていく足音。
視界を遮られる中、その方角へ耳を頼りに奴を追跡した。
「よし、抜けた……。けど、いない?」
粉塵を抜け、視界はクリアになったが、どこを見渡しても気配や痕跡は残っていなかった。
まるで、最初からそんな人物なんて、何処にもいなかったかのように…。
「間違いなくアイツの神の御加護は、あの偽物が使っていたものと同じだった。空気を圧縮して刃の形で打ち出す能力。確か……≪波状≫とか言ってたか…」
レンカの神の御加護は、毒キノコを限りなく無害化できる能力だったはず。
それと、厄災級の魔物であるヴァルンカを、一瞬で消し飛ばした時。あの時も内部から爆発させたような様子があった。
もし、その双方が彼女の能力だとすると≪波状≫とは別物の神の御加護であるはず。
通常、神の御加護は二つも授かることはないものだが、彼女が言っていたチートという話のことが何か関係があるのかもしれない。
だったら、あの偽物は逃げ延びた……リュカ?とか呼ばれていた男が、化けていたということになる。
しかし、一体いつから入れ替わっていたんだ…。
「入れ替わるタイミングとしては、俺たちが空中から落下してきたタイミングということになるのか…。だとしても、そんな短時間でどうやって…?アイツも複数の能力を……。あ、そうか……」
その時、俺は一つ抜け落ちている記憶の存在を思い出した。
それは、彼女と初めて会った時のこと。
ヴァルンカを前に死を覚悟した俺の元に、どこからともなく彼女が現れたあの瞬間を。
なぜヴァルンカが頭部だけになりレンカに襲い掛かったのか、それは彼女の出現と共に繰り出された異次元の刃で、四肢を切断されたからだ。
そう、あの時に放たれたものも、今回と同じく、似た能力だったはずだ。
形状、威力、範囲。その全てが当時は規格外だったにせよ、出力を下げれば自ずと結果は見えてくる。
「あれも、さっきのアレも……。あの能力すべてが、彼女の……クロガネ・レンカの神の御加護……」
冷静に考えれば、リュカの放っていた≪波状≫と先程の斬撃では、明らかに最大出力および、火力の上限に雲泥の差を感じていた。
通常、神の御加護が急激に飛躍的な成長を遂げることは難しい。
それに倣えば、数時間でリュカの能力があのレベルにまで強化される事なんて、もっと有り得ないことだと普段なら気づけたはずだ。
レンカが覚醒だの、なんだのと言っていることも、その理論を理由に本気にしていなかった。
彼女を信じず。能力面に既視感を覚え。冷静さを欠いた俺は、理論上は不可能だと頭の奥では分かっていながらも、彼女を偽物だと決めつけた。
「最低じゃないか……俺…」
きっとレンカのことだ、自分が神の御加護を扱える嬉しさのあまり、遊び感覚で撃ってしまった…というのが真実なんだろう。
だから、あの時の彼女からは殺気も感じなかったし、俺の激情っぷりに動揺をしていたのだ。
「覚醒するって言って、土壇場で本当に覚醒するやつがあるかよ……。ほんと、レンカらしいというか…」
顔を空へと向かい合わせる。
「降ってきたな…」
肌に落ちては流れ、落ちては流れを続ける冷たい大粒の雨。
妙に火照った身体を、外から急激に冷やしていく。
なんだか、空から降りてくるそれを、よく見る彼女の泣きっ面といつしか重ねてしまった自分がいた。
「━━━━━。」
頬に伝う水滴。
けれど、降り落ちるそれとは異なる、温かみある雫が零れ落ちていく感覚。
零れ落ちるそれは、後悔への表れ。
溢れ堕ちるそれは、自責への念。
ぎりぎりと噛み締めた唇からは、さらりとした赤い雫が滴る。
━━━━彼女は神から魅入られた。
その祝福が、愛が、形となり、あの三つの神の御加護に昇華されたのかもしれない。
異邦の世界からの来訪者であっても、神は彼女を認めたのだ。
彼女に力を与えた神の目的。意向が、どのようなものであるかは、真に神のみぞ知る領域なのだろうが…。
「━━━レンカを探して謝ろう。そして…」
神の考えなんか、俺には関係ない。
数百年間もずっと姿を見せ続けない神が、レンカをどういう風に認識し、特別な加護を授け、何をしようとしているかなんて。一般市民の俺には皆目見当もつかない。
だけど、一つだけ。これだけは、はっきりしている。
俺には。いまの俺には、目的がある。
「無事に…。彼女を無事に。元の異世界に…。俺が送り届ける……」
◇◇◇◇
【AM 5:24 神の樹海 深奥】
薄暗い森には似つかわしくない、その神秘的な舞台。
獰猛なウォンカでさえ寄り付くことなき、禁断の神域。
この森で最も強いものだけが立ち入ることを許される、聖なる神樹のお膝元。
ここに一度踏み入れれば、もう人の形は保てない。
王の前では、何者をも敵わない。
甘い匂いで惑わされ、視覚を弄って夢見させ、耳に幻想流されて、あっという間に腹の中。
触れてはいけない災害種。
起こしてはいけない、森の厄災。
無敵の彼を負かすこと。万が一にも、叶うなら。
それが叶えば、王になる。
■
■
■
雨降りしきる中、本来の主を亡くし、呆然と佇む神樹。
その傍で、足の潰れた荷車の中央に座り込む、一人の少女がいた。
「━━━━━━━━━。」
所々に、泥や血痕が付着し、切り裂かれてボロボロになったコスプレ衣装。
少女は、ほつれてしまったスカートの裾を一瞥すると、切なげに、破れた胸元の装飾を弄る。
━━━━半日ほど前。
大勢の人が押し寄せる、オタクたちによる、オタクたちのための真夏のビッグイベント。
コミックマーケット。通称、コミケへ彼女は訪れていた。
本来ならば、その日は売り子として頒布物のお手伝いをしたり、コスプレブースで撮影をされたりと、充実した一日を過ごす予定だった。
予定、だったのだ……。しかし、彼女は突如として災難に見舞われる。
━━━━━“異世界への転移”。
そんな、小説やゲームの世界で聞くような話が、現実で起こってしまった。
しかも自身が、当事者ということらしい。
初めこそ、その貴重で唯一無二の体験を心から楽しんでいたが、彼女が呼ばれた異世界は、オタクが思い描いていたような理想とは到底かけ離れた、理不尽で生々しい世界だった。
異世界転生・転移もの系にありがちな、チートスキルも授かりはした。
けれど、少女に与えられたのは全く戦いに役立てることが出来ない、ハズレスキル。
手に入れた能力は、腹が膨れるくらいにしか役に立たない。
毒キノコを食べても耐えられるだけの能力……なんて、どう使えというのだろう。
かと思えば、魔物ではなく人間に殺されもした━━━━━。
痛かった、すごく痛かった。
切られた場所がジンジンして、外から傷口に流れ込んでくる空気がとても冷たかった。
やめて。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。
何度も、何度も、何度も。何度も謝ったけれど、何故かずっと切られ続けた。
最後には、顔をぐちゃぐちゃにされて……そっから先は何も覚えてない。
記憶がハッキリしたのは、この世界で出会った男の子が助けてくれた辺り。
なんでも、彼の能力でわたしを生き返らせてくれたらしい。
でも、あの時の。彼の様子から、何となく気づいてしまった。
(ああ、この人。わたしを助けるために、誰か代わりに殺しちゃったんだって…)
理解した瞬間、わたしの中で大事な何かが壊れた。
そこから少しの間の記憶がない。
たぶん、わたし、発狂してたんじゃないかなぁ…。
だけど。そんな中、彼が呼び戻してくれた。
危ない境界線で、もう戻れなくなりそうだったわたしを、引き上げてくれた。
(この人がいれば。この人がいるなら、この先も何とかなるかもしれない…)
本気でそう思ったし、わたしも彼を助けたいって思った。
だから、キノコの怪物を見つけた時、わたしが食べて倒してやろうと思った。
それくらいしか、わたしの能力は役に立たないから。
━━━━━結局、それも空回りした。
良いとこ見せるどころか、とんでもないことになっちゃって。
空を飛んで……いや、落ちてた。
あの時は、生きた心地がしなかったし、罪悪感で圧し潰されそうだった。
けど、彼は必死に何とかしようとしてくれた。
沢山考えてくれた。でも………ダメだった。
自分だけが助かって、わたしを後から蘇生させることも出来たはずなのに、最後には一緒に死ぬことを彼は選んだ。
わたしにとっては、それだけで行動を起こす原動力になった。
覚醒させるとか、意味不明なことを言ってみたりもしたけど、内心は彼の下敷きになって致命傷を避けさせることしか考えてなかった。
彼を救えれば、次に繋がるし、きっと彼ならわたしのことも助けてくれる。
信じていたからこその、行動だった。
そんな気持ちが、もしかしたら神様に届いたのかもしれない。
地面に激突する間際、わたしが彼の下に潜りこもうと手を伸ばした時、それは発現した。
大きな空気の球体だった。
空気の膜で覆われた丸っこい球体。
みたいなものが、地面とわたしたちの間に広がった。
音こそ、すごいうるさかったけど。しっかりと、わたしたちを緩やかに地上まで降ろしてくれた。
まあ、わたしは木に引っかかっちゃったけど…。
別にそれはいいの。
彼を、彼のことを、ちゃんと今度は自分の意志で救えたんだから。でも……。
━━━━━━わたしは彼を……。本当に救えたんだよね?
初めてチートスキルらしいものが、やっと使えたことに興奮しちゃった。
嬉しくなって、舞い上がって、喜びを分かち合いたくって、彼に見せびらかした。
これが、だめだった。
今度は空気の刃…?みたいなのが出た。
さっきと同じ空気の膜を出したかったのに、なぜか失敗した。
見るからに危なそうな速さで飛んで行ったそれを、わたしは止められなかった。
幸い、彼は避けることが出来た。安心した。安堵した。胸を撫でおろした。けれど…。
彼の反応は、行いに対しての当然の結果だった。
人が変わったように、わたしが見たこともないような剣幕で、彼は怒り始めた。
わたしが、わたしじゃないだとか、殺しただとか…。
正直、わたしの思考能力はマトモに働いていなかった。
わざとじゃなくても、わたしは彼を殺そうとした。
怖くなった。
彼にじゃない。
無自覚に、彼を手にかけてしまいそうになっていたわたし自身に。とても恐怖した。
だから、逃げてしまった。
背を向けて駆け出してしまった。
がむしゃらに、無我夢中で……ここまでやってきてしまった。
きっと嫌われてしまった。
彼が追って来たとしても、理由には期待ができない。
和解ではなく、わたしを殺しに彼はやって来る。
殺されかけたんだもんね、そりゃあそうなるよね…。
そして彼女の心はもう…………。もういいや。
こんな独り言で。こんな、つまらない遊びをしてても、慰めにもならないし…。
「ぐすっ……。家に帰りたい……。お父さん、お母さん、■■■■、助けて…」
◆◆◆
【AM 5:40 神の樹海 深奥】
「━━━見つけた……レンカ」
現実から乖離したかのように幻想的な、その空間。
雨に濡れた巨木は、以前とは違う、ずしりとした厳かさを静かに放っている。
一度、自身の最期を悟り、けれども命を救われた。
不思議な少女と初めて出会った、忘れることのできない場所。
あの時、彼女が纏っていた、明るくもミステリアスで温かい陽光のような雰囲気。
「━━━━━━。」
感じ取れなかった。
荷馬車の上で膝を抱え、小さく丸く縮こまり、顔を俯く。
現在の彼女からは、いつかの俺が感じた印象の末端さえも感じ取れなかった。
少しの衝撃で、どこまでも深い奈落へと枯れ落ちてしまいそうな。
儚げで繊細な一輪の花のような。
触れることも躊躇われる危うさ。
近寄りがたく、無闇に近づけば傷つけてしまう。そんな印象。
「━━━━━━。」
けれど、進む。
彼女の元へ、歩を進める。
雨脚が強まり、行く手を遮ろうとも、俺の脚は止まらない。
「━━━━━━。」
彼女は、俺の存在に気づく素振りを見せなかった。
自分の世界。あるいは、自己防衛のため、心に殻を作り塞ぎ込んでいるのかもしれない。
この結果を作り出したのは間違いなく、俺だ。
二度も命を救われたにも関わらず、彼女の話に耳を傾けずに突き放したのは、俺だった。
彼女に助けられ、俺が真っ先にしたことは、事の経緯と真偽の質問。
本当に彼女が掛けてほしかった言葉も告げずに、現状の把握を最優先事項とした。
それが……。
彼女の気持ちを理解してあげられなかったこと。それが一番、悔しくて情けなくて……恥ずかしい。
「━━━━━━。」
まだ間に合うだろうか。
彼女に届くだろうか。
今のキミを……。そこから救えるだろうか。
「━━━━━━!」
人は間違いを犯してしまう。
どんなに実直に生きようと、どんなに愚直に生きようと。
人間として生きていくならば、必ず人生のどこかで、些細なミス程度であっても間違いは起こす。
人間とは、そういう生き物だ。
不完全で、どうしようもなくて、ここ一番ってタイミングで失敗をしたりする。
けれど、人間は。
失敗をし、間違いをお互いに正しながら、社会という大きなコミュニティを形成している。
間違いを許し、教訓にし、協力して、共に次のステージへと繋げる。
それは、人間の持ち得る、最高の美徳……と言えるだろう。
故に、人生は間違いだらけで、それが人を成長させるのだ。
━━━━━その辺のキノコを拾い食いした?
(食べ過ぎない程度にしておけよ)
━━━━━間違って知人に誤射をした?
(そんなの笑い話にでもしてしまえ)
「━━━━━━!!」
高ぶる感情に圧されて、いつの間にか俺の歩調は大股へと変化していた。
彼女への第一声は何にしようとか。口を利いてもらえるだろうか。なんて考えていた自分が、無性にバカバカしくなったことも、この行動の要因になるだろう。
言葉なんて、事前に決める必要なんてなかった。
俺の気持ちを。伝えたかった話を。いま抱えた、この感情を…。
彼女に語りたい……それで十分だった。
「━━━━━━レンカぁっ!!」
「━━━━━━━━━。」
しゃがれたような、それでいて、みっともない声。
けれど、自身の出せる精一杯の声量で、俯く彼女に呼びかける。
自分の鼓動がうるさい。
息の乱れも激しい。
木々に弾かれる雨音が、妙に鮮明に耳へ入り込んでくる。
自分の声がこの森中に響き渡ったような気がして、気恥ずかしささえも覚える。
しかし、突発的な羞恥心は彼女への気持ちによって泡沫のように搔き消された。
「………ぁっ………。うん…。ありがとう、レンカ。」
「━━━━━━━━━!?」
━━━━その一言を紡ぐ瞬間。
どうしてか、一瞬だけ時間が止まったかのような不思議な体験を味わった。
一方、感謝を伝えた俺の言葉が余程意外だったのか、ガバっと顔を上げたレンカは目を丸くし、そのままの姿勢で固まってしまっている。
彼女は静止したように動かないので、構わず俺は言葉を紡ぎ続けた。
「それと、さっきはごめん……。キミの言葉を俺は一度疑ってしまった。それだけじゃない、言葉に耳を傾ける選択さえ取ろうとしなかった。……本当に不甲斐ないよ、守ろうとしていた人に俺は守られて、その上で一方的に敵意を向けてしまったんだから……」
「……………。」
俺の話を聞き、レンカは顔に若干影を落とす。
どんな感情で静聴してくれているのかは定かではないが、聞く姿勢を崩さずにいてくれるだけでコチラとしては十分すぎるほどだった。
もちろん彼女の誠意には、俺もしっかりと誠意を持って応える。
「レンカが本当は何を見せたかったのか、俺なりにあの後考えたんだ。……あの時のキミは、俺を救ってくれた力を見せたかっただけなんだよな?……ありがとう。大丈夫だよ。キミの成長も、想いも、しっかり伝わったから。俺を助けてくれてありがとう。すごいじゃんか、レンカのチートスキル」
「……あぁ。………あぁ…」
宝石のように輝きながら、ぽろぽろと華奢な膝へ落ちていく小さな雨。
だけれども、その空には影も曇りも遮るものは何も無く、あるのはただ一つの眩い太陽。
「━━━ハンカチ……使うか?一度死んで、もう持ってなかったと思うし…。顔、くしゃくしゃになってる…からさ」
天も、曇りが晴れた彼女の気持ちに同調したかのように、途端に雨が上がる。
雨露に濡れた綺麗なレンカの黒髪は、月明かりに照らされ妖艶に輝いていた。
「う…うん……。うん………。ありがと……。ありがと……ルシェ……」
キラキラときらめく、涙と鼻水に塗れた、世辞にも清楚とは言い難い表情。
しかしそれは、俺の良く知る、馴染み深い彼女。
明るく、天真爛漫で、飛びっきりの無邪気な笑顔。
表情筋ゆるゆるな満開の花が、めいっぱいに咲き誇っていた。
「ねぇ、ルシェ……?」
「うん?どうした?」
「………鼻、噛んでもいい?」
「━━━━あ、うん。そのハンカチあげるよ」
◆◆◆
【AM 5:56 神の樹海 深奥】
「ルシェは私を助けるために人を殺した……。つまりは、そういうことなの?」
「……そういうことになる。本当は言いたくなかったんだけど、自分から口走ってしまったことだし大人しく白状するよ。……俺は人を殺めた。それが、俺の授かった神の御加護の使用条件なんだ」
「そう、なんだ…」
彼女の気持ちが沈んでいく様子が表情と言葉の節々に表れる。
隠し事は、ずっと隠し通せるものではない。
いつか終わりは来るし、その期間が長ければ長いほど、時には人を傷つけてしまうこともある。
その終わりが、今だったというだけだ…。
「レンカ……その……」
「わたしを殺した人を殺したの?……それとも殺した人と一緒にいた人みんなを……?」
「━━━━━━俺の能力は死者を蘇生させる……っていうのは、前に一度話したよな?」
「うん、聞いたわ。あまり実用的じゃない能力だってことも」
「そう。こいつは実用性のある力なんかじゃないし、簡単に人を生き返らせることが出来る便利な代物でもない。人を狂わせる呪いなんだよ。……少し話が長くなるから、歩きながら話そうか」
提案にコクリと頷くレンカ。
踵を返し、コーヒー豆の袋を抱えた彼女は、俺の隣を歩いた。
濡れて歩きずらくなった道に発生した水たまり。
進路上のそれを大きな一歩で避けた彼女は、俺の顔を一瞥したあと、自身の持つ袋を見つめ、口を開いた。
「さっきの、呪い…って。どういうこと?」
言葉との間に、一瞬だが間を置き彼女は尋ねた。
言い淀んだ間は、俺に対しての配慮から来たものだったのだろうか。
気を遣わせてしまっているのは実に申し訳ないが、こんな話を聞かせるのはもっと気が引けた。
「呪いは呪いだよ…。人の蘇生なんて、それだけで常識外の行為。加えて使用条件は、死した直後を除いて、蘇生対象者を殺害した者を俺が直接殺すこと。…こんなことを繰り返していたら、どんな奴でもいずれ狂い、最後には壊れる。……この力はさ、人を助けるために神が俺に贈ったものじゃないと思ってるんだ。俺が狂った末に、どんな歪んだ心を形作るのか、それを楽しむために神が与えたオモチャ程度の能力……。呪物なんだと、最近じゃ思わずにいられないんだ…」
単純に人助けのことを考えるのであれば、単なる“蘇生”という能力だけで問題ない。
けれどそこに、“人を殺せば蘇生が行える”なんて残酷な追加条件を要求している。
人殺しをした。だから殺人者に報復を与えるために殺して、被害者を蘇生可能状態にさせる。
これを当然の報いと、簡単に割り切り、処理することは出来ない。
なぜならその行いは、新たな憎しみの炎を生み出すキッカケ。小さな火種になり得るのだから。
「本題に戻すよ。レンカを生き返らせるために、俺が誰をどれくらい殺したか…っていう質問だったけど。答えとしては、関係者全員…を殺すつもりだった。あのスキンヘッドの男が息を吹き返したから正確には二人になったんだけど」
レンカを手にかけたスキンヘッドの男を、二度殺した。
結果として、彼女を生き返らせることは出来た。
しかし、レンカのイタズラにより、またもや何事もなく男は蘇った。
あれには、疑問が募るばかりだが、進展が望めない以上、彼の問題は現状として保留するしかない。
「あー、ごめん。やっぱりこんな話するんじゃなかったよな…」
空気の重さに耐えかねた俺は、話を途中で切り上げてレンカに謝罪をする。
幻滅されようと、彼女には起こったこと、俺の行ったことを正直に話をしておきたいと思っていたが、些か話すべきことではないことまで吐露してしまったようだ。
けれど、ここで想像通りの言葉は返ってこなかった。
「ううん。わたしは実際、ルシェの能力に助けてもらったわけだし、他の人を犠牲にしてまで生きたくない……なんて、物語のヒロインみたいな綺麗ごとは言わない。だけど、これは言っておかなくちゃ…」
俺としては、考えや行動を否定されるだろうと身構えていただけに、彼女の言葉には心底驚いた。
が、驚くのはまだ早かったようだ。
「!?」
ぼすっ!っという音が隣から聞こえてきたかと思えば、柔らかな感触が左腕に当たった。
彼女の細い腕が、がっちりと身体の自由を優しく奪い去った。
戸惑う脳内と、熱くなり上昇する体温に、顔が火照っていく。
泳ぐ視線は、彼女の手からするりと、地面に落とされた袋へ吸い寄せられるようにして不時着する。
落ちたコーヒー豆の袋は無事だが、こっちは無事ではなかった。
横目から、現実をゆっくり身体に受け入れさせるようにして、突然抱きついてきたレンカを見つめた。
彼女は顔を下へ向け、無言のままジッとしている。
掴まれた腕に、ふぅーっと当たる温かな風。
違う。これは、風ではない。
彼女の唇から漏れる吐息が俺の腕に吹き付けられて……。
「━━━━━!!」
むにゅっとした感触が、移動した。
この感触、この躍動感、そして、この吸いつくような肌……。はだ……??
(━━━━━着けていない……だと!?)
━━━━生だった。
服は心臓を抜き取られた際に破けて、胸元がパックリと開放的になってるなぁ…とは思っていた。
迂闊だった。
それだけの惨劇後に、下着が原型を保ち、自身の仕事を全う出来ているわけがないじゃないか。
考えれば直ぐに分かることだ。
だけど、白いレースのパンツが無事だったから失念していた!
ブラの耐久度を、過大評価してしまっていた…。
(これは…当てている?いや、当たっているだけなのか…?って、また動いた……だと!?)
下着は、ただ身に着けるだけの装備品ではない。
それの動きを制御し、形を保ち、抑え込むためにも存在している。
何を言いたいのか、それは━━━━━。
━━━━解放されたのだ。
ブラから解き放たれた、それの可動域は、恐れを知らない。
本体が移動すれば、共に揺れ。ぶるんぶるんと暴れまわる。
鎖を外されれば、二つの怪物は、もう誰にも止められない。
二つの山に挟まれた谷間。
否、ブラから解放された今となっては、峡谷と呼ぶにふさわしい魔の谷。
ここへ迷い込めば、抗い、抜け出すことは非常に難しい。
収まりの良さ、居心地の良さ、感触の良さ。
ここまでの優良物件。まさに安息の地である。
(レンカが揺れるたびに動く!こ、これは……。ハッ!まてよ……)
胸に挟まれた腕越しに、とくん、とくん。…と、彼女の心音が伝わる。
心拍数の速さは体調や年齢によっても違うだろうが、平常時にこの速さって…。
━━━━━レンカも……ドキドキしてるのか…。
東から昇り始めた太陽の暖かい光が、彼女の後方から差し込み、眩さを演出させる。
(━━━━━━━━━━━━。)
何も考えられない。
心の中で整理をしようと試みたが、未だ冷静さとは程遠い精神状態だったようである。
爆発しそうな鼓動の高鳴りを聞かれてやしないかと心配している俺をよそに、彼女は甘い香りを伴い、小さな顔を上げて、上目遣い気味に艶々とした唇を開閉し始めた。
「わたしは、あなたがこれまでどれだけの人を手にかけて、どれほどの回数の蘇生を実現させてきたのかは分からない。でもね?必要な命を助けるために…。大切な誰かを守るために、大きな決断をして、力を使ってきたはずだって。ルシェのことを知った今のわたしは信じてるよ。それは呪いじゃない。誰かの想いと、無理やり閉ざされちゃったその人の運命を切り開く、“希望”なんだとわたしは思うけどな…」
「━━━━希望……」
「ま、まあ?ラノベ主人公の能力としては、ちょーっとデメリット多めだから、主人公候補としてはわたしに分があるけどね!…さ、さっきだって。覚醒だってしたしぃ~?」
柄にも無いことを言って急に恥ずかしくなったのか、またよく分からない話を始めて場を濁すレンカ。
だけど、それでも。
この状態を解こうとしない辺りに、彼女の本質的な人柄の良さと本心が現れているんだろう。
まったく……。本当にキミには敵わない。
「ははっ……。あははは~!」
「え、なに!?壊れちゃったの!?心が壊れるって話の限界が、遂にここで到来しちゃったの!?」
壊れたように笑い始めた俺に驚く彼女は、腕の拘束を緩めて離れようとする。が…。
「ふぇっ!?なに!?」
彼女の離れる腕を強引に引き寄せて、俺の両腕はレンカを抱きしめ返していた。
戸惑い、あたふたする彼女に、嘘偽りない心からの宣言をする。
「━━━誓うよ。キミを元の世界に送り届けることを、ここに…」
人を助ける為に、人を代わりに殺さなければいけないという歪んだ神の加護。
そんなものを使い続けて、血で汚れ切ってしまった俺の手を彼女は迷わず掴んだ。
その手で救ってきた命は必ず存在する。
その力は呪いを振りまくものなんかじゃなく、人々の想いに応えることが出来る希望なのだと。
肯定的に、真っすぐと彼女は答えたのだ。
であるなら、こちらも期待には応えねばなるまいよ…。
「━━━━あ、あのさ、ルシェ?……もちろん気持ちは嬉しいし、この展開に持って行ったのは他ならぬわたしなんだけど…。でもそのぉ…。なんというか、これぇ…。プロポーズされてる並みに恥ずかしいこと言ってるようなぁ……ねぇ?」
「━━━━━━。」
「━━━━━。」
二人で抱き合い、誓いの言葉感ある重めなセリフを恥ずかしげもなく言った俺。
彼女の言うように見方によっては……そう見えなくもない……のか?
否、なんか、それにしか見えなくなってきました……はい。
彼女を包んだ腕を緩めると、どちらからということもなく、俺たちはお互い自然に身体を離した。
「━━━━━━。」
「━━━━━。」
数秒間の沈黙という、二人の間に生まれてしまった何となく気まずい空気。
現在、赤面し、もじもじとするレンカさんから話を切り出してくれることについては、あまり期待は出来なさそうである。
つまりは消去法で、俺が無言タイムを終わらせないといけない……ってことなんだろうな…。
「と、とりあえず!帰ろう、うん、街に向かおう。まずは、落ち着いて今後について一緒に考えよう!」
ってあれ?俺、また何か誤解を招きそうな言い回しをしてしまったような…。
「今後って…そ、そういう今後の話…なの?…ルシェってわたしのこと…」
「まてまてまてまて!ちがっ!な、何を想像してるんだよ!?ばっ、違うからな!さっきも下心で抱きついたんじゃないから!!本当だから!レ、レンカだってそうだろ!?」
「………そうなの?(上目遣いで首を傾げる)」
(いや、なんでそこでそんな顔するんだよ…。なんだよ、好きなのか?それは俺のことが好きって解釈で捉えていいのか!?)
混乱する俺の脳内神経たち。
だが、ここで選択を見誤るほど鈍感な俺ではない。
あくまでも元の世界には送り届けるが、女性から好意を向けられているのなら素直に受け取らないと男じゃない……だろ?そうだよな、俺っ!!(この間0.2秒)
「そうじゃないですっ!!そういう話の方向性で……!!」
「ふーん、そうなんだぁ……えっちじゃんか……ルシェ」
「━━━━━━━━━━。」
━━━━あれ、これが俗にいうハニートラップなんです?
罠に引っかかったってことなんですか。
明らかに流れは来ていた。いや、来てたよな!?
なのにどうして今は、冷ややかな目線を向けられているんでしょうか?
(━━━━━━はっ!?)
そして俺は理解する。
なぜ、こんな事に気が付かなかったのかと。
どうして、いける!などと思い上がってしまったのかと。
まるで、振られたような感じになったのは何が原因だったんだろうかと…。
━━━━━俺、モテたこと人生で一度もなかったわ。
(レンアイ!?カケヒキ!?エービーシーディー!?なんもわからねーよ!!)
恋心も乙女心も難しすぎんだろーがぁぁぁああ!!
せめて二択!そう、二択の選択肢でいいから用意してくれ!!
人生はハードモードだけど、恋愛はガイドもチュートリアルもない、クレイジーモードなんだからさぁぁああ!!
そうなのです。
結論として、鈍感でなくとも、女心を理解できていない男には、どれだけ努力をしたところで相手は、なびいてくれないのです…。
━━━━━ちなみに、女心ってどこで学べるんでしょうか?どなたか教えてください…。
「━━━━もう帰る」
「え、ルシェ?ちょ、ちょっと!わたしを送ってくれるって言ったばかりじゃない!?どうして一人でスタスタ行っちゃうのよ!?ねぇ、聞いてるの!?今のは冗談でしょ!?ちょっとからかっただけ……って、まってよ!!置いて行かないでぇぇぇええ!!」
この後、めちゃくちゃ泣かれました。
◆◆◆
【AM 6:40 フェミリア林街道 北方 】
長く濃すぎる夜が明けて、すっかり周囲は明るくなり朝を迎えてしまった。
この、全身血塗れという事件性のある格好で街に繰り出すのは、なかなかに勇気がいる…。(職質を受けなければ良いんだけど…)
森で一夜を越すことになるとは思っていなかったが、このまま順調に行けば、幸いコーヒー豆も全部とはいかないとしても、幾らかは持ち帰れそうだ。
「そろそろ森を抜けて街が見えると思うよ。ここは丘の上にあるから、街を一望出来て…」
「てことは、ルシェってさ。人を倒せるくらい強いんでしょ?なのに、相手が魔物になると戦力外になるのは、一体なんでなの?何か魔物にトラウマでも植え付けられてるの?」
「うぅん?何の脈絡もなく、触れづらい話ぶっこんで来たな。俺、今は景色の話してたと思うんだけど…」
「もしかして、野生のオークに襲われた…とか?確か、メスのオークって男の人を襲うんでしょ?ラノベ知識だけど」
「あー、魔物に襲われてトラウマ抱えてるのが理由ではないよ?いやまあ、トラウマは今日植え付けられたんだけどさ…。魔物って、人とは体の構造も思考する能力も全然違うから、戦闘向きの神の加護保持者じゃない俺では勝てないだけなんだよ。対人戦が得意なのは人の壊し方……あ、いや、攻略手段を昔教えてもらったからに過ぎないし……。そもそもオークって純正の魔物なのか?普通に豚肉の種類か何かの、親戚程度の魔物だと思ってたけど…」
「まって!?この世界ではオークを食べてるの!?━━━そういえば、ダンジョンで魔物を料理して美味しく頂く系の異世界ものもあったっけ…。というか話に出しておいてだけど、オークは異世界共通の存在なのね。不思議と安心したわ」
どこが安心要素だったのかさっぱりだが、彼女の世界ではオークは家畜として飼われてはいないようだ。コリコリしてて、まあまあ美味しいのにもったいないな。
「あ、ほら。見えて来たぞ」
広がる平原に真っすぐと敷かれた街道。その先を辿ると、海を面して築かれた一つの都市があった。
商いと物流、人とモノを繋ぐ世界の交流場所。
街を吹き抜ける潮風は、他国から多くの行商人や観光客を絶えず運び入れる。
活気と賑わいが溢れる大陸随一の商業都市。
「撤退の巨人に出てくるみたいな壁に囲まれたあれが、ルシェの住んでいる街?あんな中途半端な壁じゃ、すぐに突破されちゃうのよ?駐屯兵団は、なにやってるのよ…まったく」
「その、なんちゃらの巨人っていう魔物は知らないし、誰に文句を言ってんのかも分からないけど。あれが俺の住んでいる街。“商業都市シンフェミア”だよ」
「じゃあ、ここからでも分かるくらいに大きい、あの丸い輪っかみたいな…。観覧車っぽいのは?」
「ん?観覧車だけど…?」
「━━━━え、観覧車なの?」
「観覧車だよ?……レンカの世界じゃ、違う名前だったりするのか?」
「いや……観覧車だけど……。街なのよね?テーマパークじゃなくて、街!なのよね!?」
「街だよ?商業都市だから色々な商売をしてる人がいてさ。ああいう、娯楽施設もたくさんあって……。どうした?疲れが出てきた?」
「あぁぁ…。なんか、わたしの想像してた商業都市じゃない……。ファンタジーが仕事をしてくれてない…。本当に異世界なの……ここぉ?」
観覧車に興奮しているのか、頭を抱えるレンカ。
そんなに彼女の世界では頭を抱えるほど観覧車が珍しいのだろうか。
しょうがないなぁ、街に着いたらタイミングを見て観覧車に乗せてあげるとしよう。
「はぁ…。じゃあ、あれは何?今度は、この辺特有の自然現象ってやつなの?」
彼女は疲れた様子で、道を外れた平原に向けて、だらりと指を差した。
「ああ、あれはね………………なんだあれ」
指で差し向けられたその先には、黒いモヤのような物体がユラユラと揺らめいていた。
モヤは一見、影のようであり、また人型のシルエットのようにも見えた。
似た魔物で、シャーストと呼ばれる影状の魔物がいるが、彼らは基本的には夜にしか行動を起こさないし、真昼間からこんな場所で遭遇することはまず有りえない。
「ん?もしかして魔物なの?」
「どうだろ…。俺も見たことがない魔物…。いや、現象っていうか」
俺の知らない魔物は世界には、まだまだ沢山いるだろう。
学生時代に少し勉強していたとはいえ、世界は広大だ。
まだ見ぬ魔物を見つけ出し、研究するために、数多くの冒険者が日夜世界中を走り回り、参考文献も年々その数を増やしている。
だが、この辺りに出現する魔物に関しては、商売上ある程度熟知しているつもりだった。
初めて見る存在のそれは、現知識で該当するものがなかったこともあり、魔物と言い切るには情報不十分であった。
「そっかぁ、魔物ねぇ…」
「━━━━━なんか悪いこと考えてない?」
俺の表情を伺い、顔をニヤつかせたレンカ。
大体この流れの時は、面倒くさい展開になってしまう気配しかしないんですが…。
「ふふーん!対魔物戦では、非戦闘員のルシェの代わりにわたくし。クロガネ・レンカが!対峙してあげましょーう!」
ほら、始まったよ。恒例のやつ、来ちゃったよ。
「おい待て!得体の知れないやつは、無闇に刺激しない方がいいに決まってる!だから、ドヤ顔で前に進み出て行くな!」
「大丈夫よ、ルシェ。わたしのスキルは遠距離型っぽいもの!この距離から安全に仕留めさせてもらうわ!レベルの概念があるのか分からないけど、あんな竜クエに出てきそうな、シャドーもどきなんてわたしの経験値の足しにしてやるわよ!!」
確かに距離的には数十メートルは開いている。
けれど、あの影からは何か不気味で奇妙な違和感。
そして、彼女からは死亡フラグのような言動を感じていた。
「やめとけ、やめとけぇぇ!自分から死亡フラグを立てて挑んで行くんじゃねぇえ!!また死ぬぞ、レンカぁ!?」
「ルシェ。RPGはね、序盤は守りに入っていてはダメなの。世界観と乱数の把握。まずは、攻めて、叩いて、殴るのよッ!!」
「おまえは何言ってんだ!?いいから戻ってこい!!命は大事にしろ!!」
「いのちだいじに……ですって?ふん………『ガンガンいこうぜ』!!!」
とても勢いだけはある謎の言葉を残して、走り出した彼女は、もう止まらない。
しかし、あれだ。彼女、ぐいぐい近づいて行ってるけども…。
「━━━━━遠距離から攻撃するとか言ってなかったか……あの人……」
距離を詰めればもうそれは遠距離とは呼ばないが、そのことに本人は気づいているのだろうか?
いや、言ったことすら忘れてるな?あの人!
「さあ!喰らいなさい!!わたしの神の加護その2ぃ!!」
(うん?なんか今、変な当て字が聞こえたような……幻聴か?)
得体の知れない影に突撃した彼女は、対象との距離を5メートルほどにまで詰める。
遠距離ではなく、どう見ても近距離だが。影にバっと手をかざした彼女は、技名っぽい言葉を叫んだ。
「≪青狸砲≫ッ!!!!ド――ンッ!!!」
彼女の手のひらから射出されたのは球体型の空気の弾丸。
それは、俺が食らいかけた空気の斬撃とは、明らかに似て非なるものだった。
「あれが…落下する俺を救って、レンカがあの時本当に出したかった能力…?」
━━━━━いや、これが命中しても十分に危険ですけど!?
え、本当にこれを当てようとしてたの?
はじけるが?
俺の身体、はじけて爆ぜるが??
成功しても失敗しても、あの時に避けなければ確実に彼女に殺されていたという事実を再確認し、俺は肝を冷やした。
一方、念願の初戦闘を経験中のレンカさんは…。
「でぇぇたぁあああー!!!」
お望み通りのものが出て大喜びのようです。
ズギュ―――――――――――ン…!!!
案の定、轟音を立てて着弾した空気の爆弾は、異質な影を消し飛ばした。
跡形もなく消滅させるという点では、ヴァルンカにトドメを刺したあの能力もこれだったのかもしれない…。(ただ、あの時は無音だったが…)
「ルシェー?……勝利ぃ!!」
拳を天高く掲げ、勝利の決めポーズ的なエモートを披露するレンカ。
あれだけ乱立させまくった死亡フラグを、あっさりへし折って勝利を収めてしまった彼女に、俺は安堵感と同じくらいの不安感を持ち合わせていた。
なんだか、あまりにもあっけなさすぎるというか……。
「倒したのなら街へ急ぐぞ。他にも仲間がいるかもしれないし………。!?」
背後……。それを感じたのは俺の背後からだった。
ざらざらとしたノイズのような機械音。
言語は理解できない。それが言葉なのかも定かではない。
けれどソレは確実に俺に語りかけてきていた。
「§€¶§¶」
聞き取れないが、繰り返し何度も何度も何度も何度も……。
ソレは同じ音を幾度も流し続けていた。
「━━━━━ッ!?」
ソレから離れるために距離を取ろうとするが、足が……いいや、足だけじゃなく体が動かない。
金縛りや恐怖からの硬直とは何かが違う。
身体という枠組みの話ではなく、まるで自分という概念そのものが空間に杭か何かで固定されたかのような、磔にされた感覚。
表現するなら、この説明が一番状況には近かった。
「§€¶§¶」
問いは変わらない。
ソレに何かを問われるが、俺は答えることができない。
「!?」
ソレは返答に応じない俺に痺れを切らしたのか、肩甲骨の中央付近から丁度、脊柱を通るようにすぅーっと冷たい物体を俺の背中に沿わせた。
「━━━━━━!?」
ジリジリと焼けるような痛みは感じるが、声が出ない。
後ろを振り向けない以上は何をされているのかも分からず、かつて経験したことのない恐怖と感覚に脳は悲鳴を上げていた。
「━━━━!━━━━!?」
何かが俺の中に入って来る。
身体の中に手を入れられて、グチャグチャと弄られる不快感。
このままでは狂ってしまう。それが唯一、俺がこの場で理解できた情報だった。
「━━━━。━━━━。」
相も変わらず、ソレは俺に語り掛ける。
何度やっても俺には分からないし、それは無駄な行為だ。
できれば今すぐこれを止めて、他を当たってほしい…。
「━━━ケ━。」
(━━━まて、いま……俺にも分かる言語を発さなかったか…?)
「━━━ケ━。」
(まただ!また聞こえた!…確かにいま、“ケ”って……)
俺は背中の痛みのことなど忘れ、背面のソレが発する音に全神経を集中させて耳をそばだてた。
「━━スケ━。━━スケテ。」
(━━━━スケテ……?『タスケテ』…?助けて、と……そう、伝えている…のか?)
聞こえた。今度は、かなり鮮明に。
間違いない、背後の影は俺に助けを求めている。
先ほどまで聞こえなかった声が聞こえるようになったのは、影に体を弄られたから……ということなんだろうか?
他人…もとい知らない影に、身体を好き勝手に改造されたのは戴けないが、助けを求めているなら話は別だ。きっと、よほど込み入った理由があり、手荒な手段を用いるしかない程に緊急事態だったということなのだろう。
悪意を持った存在ではない以上は、何か力になれれば……。
「━━━━━その3んん!!」
「━━━━━━あ……?」
「≪黒鉄斬≫ぅうううッ!!スパァ―――ンッ!」
「!?!?!?!?」
ブォォォォンンン……!!!
壮大な音と共に、これまた豪快な斬撃が俺の真横を疾走する。
前回は、そんなバカでかい音も無ければ、規模も大きくなかったが、今回は一味違うようだ。
なんというか、手から出るにしては…大きさがおかし過ぎないかその技!?
それに、ターゲットは恐らく……。
「タ…ス…ケ………アア゛ァ……」
レンカのイカれた大技で真っ二つに下ろされた影は、しゅわしゅわと空気中に散らばり消えていった。
「━━━━━━━━━━。」
「ルシェ!!大丈夫だった!?なんかグチュグチュされてたけど…?なんの抵抗もしないから、お取込み中なのかなって~思って、暫く様子見てたんだけど。やっぱり、横槍入れて正解だったみたいね!!ふふん!感謝しなさいよ?見たでしょ?聞いたでしょ?わたしのチートスキル!!これなら、次の伝説になるのは、〇トの末裔じゃなくて、このわたしだわ!!」
助けてくれたことには、本当に感謝したいのだ。
幸い、背中にも違和感は感じないし…。
ただ、素直に喜べないというか…。
ソレな影さんに申し訳ないというか…。
影よ、死という手荒な救済で本当にすまない……。
彼女の代わりに謝罪するよ…。
どうか、安らかに……。
「ねぇ、ありがとうとかも言ってくれないの!?ねぇ~、聞いてるルシェ?」
俺と影の間で何が起きていたのか全く知らないレンカは、ぴょこぴょこと飛び跳ねて感謝の言葉を求めてくる。
もちろんお礼は言うよ、言わさせられてる感出ちゃうけども…。
「あ、ありがとう。レンカがいなかったら俺…どうなってたことやらぁ……あははは……」
「む、なんかあんまり嬉しくなさそうじゃない?あ~、さては、あの魔物にそんな良いことでもされてたわけ?ほんっと、男の子って仕方のない生き物ね…。ほんっと!仕方ないわ」
いつも思います。
なぜ、この子は、毎回一言多いのだろうと…。
「━━━━━では、実家に帰らせて頂きます」
「あ――!!まって!またそうやってすーぐにわたしを置いて行こうとするのよ!!ねぇ!本当はわたしがいなくなったら心配するんでしょ!?だったら……あー!?本気で走り出さないでっ!!悪かったわ!!わたしがごめんなさいするからぁぁあああ―!!!!」
***
━━━と、いうことで、ようやく俺の住む街。
商業都市シンフェミアへと帰って来たが、さてさて……。
このコスプレガールをどうやって、異世界に帰してあげるべきか…。
「もきゅ、もきゅ!ふふぇ!ふぉうるんごうふぁいごうふはふぇ!」
「━━━━━━━。」
その他にも、過半数以上を失って2袋だけになったコーヒー豆。(怒られる…)
そして、厩舎から借りた馬を亡くしてしまったこと。(絶対に怒られる…!)
問題は山積みだが、未来のことは未来の俺に任せて…。
今はとりあえず食事を摂ることとしよう。
「すみませーん!チーズペパロニファブロバーガーとポテ……」
「ジャイアントオークパウンダーバーガー追加で5つくださーい!!」
「━━━━━━。」
「オークが、こっんんんんなにっ美味しいなんて知らなかったわ!?これを食べてない異世界転生系の主人公は絶対損してるわよ!!間違いなくねっ!!あっ、すみませーん!ペプチドコーラのLサイズも追加で―!!」
「━━━━あのぉ…レンカさん。ここで一体どれだけハンバーガーを食べたのかご存じで…?」
「ふっ、愚問じゃあないかルシェェェ。貴様は今までに食ったハンバーガーの個数を覚えているのか?つまりは……そこにハンバーガーが用意されているなら食べるだけだッ!!そぉう!食えばよかろうなのだァァァァッ!!」
ガツガツと、さぞ美味しそうに、幸せそうにハンバーガーを頬張るレンカ。
いっぱい食べる君が好き?……冗談じゃないっ!このメイド、今何個目のハンバーガーに食らいついていると思ってるんだ……。
10、20なんて可愛く見えてくる物量。(10個でも可愛げは、仕事を止めてるが)
その総数は、ざっと…。
「ハンバーガー600個も食べるとか!俺の財布と周辺のオークを狩りつくすつもりか貴様ぁ!?もう、お前はハンバーガー買わずに直接オークを狩ってこいよ!?地産地消でオークスレイヤーにでもなっちまえぇぇぇええええ!!!」
「━━━━天才……。天才よ、ルシェ!!そうだわ!現地調達して無限に作りましょ!オークバーガーを!!」
途端に別の理由で、ぱあっと表情をさらに明るくさせるレンカさん。
まずい。非常にまずい!このままでは、本当に狩りつくしてしまう…!!
━━━━これが後に世を騒がせる、シンフェミア近隣の生態系を変えてしまう事件の始まりだった…。
「なんてことには、俺が絶対にさせないからなぁぁぁああっ!?」
「それじゃあ、行くわよ!!オーク狩りに!…あ、すみませーん!ゴッドバードクリスプ単品をテイクアウトで~!」
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今月も、ご一読頂きありがとうございます。
なんとか目的であった街へと二人を帰還させてあげられました。
森で起こったことや、解けていない謎などは後々明らかになっていきます。
ちなみに、次回は新しい章に入る前の幕間のようなお話になります。
この回でシンフェミアという街のことを少し知っていただけると幸いです。
新しいメインキャラクターも加わってきますのでお楽しみに。
それでは、また機会がありましたら次月お会いしましょう。