Page:03 わたしのチート能力が、ゴミすぎるんですけどっ!?
この小説のメインヒロインが物語序盤で殺され、事態と雰囲気は一気にダーク異世界ファンタジー化の加速に飲み込まれていく。主人公の『ルシェ―ド・二クロフ』にもその影響の魔の手が確実に迫っていた。シリアスな環境下で露わになっていくルシェ―ドの正体と謎。そして、シリアス路線を越えた先に待つものとは━━━━!?
「ルシェ…?あのね、シェリフはもう居ないの…。お空に旅立って行っちゃったの。だから、バイバイ…できる?」
ピクリとも動かなくなった彼を見つめた母は、俺に離別の言葉を促す。
「ぐすっ、ぐすん…。なんで…?シェリフは、ぼくのこと、きらいになっちゃったの…?だから話しかけても、うごいてくれないの?ねぇ、ママ…」
「………。」
「ぼく、まだシェリフとたくさん、お話ししたいことも、あそびたいことも、いっぱいあったのに…。ぼくが、わるい子だったから?ぼくが、いい子にしてなかったから?」
「ルシェ…」
困らせた。
その言葉に眉を落とした。
自分は母を困らせている。
それは自覚はしていたが、込み上げる感情が言うことを聞くことはなかった。
「ぼく、もうワガママいわない。ママとやくそくする。だからシェリフと……お話させてよ…」
「……ごめん、ごめんねルシェ…。ママも…うぅっ…」
母は、声も上げず。
ボロボロと涙を落とし続ける俺を、ただ優しく、けれども力強く『ぎゅうっと』抱きしめた。
きっと自身にも込み上げてきているであろう、彼への死の悲しみをぐっと堪え。
何が起こったのか理解が及んでいない小さな身体を、温かく包み込んでくれた。
だけど、多分その母から注がれた愛が…。
━━━━━━すべての引き金だった。
「!?」
あの瞬間、母が見せた表情。
それは、驚きを露わに。悲鳴を押し殺し。
そして、実の息子に向ける恐怖にも似た、おぞましい物を直視するかのような、畏怖する瞳だった。
「くぅぅぅん…」
「あっ、ママ!もどってきたっ!お空からかえってきたよ!シェリフが、シェリフがうごいたよ!」
「━━━━━━━━。」
目の前で事故に遭い、死んだはずのペット。
愛犬シェリフの蘇生。
それが俺の、初めて“神の加護”を使用した日であり、同時にその異端な能力の存在を認識してしまった運命の日だった。
━━━━━━━誰しも例外は無く、人の生は皆、一度きり。
そんな世界の基底規則を崩壊させ得る能力は、こうして一人の人間に授けられた。
この出来事は、間違いなく俺のターニングポイントの一つだろう。
もちろん、誤った道としてだろうが…。
あの日に、こんなものを授からなければ。きっと、お母さんは……。
***
【神廻歴4201年3月8日】
【PM 21:20 ヒカゲ小路 不明】
「━━━━━ここだ」
地面に続いていたおびただしい程の血痕は、そこでプツリと途切れていた。
血液の量からして、魔物の臓物を大量に持ち運んでいるのだろう。……本当に反吐が出る。
「……にで……させたく……だろう?」
シリ切れになった血痕の先、前方の闇の中に洋燈のボンヤリとした暖色の光がチラついていた。
灯りに並行するように、複数の人影がユラユラと会話をしながら移動していることも確認できる。
反応はあった。あの中の誰かが、そうらしい。
「見つけた。……ごめん。ここで待ってて」
先程までコーヒー豆を入れていた袋は、ドスッと鈍く重々しい音を立てて俺の手から地面へと離れる。
その衝撃ゆえか、じんわりと赤いものが繊維を侵食するようにして、袋の表面に滲み出てくる。
こんなところに置いて行きたくはないが、一緒に居ては少々やりづらい。
仮に俺がしくじれば、そこまでなのだ。失敗の要因になる原因は作らない方がいい。
「魔物は狩りに関しては用心深い。狩猟後は血痕をこんなにもボタボタと落としながら移動もしない。杜撰な手口。こういう胸糞悪いやり方をするのは、いつだって同じ…」
腰に巻いたポーチをするりと外す。
中から一枚の白い面だけを取り出し、ポーチを袋の隣に添え置いた。
魔物相手では、俺が一方的に蹂躙されるのが関の山だが、それ以外であれば話は別だった。
「━━━━━━━━。」
手に持つ白い面を顔にかざすと、次第に感覚が研ぎ澄まされていく。
━━━━━あらゆる音を意識する。
鳥の羽ばたく音、森に住まう虫たちの輪唱、そしてこれから堕ちていく愚者共の喧騒。
━━━━━あらゆる匂いを意識する。
どろりと鼻孔を侵すツンとした甘ったるい死臭、もったりと脂っこい泥のように生臭いケモノ臭。
━━━━━あらゆる情報を視界に入れる。
構成人数は三人。
筋力量と躯体からして、左から、遠距離、近距離、サポーター。
武器は二名所持。内一名は、護身用。
経験年数は、返り血の少ないあのローブの男が一番長い。
逆にカンテラを持つ水兵服の若い男は、ビギナー。
戦斧を担いだハゲは……あり得るな。
狙いは定まった。
もし外れてしまったとしても、その時は他を仕留めればいい。
行為に加担し、関わったことが罪なんだから…。
「━━━━━それじゃあ、行ってくるよ。……人間相手なら、負けるつもりはないから、安心してそこで待っててよ。メイドさん」
発声器官を失った彼女に言葉を残す。
これは意味のない行動ではあるかもしれないが、自らの理性と正当さを保つには必要な行いだった。
手を染め、道徳心を汚す。
とっくに慣れている行為だと思っていたが、ピクピクと手が痙攣していることで考えは否定される。
この手の僅かな震えは、俺がまだ人間であるという貴重な証明。
人間であるなら。
まだ理性を持つ人間として活動できるのなら。
━━━━━それで十分だ。
「人を殺したんだ…。殺されても文句は言わないでくれ…」
こうして俺は、殺戮を開始した。
◇◇◇◇
「ガハハハッ!どうだ?夜の楽しい楽しい、魔物狩りの感想はぁ!」
黒い髭を蓄え、大振りの斧を担いだ、戦士風なスキンヘッドの男は、まるで買い物でも済ませた後のように、肩へカゴをぶら下げ、意気揚々と歩を進める。
「ああ、最高だよ。ウォンカがこんなにもゴロゴロ転がってる穴場があるなんてな?食通の間じゃあ、コイツらの内蔵や脳は珍味として高値で売れる」
戦士風な男から語りかけられた漆黒のローブに身を包む男は、己の戦利品とでも言いたげに、ウォンカの心臓を鑑賞しながら彼に答える。
「だろうだろう!俺の見つけたここは、金の成る森だからなぁ!!おっと、冒険者教会には絶対に言うんじゃねぇぞ?何でもココは、狩りが禁止されてるとかいう話らしいからな!」
「ここで無闇に騒いで、例の厄災級の魔物を下手に刺激させたくないからだったか」
「なんだよ!知ってんじゃねぇか!…けどよ、そんなのは噂話に過ぎねぇよ!もし本当に居るなら、今頃俺たちは喰われちまってるだろうからなぁ?…ガハハハッ!」
一方でローブの男は、彼の話に表情一つ変えず、ねっとりとした視線を心臓に注ぎ続けている。
相手にされなくなったスキンヘッドの男は、つまらなさそうにしながらも次の相手に話を振った。
「で?お前はどうだったよ、リュカ。初めて人間を殺した気分はよぉ!」
リュカと呼ばれた若い金髪の船乗り姿の男は、その問いに対し表情を曇らせつつも口を開いた。
「最悪だよ。俺は、魔物を殺して大金を稼げるって聞いたから参加したんだ!なのに、狩猟現場を見た人間…それもまだ未成年くらいの女の子を殺すなんてイカれてる!これはもう冒険者の仕事の範疇を超えた犯罪だ!!」
憤るリュカの発言を聞き、スキンヘッドの男は大きな溜め息をつく。
「なぁ、見られたんだから口止めは当然だろ?バレたら全てがパーなんだぞ?冒険者だからって人間を殺してはいけないなんてルールは何処にもないハズだ。ほら、指名手配犯の手配書も生死問わず~ってやつが掲示板にもよく貼られてるじゃねぇか。じゃあ、その依頼をこなして生計立ててる奴は冒険者じゃあなくみんな犯罪者なのか?それにな、あのメイドに不幸をもたらしたのは他ならぬ、お前だぜ?」
「っ…俺は……!」
「まて、揉め事はその辺にしておけ、何か来るぞ…」
ローブの男は二人の口論に割って入ると、ジェスチャーで互いに身を寄せ合うようにと、素早く指示を出す。
『魔物か?俺は何も感じなかったぜ?』
『いいや、確かに気配があった。それも、敵意や殺意とかではない妙な気配がな』
「はぁ?んだったら、別に襲ってきたりはしねぇだろ。どうせ通りがかった無害な小動物か何かだろ?ったく、警戒して損したぜ!いつからお前は、そんなチキンローブマンになっちまったんだ?ガハハハハ!」
悪態をつくなり、スキンヘッドの男は小声で話すのを止め、大きな笑い声を周囲に響かせた。
『何をやっている!?今すぐその馬鹿笑いをやめろ!!』
「あぁ?誰が馬鹿だって?調子に乗るんじゃねぇぞ!ここに連れてきてやったのは俺だ。俺は、お前がビビり散らかしているからそれを笑って……」
「「!?」」
━━━━━━ここで異変が起きた。
スキンヘッドの男の顔から突如として表情が消えたのだ。
饒舌に、まくし立てるように、口を回していた彼の言葉は、そこで終わりを告げることとなる。
言葉を噤んだわけでもなければ、口ごもったわけでもない。
彼には、その先を語る器官が存在しなくなっただけだった。
「━━━━━━まて、どうなっている…」
ローブの男は、理解が追いついていなかった。
目の前で行われたそれは、あまりに現実味のない芸当だったのだから。
「首が……。首が、ねじ切られた…」
つい先ほどまで馬鹿笑いを発していた男の首は、ぐるっと首元から一周半ほどねじられ、皮一枚程度の繋がりを残して、強引に切り取られていた。
現実として首の皮一枚は繋がってはいるが、既に人間が生命を維持できる状態ではないことは一目瞭然だった。
その後、残された身体は、そのままゆっくりと後方へ倒れこみ、重厚な音と共に地面に叩きつけられた。
「━━━━━リュカ、確認させてくれ。今、何が起こったかお前には見えたか…?」
ローブの男は体を硬直させたまま、船乗り姿の男に問う。
「い、いいえ。気づいた時にはあの様子でした…」
「そうか、残念だが私もだ。……いいか、決して今のと戦おうとは考えるな」
「ええ、分かってますよ。こんな奴とまともにやり合えるわけがない。そもそも戦いにすらならないでしょう……」
リュカから返ってきた言葉にローブの男は、安堵したようにふっと息を吐く。
「ああ。その通りだ。君がこの馬鹿みたいな分からず屋でなくて安心したよ。……準備は良いか?」
「━━━━━俺はいつでも大丈夫ですよ…」
緊張に顔を強張らせたリュカは、ローブの男に頷く。
二人の覚悟は、すでに決まっていた。
「よし。………走れッ!!」
彼らは、合図で同時に駆け出した。
現在、何に襲われているのか分からない中ではあるが、この場に留まることが最も避けたい選択肢なのは共通の認識であった。
故に走るという選択を二人は選んだ。
魔物であれ何であれ、逃げる者を追う際は、必ず追跡者の正体ないし、隠すことのできない何らかの軌跡が表面上に出てくるものである。
この世界で冒険者を生業にする者たちにとって、誰かに恨まれ、追跡され、殺されかける等という経験は、少なからず幾度も経験している。
今回も同じように対処をしていければ、問題なく生還することも容易であると二人は考えていた。
しかし、あの犯行には、互いに引っかかっている部分もあった。
「あれ。ウォンカの仕業じゃないですよね?あの大猿が、あんな精密な動きをするなんて聞いたこともない」
「ああ、ウォンカではない。もちろん、この地域に居座る例の厄災級生物でもな」
「どういうことです??そういえば、さっきも妙な気配がすると言ってましたけど…」
「そのままの意味だ。我々に向けられた視線は獲物を狙う時のソレではなかった。まるで、そうだな…」
ローブの男は複雑そうな表情を浮かべて、自分の考えを口にした。
「どの馬に勝利の女神が微笑むのかを見定めているような……。ただ一つの正解を探しているような……。そんな感情で、コチラを覗き込んできている感覚だ」
「━━━━それ競馬のパドックの話ですか?今、冗談を言えるような場合じゃないですよね?それに、あなたそんなキャラでした?」
「私は真面目だ。そう感じたからこそ奇妙に思ったのだ。そして、その奇妙さを危険だと感じ取ったことは、あながち間違いではなかったらしいが」
彼が声をかけていなければ、三人とも既にあの瞬間に殺されていたのかもしれない。
背中からぶわっと、急に冷たい汗が一斉に流れ落ちていく感触をリュカは抱く。
べったりと肌に張り付く服が不快感を与え、それに押されるように不安感も募っていく。
「う、後ろからは誰も追って来てませんね。振り切ったんでしょうか?」
背後の様子を確認する彼の視界には、何者も映し出さなかった。
「まだ止まるな。あの距離間で見ていても、どうやって攻撃を仕掛けてきたのか見えなかった以上は、特別な神の加護を所有しているのかもしれない。ならば、このまま走って街まで帰るぞ」
「━━━━━━━。」
「どうした?何か見えた………か……」
二人はピタッと、並び立つようにして静止した。いや、余儀なくされた。
彼らをそうさせたのは、目の前に現れた者が原因だった。
「━━━━そうか。お前は、初めから我々を追って来ていなかったのか」
雲に姿を隠されていた月が少しづつ顔を覗かせる。
月明かりが徐々に、対峙している相手の姿を鮮明に照らし始めていた。
「この道を通るって分かってて、アンタは先回りをしていた……」
自身の物なのか、返り血であるのか、所々に赤く染まっている衣服。
月光により、肌に滴り纏う血がキラキラと妖しくも、鮮やかに輝きを放っている。
「何が目的だ?人間が人間を殺すなんて余程の理由だと思うが……。お前は人間で合っているんだよな?」
行く手に立ち塞がったのは紛れもなく人間だった。
背格好的には大人の男。
顔にはデスマスクのような、白く不気味で薄ら笑いを浮かべた仮面。
そのマスクのせいで、本当に人間なのかも判別がしづらい。
だが、出で立ちからして、襲ってきた人物が目の前の仮面の男と同一人物だろうと、ローブの男は推察した。
「答えたくないならそれで構わない。ただ今回は見逃してくれないか?後でシンフェミアの冒険者協会にゲケールという名前で訪ねてくれればいい。その時に見逃してくれた謝礼として、いくらか金を払おう」
「━━━━━━━。」
━━━━━仮面の男は沈黙を貫く。
声が届かない範囲では決してないはずだった。なのに返答がないということは…。
『もしかして、言葉が通じないんでしょうか?』
『どうだかな。だが、向こうから動く様子がないなら、切り抜けることは出来そうだ』
ローブの男、ゲケールは再び仮面の男に呼びかける。
「わかったよ。お前さんが誰なのかは追及しないし、何をしたいのかも問わない。こちらも連れが死んだことは水に流す。だから、こうしよう」
ゲケールは手にしていた臓器袋を一袋。
大げさに動作を誇張して、自身の足元へ丁寧に落とした。
「これを置いて俺たちは後ろに下がる。そいつはお前さんにプレゼントするよ。魔物だろうと人間だろうと、持ってて困る価値の物ではないだろう?食べるなり、売るなりお前の自由だ」
一方的に話し終わると、二人は一歩、二歩、三歩と。仮面の男から目を逸らさずに後退をしていく。
仮面の男も同じく一歩、また一歩と地面に置かれた袋に向かって、歩を進めていた。
「━━━━━━━。」
その数分は息を飲むことも憚られるほどの緊張感が、常に場を支配していた。
『━━━━よし、奴が袋を取った。中の確認を始めたら…行くぞ』
『わかりました…』
仮面の男は、袋の置かれてある場所で止まると、それを手に取り早速袋を開け始める。
そこまで見届けると、二人は後退する足の速さを少しずつ加速させる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
1速、2速、3速と。
緩やかにスピードを速めて。
徐々に、徐々に。
止まることなく、ギアを上げ続け…。
ある程度の助走がつくと、仮面の男を背に……。
━━━━━この場からの逃走を図った。
「げ、ゲケールさん!この方向で大丈夫なんですか!?街とは逆方向なんじゃ…?」
「忘れたのか?私の神の加護は特定の手順を踏んだ対象の“平衡感覚を狂わせる”能力。そして今、アイツは平衡感覚を失っている。私が設定した袋を手に取り開封し、中の確認をするという条件を、手順通りにクリアしてくれたおかげでな!すぐに迂回して戻れば何も問題は…」
「━━━━へぇ、アンタが原因だったのか」
「━━━━は…?」
「ゲケールさん……後ろに…」
「!?」
「━━━━━これで、二人目だ」
━━━仮面の男。彼はある方法を用いて、容易にゲケールへ接近を遂げた。
まず、人間の視野というのは両目で左右約200度ほどを見渡すことが出来る。
魚など左右の側面に目が構成されている生物とは違い、人の視野は広いとは決して言えない。
さらには、しっかりと物体を把握することができる有効視野ともなると、その精度はかなり絞られてきてしまうだろう。
彼は、そこを活用していた。
並走するゲケールとリュカ。
その両者の後方中心に、生まれるべくして生まれた。いわゆる視野から漏れた死角。
ぴったりとそこへ身を潜め、同じ速度、同じ息使い、地面を踏みしめるタイミングすらも同じく。
その全てを限りなく同一化させることで、彼は存在を完全に消していた。
もはや、この行為は人間に成せるレベルのものではない。
同じことを同じようにするということは可能だが、寸分たがわず相手と同一の作業・行動を機械的に模倣し、継続して行うことは普通の人間には出来ない。
同じ行動を日々行っていれば、脳は無意識的にその行動をオートメーション化してしまう。
つまり、無意識化で自動的に身体を行使することが可能になる。
それは単純な話、物を取ろうとするときに「取る」という意識を働かせなくても手が動き、物を掴むことが出来るといった話である。
その自動化に身を委ねることで人間は生活を快適に過ごせている。
だが、その自動化にはデメリットもある。
それは、その能力に依存してしまうことだ。
依存し、頼り切る癖は、行動に付随する思考を徐々に放棄させ、自動的にオートメーション化に切り替えてしまう。
これにより、一つ一つの行動に必ずムラが発生する。
これが通常の人間である。
しかし、彼は違った。
行動の自動化を行わず、全てをマニュアルにて行動を切り替えて行うことが可能だった。
人間としてこれは、はたして欠陥なのか。
または、これも神が与えし贈り物と呼べるものなのか。
天賦となるか、自身を苦しめる障壁となるかは、その使い方次第だろうが…。
「アナタは何なんだ。その動きにその技術、もう人間じゃ…」
「━━━━━違った…。ということはお前か」
仮面の男はリュカの問いには答えもせず、その代わりに冷たい眼光を仮面の奥から飛ばしてきていた。
彼はゲケールの頭を両手で掴み、一瞬にして首をあり得ない方向に捻り曲げた。
その眼前で行われた光景に、リュカは半ば己の死を覚悟する。
だが、助かりたいという思いから、気が付いた時には言葉を男に投げかけていた。
「お、俺たちが、あの子を殺したから…?」
ここまでされて、思い当たることが何一つも無いなんて、今さら綺麗ごとを並べるつもりは彼にはなかった。
仮にここで、白を切ったとしても、問答無用で男は殺してくるはずだ。
復讐か、報復かは分からないが、殺したいほど彼から恨まれていることは間違いないのだから。
「━━━━━━━。」
「待ってくれ。あれは事故なんだ。たまたまウォンカと一緒に居たから巻き込んでしまっただけで…!」
「━━━━殺したんだろ?なら、それで話はお終いだ」
男は止まらない。
けれどリュカは、どうしても、殺されるのだけは嫌だった。
自身が人を殺めた咎人だとしても、その気持ちは変わらなかったのだ。
ならば、彼には命がけで仮面の男に抵抗するしか道は残されていない。
「来るな、来ないでくれッ!」
リュカは広げた掌から、20cmほどの空気の刃を生み出し、時速180kmという規格外な早さで仮面の男に向けて放った。
「?」
仮面の男は首をやや傾げながらも、悠々とその攻撃を躱していく。
「うそだろ…。あれを見て避けれるのか…?」
打ち出されてから標的に着弾するまでの距離感は7mもないはず。
その僅かなインターバルの間で正確に判断して的確に避ける彼を見て、リュカは一瞬で実力の差を痛感する。
「お前の神の加護はそれか?」
「っっ!!」
その程度なのかと問われ、煽られたように感じたリュカは、続けて何発も男に向けて空気の刃を打ち出した。
何度も、何度も、何度も…。
数を打てば当たるわけではないことくらい、頭ではとっくに理解している。
しかし、ここで引けば、待っているのは一方的な殺戮だけだった。
━━━━━━それでも男は、全ての攻撃を余裕を持って躱し、改めて同じ質問を繰り返した。
「━━━お前の神の加護は、それなのかと聞いている」
仮面の男の平静さ。それが、余計にリュカを苛立たせた。
「ああ、そうだよ!空気を圧縮して刃の形で打ち出す。それが俺の神の加護≪波状≫だ!」
「……彼女の顔を削ぎ、心臓を抉り取ったのは、お前の神の加護なのか?」
━━━━━妙な質問だった。
発言の内容から考えれば、復讐相手を探している…ということなのだろうか。
リュカは、仮面の男が特定の人物に固執していることに気づき始める。
「俺は、あの子を助けられなかっただけだ……。そんな話は知らない」
「━━━━━━━━。」
突然無言で考え始めた男は、一人で何かに納得したように徐に話を切り出した。
「あの場で何があったか詳しく教えろ」
釣れた。
仮面の男を話し合いの場に釣り出せた。
やはり仮面の男は、あの女の子に固執している。だったら上手くやれば、助かる……。
「俺を、殺さないのか…?」
「話の内容次第だ」
仮面の男が顎で、早く話せとリュカに促す。
その素振りには癪に障る部分も多少あったが、少しでも助かる可能性が有るならと、リュカはその誘いに従うことにした。
「━━━俺たちは冒険者なんだが、ここで違法……な魔物狩りをしていたんだ。立案者は、あのスキンヘッドのアイツだよ。アンタに首を千切られた……。で、アイツが儲かるっていうもんだから、俺と、そこで首が折れてるゲケールさんと三人で密猟を始めた」
■
■
■
━━━━━森に入ってからは手あたり次第、この辺りの魔物を狩ってたんだ。
元々、ここの地域は環境の観点やらの理由をつけて、不用意な魔物の討伐は全面禁止にされてた。だけど裏の本音ってやつは、厄災級のヤバい魔物を刺激させない為だって話らしくてな。
ただ、ここはその分、冒険者に狩られることがない魔物がたくさんいるからストレスのない上質な素材や珍味が手に入るとかで、あのハゲはウォンカ狩りに乗り出した。
狩りの間は外部から邪魔が入らないように、ゲケールさんが神の加護で人を寄せ付けないようにしていた。もし見られでもしたら、俺たちは仲良く犯罪者だからな。
きっと、バレたら冒険者の資格も取り上げられちまうだろうから、そこだけは十分に徹底していた。
だけど、思いもよらない事故が起きた…。
周囲が暗くなり始めたんで、そろそろ引き上げようかと話をしていたら、目の前にウォンカの群れが現れたんだ。
それも統率の取れた群れだったんで、珍しくてアイツらの後を追って行った。
すると、途中から道を外れてキノコの群生地で食事を始めだしてな、丁度いいからってそこで狩りを開始した。
奴らは普段のウォンカよりも何か大人しいというか、守りに徹しているような素振りがあって妙だったんだが。
「構わねぇよ!!全部ぶっ殺せぇ!!」ってハゲが言い出したかと思えば、一人でほとんど片づけちまってな。
奥に逃げていった残りを追えって言うもんだから、俺はそいつらを探しに森の奥に入っていったよ。
すると、その奥ではメイド服の女の子がウォンカに囲まれててさ?
こんな森にメイドがいるなんて、正直驚いたよ。
メイドがいることには疑問を感じたけど、それよりもすぐに助けなきゃって、俺は思ったんだ。
で、神の加護を使って、まずは手前のウォンカに攻撃をした。…そう、俺はウォンカに攻撃を仕掛けた。それは間違いなかったよ。でもな、おかしかったんだ。
助けようとしてたメイドの子が、そのウォンカの前に急に出てきて攻撃が当たっちまって…。
まず、人間がウォンカを助けようなんて思うわけがないだろ?
なのに、女の子はまるでウォンカを庇うようにして…。
その後は、ウォンカ達がその子を連れ去って行っちまって、そのまま俺が追いかけたんだけど見つからなかった。
んで、合流して二人に話を聞いてみたら、なんでもその子が森の中で死にかけているところを発見したって、ハゲが言うんだよ。
だから直ぐに戻ろうと提案したさ、そうしたら…。
「何言ってんだ?瀕死だったから、もう楽にしてやったよ。致命傷を与えたのはお前なんだから最後まで目撃者は責任持ってしっかり口止めしろよな」
という話を聞かされて。
残虐非道というか、アイツには血も涙もなかったんだろうな…。
■
■
■
「以上が事の経緯の全てだ。俺たちは確実に罪を犯した。それは認める…。でもよ……」
「━━━━なあ、お前は本当に責めるべき相手。それは誰だと思う?」
冷たい声が仮面の奥から響いた。
リュカは、その一言で空気が一変したことを瞬時に理解する。
彼が、聞き手から査問官へと立場を移し変えたことを…。
「え…?そ、それは…。計画を企てたハゲじゃないかな。アイツがトドメを刺さなければ助けられたかもしれないし。……そ、そうだろ?」
━━━━━投げかけたのは同意を求める言葉。
スキンヘッドの男は、まだ助かる余地があったかもしれない女の子の命をその手で終わらせた。
その時の状況がどんなものだったのかは、最後に立ち会った彼にしか分からない。
ゆえに一概にその行動を全否定するということは、誤っているのかもしれない。
だが、ここで。
この質問に対して。
回答の方向性を自分自身に向けるなんて、いくら負い目があったとしてもリュカには出来なかった。
それは間違いなく、■■ことを意味するのだから。
「さっきの話が本当なら、スキンヘッドは彼女の顔を削ぎ落し、心臓を持ち出した。つまり、事実上で彼女を殺したのは、スキンヘッドのアイツってことになるな」
仮面の男は返ってきたリュカの問いに対し、深くため息を吐きながら、まるで探偵が推理した犯行の様子を殺人犯に言い聞かせるようにして、状況整理を行う。
「そ、それじゃあ、俺は見逃してもらえるんだよな!?」
殺しを行う対象リストから、これで自身は外された。
話の内容から、そう感じ取ったリュカの目に、失われていた希望の光が灯り始める。
だが、歓喜するリュカに、男は仮面の下から軽蔑したような冷ややかな目線を送り、こう語りだす。
「もう一度だけ聞こうか。本当に責めるべき相手は誰だと思う?」
理解はしていたが、理解したくなかった。
彼が求めている答えと、質問の真意を。
「━━━あの、待ってくれ。その質問の意味がまるで分からないんだが…。殺したのは、あのハゲなんだよな?だったら…」
「殺した相手を聞いているんじゃない。……その状況を作り出した元凶を聞いている」
リュカの発言に被せて告げられた、返答。
仮面の男が発した、冷徹で何の感情も伺うことが叶わない、刺さるような鋭い声は、リュカの神経を確実に蝕んだ。
まるでそれは、ナイフを首筋に添えられ、拷問を受けているかのような錯覚…。
「な、な、なに、を……」
身体中の震えが止まらない。
仮面の男が何を言わせたくて、何を言いたいのか。
それを理解してしまった今となっては、己に重くのしかかる恐怖によってリュカは圧し潰されそうになっていた。
いや、いっそのこと圧し潰されて自ら消えてしまいたかった。
「分からないのか?…はぁ、だったら、質問の方向性を変えよう…」
━━━━━男は迫る。
言葉という弾丸を装填させ、リュカの心を打ち砕くために歩み寄る。
リュカは、状況を飲み込んだ途端、全身の穴という穴から液体が漏れ出てくる感覚に襲われた。
もう彼には、神の加護を使い抗う気力も、思考も無い。
脳内は、絶望という言葉で既にパンク寸前だったのだから…。
そして、その弾丸は放たれる。
「━━━自己中心的な正義感をむやみやたらに他人に振りかざし、自分は善人だと、ヒーローなんだと勘違いしている。偽善者ぶった、悪人と自覚していない悪人が俺は嫌いなんだ…。なあ、この惨状を作り出したのは…。━━━━━誰だと思う?」
「━━━━━■■ッ■■■ぁ■ぁぁぁ!!!」
━━━━━ぐしゃ…。
何かを潰される音。
カシャっと、地面に投げ出されたカンテラの乾いた音。
森に木霊する壊れた叫び声。
響き渡ったあらゆる音は、惨劇を飲み込むようにして星の瞬く夜空へと儚く消えていく。
「━━━その無駄な正義を安易に執行せず、お前が余計なことを何もしなければ、こんな最悪な夜にはならなかった…。そうだろ?」
頭部を損傷した彼には、もうその声は聞こえない。
見えも、聞こえもしない中、リュカは残された時間を死の瞬間に垣間見るという、走馬灯の閲覧に費やしていた。
彼がこれまで人生で経験してきた全てが一度に集約され、目まぐるしく駆け抜けていく中で、彼は一つの記憶に目が留まる。
━━━━━それは、冒険者協会にて指名手配書を見つめたまま悩み続けている一人の男の様子。
彼は、結局その依頼書を持って受注受付へと向かって行った。
何を悩む必要があるのだろうと。なぜそこまで悩むんだろうと。
とてもその時は彼のことを不思議に思っていた。
受ける依頼は指名手配の依頼のみ。
それも、「DEAD or ALIVE」という殺し有きの依頼に限って受けていた。
達成率は100%という異常なまでの成功率も、印象に残る材料になっていただろう。
そのせいか、冒険者協会の一部では、よくない噂も立ち、良い意味でも悪い意味でも有名な冒険者だった。
しかし、ある日を境にその男は冒険者協会に現れなくなった。
風のウワサでは、大病にかかっただの、ターゲットの親族に逆恨みされて殺された…だのと、在りもしないエピソードが沢山耳に運ばれてきたが、結局誰もその真実は分からなかった。
だが、なぜ今になってそんなどうでもいいことを思い出したんだろうか。
自分が死の淵に立たされているというのに、わざわざ何でこの記憶を選び取ったのか。
それは分からない。不明だ。でも、どこか見覚えがあったのかもしれない。
似ていたのかもしれない。その雰囲気、そして強者の姿が。
そして彼は、名前ではなくて異名で呼ばれていたっけか。
確か……。
「━━━━デッド……イーター……」
「━━━━━━━━━━━━。」
━━━━━ぐしゃり。
◆◆◆
【PM 23:05 ヒカゲ小路 不明】
血に塗れた腕で臓器の詰まった袋を抱える。
正直、抱き心地は悪い意味でグニっとしていて、抱き枕だとしたらお世辞にも一つ星すらあげられない評価点ではある。
「この中に心臓はないよな…」
パーツがなくても蘇生は可能。
だが、身体からあまりにも離れてしまったパーツは、蘇生後もその場に残り続けるので、後々ややこしくならない為にも出来れば全て回収はしておきたかった。
そして…。
「まだ蘇生が出来るようになってないってことは、そういうことか」
蘇生の条件がどうやら揃っていないらしく、俺の神の加護は未だにスリープモードを保っている。
それが意味するのは、彼女を殺した人物を殺害できていないということであった。
例の金髪の男が言うには、心臓を持ち去り、彼女に死を与えた人物が、ある男だと語っていたが…。
「━━なるほど。確かに殺せていないらしい」
スキンヘッドの男を葬った地点。
そこに戻って来たはずなのだが、彼の死体はどこにも見当たらなかった。
「首は折った。生命活動も途絶えていたはず。でも、俺の神の加護に反応は無く、死体も消えた。……そういう能力なのか?」
不死身な人間は存在しないが、こと神の加護による能力だとするなら否定は難しい。
もし彼が本当に不死なら、俺にはどうすることも出来ないし、彼女を生き返らせることも叶わない。
「それにしてもおかしい。ここから移動をした形跡がどこにもない…」
足跡、血痕、それらの追跡要素が彼の倒れていた場所を最後に何処にも点在していないのだ。
まるで、ある瞬間を境に消えてなくなったように失せている。
空を飛んだ?それとも瞬間的な移動?
何にしろ、奴を探して今度こそ仕留めなければならない。
「いったいどこに………。あっちか」
俺の神の加護に備わった、死を招いた者を感知する能力。
といっても、その人物の死に関与した者を感知できるだけで実行犯の特定は出来ない…。
しかし、それによると、どうやらターゲットは来た道と逆方向に逃げているようだ。
さっきのローブ男の話と、方角から考えれば、街へと逃亡を図っているのであろう。
「街に逃げられたら無闇な戦闘は起こせない。それまでに必ず追いついて、必ず…殺す」
◆◆◆
【PM 23:40 フェミリア林街道 南方】
スキンヘッドの男を追う中で、辺りの景色がガラッと変わっていた。
整備された道に、明るく月光が差し込むこの景観。
それは、迷宮化していたヒカゲ小路をようやく抜けられたことを意味していた。
「フェミリア林街道まで来たのか。やっぱり、あのローブ男のせいだったんだな」
ローブの男を消したことで、彼の神の加護が無効化され、本来の地形と環境に戻ったらしい。
これで当初の目的である街への帰還は果たせそうだが、その前に為すべきことを為さねばならない。
「━━━━━━いた」
前方100mほど先にスキンヘッド頭の人物を捉える。
特徴的な頭と戦士風な見た目は遠目からでも判断がしやすいが、奇妙な点が一つ。
「首が綺麗に繋がっている…?」
ギリギリで繋がっていた首は、何事もなかったようにしっかり繋がっているように見える。
あの状態から持ち直したということなら、首をへし折ったくらいでは奴は致命傷にならないということでもある。…それならば、狙うは確実な方法。
「次は、心臓を壊す」
俺は、走りを加速させて標的に接近する。
先の戦闘とは違い、袋を背負っている為、隠密に動くことは出来ないが、相手が人間一人だけなら問題はない。
見つかっても、殺すという結果に変わりはないのだから。
「!?……っクソ!何か来やがった!」
俺の存在に気が付いたスキンヘッドは、逃げることをやめて俺の到着を待つ姿勢に変えた。
一見、諦めたようには見えないが何かの罠……。いいや、そんなことを気にしても仕方ない。
向こうから立ち止まってくれるなら、今は逆に好都合だ。
仮面を再び被り、俺は奴の前で一度足を止め、呼びかける。
「━━━お前をもう一度、殺しに来た」
「堂々とした殺害予告じゃねぇか。生憎だが、俺はお前さんに恨まれる事なんてこれっぽっちも思い当たらねぇんだけどよぉ~?」
「遺言はそれでいいか?……いや、それでは困るな。お前が森で殺した女の子。その子から取り出した心臓を出してもらおうか。持ってるだろ?」
俺は手を差し出し、渡せという動作で彼の返答を待った。
「な、なんでそのことを知ってやがる!?見ていやがったのか、てめぇ!」
やはり、彼が持っているようだ。
自分から白状してくれるとは、何とも物分かりがいい。
「お前のお友達から、丁寧に話を聞き出しただけだ。もちろん、お前がしたことと同じく口止めはさせてもらった」
「クッソ野郎が!!あいつらのことなんてどうでもいいが、このことを知っちまったんなら生かしてはおけねぇ!俺の今後の冒険者人生がかかってるからな!」
腰に身に着けた刃物、形状的にはマチェーテらしきものを抜刀し、彼は構えをとる。
それは至って普通の戦闘態勢ではあるが、何か違和感を覚えた。
「お前、背中に大きな斧を背負っていなかったか?」
そう、俺が奇襲を仕掛けた時、彼の背中には大斧が担がれてあったはず。
それ以外の武器は所持していなかった為、それが彼の得物だと思っていたが…。
「━━━━━あ?何言ってんだてめぇ。俺の相棒はコイツ一本だぜぇぇぇえ!」
彼は叫びながら、手にした得物で薙ぎ払うように直線的な攻撃を仕掛けてくる。
身体はデカいが、ある程度の俊敏な動きが出来ることは、さきほど走っていた際のランニングフォームから察しはついていた。
故に、動揺することなく攻撃を確実に躱していく。
「チッ!全然当たらねぇ!何なんだてめぇ!」
激昂するスキンヘッドは、怒りに任せて刃を振るわせる。
(━━━━やっぱり、変だな…)
マチェーテのような山刀を扱う戦い方としては振るい方を明らかに間違えている……。
いくら性根が腐っているからと言っても、冒険者なのであれば生死を共にし、命を預ける武器の扱いくらいは基礎的な知識があるはず。
それも、自身が愛用している得物なら尚の事だろう。
だが、彼の大ぶりな振るい方は、別の武器の扱い方を彷彿とさせた。
「やっぱりお前、大斧使いじゃないのか?」
「!?」
俺の問いに、スキンヘッドの表情がやや引きつる。
やはり何か隠していることがある。
おそらくは、彼の神の加護に関わること。
安全を考慮すれば、それを明るみに出させておくべきなのだろうが、それもこうしてしまえば何の問題もない。
「次は俺の番だ」
「━━━━━━!?」
━━━━━男は動けなかった。
すぐそこに、目の前に、触れられているのに、手を出すことが出来ない。
「ごふっ……。な、なにをしたぁ……」
口からドロドロとした、如何にも血流の悪そうな血液が溢れ出す。
その血が彼の左胸に添えられた俺の手に絡まるようにして流れ落ちた。
「━━━心臓を壊した。驚くことじゃない」
「ぶ、ぶぅっれ、ずぅ…な…がぁ…」
「いいから、もう喋らないでくれ。血が飛び散ると、後で言い訳に困るんだよ」
左胸から手を離した直後、彼は俯せの状態に倒れこむ。
「さっきは仰向け、今度はうつ伏せか…。さて、頼むからもう起き上がるなよ…?」
一応、生存確認の為にも、男を転がして俯せから仰向けへ変えて様子を見る。
案の定、呼吸も止まっており、今度こそ仕留められているはずだ。
男の神の加護が仮に蘇生なら、また襲ってくるかもしれないのだが…。
「心臓は…この中か?」
俺は、彼の所持していた腰巾着をほどき中を覗く。
すると、その中に一際鮮やかで、健康そうな臓器が一つあった。
「これだ、あの子の心臓。それと…うん。感知反応も完全に消えたってことは、殺しきれたということか」
失われていた心臓を手に入れ、彼女を殺した者も処刑した。
━━━━━ようやく、正真正銘すべての準備は整ったのだった。
「よし、条件は揃った。それじゃあ始めようか……」
背負っていた彼女を袋から出し、取り戻した心臓を穴の開いた胸元に添える。
本当なら、街に帰ってから蘇生させ、全て夢だった…ということにしてあげたかった。
だが、そこに伏しているスキンヘッドが必ずしも息を吹き返さないとは限らないことも考慮し、ここで生き返らせて早々に街へと帰還しようと考えていた。
「でも生き返った後、どう状況を説明するべきか……。まあ、何とかなるか」
血まみれの服、臓器の入った袋、横で倒れてる知らないオッサン。
色々とツッコミ所しかない状況ではあるが、そこは数十秒後の俺に任せるとしよう。
考えがまとまり、俺はスタンバイモードの神の加護を呼び起こし、彼女の冷たくなった手に触れた。
「さあ、帰ってこい、この世界に」
俺の言葉に呼応するように、真っ黒な空間が彼女の中心から広がっていく。
それは、この世の色彩全てを飲み込んでしまうほどに黒く、禍々しかった。
やがて空間のようなものから、霧状へとそれは変わり、彼女の頭からつま先まですっぽりと包み込む。
何度見ても慣れない、邪悪さを秘める演出。
これが善性の能力でないことは、自分がよくわかっている。
だからこそ、金髪の彼にもあのような言葉をぶつけてしまったのかもしれない…。
━━━━━そして彼女の全てを漆黒の霧が包み込み終わる。
さながら、愛犬が飼い主の指示を、尻尾を振りながら待つように。
揺らめきながら、期待しながら、俺の一声を、神の加護に付けられた名を待ち続けていた。
俺は、従順でありながらも恐ろしい飼い犬に、名を与える。
「━━━━≪死喰らい≫」
その名は、俺の授かった異端な神の加護。
死した者の、死という概念的事実を捕食する悪魔の名。
または、俺の姿を畏怖する者達からの呪いの名…。
名を呼ばれた飼い犬は黒い霧を球体状に凝縮させて、空中で四散する。
周囲へ散る黒い霧は、真下に黒い空間を作り出し、やがてその中から子宮内で身を縮める赤子のように身体を丸める、メイド服に包まれた女の子が現れた。
「……うぅ……ん…?」
うっすらと瞼を開けた彼女は、寝起きだからなのか、やや枯れた声で辺りをキョロキョロと見回す。
「る…しぇ……?」
近くに座っていた俺の姿に気が付いたのだろう、彼女は俺の腕を掴み、ゆっくりと身体を起こして座る姿勢を作った。
「おはよう。調子はどうだ?コスプレメイドさん」
「ふぇ…?……ぅん……」
まだ寝ぼけているのか、返答がふわふわしているが、問題なく蘇生は出来ているみたいだ。
よし、それでは早速、地獄の状況説明タイムと行きましょうか……。
「えーと、まず今の状況なんだけどね…」
と、状況の説明を始めようとした時だった。
━━━━━彼女の目がパッチリと覚醒した。
「あれ…。わたし、確か……。あ、あぁああ!!」
「メイドさん!?大丈夫、落ち着いて!大丈夫だから!!」
もちろん、蘇生をしたからといって死ぬ瞬間の痛みや恐怖が消え去るわけではない。
それは、経験した者にしか理解のできない苦しみであり、蘇ってしまった者への天からの罰である。
禁忌を犯した者は、それ相応の対価と罰が伴う。
そいつが、この能力を使いたくない理由の大きな一つだった。
生き返ったことを周りの者は喜ぶが、当の本人は痛みと味わった絶望を抱え生きていく。
決して消えることない経験を、決して癒えることのない傷をその胸に秘めて。
これが原因で精神を崩壊させた人、自ら命を絶った人をたくさん見てきた。
あくまでそれらは依頼であり、クライアントから報酬も支払われたが、後味の悪いものが大半を占めていた。
そして、今も……。
「あぁああああぁああぁぁあ!」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから。もう何も起こらないから!」
大丈夫という言葉を使う度に、それは相手に使っているのか、自分を落ち着かせさせるために言い聞かせているのか分からなくなる。
ああ、きっと後者だ。
自分の精神が壊れないように自己暗示をかけている。そういう理由なんだろう。
今回も繰り返し俺は呟いている。大丈夫、大丈夫と……。
しかし、今回は無理だった。
これを実行したのは……。蘇生を計画したのは、俺であり第三者ではない。
クライアントも居なければ、冒険者協会からの依頼でもないのだ。
全ては俺の独断だった。
全ては俺の……偽善的な行動による結果だった。
「ごめん…ごめんな……俺の……俺のせいで……」
涙が止まらなかった。
抑えが利かなかった。
心が………痛くて、たまらなかった。
「ごめん……ごめんっ……うぅ……」
あの日に見た、お母さんの姿を思い出す。
泣き続ける俺を優しく抱きしめてくれた母。
けれども、涙を流し、「ごめん」と何度も謝るあの時の姿を…。
━━━━いつの間にか、俺は彼女を抱きしめていた。
こんな事をしたからといって、どうにかなる訳ではないだろう。
こんな事をしても、彼女の痛みを和らげることは出来ないかもしれない。
それでも、彼女を。
彼女を一人には、孤独にだけは、させたくなかった。
「ごめんな……レンカ……」
「━━━━━━━ルシェ……わたし……」
発狂していた彼女が、叫ぶのを止めて俺の名を呼んだ。
「レンカ!?ああ、ルシェ―ドだよ…?」
正気に戻ったことが嬉しく、俺は少々声がうわずった。
「わたし……」
「う、うん」
彼女の声に耳を傾ける。
どんな言葉も逃してはいけない、そんな使命感が今の俺を支配していた。
「わたしのね……」
「え、うん」
「━━━━━わたしのチート能力が、ゴミすぎるんですけどっ!?」
「………は?」
━━━━━━ちょっと待て。
すぅうぅぅぅぅ………。
(ここに来てのタイトル回収なんて要らねぇんだよぉぉぉぉお!)
あっぶねぇ…。危なく口に出して叫ぶところだったわ。
え、なに。もしかして、いや、凄く、すごく嫌な予感がするぞ!?この先の話ぃい……!
「わたしのチート能力ほんっっとうに使えないわ!?ああ、使えるのは使えるのよ?毒キノコ食べたり出来るし?でもね、ゴミだわ!!異世界転移した新規プレイヤーへの特典としては下の下!この能力だけでクソゲー・オブ・ザ・イヤー受賞間違いなしよ!!わたしから推薦状だって出しておくわ!」
「あの、レンカさん…?」
「それでね!襲われた時に私のチート能力を言ってやったら、わたしを殺したあの頭皮死んでるおじさんに何て言われたと思う?『ガハハハハ!キノコ食べ過ぎて便が詰まって死なねぇといいな?嬢ちゃん?』って言ってきたのよっ!?確かに、不溶性食物繊維は摂取しすぎるとそういう効果があるけどね!あるけどよっ!?それを女子に言っちゃうのってセクハラじゃない!?だからわたしは戦いを挑んだわ」
「すぅぅ………。で、どうなったんですか…?」
「ふぇっ!?そ、そりゃあ、もちろん……死んだのよ」
「━━━━なぁああにやってんだぁぁ!!自分でケンカ売ってさっくり殺されてるんじゃないよ!?」
「し、仕方ないじゃない!!あの人、ポォートナイトに出てくるようなマチェーテっぽいやつでサクサク刺してきたんだから!それはツルハシとして使った方が向いてますよー!って言っても、全然聞いてもくれなかったんだから…!」
「そ、それじゃあ、さっきの発狂タイムは……」
「自分のチート能力のゴミさ加減に、嫌気が差して……。それと、負けて悔しくて、恥ずかしかったから…。でも!痛かったのよ!?殺されるときは、すごく怖かったし…」
戦いを挑んだのは彼女からで、殺されたのは自業自得なところがあると…。
ツッコミを入れたい箇所はいくつかあるが、精神崩壊を起こして、ああなった訳ではないということが解った。
なんというか、それだけで十分に、今は良いかなと思えてしまう俺は、彼女に悪い意味で影響を受けてしまっているのだろうか。
だけど、まあ、構わないか。
「よく頑張ったな。…レンカ、お帰り」
「えぇ…!る、るしぇ…?えと……た、ただいま…」
まるで幼い妹を褒める時のように彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
恥ずかしがりながらも、キラキラとした笑顔を向ける彼女に俺は心から安心した。
「あ、そういえば。……わたしって、どうやって生き返ったの??」
「━━━━━━それ、話さないとだめですかね…」
はい!!地獄の状況説明タイム入りまーーすっ!!
◆◆◆
【神廻歴4201年3月9日】
【AM 00:25 フェミリア林街道 南方】
「ふーん、ルシェの能力はマジックカード死者蘇生なのね。だから戦闘には向かない~って言ってたのかぁ。それじゃあさ、何でそこでわたしを殺した頭皮死んでる人が倒れてるの??」
「あ………。あー、たぶん、ウォンカにでも、襲われたんじゃ、ないか、なー?」
「ふ~ん……?なんだかすごく、ボーカロイド的な喋り方だったけど?あと、わたしの血が付いたにしては、ルシェの服が血塗れなのも関係あるのかなぁ?それに、ウォンカはわたしを庇ったりしてくれたし。うーん、怪しい……」
「怪しくなんて……あははは……。てか、ボーカロイドってなに?」
一応、簡単にだが彼女には状況の説明をした。
この先の道を真っすぐ進めば、俺の店がある街に辿り着けること。
俺の神の加護が蘇生させる能力で、それを使って彼女を蘇らせたことを。
しかし、迷わせていた原因や、彼ら冒険者。そして、俺が人を殺めていることは口に出さなかった。
きっと混乱させて、困らせることになるはずだから……。
この先、いずれバレてしまうことだとしても今はその時ではなかった。
「そっかあ、わたしたちこれで貸し借り無しって事なんだ。わたしがルシェを助けて、ルシェがわたしを生き返らせてくれた。はぁ…、これでもうマウント取れなくなっちゃった…。しゅん…」
「そんなしょうもないことで凹むな!?お互い助かって命があって、こうして生きてるんだしそれでいいだろ?」
「そうだね…。うん、ありがとルシェ。…えへへ、助けてくれてありがとう!これからも、よろしくね?」
━━━━お礼を言われてしまった。
なんでもない言葉、感謝の言葉。
それだけの言葉なんだが、俺の中で全てが報われたような気がした。
「どういたしまして。こちらこそよろし………おい待て。そのよろしくは、普通のよろしくとして受け取って大丈夫なんだよな?」
「え?あー、それもあるけど、多分これからも何度か死んじゃうかもだからよろしくね?の略だけど…」
「安易に死ぬなぁぁぁああ!!ナイーブフィッシュじゃねぇんだから!それに変な略し方すんじゃねぇよ!」
「ん?ナイーブフィッシュ??なにそれ?ルシェ、わたしにも分かる例えを使ってよ!」
「お前もなぁっ!!??」
やっぱり蘇生の条件、今教えとくべきなのか!?
だって、この子何度も死のうとしてるよ?
永遠の命を手に入れたって、勘違いして思い込んでるよ?
どーすんだよ、どーしたら命の重さを思い出してくれるんだよ!!
「ルシェ?」
「今度は何っ!?」
「頭皮死んでたおじさんが消えたわ」
「━━━━え…?」
彼女に言われ、奴の居た場所を目で探す…が。
やはり、飛び散った血痕なども綺麗に無くなっている。
「レンカ!早く俺の傍に!」
彼女に呼びかけ、俺は周囲の警戒を始める。
トタタっと、駆け寄ってきた彼女は、俺の服の裾を摘まんで不服そうにコチラを見た。
「そういえばさ。ルシェってば、いつの間にかわたしのこと名前で呼んでるじゃん。なによ、普段はメイドさん~とか呼んでおいて、いざって時は名前で呼ぶなんて反則じゃない??ま、いいけど…」
「なんでお前は照れてんだよ!?そんな風に照れられたら、俺どんな顔でこれからお前の名前呼べばいいんだよ!何か恥ずかしくなるわ!!」
「それどういう意味よ!わたしの名前が恥ずかしいってこと!?そんなキラキラネームじゃないわよ、わたし!!………え、もしかしてこの世界じゃ、わたしの名前キラキラネームなの?クロガネ・レンカってキラキラしてるのぉぉぉぉお!!??」
「緊急事態だろ今ぁぁぁあ!!避難訓練とかじゃないのぉ!実戦形式なのぉ!!」
思わず口調がオネェ言葉になるが、んなことはどうでもいい。
まだアイツが生きているのであれば、今度は向こうから命を獲りにくるはず。
密猟の目撃者の始末、そして奪われた臓器の入った袋を取り戻しに…。
「あ、待てよ。なあ、レンカ」
「ん、なに?………やっぱ、名前呼び、まだ慣れないかも……」
「だから恥ずかしがるの止めて!?すごい変な汗出ちゃうから!!ってそうじゃなくて!」
いかんいかん。どうしても彼女といると、シリアス展開が全てギャグ路線にシフトチェンジしてしまう。
はたして、これをポジティブに考えるか、ネガティブに……いいや、前向きに行こう。
「さっき、そこに落ちてた袋知らないか?すごくグニグニした何とも言えない感触のやつ」
「おん?そこにあった袋なら、中身がコーヒー豆じゃなくて生肉っぽい感じのが詰まってたから、ほら!中身捨ててきたわ」
中身の無くなった空袋の口を下にし、丁寧にも彼女は上下に振って無いことを証明してくれた。
「うーん……何処に捨ててきちゃった?」
「おじさんの口の中」
「……ごめん。今なんて…」
「頭皮死んだおじさんの口の中」
「━━━━━━━━━━。」
「わたし、袋詰め得意だったのかもしれない…。主婦力高いわ…ふっふっふ…」
「すぅぅぅ………。で、おじさんはいつ消えたの…?」
「へ?…うーんと、その後ね。苦しそうにしだして、生きてるじゃん!って思ってたら、消えた」
「━━━━━━━━━━━━。」
ええ、蘇生の仕方にも色々あります。
俺みたいな能力、心臓マッサージ、そして移植手術。
さあ、今回はどれが正解でしょうか……。
「お前のせいじゃあぁねぇぇかぁぁぁあ!!??おじさんを三途の川から釣りあげたせいで、息吹き返しちゃったんだけど!?ほんと何してんの!?」
「ねぇ、待ってよ!頭皮だって死んでるんだし、お肉詰めたら、まさか生き返っちゃうなんて思いもしないじゃない!!だって死んでるのよ、頭皮は!!」
「頭皮は死んでても、移植すれば髪は生えるし、心臓も動くんだよ!!植毛しても抜ける人は抜けるけど!!」
「じゃあ、植毛よりも育毛の方が最適解なのね!わたしのお父さん、髪が薄いの気にしてたから、元の世界に戻ったら教えてあげないと!」
「そうだね。地道な努力には、きっと神も、髪も、答えてくれるはずだよ。……ってちがーーーう!!」
そう、違うんだ。
この話とは若干違う話だけど、違うんだ。
アイツの心臓は確実に停止していた。だけど、レンカによって体内に大量の臓器を流し込まれた。
その中に入っていたのだ、偶然にも代わりとなる心臓が。
経口摂取で心臓を取り込んでも普通は胃へそのまま流れ、心臓として機能することはない。
手術をするにしても口から入れられたものをどのように、自身の心臓と交換させて繋ぎ合わすのか。
彼の神の加護は謎を残したままだ。
もしや、人体の構造を自由に変えられる……?
それならば、首を切断しても生きていたことや心臓を経口摂取して蘇ったことも理解はしたくないが不可能ではない。
それに、母さんのヒントにもなるんじゃ……。
━━━━いや、この場では彼女が優先だ。
「レンカ。一旦、街へ向かおう」
「植毛おじさんは?」
「植毛じゃなくて、不毛おじさんね。全く生えてなかっただろ?植毛も、育毛もこれからだったんじゃ……」
「あ、あのね!わ、わたしね。悪口は良くないと思うの!だって、生やしたくても生えない人だっているでしょ…?」
不自然にも彼女は、慌てた様子で必死にフォローする言葉を並べる。
いや、一切フォローになってないし、お前さっきまで率先してディスってただろうよ。
なぜ彼女が急な心変わりをしたのか、答えは俺の後ろにいました。
「━━━━誰が生やしたくても生えない不毛おじさんだって……?」
「━━━━━━━。」
━━━━スキンヘッド男が帰ってきた。
犯人は犯行現場に戻るという話は聞いたことがあるが、被害者が被害現場に戻るって話はあまり聞かないんだけど…。
その、心が痛まないのかい?死んでるのに無理やり、口に内臓詰められた事とか…。
「これ、どうしようか……」
レンカに殺した事実を教えたくはない。(まあ、生き返っちゃったんだけども)
といっても、こいつは俺を知っている。
三度殺さなければ、ここから二人とも無事に生きては帰れないだろう。
なら、迷う必要なんてなかった。
━━━━━コイツを殺して、二人で帰るしか……。
「レンカ、少しだけ目を瞑っててくれる?」
「えぇえ!?何する気なのルシェ!?そんな、心の準備的なのが…!!」
「すぐに済ませるから…」
「ねぇ、まって!すぐに済ませるのは違うじゃん!そういうのは雰囲気が…!」
━━━━まてまて、この人何言ってんだ?
話が噛み合って、無くないか…?
「お前こそちょっと待て。また何か勘違いしてない?多分、キミが思ってることはしないから!」
「そうよね、おじさんとキッスしたりしないわよね……。え!まさかわたしと!?」
「いや、そっちかよっ!?お前の脳内ぐずぐずに腐ってんじゃねーか!!」
だめだ!!!このオタクと会話するとシリアスが虚無っちまう!!
一応は、命取り合うシーンだぞココ!?
ほら、どうすんだよ。不毛おじさんも律儀に待ってくれてるし……。
「……あれ?あの、攻撃とかしてこないんですか?」
あまりにも静かだった。
手を出すタイミングなんていくらでもあっただろうに、驚くほど静かだった。
なので、思わずこっちから尋ねてしまいました。
「してたよ。いつもなら直ぐに殴り飛ばしてる。だがな、命の恩人ともなれば話は別だ…」
「━━━━は?」
ん?何やら様子がおかしい。
やけに、しおらしいというか、角が取れたというか…。
毒気が抜かれたような、そんな顔をしている。
待てよ?こんな状況どこかで前にも見たことが……。
「まずは謝罪をさせてくれ、あの時は酷いことをして本当にすまなかった。殺してしまったことを許してくれとは言わん、しかしこれだけは言わせてくれ。俺の……いや、私の命を救って下さりありがとうございました。森の女神さま…」
「?……………あっ、わたし!?」
「貴女様は殺したのに死ななかった。さらには自らに剣を向けた罪人である私にさえも、ご慈悲を与え、生き返らせて下さった。その神秘的なお力と、どこまでも続く凪いだ海のように穏やかで広い心。それは女神だからこそ成せる偉業。ああ、女神様。ここに私は密猟から、犯罪から、冒険者から足を洗い、真っ当な聖職者になることを誓います」
「━━━━━━━。」
なにが起きているのかは分からないが、とりあえずは戦闘が始まることはなさそうだった。
勝手に勘違いして騙されているのであれば、それに越したことはない。
『レンカ、適当に理由を付けて早く離れるぞ』
『来たかもしんない、わたしの時代…』
『━━━━なに言いだしてんの?』
まずい、この流れを俺は知っている…。
猿の魔物に囲まれ、謎のオリジナルソングを熱唱していたあの流れを!
『まて!早まる…』
「わたしの正体に気づいてしまいましたか。そう!わたしこそ貴方を地獄の界隈から救う女神ぃ!…いや、聖女ぉ!…うーん、なんか違うな。……そう!乙女ぇぇぇえ!!なのです」
「━━━━━━━━━━━━くっ。」
なんだろう、共感性羞恥で凄く死にたくなってきた……。
手ごろな切り株に乗って、少し高い位置からそれっぽく発言してるところも含めて見てられないぃ。
「時に汝よ、貴方が落としたのは綺麗な心ですか?それとも歪んだ心ですか?」
あれ、なんか混ざってない?
湖の乙女と湖の女神が、変な化学反応起こしてない?
「はい、私が落としたのは貴女を崇める綺麗な信仰心です」
不毛おじさんノリ良いな!?
この寸劇に付き合うつもりなのか!多分その先、地獄だぞ?
「正直者めぇ…。ならば、おじさんには自由な信仰心を授けましょう!さあ、思う存分、街に戻りわたしの名を広めなさい。黒鉄の乙女……。“黒鉄の乙女”ですよ!!」
「黒鉄の乙女さま…。御意に…!それでは、布教活動に行って参ります!!!!」
「はい、神の御加護に魅せられんことを……」
そして不毛おじさんは、街の方まで駆けて行った。
あのまま行かせてよかったのか。洗脳をして変な思想を植え付けて正解だったのか。
そのいずれも答えを出すことはできない。
ただ、一つ。教祖として生誕した彼女に、どうしても伝えておきたいことはあった。
「なあ、レンカ。」
「はい、なんでしょうか。それと訂正ですが、わたしは黒鉄の……」
「俺の世界で布教活動を勝手に始めるなぁぁぁあああああ!!!???」
「━━━じゃあ、宗教法人にして法人化する?」
「ビジネスに持って行くんじゃねぇよっ!?」
━━━━━━こうして彼女は、人知れず。よく分からん成り行きで、よく分からん宗教の教祖となってしまったのだった。
尚、不毛おじさんが残していった謎の数々は、彼がレンカを崇める教会を建てた頃に明らかになるのだが、それはまた少し先のお話…。
***
━━━━━改めて、ここに記しておこう。
この物語は異世界から転移してきたオタク女子。
クロガネ・レンカが、死んだり、生き返ったり、また死んだりを繰り返す、シリアスぶち壊し系の異世界ファンタジー。……を、現地人である俺、ルシェ―ド・二クロフが書きまとめた異世界備忘録である。
え、話の超展開っぷりについていけない?
安心してくれ、当事者の俺が一番ついていけてないから☆
━━━━あれ、そういえば。コーヒー豆の袋をどこに置いて来たか、誰か知りませんか……?
➡Continue on Next Page
今月も、ご一読頂きありがとうございます。
今回は初めからシリアス展開で鬱々としちゃいそうだなぁと思ったことでしょう。
安心してください。我々にはシリアスブレイカーのレンカちゃんがいますので!
ということで、これからレンカちゃんにはハートブレイクしつつ、シリアスも壊しながら我が道を進んでもらうつもりですので、どうぞ彼女の応援よろしくお願いします♪
それでは、また機会がありましたら次月お会いしましょう。