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神の御加護に魅せられて~転移少女の備忘ろくっ!~  作者: 緋色モナカ
久遠の灯焔 編
12/12

Page:12 あー。こいつもオタクじゃねぇか…

命を救われた『ルシェ―ド・二クロフ』は、見知らぬ一室で目を覚ます。

そこは病室のような空間が広がる奇怪な邸宅であり、癖の強すぎる奇行気味なメイドとの邂逅の場でもあった。

そしてそのメイドも、良く知る彼女と同じ属性の匂いがして━━━━。

 


 少しだけ夢を見ていた。



 瑠璃色の海洋に浮かぶ浮標。

━━━━それを指さして■■した。


 帰港する船舶からの下船。

━━━━それを見つめて■■する。


 ここからでは■■の表情と声は聞こえない。


 分かるのは、さらさらと微風(そよかぜ)になびく、美しき絹のような長い黒髪。

 それと、青いリボンがあしらわれた麦わら帽子が、彼女の纏う白いワンピースの純白さをより引き立たせているということ。


 はぁ…っと。

 その麗美な後ろ姿に、自然とため息が漏れる。


「━━━━━━━━。」


 石造りの岸に腰を落とし、大海を臨む女性。


 潮風に運ばれ。

 花々の瑞々しい香りに包まれた彼女の歌声(ハミング)が、自分の耳元まで届けられる。


「~~~♪」


 華奢な色白の下肢。

 まるで精巧な彫像のような曲線美を放つ艶やかな(それ)は、すらりと伸ばされ。

 パタリ、パタリと。

 緩やかに揺らつかせること、幾数回…。


『砂浜じゃなくて残念』


 …と、ふと落胆深そうに愚痴をこぼす彼女は、どこまでも広がる青い水平線のその先へと思いを馳せるように、ぼぅっと遠望する。


「━━━━━━━━。」


 肩を落とし、彼女の小さくなった背中。

 その後ろ姿は、きっと求めていたのだ。

 多くを語らずとも、彼女の仕草でおおよその検討自体は自分もついていた。


━━━━しかし、自分は答えられなかった。


 ■■は静かに自分の返答を待っているけれど。

 肝心の言葉が出てこない。


 そんな自分の姿を見て、待ち人は『ふふっ』と、小さく微笑む。


 よかった。

 顔色は見えないが、機嫌は悪くないみたいだ。

 すこぶる…とまでは言わないにしろ、特に気分を害しているような様子ではない。


 彼女の対応にホッと胸を撫で下ろすも、重くのしかかった胸の凝りまで消えることはなかった。

 本当は相槌程度でも、会話が取れれば良かった。

 だけど、喉まで上がってきた言葉はその先へ達することはなく。

 そのまま喉の奥へと逆流してしまう。


 こんな意気地無い自身に嫌気が差すけれど。

 彼女は非難の言葉を口にすることも、姿勢を矯正することもしない。


 清廉なるままに。

 ただ口角を引き上げて。

 麗しき、無垢なる瞳を覗かせる 。


 それは宝玉のように輝いて。

 それは真珠のように清らかで。


 こうして直視されているだけで、自分の時は瞬く間に停止する。


 永遠とも思える無窮の時間。


 そこに費やされる実際の時間との相違点。

 ついては、矛盾を身体は覚えながらも。

 交わった視線は逸らせなかった。


 自分は彼女を見つめているはずなのに。

 自分は彼女に見つめられているはずなのに。

 まるで■■は、そこにいないような。

 カタチなく、掴みどころのない蜃気楼のような。

 不思議な魅力に自分は支配されていた。


 これが夢だから?

 自分の作り出した幻覚だから?


 いいや、違う。違ったはずだ。


 これは……そう。


 自分が過去に置き去りにしていた記憶。

 心の奥底に、しまい込んでいた…。


━━━━体験談だ。


 夢であり、再現。

 幻であり、追憶。


 自分は知っている。


 この先の未来。

 これからの物語。

 ここからの結末を。


 ノイズがかる端正な表情(かお)には、穏やかな笑みが貼り付けられ。

 忘れていた記憶と寸分違わぬ情報が■■の口を通して、自分に流れ込む。


「━━━━時間は戻らないものだ。行きなよ■■■■。ほら、世界は待っちゃくれないんだぜ?」


 しっとりと柔らかな唇から、白く並んだ歯を見せ。

 ■■は、呆気にとられた自分(おれ)を送り出す。


 それが、末路という結果。

 これが、記憶にある結末。


 その告げられた一節。

 凡そ、自分の持つ記録としての記憶では。

 この一方的で、不思議なやり取りが。



━━━━━■■の最後の言葉だったことは、朧気な記憶の中でも一際ハッキリと輪郭を得ていた。


 ***


神廻歴(しんかいれき)4201年3月16日】

【AM 8:25 シンフェミア ランス邸 別宅】


「━━━━━━━━━。」


 開かれた視界には、天井から吊るされた古めかしい照明器具が映る。


 年代物の骨董品(アンティーク)

 素人から見ても、一目で高価な物だと分かってしまう精巧な造形。

 塗装は所々剥離している箇所もあるが、それでも数十万は下らないほどに作り込まれた細部。

 どの世代や視点からでも、それが普遍的な評価を与えられるほどの逸品だということは言うまでもない。


「━━━━━━━━━。」


 見渡すと、そんな骨董品がこの部屋には他にもいくつか飾られていた。


 高級感あるシックな配色に、特殊な紋様が施された香炉。

 光沢は色褪せているものの、部分的な欠落なく非常に状態の良い青銅の花瓶。

 森のようであり、海のようにも見える抽象的な絵画。


 取り上げたものは、あくまでも一部。

 ここに収集されてある、山のような芸術品の一端にすぎない。


 その山々の管理者であり、この場所(へや)の管理人。

 すなわち、自分をここへ連れてきたであろう人物。


「おや、目が覚めたかい?」


 扉を開け放ち。

 ソファに横になった俺を見て、ニコリと微笑みかける男性。

 その出で立ちは、シャワー後のようなさっぱりとした爽快感ある雰囲気を醸し出していた。


 (というか、軽く湯気出てるし。本当に一風呂(ひとっぷろ)でも浴びているんじゃ……)


 なんて思うくらいには熱気伴い、彼の身体からは汗が噴き出している。


「うん?どうしたんだい?」

「ああ、いえ…」


 とまあ、かくして…。

 スポーツウェア姿に着替えたトゥエルノ・ランスが、この部屋へと入室してきたわけである。


 話しかけられた以上は、何か気の利いた返事を返そうと言葉を探す。

 けれど、彼のように爽やかな返答は今の自分にはどうにも出来そうにない。


 (はー、ねむっ……)


 寝起きで纏まらない思考をかき集め。

 とりあえず俺は、爽やかな笑顔を向けた彼に現在地の確認を行う。


「トゥエルノさん。ここは、あなたの……」

「うん。その点は安心してくれていいよ。自宅…ではないけど、ここは私の別荘みたいなものだから。当初スティア嬢に向かってもらう予定だった場所でもあるね」


 神の加護(ブレス)による代償を払い、左手を負傷したスティア。

 話によれば、傷ついた彼女の治療をここでする…という流れだったはず。

 ということは、スティアと俺は彼に運ばれて……。


━━━━いや、待て…。


「レンカは……?トゥエルノさん、レンカはどこに!?」


 そうだ、あれから彼女は?

 彼女の身体はどうなった?

 俺は彼女を背負って、それで……。


 レンカの安否が気になり、どうしても俺は取り乱してしまう。

 けれど、そんな俺にどこか穏やかで安心させるような語り口調をもって彼は語った。


「うん。心配しなくても、彼女もここにいるよ。今は別室で寝かせてある。意識を失ったままなのは現状変わらないけどね」

「そう…なんですか…。」


 結局のところ。

 俺の意識が途絶えた後も、彼女の容態は好転していないらしい。

 それでも彼の話を聞いて、俺は幾ばくかの安心感に浸っていた。


 どうやら、彼にまたもや救われてしまったようだ。

 そしてまた、レンカも同様に…。


「それを良かった……と、言っていいのかも分かりませんが…。レンカのこと。それに俺のことも、ありがとうございましたトゥエルノさん」


 俺は横になっていたソファから立ち上がり、彼に深く頭を下げる。

 対してのトゥエルノ氏だが、ぎこちない笑顔を見せて歯切れ悪く言葉を返す。


「ううん…。実際には、徹頭徹尾とはいかなかったんだけどね?」

「??」


 含みある言い方で言葉を濁す点に、若干の違和感を覚える。

 けれど俺たちを夢魔から守り、混沌と化した地下空間から連れ出してくれたのは他でもない彼だ。

 以前に火災現場から救出してもらい、火傷の治療まで行ってくれた恩も相まり、まさに今の彼に俺は頭が上がらなかった。


「まあ、そのことは後ほど話すとして…。もしかして、あまり昨夜は眠れていなかったのかい?とてもぐっすりと眠っていたけど」


 と、ここで。

 唐突に焦点を絞られる、恩人からの指摘。


 いかにも図星。

 隠すほどのことではないが、俺が寝不足であることはとうに御仁には筒抜けらしい。

 まあ、それはともかくとして。

 俺は一体どれほど、ここで爆睡していたのだろうか…。


 (変な寝言とか言ってないよな…?)


 他人の邸宅で、醜態を晒していた可能性に否が応でも立つ瀬がなくなる。

 それでも尚、睡眠不足に火照る身体は、頑なに脳を覚醒させることを拒んでいた。


 (あー、だめだ…。まだ眠い…。)


「あぁ、はい…。昨晩は、ふわクロウ……レンカの夢魔から睡眠の邪魔をされて全然寝付けなくて…。えーと、どのくらい寝てましたか…自分?」


 俺の質問に首を捻るトゥエルノ氏は━━━━。


「君を転送した時からだから、一時間と少しくらいかな?とても気持ち良さげに寝ていたよ」


 …などと、ハニカミながら至って穏やかに告げる。


 それが悪意ある言い方ではないと理解もしているが、どうしても自分の醜態と恥ずかしさで死にたくなる。

 これを察してかは分からないが、途端に彼は動揺し否定を示す。


「……ああ!なにも別に気にする事ではないからね。一時(いちじ)は死にかけていたし、疲労が体に蓄積していたのも当然だよ」

「は、はあ…。ありがとうござ……え、今なんて言いました?死にかけていた?━━━━あの、死にそうだったんですか俺??それに、転送って……」

「う、ううん…。その話も後で話そうか…あはは…。」


━━━━━━なんか俺が眠っていた間に、色々とあったらしい。


 話を後回しにしていることから、きっと複雑な説明が求められる内容なのだろう。

 だったら、ここは彼が語るべきだと判断したタイミングに委ねるしかあるまい…。

 ここで、こちらから追求するのは何だか違う気がするし。

 他人の家で爆睡してた奴が言えたことではないしな……。


「あーそうそう、確認しておきたいことが一つあったんだったよ」

「えーと、何でしょうか?」


 何か思い出したようにハッっとした表情で述べるトゥエルノ氏。

 彼は自身のあごへ滑るように手を持っていくと、相手の内心を探るような仕草を伴い俺の顔色を窺って語る。


「つかぬ事を聞くようだけど。━━━━君は()を…見たかい?……眠っている間に」

「夢……ですか?」


 ああ、確かに。

 言われてみればという意識程度だけど。

 彼が言うように、俺はなにかの夢を見た気がする。


 でも内容は全く覚えていない…。

 そう、いわゆるこれっぽっちもだ…。


「たぶん見たとは思うんですけど、よく覚えてません。ですが……なぜそんなことを?」

「あ、いや…。別に私の杞憂ならそれで構わないんだ。ただ、君は夢魔と同じ空間に長時間居たからね。眠っている間に悪夢を見ても不思議じゃない状態に陥っているかもしれないと、思っただけさ。話を聞いたところ、クロガネからも心配されていたみたいだからね」

「え、レンカが…??」


 おっと、それは初耳だ。


 誘拐されたのはレンカであって、俺ではない。

 だというのに、彼女は俺の心配をしていた?

 まったく心配をかけているのはどっちだよ…と実に物申したくなる新情報である。


 しかし、それだけで彼の話は終わらなかった。


「クロガネは、君の睡眠の邪魔をしたんだろう?それは、眠れば悪夢を見てしまうんじゃないかと心配した、彼女なりの行動(おもいやり)じゃないかな?……まあ、私がしつこくクロガネに寝ないよう言っていたから、少なからずどこか影響されたのかもしれないけどね…。」


 そう自嘲気味に、彼は笑って語る。


 (つまり、レンカは嫌がらせで俺を寝させないようにしていたのではなく、眠れば自分のようになってしまうことを危惧して俺に……。)


 改めて、その意味を理解した瞬間。


━━━━なぜか胸が、キュッと強く締め付けられた。


 夢魔との関わりがなかった昨晩の時点では、俺の身を心配する必要もなかったはずだが、自我を失いかけたレンカにはそんな状況の判別なんてろくに出来なかったのだろう。


 それを前提として考えた時。

 迷惑だと勘違いしていたあの行動は。


━━━━━ガラリと、その意味を大きく変えていた。


 知って湧き上がる温かな気持ち。

 そこにジリジリとした、心を焦がすような感情が上乗せされていく。


 なぜだろうか。

 今は、とても……。

 とても、どうしようもなく…。


━━━━━俺は彼女に会いたくなっていた。


「トゥエルノさん。レンカに会わせて下さい」


 会いたいという感情。

 それが俺の中で芽生えた時には、すでに彼へ進言していた。


「うん。勿論そのつもりだとも」


 申し出を聞き届けた彼は快く答える。

 そして、踵を返し。

 彼の後方に設けられた、この部屋の扉の取っ手に手をかけ…。


「それでは案内するよ。ついて来てくれ、ニクロフ君」


 今ではもう馴染み深くもある爽やかな笑顔を浮かべる彼に、扉は小さな鳴き声で応えながら。

 粛々と手前に引かれ、彼女へと続く道を俺たちに指し示したのだった。


「さあ、クロガネの元に行こうか」



 ◆◆◆



━━━━━アルコールの匂い。


 …と、聞くと。

 酒などの脳に負荷をかけるもったりとした重い匂い。

 もしくは、消毒液のようなツーンとした刺激ある香りを想像する者が多いだろう。


 さらには、匂いから特定の場所を連想することもよくある話だ。

 さしあたり。

 喩えるなら、今まさに体験していることが良い例になると思う。


「別荘というよりも、これは……」


 トゥエルノ氏いわく。

 先程の話を踏まえると、ここは彼の別荘とのこと。

 だが、それを基準として考えたとしても、これは極めて異質に思える。

 いや、奇妙さという点を考慮するならば。

 異様…という表現が適しているようにも感じる。


 それ即ち……。


「病室みたい……かな?━━━━うん。君の言いたいことは分かる。今の状態を客観的に見れば、ここは別荘ではなく。まるで病棟…だからね」


 仕切りのないワンルームほどの間取り。

 その部屋に、ずらっと並べられた病床。

 部屋から香るアルコール臭が、余計にこの場を別の場所へと錯覚させた。

 そして、そこにいる者達には共通してある特徴があった。


 (全員が全員、眠ってる…。まさか、彼らも……。)


 (とこ)に伏せるは、男女入り交じる意識なき者達。

 無論、横たわっている人々の年齢は様々だ。

 年端もいかない少女も居れば、ご高齢の(おきな)(おうな)も見受けられる。

 だが、集められた多様な人々に一貫して言えることは恐らく一つ。

 何となくだが、それの察しも容易についてしまう。


「彼らは……()()()?」

「いいえ、犠牲ではありません。あくまで一方的な()()です」

「━━━━へ?」


 口から漏れた声に、どこからか投げ返される感情の見えない淡々とした声が確かにそう答えた。


「こちらには進行度の比較的低い被害者を寝台に寝かせてあります。何の…という質問には答えるつもりはありませんが、どうしようもなく察しが悪いのであれば答えます。……いかがいたされますか?」

「…………。」


 どこかで聞いたことのある声…。

 そう思って俺は背後へと緩やかに振り返る。


「あ……。あなたは……」

「人の顔をジロジロと見る趣味があるとは、これには虫唾も走りだしてしまいそうですね。ワタシの姿形にどこか問題があると言いたいのなら、次は法廷で会いましょうか?」


 真向かいに当たる別の部屋から出てきた金髪のメイド。

 彼女は、小首をかしげながら皮肉たっぷりめでそう俺に尋ねた。


 (いやいや。というか、なんで俺は彼女に煽られてんだ?)


「フランソワ…。うん。お客さんには、もう少し優しい対応をしてほしいかな…?」


 俺を先導し、この部屋へ先に入っていたトゥエルノ氏。

 彼は俺の背後に立つようにして突然現れた皮肉垂れるメイドに、やや困った様子で語りかける。


 それと。

 彼の一言により、明らかに彼女の機嫌が悪くなったことは、そのしかめっ面な不服さから十分に読み取れた。


「はあぁ、かしこまれました」


 仕える主人に応じた声は、とんでもないほどのクソデカため息。

 ……と、やや間違っている敬語。


 だがしかし。

 間違っているからこそ、間違いない。

 この女性、確実にあの時の人物だ…。


 抑揚のない脱力感ある声色と、独特な言葉使い。

 それと、こっちを見つめている死んだニワトリのような瞳。

 こんな特徴的な特徴。

 忘れたくても、なかなか忘れられないパンチがそこにはある。


「あの、以前に助けていただいた……フランソワさん…?ですよね?」


 トゥエルノ氏が彼女の名を出していたので、取ってつけたように確認文に名詞を乗せて彼女へ聞いてみた………のだが。



「非常識ですケド」



━━━━え、なにが?


 死んだニワトリのような瞳を、死んだ魚のような目に変容させて。

 遺憾に感じているらしき現在のお気持ちを、まざまざと態度と言葉で彼女は表明させてきた。


 (え、なにか非常識ワードだったか?今の!?そんな禁句に相当する発言なんて出てたか??出てたのか?俺の口から…!?)


 記憶を辿るが、不機嫌気味だった彼女の機嫌を更に悪くさせるような発言は、まずしていない…つもりだ。

 それこそ介入の余地なんてないほどに…だ。

 だってまだ22文字しか、面と向かった彼女に対して発していないんだからね!?


「開示していない名前を(かす)め取り。ワタシの貴重な自己紹介パートを省略させるつもりなのですか?受けた恩を仇で返す、この仇返し太郎は」


 死んだ魚の目は細められ、今度は呪術儀式で利用される土偶人形のように空虚な瞳で彼女はこちらを覗いていた。


 しかし理屈っぽいことを言ってるように聞こえなくもないが、肝心の内容は歩けば砕け散る薄氷のように極めて薄い。

 そう、言うなれば…。



━━━━この人、関わっちゃダメなやつだと思います。



 なぜだろう、レンカと同じタイプの匂いがするんだよなぁ…この人から。

 ええ、とても近しくもあり、出来るなら避けたい。

 決して彼女らを同席させてはならないと使命づけられるほどに。

 面倒なオーラ漂う、典型的なボケ特化型。


 こういう方とは、まともに会話をしてはいけない。

 そう学んだんだよ……我が偽妹から。


「トゥエルノさん。それでレンカは……」

「なるほど、ワタシは無視なのですか。いい度胸ですね。自己紹介パートを奪うだけならいざ知らず、他人の人権を蔑ろにする行為。“ シカト ”まで堂々と披露してくれるわけですか。へぇえ~?ふぅ~ん?━━━いっそのこと、仇から生まれた仇太郎に改名してみてはどうでしょうか?」


「あのぉ…トゥエルノさん…。この人なに!?」


 執拗に、うざ絡みしてくるフランソワなる人物。

 以前に助けてもらったことは変えようのない事だが、それをこれでもかと、これみよがしに擦ってくる所が…。

 また、なんと言うか……難儀だよな。


 いやそれよりも、仇太郎ってなんだよ。

 ネーミングセンスまで、レンカとそっくりじゃねぇか。

 最近の俺のニックネーム付けられ率、どうなってんの?

 どんどん増えていくじゃんか…。


「まあまあ、そんなことに目くじら立てない立てない…。だけど、クロガネと君。そして私を含めた皆をあの場から助けたのは確かに、このフランソワなんだよ。その点では私達の恩人でもあるね」


 えぇ……この人が…?

 死んだカエルのような目で勝ち誇った顔してる、この人が??


 いやまあ、以前に助けられた時も彼女の能力で治療してもらったから信用していないわけじゃないけども…。


 すると、さっきのトゥエルノ氏が零した煮え切らない発言はココに繋がるわけか。


 当然ながら、一方的に救われておいて言えた義理では無いと理解している。

 だとしてもだ。

━━━━やっぱり釈然とは、しないよなぁ……。


「感謝は結構です。ですが、敬う分には各々ご勝手にどうぞ。崇められて悪い気はしませんので」


 (ほらー。どことなくレンカのような傲慢さが垣間見えるしー。)


 なんか素直に感謝を伝えづらいというか、何といいますか…。


「ありがとう、ございました…。」


━━━━そりゃあ、まあ一応は伝えますよ。


 もちろん感謝は伝えますけどね?

 こちとら命救われてますから。

 かけがえのない大事なもの守られてますから。

 伝えないなんて選択肢は、ないでしょうよ?

 だけどね、それでもさ…。


「ふっ…(微笑)」


━━━━━煽りに対しての感情は、別に持ち合わせても問題ないよな?


()い心掛けですね。()()()


「誰が仇太郎だぁあ!!あんたから恩着せがましく恩を押し付けられて、返品出来ないから仕方なく!仇に変換して投げ返してるだけだからな!?」

「ほーん、押し売り販売に興味がおありなのですか?でしたら、ワタシの詠唱サンプリングボイスを販売する売り子になってみては?」

「あんたも大概、人の話を聞かないタイプだなぁ!?」


 会話、ダメ。

 全然、ダメ。

 俺、コイツとキャッチボールデキナイ。


 そもそも、サンプリングボイスってなんだよ。

 本当に似すぎてるよ、どっかの誰かと!

 主に思考回路がさ!?


━━━━あいたたた、持病の頭痛(レンカ由来)が再発するぅ…!


「ここは病室ですよ。何を声を荒らげているのです?」

「あんたのせいなんだよ!?」


 いかんいかん。

 気づけば、レンカさんの時と同じように漫才していた…。

 これだからボケ属性とは、あまり出会いたくないんだよ。


「うん。二人が打ち解けたみたいで良かったよ」


 俺たちの実りの無い会話を聞いたトゥエルノ氏。

 何がそんなにおかしかったのか。

 あはは〜っと、割と大きめな声で笑っている。


 しかし、彼のそんな姿は初めて見る気がした。

 乾いた笑いなら数回見てきたが、これは本当に心から笑っているのだろう。

 ましてや、目から笑い涙も零れてるし。


「打ち解けたかどうかは、甚だ疑問ですが…。それで、レンカはこの部屋に?」

「いいや。フランソワも言っていたけど、ここは悪夢の進行度が低い状態で助けることができた人達。要するに、夢魔が生まれる前に救出した人々を寝かせてある部屋なんだ。クロガネの元へ行く前に、一度この場所の様子を君に見てもらいたくてね」


 彼の話で、俺はこの部屋に寝かされた人々を改めて己の視界に収める。


 悪夢に侵された者が集う部屋。


 ここの役割…ないし、利用理由を説明するために彼は俺をこの部屋へと案内したのだろう。

 だが、それにしても妙なことを言っている…。


「生まれる前…?では、この人たちからはまだ夢魔が出てきていないんですか?」

「うん。出てきていないというか、何事もなければこの先も出てこない。ここの敷地内にいる限りはね?」


 (出てこない?悪夢に飲まれれば、時間と共に夢魔が出現すると彼自身から聞かされたが…。ここにいれば、その進行も止まるのか?)


「━━━━なんて脳内で色々と考え込んでいらっしゃるようですが、進行は止められません。単に緩やかになっているだけです。死ぬ時は死にます」

「あの…脳内の声を勝手に再生しないでくれない?」


 どういう理屈か、この毒舌メイドは俺の心の声に返答をする。


 本当に何なんだこの人…。

 ()()コスプレメイドとは違って、本物のメイドって治療もできるし、心まで読めるものなのか……??


 もはや怒りや驚きを置き去りにして、ただただシンプルに感服してしまう。

 コスプレとは異なり、やはり本職の人は、どうやらレベルが違うようだ。


「ところで死ぬ…とは?夢魔が出てこない状態でも、悪夢で亡くなる可能性が?」


 緩やかに症状が進行しているとしても、悪夢の災たる夢魔が現れないのであれば、直接的な死には直結しないのではないか…というのが俺の考えだった。

 だが彼女の言葉のニュアンスから、俺が想定している内容とは食い違っているのかもしれない。


「うん。肉体と精神が悪夢に耐えきれなくなれば死に至ることもある。だけど、夢魔が出てくる心配はないよ。それもこれも、フランソワがこの邸宅全体に特殊な結界を張っているお陰なんだけどね?」


 フランソワに代わり、トゥエルノ氏がそう答えた。


 肉体を静止させ、精神を蝕む悪夢。

 もちろん侵食速度や度合いは人によって異なるのかもしれない。

 だが、保てる精神の容量を超過し、悪夢を許容できなくなれば。

 内側から崩壊を起こし、いずれ死に至る…というわけらしい。

 ……って、まてまて。


「まっ、またこの人が関わってくるんですか…?」

「━━━━なんでしょうか?人を見る目にしては、かなり悪意を感じますケド」


 トゥエルノ氏の言葉で反射的にメイドを見てしまったが、彼女いわく俺は今あまりよろしくない表情をしているらしい。


「まあ……驚くのが普通の反応だよね。彼女は少し特別で、魔の類を遮断させる領域を作り出すことが出来るんだよ。それは夢魔にも適応されるようでね?彼らの現界を何とか抑制しているわけなんだ」

「━━━━いや、めちゃくちゃ万能すぎませんか……トゥエルノさんのメイドさん…。」

「うん。ハイスペックすぎて、いつも私も困惑しているよ」


 仕えられている主人でさえも困惑する高能力。

 謎が謎を呼びすぎて渋滞を起こすレベルだが、考える分だけ疲れるのでここはスルーしよう…。

 そうだ、そうしよう。


「では。ここにいれば夢魔が発生する心配は、ひとまずないんですね」

「うん。そう考えてもらって大丈夫だよ。まあ、一部例外はあるみたいだけどね…」

「例外…ですか?」

「━━━━うん……行けば、分かるかな?」


 そう言って、再び移動を始めるトゥエルノ氏。

 俺は、この病室と病室内の床掃除を行い始めていたメイドの姿を最後に一瞥してから彼の背中を追う。


「━━━━。」


 決して予想外というほどではなかった。

 それでも、こうして同じように集まる彼らを見ていると心がザワついた。


 案内される目的地。

 そこへ至るまでの道程では、先程と似た作りの部屋が幾つもあり、どの部屋も扉のない解放型で、中の様子が直ぐに確認できるようになっていた。

 そして、そのどの病床にも患者とでも言うべき人々が横になり、誰しもが例外なく昏睡していたのだった。


 そして、さきの倉庫地下で見かけた少女の姿も勿論あった。

 きっとトゥエルノ氏は、こういう者達を見つけ次第。

 日頃からここへ保護していたのだろう。

 しかし、それだけでは事態の根本的な解決には届かない気もするが…。


「さあ、入ろう」


 ある部屋の前で、彼の歩みが止まる。

 追従していた俺も同じく進行を止めて、扉の前に立った。


 コツ、コツ、コツ…と。

 彼がノックをすること三回。

 部屋から返ってくる声も、反応もない。

 けれど、それを確認すると扉を開けてトゥエルノ氏は中へと入っていく。

 そんな彼に続く形で俺も入室すると…。


「先輩!?」

「…あ、スティア?良かった!無事だったんだな」


 開けられた部屋の内装は客室のようになっており、入ってすぐの向かい壁。そこに設けられたベッドの傍では、寝台脇に腰掛けたツインテの後輩が俺を見て目を丸くし驚いていた。


「やっと目が覚めたんですか!?━━━あ、いや......。ほ、ほんと呑気ですよね先輩って!クロが大変だってのに、いつまで寝てるんですか…もう…。」


 言葉と共に辛辣になっていく素振りを見せるが、本当は心配してくれていたのであろう後輩はともかくとして…。


「心配かけて悪いな。ついさっき起きたばかりでさ…。で、手の治療はしてもらったのか?」


 爪が剥がれ、出血していた彼女の手。

 それを治すために…という話だったが、ここからの様子では完治しているように見える。

 そんな傷ひとつ無い綺麗な手をスリスリと片手で触りながら彼女は口を開く。


「べっ、別に先輩の心配なんて……!あ……はい。それについては、もう大丈夫です。フランさんが治療してくれましたので」

「そうか。それなら良いんだけど…って、またアイツかよ!?」

「あれ?先輩お知り合いでした??」

「ああ、うん…。つい先程、お知り合いになってしまったよ……不本意ながらな」


 フランというのは、流れ的におそらくフランソワの略称のことだろう。

 ということは、トゥエルノ氏が倉庫前で言っていた人物とはフランソワのことだったようだ。

 しっかし、どこまでも有能なんだな…アイツ。

 性格は絶望的にソリが合わなさすぎるけどさ。


 だけど、後輩が負った代償の件はこれで解決した。

 あとは彼女だが…。


「で、レンカは……」


 後輩の寄り添っている客用ベッド。

 そこに寝かされているのは……。


「うん。彼女は見ての通りだよ」


 トゥエルノ氏が向けた視線の先。

 注目浴びたその場所に、ぐてっとして活力のない一人の寝姿がある。


 すぅっと…寝息の一つでも立てていてもおかしくない穏やかな寝顔。

 けれど現実は、人形のように静かで。

 死人のように血色薄く。

 泥のように寝具へ、深く深く身を預けていた。


「レンカ……」


 彼女の状況は事前に聞いていた分、その様子にさほど驚きも疑問も無かった。……が、スティアの腕に覆われて彼女の膝上にちょこんと居座る生物。

 そちらの存在に関しては、疑問だらけなわけで…。


「トゥエルノさん。あの、確認したいんですが…。ここで夢魔は存在できないんですよね?」

「そうだよ。フランソワの結界でそれは保証されている」

「……では、なんでレンカの夢魔は未だに消滅していなんですか?」

「うん…。それが分からないんだ。仮定するなら、まだ夢魔として完全になり切れていないからとしか推測できない。いま持ち得る情報と、現状とを鑑みたとしてもね…。」

「━━━━夢魔が存在できない空間に存在する夢魔…ですか…。」


 ここで俺は、彼の教えてくれたレンカが夢魔を生み出した経緯を思い出していた。


 彼は確か、レンカが夢魔としての外殻を使い、己の精神状態を維持したまま身体から出てきたと、事のあらましをそう語っていた。

 ややこしくも、その話が正しいとして。

 彼女の現界にあたり、使われた皮が夢魔であることには違いない。

 ならば結界が正常に機能していないか、そもそも彼女が夢魔ですらないのか…。

 憶測で物事を語るには、どちらにしても今はあまりにも判断できる情報量が少ない。


 しかしまあ。

 ここはひとまず、ふわクロウの生存を喜んでおくべきか…。


「先輩……。ふわクロウは渡しませんよ」

「なんだよ、そのケダモノを見るような視線は…。別に取って食ったりしないぞ?」

「いえ、しますね。今の先輩ならやりかねません」


 随分と過保護になってらっしゃるスティアさん。

 ふわクロウを大事そうにギューッと抱きしめて、ジトりとした目線で俺に精神攻撃を仕掛けてくる。


 警戒強く……。

 いーや、警戒心が強くなったんじゃない。


━━━━あれは多分、ふわクロウに依存してるな?


 幸せ不足に陥った後輩は、癒しを求めるあまり。近くにいた彼女に幸福供給源としての可能性を自然と見出したのだろう。

 ……で、この光景が完成したと。


━━━━おそらくは、あれである。

 ぬいぐるみとか、たくさん部屋に飾ってベッド脇にも置いてる系。

 きっと後輩は、そのタイプの少女趣味のある女の子なのだろう。


 (このお嬢様。可愛いじゃん…)


「うん。今回の関係者は、これで一応揃ったね。それではフランソワ頼むよ」


 と、ここで。

 急にトゥエルノ氏は場を取り仕切るように、自身のメイドに何かを頼み始める。


━━━━いや、しかし。


 そもそも、フランソワはこの場所には来ていな……。


「かしこまれました」

「いるのかよ!?」


 初めに立ち寄った病室を最後に、姿がなかった毒舌メイド。

 気がつけば彼女は、主人の傍らに何事もなく佇んでいた。


 もはや気配がある、ないとかの話ではない。

 いわば、瞬間……。

 彼女の名前がトゥエルノ氏の口から出てきたその瞬間に。

 突然、そこに彼女は存在を現したのだ。


「騒ぎ上手ですね、仇太郎。━━━━お座り」

「犬じゃねぇよっ!!もちろんそんな変なあだ名も認めん!!」

「はぁー、これは駄犬ですね。保健所へ参りますか?」

「やっかましいわっ!!」


 まただよ。

 またクソ漫才しちゃったよ。

 こいつと会話する度にこれだと、色々と身が持たないよ。

 レンカの数十倍は疲労感が……。


「ふぅん?先輩とフランさんって仲良さげですね?」


「良くないよっ!?」

「良くありませんケド」


「それにしてはテンポ良く、コントみたいでしたよ?」


「こんな相方ゴメンだよ!!」

「お相手ならスティアお嬢様が適任では?」


「━━━━先輩。クロが妬いちゃいますよ?」


「いや、どういう意味だよ!?」


 眠ったレンカと、膝上のふわクロウを交互に見て。

 スティアは、意味深な言葉を投げかけてくる。


 この毒舌メイドと漫才するつもりもなければ。

 俺はレンカをそういう扱いで見てもいない。


━━━━そもそも、なんでこんな話に逸れてんだ?


「フランソワ…?そろそろお願いしてもいいかい?」


 それになんで、メイドよりも立場が上の雇用主の方が腰が低いんだよ。

 謙虚すぎるだろ、この人…。


 人の良さというか。

 物腰の柔らかさが、態度から出ちゃってるんだよな。

 トゥエルノさん…。


「はぁーあ、かしこまれました」


 そして、この使用人である。

 なんかもう、ここまでくるとトゥエルノさんが不憫でならないよ…。

 ほらまた、ため息ついちゃってるし。


━━━━で、一体これから何が始まるんです?


「あのー、トゥエルノさん?改まって何を……」


「えーい。…………はい、終わりました」


「━━━━は?」


 さながら呼吸をするかのように。

 思わず自然と口から疑問の言葉が出てしまう。


 拍子抜けする、ゆるっゆるな声。

 それこそ漫才でなら、その場でズッコケていたかもしれない。

 しかし、この場合。

 コケる理由は、腰を抜かすという意味合いになるのかもしれないが…。


「あの…これは…」


 おそらく、現れたこれはフランソワが出現させた……のだろう。


 彼女が発言した直後にソレが姿を見せたことから、断定は出来ないが多分そのはず。

 しかし、どう見てもソレは……。


「うん…。彼女は生きていない。……既に故人だよ」


 告げられた内容に、特別な驚きはなかった。

 もちろん、俺の能力で生死を見極める必要すらない。

 それほどまでに。

 一目見ただけで、識別が容易であるほどに。

 眼前の()()は、あまりにも見るに堪えない有様であったのだから。


 アクリル製のような容器に保存された骸。

 透明な板から透けて見えるその身体は、全体の九割が白骨化している。


 装いも、質素なものであった。

 それがスカートだったのであろうと、辛うじて判断を行える程度の一枚の布切れ。

 時にその布が故人の腰辺りに巻かれていなければ、もはやスカートとしての認識も出来なかっただろう。


 故に。

 この遺体の損傷は、かなり激しく。

 個人を特定し得る決定的な情報を大きく欠かしている。


 残ったのは……そう。

 性別が女性であったいう、最低限の要素くらいだ。


 もしかしたら彼女も悪夢の被害者なのだろうか。

 しかし、どう見ても他の被害者とは、間違いなく一線を画している違和感がある…。


 それにだ。

 話の流れとして、故人になった彼女をわざわざここへ連れてくる理由が分からない。

 そもそも、前提として。

 故人になっても尚、なぜこのように保管している…?


━━━━なぜ()ここに、彼女を連れてくる必要があったんだ?


「貴方が人知に勝る力を持っているからですよ、仇太郎」


「━━━━だから、心読むの止めてくれますか?」


 まあ、フランソワに言われずとも。

 おおよそ、何となくの想像はついていた。


 死者を弔わずに、あえてこのような形で保管してあるという特異な状況。

 こんな対処を、わざわざしているのだ。

 これが普通であるわけがない。


 では普通とは違う場合、それは何なのか。


「先輩……まさか……」


 グロテスクな死体を目にし。

 声も出せずに絶句していたスティアが口を開く。


 やはり後輩も、この状況では流石に気がついたようだ。


 トゥエルノ氏が俺たちに、見ず知らずの女性の遺体を見せつけてきた理由。

 その真意に…。


「彼女を蘇生してほしい……というお話ですか?」

「うん。察しが良くて助かるよ。お願いできるかい?」


 案の定、その手の依頼である。


 彼にはとても世話になった。

 自分の能力も知られている。

 だからこそ。

 別に断るつもりもなければ、拒否する姿勢も毛頭考えていなかった。


 だが…。

 しかしながら…。

 蘇生させるとしても、今回は()()が著しく宜しくない。


「見たところ彼女は亡くなってから時間が経ちすぎています。残念ですが、これでは蘇生は難しいかと…」

「そうか……うん。ありがとう。無理を言って悪かったよ」

「いえ。こちらこそお力になれず、すみません」


 蘇生は出来ない…と、俺は率直に彼へ告げる。

 たとえ条件を満たしさえすれば可能だとしても、迷うことなく俺はそう告げた。


 だって、そうだろ?

 そんなの言えるはずもないんだから。


━━━━殺人を犯せば蘇生可能だなんて、恐ろしいことを…。


「恩を仇で返すことに定評がありますね。さすが仇太郎です」


 嫌味ったらしく他人(ひと)の弱い所を突いてくる毒舌な言葉。

 彼女の態度には改めて腹が立つ。

 しかし、こちらも受けた恩を仇で返すつもりはない。


 ここで、蘇生は出来なくとも。

 ここで、明かすことの出来る情報はある。


「確認したいことがあるんですが、遺体に触れてみてもいいですか?」

「う、うん?あ、ああ。別に構わないよ?」


 トゥエルノ氏は言葉の意図が見えないためか、僅かに眉を動かす。

 けれど、そのままメイドに顔を向けると…。


「フランソワ。箱を開けてあげてほしい」


 自身の使用人に、柔らかい口調で指示を出した。


「━━━━。」


 一方のメイドは目を濁らせて、ものすごく面倒くさそうな表情で無言の圧力を俺にかけてくる。

 そして一言。

『かしこまれました』…と、つまらなさそうに吐き捨て。

 故人が眠る透明な棺へ向け、遠くからデコピンをするような仕草で『それっ』…っと、だらしなく呟くと…。


「はぁあ……?」


 弾かれた指と共に。


「えぇえ………。」


 いとも容易く。


「うーん……」


 棺の上部を削り取る形で…。



「━━━━はい、面倒だったのでこじ開けました」



 透明な棺の上半分を弾き飛ばした。


「「「 ( ざ、雑ぅ……。) 」」」


 仕事としては三流だが、実力としては一級。

 正直、もうよくわかんなくなってきたな。

 この脱力系毒舌メイド…。


 飛ばされた蓋に該当するであろう部分は、なんなら突き当たりの壁に突き刺さっている。

 もし少し位置がズレていれば、隣は窓ガラス。

 最悪、直撃により窓が割れていたと考えれば、まだ壁の修繕費がかかるくらいで済んで良かったのかもしれないな。

 じゃなきゃ、とても風通しのいい部屋になっていただろうし。


 それにしても…。


 (トゥエルノさん、壁見つめて固まってるけど大丈夫だろうか…。)


 ここまで来ると可哀想を優に通り越して、いつかメイドに謀反でも起こされるんじゃないかと、俺は心配です。


「せっかく開けたのですから、ぼーっとしていないで、早くされてはどうですか。仇太郎が何をしようとしているのかは知りませんが?」


 フランソワは変わらず死んだ目を携えて、事の催促を促す。


「あー、はいはい…。」


 あからさまな煽り文句に苛立ちを覚えはする。

 けれど、いちいち構っていては精神衛生上よろしくないので、軽く受け流しつつ事を急ぐことにしよう。


「ちょっと失礼しますよ…っと…」


 俺は棺に眠る遺体に近寄ると、故人へ申し訳程度の断りを入れ。

 遺骨になった彼女の頬に、そっと手を添えた。


「彼は何かしているのかい?死者と会話をしたりだとか」

「さあ…?そういう趣味はなかったと思いますけど、先輩なので否定はできません」

「そうか。うん。特殊な趣向だけど、無闇に否定はできないからね…。彼、故人に恨まれなければいいんだけど…」


━━━━かなり拗れた会話してるな。あの二人。


 離れた場所から、ヒソヒソにしては比較的聞き取りやすい誤解話が聞こえてくる。


 トゥエルノ氏とスティア。

 声からして、そちらを見ずとも発言者が誰なのかくらいは分かる。

 で、何やら二人は雑談中のようだ。


 それも、お互い少し会話内容がズレてるんだよな。

 噛み合ってるようでいて、噛み合ってないし。

 でも、遠回しに俺がディスられてるのは共通の話題か…。


 風評被害を絶賛受けているが、日頃からレンカやスティアの会話相手をしているおかげだろう。多少の事では動じず、寛容になってきている自分がいる。

 両親に対して寛容すぎるだの何だのと思っていたが、どうやら俺も人のことを言えなくなってきているらしい。


 これも、血筋…ってやつなんだろうか。

 血には逆らえないとは、何とも悩ましい問題だ…。


 (しかしまあ、それはそれとして。()()をどう伝えたものか…)


「トゥエルノさん。彼女を殺害した人物…ないし、殺害に関与した存在を仮に特定できると言ったら……信じてくれますか?」


 極めて慎重に言葉を選びながら。

 こちらの様子を見守っている彼に、話を切り出す。


「そんなことが出来るのかい!?……ああ、いや…。うん。もちろん信じるとも。それも君の能力の一つということなんだね?」


 俺は肯定の意を込めて大きく頷く。


「死者の蘇生。これについてはお話しましたが、俺にはその死者が誰によって死へ追いやられたのか、探ることもできます」


 唖然とし、口を半開きにさせるトゥエルノ氏。

 彼は、十数秒ほどの沈黙を経て。

 ようやく我に返ったのか、おもむろに口を動かし始める。


「うん…。あらためて君には驚かされる。まさか犯人の追跡まで出来るとはね…。うーん、そうだなあ。能力の傾向から、ニクロフ君は探偵とかに向いてそうだね」


 なぜか職業適性で探偵を勧められるが、正直俺は向いていないと思う。

 これは、ツェドから聞いたことがある程度の不確かな話で信憑性も薄いのだが。聞くところによると探偵の仕事の八割は、ほとんどが浮気調査や身辺調査なんだとか。

 そんな、他人のどろっどろな交友関係なんて暴きたくないし、暴いた浮気相手に恨まれて、こっちも対人関係ドロドロにしたくもない。


 あとなんか、ふとした時に背後から刺されそうで怖いし…。


「探偵には興味ないですが、それっぽいことを言うことにはなりそうです…。俺の見立てでは、犯人はこの街にまだいます。それも反応は複数」

「複数…?」


 その時。

 一転してトゥエルノ氏の顔が曇る。

 その影り方は、過剰すぎるほどに内なる感情が露出したものだった。


 明らかなる動揺。

 食い違った情報からの発露。

 その犯人に、彼はなにか心当たりでもあるのだろうか?


 だが、そもそも。


「この遺体……。今回遭遇した夢魔と呼ばれる存在についても、やっぱり無関係ではないんですよね?いったい何者なんですか、彼女は…。」


 俺は情報の開示を彼に要求する。


 しかし誰を蘇生させたかったのかは、この際は重要では無い。

 知りたいのは、夢魔に関連する事件に目の前の彼女も関わっているのかどうかだ。

 被害者の中でも抜きん出て状態が悪辣なことに対する疑問。

 それが、この質問の真意であった。


 これを察して汲み取ってくれたのだろうか。

 彼は回答を述べながら、こちらへ歩み寄る。


「うん。君に頼み事をする前に、まずはちゃんと話すべきだったね。彼女は、私達が対峙した毛髪の夢魔の宿主だよ。君が予想していた通り、亡骸となってあの部屋に埋まっていた」


 それは、どこか少し悲し気な表情で…。

 彼は、静かに横たわる彼女の正体を明かした。


 (この遺体が、あの夢魔の宿主…。)


 たしかにあの時。

 感知に反応した理由と合わせて、そう彼に俺は伝えた。

 けれど、その埋められた場所を的確に掘り当て。

 あの修羅場ともいえる状況から、こうして連れて帰ってくるとは…。

 いやはや、実に恐れ入る。


 可能性としては、あのメイド…。

 例のごとく。

 またもやそれも、フランソワのおかげだったりするのかもしれないが。それでもこれは、トゥエルノ氏の行動力があってこそ成し得た結果だろう。


 きっと当事者が俺では、遂げられなかったはずに違いないのだから。


「彼女も、()()()の被害者の一人には変わりないからね。救い取れる命があるのなら、なるべくなら零したくないんだ。だから、ついついこうして君を頼ってしまったよ…。あはは…」


 気恥ずかしそうに、そして後ろめたそうにも見える表情で彼は語った。


 死してなおも、あの部屋に囚われ。

 終わりのない悪夢を見続けていた。

 不運かつ、救われなかった少女。

 そんな彼女に手を差し伸べるのは、彼にとってはあまりに自然な行為であり、当然の行いだったのだろう。


 だから、ここまで彼女を連れて来て。

 そして俺に蘇生させようとしていたと…。


 (亡くなっている故人まで救おうとしていたのか…トゥエルノさん)


 どこまでも人が良いというか。

 他人にどこまでも甘いというべきか。

 ファンクラブが結成されるのも必然だというか…。


 なるほど、これは確かにモテますわ。


「頼ってもらって、この(てい)たらくでホントすみません…。ですが、気になったことがもう一つあって」

「うん?何かな?」

「今、()()()って言っていましたが…。その人物が今回起きていた誘拐事件の犯人だったりするんでしょうか?」


 話し振りから、彼は事件の裏に潜む黒幕をすでに知っているような気がする。


 夢魔なんていう得体の知れない現象めいた存在。

 こんな意味不明な悪夢の化身に詳しすぎるのも、初めからどこか変だった。


「今までは、そう考えていたよ。だけど、犯人が複数人いるという君の話から、考えを改める必要性が出てきたからね。だから今は、あの男だけの犯行…とは言い難い」


 歪ませた表情。

 そして、その視線はここに存在しない何者かを想像するように俯き落とされている。


 ああ、間違いなく。

 つまりは、そういう事なのだろう。


「ということは、複数では該当しなくても。単独では該当する心当たりがあるんですね?」

「うん。心当たりしかないよ」


 ドッシリとした力強い一言。

 その口調から、彼が強く感情を表に出していることが窺えた。


 ならば、こちらが取る行動は絞られる。


「どなたなんですか?検討をつけているのは」


 俺は追及する。


 あまり考えたくないことだが。

 俺が犯人の命を奪えば、この遺体となった少女も蘇生が出来るかもしれない。

 しかし能力の発動条件とは言え、こういうことは倫理上するべきではないということも重々承知の上だ。


 それは倫理観の観点としてもだが。

 罪を負った罪人……いわゆる人を手にかけた者には、それ相応の償いを受けて然るべきなのだ。


 罪の重みや被害者の受けた苦しみは、死を味わうだけでは清算されないし、理解することも出来やしない。


 本当の意味で犯した過ちを罪人に償わせるとするならば。

 死ぬことなく、生き続け。

 自分の殺めてきた者達、そして被害者の親族からの恨みに耐え抜き。

 他人から呪われ続ける人生を歩むことで。

 ようやく自身の身勝手さ。

 自身の愚かさを知り。

 悔い改めるに至る。


 しかし悔やみ懺悔し、行き着く先に辿りついたとして。

 きっと、その先には地獄しか待っていない。


 奪った生命は嘆いても戻らず。

 汚した手は何度洗い流しても拭えず。

 募る罪悪感はいつまでもピッタリと背後に付きまとう。


 これが罰。


 これが罪を犯してしまった者の結末。


 罪人に救いは無く。

 贖いは意味をなさない。


 待ち受ける結果はただ一つ。


 死にたくなるほどの生き地獄のみ。


 それが人の命を奪うことへの代償。


 もしもその行動が避けられない決断上での殺害であっても、これは不変のものである。


 なにしろ、善人や悪人。

 ひいては、犯罪の有無に関わらず。

 命を奪われた者達にも血縁者ないし、想われる家族がいるのだから…。


━━━なんて、どの口が言えた話だろうか。


 徹底して冷徹に。

 一切合切の無駄な感情を削ぎ落とし。

 これまで俺は、幾重もの生命の核を刈り取ってきた。


 そんな人間が今更ながら偽善者ぶるのは、お門違いというもの。

 ならば、いっそのこと。


━━━━修羅と化すより他ない。


 これは、犠牲でもなく。

 これは、報復でもなく。

 これは、制裁でもない。


 手段としての手染め。


 ああ、言わずともこの思想は間違っている。

 そんなことには気が付いている。

 だが、大切な存在を。

 大切だと感じた人間を守れるのなら。

 それが、侵された悪夢から救い出すことのできる唯一の方法なら。


━━━━俺は悪魔にだって、喜んで魂を売り渡すとも。


「トゥエルノさん。詳しい内容は省きますが、犯人が分かれば蘇生ができるかもしれません。なので、その人物の処遇を俺に委ねていただけ……」

「私の父なんだ」

「━━━━え、はい?」


 どんな相手であろうと、感情を捨て。

 目的のためにだけに機械的に身体を行使し、完遂させる。


 それだけで発動条件は満たされ、蘇生は行われる。

 なんならこの一連の悪夢にまつわる事件も、首謀者を仕留めたのならば解決に至るかもしれない。


 ……けれど、彼の告げた言葉が。

 俺の構築されつつあった完遂までのフローチャートを一瞬で瓦解させた。


「夢魔を生まれさせ、被害者達に悪夢を見させ続けているのは私の父なんだ。こちらから君の協力を仰いでおいてなんだけど、あの男のことは私に任せてほしい」

「トゥエルノさんの父親…?それって……」


 トゥエルノ・ランスの父親。

 それはつまり、この都市を統べる人物に他ならない…。


「たぶん君の想像通りだよ。シンフェミア市長『トネリ・ランス』…。あの男がこの悪夢を広めている根源だ」


「「………………。」」


 語られた名に、俺とスティアは思わず言葉を失う。


 そんな俺たちの姿勢は、客観的に見れば放心状態とも言えただろう。

 けれど、意図してなのか。

 当のトゥエルノ氏は、俺たちの様子に気づかないふりでもするかのように構わず話を続けた。


「あの男の神の加護(ブレス)は、人の夢を強制的に引き出し、負の感情を増幅させる能力。さっきの部屋で眠っていた人々は、全て父による被害者達なんだ」

「ま、待ってください!トネリ・ランスって…あのトネリ市長ですか?いや、何かの間違いでは…。」


 どうも、にわかには信じられなかった。


 温厚そうで、誰にでも人あたりの良い人格者にして。

 シンフェミアを統率する都市の顔とも言える市長。

 それが俺たちシンフェミア市民が知る、トネリ・ランスという人物像。

 普段、表に立っている彼の姿を知っているからこそ、俺は今回の話をすんなりと受け入れることが出来ないでいる。


 きっと、スティアも同じ心境なのだろう。

 くぐもった声を漏らしながら、情報処理の追いついていない顔をしている…。


 それにだ。

 市長が自分の街を害する理由なんてあるのか?


「第一、自分の街の市民に危害を加えてるなんて。そんなこと正気の沙汰じゃ…」

「正気じゃないから危害を加えている。正気じゃないから夢魔が生まれている。正気じゃないから……あれだけの被害者がいるんだよ」


 告げるその声は、微かに震えていた。


 ついては、トネリ氏への怒りが彼を震わせているのか。

 または、父親を止めることが出来ないでいる自分自身を責めての葛藤なのか。

 彼の心に抱えた感情は分からない。

 しかし、唇をかみ締めて歪ませる彼の表情だけで、答えは十分だった。


 被害者の存在。

 それが確固たる生きる証拠。


 それが本当なら、トゥエルノ氏は彼女ら被害者を純粋に救うために保護している一方。

 自らの父親が犯した罪の証拠を消されないように、父親から匿っているのではないだろうか。


 ただ、非常に言い方は悪いかもしれないが。

 いつか罪を告発し、それを確固たる事実として世間へ公にするための証拠材料としても、彼は被害者らを近くに置いている…。

 そんな風にも、同時に俺には見えてしまっていた。


「ですが、トゥエルノさんの言葉通りだとしても相手は市長ですよ。いくら実の父親でも、犯人として吊し上げるのは一筋縄ではいかないのでは…。」


 首謀者が彼の父親ということなら、神の加護(ブレス)の発動条件は当然満たせない。

 顔の知れた知人の親。ましてや市長をを手にかけるなんて、余程の理由でも避けたい行いだ。

 それに、彼から『任せてほしい』と言われた手前。

 俺が下手に介入するのも、野暮というものだ。


 しかし、ただの家庭問題であればの話だが…。


「うん。私達は血縁上は親子でも、立場上は市長と一般市民。だから真正面からの看破は理想的ではないし、あの男を止められるほどの政治的権力を私は持ち合わせてもいない。強行策も以前に試してみたけど、結果はこの通りだ。行政機関に犯罪の証拠を並べて申告することも可能だけど、あの男は地位を使って上手くすり抜けるはずだよ」


 眉間に皺を寄せ、唸るトゥエルノ氏だったが。

 考えがまとまったようで、いくつかの持論を展開させた。

 けれども、その冴えない表情を見るに…。


「隙が無さすぎますね」

「うん。それも、度し難いほどにね」


 行き詰まっている。

 直接口には出していないが、そう顔は語っていた。


 俺の中には未だに市長が、犯行に及ぶような人ではないという考えがどうしても存在している。

 だが実際は黒でも、それを決定付けられない。

 故に証拠を揃えたとしても、その結果は同じだろう。


 市長という立場。

 この肩書きは特別な意味を持つ。


 トネリ氏が裏で大量に人へ危害を与えていて、それを隠蔽している。

 それが事実だとして、仮に世間へ訴えを起こすとしよう。


━━━━その瞬間から俺たちは、行政を敵に回してしまう。


 もっとも、デモ活動程度で見られれば軽傷。

 けれどトネリ氏に不都合だと認知されてしまえば、権力を行使して社会的に揉み消されても別におかしくはない。

 確かに現在の都市政策に疑問を持ち、抗議運動をする市民も一定数は存在している。

 されど、目立ちすぎた行動や市の運営に支障を来たすと判断されれば、それなりの措置で即座に対応されるだろう。

 そして対処された人間に同情をかける者も、深く気に留める者も何処にもいない。


 焦点は個々ではなく、あくまで群衆として。

 多くの内の名も無き、いち批判者として。

 和を乱した離反者を追放する。

 それが社会。


 どこの国、街、都市でも共通の倫理観(ルール)

 基底されたその堅固な考えは、容易には揺るがない。


「弱みさえ握れれば、状況は好転しそうですが…」


 世間の考えを変えられないなら、今は情報収集に努めるしかない。

 トネリ氏が隠しているという、裏の顔である別側面。

 そこを押さえ、白日の元に晒すことで、大々的に夢魔の存在と悪夢事件の背景を公にでき、市民の支持や賛同を得られるかもしれない。

 そうなれば、もはや多勢に無勢。

 いくら市長であるトネリ氏であっても、言い逃れは難しくなる。

 それほどまでに、市民一人一人の力は馬鹿にならない。


 だがそのためには、誰もがトネリ氏を悪だと口を揃えて納得できるだけの、強い根が張られた話題が必要不可欠なわけで…。


「汚職問題ですか?でしたら、何とかなりそうですけど…」


「━━━━え、マジで?」


 あまりの驚きに、俺は語彙力の欠けた言葉が飛び出る。


「フリューゲル嬢。その話は本当なのかい?」

「トネリ市長の裏事情に詳しそうな人物を紹介……っていう解決方法にはなるんですけど…」

「ああ、まったく構わないよ!ぜひ聞かせてくれ!!」


 スティアの返答にトゥエルノ氏は嬉々として声を上げる。

 この先の進展が見込めると分かり、さぞ期待に胸膨らませているのだろう。

 けれど、この後輩は誰を紹介するつもりなんだ?


「お前、政治家やマスコミに知り合いでもいたのか?」

「いいえ、あたしではないですよ。あたしの曾祖父の知人で…」


「アルバ・フリューゲル!?遠回りな言い方で一見して聞き逃してしまいそうでしたが、いまアルバ・フリューゲルと仰いましたか!?お嬢様!詳しく!詳しくお話を!!」


「………あの、この人の情緒どうなってるんですかトゥエルノさん」


 俺たちの会話に、荒らげる声で割り込んだのはフランソワだった。

 それも、死んだ目をこれでもかと爛々と踊らせて…。


「あまり気を悪くしないであげてくれ。どうにもフランソワは、フリューゲル嬢の曾祖父…アルバ・フリューゲル殿に心酔していてね。所謂、ファンってやつなんだ」

「それって……あの魔物本の?」

「魔物本ではありません。『魔物と歩む大陸記』です。ワタシの教本(バイブル)になんて事を言うんですか仇太郎。万死に値しますケド」


 またしても面倒な絡まれ方をされてしまうが、ここは相手にしなくていいだろう。

 スティアも苦笑しながら咳払いで、話の流れを戻そうとしてるし。


「先輩とフランさんが仰ってる内容で間違いありません。そのアルバ・フリューゲルです」


「あ、アルバ・フリューゲルの交友関係ッ!?……ワタシ、非常に気になります。あれだけの著書を何冊も世に送り出した以上、お一人での調査や取材ではなかったでしょう。彼の取材に同行した冒険者。彼と苦楽を共にした執筆仲間。彼が意見を交換し合った気の許せる友人。半生が謎に包まれていたと噂されるミステリアスな彼にも周囲との交流内容から明らかになる知られざる一面が……!!」


「うん、フランソワ。どうか落ち着いてくれるかい?フリューゲル嬢がすごく困った顔をしているからね?」

「あ……。━━━━かしこまれました。お嬢様、ワタシに構わず続けてください。ですが、ここからが盛り上がる箇所だったんですケド……((ボソッ」


 早口で捲し立てるようにアルバ・フリューゲルへの想いを熱く語ったフランソワ。

 トゥエルノ氏に話を遮られ、途中で口を(つつし)みはしたが、まだ何か言いたそうに落ち着きなくソワソワしている。

 そんな彼女の様子を見て、俺はフランソワに感じていた奇妙な既視感の正体を突き止めた。


 (あー。こいつもオタクじゃねぇか……)


 どことなくレンカ似ていた雰囲気。

 その正体はオタクという属性であった。


 そして彼女の場合は、熱心な読者…なんかではなく。

 アルバ・フリューゲルという作家に異様に固執している熱心なオタクだったのだ。


 レンカ、スティアと続き。

 俺の周りにはオタクが多いな…と、ふと改めて思う今日この頃。

 けれど、現代では誰しも何らかのオタクであることが圧倒的に多くなっていて当然なのかもしれない。

 娯楽の選択肢が増える分だけ、それに依存ないしどっぷり浸かる者も増加していく。

 そんな世の中だからこそ、オタクが量産されるのだろう。


 まあ、レンカはこの世界の現代人ではないのだが…。


「で、では。話を続けますよ?」

「うん。お願いするよ」


 後輩の告げたニ度目の仕切り直しの言葉に、フランソワの肩を両手で固定させたトゥエルノ氏は笑顔で応える。

 しかし。

 彼の手の下で、死んだイノシシのような目をしているメイドが俺を見てブツブツと何か言っているが…。


 (絶賛、呪いでもかけられてんのかな…俺)


「それで、アルバ殿の知人が情報を握っている…という話だったかな?」


 トゥエルノ氏の軌道修正力に感謝するように、首を縦にブンブン振って肯定するスティアは、彼に後続する形で口を開く。


「曾祖父……曾お祖父さまは、魔物の生態を調査するために度々郊外へ知り合いの冒険者や親しい学者と共に赴いていたと父からよく就寝前に聞かされました」


 ***


 当時のあたしは、まだ幼く神の加護(ブレス)も発現していませんでした。

 ですが、フリューゲルの血筋と言いますか。

 今のように魔物を使役したり出来なくても、それでも魔物が大好きだったんです。

 なので、父の口から紡がれる曾お祖父さまの冒険譚には、いつも心を踊らせていました。


 そしてあの夜もまた、グズるあたしを寝かしつけるために父はベッドのそばに椅子を引き寄せ、いつものように語り始めたんです。


「ごほん、リヌスの落日は潮の満ち干きが…」

「おとうさん、それもうきいた!ひいおじいさまが半魚人から沼にひきこまれるおはなしでしょ?さいごは沼が、ぜーんぶ干上がっちゃうって!」

「ありゃ、もう話した物語だったか。よく覚えてるなティア」

「とーぜんだもん!あたし、ひいおじいさまの大冒険だいすきだし!」

「そうかそうか。曾お祖父様も、可愛い曾孫のティアが喜んでくれているなら大満足だろうな」


 小さな胸を張って自慢げに笑うあたしに、口元を綻ばせた父はそう言って優しく頭を撫でました。

 父の大きな手はゴツゴツとしていて撫でられる側としては特に心地よいものではありませんでしたが、当時のあたしは不思議と温かい気持ちで心が火照っていたことを今も覚えています。

 もう少し成長していけば、その感情を気恥ずかしく思うようになるんですが、あの頃は撫でられると温かい気持ちと安心感に襲われてどうしても眠くなってしまいまして。


「なでないで…。ねむくなりそう…。」

「そうかそうか。眠ってもいいんだぞ~?」

「まだねたくないもん!おとうさん、あたしが寝ちゃうまえに早くお話して!」

「ははは、ティアが寝ちゃうまでならそう長くない話がいいだろうな」


 仕事で疲れているはずの父からすれば、あたしがそのまま眠ってくれた方が断然都合が良かったでしょう。

 でも、睡魔に抵抗をみせるあたしに父は嫌な顔ひとつせず。

 寝付きの悪いワガママな娘に付き添い、あたしの聞いた事がない物語を今宵も紡ぎ出すのでした。


「━━━━アルバ・フリューゲルは血相を変えて飛び出した。追手は五人。いずれも、話術より武力で対話を試みなければならないほど頭に血が上っていた。今ここで足を止めれば、向こう一週間は寝返りの打てない生活を強いられるに違いない…。いいや、五体満足でいられる保証すらも怪しいかもしれない…。そう心の中で最悪の想像をする自分を振り払うように、彼は聖火台下に設けられた扉を強く開け放った」


 語り部という役に没入し、低く声色を変えた父は生き生きとした抑揚と共に、自身が祖父から聞かされた冒険譚の一節をあたしに話し始めました。


「せいかだい…って。幻燈祭の聖火台??」


 こういう時に話を遮って質問を挟むのは無粋だとは思います。

 ですが、疑問に思ったことはその場で口に出して聞いてしまう。

 そんな子供だったあたしは、無邪気に父に疑問をぶつけました。


「ああ、そうだぞ。聖火台の下には扉があってな?そこから別の場所に繋がっているんだ。ティアは、どこに繋がってると思う?」

「えー?そんなのわかんないー!お父さんはどこにつながってると思うの?」

「お父さんは答えを知ってるからな~。答えたらティアにバレるだろ~?」

「ふぅ~ん?じゃあ答えて!」

「さては考える気ないな~?」

「考えたらねむくなるもん!」


 難しいことを考えれば頭を使う。

 頭を使えば、疲労が貯まる。

 疲労が貯まれば眠気を呼び寄せる。

 それは健康な優良児だったあたしにとって、自然な生理現象でした。


「お父さんは構わないんだけど…」

「あたしは、かまうの!」


 ムッーと、しかめっ面で抗議するあたしを見た父は『はははっ』っと一笑いして。


「正解は、オークス庭園だ」…と、つまびらかに答えを明かしました。


「オークスていえん?チョウチョとかいっぱいいる、草がたくさん生えてるとこ?」

「そうそう。前にティアを連れて行った植物園だぞ。なんと聖火台からオークス庭園まではトンネルが轢かれているんだ!」

「……まもの出てこないなら興味なーい」


 あたしは幼い頃から魔物への関心は強い方でしたが、それ以外に対しては興味が薄かったんだと思います。

 なので、その先の話はうろ覚えだという前提で聞いてください。


「確かに魔物は出てこないけど、聖火が魔物から生まれたものだとしたら…?」


 父はあたしの興味を誘うように、勿体ぶった口調で言います。

 それでもそんなに興味を持てていなかったあたしは、油断した隙を睡魔に襲われていて…。


「聖火って、まものなの…?」


 虚ろげに確か、こう答えたんです。

 すると父は小さく咳払いを一つすると、再び役に入り込むように声色をガラッと変えて揚々と語りだしました。


「魔物の中には、移動や排泄などで残留物を落とす個体が存在した。此度のオークス庭園にも同じような代物が残されており、それはアルバ・フリューゲルをある行動に移らせるには十分な要因と起因すべき原因になったのだ…」



 ■

  ■

 ■



 アルバはその日も魔物の研究に勤しんでいた。


 デスクに山積みにされた出自不明の遺物。

 くず入れに山盛りになった、論文にしては些か拙い怪文章。

 そこに今、新たな一枚が投げ込まれる。


「ちくしょう!また紙を無駄にした!」


 ボサボサの髪をガリガリと掻きむしり、底の厚い眼鏡を無造作にデスクへ放り出すと、天井を仰いで項垂れる。

 幾重にも繰り返されてきた一連の動作。

 それは改善しようにもどうしようもならない、悪癖のようなものだった。


「足りないのは資料だ!詳細な情報があれば書けるんだ!」


 自身に言い聞かせるようにして口から漏れる言い訳。

 今も決して資料が少ないわけではない。

 だが愚痴のひとつでも吐かなければ、その気持ちをなだめ落ち着かせることはとても出来なかったのだ。


 煮詰まっている。

 端的に断言するならそれが答えだった。


「そうと決まれば取材だ!資料が私を待っている!」


 資料なんていくらあってもいい。

 それが頻繁に彼の口から出てくる口癖である。


 言葉と共に椅子から勢いよく立ち上がったアルバは、外出する際に多用しているくたびれたショルダーバッグを帽子掛けからむしり取る。

 シワが寄り、ヨレヨレになった鞄の中へ乱雑に取材荷物を放り込むが、これでもかと詰めれた鞄はミシミシと悲鳴を上げ、今にも布地が張り裂け、弾けてしまいそうであった。

 しかし、彼の頭はこれからのプランを練ることでいっぱいであり、自身の鞄が上げる嘆きの声に耳を傾ける暇などありはしなかったのだ。


「どうするかな。郊外の平野でフィールドワークも良し、最澄の丘でバードウォッチングも悪くない。いや、魔物を狩りに行く冒険者に付き添ってもいいかもしれないな」


 ぶつぶつと独り言を零しながらアルバは身支度を整えると、まるで誰かの問いに答えるかのように唐突に行き先を虚空へ叫んだ。


「オークス庭園だ!あそこでマンドラゴラを探そう!」


 それからの彼は一切無駄のない足取りで家を後にし、街歩く人の波を器用にすり抜け、目的地へと最短かつ最速で辿り着くに至った。


 オークス庭園は一般的な植物園としては少し変わっている。

 変わっているといっても、オークスという名前でオークが飼われている…なんて安易な想像を働かせるのは大変誤りなことだと先に述べておこう。

 但し、魔物が潜んでいるという点では完全に否定はできなかった。


「先週は三匹。一昨日は十二匹。今日は何匹に増えているだろうか」


 などと期待に胸を弾ませながら、アルバはオークス庭園のガラス張りになった入場ゲートをニヤけた顔で通り抜ける。

 受付を素通りして、入場料金も払わずに我が物顔で中へと入っていくアルバ。

 しかし、その背中を咎める者は皆無であった。

 それどころか、館内のスタッフは眉ひとつ動かすことなく各々の職務に従事し続けている。


 それもそのはずである。

 アルバ・フリューゲルが年間パスポートを所有していることは、オークス庭園で働く者なら周知の事実として知れ渡っていたのだから。

 パスポート発行以降、ここ数ヶ月間は毎週のように植物園へ足繁く通う彼は庭園職員達の噂話においては格好の的であった。

 それゆえにパスポートを提示しなくとも、顔パスよろしく、出入りの自由が効いている…というわけだ。


『あ、またあの人…』

『来たぞ、変わり者のアルバだ…』

『毎週毎週、飽きもせずにまあ…』


 周りからは、冷ややかな言葉や視線が浴びせられるが、アルバにはどれも一向に届くことはない。

 なんといっても彼は今、物凄くテンションが上がっている。

 それこそ自分の世界に入り込み、あらぬ妄想を捗らせることに脳内を忙しくさせていたのだ。


 よって、仮に嘲笑されようと、陰口をいくら叩かれようと、一切彼には影響を及ぼさなかった。

 しかしこれが常時であっても、アルバはその態度を変えることはないだろう。

 研究に失敗が付いて回るように、何かを成し遂げるために批評は避けては通れない試練のようなもの。

 大事を成すなら、それを受けても折れない屈強なる精神が必要不可欠である。

 自身の庭と言わんばかりに、庭園内を闊歩(かっぽ)する彼もまた、遠くない未来で偉業を成す者。

 ヒソヒソと囁かれる批判的な声に、一々耳を傾けるほどアルバは暇を持て余してはいなかったのだ。


 時に、植物園には栄養の蓄えられた良質な土壌が豊富に敷かれている。

 それは、そこに根付く植物の成長を大きく促し、極めて発育に適した環境をこの地に提供していた。

 だからだろうか。

 ここでは時折、植物以外の珍客も姿を見せるのだ。


「よーし。いた、いた〜!」


 新しい遊具を見つけた子供のように無邪気に声をうわずらせるアルバが目を輝かせた先は、湿原地帯の植物が群生する区画。

 多年草や、ハスなどの水生植物が多く見られ、夏季にはハスの花が開花する様子を写真に収めるために、早朝から各地の写真家が桟橋の上を埋め尽くす光景は夏の風物詩ともいえる。

 湿地にジメジメとした印象を持つ者が多い中、その開花の瞬間に立ち会えれば、もはや心変わりは必至のことだろう。

 そんな湿地に、彼が求めるそれは生えていた。


「ひい、ふう、みい……。軽く見積っても二十は超えていそうだな」


 田畑の稲のように、ぴょんと水面から顔を出したツル状の植物。

 ハスの葉に隠れているのか、はたまた擬態でもしているのだろうか。

 同じ形状のその植物は、ハス池の至る所に点在していた。

 目を凝らせば見つけるのは容易いが、注意深く観察しなくては見逃してしまうほどの小さなツル。

 見方によっては、ハスの茎部分に見えなくもない青みがかった色が雑草として館内職員に処理されていない理由の一つでもあった。

 けれどそれが、彼らをここまで増やすに至った原因だとは知らずに…だ。


「さてさて…」


 アルバは肩にかけた鞄からガサゴソと一本のロープを取り出し、一度辺りを不自然に見回すと、一呼吸おいて次の行動へと移行した。


「こいつの扱い方は履修済みなんだな~これが」


 初動こそ恐る恐るといったものだったが、ひとたび池に片足を浸けてからは、躊躇いという感情が彼の中から跡形も消えてなくなっていた。

 ズボズボと、ぬかるんだ土が彼の靴を…足を…飲み込んでいく。


 こうしてアルバは、少量の後ろめたさを感じつつも、悪意なくハス池に足を踏み入れた。


 そんな招かれざる侵入者である彼の足にまとわりつくようにして、水底の泥がその進行を食い止める。

 だが、アルバに灯った狂気じみた熱意は止まることを知らない。

 どれだけ泥で足を取られようが、水面から覗かせたツル状の植物を目指して、ひたすらに黙々と進んでいく。

 館内のスタッフに見つかれば、それが警備員を呼ばれること確実な狂行だとしても、一度芽生えてしまった彼の欲求はちょっとやそっとじゃ抑えられないほどにまで肥大化していた。


 かくしてアルバは、距離としては数十メートル離れていた目的対象へ、あれよあれよと、瞬く間に到達した。

 汗ばむ手で握りしめていた例のロープは、既にツル状植物の根元部分にキツく結びつけられている。

 そして彼は、一通りの準備が整うとニヤリと口角を上げたのだ。


「待ちに待った、収穫だぞう…!!」


 ピンと張られたロープ。

 後退る足を重心に、アルバは持てる力を全て込めて力一杯にそれを手繰り寄せる。

 すると、植物の根元からブクブクと音を立てながら水面に向けて、気泡が幾つも昇り始めたのだった。

 ぽつりぽつりと昇りゆく気泡は、アルバが後退する度に激しさを増していく。

 そしていつしかそれは、ブクブクという音からゴポゴポという奇怪かつ、もがき苦しむような音に変わっていた。


「ようし!ここで三十秒!!」


 自らの元に手繰り寄せていた、ロープを持つその手が止まる。

 つまりアルバは目的物を完全に引き抜くことなく、動きをピタリと妙な体勢で滞らせたのだ。

 それから静止すること約数十秒…。

 彼が動きを止める中でも、水底から浮上する泡はその勢力を大いに奮っていた。

 だが、ある瞬間を境に停滞した状況に著しく変化が現れる。

 その訪れるべくして訪れた合図を、アルバは目ざとくも見逃さなかった。


「どりゃッ!!」


 絶えず水中から溢れ出していた泡が、パッと水面上から綺麗に姿を消した刹那。

 そこでアルバは、すかさずロープを力任せに思いっきり引っ張り上げた。

 水面に浮かぶハスがその衝撃で、ひどく揺れ動く。

 しかし動いたのは、なにもハスだけではなかった。


 アルバの引いたロープによって池の底から引き上げられた植物。

 一般的な菜園等で収穫される植物の手順とはやや異なる方法を用いられ、泥土から引っこ抜かれたそれは奇妙にもピクピクと躍動していた。

 挙動から見ても、痙攣じみた動作を行うそれをただの水生植物という枠に留めておくには、とうに逸脱しすぎている。


「生きてはいるが、鳴き声はナシ…。生息環境が違うだけで、ここの個体も性質は他と同じだな…。」


 未だに震え収まらぬ謎の植物をガシッと鷲掴みにすると、アルバは興味深そうに観察し始める。


 大きさとしては、リンゴ三個分ほどの小さな体躯。

 体表の色素は褐色気味で、どこか枯れ落ちる秋季の木々を彷彿とさせる。

 しかし、頭頂部にぴょこんと飛び出した青々しい緑のツルが、枯れ枝のようなその身体に確かに生命が宿っていることを証明していた。

 そして極めつけは、表皮にシワのように刻まれた二本の筋と中央部に小さく空いた特徴ある洞である。


「あと数匹は捕まえてみるか。なに、こんなにも数が増えたんだ。数匹程度むしっても問題はあるまい。マンドラゴラ目的で植物園に来る客なんて、私くらいだろうからな」


━━━━マンドラゴラ。

 それは、現代では説明をする必要もないくらいにはポピュラーな魔性植物であり、広くは魔物として知られている。

 だが、こと生息環境を問われれば正確に答えられる者など片手で数える程しかいなかった。

 その一握りの有識者に含まれる人間こそ、アルバ・フリューゲルその人だったのだが、彼の海のように広く雄大な知識も、この場では一部の確証を保証するだけの効力しか発揮できていないのは、本人としても複雑な点だったろう。

 けれど悔しさよりも、未知を探求する者として溢れ出す知的好奇心の方が圧倒的に上回ってしまっている事実については、ここで語るまでもない。


 そんなアルバは、収穫した硬直状態のマンドラゴラを泥つきのままグイグイと鞄に押し込むと、次いぞ近くに埋まっている別のマンドラゴラにロープを巻き付け始める。


「初見の時はコイツの絶叫に絶命しかけたが、仕組みと対処さえ分かってしまえば、赤子の手をひねるのとさして変わらな…」

「━━━━君、ここで何をしている?」

「何って、研究資料の調達をだな……いや待て。君こそ誰だ?人に聞く前に、まずは自分の名くらい名乗ったら…」


 見知らぬ声の問いにも、咄嗟に平然と答えるアルバ。

 投げかけてきた質問者へ自らの行いの弁明をするわけでもなく、まず初めに彼の口から飛び出したのは、相手の自己紹介を促す説教めいた言葉だった。


 しかし、彼はここで自分の置かれている状況の悪さを理解する。


「━━━━━━━━。」


 機嫌悪く振り向いたアルバの瞳に映った、胸板厚めなガタイの良い男性。

 身なりから見て、一般の客でも植物園の職員でも無さそうである。

 だが、アルバは彼の服装にとてもよく見覚えがあった。

 彼のような者と直接的な交流は無くとも、その特徴ある装いは自由奔放で無知な子供でさえ、借りてきた猫のように大人しくさせることが可能な知名度を誇るだろう。

 言わば、この街の治安を守り、悪の根絶に日々精を出す行政の犬。


()()だ。不審な大人がいると通報を受けてやって来た。━━━━で、それは君で間違いないかな?」

「じょ、冗談じゃない!私が不審者だと!?私は、ここの常連客だぞう!?」

「ああ、そのようだ。だが、通報をした植物園(ここ)の職員さんからの説明だと、常連である君がハス池に入って展示品を荒らしている…という話みたいだが…。━━━━その辺り、何か言う事はあるかね?」


 件のハス池にくるぶしまで浸かったアルバの様子を、数段上の陸地から鋭い眼光で睨め付ける警官。

 彼はまるで反論の余地はないだろとばかりに、植物園の年間パスポートを提示するアルバにわざとらしく遠回りな言葉で詰め寄った。


「ぬぅ…」と、諦めにも似た苛立ち混じりな声を発するアルバ。

 間違った行いに対しての補導。

 それは当然の成行きで、彼が行動に及んだ時点で定められていた出来事。

 アルバも自分の行いが褒められたことではないことぐらい分かっている。


 そう、彼は世間体から言えば愚者であった。


 それゆえ、知識への欲求が他者よりも若干行き過ぎてはいる。

 だがしかし、魔物を研究し続けるその欲深さは、多くの人命を救うための愚行でもあったのだ。

 けれどそれもこの時代に生きていた人々には、天地がひっくり返っても理解の及ばない奇行にしか映らなかったことであろう。


「返答はそれだけか?であれば、本官と一緒にご同行願おうか」


 肯定は疎か否定の発言もなく、喉の奥から唸り声を鳴らすだけのアルバに警官がいよいよ誘導をかけた。

 このままだとアルバは、立派な前科者として今後の人生を後ろめたく送ることになる。

 最悪の未来を想像し、ぶるりと危機感に身を震わせた彼は、噛み締めていた唇を緩やかに解くと、何を思ったか突然警官に背を向けて…。


「ぐぬぅうう!」


 この期に及んでまで、マンドラゴラの収穫を継続させたのだ。


「君!話を聞いているのか!」


 彼の様子にさすがの警官も声量を上げて食いかかる。

 強行ならぬ狂行としか言いようがないアルバのそれは、受け取り方によっては罪の意識が欠けていると判断されることだろう。

 事実、警官はそのように受け取っていたようである。


「それが迷惑行為だと分かっていて尚も続けるつもりなら、いよいよ手荒な手段で君を拘束する必要が出てくるな!」


 憤慨する警官は言葉通りに、今にもアルバを掴みかからんと自らもハス池に片足を突っ込みかけた……まさにその時であった。


「ぴぎゃあああぁああぁぁああ!!!」


「!?」


 轟いたのは耳を刺すように甲高く、頭痛を誘発させるほど大きな奇声。

 アルバへ歩みを進めていた警官。

 彼も降って湧いたこれには、反射的に己が身を守ろうと両手で耳を塞ぐ体勢への移行を余儀なくさせられる。


「なんだこれは!!」


 衝いて出た言葉は疑問。

 今となっては植物園で好き放題荒らしている不審者を捕縛することよりも、鼓膜を引き裂かんばかりの正体不明の奇声に対する純粋なる疑問によって、彼の脳内は隅々まで支配されていたのだ。


「ぴぎゃあああぁああぁぁああ!!!」


「ぐっぅ……」


 依然として煩わしく鳴り響く奇声に顔を歪める警官は、前方のアルバにギロリと強く眼光を飛ばす。

 けれど、それも長くは続かなかった。


「おいっ!待てッ!!どこへ行く!!」


 奇声で空気が震える中、ビシャビシャと派手に泥を跳ね飛ばし、一目散にハス池の対岸へと向かう慌ただしい後ろ姿。

 血走った警官の瞳が、その場から離れるアルバの背中に注視されるのは当然の流れだった。

 金切り声にも勝る声を押しのけ、腹から声を張り上げる警官。

 そんな彼の怒号が耳に入ったアルバは前方を見据えたままに、行動と相反した悠然たる口調で語る。


「どこへって?それは身の安全が保証される場所までだな!」


 足を動かす度に跳ね飛ぶ泥が、衣服の至る所に付着することも顧みず、アルバはその勢いを緩めることなく逃走に徹する。

 続いて後続につこうと歩を進める警官だが、尚も鳴り渡る奇声に妨害されて思うように動けずにいた。

 だが、彼も無力な一般人ではない。

 警官という職務に就いている以上は、ある一定の見識と判断能力を訓練により身につけていた。

 それは渦中においての騒音元を特定しうることすら、何ら容易いことであったのだ。


「ああ、そういうことか!なんでこんな所にいるのかは知らんが、これもあいつの仕業か!マンドラゴラなんて厄介な置き土産を残して行きおってからに!」


 ぴぎーっと奇声を周囲にバラ撒くマンドラゴラ。

 ハス池に足を踏み入れた彼の足元に、それはプカプカ揺蕩うように浮かんでいた。


「普通、マンドラゴラは土壌の肥えた培養土か魔性の強い腐葉土に生息する魔物なんじゃないのか?ハス池…それも街中の植物園に住んでいるなんてこれまで聞いたこともない…」


 ボヤく警官は、喚き散らすマンドラゴラに疑問の目を向ける。

 だが、それも一瞬のみ。

 これがアルバの逃走における陽動だとするなら、十中八九このマンドラゴラについても何かを知っているに違いない。

 となれば、植物園に魔物を持ち込んだ可能性のあるアルバを追いかけない道理は彼になかった。


「植物園に対しての業務妨害。及び、公共施設内への不正な魔物の持ち込みにより……直ちにお前を逮捕するッッ!!」


 業務妨害という点では、ハス池の中をジャブジャブと鬼の形相で追う警官の姿こそ十分な営業の妨害になることには、どうやら本人も気づいてはいないようである。

 もはや警官の目には、対岸で今しがたハス池から上がりきったばかりの泥まみれな男の背中しか見えていないのだ。


「こりゃ、大事になってきたなぁ!」


 警官のピリついた声にビクリと肩を震わせて反応するアルバは、脚をブンっと大きく振るとズボンの泥払いを簡易的に済ました。

 その泥の飛び散った方向からは、マンドラゴラの奇声にも億さない警官がやってくる。

この危機的な様に彼は小さく苦笑するも、地面を力強く蹴りだし足早に先を急いだ。


「それにしても、ちくしょう!ここのマンドラゴラには、人を気絶させるだけの力は無いんだな!あぁ、ちくしょうめっ!新たな生態を知れたのは大きいが、こちらとしては嬉しくない誤算だぞぅ!」


 マンドラゴラの声には本来、獰猛な獣ですら失神させ得る強力な周波数を含んでいる。

 しかし元来の生息環境とは異なるここの個体は、通常の個体と比較して発声器官が顕著に退化していた。

 植物園という外敵無き楽園。

 食物連鎖の上層部から狙われる機会を失くしたマンドラゴラは、緩やかにその特異とも言える武器を自ら手放していたのだ。


 この想定外なマンドラゴラの挙動には、アルバ自身も大誤算。

 足止めは、これこの通り。


「魔物まで放つとは許されんぞ!!!大人しく捕まりなさい!!!この無法者が!!!」


 まったく意味を成していないのであった。


「捕まってたまるか!!人類の未来ある研究に必要不可欠な行為だ!これは!!」


 自分と同じく泥まみれで追跡する警官を後目に、アルバは植物園を奔走する。


 次第にその環境はハス池のある湿地帯を抜けて荒野帯エリアへ、そして熱帯雨林の気候を模した温度と湿度をビニールハウスで再現している密林地帯のエリアへと移り変っていく。


「ぬぅぅ…!」


 いくつかのエリアを跨ぐ毎に、アルバの身体には疲労が着々と蓄積していた。

 しかし、必ずしも追跡者側も同じ条件とは限らない。


「おいおいおい!また増えたぞぅ!?どこまで増えるつもりだね君ぃ!!!」


 当初は一人だけだった。

 しかし警官は、今や複数でアルバを追いかけ回している。

 順当な考え方をするのなら、警官が増援を寄越したことが可能性としては現実味ある答えなのだが。

 まるで、その考えを否定でもするように…。


「まてまてまて!待ちたまえよ!?キミの神の加護(ブレス)は無限なのかね!?」


 同じ顔、同じ声で。

 彼らは一斉にアルバへ叫ぶのだ。


「「「 何もしないから大人しく止まりなさい!! 」」」


「その数で何もしないは、無理があるんじゃないかなぁっ!?」


 アルバのツッコミも虚しく、その()()は止まらない。


 ここで一般的な話をするなら。

 巡回警備をする警官は大体二人一組で行動をすることが基本とされる。

 それは緊急時の迅速な対応をスムーズに行う為や事件発生時の証言を確かなものとする為だったりと、理由は多岐に渡る。

 この点で語ると、あの警官は単独で優に事足りているのかもしれない。


「分裂タイプの能力とは厄介極まれりじゃないかぁ!!あぁ!ちっくしょうがぁ!!」


━━━━自分がもう一人いれば…。

 誰もが一度は思う戯言のひとつ。

 もちろんそんなことは妄言であり、叶うことのない願いというのが一般論。

 されど、常識で説明のつかない現象は起こりうる。


 神から授けられた特別な加護━━━━神の加護(ブレス)

 それが不可能を可能へと押し上げるのだ。


 しかし種類や個々の制限はあれど、分裂や複製を可能にする神の加護(ブレス)は今では左程珍しい能力ではない。

 汎用性の高く、持たざる者からすれば羨ましく思えるこれを、ありふれた加護の一つだと一纏めにしてしまうのは存外に容易いのが現実…なのだが。

 使い勝手の良い能力に思える一方で、場合によっては人格破綻を起こしかねない危険性。

 これがこのタイプの能力について大多数から向けられている世間的な見解だった。


 つまり、多分裂や模造品を作り起こせば起こすほど。

 元のオリジナルと分身に綻びが生じるのだ。

 無論、彼も例に漏れないでいた。


「大人しく投降しろー!!言うことを聞く良い子にはアメちゃんやるぞー!!」

「カツ丼か!?カツ丼が食べたいのか!?カツ丼なら、たらふく食べさせてやるから大人しく捕まってみたらいいじゃねぇかよ!!(ブチギレ)」

「取り調べ室で頬張るカツ丼と、トンカツ屋で掻き込むカツ丼のどちらが良いんだ!?早く予約取らないと決めるものも決められないじゃないか!!なあ、どっちなんだ!!いいから止まって話を聞いてくれ!!」


 沸きに沸いた有象無象の警官は、己が思うままに感情の丈を発露する。

 アルバへ浴びせられるそれらの内容は、本来の話から既に大きく脱線し、本筋を歪めた言葉をいくつも紡ぎ出す始末であった。


「なんだね君らは!?私がカツ丼の話なんていつしたかなっ!!!気分としてはカツ丼よりも牛丼なんだがね!!油ものは胸焼けを引き起こすのだよ!!君ぃ!!」


 日々の研究に没頭するあまり、食生活が乱れに乱れたアルバの胃は、油っこい食べ物を消化しにくい環境に荒んでしまっていた。

 まさに、ここでのトンカツなんてもっての他。

 胃にトンカツがダイブしようものなら、アルバの脳は間髪入れずにもれなく不調を訴え始めるだろう。

 但し、カツ丼を振る舞われるのはアルバが捕縛されてしまった後の祭り。

 回避の出来ない強制イベントが対象なのである。


「ようし!!得体の知れない店のカツ丼を奢られるくらいなら、安心出来るチェーン店の牛丼屋で煮卵と半熟卵と生卵をトッピングしてメシを食べてやるからな!私はぁああっ!!」


 変な回路に繋がり、おかしなスイッチの入ったアルバは、雄叫びか奇声なのか曖昧な声を喉の奥から押し出した。


「「!?(カツ丼じゃ満足できないのか…!?)」」


 上げた声に引っ張られるように、シャカシャカと身体を小刻みに動かし高速移動で前方へ走り去っていくアルバ。

 警官は倍速になった彼のフットワークの軽さに驚いた……わけではなく、自分の提供した魅惑的な取引材料を無下にも振り切ってまで逃亡を図るアルバを疑問視して驚いていた。


 それでも、その進行は止まらない。


「絶対に逃がすな!!!あの不審者にカツ丼を食べさせろ!!」

「どうも動機が変わりすぎてないかね!?君ぃ!!」


 振り返らず、前方のみを見据えて懸命に駆ける。

 しかしアルバの背後では、彼が足を前へ踏み出す度に地面を蹴り上げる音が次第に増えていくのだ。


「おいおい、また増えたぞぅ!?」


 数を増やしてアルバを追うその姿は、動物の群れが大移動を行うさまに非常に酷似していたことだろう。

 植物園の職員も初めこそ彼らの状況を軽んじていたのだが、ここまでの規模を有する集団移動には、流石の職員達も他の客の身の安全が害される危険性があると、やや遅くもようやく理解し判断したのか、緊急の避難誘導を実施し始めていた。

 職員の取り掛かりこそ遅くはあったが、それによりこの騒ぎへの人身被害は幸いにもゼロ。……ただし、植物園で暮らす植物への被害についてはその限りではなかった。


「ぬぅ!ぬぅううん!!」


 生い茂るシダのような植物をなぎ倒し、ツルで覆い尽くされた林をこじ開け進む。

 このように強引な方針で道を確保しつつ逃走するアルバによって、現在の植物園内は荒れに荒らされていた。


「今は我慢したまえよ!?いずれ()()()()からね!?」


 自然を害した行為に少したりとも悪びれないアルバは、引き続いて群生している植物を無慈悲に蹂躙する。

 密林地帯特有のジメッとした高温多湿な環境に息を詰まらせながら、己の退路を黙々と確保していくのだ。

 次々と手折られる植物は悲痛な叫びでも上げているのだろうか、ピシピシと不機嫌な声を口々に発していた。

 されど、お構いなしにアルバは我が道を突き進む。

 無論、後続する警官も同じくアルバの用意した雑なレールを走り、追いかけて来ていた。


「こんなの、らちが明かないぞぅ!!」


 疲弊する身体にムチを打ちつつ、休息を求める下半身を駆動させる。

 常日頃からフィールドワークにも精を出していたアルバ。

 そのため、軽度の運動および身体を動かすことが不得手ではなかったことが、今回は幸いし功を奏していた。

 だからといって、状況の悪さは変わらない。


「(入口ゲートは…。うむぅ…スタッフが数人常駐か。植物園から出ていくなら、ルートを大幅に変えなくてはいけないぞぅ…!)」


 アルバは目的地も無しに、ここまで闇雲に逃げてきたわけではない。

 退路である入場ゲート。

 そこへ向かって懸命に駆け抜けてきたのだ。


 しかし、出入口であるゲートには屈強な職員が数人。

 ギラギラと目を光らせ、辺りを警戒するように配置されている。

 これでは、入ってきたゲートからの脱出という算段は、あまりにも難易度の高い行為に転化していた。

 もちろんアルバを警察へ通報した者が職員であるのなら、これは起こりえた状況。

 無論、予想のできた結果なのだ。

 だからとも言えるが、目前にまで迫っていた脱出口に背を向けて、アルバはもう一つの可能性に縋るようにそこへ向かった。


「うわさ程度の不確かな情報に踊らされて走らされるのは実に癪だが…。癪なのだが!!なりふり構っていられるような、時間もゆとりも今の私にはないからね!!」


 藁をも掴む思いで駆け抜けるアルバが目指す先。

 そこは、奇妙な噂がまことしやかに囁かれていた。


『オークス庭園には異界への門がある』


 もちろんこの噂には、信憑性も立証性もない。

 極めて根本から疑わしくも、胡散臭い話であった。


 彼は半信半疑に歩みを進める。

 しかしそれは、必ずしも世間が思っているような単なる都市伝説ではないと考えての前進だった。

 当然ながら裏付ける根拠は無いにも等しいのだが、それでもアルバはただ一つ思い当たる可能性の片鱗を心に留め抱えていたのだ。


「最近降って湧いたように植物園に現れたマンドラゴラが、ここへ侵入した経緯こそ分からんが、そいつが異様な速度で増殖したのには何か大きな力が働いているはずだぁ……。ああ、だったら簡単な話じゃないか!追うぞ!追いかけるぞ!私はマンドラゴラを!!」


 まるで自分の身体に喝を入れるがごとく、声高らかに宣誓する。


 本来、その地にいるはずのない魔物の異常繁殖。

 その原因。それが単純にも環境がたまたま最適であったというだけでは、ここまで露骨な増え方はしないだろう。


 数日間、マンドラゴラの生息数を熱心に記録し続けてきた彼に言わせるならば、いわばこういう話になる。


「マンドラゴラの侵入経路ッ!!それはつまり、ここの外と繋がっている非正規のルートが存在していることへの希望ッッ!!うーん!!見えて来たなあ!可能性ってやつがさあ!!」


 頬は自然と緩み、口角は彼の現在の感情を正確に投影していた。

 そして嬉々とした瞳に映るのは、未知への可能性に沸き立つ高揚感にも似た探求心。

 同時に、これまでマッピングして来たこの植物園に現れたマンドラゴラの分布図が、彼の脳内で瞬く間に広げられる。


「(━━━━観測できたのは、あの湿原地帯から森林、洞穴エリアまでの区間…。その中で最も生息数が並外れて増加していたのは……)」

「いたぞ!!押さえこめ!!」

「おいおい!冗談でしょうよ!?」


 思考する最中。

 アルバの行く手を阻むようにして前方からやって来たのは、増えに増えた例の警官達であった。

 その総数ざっと30人ほど。

 もちろん後ろからも、同じかそれ以上の人数がアルバを追いかけて来ている。


「挟み撃ちって、こんな盛大に行うものなのかね!?おおよそ、一人の人間にかける人件費の量では決してないと思うのだが、これ!……あ、そうだった。君たち元から一人だったね!!!だから人件費も一人分なんだろうね!!!」

「聞く耳を持つな!!いけー!!取り抑えろ!!」


 警官の内の一人が発した声に導かれ。

 両端から、これでもかと押し寄せる警官の波。

 それはアルバを飲み込むべく、一斉に行動を起こした。

 災害のように容赦なく振りかざされる猛攻。

 これにアルバは目を取られ、静観を余儀なくされる。

 ……わけではなかった。



「ぴぎゃあああぁああぁぁああ!!!」



「━━━━ッッ!?なっ、なんだこの声は……!?!?」

「耳が…壊れる……!!」

「くっ...!これは、マンドラゴラの鳴き声…!?」


 突き刺す絶叫。

 それが警官の進行を大きく妨げ、波を著しく揺るがせた。


「それきた!!」


 それは颯爽と。

 モタモタと足元もおぼつかなくなった警官の脇を通り抜けたアルバは、駆け込むようにして一つの洞窟へとその姿を消す。

 両の耳を押さえ、アルバが落として行った物にゆっくりと近づいた一人の警官。

 彼は空いた足で、仰向けで鳴き叫ぶソレをコロンと転がしてうつ伏せにさせる。


「ぴぎゃあああぁぁぁ...............」


「━━━━やっと大人しくなったか...。マンドラゴラを持ち歩いていたのは分からなくもない。いや、分かりたくもないが。……これはさっきの比じゃないぞ?声量も倍はある。失神しなかったのが奇跡みたいなものだ......」


 アルバが残したのは一体のマンドラゴラ。

 初めに収穫と題して湿原の沼から引き抜いた個体。

 それを彼は警官の波に放流し、逃亡に至ったのだ。


「だが、自分よ。いくらマンドラゴラが強力だとしても、急に鳴き出すのはおかしくないか?」


 腰を低くし、丸くなっていた警官が上体を起こしながら話す。


「それは自分も思っていた。あの魔物は地中から地表に晒されると絶叫すると聞く」

「ああ、その認識で概ね正しいはずだ」

「それでは、なぜあのタイミングであの男が持っていたマンドラゴラが鳴き始めたんだ?」


「「 それが分からない 」」


 いくら知恵を出し合ったところで、元は一人の人間。

 一人に分からないことは、何人集まったとしても誰も解らない。


「考えても時間の無駄だ!魔物を使役し、植物園の治安を乱した。それさえハッキリとしていれば、アイツは犯罪者と何ら変わらない!」

「その通りだ自分!だから、とっ捕まえてカツ丼を食べさせるんだ!」

「いいぞぉ、カツ丼!全く、どぉして、カツ丼はいいぞぉ!!」

「カツ丼だ!!カツ丼を食わせろ!!」

「カツ丼!!かっつどぉーんん!!」


 警官の群れは、意味不明な連呼を伴いアルバの消えた洞窟へ続く。


「待て、自分!!パンフレットによると、ここは洞穴に群生する植物を展示するエリア。ここから洞内を一周して戻り、最終的には入口から外に出る作りになっているらしい」

「ならば自分よ。入口を固めていれば自然と確保できるのではないか?」

「その通りだ自分!まさにそれを今言おうと思っていた!入口に残る自分と洞窟に入る自分。この二手に分かれる戦略で行こう」

「賛成!」「異議なし!」「カツ丼!」

「よーし!洞窟内で観賞している一般人に配慮しながら進め!!」


「「 任せろ自分!! 」」


 かくして、警官らは作戦通りに行動を開始した。


━━━━その一方で逃亡中のアルバは、薄暗く湿気のある洞窟内でマンドラゴラの痕跡を追い、東奔西走といった具合であった。

 地面に埋まるマンドラゴラを見つけては、地表で揺らつかせている芽を観察する。

 そして、移動した先で再び同じことを行う。

 他者には奇怪な行動に映るであろうその行動。

 この妙な動作を彼は何度か繰り返している中で、ある気づきを得ていた。


洞窟(ここ)の個体は、頭部の芽が太い。他の地帯で見かけたマンドラゴラと比べても、栄養がよく蓄えられているんだろうか」


 彼の見つめる先には、たくましいまでに伸びた、どっしりと厚みのある芽が一本。

 地中から、ぐんっと真上に向かってその力強さを周囲に見せつけていた。


「こっちのマンドラゴラは一回りほど大きいな。それも複数体。これは、この先にあるぞぅ!何らかの源が!」


 自分が追われている身だということも忘れて、アルバは興奮気味にマンドラゴラを辿る。

 初めは芽の太さ。

 次に体躯の肥大化という変異を観測し、彼の鼓動は高ぶっていた。

 そして現れた次なる変化に彼は思わず絶句する。


「━━━━━━━━。」


 何かによるマンドラゴラの著しくも不可解なる成長。

 その根源へと自身が近づいたことを今まさに、肌身に実感する。

 引きつった笑みを浮かべ、頬を流れ落ちる冷たい汗に嫌悪感を覚えながらも、その手は地面へ中途半端に埋まる魔物へと伸びていた。


「これは酷いな...。過剰な栄養の取り込みによる肥大化に、身体が許容できず内部から破裂したのか...。」


 パックリと裂傷した頭部。

 膨らんだ胴体は、半分だけ地中から身を乗り出し、だらしなく地面に肥えたカラダを横たわらせている。

 アルバは、その異形な姿に変わり果てた亡きマンドラゴラに、そっと自身の指先を触れさせた。


「私にはこれくらいのことしか出来ないが...。」


 そう言いながらマンドラゴラの体表に隣接していた指先を彼は、すぅっと離す。


 ━━━━その途端である。


 どうだろうか、惨たらしい姿だったマンドラゴラに異変が訪れたのだ。

 割れた頭部は、糸で縫合されていくようにじわじわとその形を復元。

 肥えすぎたカラダは見る見るうちに痩せ細り、あっという間に自然な体躯を取り戻した。


「君の命までは戻してやれないんだ。すまないね」


これなるは奇跡にあらず。

 これこそが、アルバ・フリューゲルの授かった神からの加護。


 《回帰(リグレッション)》。


 万物の理に逆らい、対象の時間を巻き戻す力である。


━━━━時の逆行。


 それは永遠を実現しかねない危うい能力。

 しかし、効果対象範囲は全てとは言えなかった。

 無機物であれば際限はないが、有機物だと話は違う。

 生命の核である魂。

 それが失われてしまった器だけの亡骸には、効果不十分だった。

 ゆえに原型が崩れたマンドラゴラの整形は可能でも、伽藍堂(がらんどう)になった器だけの存在に再び命を吹き込むことまでは管轄外の領域。

 神の御業たる域に達するほどには至らないのであった。


「生命活動が停止した今なら、もうあのようにはならないだろう。ゆっくり眠りなさい」


 アルバは安らかに転がるマンドラゴラに優しく告げると、その場を後にした。


 事実、彼の言葉通り。これより先の変異はなかった。

 生命として活動しようとする意志を失ったのだから、それは当然といえば当然なのであろう。


「内側から崩壊を起こすほどの強い養分。そんなの正規でクリーンな代物であるわけがない!何があるっていうのだね。この先に...」


 ここは、曲がりなりにも植物園の展示通路。

 つまり、一般客も行き来する遊歩道だった。

 そんな場所に、物騒な異物が混在していることすらアルバには不可解極まりなかったのだ。


「こんにちはー」

「━━━ああ、どうも...」


 そんな時、対面する形で前方からやって来たのは二人組の男女の観光客。

 おそらくはカップルが、アルバに笑顔を向けて挨拶をする。

 軽い会釈をもってその返事とするアルバは、たわいない会話を男女間で交えながら横切っていく二人を別世界の者達のような遠い存在に感じていた。

 こんな事態に直面し、ここに巣食う何かの断片をなし崩し的に認知してしまったアルバ。

 彼から見れば変わらない日常を過ごしている彼らは、まさしく平常ゆえの異端に見えたに違いない。


「(彼らには変わった点がなかった。だったら人間には害がない?...いや、それもゼロとは言えまい。小さなマンドラゴラでさえ、あの様子だ。認識できないだけで、人にも何かしらの影響が現れていて全く不思議じゃない。一応、声だけでもかけておくか...)」


 背後へ過ぎ去って行ったカップルに、アルバは老婆心で身を案じる声を届けようとする。


「あの、つかぬ事をお伺いしますが......」


 しかし、アルバが振り返った瞬間。

 心当たりのある声が、彼の発言に覆い被さるようにして洞窟内へ響き渡った。


「見つけたぞ!!犯罪者!!」


「なんだと!?まだ犯罪には手を染めてはいないぞぅ!?辛うじてな!!」


 完全には否定の意を断言できないアルバは、しつこくも追ってきた警官に小さな反論を行う。


「え...犯罪者...??」

「何かの事件なの...?」


 そして彼らのやり取りを聞いた先程のカップルは、表情に驚きの感情を浮かべて困惑の色を滲ませていた。


「いや、なんでもない!邪魔して悪かった!」

「???」


 戸惑う二人に詫びを入れながら、急いでアルバは駆け出すと洞窟の最奥へと向かい始める。

 無論、それをおいそれと許す警官ではない。


「どこへ行く!!この先は行き止まりだ!パンフレットにもそう書いてある!!」

「そうだ!!お前にはカツ丼を食わさせられる道しか残っていない!!」

「お騒がせして申し訳ありません。本官は、あの者にカツ丼を食べさせなければならない為これで失礼します!」

「道中で何も無いとは思いますが、本官があなた方二人を出口までお連れいたします!」


「「━━━━いえ、大丈夫です......(みんな、同じ顔...?)」」


 戸惑いを加速させる警官の振る舞いに、狼狽しながらもカップルが丁寧に断りを入れている中...。



「マンドラゴラが完全に途絶えた!!ここだ!ここに何かがあるッ!!」



 早くもアルバは、その奔流と思わしき座標点に到達していた。


「どこだ!?きっと、何かあるはずだ!」


 彼の目の前に立ちはだかる巨壁には、ボぅっと素朴で淡くライトアップされたヒカリゴケの一種が張り巡らされていた。

 洞窟エリアという、ここの作り上。

 これを最後に眺め、来た道を戻るというのが一般の順路であった。

 それゆえ、その他に特別目立った展示物や外からの空気が漏れているような小さな通気孔等も存在していなかったのだ。

 あるのは、ただ大きな一枚の壁のみ。

 たったそれだけだった。


 地面や天井、壁、苔の連なる様。

 いくつもの可能性を考慮して、アルバはその空間をくまなく探し回る。

 だが、いくら探せども答えには一向に辿り着かない。


 見えてくるのは、何の変哲もないという事実。

 それと、自分のぐらつき始めた考え。

 間違えていたのは自身であるという過ちの答え。


「ぐぬぅ......。そんなはずはないのだが...。たしかにココなのだ!ココに秘密がある!!」


 本来入り込むはずのないマンドラゴラが植物園にいたこと。

 それを考えると、どこからかこの園内に侵入した線が濃厚であった。

 外から入り込める場所が限られている中で、説得力を持たせる痕跡もここまでの道で数多く点在していた。

 なのに、その核へ近づいたのにも関わらず、アルバはそれを見つけられずにいる。

 これが意味するのは、彼の逃走劇の終わり...なんて単純なものだけではなかった。


「じゃあなんだったんだ!あのマンドラゴラは!あの変わり果てたマンドラゴラは、どう説明をつければいいんだ!?これで納得しろだなんて私には到底出来ないぞ!」


 自分が逃げることは、今の彼には二の次。

 我が身よりも、目の前で迷宮入りしかけている難題こそが、彼をこうして苛立たせるに至っていたのだ。

 その証拠に地面へ両手両足を着けて、あるはずも無い壁の隙間を一心に探すアルバには、彼の背後で呼びかけながら詰め寄る警官の存在なんて視界の隅にも入ってすらいなかった。


「聞こえていて、あえて無視をしているのなら宜しい。そのまま黙ってお縄につくんだな!!」


 外で追跡して来ていた時と比較すると、警官の数は圧倒的に減っていた。

 だが、しかし。

 洞窟という、空間が遮蔽された環境の中では今の縮小された物量も十分に恐怖を感じさせるものに違いはなかった。


━━━━が、それも。

 目視さえしなければ、そんな感情を抱くことすらないのだろう。


「ここも、ここも、ここも違う!!マンドラゴラが入り込む隙も隙間もないじゃないか!!どうなってるんだね!?えぇ!!??」


 さも聞き分けのない子供のように、何度も同じ場所をぐるぐると徘徊しては叫びを上げる。

 そんな彼に、危機感は全く仕事をしていなかった。


「かかれーッッ!!」


 けれどその鋭く張られた号令により、危機は突如として再び彼を飲み込まんと大きく押し寄せた。

 慌ただしく洞窟内に響く革靴の音調。

 そこに加わる同一である複数の声色。

 尚も動じることの無い標的は、目の前の不確かな希望に縋り続けた。

 こうなると軍配は歴然としたものであり、どちらへ天秤が傾くかなど誰しもが予想のつく決定事項であった。

 そう。

 危機的な場面で予想外の不確定要素が出てくることなど、創作物の世界でしか起こりえない事象。

 いわば、都合の良すぎるご都合主義。

 神をも味方につける運命操作のようなものである。



━━━━事実。それが起きたのが、この物語なのだ。



「ピギャァアアァァァッ!!」


「なに!?こいつはぁ...!!」

「おいおい、なんてこった......!」


 ゾわりと背筋を逆撫られる重々しい奇怪音。

 それに応えるように、鳴動しグラつきだした洞窟内は強い音の反響に震える。

 これにはアルバ、警官共に。

 音の爆弾たるその前では、飛びかける意識を繋ぎ止めておくことのみに、全ての身体機能および行動思考を割かれてしまっていた。


 否、強制的に削ぎ落とされていたのかもしれない。


 大きく立ちはだかった障壁。

 いいや、壁のように巨大なその()()に。


「ほぅら...。あったじゃあないかぁ...ッ!!」

「お前は、この後に及んで何を...!」


 不気味な笑みを浮かび上がらせて、ニタリと白い歯を剥き出す。

 この状況にそぐわない態度を見せる彼を訝しむ警官達は、つい先程まで壁だったものが生物とも呼ぶべき姿に変わっていく様を息を飲んで眺める。


 招かれたのは、なにも恐怖だけではない。

 崩れる外壁から流れ落ちた岩粒が、コツン...と。

 動き始めたそれに当たり、パラパラと砕ける。

 物事としては小さな出来事だった。

 それでも、それの意識を向けさせるには十分な出来事。


「ピギャアァァ!!」


「!?」


 アルバらの眼前で塞がる壁が奇声を伴い、地を鳴らす。

 壁は、のそのそと重たく回転すると、これまでとは明らかに異なる壁面を彼らに見せた。


「なんだあの“()”は!!」


 警官の中から一人が、そう叫んだ。


「いいや、君たちも知っているはずだ。どうやら、彼は大きくなり過ぎたらしいがね?」

「大きくなり過ぎた...??何のことだ!それは...!」


 見るからに狼狽える警官に、アルバは不敵に微笑み語る。


「見て分からないのか、あれも()()()()()()だよ。それも、特大サイズのヘビー級と来た!!」


 両腕を左右めいっぱいに広げて、アルバが興奮気味に警官の問いに答えた。


「つまりはなんだ?今まで見ていた壁は、バカでかいマンドラゴラの背中とでも言いたいのか!?」

「はぁ...。行政のワンコロは頭が固くて嫌になるな。愛国心ある市民の声に純粋に耳を傾けることもできないとは、国も飼い犬の躾が足りていないんじゃあないのか?」

「なんだとぉ!やはりそのお喋りな口には、カツ丼をたらふく詰め込まないといけないらしいなぁ!!」



「ピギャァアア!!!」



「「 ぐぬぅぅぅ...! 」」


 ぐるりと正面を向き、特徴ある洞のような顔を大きく膨らませた巨大なマンドラゴラは、その一声で言い争う二人を瞬く間に黙らせる。

 もちろん、これはただの叫び声ではない。

 マンドラゴラという本質を備えている以上、その魔物の絶叫は殺傷力を秘めた武器そのものだった。

 まともにその叫びを耳にすれば失神は免れないという脅威。

 いかに、ここで生育した個体がオリジナルの個体よりも角の取れたマイルドな性質になっているとしても、この巨体であればオリジナルとの脅威の違いは、さほどないことだろう。

 そして、それを知っているアルバだからこそ、こうして彼は行動に出るのだ。


「お前...今度は何を...!!」


 絶叫したマンドラゴラの声に警官と共に耳を押さえて一度怯みはしたが、アルバは臆せず巨大なマンドラゴラに向けて進み始める。


「こいつが本来のマンドラゴラと同程度の個体なら、いいボディガードになってくれるからな!君たちを振り払うのには最適な壁だよ!!」

「待て!どこへ行く気だ!!」

「既視感ある質問ばかりしないでくれ!決まってるだろ!これから私は、逃げるッッッ!」


 このアルバの発言に反応するようにして、マンドラゴラが再びその雄叫びを上げるべく、口に当たる洞を大きく膨らませる。

 この後は、言うまでもなく洞から絶叫が放出されるだけであったが...。


「━━━━━━━━。」


 その場に絶叫が轟くことはなかった。


「それでは、ごきげんよう!!神の御加護があらんことを!!」


 そう言って全速力で駆け抜け、壁のようなマンドラゴラの背後にアルバは吸い込まれていく。

 彼を逃してはなるものかと、警官らも急いであとを追いかけ始めた...その時。


「ピギャァアアァァァ!!!」


 止まっていた時間が動き出したかのように、マンドラゴラが大絶叫で鳴き始めたのだった。

 これは偶然でもなければ、警官の運が悪かった訳でもない。

 紛れもなく、起こるべくして起こった必然であった。


()()アイツの神の加護(ブレス)かぁ!!」


 アルバの持つ、巻き戻しの能力。

 それを彼は巨大なマンドラゴラが叫びを上げる瞬間に使用したのだ。

 その結果。

 マンドラゴラの身体時間が逆行を起こし、遅延による悲鳴を現在轟かせているというわけであった。


「なにがボディガードだぁ...!?これで魔物を手懐けてるつもりなのか?だとするなら、危険因子に変わりない!!......行けるか自分!!」

「数を増やせば行けないことはないが、これ以上増やしすぎると自壊の可能性があるぞ?」

「自分のことは自分が一番よく理解している。やるんだ、これは警官としての面子(メンツ)の問題だ!」


「「 その通りだ自分!! 」」

 

 警官は自分達を奮い立たせるように鼓舞し合うと、一人が二人。

 二人が四人という風に分裂をし、更にその数を増殖させる。


「いいか、自分達よ。合図を出したら......」

「分かっているはずだ自分」

「合図はいらない」

「自分は自分。ならば、言うことは一つだけでいい」

「━━━━ふっ、そうだったな自分...。」

「さあ、位置につけ......」


 増殖を続ける警官らは、一人の発したその言葉に身を屈め、両指を地に着け立てて前方に睨みを利かせた。

 これにより彼らの準備は完全に整っていた。

 残すは開始の宣言のみ...。

 そしてそれも今………放たれる。


「━━━━カーツゥ.........ドンッッ!!」



「「 カツドーンッッッッ!! 」」



 合図は要らないと言い切っていた警官が、明らかな合図を口にした。

 そうしてふざけた言葉で放たれた無数の警官が幾重もの矢の如く、高く(そび)える巨大なマンドラゴラへと向かい走り、次々と突撃を仕掛けていく。


「ピギャアァァァアァ!!」


 だが、マンドラゴラが放つ奇声は衝撃を伴う音波となって、自分に迫る彼らに牙を剥いた。

 音の刃は聴覚のみならず。警官の肉を断ち、そして身体の機能を壊す。


「怯むな!!増殖を止めるな!!歩みを進めろ!!」


 幾重と屍が転がり始める中でも、警官の増殖と前進は続いていた。

 自らが死する直前に分裂をし、そこから新たな突撃を図る。

 そんな命を使い捨てるこのやり方は、狂気の沙汰とも言えるかもしれない。

 狂気的であり、規律的であり、どんなことにでも命を張る。

 それは全て、市民に安心を提供するための国への忠義心。

 狂えるほどに正義感の強い彼の精神ゆえの行動。

 これが後のシンフェミアに名実共に賛美される男の行動原理だった。


「あのデカブツの背後に奴は消えた!あの先を全力で目指せッッ!!」

「わかっている自分!!」

「何度も言ってるだろう!自分なんだからそれくらいわかっている!」

「数が足りないのだ!!もっと自分を増やすんだ自分ッッ!!」


 巨体に群がるその警官の光景は、喩えるなら人間の足元で右往左往する蟻のように矮小でちっぽけな存在であった。

 群れては蹴散らされ、数が減れば分裂をし絶えず自分を補充する。

 一進一退の攻防と言えば、耳触りは良いだろう。

 だが、実際に行われているのは美化できないほどに凄惨な虐殺。

 強大な体躯を持つマンドラゴラにとって、それは寄ってきた羽虫を払うのと何ら大差のない行いであった。


「こんな化け物が多くの民間人の出入りする公共施設にいていいわけがない!必ず逃げたアイツに吐かせるんだ!こいつが何なのかミッチリとカツ丼を食わせながら、コッテリと搾り取ってな!!」

「そうだ、カツ丼を食わせて吐かさせる!」

「吐くまでカツ丼が食べられるなんて…!なんて贅沢な奴め!」


 自我の崩壊が著しい警官は、自分の目的に歪みと揺らぎを生じさせる。

 しかし、誰のためにという部分の根幹だけは決して揺らぐことがなかった。

 正義という一本の槍を心に携えている限り。

 彼はどこまで狂おうとも、折れることなく。

 彼はどこまで脅かされようとも、たった独りで戦えたのだ。


 そしてここで、彼の信念は神に認められる。


「ピギャァァァ……」


「待て自分よ。様子がおかしいぞ!」

「奇声が…飛んで来ない…?」

「ふむ。苦しんで、もがいているようにも見えるな」

「何かを喉に詰まらせているのか?」

「カツ丼かもしれん!!」


 恐ろしい速度と間隔で叫び続けていたマンドラゴラに、降ってかかったようにして異変が訪れていた。

 弱弱しく嘆くような声を漏らす様子は、まるで身体の不調を訴える、病を患った診療患者そのものであった。


 間違いなく警官にとってこれは、千載一遇の好機。

 突然生まれた隙を逃してなるものかと、そのチャンスに彼は食らいつく。


「奴が喉にカツ丼を詰まらせた!!今しかない!進めぇーーッッ!!!」


 人によって成された大波が、魔性なる植物の岸壁に衝突する。


「流れ込め!!このデカブツの背後に入り込めッッ!!」


 巨体をすり抜け、マンドラゴラの後方に出来た空間へワラワラと数人が押し入る。

 だが、何人もこうして通してくれるほど、ここの門番に良心は備わっていなかった。


「ゴポッ……!…………ピギャァァァァアァァァ!!!!」


「━━━━ッッッ!?」


 またしても神経をズタズタに切り裂かんばかりの絶叫。

 マンドラゴラの暴力的なまでの悲鳴が洞窟内を駆け巡ったのだ。

 これにより、マンドラゴラの至近距離に接していた警官から順に、亡き骸へとその身を転じていく。

 その場に残ったのは、遠距離で死の間際から分裂を施した一部の警官のみ。


「送り込めたのは4、5人…。だが、これでも通過できた方か…。」

「今のような隙が今後できると確証を得られない以上は、一度引くべきだと思うぞ、自分よ」

「そうだな自分。外で見張らせてある自分達が一般人を立ち入らせないようにはしているが、この洞窟だけでなく、この植物園全体を一度封鎖するべきだ」

「ああ、自分もその話を丁度切り出そうとしていたところだ」

「いわば、上級種の魔物。並の冒険者程度では太刀打ちできそうにないデカブツだぞ、この化け物は」

「現存している自分は、外と洞窟内、それにこの化け物の後ろに入っていった自分を含めて20人ほど」

「外の自分と進んでいった自分を残して、この場の自分達は消滅する……異論はないな?」

「もちろんだ自分。自我と理性を保つには少ない方が理想的だ。だが……」


 小会議をしていた警官らは、人間に仇なす脅威として存在を確立させた巨大な魔物……の根元を凝視する。


「あれは何だ…?あのデカブツの口元のような場所から転がり出てきた()()()は、何なんだ…。」


 彼らが注目した場所にあったのは、土気色をした腕のような物体。

 そのようなものが、まばらに粘液を纏い多数散らばっていたのだ。

 よく観察し、それが何かを正確に判別できるほど警官と転がるそれの距離が近くも無かったのだが、次にそれが起こした一つの挙動で警官はその正体を理解するに至った。


「ぴきゃあぁぁぁぁ………」


「…………………。」


 足と呼べるか分からない、それの先端に生えていたヒゲのような繊維。

 それが、わしゃわしゃと身を(よじ)らせているかのごとく屈伸する。


「ぴきゃあぁぁぁぁ………」


 口と呼べるか分からない、それの中央部に空いた洞のような大穴。

 それが、聞き覚えのある鳴き声で小さく吠えた。


「ぴきゃあぁぁぁぁ………」


 何度も、何匹も、何重にも。

 その鳴き声は、警官の心に騒々しい鼓動をもたらせた。


「マンドラ、ゴラの……幼体…?」


 巨大なマンドラゴラから産み落とされたのは、マンドラゴラの幼生体。

 これが洞から転がり出てくる過程により、巨大なマンドラゴラは一時的に苦しんでいたのだろう。

 しかし、この事実。

 シンフェミアという都市を守ると誓った警官にとっては、由々しき内容であった。


「このデカブツは、交配なしで魔物を生み出せるということか…?」

「単体で魔物を無尽蔵に排出し続ける…。こんなの下手をすれば国が滅びかねないぞ!!」

「国家転覆…か?アイツは国を傾かせようとしているのか!?」

「絶対に逃がしてなるものか、テロリストめ!!」


 明らかなる関係者。

 そう疑われても仕方がないほどに、アルバのマンドラゴラへ対する執着は強かった。

 強すぎるがあまり、視野が狭まり周りが見えなくなることは日常茶飯事。



 そしてそれは、現在進行形でも起こっていた。



「いない!やっぱりどこにも!マンドラゴラがいた形跡が!…ということは、さっきのあれがオークス庭園にマンドラゴラが住み着いた直接の原因……だな!ああ、間違いなく!私の勘がそう言っているぞぅ!」


 巨大なマンドラゴラの背後を抜けた後。

 地べたを這い、マンドラゴラの痕跡を舐めまわすように調べながら暗いトンネルを進んでいたアルバ。

 そう、またも彼は忘れていた。

 自分が追われているという単純な現実を…。


「あの男だ!まだいたぞ!」

「まだとはなんだ!!私は彼らと真剣に向き合っているのだよ!!……って、また君達か!?いい加減にしたまえよ君ィ!!執拗な人間は社会では嫌悪される対処だぞぅ!」

「いい加減にするのはお前だ!市の安寧を脅かすテロリストに道徳を説かれたくはない!」

「━━━━??...待ちたまえ君達。私がテロリストなわけないだろう。見たまえよ、私の姿を。どう見ても人畜無害な一般独身男性にしか見えないはずだが?」


 さも何を馬鹿げたことを言っているのかと、彼は首を傾げて問いを投げかけた。


「無駄話は結構だ!お前の口が何を語ろうが、これからのことに変わりはない!」

「そうかそうか。だが生憎様だが、ここで捕まるつもりもないのでね」


 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と言わんばかりにノロノロと腰を上げたアルバ。

 この挑発する振る舞いに、警官は分かりやすく内心の苛立ちを表情に浮かべた。

 時に苛立たせた原因たる彼の足は既に、この暗がりの先に待ち構えているであろう場所へと向いている。

 これまでと同じならアルバは警官を引き離し、距離を稼いで逃げ切ればいい。

 それだけの話。それだけのことだった。……だが。


「もう捕まえないよ、お前のことは」

「━━━━は??」


 警官が口にしたのは思いがけない言葉だった。


「なんだ?私は許されたのかね?なんとも大胆な心変わりだが、嫌いじゃないぞぅ!我々も同じカテゴリーに属す人間同士なのだ、誤解の一つや二つあった方が人間らしいというものだ。誤解が解けたのであれば、私は先を急ぐことにするがぁ…」

「何を言っている?誤解をしているのはお前の方だ」

「まだ何かあるのかね!?」


 拗れていた話が解かれたとなるや、早々に会話の席から立ち去ろうとするアルバを引き止めたのは、またもや警官の言葉。

 しかし、今度の警官の口調は少し前とは大きくかけ離れた重々しいものであった。

 それは非情かつ冷徹に。

 一片の曇りなき真っ直ぐとした眼を向けて。


「シンフェミア市民の安寧のため、魔物使いであるお前をここで()()することにした」


 …と、もはや愛する都市に仇なす敵と判断した目の前の男を冷たく見据え。

 アルバ・フリューゲルに断罪の鉄槌を下すことをここに警官は宣言したのだ。


「━━━━なんだって...?」

「聞こえなかったか?ここでお前は、魔物使いとして討伐対象となった。これは決定事項だ。お前に選択肢はない」

「待て、待てぇ!カツ丼やらを食べさせることに躍起になっていたユーモアのある君は、一体どこに行ったのだね!?」

「人数を絞った以上、人格は破綻しない」

「何を言ってるんだね君は!?」

「いや、なに…。冗談はここまでという話だ、テロリスト!!」

「ちょっと待て待て、待ちたまえよっ!!!」


 開始を促す空砲さながら、警官の声が大きく大気を震わせた。

 憤る五人の警官。

 彼等が足早に討伐対象へと距離を詰めていく。

 これには流石のアルバも顔を真っ青にさせ、足をもつれさせながらも跳ぶように走り始めた。


「ふざけるんじゃあないよ!!何が悲しくて私が殺されなくちゃあ、ならないのだね!?冗談は、カツ丼の件でお腹いっぱいいっぱいなのだよ!!」


 いよいよ自分の危機感に自覚を覚えたアルバだったが、乳酸の溜まりきった重たい脚には疲労が確実に生成され蓄積していた。

 だが、彼の運の良さが幸いする。

 終着点はそれほどまでに遠い場所ではなかったのだ。


「おい待て、階段だとぅ!?疲労困憊(ひろうこんぱい)な私にトドメを刺すつもりかね!いや、迷っている時間はない。(のぼ)れば良いんだな!上れば!!」


 薄暗い洞窟から上へ上へと伸びる白い階段。

 その場のテクスチャにはまるでそぐわない、後から人工的に造られたその異質な建造物を段飛ばしで駆け上がる。


「ぬぅ…!くぬぅ…!」


 今にも痙攣を起こしかねないふくらはぎを無理やり働かせ、どこへ続いているのかも分からない階段をアルバは上へと上り続ける。

 終わりの見えない逃走劇。

 そんな暗い物語にも、いよいよ結末という光が差し込まれた。


「ぅうん!?…で、出口か!!」


 収束的な閉鎖感を醸し出す狭い外壁に囲まれ、鉛色をした塗料を塗られた石膏の塊がアルバを出迎える。

 そう、珍しくも石造りではあるが紛れもなく。

 異なる場所同士を繋げる結び目であり、結合部。

 洞窟からその場所へと転送を行う(ゲート)であり、通行口。

 常識を領域外の技術で上書きする神性を授かった()


 それがアルバの前に姿を見せた物の正体だった。


「諦めろ、行き止まりだ。植物園の洞窟の奥にこんなものがあることには驚いたが、今はお前が優先だ。……大人しく命を差し出しなさい」

「冗談じゃああぁぁない!!差し出したら無くなるじゃないかぁッ!!」


 雄叫びというにはあまりに情けないものだったが、アルバは自分の出せる最大の声量を用いて己を突き動かし、石膏の扉を力いっぱいに押し開け…。



「私は生きるッッ!!魔物を知り尽くすまでなッッ!!!」



━━━━こうして、アルバ・フリューゲルは血相を変えて飛び出した。



 追手は五人。

 いずれも、話術より武力で対話を試みなければならないほど頭に血が上っていた。

 今ここで足を止めれば、向こう一週間は寝返りの打てない生活を強いられるに違いない…。

 いいや、五体満足でいられる保証すらも怪しいかもしれない…。

 …と、そう心の中で最悪の想像をする自分を振り払うように、彼は聖火台下に設けられた扉を強く開け放ったのだ………。



 ***



「━━━━という話を父から寝物語に聞かされまして…」



「「 それ就寝前の文章量じゃないと思うけど!?………あ。 」」



 トゥエルノ氏と発言内容がモロ被りする。

 お互いに相手が全く同じことを言っていると気づき、顔を見合せて驚きさえしたが、それよりも俺はスティアに驚いていた。…おそらくはトゥエルノ氏も、また同じことを考えているに違いない。


「お前、眠いとか言ってなかったか?…ああ、回想の中の幼少期スティアの話だぞ?」

「え、はい。たしかに眠かったとは語りましたけど、それが何か…?」

「眠かった割には、細部まで詳細に重厚なストーリー覚えてるじゃねぇか!お前の睡魔に対する意志の強さは、どうなってんだ!?というか、その話の厚みからしてとっくに夜明けてんだろ!!話聞き終わった後、窓から差し込んでたの月光じゃなくて太陽光じゃなかった??」


 どう考えても、親が子供を寝かしつける時に聞かせる話のボリュームでは絶対にない。

 ましてや、スティア本人も眠たいと明言しているのだ。

 そんな状態で、ここまでハッキリ覚えていられるなんて驚かない方が無理がある。


「なあ、スティア。それ、夢でも見てたんじゃないか?」


 という結論に至るのは、自然の成り行きであった。


「はぁ…。ほんと先輩って、人の話ちゃんと聞きませんよね。女の子にモテないのも納得です」

「そ、それは今、一つも関係ないだろ!!」


 ジトリと向けられる瞳。

 軽蔑という女子からの視線ほど、攻撃力のあるものはない。

 殺傷力のある言葉無き目力で、グサグサ刺してくるよ。

ほんと容赦なく心にさ…。


 関係の無い恋愛事情にも口を出されてはコチラも黙っていられなかったが、彼女いない歴=人生の俺には弱いツッコミくらいでしか事実抵抗する術を持っていなかったのだ。


「あります。先輩は相手が話し終える前に結論を口にしちゃうタイプですよね?あたし、この話を全部最初から最後まで一度で聞いたって言ってませんよ?」

「……へ?」

「だから、分割して聞いた話を一つにまとめて話したって言ってるんです!はぁ…。良かったですね。先輩に彼女が出来ない理由もこれで説明がついて」

「それは関係ないって言ってんだろっ!?あまり抉らないでくれる!?その言葉、お前が思っている以上に先端尖ってるからなぁ!!」


 後輩に痛い所をブスブスと刺される中、「ふむ、なるほどなぁ…」なんてトゥエルノ氏の腑に落ちた声が聞こえてくる。

 今回は俺が悪いし、結論を急いでしまうのは短所でもあるのはその通りだ。

 しかし、その話はスティア……お前にもブーメランになって戻ってきているってことには気づいてるか?

 まさに話を最後まで聞かないっていう部分では、ツェドが捕まったことを知った時のお前も...…。


「それで、フリューゲル嬢。裏事情を知っているお知り合い…とは、結局どなたのことかな?」

「━━━━そうだ、忘れてた!!お前の曾お祖父さんの物語は面白かったけど、肝心の知り合いについては情報量ゼロだったじゃないか!それに、話も核心部分には触れずに終わったし」

「そういうとこです先輩」

「や、やめてくれ。そんな目で俺を見るのはやめてくれ…。モテない理由が本当にそうなんじゃないかと思えてくる…。」

「そうですか、認識できたみたいで結構です。でも、曾お祖父様のお知り合いには気づかなかったんですね。あと一応言っておきますが、あたしもこの後の話は知りません。あまり興味なかったので、次の晩からは別の話にしてもらいましたから」

「そ、そうかぁ…」


 主旨とはズレているのは承知している。

 だが、やけに伏線のようなものが張り巡らされていたので、普通に物語として楽しんでいた自分としては不完全燃焼感が否めない。

 けれど、この気持ちの共感者は嬉しくもないが他にもいた。


「お嬢様。いくら資金を積めば、その先のお話を伺えるのでしょうか?これではアルバ様の顛末が気になって今直ぐにでも聖地巡礼に行ってしまいそうです。場所はオークス庭園の洞窟でしたか。そこから聖火台に続いているということはこの時間帯であればワタシが聖火台下の扉から登場しても警備に見つかることは……」

「フランソワ…?まずは、フリューゲル嬢の話を聞こうか?」

「━━━━坊っちゃまもイジワルですね……。」

「━━━━。」


 オタク魂に火がついたフランソワをトゥエルノ氏が(いさ)める。

 この構図も天丼のようになってきたが、俺が注目したい点はそこではなかった。


 (まさかとは思うけど、俺とフランソワ(こいつ)って似てんのか…?)


 嫌煙したい人物が、思いのほか自分と性格上似ていた。

 話を最後まで聞かない性格。

 一般論から言うなら、子供のように幼稚な性格。

 こんな恐ろしくも悲しい。受け入れ難い内容を見せつけられ、「( これからは、人に寄り添える人間になろう )」…と、俺は心からそう誓うのだった。


「あはは…は…。それで、話をしても?」

「「「 はい。どうぞ…。 」」」


 ぎこちない笑顔のスティアから確認が入り、三人で彼女へ手を向け話を譲る。


「警官ですよ。さっき話に出てきた、曾お祖父様を追っていた警官がその知人です」



「なんだって!?」

「なんということでしょう!!」



「━━━━ごほん...。フリューゲル嬢、続けて」


 俺とフランソワが驚きを露わにする一方で、トゥエルノ氏は冷静にスティアへ続きを促す。


「はい。警官の名前は“ マクベス・ウィロー ”」


「なんだって!?マクベスって!あのぅ……ヴぅッ!?」

「間違いありません!マクベス・ウィローといえば、あのぅ……ヴぅッ!?」



「━━━━ああ、大丈夫。さあ、続けて?」



 性懲りも無くスティアの話に口を挟まずにはいられなかった俺とメイドは、トゥエルノ氏から口を塞がれる形で大人しくさせられていた。

 スティアも、喋りたくて仕方がない俺たち二人には目もくれずに話を継続させる。


「彼は当時、警官としてこの都市の治安を守っていたみたいです。そして、その中で私の曾お祖父様と出会い。友好を深めたと聞いています」

「うん、相手が私達の知る彼なら偉大な書物を遺した生前のアルバ殿と親しくしていたとしても何ら不思議な話ではないね。なにせ、魔物の常識を覆した人物だ。彼の立場からしても一目置くのは道理だ。しかし、意外だったよ。そんな人物の話が今になって出てくるだなんてね?まだご存命とはお聞きしているけれど、お話は可能な状態なのかい?」

「問題ないと思います。たまに記憶が飛ぶ~とは言ってましたけど、会話が出来るくらいには元気だったので。……それで、どうしますか?」

「うん、もちろん会いに行こう。彼ほど、この街の政治の闇を知っている人間はいないだろうからね?味方になってくれるだけでも心強いよ」

「それでしたら、決まりですね。ですが、クロはどうしましょうか…。一人でお留守番は、少し気になりますし…。」


 スティアは、腕に抱えた脱力感あるぬいぐるみのようなレンカと、ベッドで静かに寝息を立てるレンカを交互に憂いた目で見つめる。


「ここから連れ出すのは…うん、現時点では危険だろうね。今の彼女は水がヒタヒタに入った言わば貯水槽(プール)そのものだ。でも幸い、ここに新たな水は侵入しないし、この場所にいる限りは悪化もしない。だけど、結界の外へ出て何かの弾みで水を維持している止水弁が外れてしまうことがあれば…。彼女の内から水が逆流し、外部へと漏れ出る。すなわち、完全な夢魔が誕生してしまう…。だから、当面の間は悪夢を抑制できている環境下であるこの場所を離れさせるのは避けた方が理想的だね」


 正しいことをトゥエルノ氏は言っている。

 だが、レンカを一人にさせたくないのは俺も同じだった。


「というわけで、留守を預かってくれないかなフランソワ?」

「━━━━はい?ワタシですか?」


 トゥエルノ氏から拘束されていた俺たちは、口元に覆い被さっていた手からの解放を得て、ようやく会話を許可される。

 そして、解禁されてすぐの受け答えだからか、フランソワはかれの発言内容を理解していない様子に俺は見えていた。

 けれどそれも、数十秒後には間違いだと正される。


「お断りですケド。ワタシもアルバ様のエピソードを聞きたいので」

「え?いや、だけどクロガネを一人にするわけにも…。」

「坊っちゃまは交渉人。お嬢様は仲介人。ワタシは参拝人です。となれば、自然と残るべき人材は見えてくるはずですケド?」

「━━━━俺に残れって?」


 フランソワは遠回しに…いいや、ほとんど直接的にそう言っている。

 こいつの言う参拝人とかいう役割は意味が分からないくらいどうでもいいと思うが、誰かが残るのなら確かに俺が適任かもしれない。

 まあ、レンカの傍にいるほうが心持ちとしては安心できる。


「いいよ。俺が残……」

「いいや、ニクロフ君は連れていく。フランソワ、流石に君でもワガママを言っていい時と悪い時の判断くらいは出来るはずだ」

「え、トゥエルノさん…?」


 その時、トゥエルノ氏の顔からは笑顔が消えていた。

 これまで、フランソワの態度は主に仕えるメイドとしてはいただけないものだった。

 だからといって、それを咎めるわけでもなく笑顔で説得ないし対応をしていた彼は既にここにはいない。

 ここにいるのは、彼女の雇用主としての本来あるべき姿のトゥエルノ氏。

 説得ではなく、道徳を説いて理解をさせようとする威厳ある姿がここにはあった。


「説教ですか?」

「ああ、説教だ。私が巻き込んだ二人には彼の話を聞く権利があるし、私が強制して席を外させることも義務として押し付けることも許されない。それは君とて同じことだ。身分を強調するやり方は好きじゃないが、立場として私の使用人を続ける気があるのであれば、君に彼らの意志を妨げる権利はない。もしこの内容に不服を申し立てるなら、君を今ここで解雇しよう。どうする?フランソワ」


「「━━━━━━━━。」」


 とんでもない展開になってしまったが、一介の客人という立場である俺たち二人には、ただ静観し行く末を見届けるという問題解決手段しか取れなかった。

 だが、内心はこんな感じである。


「「(  す、すごく気まずい……  )」」


 胃がキリキリと救難信号を出すが、俺たちにはどうすることもできない。

 他人の家庭事情が絡まっているのだから、口を出すなんて以ての外である。


 けれど、トゥエルノ氏の問いかけには案外にも早めの回答が寄せられた。


「それは困りますね。生活費がないと困りますし、カラダを売るのも困ります。はぁ……かしこまれました。では、()()()()()()

「うん、君は頑固だけど根はいい子なのは分かってる。少しキツイ言い方をしてしまって悪かったね。土産話はたくさん持ち帰るから楽しみに……うん?いま何をするって?」

「お嬢様。現在、マクベス様はどちらにお住いですか?」

「えっ?ええと、東六番街の……ああ、骨董品店が入ってる建物四階に…」

「かしこまれました」

「ちょっとまだ話の途中…!」


 自分から聞いておきながら、彼女はスティアの話を一方的にバッサリと終わらせて窓へと歩き出す。

 フランソワの見つめる方角。

 その射角には、スティアが話していた一階に骨董品店がテナントとして入っている小さな建物があったと思う。


「おいおい、まさかあいつ…!」


 彼女の手によってこれまで起こった現象を整理すれば、これから起こる出来事なんて容易く想像が出来た。

 それがどんなに奇天烈で、怪異じみて、非現実的な芸当なのかは抜きにして…という話にはなるが。


「それでは皆さんご一緒に…。てーーーーい」



「「「  ちょっと待てぇ!!  」」」



━━━━無論、待たずしてそれは行われた。


「!!!!」


 バタバタと絨毯の上に雑に落ちる音。

 それは人間の人権が無視されたと抗議をされてもおかしくはない状況であり、取り返しのつかない事件性を孕んだ現象であった。


「痛ってぇ…何があったんだ?」

「あれ?ここどこ?扉開けたよな?玄関じゃないよな?」

「きゃあああ!!見ないで!!大人になってまでシャンプーハット使ってるとこ見ないでぇえ!!」

「よし!ついに儂はやったぞ!空間を飛び越えることに成功したんじゃ!!これでスケベし放題じゃあぁ!!」


「「「━━━━━━━━。」」」


━━━━混沌(カオス)


 この言葉で全てを片付けてしまいたいと心から思った。

 誰が悪いのかと問われれば、なんの躊躇もなく今の俺たちなら彼女を警察に突き出すことだろう。


「はい。とりあえず、その建物の四階に住んでる人間根こそぎ連れてきましたケド?……どうでしょうか?この中にいますか?」



「どうもこうもあるかッ!!イカれてんのかお前ぇぇ!!!???」



 見ず知らずの人間が何十人も瞬時に現れ、その人々が各々に動き回り状況整理を余儀なくされるこの惨状。

 断言しよう。


━━━━頼むから、夢なら早いとこ覚めてくれ。


「先輩……た、大変です…」

「スティア?もう十分大変な事態になってるよ…こんなんどうすりゃあいいんだよ」


 現実から目を背けようとしていた俺の耳に、後輩の焦りを感じさせる震えた声が飛び込んでくる。

 声の方向を見ると、スティアが一人の男性の元にしゃがみ込んでいた。

 大変であるこの状況以上に大変な事なんてないだろうに、いったい何をそんな…。


「マクベスさんが……」

「え?」

「マクベスさんが...…()()()()()()()()…。」

「━━━━━━━━。」


 突然の彼女の発言に脳内処理が追いつかず、当事者であり容疑者のメイドに視線を飛ばす。

 すると、そこには死んだハエのような目をした彼女が真剣な顔で…。


「仇太郎。あなたの役回りが回ってきたみたいですね。それでは頼みましたよ、()()()


 ほんと、畜生みたいなことを抜かしてきました。

 この参拝人とやらは。



「あぁぁあ!!!もうめっちゃくちゃじゃあねぇかぁぁああッッ!!」



 かくして、俺は彼の元へと走る。

 スティアが看取ったその老人を蘇生させるため。

 トネリ市長の闇を知る、その重要な人物を死から救うために。

 ()()()()()()()()()

 マクベス・ウィローの命運は、こうして俺の手に握られたのであった。



「がんばれ、がんばれ…(棒)」



「おぉのれぇえ、フランソワぁぁああッッ!!!」



 トゥエルノさん。

 やっぱり解雇するべきですよ、この使用人...。




➡Continue on Next Page


ご一読いただきありがとうございます。


半年ぶりに時間に余裕ができた作者です。


コミケやらの同人活動が忙しく、まとまった時間が作れずにいましたが、冬コミに見事落選しましたので無事に更新です!

ゆっくりとした時間が生まれたので、現在ゆとりのある生活を享受しております。

ということで、前回から更新が遅くなりましたが本日も後書きに参りましょう。


今回は再び、ルシェ視点に戻ってのお話が中心に展開されました。

……まあ、半分はアルバさんの物語ですが!

彼は今を生きる方ではないので、このように記録のような話を小出しにする形で情報を出していこうと考えています。

あくまで、主人公やメインキャラクターの立ち位置ではないため出番は少なめにはなりますが、それでもこのシンフェミアに貢献し世界を大きく変えた重鎮というべき存在の為、アルバのストーリーは丁寧に描いていきたい!…という意気込みを語っておきます。


ちなみに一話を丸々会話に使用してしまった今回ですが、次回もこんな感じかもしれません。

というのも、アルバの物語のその後…がまだ語られていませんし、マクベスさんに語って頂こうかなと…。

スティアさんも元気な方だと言っていたので、たくさん語ってくれるでしょう!


と、いうわけで。そろそろお時間です。


フランソワさんが実質的にお亡くなりにさせてしまったマクベスさん。

彼を蘇生させるところから、次回は再開すると致しましょう。


では、またご縁がありましたらお会いしましょう。


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