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神の御加護に魅せられて~転移少女の備忘ろくっ!~  作者: 緋色モナカ
久遠の灯焔 編
11/12

Page:11 大丈夫よ。死者蘇生で生き返れるもの!

時を遡ること半日前。

悪夢の病巣と化した地下空間にて、シンフェミア市長の息子である『トゥエルノ・ランス』は苦悩していた。

頭痛のタネは、悪夢から生まれた存在によるものと。

そして、彼と共についてきた『クロガネ・レンカ』と名乗る少女が取り始めた衝撃の行動が原因で━━━━━。



━━━━孤独に、アテもなく彷徨った。




 自分が誰で、ここが何処なのか。


 抜け落ちた記憶の中で。


 たった一つだけ残った。

 使命とも呼べる行動理念。


 従順に。

 ただ(ゆだ)ねる。


 手足の感覚も。

 自身の息遣いさえも。


 今は何も分からない。


 行き交う人。

 飛び交う声。

 入り交う顔。


 違う。

 違う。

 違う。


 その人も。

 この人も。

 ()()()じゃない。


 朧気(おぼろげ)な特徴。

 (かす)んでいく記憶。

 思い出せない笑顔。


 雑踏の中に。

 たった一人を探し求めた。


 理由は忘れた。

 思考は諦めた。

 目的も......



━━━━━ついには思い出せなくなった。



 忘却。

 徘徊。

 迷走。


 何のために。

 何をしたくて。

 何が自分を動かしたのか。

 空っぽの頭では計り知れない。


 そして失意の末。



━━━━━辿り着いたのは暗闇だった。



 光届かぬ、この場所で。

 ■■■を■■ことなんて、できっこない。


 訪れる者は、みな他人。


 自分を見て、酷く怯えて去っていく。


 身体が、どうなっているのか。

 容姿が、どう見えているのか。


 脳が機能をしていないのだから。

 悩む必要も無かった。


 失う心も。

 傷つく感情も。

 ここには、もうないから。


「━━━━━━━━」


 知能のない傀儡(くぐつ)のように。

 出口のない線路を走る電動鉄道模型(プラレール)のように。


 気がつけば、自分は。

 訳も分からず宙を旋回していた。


 ふわふわ、くるくると...。


 狂い。

 そして(こじ)れて。


 頭のネジが外れた玩具に。

 自我が壊れた理性なき獣に。


 気づいた時には成り果ててしまっていた。


「━━━━━━━━━━」


 自動的であり、異常的。

 正常体とはかけ離れて、異常体。

 異常を異常として認知していない、異常。


 異常、異常、異常...。


 擦り切れた脳は悲鳴をあげ、発狂する。

 それは、異常という言葉に対しての嘆き。

 それは意味さえも忘れてしまった、異常という異常に対する微かに残った防衛本能。


「.........」


 意識が遠くなる。


 この体から、ふわふわと離れていく。


 消えて、消えて、消えて......。


 真っ暗に。


 この場所よりも。

 暗く。

 深く。

 闇へと堕ちていく。


 墜ちて。

 落ちて。

 堕ちていく...。


 落とされていく意識の中に...。


 曇りゆく黒き影を宿したその瞳に...。



━━━━ある一つの姿が映える。



 聞こえはしないが、声がした。

 響きはしないが、揺れ動く。

 知りはしないが、感じていた。


 記憶を落とし。

 感情を(むしば)まれ。

 自我を壊された。


━━━━それでも会えた。


 それでも巡り会えた。


 運命の出会いだなんて、夢見がちな言い回しはしないけれど。


 奇跡の再会だなんて、野暮ったいことは言わないけれど。


 誰なのかは分からない。


 だけど、ここでこうして、あなたを見つけた。

 けれど、ここでこうして、あなたに見つけられた。


 それだけが全て。

 それだけで安心した...。



━━━━━ああ、この人を探していたんだなぁ...わたし。



 だから記憶の欠落したわたしは。




━━━━━嬉しさのあまりに、あなたの胸に飛び込んだのよ?




***



 おぞましい悪夢は吐息をつく。

 長く、長く。

 ゆっくりと、その息に瘴気(しょうき)を含ませながら。

 自らのナカから外の世界へと。

 病巣の根源を振りまいた。


 大気へ溶け込む吐息(どく)


 吸引した者を内側から引き込む悪魔の種。


 ひとたびそれを摂取したのなら。

 苗床を見つけた種子は、ひっそりと脳へ隠れ潜む。


 宿主の蓄積する情報を養分に。

 脳に太く、深く。

 幻想の根を伸ばしていく。


 侵食行き届き。

 依代が戻らぬ夢に堕ちた時。




━━━━この()()は姿を見せる...。




「━━━━というわけで、あれは悪夢から沸いた『()()』なんだよ」




「なにそれ怖っ!?」




 知り合ったばかりの友人は、声を大にして驚きを露わにする。


「え、アレって頭の中に寄生して出来た化け物なの!?じゃあわたしたちも寄生されちゃうの!?......ま、まさか。もうされてるとか、言い出さない...わよね......?」



「━━━━ははは...」



「なに笑ってんの!?笑って誤魔化してるつもりなんだったら大失敗よっ!?誤魔化すにしても、もっと上手い誤魔化し方あるんじゃない!?人生初心者なの!?今まで人生で一度も、誤魔化した経験すらない誤魔化し童貞なの!?こっのぉっ........ヘタクソっ!!!」



「━━━━ははは...手厳しいね......」



「また笑ったわね!?まーた性懲りも無く笑ったのねっ!?そんなの厳しくもなるのよっ!!だってねえ!?それが答えっていうなら寄生されてるわけなんでしょ!?わたしの頭の中は!!夢魔で!!いっぱいに満たされてるわけなんでしょ!?......ねぇぇええ!!!!されてたらぁ...。頭の中に卵植え付けられてたらぁ...。もう、どうすればいいのよぉぉおー!!!」



━━━━その勢いには口を挟む暇もなかった。



 怒涛(どとう)の喋りに、極力黙って耳を傾ける。

 鬱憤(うっぷん)や悩みは、言葉にして他人に打ち明けると気持ちが楽になるものだ。

 ここは、あえて全て吐き出させてしまうことで、不安定な気持ちを取り除くことになるはず...。



━━━━━━はず、だったのだが...。



「もーうぅぅぅ、終わりよぉぉ......」


 前屈みに、腕から倒れ込んだ少女は慟哭(どうこく)する。

 それはもう、顔が原型を(とど)めないほどに...。


「クロガネ。確かに私たちは、既に夢魔の種を脳へ植え付けられている」

「ほらぁぁあー!やっぱりぃぃいい......!!」


 恐ろしい事実を知った少女は、カクンッと腕を折り曲げて、額を床に付ける形で突っ伏す。

 けれど、その行動は症状(あくむ)の進行を早めてしまうことに繋がりかねない。


 床には例の夢魔から生じた毛髪。


 それが絨毯(じゅうたん)刺繍(ししゅう)のように、敷き施されている。

 これと接しているだけでも、正気度に影響を及ぼすのは必至。

 彼女には意地悪をしてしまうようで心は痛むが、顔を上げてもらえるように誘導をかける必要がありそうだ。


 なので私は、隣で泣き喚く少女に容赦ない現実を突きつけることにした。


「目を背けたくなるだろうけど、落ち着いて。まずは現状を受け入れよう。いいかい?クロガネ…。━━━━━私たちは、()()()()()になったんだ」


「いやぁああっ!!なんで怖い言い方にわざわざ言い直してまで、もう一回言うの!?ここぞとばかりに、いじめられてるのわたし!?」


 床へ伏す少女は、半狂乱になりながら顔を上げる。

 この言葉では彼女を立ち上がらせるには至らなかったが、今は俯く少女の顔を前向きにさせられただけでも良しとしよう。



━━━━刺さる彼女の視線だけは、どうしようも出来ないけどね。



「ねぇ!悪夢とか夢魔とか知らないけどさ!?トレンディの神の加護(ブレス)で何とかなんないのアレ!?さっきみたいに燃やしちゃえばいいじゃんかー!!」


 通路に詰まった夢魔を指し、『あれ!あれ!』と催促する少女。

 私も彼女の期待には応えたいが...。



「出来るけど、出来ないね」



「どっちよ!?」

「仮に夢魔を塵にしても、アレは無限に生まれ続ける。宿主の悪夢からね」

「はぁ!?じゃあ、この子たちを何とかしないと倒せないの!?アレ!!」

「━━━━クロガネ...」

「な、なによ...?」


「━━━━━━大正解だよ」



「ふざけてるっ!?」



 私の冗談に華麗な対応をした少女は、遂に飛び起きて立ち上がった。


 (うん。作戦通りだ)


「ははは、冗談はさておき…。夢魔が倒せないのは本当だよ。そこの彼女達が悪夢を見ている限りは、いくらでも出てくるからね。それはもう放っておいたら際限なく...」

「じゃあ、なおさらアナタが何とかしてよ!?」


「無理かな」


「即答!?」


 私の答えに、いよいよ少女は殴りかかりそうな勢いで怒りを露わにする。

 ある意味では一色触発だが、変に希望を持たせるよりは素直に答えることも時には必要だ。

 それが、彼女の希望を完膚無きまでに打ち壊してしまうことになったとしても。

 それでも告げるべきだと私は考えた。


「彼らを完全に消滅させることは難しいけど、通路を開拓して進むことは出来るよ。━━━━でも無理かな」

「だからどっちなの!?無理そうだけど出来るってことでいいわけ!?」

「うん、可能だね。だけど私達は最悪、命を落とすことになる」

「━━━━━━へ??夢魔の数の暴力に屈してってこと??」



「いいや。━━━━━━私の神の加護(ブレス)で」



「アナタまたふざけてるでしょっ!?わたし、トレンディと漫才してるわけじゃないの!!わたしは本気で戦いに臨んでるのよ!!先輩風ならぬ、自称命の恩人(マッチポンプ)風吹かせてたアナタとは違うのぉぉお!!」


 少女は、ムッと顔をしかめる。

 ぷっくりと頬に餌を貯めた小動物のように、ぷくーっと膨らませた両頬。

 彼女は怒っているのだろうけど、見た目では愛らしさの方が(まさ)ってしまっていた。

 このまま、そんな彼女の返答を楽しみたい気持ちもあるが、あまり時間もないことだ。



━━━ここからは本格的に話を進めていこう。



「すまない、ふざけたわけじゃないんだ。私は自滅する可能性を伝えたかっただけなんだよ」

「はぁ?自滅ぅ??」

「うん、自滅だ。......なんで?って顔してるね」

「だって話の流れが、さっぱり分かんないんだもん。トレンディが神の加護(ブレス)を使ったら自滅するって、トレンディの頑張り次第の問題じゃないの?それなら、死ぬ気で頑張れば何とかなるのよ」


 『応援はわたしに任せて、トレンディは化け物退治よろしくね!』...と言い、役割分担の割り振りを手際よく行う少女。

 しかし、それで事が万事済むのなら喜んで私も協力したい。


「うん。死ぬ気で対処しても、高確率で私達が死ぬと思うよ」

「そこは頑張ってよ!?人間本気になれば何でも出来るはずなのよ!!自分の可能性をもっと信じてっ!!まったくもう!!」


 ペシペシと私の腕を叩いての抗議。

 可愛らしくも本気度の伝わる彼女の行動に苦笑を浮かべつつ、私は口を開いた。


「クロガネ。火は何を燃料にして燃えるか知っているかい?」

「ねぇ...。漫才の次は化学の講義なの??まったく、いい加減に......」


「私が熱を与えて燃やし続ければ、ここの酸素はなくなる。だから自滅行為なんだ。私が言いたいことは分かるね?」


「━━━━━━さ、酸素...?......酸欠ってこと??」


 話を遮って発言をした私に、ポカンとした顔で応える少女。

 私は頷くと彼女の問いに肯定をする。


「うん、そうだね。ここは密閉空間だからね。当然、酸素量は限られる。物を燃やすためには、燃える対象物と着火剤になる熱。それと酸素が必要不可欠だ。だから燃焼されて空気中の酸素が無くなれば火は消える。そもそも、この時点で私は居る意味を成さなくなるんだけど、この後が一番問題だよ。燃焼に消費する酸素量が足らなくなって不完全燃焼を起こした燃焼物は、一酸化炭素を発生させる。これが火元で酸欠になる元であり、私達を死に至らしめる元凶になる存在だからね」

「━━━━━じゃあ無理じゃない......」

「うん。被害者の子達を連れて安全に脱出する方法は、現時点では存在しない」


 受け入れ難い内容。


 どのような受け取り方をしたとしても、そう捉えられる話ではある。

 一刻も早く、何の罪もない少女達を安心できる場所へ帰してあげたい。

 そんな望みも、こんな状況では世迷言(よまいごと)に過ぎない。

 肩を落とす少女には申し訳ないが、解決策は()()が来るまでは...。


「ねぇ、トレンディ...。どうしてあの化け物は、ここに入ってこないの?苗床ちゃんたちがいるから?」


 通路を占領する夢魔に目を向けて、私に問う少女。

 彼女の考え通り、それが答えではあるが...。


「うん、その考えで合ってるよ。本体...と、仮にそう呼称するけど。彼女達が命を落とせば、本体の悪夢から生まれた夢魔は自然消滅してしまうからね。幸い彼らがこの室内に直接侵入して来ないのは、ここに彼女達がいるおかげでもある。だけどそれは、私達がここから離れれば一斉に襲いかかってくるということで、(かせ)の外れた......」

「あーもう!!細かい話はいいのよ!!とりあえず化け物はここには入って来ないのね!?」

「あ...う、うん。通路に出ない限り、床に毛髪が敷かれてある以上の干渉は、向こうからはしてこないはずだよ」


 少女は、私の話に割り込んで確認を行う。

 その行動に意表を突かれてしまい、言い淀みながらも私は対応に移る。

 しかし、告げた言葉をどう受けとったのだろうか。

 なぜか彼女は、再び毛髪だらけの床へ座り込むと...。



「トレンディ。わたし寝るわ」



━━━━衝撃の言葉を放った。



「寝る...??━━━待つんだクロガネ。疲労で眠くなったのは理解できる。だけど、いま寝てしまえば直ぐにでも悪夢に飲まれて......」

「ええ。悪夢を見ようと思うのよ」



「━━━━さては好奇心に負けてしまったのかい?」



 疲労や一日の情報量を蓄え過ぎて眠くなるのは、人間の正しい在り方だ。

 生理現象に抗えないことも、よく理解できる。

 それに、夢魔に植え付けられた悪夢の種は睡魔を呼び寄せる。

 だから眠くなったのも、すごくよく理解できる。

 だけど...。



━━━━━なぜ彼女は積極的かつ、ここまで自主的なんだろうか。



「好奇心は...なくないけど。違うのよ。━━━━━よしょっ...」


 好奇心に駆られて...という事ではないようだが。

 うん。興味心はあるらしい。


 少女は、寝床を整えるように周囲の毛髪を寄せ集め。

 私の言葉へ適当に返事を返すと、瞬く間に簡易的なベッドを作り上げた。


「我ながらいい出来ね。ちょっとゴワゴワするのが気になるけど...。この夢魔ってば、ちゃんと髪の手入れはしてるの?毛先も傷んでるし...」


 それは、まるで飼い犬の背中を撫でるような手つきだった。


 ワサワサと毛髪のベッドを触って、少女は毛並みを吟味(ぎんみ)している...。

 いや、それよりも......。

 先程の件は、本気なのだろうか...。


「本当に寝るつもりなのかい?」


 今度はペシペシと、これから身を預ける布団の反発性を確かめている少女へ問いかけるが...。


「寝るわよ」


 間髪入れずに、至極当然と言わんばかりの返答が返ってきたので、私は困り果ててしまう。



━━━━どうやら、この少女。ここで本当に英気を養うつもりらしい。



 逆に英気を吸い取られてしまいそうな場所だというのにね...。


「君が眠りたいと睡眠を欲しているのは、恐らく悪夢の種によるものだ。もし睡魔に負けて眠ってしまったら君は悪夢に陥り、そこから夢魔が発生する。助けることは.....」

「助けなくていいのよ。悪夢から夢魔が出てくるなら、そこから夢魔じゃなくてわたしが出ればいいんだから」

「難しくな............うん?━━━━━何を...言っているんだい...?」



「だから、ここから生身で出られないんだったら。悪夢から出てくる夢魔の代わりにわたしが出ていけば、すり抜けて出られるってことよ」



 聞き取れなかったと思われてしまったのだろう。

 もう一度彼女は、聞こえやすい声量で丁寧に説明をしてくれる。

 しかし、聞き取れるかどうかの問題ではないのだ。

 なので、あえてこちらも。

 もう一度だけ、同じことを言わせてもらおう。



「━━━━クロガネ...。本当に何を言っているんだい???」



 彼女が言いたいことを分かろうと努力してみる。

 だが、正直...。


 ━━━━━意味が不明すぎる話だった。


 けれど、理解に苦しむ理論を無理やり通そうとしている事だけは容易に分かるが...。

 注釈し、要約するならこういう意味でいいのだろうか?


「ええと…つまり…。わざと君は悪夢を見て、夢魔としてこの場所から脱出しようと...。そう言っているのかい??」


「あら、わかってるじゃないトレンディ。そうよ?脱出したら助け呼んで戻ってくるから。アナタはここで、この子たちと...あの子たちと一緒にお留守番ね」


 誘拐された少女達と、通路に蔓延る夢魔を交互に指さす少女。

 そして、ふかーっと大きな欠伸(あくび)を一つ。



「━━━━━じゃ、寝るわ」



「待ってくれ!?」


 パーカーに付いたフードを深々と被り、ベッドに仰向けで横たわる。

 どうやら就寝の時間がやって来たらしい。

 けれども、二つ返事で彼女をこのまま寝かせるわけにはいかない。


「もーう...。なによ?心配しなくても、ちゃんと助けに来てあげるから」

「待ってくれ、そういう話じゃないんだ。君が自分から状況を打破する可能性を見つけてくれたことには感謝してるよ。でも、あまりにそれは危険な賭けに思える。第一、成功できるなんて保証は...」

「出来るわよ。だって前も何とかなったんだし、今回も超えるわ」

「前...??超えるって、いったい何をだい?」

「決まってるじゃない...」


 少女は、仰向けの姿勢から少し横に身体を倒すと、私に向き合う。

 そして、こう言ったのだ。


「ここで自分の限界を超えて、覚醒するのよ」


 真剣な眼差しで語る少女。

 瞳の奥に灯る熱は、やはり強く穏やかに()いでいた。

 彼女は本気で。

 心から、そう信じて発言をしている。

 疑う私とは対象的なまでの、確信。

 確固たる経験から算出された上での、疑いようのない自信が彼女の瞳には在った。

 けれど、現実としては...。


「申し訳ないけど、私には夢のような言葉にしか聞こえてこない...。仮にそれが上手くいったと仮定しても、君が悪夢から戻れるかどうかも怪しいんだ。そんな危ない橋を渡らせるわけには......」

「じゃあ、保険を残していくのよ」

「ほ、保険...?」


 寝そべった少女は、片手を横に突き出すと。


 『とりあえず一個ね』...などと言い。

 手のひらから、球体状の透明な泡のようなものを創り出した。


 大きさにして20cm程度の透き通った球体。


 球の内部では、凝縮された空気の流れだろうか...?

 渦巻く気流のように、風が(せわ)しなく気泡内を駆け巡っている。


「これは...。君の神の加護(ブレス)なのかい?」

「そうよ。もしもの時は、それ使って何とかして。空気の塊みたいなものだから、熱とは相性いいんじゃない?ふわぁあ……」


 確かに、これに熱を注入すれば使いようによっては空気の爆弾にもなるだろう。

 しかしそれでも...。


「それじゃあ、コレはここに置いとくから。わたしは寝ぇ...」

「クロガネ、寝てはいけない!寝てしまえば後悔する!」

「うぅん、もぉー!!まだ不安なの!?雪山じゃないんだから、寝ても死なないわよ!!」


 空気の球を、毛髪で出来た枕の横へと無造作に置いて(まぶた)を閉じる彼女。

 その仕草を見て、私は声を張り上げて制止する。


「この悪夢は眠らなければ効力を得ない。だから頼む。まだ寝ないでくれ!」

「修学旅行で眠れない同級生みたいな発言やめてよ!?」


 悪夢の種は宿主の情報量を養分に成長するが、眠らなければ悪夢の芽は花を咲かすことはない。

 けれど睡魔に敗れ、夢に落ちてしまえば。

 夢魔が誕生の喜びと共に、悪夢の花を開花させてしまう。


「君は命を落とさないと思っているのかもしれないけれど、それは間違いだ!この悪夢が原因で何人もの尊い命の灯火が、儚くも消え散っていったことを私は知っている。だからこそ。たかが悪夢と、(ないがし)ろには出来ない!」


 あの男に吹き消された生命の炎。


 炎消え去る(あか)りなき燭台(しょくだい)に、再び火が(とも)ることはない。


 それを知っているから止める。

 今まで見てきているから止めたい。

 止めることが出来なかったから、私は強く訴えた。


 だからどうか...。

 どうか、今は耐えてくれ......。


 大人げなく取り乱した。

 そんな必死に引き止める私に、彼女は溜息を零して告げる。


「まったく...。大丈夫って言ってるでしょ?わたし主人公なんですけど?異世界転移物の主役なんですけどー?悪夢くらい、楽しい夢に変えてあげるわよ」

「楽しい......夢?」


 異世界や主人公などという、小説の設定らしき話は理解できない。

 けれどその、底抜けのない自信は...。

 言葉の節々にも感じられる自信に満ちた声は...。

 一体どこからやってくるのだろう。


「どうして...。どうして君は、そこまで自信を持てるんだい...?君は死んでしまうかもしれないんだよ?」


 疑問を口にする。

 思っていた感情と、心で巡らせた思慮(しりょ)を吐露する。

 その言葉に。

 少女は、『当然でしょ...?』という顔で......。


大丈夫(でいじょぶ)よ。死者蘇生(デッドイーター)で生き(けぇ)れるもの!」


「━━━━━━━━。」


 夢のような言葉を。

 堂々と、自信満々に言い放ったのだ。


「生き返るって...。そんなことが可能...なのかい?」


 死者を生き返らせるなんて本当に出来るのだろうか。

 実際そういう神の加護(ブレス)が存在しているとしても、全く有り得ない話ではない。

 しかし、それが本当だとするなら...。

 その保持者は、神の偉業とも呼べる奇跡。

 禁忌にも等しい神秘を心に隠し、日々を送っているということだ。

 そんなものを抱えて、周りの者と同じように生きる。

 それは、とても生きづらいはずに違いない。

 命の重さの感覚に、ズレを来たさないはずなんてないのだから...。


 彼女へ、私は内心疑いつつも尋ねる。

 そんな中、微笑みながら返答の言葉は告げられた。


「友達にいるのよ。医者いらずな、すごい男の子が」

「その子に助けを求めに行く...つもりなのかい?」

「そゆこと」


 確かに人の蘇生を容易に行えるなら、医者にかかることすらないのかもしれない。

 けれどそれが、神の加護(ブレス)なんだとしたら...。


━━━━━リターンからもたらされる反動は、計り知れないはず…。


「わたしがルシェを連れてくるから大丈夫だとは思うけど。もしも何かあったら困るから、もう一つの保険として、トレンディに名前を伝えておくのよ」

「そのルシェ...という人物のかい?」

「そう、ルシェの......。えっ!?なんで知ってるの!?ルシェと面識あったの!?」


 どうも、自分で名前を言ったことを自覚していないようだ。


 発想力は奇抜で度肝を抜かれたが、本人はド天然。

 危険な状態でも自然体。

 素で、この様子なら...。


━━━━うん。君はやっぱり大物だよクロガネ。


「面識はないけど、何となくね。一応、フルネームで聞いてもいいかい?」

「ええ、いいのよ。名前は、ルシェード・ニクロフ。少し茶髪で背はトレンディの頭一つ分くらい低めね」


 毛髪ベッドから起き上がり。

 背伸びをして『このくらいっ!』と、私の首辺りを指し示す。

 身振り手振りで、その者の背丈具合を表現する姿には思わず微笑みが漏れる。


「うん。詳細な特徴を伝えてくれてありがとう、助かるよ」


 それは素直な感想だった。

 特別変わったところもない、いたって普通の感謝の返答を伝えたとは思う。

 なのに、彼女の視線が少しおかしく感じた。


「━━━━━もしかして、ようやく観念したの?急に引き止めなくなったけど」


 私に視線を注ぐ生暖かい目。

 表情をニマニマとさせているのは、私が折れたことに対するものだろう。


「観念したといえば、そうなるね。だけど、説得を諦めたからじゃないよ」

「じゃあ、なによ?」

「君を信じてみることにしたんだ、クロガネ」


 トロンと下がってきている、眠たげな瞼。

 重く降りていたその幕が、私の言葉に少しだけ持ち上がる。

 それは彼女の心に僅かな変化があったことを示す仕草。

 良い方、または悪い方。

 どんな心境に色を変えたのかは、当然彼女にしか知り得ない。


 それでも私は彼女に伝えたい。


 愚行でも、非常識でも構わない。

 どれだけ後で、周りから非難されても構わない。


 彼女の意思を尊重し、応えること。


 これが闇に塞がれて先の見えない、未来を切り開く可能性になるのなら...。


━━━━━私は全力で彼女をサポートしよう。


 悪夢の連鎖を止め得る希望。

 この少女に、期待とは違う大きな何かを。

 私は無性に感じていた。


「君は今から危ないことをしようとしているし、止めたい気持ちは勿論ある。それでも、君が出来ると言っているなら。私はクロガネと君の友人を信じてみるよ。これが君へ贈る、私からの誠意だとでも思ってくれたら嬉しい」


 市民を危険から遠ざけ、身を呈して守る。


 都市を統括し、責任を受け持つ立場の側なら、これが模範解答だ。

 だけど私は市長でもなければ、権力者でもない。

 それなら、一人の隣人として彼女の意見を聞き。

 一人の新しき友として、同じ目線で考えに寄り添うこと。

 これが、今の私が提出できる答案回答だった。


「アナタ......ふふっ!気に入ったのよ!!━━━━━ふふーん、実は作戦を考えてたの。わたしが眠った後のね?」


 少女は上体を起こして、上機嫌に語った。


「作戦...かい?君が友人を連れてくることに変更は?」

「ないわ!眠って夢魔を使ってルシェを呼ぶ。その後はトレンディ!アナタの番よ!」

「私の番...?あらかじめ言っておくけど熱は出せないよ。酸欠状態に彼女達も巻き込むからね」


 酸素量の関係上、これ以上の熱を使っての発火は危険すぎる。

 それを踏まえても......。


「酸素があれば問題ないのね?」


 ちょうど私の考えていた言葉を、彼女は発する。


「う、うん。酸素が十分にあって換気も出来る状態なら...」

「可能なのね!」


 またもや私の言葉に被せるようにして口を開いた彼女。

 結論としては酸素が十分確保できていれば可能だが、地上と繋がる扉は押し寄せている夢魔の先。

 そこを開放すること自体が、前提としては困難ではある。

 しかし...。


「うん。問題ないよ」


 理論上は可能だ。

 前提条件が厳しめなのが難易度を飛躍的に上げてしまっているが、酸素があれば行使は問題なくできる。

 もし扉の重さで締まりさえしなければ、入口の扉を常に開放しておきたかったが...。


「それなら何とかなるのよ!!」


 彼女が言うには、何とかなるらしい。


 だったら、彼女を信じて頼らせてもらおう。


「うん。わかった。何とかなるなら頼んだよ、クロガネ」

「任せなさい!アナタは、わたしの身体と女の子たちを守ってあげて!」

「うん。心得たよ」


 親指を立てて満足そうに彼女は頷くと、毛髪布団に身を預けて瞳を閉じる。


「トレンディ?」


 けれど、ぽつりと一言...。

 視界に蓋をした少女は、姿勢をそのままに。


「もしルシェがアナタを怪しんできたら、こう言いなさいな...」


 チラッと片目を開けて告げる。



「わたしを殺したのは自分だってね?」



「━━━━━━余計に怪しまれるんじゃないかな。それ......」



 怪しむ相手にかける言葉として、普通なら絶対に選ばないチョイス。

 そんな言葉を発しようものなら、怒りを買わない訳が無い。


 私なら、初対面の人物から『私はお前の友人を殺した』なんて言われれば、平静でいられるか自信はない。


「ルシェの性格上、過保護だからトレンディを疑いにかかると思うのよ。わたしがいないのに、わたしを話に出すんなら尚更ね?」

「過保護な友人だったら、その発言は爆弾にしかならないと思うよ...」


 私が案じている彼女の言動への心配をよそに。

 『チッチッチッ...』と舌を鳴らしながら、寝ている身体の上で指を振る少女。


「それが逆なのよ~。ルシェには効果バツグンなのよ~。騙されたと思って試してみなさいな?」

「う、うん...。君の友人だからね。その人物像をよく知っている君が言ってるんだ。きっと正しいんだろうね…。わかったよ。それで行こう」


 『それでいいのよ~』と、微睡(まどろ)む声で応えると。

 彼女は就寝の挨拶もなく。

 すぅすぅ寝息を立て始め、眠りに落ちた。


━━━━さて、ここからは彼女の戦いだ。


 内に潜む、悪夢の根源に向き合う孤独な戦い。

 外部からは見守ることしか出来ない。

 彼女曰く。

 身体から出てくる夢魔を押しのけ、代わりに自身が夢魔の作った抜け穴から出てくるというデタラメにも思える発想。

 誰の介入も無しに、そんな前代未聞のことを成そうとしている。


 私は少女を信じると決めた。


 だから理論で判断するのではなく、彼女の可能性を信じて送り出した。

 やり遂げるだけのポテンシャルを、その小さな身体に秘めていると信じて...。


 眠ってしまった彼女には届かないだろうが、私は一言。


「おやすみクロガネ。君の健闘を祈るよ」


 時折呼吸が止まる、無呼吸症候群気味な少女へ。

 心ばかりの激励を送ったのだった。



◆◆◆



 少女が眠りに落ちて、小一時間ほど。

 寝つき直後は、寝息も安らかに気持ち良さげな様子だった。

 だが、時間を経る毎に苦しそうに顔を歪め始め...。


━━━━やがてその時は、やって来た。


「━━━━出て、きたか...」


 彼女の傍らから、ドロリとゲル状の透明な物体が這い出てくる。


 コポコポと弾ける泡のような音。

 小刻みに振動を繰り返し、形態を変容させるその体躯(たいく)

 見る者が見れば、厄介な生物(スライム)に出くわしたとでも思うだろう。

 しかしこれについては、あのスライムの方が何倍も取り扱いやすい。


 本体から分離する物体。

 これは夢から生まれる、カタチを手に入れた()()


「クロガネが意識を.....。これは......うん…。()()()……」


━━━━かくして、ここに夢魔は生誕した。


 彼女は負けてしまった。

 内なる夢魔との居場所を賭けた争いに…。


 意識を失い、ぐったりと倒れている少女。

 状況としては、寝ているというより、倒れているという表現の方が適していた。


「君は頑張った。それでも、頑張っても夢魔には勝てなかった。負けたことを責めないでいい。悪いのは君じゃない。あの男だ......」


 それは独り言。


 聞き手のいない呟き。

 あくまでも、個人の意見。

 だが、この状況の全てを作り出した元凶への追及は止めない。


━━━━トネリ・ランス。


 あの男だけは決して野放しにしてはいけない。

 その時、改めて私は理解させられた。


「このままでは、私も夢魔に呑まれる。ならば、強引にでも...」


 睡魔が手招く。

 深淵へ、深層へ。

 意識を微睡(まどろ)みの揺籃(ようらん)へ。


 確実に私を内部から侵していく。


 眠りに落れば辿る道は同じ。

 そうなれば、ここで皆揃って悪夢に入り浸り。

 あの男のエサになるだけだ。


 だったら、少女から託された空気の球を使って通路を一時的にこじ開け。

 抱えられるだけ抱えて、人命救助を優先するしか方法はない。


 翌朝には、()()が救援に来てくれると信じたいが...。



「ルールー!」



「━━━━━━うん?」


 睡魔に蝕まれる脳内に、耳から一つの声が流れ込む。


「今のは......」


 声が聞こえたのは、横たわる少女......の傍ら。

 ゲル状の夢魔がカラダの構築をしていた場所からだった。


「━━━━君は......夢魔、なのかい?」


 構築を終えて、夢のカタチを具現化させた夢魔。

 だが、その容姿は他の夢魔とは少し違った。

 印象と状態を含めて、童話風に言うなら。


 青白い星の精霊...という言葉が適当だろうか。


 黒く禍々しい瘴気を帯びているわけでもなく。

 恐怖を感じさせる形状でもない。


 その夢魔からは、悪夢に由来する畏怖対象の要素を微塵も感じ取れなかった。


「ルールー!!」


 夢魔であるのかという問いには、目の前の様子から答えてくれているようだ。

 しかし、言語齟齬(そご)により内容が理解できない。


 意思の疎通は上手くいかないが、向こうは友好的な姿勢。

 これが夢魔なら、コミュニケーションすらままならないはず。

 それならまさか......。



「君は......クロガネ……なのかい?」



 思い切った質問。

 これに対してどのような反応を示すのかで、分かることも......。


「ルゥール~♪」



━━━━━━━うん。分かりやすく、めちゃくちゃ機嫌良くなったよ。



「クロガネ!?クロガネなのかい!?」

「ルールーゥ~♪」


 名前に反応を示したことで、私の中で一気にある説が浮上してきた。


━━━━クロガネは、本当に成し遂げてしまったのではないかという説が...。


「私の言葉は分かってるみたいだね。ただ...。申し訳ないが、今のクロガネが話している言語が私には分からないんだ」

「ルゥール~?」


 精霊のような見た目の生物。

 もうそれを、私はクロガネとして扱ってしまっていた。

 ふらふわと浮き沈みを行い、少ない言葉と小さな体で感情を表現する。

 このような行動を取れているだけでも、知能は存在しているという証明になる。

 つまりクロガネは、言語を欠落させてはしまったが、知能を失わずに自身の人格を残したまま夢魔として出てきたという話になる。


 信じがたい…。いや、本当に信じがたいことなのだが…。


「言葉は分からなくても、クロガネがそこにいるのは分かったよ。頑張ったね、クロガ...」

「ルゥールー!!」

「あっ、ああ、すまない。これからが本番だったね。この言葉をかけるのは全て終わってからだ」

「ルゥール~♪」


 まだこれから頑張るのだからと、彼女に怒られてしまった...。


 けれど、そんな反応が出来る以上。

 夢魔の代わりになる...という突拍子もなかった彼女の話。

 それが、クロガネの作戦通りになったわけだ。


「ルゥー!ルールーゥ~!!」


 短い手足をパタパタ上下に動かして、彼女は何かを伝えている。

 出発する前の声がけ...かな?


「行くのかい?」

「ルゥール~♪」


 読み取った内容が合っていたようで、ご機嫌な返答。

 言葉が通じなくても、何を言ってるのか案外理解が出来るかもしれない。

 まあ、フィーリングで対話するのには限界があるだろうけどね…?


「行くなら気をつけて。通路の夢魔達のこともあるけど、君は身体(ほんたい)から離れての行動になるから今の君の身に何が起こるかは分からない。それに、こっちの君の安全は私が守るけど、その夢魔(からだ)のクロガネを守ることは出来ない。自身の安全は自分で確保するんだ。いいね?」

「ルゥ...。ルゥールー」

「うん。やや不貞腐れ気味なのが気がかりだけど、大丈夫そうだね」


 歯切れ悪そうな口ごもり方での対応。

 姿が変わっても少女はブレない。

 そして、自由気ままな行動力も...。


「ルールールゥ~♪」

「うん。行ってらっしゃい」


 最後に告げたのは『行ってくる~』という意味で合っていただろうか?


 少女は別れの言葉を残すと。

 ふわふわと漂いながら、通路に詰まった夢魔の中をスイスイ進み。

 あっという間に、その小さな姿は見えなくなった。


━━━━━容姿を変え、行動を開始したクロガネ。


 けれど私は、ここで待つことしか出来ない。

 もどかしさはあれど、彼女の帰りを待つことも必要な行動。

 容易ではないとしても、耐えることが今の私の仕事だった。


 ふぅっと深く…。

 自身の気持ちを奮い立たせるべく、深呼吸で一度落ち着く。


 なにぶん、私は寝つきの早い方だ。

 ベッドに入れば数分もかからずに就寝する。


「こういう戦いは得意じゃないんだけどね…」


 彼女のように抗うことなく、できることなら身を委ねてしまいたい。

 が、そういうわけにはいかない。


「ロベルトに眠気覚ましのツボでも教えてもらっておくんだったよ」


 宿主の限界を待ち望む夢魔達。

 通路で見張る彼らを眺めつつ、少女の傍にそっと座り込むと。


 私は終わりの見えない耐久戦に身を投じたのだった。



◆◆◆



「━━━━━━━━。」


 どれだけ時間が経過し、今は何時なのだろうか。


 彼らとの睨み合いにも、そろそろ飽きてきた。

 眉間を指で押さえてみるが肝心のリフレッシュ効果は望めない。

 落ちかける意識と、重たく下がる瞼を辛うじて気合いで食い止める。


 何となく隣の少女に視線を移すが、変わらずそこには意識は戻ってきていない。


「そういえば室内の熱が下がっているね…。もう夜…いや、夜明けかな…?」


 少し前なのか、かなり前なのかすらも覚えていないが。

 この場所の熱。

 つまり気温が、僅かに下がっていた。


 ここの気温に変化が見られたのなら、上層部である外の気温が低下していることでもある。

 地下なので、あまり影響は受けないとしても大気の熱は少なからず減少している。

 ならば、地上は夜の帳が降りている頃合いだろう。


 夜が訪れたということなら、きっと朝には()()が捜索に動く。

 ()()が来てくれれば、被害者の少女達を地上へ連れ出すことも可能であり。

 少女らが夢魔の発生源という事実は変わらないが、保護は行える。

 だが今は…。


 それより友人(かのじょ)の安否が気になった。


「クロガネ…」


 探し人は見つかったのだろうか。

 連れてくることは出来ているのだろうか。


 信じると決めた以上、私は少女の帰りを待つだけだ。


 しかし身を案じ、不安に陥ってしまう。


 あの姿。あの声で。

 その探し人は少女を自分の友だと認識できるのだろうか。

 もし、突き放されてしまっていたら……。

 

「━━━━うん?」


 眠気を紛らわすように考えを巡らせていると。

 静止した石像のごとく佇む、通路の夢魔達に動きがあった。


 様子としては、どこか落ち着きがないというか。

 そわそわと後方を気に掛ける動きをとっているような…。


「誰か……来ている?」


 新たなる訪問者。

 来たる来客を先んじて感じ取った悪夢の獣は、後方に意識を割かれ始めていた。


 やって来るのは例の探し人なのか、それとも……。


 距離が離れすぎていて、熱の感知は利かない。

 誰で、何を目的にやって来るのかも分からない。


 だけど、この地下へ降りてくるのなら。

 目的地が地下にあるのなら。

 必ず行わなければならない手順がある。


「━━━━実にありがたい。いい眠気覚ましになるよ…」


 傍らの少女に微笑み一瞥すると、私は腰を上げる。


 瞼は変わらず重たい。

 飛びそうになる意識を必死で捕まえる。

 ふらつく足に力を入れて、床を踏みしめる。


「外の気温は低め。ここは地上よりも下層。うん、アレで行こう」


 夢魔が密集する通路に。

 気だるげな倦怠感伴う腕を持ち上げて、手をかざす。


 タイミングは逃せない。


 用意された天然のギミック。

 その一瞬を。

 その絶好の機会を見送り。

 混ざり切ってしまえば、全て台無しだ。


 ゆえに全神経を熱感知に回す。


 僅かな揺らぎ。

 微小の変動。

 些細な乱れにも気を抜けない。


 たった一点の突破口。


 そこに全てを賭ける。


「━━━━。」


 瞬きも出来ない程の緊張感。

 身体を押し付けるようなプレッシャーが圧力をかけてくる。


 これを逃せば、やってくる者達をも巻き込んでしまう。

 最悪、夢魔に狩られてしまうことも予想される。

 これ以上は犠牲者を。


 被害者を増やすわけには……いかない。


「あの男は私が止める」


 思考から漏れ出る声に夢魔が反応した。

 しかし…。


━━━━彼らは振り向くことができなかった。



「リリース!!」



 静寂を切り裂き、地下に響いた声。

 その声を向けた対象は、悪夢の獣達ではない。


 この地下全体に向けて。

 私を起点とする全方位に向けて放った解放宣言。


 気温が揺らいだ刹那。

 私は熱をこのエリアに付与した。


 その行為が生んだものは…。



「君達、外の世界(ちじょう)に興味はないかい?」



━━━━━荒れ狂う大気は聞き手を彼方へと突き放す。



 背を押し、悪意ある夢を追放し、それは駆け抜ける。

 方向性は私の見つめる先へ。

 一方向へ吸い込まれるようにして、突風が巻き起こった。


 通路に居座っていた夢魔達は、部屋と反対方向へ次々と吹き飛んでいく。

 風の流れに抗う個体も、この強風の前では成す術もなく流される。


 まあ、かくいう私も飛ばされているんだけどね?


「うん、成功だ。だけど、私まで飛ばされることは考えていなかったなあ」


 空気の冷えた場所へ、暖かい空気が昇る現象。

 高低差のある地下から地上へと気流が発生するこの現象。

 これを、私は狙っていた。



━━━━そう、()()()()だ。



 付与したのは地下の空気に対して。


 私の干渉した熱は、対象外には適用されない。

 だから火傷を負うこともないけれど…。

 自分も流されることまでは、作戦に入れてなかった。


 誘拐された少女らは、壁に毛髪で固定されているから大丈夫だとして。

 クロガネは……。



「━━━━あぁ、うん。寝相悪くて、毛髪のベッドに足絡まってたね」



 私だけが飛ばされているところを見ると、上手く毛髪に絡まっていたおかげで彼女は難を逃れたみたいだ。

 寝相の悪さがプラスに働くとは…。


━━━━やっぱり大物だね、クロガネは。


 入口へと向かっていく気流。

 これに身を任せ、私は次の準備を行う。


「次は…これかな」


 取り出したのは少女から託された空気の球。

 空気の塊のような見た目で、持ち運びができることには驚いたが、活用のタイミングとしてはここだろう。


 地下から排出された悪夢の腫瘍(しゅよう)は現在、倉庫内に充満しているはず。

 だったら綺麗に一掃する良い機会だ。


 完全消滅させても一時的にという限定条件付きだろうけど、それだけの余裕があれば十分。

 地下で待つ彼女達を、万全の態勢で助けに戻ることができる。


「うん。久しぶりに感じる外の空気だ」


 地上へ繋がる扉から外の光が差し込む。

 ここのジメジメとした空気に慣れていた分、新鮮な空気の供給で少しばかり気分が晴れたことで。

 深い眠りに引き込もうと(たばか)っていた睡魔が、抑制されていく感覚があった。


 見たところ上昇気流に押し流された夢魔達は、一匹も残らず地下から排出されたようだ。

 私が最後尾だったので、おそらく間違いない。


 だったら、この辺りで戻しておこう。


「シャウト」


 付与された熱を奪われた空気は、元の気温へと戻る。

 それに伴い、吹き荒れていた気流も自然消滅に至った。


「うん、地に足ついた感覚の方が落ち着くよ。急なカーブで曲がれる自信もなかったからね」


 すっと、床に着地した私は地上へ架かる梯子(はしご)を上り始めた。


 そのまま気流に乗って上昇しても良かったが。

 壁にぶつからずに器用に扉から出ていけるほど、私の身体は夢魔達のように柔軟な体の造りにできていない。

 そもそも彼らは、その気になれば物質を通り抜けられるだろうからね。

 冷静な判断をされる前に、上手く実行できて本当に良かった。


「さて。ところで、一体誰が扉を開けてくれたのか」


 この状況を作りだしてくれた者達。

 誰であれ、きっかけを生んでくれたことには感謝したい。


 だがしかし、地上が近づくと、誰かの口論声が聞こえてきた。


 一人は男性、もう一人は女性…。

 何やら穏やかな雰囲気ではなさそうだ。


 梯子を登り切り、地上へと帰ってきた私の目の前には背を向けた二人の男女。

 どちらも顔を頭上へ向けて、呆然として固まっている。


 彼らが見上げているのは、蜂の巣のように複数の大きな穴が開いた場所。

 夢魔達に突き破られてなのか、開放的になっているコンテナの上部だった。

 そこには、穴から倉庫内の天井が覗いている。


 一方、女性の足元に付き添うのは一匹の黒い犬。


 その中型犬は、私に警戒心を持って視線を留めている。

 そしてランタンを咥えたその犬の背には…。


 私の知った姿があった。



━━━━うん。そうか、君達なんだね。



「俺たち、本当に夢でも見てるんじゃないだろうな…。」


 男性は唖然とした表情で、天を見上げて呟く。


 彼は、なかなか察しがいい。

 その者の本質を見抜く、鋭い目をこれまで養ってきたんだろう。

 例の人物が彼なら、節度を持った力の扱いも行えるはず。


 なるほど。彼女の友人も大物かもしれない。


「━━━━うん。幽霊でも魔物でもない。君達の言う通り、これは…悪い夢だよ」


 私は彼への返答として言葉を紡いだ。


 突然背後から声をかけられた男性は、驚きの声を漏らして振り返る。

 隣にいた女性も同じく……うん?

 もしかして、彼女はフリューゲル嬢…かい?


 女性の姿には見覚えがあった。

 確か有名な家柄の…。

 いや、まずはあれを片付けよう。


 旋回し、宙に浮かぶ無数の夢魔。

 私は頭上の穴から彼らへ向けて。

 熱を灯した掌から少女の空気球を撃ちだして、告げる。



「リリース」




ズギュ―――――――――――ン…!!!



 言葉と共に爆音が倉庫内に轟く。


 威力は、想像以上にすさまじかった。

 私の能力がではない。

 少女の能力が桁違いの破壊力を内包していたのだ。


 その絶大な損傷もたらす爆発に巻き込まれた夢魔は、溶けるように消失し夢に還っていく。

 いくら悪夢から生まれた実体持たざる獣だとしても、これにはひとたまりもないはず。

 再生成までには、それ相応の時間を有することになるだろう。


 クロガネが戦闘をする姿を実際に見たことはないが、これだけの能力なのだ。

 彼女自身も言っていたように、実力者なのは間違いない。


 そして、少女の友人である彼も…。


「━━━━━━━━。」


 夢魔達が爆散した上空を見上げていた男性は、視線を降ろすと私に向き直る。


 初対面がこんな衝撃的な状況だと、きっと混乱するはずだ。

 うん。私なら、間違いなく混乱するからね。


━━━━ここは出来るだけ明るく行こうかな。


「やあ、こんにちは。……いや、こんばんは?…あぁ、暗いけどもう朝なのかな?」


 手を上げ、気さくな雰囲気を纏わせて私は挨拶をする。


「おはよう。君達が彼女の言っていた友達だね」


 そこの犬の背に、夢魔となったクロガネがいるのだ。

 きっと彼らも、状況を(おおむ)ね把握している。

 だったら、こちらから話を進めていっても問題ないだろう。


 すると男性に話を振った私に、さっそく彼から言葉が返って来る。


「━━━━トゥエルノ・ランス…。」


 彼の表情は警戒心で満たされていた。


 瞳に灯った熱も激しく波を立てている。

 端的に言えば、疑念の目を向けられていた。


「うん。その様子なら自己紹介は必要ないらしい。それなら今回は省かせてもらうよ。……うん?」


 彼に怪しまれることは想定済みだった。

 しかし、フリューゲル嬢だけでなく彼の姿にも、どこか見覚えがあった。


「よく見たら……。君は確か、ファミリーレストランの火事現場で…」


 そう。あれは、ボヤ騒ぎで忙しくしていた日…。

 あの日、発火元とされるファミリーレストランの現場で出会った…。


「ルシェ―ド・二クロフです。その節はありがとうございました」


 青年は礼儀正しく頭を下げて感謝を述べる。


 まさか少女の友人が、あの日に火傷を負っていた彼だったとは…。

 あの場所で彼と縁ができたことは、もしかしたらこの時に繋がっていたのかもしれない。


「うん。やっぱりあの時の君だったんだね。喉も治っているようだし、良かったよ。あっ、一緒にいた彼も、その後は大丈夫そうかい?」


 青年と共に、火災現場にいた赤髪の男性………否。

 元々、名前も広く知られている有名な冒険者。


 ツェード・レイヴン。


 あの時の彼は、青年に肩を支えられて昏睡状態だった。

 単なる被害者であれば、それで良かったのだが…。


 現場証言の結果。

 火災を広げ誘発したとして、現在の彼の身柄は留置場にて預かり処分となっていた。

 なので経緯なども知っているが、火災現場での様子を見れば彼らは友人関係だったことは分かる。

 ここは探りを入れるようで悪いけど、あの燃える店内でなにが起きていたのか出来れば聞き出しておきたい。

 冒険者の彼とは直接面識もなければ、特別擁護をしようというつもりもない。

 けれど、彼の潔白を保証できる要素は少しでも集めておきたい。


━━━━━なんたって、心配をしている()()()がウチにもいるからね。


「あー、はい。きっと元気にやっているとは…思います。あ、すみません!今は急いでいて…」


 青年は上手くはぐらかす。

 やはり、あの中で何かあったと見るべきだ。

 情報を聞き出しておきたいが、先に彼らに伝えておこう。


 クロガネのことを…。


「それで、あなたにお尋ねしたいことが……」

「私も伝えなければならないこと。話さなければならないことが、君達にあるんだ」


 きっと、いま一番知りたい情報は彼女のことだろう。

 そのために彼らはここへ来た。

 夢魔となったクロガネに導かれて…。


「トゥエルノさんが…ですか?」


 フリューゲル嬢は、私を威嚇していた中型犬を(なだ)めながら問う。


「うん。そうなんだ、フリューゲル嬢」

「━━━━あたしのこと、知ってるんですね…」

「もちろん。シンフェミアの名のある家名だからね」


 シンフェミアでは、昔の貴族階級制度の名残りでいくつも大きな名家が今も存在している。

 その中の一つが、フリューゲル家。

 あまり人々が目に留めなかった魔物の飼育及び、対処術を広く大陸に広めて栄えた名家。


 フリューゲル嬢の曽祖父である『アルバ・フリューゲル』殿が出版した『魔物と歩む大陸記』シリーズは、魔物に向けられた考えを一新させられる内容であり、大ベストセラーにも輝いた。


 貴族としての振る舞いは、随分昔の貴族制度の廃止により無くなりはしたが。

 別の形で、財を成し。

 周囲から認められた家柄としては、当家は稀有な例だろう。


 しかし、約20年前にアルバ殿が亡くなって以降。

 フリューゲル家の名前が世に上がることは無くなった。


 現在も魔物の研究はしているようだが、それが世に発表されることもなくなっていた。


 アルバ殿の熱意と情熱。

 そして才能が、あまりにも大きすぎたのだ。


 フリューゲル家は自身の内部で越えられない壁を作り上げてしまい、やがて停滞に至った。


 曽祖父からの遺産と、過去に築き上げた栄光。

 それらの財ゆえに、名家として名を連ねているのが現在の実情。


 しかし時に、忘れられた名前…などと言う者達もいるが、当家の功績は計り知れないものだ。


 フリューゲル家が魔物の対処法を明らかにしていなければ、一体何人の冒険者達が今まで命を落としていただろう。

 これまで一体、どれだけの者達の危機を救ってきたのだろうか。


 存在は知っていても対処が分からない事柄というものは、この世にごまんとある。

 その対処法を一部でも知り得ていれば、人生を大きく変える結果にも転がる。


 知らないことは恥という言葉があるが、私はそうは思わない。


 すでに知っている知識は、己の救いになり。

 まだ知らない知識は、これから己を守る可能性の鍵となる。


 知識をつければ、それは武器となり、身を護る盾の役割もこなす。


 知らないことがあるということは、その分だけ自分を強化できる幅が用意されているということだ。


 授けられて助かる命。

 得たことで変えられる運命。


 自覚していない者達もいるだろうが。

 フリューゲル家の成したことは、間違いなくこの世界を根底から支えている。

 冒険者の中でも、この点に目を向けられる者は数少ないだろうけどね…。


「お互いに聞きたいことは色々とありそうですが…。まずは一つ、こちらからの質問に答えていただけないでしょうか?」

 

 思案していた私に青年から声がかかる。


「いいとも。なんでも聞いてよ」


 疑問を感じているのなら、先に相手の悩みを解消させる。

 それが出来て初めて、冷静に物事を判断できるというものだ。


 精神状態が不安定だと何も耳に入らないからね。


「ありがとうございます」


 青年は表情を曇らせたまま、丁寧に頭を下げた。


 すると、頭を上げるなり。

 瞳に怒りの熱を宿して、彼は冷静さを装った口調で語りだす。


「では、失礼して…。━━━━どうして、『クロガネ・レンカ』の能力をあなたが使えるのか……お聞かせ願えますか?」


 疑いを込めた問い。

 言葉の選択を一つでも誤れば、取り返しがつかなくなりかねない視線。

 上手く隠すことが出来ていないその感情に、完全な大人になり切れていない彼の若さを感じる。


 うん。最近の若い子は怖いね。

 どうやら彼は返答次第で、私を殺すことも(いと)わないようだ。


 怪しむ青年にありのままを伝えようと口を開きかけるが、その瞬間。

 少女の言葉が脳裏に浮かぶ。


━━━━━ここで言えと…。


 そう、君は言っているのかい?クロガネ…。


 未だに、この選択を本当に選んでいいのか迷っている。

 けれど彼女は、最後にそれを伝えて眠りに落ちた。

 他の発言も出来ただろうに、あえてそれを伝えて。

 満足そうに夢へと入ったのだ。

 ならば……。


━━━━うん、試してみよう。クロガネを信じて…。



「彼女を殺したのは私だ。神の加護(ブレス)を使えたのもそれが理由だよ」



 虚言を口に出した。

 さも本当に行ったように、在りもしない事実を淡々と私は語る。


「━━━━えっ…?い、今のは…聞き間違いですか?その言い方だとあなたが……」


 話の内容に困惑を見せる青年。

 私もこの発言の真意を理解していないので、この先の展開は読めていない。

 果たしてここで止めていいものなのか。

 それとも、もう一度言った方がいいのか…。


 なんとも悩みどころだが、クロガネも大事なことを強調させるように続けて二回話す部分(クセ)があった。

 それに(なら)って私も。

 もう一度、大事なことなので言っておこう。



()()()()()()()()。殺したから使えたんだ。━━━━だから君達を待っていたんだよ。二クロフ君」



 私の発言に青年の表情が硬直する。

 彼女が言うには、これで彼が納得してくれるという話だったが…。


「!?」


 それは吹き消される直前の、蝋燭(ろうそく)の火のような一瞬の揺らぎ。

 熱が分散し、空気中に溶けていく炎を思い起こさせる中で。

 ふっと、青年の姿が消えた。


 なにも目を離した訳でも、瞬きを長く行った結果でもない。

 青年が居た場所。

 そこから忽然と、彼はいなくなった。


 周囲に目を配るが、彼の熱は感じない。

 フリューゲル嬢の方を見ても彼の姿は……。


 (━━━━いや、違う……!)


 その時、熱感知に反応があった。

 場所は…。


━━━━私の真上。


「━━━━!?」


 コンテナの上壁に空いた穴。

 そこにぶら下がっていた青年は、私が頭上へ顔を移動させると…。


 またもや、ふっと姿を眩ませた。


 闇に溶け込む姿。

 その身のこなしは暗殺者(シーフ)を思わせる。


 間違いない。

 彼は、私を殺すつもりだ。


 クロガネの言っていたことが誤りだったのかは不明だ。

 だけど、ここは一旦彼を話の場に引き戻す必要がある。

 そうするには…。


 (うん。手荒な真似になるけど許してくれ…)


「━━━━。」


 闇に乗じて彼は移動していた。


 すでに私の背後に回ったであろう青年は、限りなく音を遮断し。

 私の頭を挟む形で、死をもたらす両腕を伸ばそうとしている。

 もちろんそれは私には見えないし、憶測だ。

 だけど、目には見えなくても…。



━━━━熱は伝わって来るからね。



「シャウト」


「!?」


 降ろした掌から、背後の青年へ向けて言葉を放つ。


 そしてこれは、熱の付与ではない。

 対象から熱を奪う能力。

 私は、彼の身体から…。


━━━━熱を数パーセントだけ奪った。


「意識が朦朧(もうろう)としてきたかい?」


 背後でバタッと重く倒れる音を聞き、私はゆっくり振り返り問いかける。


「人は体温を数℃下回るだけで体に不調を来たす。意識障害や身体の痺れ、最悪の場合は死に至ることもある。凍土で起こりやすい低体温症ってやつだね」


 爬虫類のように気温と共に体温を変動させることは、人間にはできない。

 私達にとって温度変化は死に直結しやすい、最も身近な現象であり。

 中でも体温の低下は非常に危険だ。


 体温の上昇も危険ではあるが、数℃上がる程度なら発熱や倦怠感等で済む。

 しかし、体温の低下は数℃で命が脅かされる危険性が出てくる。


 たとえば、雪山での遭難がよく聞く話だろう。


 寒冷な環境におかれた者が、長時間の滞在で身体の内部から冷やされ。

 体温調節が効かず、身体機能は低下。

 やがて、昏睡状態に陥り。

 結果、心臓は活動を停止し死を招いてしまう。


 普通に健康で身体に負荷をかけない生活をしていれば、ほとんどの人は縁も所縁(ゆかり)もない症状。

 だからこそ、その身に起こってしまえばパニックを起こす者が大多数だ。


━━━━だって、一度も経験したことのない感覚だろうからね。


「少しは頭が冷えたかい?」


 身体を痙攣させる青年に尋ねて、戦闘の意思を確認する。

 彼はそれでも睨んだ視線を私に送ると、私の背後へ視線を移らせて呟いた。


「やめろスティア」


 青年が見つめる視線の先には、ランタンを咥えた黒い中型犬。

 そして、犬をけしかける寸前のフリューゲル嬢へと彼の鋭い視線は向けられていた。


 彼女の家系と、その構えた様子から。

 あの犬は、普通の犬ではなく魔犬の(たぐ)いなのだろう。


「先輩!その人はクロを殺したって言ったんです!!いくら偉い人でも、あたし許せません」


 フリューゲル嬢は顔をしかめながら左手を押さえていた。

 その片手で包まれた手からは、ぽたぽたと血が滴り落ちている。


━━━━(むご)い話ではあるが、彼女は爪を触媒にして魔犬を使役しているようだ。


 はぁ…。

 こんなものを見せられては、どうしようもない。


━━━━もう降参だ。


「リリース」


 私は青年から奪った熱をその身に返す。


「体温を君の身体に戻した。さあ、これで動けるはずだ。もし私を殺すなら。いっそのこと、ひと思いに頼むよ」


 両腕を上げて、危害を加えない意思を彼らに伝える。


 負傷した手を押える少女は、目を丸くし。

 体温が戻り、起き上がった青年は、後退して距離をとって。


 私を双方から、驚きと警戒心入り混じる眼差しで見つめた。


━━━━数秒間の沈黙。


 倉庫の外から聞こえる波の音が鮮明に聴き取れるほどの静寂。


 私は、この何だか居た堪れない空気に思わず口を開きかける。

 しかし、先に口を開いたのは彼だった。


「さっきの発言。誰に吹き込まれたんですか?」


 彼は、一つの疑問を口にした。

 内容としては、先程の発言の意図を聞いているらしいが、質問の仕方に何だか特殊性を感じた。


 まるで誰かに言わされていたと、初めから分かっていたような...。


「クロガネだよ。君が怪しんできたら、ああ言うように教えてもらってね?聞かされた時に明らかにおかしいとは思ったんだけど...。やっぱり逆効果だったみたいだね...あはは...」


 問われた内容に、今度は正直に答える。

 ここで反論されようものなら、もうどうしようもなくなるので納得してもらえると助かるが...。


「そうですね...。レンカなら言いますね...平気で」


 ずっと張り詰めていた険しい顔が、少しだけ緩み。

 柔らかい口調で応じる青年。


 彼は続けて語る。


「いきなり好戦的な態度をとって、すみません。レンカを殺したと聞いて、あなたが本当のことを言ってるのか確かめたかったんです」


 青年は謝罪の言葉を口にし、そして...。



「あなたを信用しますトゥエルノさん。俺も、あなたも。レンカに上手く誘導されていたみたいですね」



 微笑みを持って、彼は和解の言葉を告げたのだった。



◆◆◆



「━━━━━つまりクロガネの狙いは、最初からこの筋書きだったと?」


「はい。俺がトゥエルノさんに激情して、手を出すことを前提に。あえて神経を逆撫でする発言をさせて、俺に確かめさせたかったんだと思います。━━━━あなたという人物のことを」

「うん?そこは言葉の真意ではなく、私…なのかい?」


 肯定の意を込めて、こくりと頷く青年。


「俺があなたの背後をとった、あの時。もしトゥエルノさんが、残忍な人柄を抱えていたなら。敵意を剥き出しにして襲いかかる、見知らぬ人間に。慈悲深くも、再び会話の場に戻そうと試みる姿勢なんて取らなかった。あの場で、あなたは簡単に俺を殺すことも出来たはずです。━━━━それだけの優位性があなたにはありますから」


 彼は私の目を見て、自身が収集した情報を彼の視点から纏め伝える。

 やや買いかぶりすぎな分析にも思えるが、クロガネは彼のようにそこまで考えて、あの言葉を残したのだろうか?


 だが、彼の言う優位性という話なら、私からも言わせてほしい。


「あはは、大袈裟だよ。優勢の立場だったのはニクロフ君の方だ。君は初手で、天井へ身を移した。本来の命を賭けた戦闘だったら、気づきに遅れた私は既にあの時点で君に殺されていたからね」


 目の前で眩ませた姿。

 あの動作から直結して攻撃へ転じていれば、私は確実に命を狩り取られていた。


 クロガネも、ただの少女ではなかったが。

 このニクロフ君も、ただの青年ではないようだ…。


「恐縮です。気づきが遅れたのは俺も同じなので、そこはお互い痛み分けということで話を戻します…。トゥエルノさんがレンカの話を持ち出せば怪しまれると考えたからこそ、彼女は虚言をあなたに促した。ここで、本当のことを俺たちに伝えたとしても疑念に疑惑を重ねるにすぎない。だから疑念を一度、確定に変えて。戦いの中で、あなたの人柄を俺たちに見せつけ、理解させることで。確定された虚偽の疑いを払拭させ、塗り替える。それが、レンカのさせたかったことなんでしょうね」


「すごいな君は!!」


「━━━━━━え?」


 私が発した声に、青年は戸惑いを表情へ出す。


 別に、世辞を言うわけではないが。

 本当に彼の洞察力には感服した。


 クロガネの考えていたシナリオを、私が告げた誤解しか招かない言葉から読み取り抜いたのだ。


「私では彼女の意図をそこまで理解出来なかったよ。うん。クロガネが信頼を寄せる相手なだけはあるね」


 彼女のことを深く理解しているからこそ、導き出された答え。


 お互いに相互理解を経ているからこそ、辿り着いた結論。


 きっと。

 この青年と少女との間には、目に見えなくても繋がる。

 強い絆のような信頼関係が、固く結ばれているのだろう。



━━━━━うん。いい友人を持ったね、クロガネ。



「えーと、ありがとうございます…?」


 ぎこちない返事に若干の困惑の色が見える。

 けれど、良いものには良いと。

 相手に対して好印象を抱いた時は、なるべく言葉に出しておきたかった。


 素直な気持ち。


 それを先刻、新たな友人から学んだのだから。


 あと、言われた方も悪い気はしないだろうからね?


「うん。お互いに(わだかま)りも解けたことだし、さっそく…」



「━━━━━━もしかして、解決しちゃった感じなんですか…?」



 話を切り替えようとする最中(さなか)

 我々の会話を静かに傍聴していたフリューゲル嬢が、口を挟んだ。


 その感情の(こも)っていない冷たい声に。

 私達はビクリと身を震わせて、同時に彼女へ顔を向ける。


 一方、ぷるぷると怒りで身体を震わせるフリューゲル嬢。

 とても言葉をかけずらい様子の彼女へ。

 勇気ある青年が声を発した。


「スティア…。その…。放ったらかしにして悪かったよ。だから…。ラプちゃんをこっちに仕向けようとしないでくれない?…ほら。指からも血が出てるし、これ以上の使役は……」



「誰のせいですぅぅう!?先輩が!トゥエルノさんにケンカを売り始めたから!ラプちゃん延長して代償払って、こうなってるんですけどっ!!初めから嘘だって見抜いてたなら、あたしの爪持ってかれなかったんですよ!?痛いんですよ!?たくさん血ぃ、出てるんですよ!!!???」



 手負いの御令嬢は激怒した。



「いやぁ…。正直言うと、気づいたのは途中からで…。最初は本当のことかもしれないって半信半疑だったし…」

「確証が持てないのに行動に移すのやめて下さい!!それ!先輩の悪いところですから!!」


 少女から指摘され、彼は肩を小さく丸める。


 青年を先輩と呼んでいることから、フリューゲル嬢よりも彼は年上なのだろう。

 ということは、年下から説教をされているわけなのか…ニクロフ君は。


 どこか今日の私自身と似た境遇に陥る彼へ、自然と同情の気持ちが生まれる。


「フリューゲル嬢。どうか彼を責めないでやってくれ。負った傷の件は、こちらが責任を持って治療を行うと約束するよ。だから……」


「あなたが元々の原因を作ったの分かってますか!?トゥエルノさん!?」



━━━━━━うん。次は私の番みたいだね。



 肩身を狭くした青年を一瞥し、私は彼女の話に耳を傾ける。


「トゥエルノさんが変な事を言うから先輩も、あたしも!こんなことになっちゃったんですよ!?しかも嘘ついた理由をクロのせいにまでして…!!」


「スティア。それには、ちゃんと理由が……」


「先輩は黙ってて下さい!!今はトゥエルノさんと話してるんです!!」


 止まらない少女の声が私達へ降り注ぐ。


 暫くは耳をパタリと下ろし、大人しく鎮座していた彼女の魔犬も。

 御令嬢の怒り心頭っぷりには、自ら退去をするほど…。


 それは、召喚者たる彼女を気遣っての行動だったのか。

 それとも面倒事の気配を察知しての退避だったのか…。


「いいですか!?こんなことになるんなら、あたしだって…!!」


 いつまでも終わりが見えない説教。


 どこかへ帰っていった魔犬の背から。

 ふわりと床へ降下した夢魔のクロガネ。

 彼女を御令嬢は拾い抱えながら。

 尚もそれは続く。


 まさか、一日に二度も同じような経験をすることになるとは思いもしなかった…。


 彼女が次々と主張を述べる中。

 ふと、私は青年の方に目を向ける。

 すると彼も、その視線に気づいたのだろう。

 互いに顔を見合わせると、表情を歪ませて苦笑を漏らした。


 そして彼は小さく一言。


 『すみません…』と、眉を落として申し訳なさげな言葉を紡いだ。



「ですから先輩は一生、彼女も出来ないわけで…。って、聞いてますか!?あたしの話!!あたしはこんなにもクロを心配しっ……!!」



◆◆◆



 薄暗い空に光が差す。


 海を越えた向こう側。

 地平線から顔を出した太陽は、夜に溶け込んだ闇を払うように、暖かな陽光の脚を伸ばす。

 日に照らされた水面が反射し、徹夜明けの目をズキズキと刺激した。


 幻燈祭二日目。


 シンフェミアに朝がやって来た。



「━━━━はぁ…。この住所を尋ねればいいんですね?」



 気怠げな声色で受け取った一枚の紙。

 そこには、ある場所の所在地が記載してある。


「うん。もしかしたら()()とは行き違いになるかもしれないけど、そこに行って待っていてほしいんだ。私達か、私の協力者。そのいずれか、もしくは両方が戻るまでね」


 フリューゲル嬢のジトりとした瞳が、やや怖くあった。

 けれど、負傷した彼女を連れて、これ以上無理をさせるのも忍びない。

 しかし…。


「その協力者…という人が、あたしの治療をしてくれるって話なんですよね?…で、その人はトゥエルノさんを探しに来てくれるんですよね?━━━━━━あたしここで待ってた方が良くないですか?」


 彼女の顔には『ここから動きたくない』と書いてあるのが見て取れた。


 ニクロフ君の話では、フリューゲル嬢は自身の『幸福度』を消費することによって魔物の使役を行えるらしい。

 その一方。

 幸福度が枯渇した場合。

 彼女の身体が使役の代償として、肩代わりされるという話。


━━━━━赤く塗れた、御令嬢の指先。


 出血し、爪が綺麗に剥がされていることから。

 現在の幸福度が、すでに枯渇状態なのだと…ひと目で分かる。


 ならば早いところ。

 安全地帯(セーフハウス)に居てくれた方が、私としても安心出来た。


 この考えついては、青年とも一致しており。

 (さき)の話し合いでは、(こころよ)く賛同してくれたのだが。


『すみません。スティアの幸福度がゼロに近くなると、不機嫌で手がつけられなくなるんです。事を穏便に済ませるなら、ここに居てもらった方が手間を省けて良いかもしれません…』


 小声で、そう語る青年。


 彼女と付き合いが長いためか、こういう場合の対処法をよく熟知しているようだ。

 うん。だけど…。

 やはりそれでも、一人の大人として。


 彼女の具合は気になるよ…。


「━━━━━うん。それじゃあこうしよう」


 苦渋の決断…とまでは言わないが。

 悩んだ末に、私は一つ。

 彼女へと提案をすることにした。


「フリューゲル嬢には私達が地下へ降りた後。出入口が閉まらないように、扉を押さえてもらう係を任命したい。少し重たいけど任せられるかな?荷が重そうなら、渡した場所へ……」

「押さえとくので、どうぞ地下へ。クロを早く回収してきてください」

「━━━━━━━━。」


 すごく面倒くさそうに答えると、彼女は夢魔(クロガネ)を抱き抱えて倉庫内へフラフラと戻っていく。


「うん…。即決だね…。」

「すみません。あの人、こうなるといつもああなんです…。」


 彼女の背中を見送る私に、青年が腰を低くして詫びを入れる。


「いやいや、謝る必要はないよ。私はフリューゲル嬢のキャラクター性が見えてきて楽しいからね。ただ…君は…。彼女に、いつも苦労しているようだ」

「━━━━━はい。仰る通りです…。」


 御令嬢を送り出すため、外へと出ていた我々だったが。

 結局、一同揃って再び…。

 ホコリ臭い倉庫へと、逆戻りすることになった。


「お二人とも、早くしてくださいね。あたし、疲れたら扉閉めて勝手に帰っちゃうかもしれませんから」


 コンテナ内に設けられた地下へと続く扉を手で押え。

 虚ろな目で語るその姿。

 私からは、彼女が冗談を言っているようには見えなかった。


 時間厳守ではなく、これから時間制限を我々は課されるらしい。


 これは何がなんでも迅速に事を終わらせないと、先程の二の舞になり兼ねないね…。


「たぶんスティアは本気で言ってるので、死ぬ気で急ぎましょう…。さっき聞いた話では、酸素が十分に無いと神の加護(ブレス)を行使できないとか…?」

「うん。私が使い物にならなくなるので、扉は是非とも閉めて欲しくはないかな?」


 和解後、私達は互いの情報共有を簡単に済ませた。


 その折に、クロガネと陥った状況。

 及び、敵対するのは魔物ではなく悪夢から生まれた『夢魔』という概念体に近いものだと説明も終えてある。


 それ故、現在のクロガネも夢魔として活動しており。

 彼女の身体が地下の奥にある部屋で、安置されていることも把握してもらった。


 そしてこれから私と青年で、彼女含めた被害者達を救出しようと試みているところだ。


「いいかい?彼女たちを、一度に運び出そうだなんて考えなくていいからね。何度か往復することを前提に、確実な行動をしていこう」

「はい。ですが、まだ夢魔は本当に中にいるんですか?トゥエルノさんが大量に焼き払っていましたが…」

「うん。また何体か生まれているはずだよ。彼らは悪夢から生まれるからね?悪夢を見ている者が一人でもいれば、そこから幾つも派生し、どこまでも数を増やしていくんだ」


 夢というのは、断片的な幻想の集合体にすぎない。


 その構造は、一つのフィルムをずっと回すという表現よりも。

 数枚の写真を切り貼りし、繋ぎ合わせたアルバムに近い。


 情報ソース元は、自身の記憶。


 これまで経験してきたことや、見聞きした知識。

 それが夢に反映されることが一般的だ。


 中でも、トラウマや後悔。

 心配事や、恐怖を抱く対象が記憶に鮮明に焼き付いてしまった場合。


━━━━夢が悪夢へと転化する。


 基礎となった夢と同様に、悪夢も様々な記憶を切り取った情報のアルバム。

 ならば悪夢の種類も、その切り取られた記憶の写真分。

 その数だけ存在する。


 言うなれば、夢魔は悪夢の化身。


 悪夢の数だけ夢魔も存在し、この世に生まれ落ちるのだ。


「魔物なんかよりも恐ろしい存在ですね……それ。レンカが、さっきのと同じ夢魔になったって聞いた時は驚きましたが。そんな危険そうなものに自分からなると言い出して、実際になって…。それでいて、理性を保っていたなんて…」


 青年は、(だる)そうに扉を押える御令嬢の膝。

 その上に、ちょこんと乗せられた昏睡する彼女を見つめる。


 私から離れる直前までは、そこに彼女の理性は在った。

 けれど、青年らの話を聞く限り…。

 次第に夢魔から理性を蝕まれ。

 彼らと出会う頃には、その殆どの記憶を落としてしまっていたのだろう。


 おそらく身体が薄くなっているのも、魔犬とやらに持って行かれたからではなく。

 夢魔としての彼女を構築する意識。

 そして記憶が、不十分になりつつある結果…。

 彼女の見る夢が、悪夢へと変わり。

 本来の夢魔がクロガネの夢を食い潰して、変生する前兆であると仮定できる。


 悪夢を楽しい夢に変える。


 そう言い、有言実行を成し遂げた少女。

 彼女へ私は、最大限の敬意を称したい。


━━━━━もちろん。君が帰ってきた時にね。


「うん。本当に君の友人は凄い子だよ。きっと…。いいや。━━━やっぱり大物になるよ。クロガネは…。」


 力無く、ぐったりと身を休め。

 青白く(ほの)かに光を帯びる躯体。


 今は小さき、その勇敢な友人の頭に。

 私は身を屈めて、そっと触れると。

 言葉と共に、優しくひと撫でをする。


「━━━━トゥエルノさん…。クロは渡しませんよ…。」


 彼女に触れた私に。

 ジトりと睨みを効かせて、番犬のような威嚇をする御令嬢に私は頬を緩めた。


「うん。クロガネのことは宜しく頼んだよ。…では、行こうかニクロフ君。いつまでもフリューゲル嬢の腕を酷使させるのは申し訳ないからね?」


 彼は簡潔に一言『はい』とだけ答えると、私の後に続く形で地下へと繋がる梯子を下る。


「ルゥゥ…ルゥ…」

「先輩、ふわクロウが行ってらっしゃいって言ってますよ」


 上部から聞こえてくる声。

 寝言のようなものだろうか。

 彼女は見送りの言葉を、友人へ告げているようだ。


「ああ、お前の本体探してくるよ。スティア、ふわクロウのこと頼む」

「先輩もクロの身体。五体満足で連れ帰って下さい」

「わかってる」


 交わされる会話を後にして。

 青年は地下へと降下した。


「うん。聞く限りクロガネの意識も、まだあるみたいだね」

「かろうじて…、ですが。それでも予断を許さない状況には変わりません。急ぎましょうトゥエルノさん」

「うん。気合いも十分ってところだね。とても心強いよ」


 力のこもる彼の言葉と共に。

 私達は無駄なく歩みを進め始める。


 道中では特別、目立った会話などはなかった。


 前に、前へと。

 ただひたすらに、黙々と奥へ目指す。


 環境が違えば、雑談を交えて足を運びたいところだが。

 今回は立たされている現状が、そうさせてはくれない。


━━━━━警戒心を怠れば、彼らの格好の餌食だからね。


「トゥエルノさん。あれが……」

「うん。あれが『夢魔』だよ」


 暗がりに潜み、獲物を待ち構える獣のように。

 私達の前方進路上。

 その通路脇には、ドロドロと身体の崩れた黒い塊が五つほど居座っていた。


「弱っているんでしょうか。動きも落ち着いて、緩やかで…。形も、先程の扉から出てきた夢魔とは違って崩れかけていますが…。」

「うん。そう見えるかもしれないけど、彼らは至って元気だと思うよ。今は身体の形成中…のようだね」


 宿主の悪夢から抜け出た直後の夢魔。

 今の彼らは、何処がどの部位なのかも判別しにくい状態だが。

 近づけば問答無用で我々に襲いかかることだろう。


 だったら、対処は早いに越したことはない。


「じゃあ、片付けるよ」


 私は、コポコポと気泡が弾けるような音色を奏でる夢魔へ。



「リリース」



━━━━熱を付与する言葉を放った。


「■⬛︎⬛︎■⬛︎!!」


 言語として扱うには、あまりに拙い声が通路に響く。


 間違いなく言葉としては機能していない。

 けれど、苦しみ嘆く声だと。

 理解出来ずとも、悲痛に身体をよじらせる仕草からそれは伝わってきた。


 熱を与えられ、発火した五つの塊。


 彼らは、自らのカタチを世に降ろす前に。

 不完全なまま。

 夢半ばで、塵に()す。


「うん。彼らの相手は私でも務まりそうだね」


 クロガネの力を借りずとも、一時的な処理であれば特段問題ないようだ。


 彼女の空気爆弾と比べ、私の能力はどうしても火力面には劣るが。

 夢魔が物量で押し寄せても来ない限りは、対応可能だ。


「熱を利用した発火と冷却…。レンカが見たら食いつきそうな神の加護(ブレス)ですね」

「うん。実際にクロガネから質問攻めにあったよ」

「━━━━あぁ…。そのぉ…。ご迷惑、お掛けしてませんでしたか?」


 青年は、滞った歩を再び前進させながら。

 私の顔色を伺うようにして問う。


 青年のことを過保護と、そう彼女は言っていたが。

 クロガネのことを大切に思っているからこそ。

 心配し、気にかけ。

 彼女が周りに敵を作らないよう、常にこうして陰ながら彼女を取り巻く環境を整えているのだろう。


 なんて羨ましいほどの関係値だろうか。


 青年にとって彼女は、特別な存在であり。

 かけがえのない立ち位置に置かれているようだ。


「とんでもない!その逆だよ。彼女の明るさには私も助けられたからね」


 あくまでも、本心に基づいた事実を述べる。


「私の素性よりも、神の加護(ブレス)の方に興味を持って話を振ってきたのはクロガネくらいだよ。他人の神の加護(ブレス)に寛容な世の中だからこそ、その話題に触れる機会は少ない。まさかこんな時代に、あんな面白い子がいるなんてね」


 誰しもが、疑問なく扱う特殊な力。

 神の加護(ブレス)


 生まれながらにして持つ者。

 成長の過程で手に入れる者。


 扱い得るキッカケは多種多様。

 けれど、その力が体の一部だという考えは変わらない。


 そこにあって当たり前。

 存在していて当たり前。


 だから誰も関心を覚えない。

 だから誰も興味が湧かない。


 街歩く者の服装は覚えていても。

 それを着る人物の顔は、あやふやにしか記憶していないのと同じ。

 わざわざ注目する人間なんて、珍しい。


 彼女は、その少数派に属する珍しいタイプだ。


 あんなにワクワクと瞳を輝かせた話題が、神の加護(ブレス)という点では……ね?


「この時代というか、この世界の人間じゃないんですけどね…(ボソッ)」

「うん?それは、どういう……」

「ああ、いや!気にしないでください!あいつは厨二病っぽいところあるんで、琴線に触れるものに流されやすいだけなんですよ~!ははは……」


 引き攣った笑顔で誤魔化す青年。

 今のは、聞き流していい話だったのかは定かではないが。

 何か大事そうな…。

 とても気になる発言を、口から漏らしていたような…。


「あー、見えてきましたよ。部屋っぽいのが…!」


 場を濁す青年は、少し先に見えてきたクロガネ達が眠っている例の部屋を示す。


「うん。あの部屋に、誘拐された被害者達がいる。……クロガネも含めてね」

「そうですか…。あの部屋に…。」


 少女の名を出した途端。

 彼の顔つきが変わる。


「急ぎましょう」


 切り替わる表情。

 それは、私と対峙した際に見せた険しい顔つきの姿と似たものだった。


 もし行く手を阻むのなら。

 誰彼問わず。

 周りを排除してでも、目的を成そうとする冷たい瞳。


 自然体では温厚そうに見える青年だが。

 心のずっと奥。

 その内側には、何かを飼っている。


 極端で不安定。

 事を成す為には、全力で舵を振り切ってしまう(いびつ)さ。


 決断力の高さ故に。

 時に彼は条件次第で…。


━━━━平気で人を殺してしまうかもしれない。


 そんな予感にも似た、危うさを。

 彼を見ていると覚える…。


 ニクロフ青年から、直接の確認は取れていないが。

 少女が語ったように。

 彼が本当に蘇生の(すべ)を持っているのなら。

 フリューゲル嬢然り。

 何らかの、行使の代償を支払っている可能性がある。


 魔物を使役するために、残高不足で自分の身体から代償を差し引かれていた御令嬢。


 では、一方で。

 人を甦らせるほどの行いなら。

 代償は、どれほど高く付くのだろう。


━━━━死を無かったことにするには、一体何が釣り合うのだろうか…。


「━━━━━うん。そうしよう」


 一度、生まれた疑問を胸に仕舞い。

 私は彼と、目前に迫った部屋へ入室を試みる。


 入口、室内ともに。

 夢魔の影はない。


 道中で遭遇した数体と出会って以降。

 それらしき姿は、どこにもなかった。


 不気味な程にガランとする部屋。

 毛髪巡らせた室内の。

 床に身を預ける、眠り姫。


「━━━━━━!!レンカ!!」


 毛髪に足を絡ませて眠り続けている少女に。

 青年は急いで駆け寄っていく。


「おい、しっかりしろ!なあ、レンカ!!」


 ゆさゆさと、肩を揺さぶられるクロガネは瞼を開けない。

 呼びかける青年の声にも、何一つとして反応は示さなかった。


「━━━━━━神の加護(ブレス)に感知はない。……良かった、生きてはいる…。」


 彼女の肩に添える手を、安心したようにスルっと離す青年。

 この行動に、つい私は思った疑問を口にする。


「君には分かるのかい?彼女の健康状態が…。」

「健康状態…ではないですが、最悪の状態…なのかどうかの区別はつきます」

「それも、蘇生の力の一端…なのかな?」


 この問いに彼は怪訝そうな顔を浮かべて答えた。


「レンカが話したんですか?」

「うん。君が死者を蘇生できる能力を持っているから、死んでも生き返れる…と、誇らしげに語っていたよ」

「━━━━━━━━━━。」


 彼は更に顔をしかめ、眉間に皺を寄せていく。


「おっと、情報が違ったかい?」

「いいえ。レンカの蘇生理論に物申したくなっただけです…。確かに、俺の神の加護(ブレス)は人を生き返らせることができます」

「うん…。耳を疑うような話だけど、本当だったんだね…。」


 今でも信じ難いことには変わりないが。

 こうして本人が口にしている以上、事実であると判断するべきなんだろう。


「レンカは口が軽いので、俺の知らない所で勝手に広めてそうですが…。出来ればあまり口外したくない内容なので、どうか他言無用でお願いします」


 人智を超えた奇跡にも匹敵する行い。


 もしも世間に、彼の有する能力が広く周知されたならば。

 きっと、それを秘匿する為に大きな力が動くことも予想できる。


「うん。無論そうするとも。君の身の安全が第一だからね」

「助かります」


 産まれてくる子供が親を選べないように。

 我々は、自身の神の加護(ブレス)を選ぶことが出来ない。

 時にそれは、人を生きづらくさせる原因ともなる。


 神の加護(ブレス)による迫害などは無くなり、むしろ他人の能力には無関心になっている現代。

 昨今では、他者からの干渉よりも。

 自分の能力からの障害が増加傾向にある。


 制御等の自制が困難であったり。

 行使条件に基づく、反動が過度であったりと。

 近年、神の加護(ブレス)で思い悩む若者が増えてきていることが問題視され始め。

 能力訓練施設と題して、ここ数年でその手の専用機関が数を広げていた。


 大陸の各国が対策を講じるその様は。

 もはや、全世界共通の社会問題と言っても差し支えない。


 然るべき対応を国は掲げ、世間へ公布するが。

 次々とイレギュラーな能力が、新たな生命と共に産まれてくる。


 中には似たり寄ったりな能力も勿論ある。

 それでも、人の数だけ神の加護(ブレス)も存在し。

 良くも悪くも、アイデンティティに長ける代物ばかりであった。


 国と神の加護(ブレス)との、永遠に終わらないイタチごっこ。

 これが終結し、悩める者達に救いが訪れる時…。

 否、そのもしもは果たしてやって来ないかもしれない。

 けれど、彼のように自身の神の加護(ブレス)を隠して生きなければならないような者を救済できる機会があるのなら。


━━━━━私は身を粉にして、それに臨みたい。


「うん。クロガネとニクロフ君を会わせることも出来たわけだし、一度地上へ戻ろうか。私は、壁でお休み中の彼女達の拘束を解き次第。二人ずつ運んでいくよ。でもまず君は、背に抱えるなり、お姫様抱っこで移動するなりして、クロガネを地上へ連れて行ってほしい」

「お、おお、お姫様抱っこなんて、しませんから!」


 言葉を詰まらせて返答する青年は、見るからに照れている。


「うん。青春してるね。はい、リリース」


 彼の揺れる気持ちを置き去りにして、私はクロガネの足に絡みついていた毛髪を焼き切る。

 チリチリと髪の焦げた臭いが鼻腔を突くと、あっという間にその出処は塵に姿を変えた。


「シャウト…。うん。足枷になってた毛髪はキレイに燃やせたね」

「ありがとうございます…。そういえば、この部屋の至る所に落ちてる…?装飾されてる…?ような髪の毛って、いったい何なんですか?入室した時から気にはなってましたけど…。」


━━━━おっと、これは説明してなかったね。


「夢魔の髪の毛だよ。クロガネがベッド代わりにしているのも同じ材質だね。彼女は器用に、その辺の毛髪でベッドを(こしら)えていたよ」

「そんなところに寝かせてたんですか、あなた!?いや、何してるんですか!!そんなの悪夢を見ない方がおかしいですよ!?」

「うん。だから悪夢を見てるんだよ。壁にいる子達もね?」


「そのドヤ顔で言うのやめてくれます!?とても小突きたくなるんでっ!!」


 切れ味の良いツッコミを繰り出す青年。

 クロガネも、なかなか筋の良い返しを放ってきたが。

 存外、彼のセンスにも光るものを感じる。


━━━━その道の、玄人筋(くろうとすじ)の片鱗がね?


「大物の友人も、やっぱり大物だね」

「何を一人で納得したように頷いてるんですか…。」

「ああ、うん。個人的な感想なので気にしなくていいよ」

「そ、そうですか…」


 少女を背に担いだ青年は、(いぶか)しげな顔をする。

 うん。何だかとても視線が刺さる。

 まるで不審者を見るような目をしているね、彼。


「それではお言葉に甘えて、先に地上へ向かいますね」

「うん。そうするといいよ」


 去り際に一礼。


 (きびす)を返し、背に少女を乗せてこの場所を後にする彼を見届ける。


 視認できる距離を離れ、暗闇に消えていく後ろ姿。

 通路には夢魔も居なかったので、とりあえず安全だとは思うが…。

 もし何かあれば直ぐに動けるよう、一応耳を(そばだ)てておこう。


「さて、こちらも彼女達を助けなくてはね。……リリース」


 布地に縫われた糸のように。

 毛髪で壁に拘束されていた少女達。

 その拘束具たる髪に熱を与え、少女らを解放する。


 ここの室内に監禁されていたのは、約30名ほどの少女。


 私が情報を得た時点での、行方の分からなくなっていた人々の数ともほぼ一致する。


「うん。怪我は無さそうだね。問題は悪夢だけど、命に別状がないのが救いだったよ」


 まずは四人ほど。

 壁から解放し、腕で受け止める。

 ダラりと生気薄く、私の腕にもたれかかっているが。

 呼吸、脈拍ともに正常であり、一刻を争う事態ではなかった。


━━━━少しだけ私は安堵を覚える。


 あの男に食われる前に、身柄を保護できて良かったと。

 心から胸を撫で下ろす。


「おっと、まだ安心するのには早かったね」


 落ち着き、緩み始めた精神に再び鞭を打つ。

 肩の荷を軽くさせるのは、彼女達を連れてここを離れてからだ。


 腕に寄りかかった少女らを慎重にゆっくりと座らせて、壁に背を添わせる。

 続けて私は、他の少女らも同様に解放していく。

 その過程で少しだけ気づいたことがあった。


 壁に絡みついた毛髪なのだが。

 よく見ると、壁面に沿って張られているのではなく。

 壁面内部から、壁面内部へと。

 無数の弧を描くようにして、彼女達を拘束していることに気づいたのだ。


 それこそ本当に、壁を縫っているかのような…。


「ぜぇ……ぜぇ……!!」

「━━━━うん?」


 時に通路から音が聞こえてきた。


 忙しなく短い間隔で、靴を鳴らす足音。

 息も絶え絶えに、浅い呼吸を行う吐息。

 そして…。


「トゥエルノさん!!」


 焦りに表情を強ばらせる、青年の緊迫する声。


「おや。戻ってくるのが早かったね。向こうの子達は先に拘束を解いたから、そっちの彼女達から……。うん?クロガネも一緒かい?」


 少女を地上へ連れて行ったはずの青年だったが。

 未だに、彼の後ろには彼女が背負われていた。


 ツーっと、額から汗を流す青年。

 そして、彼は唐突に叫ぶ。


「夢魔です!!」


「うん。だったら私が対処しよう。場所は……」


「違います!!()()()夢魔なんです!!」


「━━━━とりあえず、クールダウンでもするかい?…シャウト」


 彼の火照っているであろうその体から、上昇した体温を一部奪う。


「あぁ~涼しくなりました…。ありがとうございます。これがあれば夏も冷房いらずですね~!……じゃあないんですよ!!!こんな漫才してる余裕なんてないんですよ!!」

「ははは、君とクロガネは本当によく似てるね。彼女も同じような反応で……」



「余裕ないって言ってますよね!!!???」



 キレ気味なツッコミには少々驚いたが、やはりいい筋をしている。

 鍛える場所で、きちんと鍛えればそれなりの練度に……。


「うん?そういえば何の話だったかな?」

「夢魔の話ですよ!?(かなりキレ気味)」


 そうだった、夢魔の話をしていたんだった。

 で、なんと言ってたか。

 確か…。


「ここが夢魔だとか……そんなことを言ってたかい?君」

「ええ、そうなんですよ。通路を暫く進んでたら、壁や床から髪の毛みたいな触手っぽいのが出てきて、急に俺たちを襲ってきたんです」

「君がクロガネを連れているから、彼らの気に触れてしまったんだろうね。━━━━では、私が処理を…」

「話を最後まで聞いてください!ここからが本題なんですよ!」


 青年に進み出そうとする歩みを止められ。

 私は大人しく彼に従い、話を聞く姿勢をとる。


 しかし、彼は一瞬だけ背後を気にかけたあと。

 ごくりと喉を動かし。

 これから自身の発する言葉を、さも疑うようにして。

 自分の覚えた違和感を語った。


「おそらく、毛髪夢魔(そいつ)の悪夢を見た人間は…。()()()()()()()()


「━━━━その考えも…君の、アレかい?」


 この質問には、頷きを持って返される。

 続けて、彼は詳細を手短に語り始めた。


「ムチのような髪をしならせた攻撃に翻弄された際。その夢魔の毛髪に俺の手が触れてしまって…。その時に、感知が反応しました」

「それはつまり。死んだ者が、死んだ後も悪夢を見続けていると…?」

「はい…。そして、この場所にいくつも()()()()()髪の毛…。」


━━━━確かに言われてみれば最初から違和感だらけだった。


 彼の視線は、壁や床に向けられる。

 そこには壁から、床から、数多に吐出する毛髪。

 これも先程気づいたばかりの事だが、改めて考えれば理屈としておかしい。


 夢魔の仕業なら、構造物を通り抜けはしても。

 構造物の内側から何かを生み出すことは出来ないはずだった。

 少なくとも私は、あの男の能力をそう把握している。


 けれど、この部屋を覆う四面。

 箱状の面から、(くだん)の毛髪は生えていた。


 外側に付随する形ではなく。

 内側から表層へ枝を伸ばすようにして。

 それは生まれていた。


 夢魔は、悪夢を見る宿主から生じる存在。


 これを念頭に置いた上での、ここでもう一つの違和感…。

 この部屋に侵入をして来なかった夢魔の中で、唯一。

 毛髪状のコレだけは、宿主の安否の有無関係なく。

 最初から、()()()()()()()()()()()()()


 壁から這い出てくるようにして。

 幾重にも、平然と生まれていることへの疑問。


 初対面時に熱を与えて。

 炎が導火線を辿る火のように、どこかへ向かって行ったことへの回答。


 ここから結果は、すでに導き出されていた。


「壁の中…。あるいは、床。…いや、この建物の何処かに。━━━宿主の遺体が()()()()()()と思います」


「━━━━━━━━━。」


 だからこその、青年の発言。

 だからこその、夢魔の出現。


 ここに沸く夢魔達をどれだけ葬っても。

 あの夢魔だけは決して消えない。


 死しても尚、悪夢を見続け。

 止まることなく沸き続ける。


 宿主が目覚めることはなく。

 夢魔も、その身を朽ち果たすことはない。


 彼らに支配されたこの空間は、まさに。


 踏み入った人間を侵す、夢魔そのものになっていた。


 込み上げるあの男への怒りと、悪夢を食らった後の人間へ扱い。

 それらに感情が溢れるが、私は何とか自制をする。


 ここで怒りに支配されてはいけない。

 いま必要なのは冷静な対応力なのだから。


「私達は知らぬ内に、夢魔の腹の中に入ってきてしまったようだ。私の場合は二回目なわけだけど……。」

「冗談じゃなく事実なので、わざわざツッコミませんよ。それに、相手は待ってくれないようですからね」


 いよいよ本性を表したのか。

 毛髪の夢魔は、四方の壁面。

 そして床、通路の奥と。

 まさしく全方位から、鋭利に研ぎ澄まされた刃のような毛髪をもって。

 我々を確実に排除するため。

 一斉に対象を……。


「リリース」


━━━━対象を仕留めることはなかった。


 穿たれた悪意に四肢を貫かれる寸前。

 熱を帯びた毛髪の棘は、標的へ一歩届かず塵へと変わる。


 けれど、これは。

 何も、一度きりではなかった。


「━━━━━━━━!?」


 燃え散る毛髪の向こう側。

 用意されるは、艶やかな光沢持つ毛髪の槍。


 (いとま)もなく、それは投げられる。


「リリース!!!」


 360°全てから射出される槍の雨。


 熱源を持たない彼らの次弾に反応が遅れるも、辛うじて私の対応が上回る。


 髪の焦げる嫌な臭いに満たされる室内。

 ()()()()()()()()には、脳が過剰に反応を示す。


「━━━━━━━━━━。」


 攻撃と装填とを繋ぐ、僅かな時間。

 少しだけ生まれたその間を使い、周囲に目を向ける。


 青年は背にもたれた少女を案じているが、本人に外傷は無い。

 壁面から下ろした彼女らは、皆無事のようだ。

 様子と状況からして…。

 あの夢魔は、彼女達を傷つけるつもりはないのかもしれない。

 では、なぜ拘束を……。



「けぅ…ごふっ……」



「━━━━━━ニクロフ…君…?」


 細く、繊細な針のような髪の毛。


 肉眼でも見えるかどうかのギリギリの繊維。

 私の反応が特別遅れたのではない。


━━━━そもそも私は、初めからソレを認識できていなかった。


 熱を帯びた生物なら何とかなったんだろう。

 熱を生じる機械なら何とか出来たんだろう。


 けれど、彼らにはそれはない。


 大前提として、私の能力とは決定的に相性が悪すぎたのだ…。


 故に招いた事実。

 故に招き入れてしまった結果。

 故に引き起こしてしまった惨劇。



「トゥ…エルノ…さん…。レンカを…。レンカを…守って…くだ……」



 ブクブクと赤い水が、口から溢れ出る。

 途切れなく、唇から喉を伝い、流れ落ちていく。


 彼の体温は数秒前よりも大幅に低下し。

 瞳に灯した熱が、ふっと…消えると。

 線を切られたパペット人形のように、ぐたっと床に崩れ落ちた。


「━━━━━━━━━。」


 熱を感じていた全身から、血の気が引くのと同時に自身の熱も失われる。


 彼らは毛髪を肉眼で視認が難しいレベルの針状にして、彼の胴体を貫いた。


 それも一本では無い。

 無数の針。

 それが同箇所を同じく貫いていた。


 一箇所に毛髪が集まった結果。

 ようやく私の目にも映ることになるが、既にその時には全てが手遅れだった。


「━━━━━ッ!!!リリースッ!!!」


 しかし、感傷に浸らせる暇は与えられない。


 押し寄せる毛髪の嵐を相殺すること。

 それだけが今、この場で許された。

 ただ一つの行動だった。


「リリースッ!!!」


 叫ぶ。


「リリースッッ!!!」


 叫び続ける。


「リリースッッッ!!!」


 叫ぶことでしか回避は出来ない。


 誰かを救うためではなく。

 今は自分を守る為だけにしか、それを行使できていない。


 意識を落とす彼から、少女を頼まれた。

 しかし、少女は粛清対象ではないのだろう。

 これほど苛烈な攻防において、傷一つも付いていないのだから。


 あくまでもこれは、私達の処刑。


 悪夢に堕ちた少女達は、対象には含まれていない。

 私達を殺し尽くすまでの戦い。

 否、蹂躙(じゅうりん)だった。


「リリース……!!」


 彼らには終わりが、……ゴールがある。

 だが私達には、その終着点が存在しない。


 死した者の夢魔なら、もうどうすることも出来ないのだから。


「リリース…!」


 身体にも限界がやって来ていた。


 熱を付与する行い。

 無論、私の力にも代償がある。



━━━━体温へのリンク。



 仮に熱を放出すれば、体の内部体温は上昇し。

 仮に熱を奪取すれば、体の内部体温は低下する。


 通常の理屈では、熱を放出したのなら体温が低下するように思える。

 けれど、なぜか私の体はこういう仕組みらしい。


 そしてこんな反動に、普通の人間は耐えられるはずが無い。


 だからなんだろうか。


 幼少期の私は、体に変温装置を埋め込まれた。


 つまり、人間なのに恒温動物ではなくなったのだ。

 これを恨みはすれど、その特異性を有効的に使ってこれまで生きてきた。

 だが……。


「…っぅ。ぐぅっ…。」


 負荷をかければ、その分の反動は肉体に蓄積する。


 体温をどれだけ一定に保てたとしても、器である肉体には目に見えないダメージが溜まっていく。

 それに、変温装置も機械だ。

 無理をさせれば当然、結果が累積する。


 今のところは疲労程度で済んでいるが、この先までは分からない。


 けれど、今は……。


「リリース…!」



━━━━━━無理をしてでも切り抜けなければならない時だ。



 (つるぎ)、槍、針、弓矢。

 夢魔は、形状を自在に変えて刑を執行する。


 罪人の首を()ねようと、終始投げつけられる凶器。

 対抗するように、私は熱を周囲の毛髪に付与し焼き尽くす。


 一進一退というのも烏滸(おこ)がましいほどに。

 停滞したままの戦況。

 これを覆すには、根源を断つしかない。


 この場所の何処かに遺棄された、悪夢を見続ける遺体。

 それが鍵であり、根源。

 見つけた所で私には何も出来ないが、彼なら…。

 青年なら、それが可能かもしれない。


 彼の持つ蘇生の力ならば。

 不幸にも亡くなった悪夢の宿主を、この世に戻すことができるかもしれない。


 倒れ伏した青年ではあるが。

 私が行える範囲での応急処置は、夢魔に対抗しながらも大方済ませていた。


 体温の低下は、私の能力で阻止した。

 出血に関しては刺さった毛髪を熱で固めて、雑だが止血した。

 意識は……彼の根性に任せよう。


 まだ大丈夫。

 まだ救える。

 まだ青年は、命の灯火を完全に消したわけではない。



━━━━後は、私の頑張り次第だ。



 クロガネなら、きっとそう言って肩をバシバシと叩くはずだからね。



「リリース!!!」



 速度も攻撃方法も、絶えず変化させる夢魔を相手取りながら。

 私は熱源反応を探す。


 死体だから熱は無い。


 生きていないのだから、その通りではある。


 しかし、それが熱を発生させないとは限らない。


 血流も脳も、心臓さえも止まり。

 生命活動を停止させた人間。


 死後直後ならともかく、この条件で熱を追うのは困難だ。

 けれど、白骨化さえしていなければ熱は僅かに発生する機会が幾つかあった。


 一つは腐敗だ。


 腐敗する過程でも熱は生じる。

 死後、人の体内で微生物が人体の分解を始めると腐敗熱というものを発生させていく。


 だがしかし、これは一時的なもの。


 ある程度時間が経てば熱を帯びることは無くなる。

 ならばどうするのか…。



━━━━うん。人間以外に頼ればいい。



 壁、床、通路。

 襲い掛かる処刑具を燃やしながら、隈なく感知を行う。

 私の感知範囲は決して広く無いが、今回は構わない。

 遺棄されている場所は広く見積もっても、この部屋の周辺で間違いないのだから。


 ここまで、最大戦力で私達を消しに来ているのなら。

 この部屋を起点とする場所に、本体の宿主は死して眠っているはずだ。


 と、目を凝らして探していると。

 天井に備え付けられた照明。

 点滅する蛍光灯の中で、一つだけ点滅することもない真新しい灯りに目が留まった。


 照明を吊るした壁の奥。

 その先に、小さな。

 とても小さな熱を感じた。



━━━━━小さな熱源…。もし、そこにいるのなら……。



「リリース…!!!」



 私は守りの体勢を崩して、その一点に向けて熱を飛ばす。


 熱を帯びて光揺らめく蛍光灯は、膨れ上がった風船が弾けるようにして小規模な爆発を起こした。

 巻き込まれたのは夢魔…だけではなかった。


 照明と隣接する天井の壁も、抉れるように吹き飛び。

 その内部とソレを露呈させる。


 ズルリと、上から床へ滑り落ちる物体。


 腐敗が進み。

 皮は()けて、肉も骨に僅かにしか付着していないが。

 見間違いようもなく、それは…。


「彼女が君達の生みの親…なんだね」


 髪は抜け落ちているが。

 腰に巻かれた可愛らしいスカートと体格が、故人を彼女だと表していた。


 そして物音。

 発生元は、生気なく天井から落下し、床へ横たわった彼女から…。


「きゅーぅ」


 聞こえてきたのは甲高い発声音。

 遺体のアバラ辺り、彼女の骨に隠れるように身を寄せていた一匹のネズミがストンっと転がり出てくる。


 感知した対象は彼だった。


 今回は、この小さな熱源に助けられたわけだが。

 彼が人間の肉を食らっていたと考えると、あまりにもゾッとした。


 しかし、これで条件は一つ得た。

 あとは、もう一つ…。



━━━━━━()()の到来を残すのみ。



 青年を救い、蘇生の力を行使してもらう為にも。

 彼女の登場は欠かせない要素だった。


 可能性としては、十割。

 タイミングとしてなら、八割。

 やる気としてだったら、二割……だろうけど。


 ここに彼女は必ず来るはずだ。


 雇い主を心配してでもなく。

 危機を察知したからでもなく。

 意図して助けに来るわけでもない。


 理由は滅茶苦茶だろうが、そろそろ来るはずなのだ。


 うん。本当に、どんなやり方で来るのかは知らないけどね。

 

 だからそれまでは……。


「リリース!!」


 ついには毛玉のようなものまで投げてくる毛髪。

 攻撃の趣向を凝らし始めた夢魔に応戦するが、あとは持久戦だった。


 どれだけ耐えて、彼女を待てるか。

 そこが最後の鍵だった。


 だが、しかし。


 ここで夢魔は最悪の行動に出る。

 人間が最も心を動かされ。

 その結果が分かっていても、行動に移してしまう行為……。


「リリーィ………!?」


 発動の言葉はキャンセルされる。

 いや、中止を余儀なくされた。


 今まで向けることのなかった刃。

 敵意を持たなかった夢魔が、此度は躊躇うことなくそれを()()振り下ろした。


「━━━━━━━━━ッッッ…」


 無常にして無情。

 けれども夢魔とは、元よりそういうものであろう…。


 螺旋状の毛髪に両断される肢体。

 鳴り響いたのは肉を裁断する音色。

 囁き笑ったのは血を含ませた毛髪。


 サーッとスプレーで壁にラクガキをするように。

 少女の白い肌に、大雑把な赤いスコールが散布される。


「ごぅふっ……かっはぁ…はぁ……」


 右手が動かしにくい。

 左手は……感覚がなかった。


 そも、左肩は繋がっているのか。

 肉体としては繋がりがあっても、神経としては繋がっているのか。

 これといって分からない。

 今、理解出来ることは一つ。



━━━━私は、これから死ぬ…。

 ただ、それだけだった。


「り、りーす……」


 トドメを刺すことに抜かりがない、夢魔からの追撃がやって来る。


 奴は初めから私が、標的にされたクロガネを庇うことを知っていた。



━━━━だから彼女を狙い、私を誘ったのだ。



 流石、人から生まれたモノだけはある。


 人間の弱み。

 人間の弱点。

 それらの知恵を持つが故の行動。


 まさしく、彼らは人類の天敵になり得る。


 脅威になる存在。

 それをこちらが潰そうとしている一方で、向こうも同じことを思っているのかもしれない。


 あの男の意思がどこまで介入しているのかは別として。

 私が彼らに敗北したことは、変えられない事実であった。


 うん。私の負けは認めるよ。

 でも……。



━━━━━━この子達は、死んでも守らせてもらう。



「り、りーす……ごほっ。…はぁ………。━━━━━━っ!リリースッッ!!!」


 持てる力を全て出し切る。

 そんな気力を込めた声で、熱を与える言葉を無理やり織り成す。


「…………」


 その呼びかけに応じたのか否か。

 真偽のほどは不明だ。

 けれど、そこに()()は現れた。


 朱い煉獄の炎を揺らめかせる大翼。

 純度の高い熱を放出する(たてがみ)

 触れればどんなものでも焼却しかねない溶鉱炉のような身体。


 火炎を御し、焔を司る赤鳥。


 赤き熱の翼を携えて。

 かの化身は顕現した。


 こちらから、直接の命令は与えられない。

 こちらからの、意図した召喚は出来ない。

 こちらからは、干渉させも行えない。


 それは勝手気ままな存在。

 彼は、必要な場面でしか姿を見せない。


 その場面が、今だということなら…。



━━━━私は彼に、最大限の感謝を伝えるよ。



 赤翼を広げた、焔纏いし烈火の鳥が宙を舞う。

 そのツバサから降りる火の粉に触れた毛髪は、瞬時に灰燼へと散っていく。


「かの赤翼は、熱の化身……。一度舞えば灼熱を与え…。二度舞えば紅蓮を掌握する…。来てくれてありがとう。あとは君に任せるよ…」

「………」


 返答は無い。

 それで構わない。


 彼の翼があれば、二人の身は守られる。

 それだけで十分に……。



「━━━━━消えた…?」



 混濁する意識は、突然起きた彼の消失を目の当たりにし、思わず持ち直した。


 私の祈りが届かなかったのだろうか。

 私が強欲にも彼に頼ろうとしたことが誤りだったのだろうか。


 何が原因なのか。

 何が悪かったのか。

 全くもって不明極まる。


 だが、結果として彼は…。

 赤翼の炎鳥は…。



 姿()()()()()()()()()のだった。



 絶望に苛まれる脳裏。


 光を失いかける瞳で。

 二人の姿を、そして誘拐された少女らを視界に収めて瞼を閉じる。


 必要な場面として、彼に判断されなかった。

 かの赤翼を留まらせるに、至らなかった理由。

 それは、(ひとえ)に私の力不足だったわけだ。

 こんなところで命を落とすようでは、あの男を止めることなんて、それこそ夢のまた夢…。


━━━━━嗚呼(ああ)、本当に申し訳ない。



「ロベルト…。先に逝くよ…」



 瞼は開けなかった。


 熱感知で見えない夢魔の動きは、瞼を下ろせば何も感じ取れない。

 ただ、空気の揺らぎで何となく攻撃が向かってきていることは分かった。

 しかし、私の身体ではこれ以上は…。



「せーーーい」



「━━━━━━━━?」


 とても聞き慣れた口調。

 脱力感ある、ゆるい声が聞こえる。


 その一声で、周囲から向けられていた攻撃の手が消え去った。


 そうか、なるほど。

 確かに、これなら必要な場面ではなくなるよ…。

 かの赤翼が去りし理由(わけ)が、ようやく理解できた。


 次に、瞼を開けることへの躊躇(ためら)いは一切なかった。

 そこには絶望とは真反対の、絶対的な光があるのだから。



「直立した状態での睡眠は健康に良くないと思いますケド。その辺はどうお考えでしょうか。トゥエルノ坊っちゃま」



 こがね色をした長い髪とメイド服に、宝石のような蒼眼(そうがん)が良く映え。

 透き通った声は、緩やかな口調と相まって安心感を与える。


 しかし、残念なことに現実は違った。


 折角の綺麗な瞳は…。

 何処となく虚無っており。


 天性とも言うべき麗しい声は…。

 ダウナー系に染まっていた。


━━━━うん。彼女、自分から宝を持ち腐れてるね。


「外で坊っちゃま呼びは勘弁してくれ…。でも助かったよ、()()()()()。君が来てくれて良かった」

「はい?何の事を存じ上げられて(つかまつ)るのかは知りませんが。まだ終わってないのでは?」


 彼女は死んだ目で、間違えた敬語を巧みに使いこなし。

 次なる処刑方法を試そうとする毛髪を示唆した。


 うん。本当は私がどうにかしたい所だが…。

 ここは一つ、彼女に頼らせてもらおう。


「すまないけど、頼めるかい?どうやらアレは夢魔らしくてね…。私はこんなだし、ちょっとキツいんだ…。」


 ドクドクと血が滴り落ちる左肩の様子を彼女に伝えると。

 フランソワは、じっくりと私の患部を観察し答えた。


「はえー。今にも、肩もげそうですね。いかがしますか?繋げるだけならすぐにでも」

「うん。そうしてもらいたいんだけど、先にアレを何とかしてくれると助かるよ」


 今にも飛んできそうな、毛髪製の殺人兵器。

 それをチラッと見てから、彼女は呟く。


「いえ、先に治療を優先します。ですが、トゥエルノ坊っちゃまは後回しです」


 優先順位をどう見たのか、彼女は治療を最優先に行おうとする。


「うん。私のことは後回しでいいんだけど、今はアレを……」

「この方、あと10秒で帰らなくなるので治療しますが…。よろしいでしょうか?」


 彼女の指し示した人物。

 治療をする相手は、ニクロフ青年だった。

 確かに私よりも、治療を急いだ方が…。


━━━━━━うん?今、10秒とか言った……のかな?


「うん!それは優先的に早く治療してあげてほしいかもしれないねっ!?」

「かしこまれました」


 予想外ともいう事態の深刻さに、私は緊急オペの要請を思わず彼女に出す。


 いや、しかし。

 夢魔側の攻撃も対処しなければ……。


「それぇ〜。……はい、何とかなりました」

「早いね!?」


 青年に手をかざしたフランソワは、早々に仕事を済ます。

 神業とも言える手腕により、一瞬で深刻な状況は脱したようだ。

 うん。早いのは良い事だけど、実に心配になる早さだね…。


 けれども、危機は去ってはいない。

 私達が会話をしている間。

 その隙を夢魔は逃さなかった。


 密かに穿たれたのは、ニクロフ青年を瀕死に追いやった例の針。

 肉眼では、まともな対応が出来ない狂気の手法に対する対抗策は、今のところ熱を定期的に与え続けての回避のみ。

 それが封じられた現在。

 これを破るには……。


「そ~れっ」



━━━━━理不尽なチカラが最適だった。



 唱えられたゆるい言葉。


 この発言で、毛髪の夢魔は壁から剥離し。

 飛ばされていた針も、気づけば消されていた。


 彼女は人差し指を立てると、くるんと回転させて指先を上に向けただけ。


 所作は、これのみだった。

 この動作のみで、意図も簡単に夢魔を無力化した。


 もはや、これで彼らの反感を買うことになったという事実は、語るまでもないだろう。


 壁から剥がされた夢魔は、敵を絞ったのか。

 引き寄せられるように、フランソワへ一斉に集中砲火する。

 しかし、これが彼らの敗因に繋がるとは本人達も思わなかったはずだ。


「てんそ~う」


 三度(みたび)唱えられる夢魔への言葉。

 それを聞くだけでは効力も無さそうな、何てことのないフレーズ。

 実際に起きた現象をその目で見ていなければ、私は到底信じられなかっただろう。


「はい、移送しました」


「どこへ!?」


 この地下という区画に根を張り巡らせていた毛髪の夢魔。

 彼らを毛髪の一片ないし、一本も残さずに跡形もなく。

 そこに居たという根拠も裏付けられないほどに、綺麗さっぱりと。

 彼女は、それを…。



━━━━この空間から完全に根絶した。



「何処へという問いに対しての答えですが。━━━━トネリ氏の頭皮に植林しましたケド?…坊っちゃま、何か問題ありますでしょうか?」


 仕事を終えての無気力な返答。


 この場から排除してくれたことには礼を言いたいが。


━━━━━━移送先…そこなんだね。


 勿論していることは、滅茶苦茶だ。

 それは理論、理屈で解ける現象ではない。

 だけど何故だろうか。

 少し、心のつかえが取れたような。

 胸がすく思いを感じているのは…。


「うん。問題ないかな」


「坊っちゃま。内心、喜んでおいでですね。━━━━━なんと腹黒ぉ…」

「ははは、私も人間だからね。違う形でも一矢報えたのなら、悪い感情も(いだ)きはするさ」


 あくまで夢魔を発注元に返品しただけ。

 これは、それ以上、それ以下でもない。

 仮に向こうが難癖を付けて来たとしても、それは自身の立場を危うくする行いになりかねない。

 夢魔との繋がりがあり、その夢魔が民間人を傷つけた。

 世間へと明るみに出れば、(おの)が地位を失ってもおかしくない傷害事件なんだから。


「重ねての感謝になるけど、ありがとうフランソワ。これで彼女達を助けられるよ」


 夢魔が消失したことで、少女達を縛っていた全ての拘束が解けており。

 毛髪の存在しない床へ、解放された彼女らは横たわっていた。


 フランソワが毛髪の夢魔を飛ばしたことで、その宿主の蘇生を急ぐ必要は無くなったわけだが。

 また夢魔が発生するのも時間の問題だ。

 それまでには対策を講じなければ…。

 

 けれど、これで……。


━━━━うん。ようやく本来の目的を遂げられそうだ…。


「感謝は結構です。そんなものを頂きに来たわけではありませんので」


 彼女は、あまり感情の乗っていない声で話を切り出そうとする。


 あー、そうだった。

 フランソワは目的が違ったんだったね…。


 窮地に駆けつけた頼れるメイド…というイメージ像を確立出来てもおかしくない状況でも、彼女はブレない。


 そう、今日は確か…。



「本日は16日です。坊っちゃま。お給料ください」



━━━━うん。今月の給料日だったね…。


 彼女は私を助けに来たわけではなく、給料を貰いに来ただけだった。


 夢魔を片付けたのも、たまたま通りがかったから…程度の軽い感覚だったんだろう。

 なんか色々と本当に凄いよ、君は…。


 ソワソワしながら現金の受け渡しを待つ彼女を見て、私はそう思った。


 気まぐれで自由な、我が従業員にして。

 ロベルトと同じくトネリ・ランスに反感を示す、私の心強い協力者。

 ゆるい部分もあるが、それをカバーするほどの能力。

 彼女はシンフェミアでも、秀でて屈指の実力者であった。


「ん、どうしたのですか?まさか幻燈祭期間中なので、祝日扱いにして翌営業日以降でのお支払いをお考えなのですか?そんなこと許しませんケド」


 仕事と給料とプライベートをしっかりと分けて考える、イマドキなメイド。

 それが、フランソワという女性。


 彼女のように、奇跡を行使する神の加護(ブレス)を扱う者達は、時には敬われ、時には畏怖されることもあるが。

 特別な能力を授かった彼女ら、()()を人々はこう呼んでいた。


 魔性の如き力を有する女性。



━━━━()()と…。



「うん。給料は帰ってから払うよ。その前に、ね…?」


 給料の催促をする彼女へ、私は自身の負傷した肩を見せて一言。


「すまない、血を流しすぎて割と死にそうなんだ。その…、助けてくれると有難いな?」


 瀕死に陥りかけ、救済を懇願する私。

 けれど、返ってきた言葉は何というか…。


 とても、しっかりと。

 そして、ちゃっかりとしていた。


「承知しました。時間外労働手当も付けてくださるならですが…。よろしいでしょうか?」


「━━━━━━━う、うん。お願いします……。」


 死んだ目で、死にそうな重症の怪我人に交渉する様は。

 魔女というよりも、まるで……。



 契約と交渉術に長けた、悪魔のようだった。



「かしこまれました。手取りが多くてワタシも助かります。いえーい……。はい、治りました」

「今の『いえーい』で!?」


 棒読みっぷり激しい喜びの言葉。

 私の肩は、たったそれだけの四文字で確かに完治していた。


 傷口があった場所に血の痕跡こそ残ってはいるが、貧血で体がふらつく等の諸症状は見られない。

 左腕、左手。

 共に正常に動作する。

 身体の機能は十分に回復しているようだ。


「ありがとう。危うく死にかけたよ」

「死なれては困ります。まだ、今月のお給料を頂いていませんので」


 その、ヒカリ届かない深海のような真っ青な目で言われると。

 冗談なのか、そうでないのかも判別できない。

 しかし、彼女が来ていなければ全滅していたのは事実だ。

 ここは対価としても、上乗せしておこう。


「うん。帰ったら手当付きで払うよ。だけどまずは……うん?」


 ここで異変に気づく。

 床に倒れていた少女達。

 それと、毛髪の夢魔を生み出したとされる遺体も…。

 目を離した内に、部屋から消えていた。

 まず、彼女らを連れ出さなくては…と、フランソワに伝えようとしたのだが…。


 行方を眩ました彼女達を探すように、私が首を動かしていると。

 フランソワから声を掛けられた。


「お探しの彼女達は、()()に転送しておきました。これでよろしかったでしょうか?」

「君かい!仕事が早くてビックリしたよ!?事前に伝えてくれると凄く助かるかな!?」


 第三者が連れ去ったのではと心配もしたが、ウチのメイドの仕事が迅速すぎただけだったようだ。


 フランソワが有能すぎて、ほんと私の無能っぷりが際立つよ…。

 私も、もっと精進しないとね…。


「かしこまれました。では坊っちゃま。彼らは…いかがいたしますか?」


 彼女が指したのは、クロガネとニクロフ青年。


 これ以上の我々との関わりは、彼らを更なる危険な目に遭わせることになるだろう。

 けれど、クロガネが悪夢を見ている現状。

 このままには、しておけない。


「うん。二人を連れていこう。それと、地上で扉を押さえてくれている御令嬢も忘れずにお迎えしてね」


 こくりと小さく頷いたフランソワ。

 彼女は指先を二人に向け、くるんと指を回す。

 その仕草に目を取られていた一瞬…。

 彼らから目を逸らした瞬く間に、二人の姿は消えていた。


 と、ここでひとつ疑問が…。


「今、見てて思ったんだけど。君のいつも言ってる掛け声って、もしかして必要なかったりするのかい?」


 あのゆるい詠唱を今回は省いていた。


 今も、そして誘拐された少女達を転送した際も。

 ということは…。


「その場のノリで言ってるだけで特に意味はありません。基本は面倒なので無言ですケド。もしも坊っちゃまが聴きたいというのであれば、サンプリング音源を収録して1000レイスで販売しますが。……取引されますか?」

「うん…。今は止めておこうかな…。供給に、世間の需要が追いつきそうになったら、その時は買わせてもらうよ…ははは……」


 やっぱり、あの詠唱は雰囲気だけのものだったのか。

 緩すぎるとは思っていたけど…。

 うん。納得だ…。


 しかし、商業向けの事業展開を画策しているところ申し訳ないが、そういうのはシンフェミアではウケが悪い気がする。

 するならここではなく、ラティアとかの方が好む層は多そうだ。


 本収録ではなく、サンプル音源だけで料金をガッツリ稼ごうという魂胆が見えていることについては特に深追いも言及しないけどね。……って、うん?その詠唱音源って…。


 私…専用…なのか?話の流れとしては。


 フランソワは、そう言ってるのか?



━━━━━うーん。それはそれで、反応にとても困るね…。



「坊っちゃま。上には誰かいるのですか?」

「うん?来る時に会わなかったかい?」

「ワタシは坊っちゃまの座標を指定して飛んできただけですので」



 なんかサラッと、彼女はとんでもないことを言っている。



 それはつまり、私が何処にいようと場所を特定してやって来るということ。

 使いようによっては、恐ろしく聞こえてるよ。君の能力…。


「そ、そうか…。地上にはフリューゲル嬢が居るんだよ。どうやらさっきまでここにいた青年と一緒にやって来たらしい」

「フリューゲル?()()フリューゲル…でしょうか?」

「うん。アルバ・フリューゲル殿の曾孫だね」


 私の発言を聞き、フランソワは死んでいた目を大きく見開くと…。


「サイン貰ってきます」


 と、一言だけ残し。

 スッと、その場から瞬時に移動して立ち去った。


 確かに、アルバ殿の著書。

 『魔物と歩む大陸記』を彼女が熱読していたとは聞いたことがあったけど。

 これから君がサインを貰いに行こうとしている相手は…。


「━━━━━その著者ご本人じゃないけど…。いいんだろうか……」


 今頃、地上でサインを迫られ困惑するフリューゲル嬢。

 彼女の慌てふためく姿が目に浮かぶ中。

 助け舟を出すためにも、私は地上へ向けて通路を小走りで進み始めるのだった。


「違いますからぁぁぁあ!!!残念ですけどぉぉぉおおお!?」



━━━━━うん。なんかもう始まってるね!



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ご一読いただきありがとうございます。


GWも社畜していた作者です。


連休明けに、やっとこ時間が作れましたので続きを更新!

更新頻度については目を瞑っていただけますと幸いぃ…。


さて、それでは筆者のリアル事情は置いておいて。

後書きに参りましょう。


今回はルシェ視点ではなく、トゥエルノさん視点でお送りしました。

語り部の交代……にはなりませんので、そこはご安心を。

ですが、この章のもう一人の主人公は彼でもあります。


トゥエルノさんは、幻燈祭を通してレンカさんと知り合い。

少しずつですが、心境に変化が現れ始めています。

彼にとっては些細な変動かも知れません。

それでも、この小さな変革は彼の行動に確実な影響を及ぼしており。

彼女から告げられた言葉は、度々フラッシュバックするほど。

その言葉が余程にまで印象深く響いたのか。

はたまた彼女のことが気になりすぎて夢中なだけなのかは、さておき…。

トゥエルノさんを取り巻く環境と、彼の父親へ対する感情。

それらが行きつく先で、どう形を変えていくのか。

彼の選択次第で、いくらでもシンフェミアの未来は創造できそうですね。


本編ではレンカさんが、いつものようにとんでも行動を起こしていましたが。

影響力があるレンカさんによって、本来起こるはずだった運命も違った結末に向かっているみたいです。

異世界からの訪問者は、この世界にとっても好ましくない存在のはず。

いつの日か、本来あるべき運命の輪に戻そうと。何らかの世界の修正力が働く日も近いかもしれません。

ですが、彼女を擁護する?新たな団体も、裏で動いていたりするわけなのですが……それはまた後日のお話です。


と、いうわけで。そろそろお時間です。


新しい登場人物として、正式にフランソワが話に関わってきた今回。

彼女は、トゥエルノさんから魔女であると語られていました。

魔女の話題は今まで本編内でしつこく触れてきましたが、満を持しての一人目登場です。

ええ、そうです。一人目です。

アホみたいにたくさんは出しませんが、これからぞろぞろと。

ルシェたちの視点から見れば、バッタリと遭遇していくのでお楽しみに。


それでは。

やけにチートすぎるフランソワさんの今後の活躍にも期待してもらいつつ、お別れの挨拶としましょう。


次回の更新は雨季中に…とでも言い残しておきます。

今月中に、もう一本は無理かもしれないので!!(焦)


では、またご縁がありましたらお会いしましょう。









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