進捗状況
試合が始まる前に、ルテアが装備のメンテナンスをしてくれるというので、僕は彼女に剣を預けた。
「緊張はしていないのか」
剣の手入れをし始めたルテアは、視線を外さずに話しかけてきた。
「してない、かな。今のところは」
言われてみれば、不思議と落ち着いた気分だ。命の危険すらある決闘に挑もうというのに、どうしてこんなに穏やかな気持ちなのだろうか。
「そうか」
それだけ答えると、彼女は無言で作業を続ける。
「……こういうとき、ルテアは緊張しないの?」
妙に居心地の悪くなった僕は、静寂に耐えきれずに尋ねた。
「こういう場面に出くわしたことはない」
「えっと、じゃあ、戦に出るときとかさ」
「気持ちが高まることはある。だが、緊張とは少し違うな」
「もしかしたら、死ぬかもしれないのに?」
「覚悟の上だ。死を恐れていては、前に進めない」
彼女は歴戦の戦士だ。戦に対する心構えもできているのだろう。
では、僕が平静でいられるのはなぜか。
勝利が約束されているから? ゼヴとミカ・エラの力を借りれば、たぶんプラントンなんて敵じゃない。だけど、そんな風に考えたくはない。
一騎打ちを受けたからには、プラントンだって名誉と誇り、そして多大な責任を負って舞台に立つのだ。お互いに命を懸ける意思を持って臨む試合で、相手を軽んじるような真似はしたくなかった。
「伝承のほうはどうだ? 順調といえるのか?」
剣を研ぎ始めたルテアが唐突に質問を投げかけてくる。
……忘れていた、わけじゃない。僕が旅を始めた目的は、伝承の再現をすることだ。
今はモーバリウスとのことで頭がいっぱいで、そっちまで意識が回っていなかっただけだ。
「順調、だと思うよ。伝承通りに事が進んでいるかどうかは確かめようがないけど、少なくとも僕は業魔に近づいたと思うし」
「東の王。天体を占う者に導かれ、白銀の騎士と果てを歩まん。双頭の赤龍、分かたれしとき、業魔来たりて災いを鎮めん」
ルテアが言ったのは、僕たちが再現しなければならないとされる伝承の一節だ。
「なんとなく、前半部分は再現に成功したと思うんだよね。アムとルテアで、僕たちはルーテルムダークを訪れた。あの場所はプリスダットとモーバリウスの国境だから、果てっていう表現も当てはまってる気がするし」
「東の王は? お前は業魔なのだろう?」
「そのはずだけど……、もしかしたら、東の王が業魔になるってことなのかもしれない」
「では後半は? 双頭の赤龍というのはなんだ?」
「そこが、どれだけ考えてもわからないんだよね」
アムリボーも、双頭の赤龍については言及していなかった。彼が聞いていた話の中にも、双頭の赤龍の存在はなかったのだろう。この様子では、ルテアも同じと考えてよさそうだ。
曲解せずに読み解くならば、空想上の怪物が現れて世界に災いを振りまくので、それを業魔が止めるということになる。
が、現実にあり得るのだろうか? 竜などというものが、存在する?
魔法が実在した以上、竜の存在を完全に否定することはできない。この世には自分の知らないことがまだまだたくさんあるのだ。
……そうだ、僕にはいい話し相手がいるじゃないか。魔法の存在を証明した何よりの人物が。
『ねえ、ゼヴとミカ・エラは、竜に会ったことある?』
『竜? 知らんなぁ』
『おとぎ話の生物でしょう? 存在するはずがありませんわ』
二人とも、知らないとの意見だった。
だったらなおさら、謎が深まるばかりだ。
「そろそろ時間のようだ。エインズ、用意をしろ」
剣をもたげたルテアは、扉から入ってきた兵士たちを見て立ち上がった。
途端に鼓動が早くなる。
いよいよか……。さっきまで緊張とは無縁だったっていうのに、いきなりどうしちゃったんだ。
自分に叱咤激励し、僕は試合会場へと向かった。




