釣り出される奴隷商と王子
「あら? 出てきちゃったの? てっきり、奥へ逃げるもんだと思ってたのに」
「パルマ!?」
咄嗟に名前が出てきたのは、彼女に対する印象が強かったからだと思う。
「覚えててくれたんだ! 嬉しいなー。ま、そんなことで機嫌が良くなったりはしないんだけどね」
「ミラス、下がってて。彼女はとても危険だから」
我ながら騎士らしい言動だと思う。
ミラスを背後に庇いながら、剣を構える。
だが、自信があるわけじゃない。ましてや、彼女には一度、完膚なきまでに敗北している。あの時みたいに暗い夜ではないとはいえ、彼女のスピードについていけるかは賭けに近い。それに、明るさで言えば彼女だって条件は同じだ。
『やけにビビっとるやん。そんなんで大丈夫かいな』
『ゼヴだって知ってるでしょ。彼女が一筋縄ではいかない相手だってことくらい』
『それなら、わしが力を貸したってもええで』
ゼヴの思わぬ提案に僕の目が泳いだ一瞬のスキを、パルマは逃さなかった。
「ふんっ!」
俊足のパルマは僕が焦点を合わすより早く、眼前に迫ってきた。
「ぐっ……!」
腹部へ拳の一撃を受けて、僕の体がへの字に折り曲がる。
しかし、一度は受けた攻撃だ。
歯を食いしばって無理やり顔を上げると、僕は空いた手で殴りかかった。
次の攻撃態勢に入っていたはずのパルマだったが、彼女はさっと身を引いた。
「すごいじゃん。でも残念だねー。あたしとインファイトで打ち合おうだなんて、百年早いよ」
僕の渾身の反撃は空をかすめただけだった。
『油断したらアカンて。で、どうするんや? わしの手助けが欲しかったら、そう言うてくれんと』
考えている余裕はない。パルマとの差は歴然だ。ゼヴの助けを借りてこの場を切り抜けられるなら、そうすべきだろう。
『わかった。助けてよ』
『ちゃうちゃう。もっと丁寧に頼んでくれなアカンわ』
『それどころじゃないって、わかってるでしょ!?』
「なーにしてるのかなぁ? もしかして、あたしに勝てないってわかって怖気づいちゃった? もー、気付くのが遅いんだから」
ステップを踏んで、またしても一瞬で間合いを詰めるパルマ。
速さに動体視力が追い付かない僕は、全身に力を入れた。
一撃を受けるなら、せめてダメージを少なくしなければ……!
腹に一発もらうなら、まだよかったと思う。でも、パルマには僕の考えなんて見え透いているようだった。
彼女は僕が守りの姿勢に入っていると判断してか、より大ぶりで威力の大きい回し蹴りを飛ばしてきた。
反射的に腕を上げてガードを固めたものの、それすら貫通するような力だ。
顎が砕け、脳が揺さぶられるような衝撃。刹那の間、視界がぼやける。
倒れることだけは踏みとどまったが、もはや相手が何をしてこようと対抗する余裕はない。次の攻撃で倒れることは確実だった。
「こらこら、邪魔しないのー」
見ると、ミラスがパルマに組み付いていた。
「ミラス、ダメだ……」
声を出そうにも、腹を殴られたからか思うような声量が出ない。
ミラスはあっさりと振り払われ、うろたえたスキに強烈な右フックを腹に受けていた。
華奢な体にはあまりにも強すぎる一撃。
ミラスは耐えきれず、静かにその場に沈み込んだ。
『ほら、どうするんや? このままやとやられてまうで?』
『この人でなし……』
『なんやて? もういっぺん言うてみい』
「人でなしって言ったんだ! 君の力なんて借りない!!」
ゼヴのからかうような発言に、僕は強い怒りを感じていた。怒りのあまり、声が出てしまったくらいだ。
「なになに? せっかく庇ってくれたのに、それはないんじゃない?」
パルマが地面に転がるミラスを見ながら嘲笑する。
「かわいそうにねぇ。わざわざ身を挺して守ってあげたっていうのに、ひどい言われようじゃん」
ミラスは呻くも、その口から言葉が出てくることはなかった。
「ミラスのことを言ったんじゃない。僕の中にいる悪魔に向かって言ったんだ。名前の通り、こいつは悪魔だったよ。信用しようってほうが間違ってた」
「へぇ、そう。頭やられて、おかしくなっちゃった?」
憐れみを含んだ視線でこちらを見るパルマ。
『そこまで言われたら、こっちも黙ってはおられへんなぁ。ま、オマエに死なれたらこっちも困るし、今回は貸しってことにしといたるわ。わしも極悪人やあらへんからな。ミカ・エラはどうや? コイツに貸しを作っといて、損はないと思うけど?』
『わたくしは遠慮しておきますわ。あなたと違って、他にも生き残る術はありますもの。それに、あなたがたと馴れ合う気はありませんし』
『残念やなぁ。アンタと力を合わせたら、めっちゃ派手なことができそうやったのに』
話が終わるや否や、満身創痍の体が急に軽くなった。
痛みも感じない。むしろ気分がいいくらいだ。
『さーて、一泡吹かせてやりましょか。動きはサポートしたる。アンタはやりたいようにやったらええ』
「手は借りないって言ったはずだよ……」
僕は口から出た自分の声に驚いた。
今まで頭に響いていたゼヴの声と、自分の声が混ざったかのようだったからだ。
「今度は何? 頭蹴り飛ばしたら、声までおかしくなっちゃったの?」
再びパルマがステップを踏み始める。
「それじゃあ、そろそろかわいそうだから、お終いにしてあげるね」
彼女は左右にリズムよく体をスウェーさせると、そのままのテンポで前進してきた。




