ルーテルムダークにて
目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
青々と茂る草がそよ風に揺れている。川のせせらぎが聞こえるだけの静かなところだ。
起き上がって、辺りを見渡す。ところどころに露出した岩々。その間を縫うように流れる清流。周囲には小さな花々が色とりどりの花弁を広げている。
ここは天国か……?
ふと、そう思った。
昨夜は、とても長く感じた。抜け出せない夜の迷宮に迷い込んだかのようだった。
「アム……」
思い出して、胸が苦しくなる。
あれからどうなったのだろう。ルテアやミラスは無事なのだろうか。
……僕の身に、何が起こったのだろう。
『なんも起こってへん』
頭にクセの強い声が鳴り響いた。
幻聴か? ビックリした。夢の中で聞いたのと同じ声だ。まさか、まだ夢を見ている……?
『夢やあらへんっちゅうねん』
夢じゃない? だったらなんだって言うんだ。
『説明したやないか。もう忘れてしもたんか?』
まさか、ほんとに悪魔だなんて言うんじゃないよね?
『悪魔や。もっとうまいこと言えたらええんやけど、今はそうとしか言えん』
――それを信じられる根拠は?
『せやなぁ、わしがその気になったら、お前の体を乗っ取ることもできるんやけど、試してみるか?』
えらく物騒な提案だ。だが、そこまで言うからには、やってみてほしい気もする。
でも、それで本当に乗っ取られたら? 返してもらえないままだったらどうなるんだ?
『心配せんでええ。お前の体にはもう一人、悪魔が住み着いとる。そいつがおる限り、この体の主導権を永遠に握り続けることなんかできひん』
もう一人って、あの女の?
『ご名答ですわ。おぼえていらしたのですね』
胡散臭い気品を匂わせるような話し方。間違いなく、暗闇の中で聞いた声と同じものだ。
『君も悪魔なの?』
『ゼヴが言うように、他に適当な答えが見つかりませんものね。今はそれでいいと思ますわ』
たしか、ミカ・エラだっけ。彼女の返答を聞いた後、僕はハッとした。
今、頭の中の声と会話したぞ。それも、すごく自然に。
『わたくしとゼヴは、あなたの体を半分ずつ分け合って共生しておりますの。あなたにとっては不本意でしょうけど、とある理由で抜け出すこともできないのですわ。だから、当分の間、お世話になりますわね』
『世話になるって、僕は何も許してないんだけど』
『お前の許可なんか求めてへん。わしらかて、好き好んでこうしとるわけやない。それにや、わしらがおらんかったら、お前は体に入った毒で死んどったんやぞ。感謝せえよ』
……毒? あの時、気を失ったのはやっぱり毒のせいだったのか。
『……わかったよ。じゃあ、いつになったら出て行ってくれるの?』
『力を取り戻したら、や。それがいつになるかはわからへんけどな』
『力? 力ってどんな?』
『まあ、簡単に言えば魔力やな』
『魔力!?』
『でっかい声出すなや!』
魔力と聞いて、僕の心臓は高鳴った。ここに来て、魔法の手がかりどころか、それを持ってる人物――人と思っていいか定かではないが――と出会うことになるとは。
てか、頭の声でもボリュームの概念があるんだ。初めて知った。
『お前のことは中に入ってからずっと見てきた。魔法使いになるために、あれこれやっとったみたいやな。伝承の話も知ってる。お前が業魔って言われる伝説上の人間の末裔ってこともな』
『今までのこと、全部見てたの?』
それはそれで、なんだか不快だ。
『せや。あのアムリボーとかいうヤツの言うところによれば、ここが例のルーテルムダークっちゅう場所で間違いなさそうやな。ここは業魔ゆかりの場所なんやろ? ほら、辻褄が合ってきた』
なんだかすごく突拍子もない話だが、言われてみれば、事は伝承通りに進んでいる気がする。伝承によれば、旅人と業魔はここで出会うはずなのだ。
待てよ。だったら、業魔はゼヴとミカ・エラってことにならないか?
『その可能性もなくはないですわね。ですけど、わたくしたちはあなたの体から出られない身。現状を鑑みるに、あなたを業魔としたほうが正しいと思いますわ』
『そうなのかな……? でも僕は、相変わらず魔法を使えないままだよ?』
『当たり前や。魔法っちゅうのは、血で使うもんや。最初から誰でも使えるわけやあらへん。けどもな、わしらが力を貸せば、お前も魔法を使えるようになるかもしれへんで』
『ほんとに!?』
『あくまで、可能性の話や。試してみいひんことには何とも言えん。……と、誰か来たみたいやで』
頭の中の二人との会話に集中していた僕は、ゼヴに言われてようやく近づいてくる人影に気が付いた。
「ルテア! それにミラスも!」
すごく久しぶりに二人の顔を見た気がする。歓喜のあまり、僕は二人に駆け寄って抱き着いた。
「お、おい、よせ!」
「ちょっと、どういうつもり?」
二人とも動揺していたが、無理やり引き剥がすようなことはしてこなかった。
「無事でよかった……。二人がいなくなってたら、僕、どうしようかと――」
「大げさだな」
「そうよ。こっちからしてみたら、あなたの具合のほうがよっぽど心配だったわ」
ルテアとミラスは口々に言った。
「……おい、いつまで引っ付いているつもりだ?」
いよいよルテアが怒り出しそうだったので、僕は慌てて離れた。
「その様子だと、元気そうね。毒が回ってたように見えたけど、何か別のことが原因だったのかしら?」
ミラスが首を傾げる。
ゼヴとミカ・エラのことは黙っておこう。僕の中でも、まだ整理ができていないし。もう少し頭の中の住人とも話をして、信用できそうなら二人に打ち明けてもいいかもしれない。
『おい、全部筒抜けやぞ。女二人に抱き着いて、ちょっと興奮してたこともな』
ゼヴの声が頭に響いて、僕は彼に対して初めて苛立ちを覚えた。




