逃げ場を失う孤独な王子
ルテアを追い始めて、どれくらいが経っただろうか。道と思しき土の上をひたすら進んできたが、まだ彼女には追い付けない。
いつの間にか月が高く上がって、暗さにも慣れてきた目に周囲の光景が映し出されてきていた。
ふと、道端の茂みに目をやると、そこに一輪の花が咲いている。赤く妖しげな花弁を開いて、こちらを誘うように揺れている花。
「アキネチア……」
そのとき、ようやく気が付いた。
辺り一面を覆い尽くすツタの茂みと、そこかしこに点在するアキネチアの花たち。
いつの間にか、アキネチアの群生地に足を踏み入れていたのだ。
月明りがなければ、自分の置かれている状況に気づかないまま道を外れていたかもしれない。そうなったら、たちまち棘に体を刺されて毒を受けていただろう。
夜闇の中に一人、アキネチアのど真ん中に立っている。それだけで、恐怖をあおるには十分すぎた。
そんな中、僕は足音を聞いた。それは進行方向から、一歩ずつ近づいてくる。
「ルテ――」
言いかけて、口をつぐむ。
違う。あの人影はルテアじゃない。
だったら誰だ? こんなとこで一人で、夜更けに何をしている……?
それを言ったら自分もそうなのだが、ツッコミをいれる余裕などない。
「見つけマシタ……。アナタがエインズ王子デスネ」
ねっとりとした男の声だ。
長身で長髪、頭には円形の帽子をかぶり、大きくせり出したつばが暗い影を落としている。足元まであるロングコートを羽織り、手には黒い手袋をはめていた。
「ドウモ……。ヌリマナス・ラフィンとイイマス。お見知りおきを」
ヌリマナスは恭しくお辞儀をした。
「し、知らないな。僕に何の用だ?」
「そう構えないでクダサイヨ。用が済んだら、すぐに帰りマスから……」
そう言ったヌリマナスのコートの袖口から、何かがシュッと飛び出した。
ナイフだ。月の明かりで、彼の握ったナイフの刃がやけに光って見える。
「誰の差し金だ? 僕を殺そうっていうのか?」
ヌリマナスは答えない。黙ったまま、じわじわとこちらに向かってくる。
先行していたはずのルテアはどうしたのだろうか。まさか、この怪しげな男にやられてしまったのか? あり得ない。彼女に限って、そんなことがあるはずない。
……とは言っても、ルテアもアムリボーもいない以上、この男をどうにかするのは自分しかいない。
僕は剣を引き抜いて、正面に構えた。その時だった。
「あら、獲物を見つけちゃったのね。せっかく狩りを愉しめると思ったのに」
今度は背後から声がした。まだ年端のいかない少女のような声。
肩越しに振り返ると、これまた見覚えのない女が立っていた。
露出度の高い、ミラスを思わせるような格好だ。ただ、あの奴隷商人とは違ってこちらは帯のような服というより、継ぎ接ぎみたいな感じだ。とはいっても、決してみすぼらしい印象は受けない。動きやすさのためにそうしている気がした。
顔はまだ幼さの残る少女みたいだ。短い髪は自分で切っているのか、長さが不揃いでボサボサだった。
「ハロー。あたしはパルマ。ヨ・ロ・シ・ク」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、パルマがこちらに手を振る。
ヌリマナスの仲間と思ってよさそうだ。となれば、絶体絶命。
アキネチアに囲まれた道の前後を、得体の知れない敵に挟まれてしまったのだ。
なぜこいつらは僕のもとまでたどり着けたんだ……? 前にはルテア、後ろにはアムリボーとミラスがいたはずだ。道は一本道で、周囲には毒花の茂みがある。
謎は深まるばかりだったが、それどころではない。
距離を縮めていたヌリマナスが、一気に前進してきた。
手に光るナイフを懸命に目で追って、なんとか初撃を避ける。
剣を振る暇もなかった。瞬く間に懐に飛び込まれ、ナイフを振りかざしてきた。
ナイフの風切り音を耳に聞きながら、僕は剣を振った。
当たるかどうかは気にしていなかった。ナイフと剣を比べれば、そのリーチの差は歴然だ。振れば相手との距離が離れると思ったのだ。
案の定、ヌリマナスは身を引いて距離を置いた。
「んん~、なかなかイイ太刀筋デスネ。聞いていた話と違うようデスガ……。まあ、問題ないデショウ」
指の間でナイフを躍らせながら、ヌリマナスが絡みつくような声で言う。
「ちょっと楽しそうじゃんか。ヌーリだけズルいよ~」
僕の背後で駄々をこねるパルマ。
「パルマさん。申し訳ないデスネ。ワタシが先に見つけマシタカラ……。ただ、予想以上に面白そうナノデ、少し分けてあげてもイイデスヨ?」
「え! ほんとに!? やった~!」
なんなんだ、この二人……。僕を挟んで変なやり取りしないでくれるかな。
「それじゃ遠慮なく……」
えっ!?
さっきまで10メートルは開いていたと思っていたパルマまでの感覚が、もう2メートル足らずまで縮まっている。
「いつの間に……!?」
言う間もなく、パルマは急接近してきた。
彼女の武器はなんだ? 手には何も持っていない。何をしてくるんだ!?
近づかれるのを嫌った僕は、先手を打とうと振り向きざまに剣で薙ぎ払った。
「わ!」
特に驚いた雰囲気もなく、パルマはわざとらしく声を出す。
「フフフ」
しまった!
ヌリマナスの接近を許した僕は、慌てて向きを変えて剣を振り下ろす。
「見え透いてマスヨ?」
高い身長からは想像できないほど滑らかな身のこなしで体を横にスライドさせるヌリマナス。
避けられることくらい、わかってたさ!
半ばヤケクソ気味に、僕はヌリマナスに突進した。
いざというとき、ルテアから教わった反則技だ。騎士道には反するかもしれないが、命を奪われるよりは断然いい。
思いがけず相手に近寄られたヌリマナスはうろたえて、僕の体当たりをもろに受けた。
共倒れになって地面に転がる僕とヌリマナス。
「うーん、ナンセンス」
近くで聞くと、彼の声はより一層気味が悪い。
が、気にする余裕はない。僕は目の端にキラリと光るナイフの刃を捉えた。
体が触れるほど距離が近ければ、武器のリーチによる有利不利は逆転現象を起こす。剣はろくに振れないが、ナイフなら相手を一突きにできるのだ。
身の危険を感じるも、今から起き上がって体勢を立て直している時間などない。
僕は剣から手を離し、起き上がりざまに全体重を預けた拳をヌリマナスの顔面にお見舞いした。
「ウブッ!」
相応に手も痛かったが、彼にも確実にダメージを与えたようだ。
ヌリマナスが再び動き出す気配はなかった。
「ええっ!? ヌーリ!? やられちゃったの!?」
オーバーリアクション気味にパルマは言った。
とりあえず、なぜかは自分でもわからないけど一人倒せた。
大丈夫。ルテアの教え通り、冷静にやれば戦える。
剣を拾って立ち上がった僕は、パルマに向き直った。




