アムリボーとミラス
ルーテルムダークまでは、モーバリウス王国に続く街道沿いに進んでいく。なだらかな丘が連なる平原を抜けて北上していき、山地に行き当たるところで進路を西へと変える。すると山間を北へ伸びる道があるので、それに沿って国境の山脈へと分け入っていくのだ。
日数にして3日。徒歩での移動なので、4日かかることも想定された。1日目の夜に、平原を抜けた先にある小さな村に到着できれば、初日は野営をしなくて済む。
だだっ広い草原に少々飽き飽きしていた僕は、前を行くルテアと、距離をとって後ろからついてくるミラスを気にしながら、隣を歩くアムリボーに話しかけた。
「ミラスは奴隷商なんだよね? アムとはどういう知り合いなの?」
「ミラスは俺の従妹だ」
予想外の返答だったが、存外、驚きはしなかった。アムリボーと親戚だというなら、伝承の旅人の話を知っていた理由も説明がつく。
「仲、悪いの?」
「えらく立ち入った質問をしてくるんだな」
「あ、ごめん。答えにくかったら、いいよ」
二人の間には、険悪とまではいかずとも、それなりに距離があるようだ。僕は聞かないでおくことに決めた。
口を開いたのはアムリボーのほうだった。
「気にするな。大したことじゃない。あいつとは子供の頃からの付き合いでな。昔はよく会っていたもんだ」
話の内容とは裏腹に、アムリボーの視線は前方を強く見据えている。
「あるとき、あいつの母親が倒れた。当時まだ奴隷商として駆け出しで、売り込み中だったミラスの商売敵が毒を盛ったんだ。ルーテルムダークに自生する猛毒の植物、アキネチアの毒だった。植物に関して、そこそこ詳しかった俺は毒の正体をすぐに見破ったんだが、治療法がわからなくてな。なす術もなく、あいつの母親は死んだ。それからだ。あいつが俺と距離を置くようになったのは」
「そっか……」
「俺はアキネチアの解毒方法を必死になって調べた。それでわかったのさ。解毒には、人の生き血が必要だってな。あとになってそのことをミラスに伝えたが、手遅れだと言われた。それはそうだよな。悲しげだったよ。あいつも、自分が奴隷の商人なんざに手を染めちまったことを、後悔しているようだった」
「ミラスは……どうして奴隷商に?」
「さあな。はっきりとしたことは言えないが、どうも父親が関係しているらしい。あいつの家も決して裕福とは言えなかったからな。どんな手段を使ってでも、金を稼ぎたかったんだろう」
そのミラスは今、母親を殺した毒の治療法として旅に同行している。もちろん、必ずしも誰かが毒に侵されると決まったわけではないが、彼女は平気なのだろうか。
「その、アキネチアの毒を治すために、どれくらいの血が必要なものなの? まさか、治療する側が死んじゃうってことはないよね?」
僕は内心、恐れていた質問をアムリボーにした。
もし、治療のために命を落とすというなら、ルーテルムダークへ行くのは諦めよう。誰かを助けるために、別の誰かが犠牲になる必要なんてない。ましてや、これは避けられる危険なんだから。
「死にはしない。もし仮にそうなりそうだったら、俺がなんとかする」
相変わらず、アムリボーは前を見たままだ。その表情に一切の変化は見られない。
彼の言葉を、どう捉えたらいいのだろう。
毒を受けた者か、血を提供する者のどちらかは死んでしまうリスクを孕んでいるという意味なのだろうか。
「ねえ、毒を避けて通ることはできないのかな? アキネチアの群生地は、必ず通らないといけないの?」
いくら猛毒を持っていると言っても、相手は植物だ。動かない相手がわざわざ襲ってくることはないだろう。迂回するルートはないのか。
「……ない」
「お前たち、走れ!!」
今度はアムリボーの言葉を、ルテアの緊迫した声が遮った。
「ルテア、どうしたの?」
「いいから、街道沿いにさっさと走れ! 村はもう目と鼻の先だ。そこで合流する」
そう言うと、ルテアは村とは反対方向に走り出した。彼女が行く方角に目をやると、ミラスよりもさらに後ろから、何者かが追ってきているのが見えた。
追手か? でも、まだ王都を出て1日も経っていない。この方向から僕たちを尾行してくる人間がいるとしたら、王都から来た他に考えられない。王都内で、僕らを見張っていた人間がいた? だとしても、奇襲をかけるなら、山に差し掛かってからのほうが相手にとっても有利なはずだ。
そうこうしているうちに、追手は僕たちに追いついた。
見上げるほどの巨体。体格で言うなら、アムリボーだってなかなかの巨躯だが、相手はその一回りは大きい。それが、全身を鋼の鎧で覆っているのだ。腰に携えた剣も、常人では扱いきれないような大きさだ。
「バルエスダ……、なぜここに……!」
ルテアが歯の隙間から絞り出したような声で言う。
「ワタシ、殿、任された。軍、退却した。でも、ワタシ、使命、果たす……」
歯切れの悪い口調で、バルエスダは低く唸る。
「エインズ、ここはルテアの言う通り逃げるぞ」
アムリボーが僕とミラスを庇うように立ちはだかる。
自身の体の数倍はあろうかという騎士相手と、ルテアは一人で戦うのか?
「ルテア!」
「走れと言ったはずだ! 何をグズグズしている!」
彼女に助けをと思ったのだが、僕は一蹴されてしまった。
「ルテアだって、3人を守りながら戦うのは難しいはずだ。俺たちは先に行って、彼女の無事を祈ろう」
わかってる。戦闘に関しちゃ、自分が足手まといなんだってことくらい。
けど、力になりたいじゃないか。ルテアには何度も窮地を救われたんだ。今度は僕が力を貸す番になったって、いいじゃないか。
ルテアへの視線を引き剝がされ、僕はアムリボーに半ば抱きかかえられるようにして、先を急いだ。




