妖艶なまじない師(?)
父上の計らいで、旅の支度には事欠かなかった。必要な物は従者に言えばすぐに用意してくれるし、王の力をもってすれば不足する物などあろうはずもない。
ルテアは傭兵団の仲間と報酬の取り分や今後の方針について話をすると言って、単身城を出て行った。
旅の遠征中の事故や病気の備えとして、アムリボーは数十種類の薬草や、動物や鉱物といった生薬を取り揃えたいと言った。オルム村の自宅兼旅人の隠れ家から持ってきた薬もあるが、それでは不十分だというのだ。
アムリボーの言う薬の材料の名前は難解で、侍女に言いつけても到底覚えきれなかった。ならばと紙に書いて渡すと、今度は「どれも目にしたことのない品ばかりで、わかりません」と言う。
買い出しには、僕とアムリボーの二人で行くことにした。
戦場となった王都は、まだ瓦礫の片付けに着手し始めたばかりだった。といっても、城でセンティに聞いたところ、街で大規模な戦闘は起こらなかったらしい。王都になだれ込んだモーバリウス軍だったが、門が閉まって退路を断たれ、街のいたるところに潜伏していたプリスダット軍の奇襲で、早々に武器を捨てたのだ。死者は出ず、街への被害も家の壁が一部欠落しているとかで、大きくはなさそうだった。
「ルーテルムダーク、だっけ。僕たちが目指す場所」
街を歩きがてら、僕はアムリボーに聞いた地名を尋ねた。
「そうだ。別名、流麗の地。詩人の歌に出てくるような、美しい景色が広がっているらしい」
「へえ、どんな?」
「俺も話で聞いただけで、実際に訪れたわけじゃないが……。険しい岩山が立ち並び、間を清らかな川が流れているそうだ。川のほとりは緑にあふれ、岩山と川と植物が調和する光景は、それは見事だと聞く」
想像するだけで絶景が目に浮かぶ。城の近辺も広大な草原が広がっていて美しい眺望だ。断崖絶壁の外には紺碧の海が横たわっている。自然の豊かさでは引けを取らないプリスダットだが、この世には未だ見たことのない景色がごまんとあるのだと、つくづく思う。
「そこに、『業魔』がいたはずなんだよね?」
「ああ。少なくとも、俺が伝え聞いた話によれば、な。お前が本当に業魔なら、昔ルーテルムダークに住んでいたのかもしれないな」
生まれてこの方、ほとんど城を出ていない僕の記憶に、詩人が歌うような景色は刻まれていない。住んではいなくとも、小さい頃に行ったことくらいならあるかもしれないが。あとで父上と母上に聞いてみるか。
進むにつれて、前方が賑やかになってきた。大勢の人の声と、道を急ぐ雑踏の音。
「プリスダットの市場か。来るのは久々だ」
露店の立ち並ぶ広場は、市民が戻って活気を取り戻しつつあった。
「僕は遠巻きに見たことしかないな」
「そうか、お前さんは王子様だもんな」
わざと「王子様」の部分を強調して、からかってくるアムリボー。そんな風に言われると、子供扱いされているような気分だ。
「しかしまあ、ここに俺の欲しいもんはないだろうな。店先に出してたら、通りすがりの客がビビッて寄り付かなくなる」
いったいどんな代物を探してるんだよ。獣の皮とか? 爬虫類のビン詰め? 豚の丸焼き程度なら、まだ見れそうな気するけど。
「ああ、あの店がいいな」
そう言ってアムリボーが向かったのは、市場から少し離れた一軒の店だ。心なしか建ち並ぶ店や家はおどろおどろしく、道路にひっそりと影を落としている。ガラス張りのショーウィンドウを覗いてみるが、蜘蛛の巣と埃にまみれたガラクタばかりで、営業しているようには見えない。
「馴染みの店だ。もう長いこと、顔を出していないが」
言いながらドアを開けるアムリボーに続いて中に入ると、扉についた来客を知らせるベルの音が店内に響く。
意外にも、店内はすっきりしていて、外から見た感じよりも明るかった。ロウソクがそこかしこに灯されているのだ。カウンターが室内を横切る形で設置されていて、入口側が客用のスペースのようだ。壁に据え付けられた商品棚らしきものがあるが、肝心の品物が見当たらない。
「ほんとにやってるの、この店」
「ああ、そのはずだ」
「あー、もう、誰よ。こんな真っ昼間に」
アムリボーが言い終わらないうちにカウンターの向こうの部屋から姿を現したのは、若い女性だった。スキンヘッドと目の周りの黒いメイクが印象的だ。紫色の帯状の布でできた際どい服装をしている。決して派手ではないが、街中に出れば人々の視線を集めること間違いなしだ。
「やあ、ミラス」
親しげな様子のアムリボー。
しかし、ミラスの反応は正反対だった。
「……サム? 何しに来たの?」
眉間にしわを寄せてアムリボーを凝視した後、突き放すような口調で言うミラス。
てか、サムって誰だ? アムリボーのあだ名だろうか。
「欲しいものがある。ルーテルムダークへ行くんだが、アレがまだ用意できてなくてな」
ミラスはキッとアムリボーを睨むと、今度は僕に視線を移した。
この女性はたぶん、アムリボーより『まじない師』をしてると思うぞ。格好だけだけど。
「それじゃあ、この坊やが?」
「いや、こいつは違う。それに坊やじゃない。この国の王子様だ」
「なにそれ。アレをどうこうする以前の問題じゃない」
僕の肩書きには一切の興味を示さず、ミラスが続ける。
「私もそんなに暇じゃないの。わかったら帰ってくれる? 商売の邪魔よ」
奥へ引っ込もうとするミラスに、アムリボーは食い下がった。
「待て。そう結論を急ぐな。こいつは――エインズは『業魔』だ」
ミラスの動きが止まる。だが、彼女は振り返ろうとしない。
「『業魔』……? 確証はあるの?」
「俺が保証する」
わずかな間の後、ミラスは深くため息をついた。
そして再びカウンター越しに立つと、顔面が衝突するくらいの距離にまでアムリボーに詰め寄った。
「その言葉、忘れないでよね」




