驚きの報
まったくもって想定外だ。こんなにも早くモーバリウス王国が侵略を開始するとは。
「陛下、出陣の準備が整いました」
「わかった、下がれ」
自身も王家に伝わる鎧を身に着け、ガスティノは廊下を急いでいた。後ろには側近と妻がついてきている。
しかも、国境に領地を持つラギール伯爵は、領内をモーバリウス軍が通っていくのを黙認したというではないか。おかげで対応が大幅に遅れた。王都は1万を超える敵軍に包囲され、近隣の領主たちに使いを送ることすらままならない。
恐らくは異変を察した何人かの貴族が戦支度を整えているだろうが、彼らとて独断で兵を挙げるとは考えづらい。この状況では、それがもっとも望ましいのだが。頭の冴えた者がいてはくれないものだろうか。
そういえば、さきほど物見から報告があった。南の森付近でモーバリウスの軍勢とぶつかった勢力があったというのだ。数にして100程度。とても援軍とは思えん。兵を出して挟撃するにも、決定打に欠ける。民兵かとも思ったが、身に着けている装備は立派なもので、一般市民に用意できるような代物ではなかったと聞いている。
いずれにしても、だ。使者も出さず、正式な書状も寄越さず、いたずらに領地を侵犯するようなことがまかり通ってはならん。国を預かる者として、最良の選択をせねばならんのだ。
「首尾はどうだ、オースティン」
「はっ。王都内の市民の退避は完了いたしました。兵の用意もできましたので、いつでも出陣できます」
少し顔にしわの目立ち始めた、初老の男が言う。
城に控えている王直属の軍に加え、オースティンの持つ戦力。あとはセンティ率いる近衛兵団を合わせて、総勢5千のプリスダット王国軍。対するモーバリウス王国軍は目測にして1万。戦力差にして2倍。これを埋めるためには、策を用いて戦局を有利に進めるしかない。
「ウィネク。侍女と護衛を率いて、奥に避難しているのだ。これから王都は戦場になる。ややもすると、城にも敵が侵入してくるかもしれん。街でもすでに暗殺部隊が散見されているようだからな。くれぐれも、外に出るんじゃないぞ」
「はい。――あなた」
「む。なんだ?」
ウィネクがしとやかな振る舞いで顔を近づけてくる。
「ご武運を」
耳元で王妃はそうささやき、頬に軽くキスをして踵を返した。
「女王陛下は肝が据わっておいでですな、陛下」
ウィネクの後姿を見ながら、オースティンが言う。
気丈に振る舞っておきながら、あれでいて恐怖を感じているのだ。
心の中ではそう思いながらも、口には出さない。
「オースティン。お前も見習うがよいぞ」
「ガハハ。違いありません」
オースティンはこれくらいの軽口を言える間柄だ。年は少し離れているが、幼馴染も同然に育ってきた。彼は武芸に長け、同時に戦略家の一面も併せ持つ。ガスティノの良き友人でもあった。
「ご子息のことは、本当に良かったので?」
「くどいぞ、オースティン。捜索に回す人員は必要ないと言ったはずだ」
「これは失礼を」
「どのみち、外に出れば四方八方敵だらけだ。捜索隊を向かわせたところで、殺されるのがオチだ」
エインズのことは気がかりだが、今は気にしている余裕はない。無事を祈るよりほかないのだ。
ウィネクの意向もあって、あいつは城内からほとんど出たことがない。ゆえに世間知らずで少々間の抜けた性格に育ってしまったが、母親に似て芯の強いところがある。護衛につけた女騎士も、とある傭兵団の団長まで務めた逸材だ。
……そう思っても、結局、自分を納得させるための安心材料を並べているだけに過ぎない。一刻も早く事態を収束させ、助けを向かわせるべきだろう。
「陛下!」
理路世前と並んだ隊列の間を突っ切りながら叫んだ兵士は、目の前まで来て片膝をついた。
「何事だ」
「申し上げます。たった今、エインズ王子がお戻りになられました。センティ将軍と、見知らぬ男を連れて、こちらへ向かっております」
思わぬ報だった。驚きと嬉しさがこみ上げてくるが、臣下たちの面前、ぐっと押し戻す。これから戦争だというのに、私情で舞い上がっていては示しがつかん。
「ご苦労。下がれ」
朗報を伝えに来た兵士は短く「はっ」と言うと、再び隊列の中を走って戻っていった。
息子の安否を案じていたウィネクがさぞ喜ぶだろう。早速、知らせてやらねばな。
傍に控えていた側近の一人に言伝を頼み、ガスティノは気を引き締めなおした。
心なしか隣でオースティンが笑っている気がする。彼には私の心情がお見通しなのだ。
「さあて、この下らん戦を始めた愚か者の面を拝みに行くぞ」
確かな足取りで、ガスティノは城外へと向かった。




