三つ子
夜が明けた。
朝の光が差し込み、マユリが目覚めた時、信じられない程の至近距離にフィルの顔があった。
(何故? 何故におでこがくっついているの? 何で? 私がくっついちゃったの? 目がつぶれる。睫毛長過ぎ。羨ましい)と一瞬焦ったが、すぐに冷静になり、フィルの体の状態を確かめた。そして、その体の温かさと呼吸の安定した様子から、危機は脱したことが分かった。ほっとして、マユリはそっとベッドから抜け出した。
いつもの朝の準備を始める。
お湯を沸かして、スープを作る。
部屋にいい匂いが満ちてくる。
暖炉の前に、「双子」と言った痣のない完璧なフィルが寝ている。
不思議な思いで眺めていたが、思い切ってそっと声を掛けた。
「おはようございます。朝食はいかがですか?」
「お前は誰だ?」
と半身を起こした完璧なフィルが怒ったように眉を顰めて言った。
(うわー。完璧な通常のフィル様って、こんなプラチナブロンドの髪で、きれいな菫色の瞳なんだ。嘘みたいに綺麗。凄いなぁ。本当、目が離せない位、綺麗な瞳)
「初めまして、私はフィル様にお世話になっているマユリと申します」
「お前は何でここに居るんだ?」
「おはよう。マユリ、誰か居るの?」フィルの声がした。
「フィル様。気が付いたんですね」
「ごめん。マユリ起こしてくれる? 私、指一本動かせないんだ。」
マユリがベッドに駆け寄り、フィルを抱え起こして、背中に枕やクッションを入れて居心地よく座らせた。
「あ、 ジークじゃないか」
眉を顰めて、両腕を組んだ男が頷いた。
「フィル様、こちらが助けて下さったんです」
マユリがおしぼりでフィルの顔や手足を拭いて、身なりを整えながら言った。話しながらも手が止まることはなく、髪を整える。
「そっかぁ。ジークが来てくれたんだ。私、死んだんじゃないか?」
「ほぼ、死んでいたと思う。大丈夫か?」
「やっぱり…。何故助かったんだ?」
(2人で何と恐ろしい話をしているのだろうか。昨日のことを思い出すと、身震いが止まらない。手の中から大事な物が零れ落ち掛けていた)そう思うだけで心が痛かった。
「マユリ、これは私の兄弟のジークだよ。助けてくれてありがとう、ジーク」
「魔法を使うなんて。自殺行為だ。馬鹿。それで、こいつは何だ」とマユリを指差した。
「マユリは私の妹だよ。仲良くしてね」フィルが笑顔で言った。
「妹って何だよ。いつそんなことになった」苦虫を嚙み潰したような顔で言うと、
「この間」と再びフィルが笑顔で答える。
「あのう、お話の途中ですが、先に朝食はいかがですか?ご用意してますので」 マユリがテーブルを指差した。
そこにはいつものオムレツやサラダなどの朝食が準備されていた。マユリを怪しんでいたジークだが、フィルの勧めでテーブルに着き、食事を食べ始めた。
「フィル様。では、水を飲んでみましょうか」
マユリが、水をスプーンで一匙、フィルの口に入れた。
「うん、飲める。大丈夫そう」
マユリはフィルの頭を抱えるように支えて、カップを少しずつ傾けてゆっくりと水を含ませた。半分ほど水が飲めたことにほっとして、
「飲むのが大丈夫なら、スープにしましょう」
すぐにマユリがスープを持って、ベッドの上に上がり、横に座って一口ずつ食べさせる。一口口に入れる度に口元をナプキンで押さえる。手慣れた様子で、かいがいしく介助するその様子に驚くと同時に、
「フィル。お前。小さい子供に甘え過ぎだろう」とジークがため息を吐く。
「私、動けませんし、スープ美味しいですよ」マユリに微笑みかける。
「お前、なにやっているんだ…… 。確かに食事は旨かったが」
「羨ましい? マユリは私の妹だからね。あ、果物も食べたい」
「じゃ、この間のリティの実を剥きましょう」
と嬉しそうにすぐにナイフと果物を準備する。
エプロンの上にライチの実より少し大きなリティの実を乗せ、すぐに皮を剥いてフィルの口元に差し出す。ニコニコのフィルは甘い実を口に頬張ると
「うーん。甘い。美味しいなぁ。もう一個」
「はい、ゆっくり食べて下さいね」マユリも笑顔で、世話をする。
「フィル。お前…。何だよそれ。子供か」
「マユリに食べさせてもらうと、2倍美味しいんだよ」
「そんな,馬鹿なことを。お前幾つだ」
「本当だよ。私の妹は凄いんだ。騙されたと思って。マユリ、一つ剥いて食べさせて」
「そんな。同じ物ですよ。一緒だと思いますが。はい。あーん」
少し頬を赤くして、ジークの口にリティの実を入れた。
(何だこれ。ほんとに甘い。)
口に入れられたリティの実の甘さに驚いて、エプロンの上の実を自分でもかじってみた。通常の味だった。
「何故だ? 甘さが違う」
「そんなことはありませんよ。同じ物なのに」ころころとマユリは笑うが、
「もう一個くれ」 あーんして口に含むと、甘みが段違いだ。なんと不思議なことだろう。それはともかく、
「マユリ、俺も食べるぞ。もう少し剥いてくれ。食べたい」
「ジークは自分で食べろ。マユリこんな奴に食べさせないでいいからね」
「嫌だね」
「お二人とも、子供みたい。甘えたさんですね」
とくすくす笑って、マユリはひな鳥のように口を開ける2人の口に交互に果物を入れた。2人は満足するまで、マユリにリティの実を食べさせてもらった。
「それでマユリは何なんだ」
落ち着いたところで、フィルが今迄のことを話した。異世界から来たこと。フィルに触ることができたこと。この1か月間一緒に生活してきたことを説明した。
そして、蜘蛛に襲われて攻撃魔法を使い、その後は記憶がないと話した。
「ああ、それでか。危機を感じて俺が転移してきたんだ。あの蜘蛛は俺が燃やしたが、あの時お前は呪いが全身に回っていた。だが、不思議なことに呪いが黒い蛇のようになって、体外に出てきたんだ。呪いは何度か戻ろうとしたが、マユリの髪に阻まれて。そこを俺が破邪の炎でぶった切った、という次第だ。そのためか、お前の呪いは薄くなって、痣もほとんど見えない。俺でもお前に触れるぞ。良かったな」
「えっ。触れる?本当に?」
ジークがフィルの頭を乱暴に揺すった。
フィルは驚きに目を見張った。
「そうか、私の呪いが薄くなったんだ。触れられるんだ」
マユリは改めてフィルの顔を見た。
確かに痣が薄くなり、言われないと気が付かない程になっていた。体はまだ動かせないが、呪いは確実に改善したということだ。安堵でため息が出た。
話を聞き終わると、フィルはひどく疲れたようで、
「マユリ。寝かせて」と呟くように言った。
すぐに枕を膨らませて寝かせると体をふとんで包み込む。
襟元を息がしやすいいように少し緩めて、長い髪を邪魔にならないように前に出す。手際よく動くマユリは熟練の看護師の様で、母親のようでもあった。にっこりと微笑むと
「ゆっくり休んで下さいね。そばに居ますから、何でも言って下さい」
「うん。ありがとう。マユリ。離れないで」
「お子様か。俺は魔力も回復したし、皆も心配しているだろうから、一度帰って報告をしよう。流石に昨日は力を使い過ぎた」
「そうだったんですね。ジーク様。昨日は命を救って下さって、本当にありがとうございました」と深々と頭を下げる。
「うん。俺達兄弟は三つ子だからお互いの危険をどこかで察知するんだ。間に合って本当に良かったよ。でも、マユリのお陰もあるから、俺も君に感謝する」
(三つ子? 感謝? 私に? 何もできなくて泣いていただけなのに)と思っていると、
「食事もありがとう。旨かった。じゃ、またな」
とジークが笑って手を振ると、部屋の魔法陣の上に立って一瞬で消えた。
(凄い。一瞬で転移した。ファンタジー。カッコいい。)と魔法陣を眺めていると、フィルがこちらを見て笑っている
「私は生き延びたみたいだね」
「笑い事ではありませんよ」
「ジークが呪いを切ってくれたから、薄くはなったけど、残ってる。だから魔法はあんまり使わない方がいいみたい。今迄通りだね」
「使用禁止です。生きてさえいて下されば。手足が動かなくても、私がお世話をします」
「それは私が嫌だ!」
2人で居れる幸せを噛み締めて、にっこりと笑い合った。