草原
温かい夕食で、お腹が一杯になると、2人で後片付けをする。
台所には冷蔵庫みたいな箱があり、食材が色々入っている。
「ここの物は何でも使っていいよ。分からない時は聞いてね」
フィルはニコニコしてマユリを見ている。
(何て綺麗。優しい笑顔の威力が半端ない。私これからここに住む?嫌われたらどうしよう。私なんて、雪だるまだし、女子力は低いし、取柄は家事位だし)と考えていると、
「マユリ? 疲れたでしょう? 眠れるなら寝たほうがいいよ」
と声を掛けられた。(男の人と2人だけで一つ屋根の下。並んだベッド。16年の人生ではあり得ないこの状況。心臓がバクバクする。落ち着け、落ち着け私。私は妹。隣はお兄ちゃん。妹だから、横に居るのは当たり前。寝よう。寝るしかない。私はすごく疲れている)
ベッドに潜り込むと布団を顔まで引き上げて、「おやすみなさい」と言って、羊を数え始めた。何匹数えたか分からなくなった頃にいつの間にか眠っていた。
どの位眠っていたのか、ふと目が覚めた。
あれ、この布団いつもと違う。天井がすごく高い。周りが何だか暗くて、ふすまがない。月の光が隣のベッドのプラチナブロンドの髪を浮かび上がらせていた。
(ああ、私……。 ここはフィル様の家だ。)
気が付いたら、もう眠れなくなった。ベッドの上に体育座りをして膝の上に顎を乗せ、怒涛の半日を思い出す。
そして隣の人だ。こんな嘘みたいな事。何となく隣を眺めていると、
「眠れないの?」
と紫の瞳が開いて、こちらを見た。
「すいません。起こしてしまって」と顔を伏せる。
フィルは片肘をついて半身を起こすと、長い髪をかき上げて小さく笑った。
「誰かが居るのって、久しぶりだからね。怖くなったの?」
「いえ、何となく目が覚めて」
「まだ、夜中だよ。明日いい所に行くから少しでも寝ようね」
布団をかぶって小さく頷いた。明日の約束に心が少しときめく。大きな手がマユリの指先を優しく握る。温かくて安心する。
「大丈夫だよ。そばに居るからね」
次に目が覚めた時、周りはもう明るかった。
「おはよう」 朝食がテーブルに並び、爽やかな笑顔が眩しい。
「さ、行くよ」外へ出れば子供抱きで、ジェットコースター再びだった。着いた時はふらふらして、足元がおぼつかなかったが、周囲を見ると思わず声が出た。
「なんて美しい所」
目の前には花の咲き乱れる草原が広がっていた。爽やかなそよ風が草花を優しく揺らし、花の甘い香りを届ける。どこまでも続く青い空に白い雲が細く流れる。心が何処までも広がっていく。
振り返ってフィルを見ると、大きく頷かれた。草原に歓声を上げて飛び込んだ。
「素敵。あ、これコスモスみたい。こっちはフリージア? いい香り。あ、ラベンダー。何、ここ何でも有り? あ、ローズマリー。あれ? ミントもある。バジルないかな? カモミールがあればお茶にできるのに。アップルミントにスペアミント、どこに居るのか出ておいで。タイムも欲しいなぁ……。 」歌うようなマユリの喜んだ声が続く。
のんびりした空気が流れる。フィルはごろんと寝っ転がって空を眺める。高い空が吸い込まれそうに青い。マユリの弾んだ声が小さく聞こえる。いつの間にか瞼が落ちていた。
暫くして目が覚めた。人の気配がない周囲の静けさに少し不安になった。起きて周囲を見回すがマユリの声も姿も見えない。
「マユリ」と小さな声で呼ぶと、
「はい。ここです」とすぐ後ろから声がして、頭の上に何かを乗せられた。
頭の上の物を手に取ると、色とりどりの美しい香りも高い花々が複雑に編み込まれた花冠だった。
「私も、お揃いで作っちゃいました。」とマユリも少し小さい花冠をかぶって笑った。
「花冠は女性の物でしょう? 私、男ですが」
「私よりもフィル様の方がピッタリだと思いますが」
「ちょっと複雑ですが、この花冠は本当にキレイです。私の妹は小さいのに凄い。本当にありがとうございます。お揃いって、嬉しいですね」
「私のありがとうの気持ちです」
2人で顔を見合わせると微笑み合った。
「それで、私、欲張ってしまいまして、この大量のハーブやお花をどうやって持って帰りましょうか?」
「フフッ。この袋には入るよ。」大量の花やハーブが袋に収納された。
「夕食は私が作ります」
嬉しそうにフィルが頷くと、マユリはテンポよく料理を作り始めた。くるくると素早く動く手と姿にフィルは目を見張る。
「はい。お味見ですよ。一口どうぞ。今日のハーブを使ってます」
マユリが口元に肉を差し出した。フィルは少し恥ずかしそうだったが、食べると目を見張って、満足そうに大きく頷いた。
美味しい物を作って並べる。好きな人と一緒に笑って食事をして、お腹一杯になる。
(フィルが「美味しい」と言ってくれるといいな)と思って料理を作る。
笑顔で、料理におまじないを掛ける。
「美味しくなあれ」と呟く。