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魔法は何もつかえないけれど  作者: ちくちく
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毎日、マナーと音楽

ヘレネの屋敷で1週間が過ぎた。


毎日のヘレネの指導で、マユリの所作は日々磨かれた。

この国では小さな身長のマユリだが、背筋を伸ばして、流れる様に歩くようになったその姿は、シオンの横で歩いていても見劣りしない程になった。

その緊張感のある美しい動きに、満足そうにヘレネが目を細める。


そして、毎日午後はヘレネのリクエストを受け、シオンと音楽を奏でる。

2人で合奏したり、デュエットをする。

どんな歌を歌っても、2人は初めて歌うとは思えない程に毎回息がピッタリで、美しいハーモニーを紡ぎ出す。

日々その音楽は洗練されていった。


その間を縫ってシオンはミニハープをマユリに教えていた。

マユリはハープを演奏して、少し歌えるようになった。


(何だか素敵。吟遊詩人はこんな風にハープを持って。お伽話の妖精のイラストにもこんな感じのがあったなぁ。でも、日本人の私では似合わなくて笑える。これはやっぱり、シオン様の方が、女神として似合うんだけどなぁ…)


「やっぱり。女の子がハープを抱えている姿は可愛いね」

(あれ。可愛いなんて……。絶対シオン様の方が綺麗です。いつも褒め上手だなぁ。フィル様だったらどう思うかな?今度ハープで歌ってみようかな)と思った。


マユリは毎日忙しく過ごしていた。

マナーをヘレネに学び、音楽をシオンに学ぶ。

忙しくて楽しくて、色々考える暇もなく、疲れてベッドに倒れ込む毎日だった。

この世界に来て、初めてフィルと離れて過ごしていた。

本人の自覚はないが、寂しさをよく分からない小さな違和感と感じていた。


シオンやナネット達、ヘレネ家の侍女達はこの日々を非常に喜んでいた。


国1番の淑女であるヘレネの専属侍女達は、この国1番のセンスと実力がないと務まらない。

そのハイスペックな侍女達が、半分面白がってナネット達を特訓する。

「全ての技術を盗みなさい」

侍女達はナネット達を気に入って、余すことなく教え込んだ。

ナネット達は喜んで教えを受け、最高の技術と知識が日々詰め込まれる。


ヘレネ家の侍女や使用人達は、シオンとマユリの歌を毎日聞ける。

屋敷でも笑うことのほとんど無かったシオンが、最近は度々声を上げて笑っている。

マユリの可愛い声や明るい笑い声にも癒される。

ヘレネもマユリが来てから、機嫌が良く楽しそうだ。

この普通の女の子が来てから屋敷全体が、温かで明るい雰囲気になったことが不思議だった。



そしてシオンは非常に機嫌がよかった。


最初はフィルが、自分の横からマユリを連れていったあの時に、何となくあの態度に腹が立って、珍しくフィルに意地悪をしたくなったことが切っ掛けだった。

大事そうに抱いたマユリを、何となくフィルから取り上げたくなった。


次にマユリに遭遇したのは、意地悪な令嬢達にとり囲まれていた時だった。

助ければ、悔しがって胸の中で大泣きをした。

その次の時には、身を挺してフィルを庇い、呪いを受けて大怪我をした。

騎士でも、護衛でもない普通の女の子が、ためらいもなくその身を投げ出した。

家族でもできない、その献身と勇気に驚かされた。

そしてその音楽の才能と癒しの歌声。

マユリを見る度、会う度に驚かされる事ばかりだった。


常に憧れの目で見てくるマユリはあの時点でも気に入っていたが、変化したのは、あのユニコーンの里だった。自分に頭を下げただけで、自分の横を一直線にフィルの元に駆け寄った。

アレンもジークも置いて、一心にフィルの元に走るマユリが、自分の元に来ないことにあの時、何故か腹が立ったのだった。


自分の気持ちに驚いたが、こうして今、ここでマユリを独り占めにしてみれば、何と楽しい毎日だろうか。

マユリは貴族とは違い、自分に対して何の思惑もなく素直で、揺るぎのない信頼を持って、シオンに話し掛けてくる。

可愛い声と仕草、からかった時の真っ赤になる顔と反応が毎回面白い。

音楽もそうだ。楽器だろうが、歌だろうが、今まで楽しいと思えたことは少なかったのに、何が起こるか分からない音楽の反応、そのライブ感が楽しくて仕方がなかった。


今迄、何もしなくとも、女性達はシオンの手の中に落ちて来た。

女性に対して興味もなく、自ら関わることもほとんどなかった。

また、天才たるシオンは、学問も音楽も大して苦労もなく習得した。

身分も美貌も独身男性の中では、国で1~2番と言えるだろう。


その退屈な人生にマユリは色を付けた。

「シオン様。」と呼ぶ可愛い声と柔らかい視線に思わず笑みが零れる。


フィルの元に帰る日を思うと、腹立たしい。

ジークやシリウスは嫁にしたいと言っていた。

アレンも傍に置きたいと言う。

あの者たちにやる位ならば自分の妻に……。と考えて頭を振った。傍に置いておくためには、妻にすればいいと思うが、妻と言う立場はマユリには辛いだろう。

傍に居るだけでいいと思うが、誰かの妻になれば、傍に居ることすらできなくなる。

シオンは相反する想いに戸惑うが、今はこの幸せな日々がずっと続けばいいとシオンは思っていた。


ナネット達はマユリと別れる時間が先送りされたことに喜んでいた。

その上に、国1番の侍女達のレクチャーを受けられるこの日々を楽しんでいた。

マユリはあの日から背が伸び、日々綺麗になって行く。

少女から女性に変わっていく変化の過程を見るのも楽しく、素直で可愛いマユリの世話はやり甲斐があって楽しい。


そして毎日シオン様とヘレネ様の美しい姿を見ることができて、シオンとマユリの音楽を毎日そばで聞くことができる。国中の音楽好きが熱望する立場に居ることができる。

なんと幸せなことだろう。この時間がいつまでも続いて欲しい。

ナネットとルルはそう思っていた。


マユリのささやかな違和感以外は、ヘレネ家の全員が毎日幸せを感じている。

この状況では誰も、城に帰ると話す事すら選択肢として出てこなかった。

マユリは帰りたいと話すタイミングもなく、日々を重ねていった。


その頃フィルは毎日寂しかった。とにかく寂しかった。

10年間森で1人で過ごしていた自分なのに。

マユリと暮らすようになってから、まだ2か月足らずなのに。


マユリがケガした後,1か月はまともに会えなかった。

その間は意識のないマユリへの心配が先に立ち、寂しいと思う時間はなかった。


それがどうだろう。

マユリの声が聞こえない。自分を呼ぶあの声が聞こえない。

マユリが居ない。


いつ帰って来るのか分からない。

心が暗く沈んで、黒く塗りつぶされていくような気がする。

寂しさに心が押しつぶされる。

(マユリに会いたい。)

自分は何時からこんなに1人で居られなくなったんだろう。

ヘレネの屋敷で元気に過ごしているのに、居る場所も分かっているのに。

ヘレネとシオンが大事にしていることも分かっているのに。

「早くここに帰って来て。私の所に」

小さい呟きが零れた。









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