ヘレネの屋敷へ
フィルと一緒に玄関ホールまで歩く。
玄関のエントランスにはシオンが待っていた。
「早かったね。じゃ行こうか」
「フィル様。行って参ります」
「うん。気を付けて。待っているよ」
手を振って別れを告げるとシオンがその手を取って、馬車までエスコートをする。
そのスマートでエレガントな所作の美しさに周囲からため息が零れる。
エントランスには2台の馬車が用意されており、1台目にシオンとマユリ。2台目にナネット達が乗り込んだ。すぐに馬車が走り始め、城の門を出た。
マユリは馬車も街の景色も初めてで、窓からキョロキョロと周りを見回していた。
「随分面白そうだね。マユリは街を見るのは初めて?」
「はい。街も馬車も初めてです。可愛い街並みです。あ、あそこはパン屋さんみたいです。可愛いなぁ。行ってみたいなぁ」
「じゃ、今度私が連れて行って上げようか?」
「ええっ。本当ですか! 嬉しい。約束ですよ。指切り、して下さい!」
マユリはシオンの小指に自分の小指を絡ませて
「指切りげんまん。指切った!」
と言ってニコニコしてシオンを見上げた。
シオンは少し顔を赤くして、2人のからまった指を見ていた。
「あ。 あっ!すいません。この国には指切りはないですよね。その上にシオン様に友達みたいなことをして…。失礼しました。ごめんなさい」
急いで手を離すと、しょんぼりと項垂れた。
「謝らないで。君にそんなに喜んでもらえるなんて。こちらこそ、楽しみだな」
「シオン様……。シオン様って、どうしてそんなに優しいのですか?」
「私は優しい人間ではないよ」
「いつだって私の苦しい時に助けて下さるじゃないですか。泣いた時にも。シオン様の優しさに救われました。私のヒーローです」
「困ったな。そんなじゃないよ。私はもっと利己的なんだ」
シオンが困った表情で薄く笑う。
「シオン様は優しくて温かで、美しくて、完璧で、素敵で、王子様で、月の女神様で。あ、あ、もう、私何言っているんだろう。とにかく私の憧れの方なんです」
「私は普通で、マユリのことが好きな只の男だよ」
「好きって…。子供認定ですね。それでも私はとっても嬉しいですが」
「マユリは女の子として好きだよ。子供と思ったことはないけど」
(な、子供…じゃない! 女の子として? 女神様で音楽の天才で王子様で、悪い所が一つもない完璧な人が? 何? 私、何を言われた? 理解が追い付かない。分からない。処理できない。分からないよぉ…)処理の限界を超えて、意識が飛んだ。
(規則的な音が聞こえる。ああ、何か安心する。トクトクトクトク、何の音かな。トクトク。
体が揺れているけど、何かに包み込まれて温かい。んん。バラの香りがする。この香り好き。バラ園の香り。気持ちいいなぁ。このままこの音を聞いていたい。トクトク……。あれ?何だか覚えがある。ああ、アレン様の治療。治療!抱かれて治療)
一気に覚醒した。
ああ、シオン様に。私、シオン様に抱っこされている。
何故?何がどうして、こうなった?
分かった途端、体が火を噴いた様に熱くなった。
「あれ?急に体が熱くなった。ん。気が付いた?」
頭のすぐ上から優しい声がする。小さく頷くのが精一杯だった。
「気を失って危ないから、抱いていたけど、凄い熱だね。そんなに恥ずかしがらなくても。 ダンスも練習したじゃない」
笑うシオンの胸から、少し離れようとすると、引き戻される
「道が悪いからこのままの方が安全だよ。それにしても凄い、うふふ。顔が真っ赤」
シオンがマユリの頬に手を当てると声を上げて笑った。
「マユリの頬。柔らかいな。モチモチして何て気持ちがいいんだろう」
面白がって頬をつつくシオンに、
「お、降ろして下さい」
「んん。何も聞こえないなぁ。私の膝の上の方が安全だし、マユリは柔らかで抱いてて気持ちいいし。このまま家まで抱いていよう」
(この完璧王子様はこんな人だったろうか、いつも大人で。こんな子供っぽいことを言う人だったろうか。これは夢。私の夢の中。ぜーんぶ夢の中のこと。私は悪くない。)
と必死に思い込もうとしたが、
「面白ーい。顔が真っ赤だ。頬が柔らかーい。寝た振りしている悪い子だ。目を開けないならくすぐろうかな。この髪も撫でるとスベスベ。触ってみたかったんだ。今なら触り放題だな」
完璧王子が急に悪戯っ子になったみたいだ。あれこれ、からかわれて馬車が着く頃には生命力がゼロになってしまった。
馬車は城に着いたが、マユリの顔は真っ赤で、フラフラして足が立たない。
「あーあ。歩くのは無理だね。私が連れて行ってあげようね」
シオンがマユリをお姫様抱っこして、ゆっくりと歩き始めた。
声もなく降ろしてもらおうとじたばたするが、可笑しそうに笑って降ろしてくれない。
「マユリ様。馬車酔いは辛いですよね。」
ナネット達が心配そうに言ってシオンについて来る。
違うと言う言葉も出ない程、疲れ切ったマユリは諦めて、大人しくシオンの腕の中にいる。
恥ずかしくて顔は真っ赤だし、シオンの胸に顔を埋めないと城の人達の視線が痛い。
それがまた、恥ずかしくて余計に縮こまる。
シオンは上機嫌でマユリを抱いたまま部屋まで連れて行き、ソファーに座らせた。
「後で迎えに来るから。それまでしばらく休んでいて」
とマユリの頭を撫でてから、極上の笑顔を残して颯爽と部屋を後にした。
「シオン様って、本当に美しくて、素敵で優しい方ですね」
ナネットがうっとりとして言うと、ルルも大きく頷く。
「マユリ様、気に入られてますね」
「誰にでもお優しい方ですもの?」
「私はシオン様のお姫様抱っこは初めて見ました」
「誰かを助ける時には…。そうなさるのでは?」
「部下の方にお任せになるかと」
「直接手は出さないと?」
「わたしは、そう思いますが…」
「そういうものですか?」
「そういうものかと」
ナネットの断言に頭を抱えたくなった。
それでもナネットのお茶に癒されて、気持ちも少し落ち着いた頃、シオンが迎えに来た。
青いゆったりとしたローブを着て、銀髪をひとくくりにして胸に流している。
何度見ても美しい顔と姿に見惚れてしまう。
シオンに連れられて、ヘレネの部屋に挨拶に向かう。
掃除の行き届いた屋敷は、趣味の良い調度品が、廊下の角々に飾られて、どこを見ても調和していて美しい。
マホガニー色の重厚なドアを開くと、奥のベッドにヘレネが美しく座っていた。
「マユリ.久し振り」
「お久し振りです。お呼びにより参上いたしました。お加減はいかがですか?」
「体は大したことはないのだけど、何だか気うつで。元気が出ないの。マユリが居たら、元気が出るような気がして、シオンに頼んで呼んでしまったの。ごめんなさいね」
「私でお役に立てるのでしょうか?」
「ええ。シオンとマユリと一緒に楽しいことをしたら、きっと元気になると思うの。これから色々したいから、よろしくね」
ヘレネ様が微笑むと、光が差す様で、眩しく、本当にこの美しい2人が並んでいるだけで何だか拝みたくなる。両手を合わせるマユリを見て、
「また、おかしなことを考えているでしょう?」
「いえ、いえ、手を合わせて拝みたいだけです」
「神でも、女神でもないからね」
シオンがマユリのおでこを指で弾いた。
「では母上、私達はこれで、ゆっくりお休みください。ではまた明日」
「ええ、また明日ね」
「マユリ。この屋敷を簡単に案内しようね。君、迷いそうだから、後ろの侍女さん達しっかり覚えてね」
ナネットとルルがシオンの笑顔に見惚れながら、大きく頷いた。
屋敷は本当に広くて、1度ではとても覚えられない。
「やっぱりね。私が迎えに来ないと駄目みたいだね」
「すいません。ここ広過ぎです。でも、シオン様。侍女さんに教えてもらえばよいと思いますが」
「私が来るのは嫌なの?」
シオンがちょっと悲しそうに言うと、
「あの。シオン様にそこまでしていただくわけには……」
「私がしたいんだ。一人っ子の私には、何だか嬉しいんだ。家族みたいで」
「よろしくお願い致します」
マユリに他の言葉はなかった。




