一週間のレッスン
「ダンスは先ず、ホールドのポジション。きちんとした姿勢を。シオン、身長差を考えてポジションを」
シオンが軽くマユリの右手を取って、左手を自分の腰に軽く当てさせる。
「女性は背中を美しく見せることが大事。首のラインまで気を使って伸ばすの」
ヘレネが両手の指から姿勢を直していく。
「この形を崩さずに」
背中から首まで少し反らすように伸ばす姿勢は、立っているだけでも辛い。
ましてや、慣れないハイヒールで立つことも苦痛だ。
「ステップはできだけ大きく。相手の足を踏む位で。男性のリードについて行くのが、基本だけど、下手な方も居るから。早く上手くなってリードできるように」
シオンと手を繋いで向き合っている緊張で、体がぶるっと振るえた。
「一歩目は男性について行くの。さぁ、初めて」
シオンが握った手に少し力を入れると方向を示す。
マユリはおぼつかない足取りだが、ステップを踏み出す。
思わず、足元を見て姿勢が悪くなると、その瞬間にヘレネの注意が飛んでくる。
「マユリ、視線を上げて。私の肩の辺りでいいから」
シオンの顔を見ることは恥ずかしいため、足元ばかりを見てしまうマユリにシオンが言った。
姿勢を正し、リードされてステップを踏む。
2時間で、マユリは動けなくなった。
「ウフフ。限界ね。じゃ、休んでいいわ。シオン。久しぶりに1曲踊ってみましょうか」
ヘレネが手を伸ばすと、シオンがその手を受けて、そのまま踊り始めた。
美しい2人のダンスは完璧で美しかった。
「こんな感じで、踊るの。楽しくなるまで頑張ってね」
息切れすることもなく、踊ったヘレネは、楽しそうに笑っていた。
「明日から毎日ダンスよ。朝からきちんとドレスを着てくること。今日はこれでお終い」
マユリは食事もできずに、お風呂を済ますと、泥のように眠ってしまった。
朝から夕方までヘレネの授業を受け、夜は辛うじて入浴と食事を済ませる。
マユリは非常に忙しい1日を過ごすようになり、フィルと顔を合わせる時間は朝食の時間だけだった。
「マユリ、大丈夫なの?」
眠そうで疲れた顔のマユリは心なしか瘦せたようだった。
「はい。頑張ってます」
「マユリ。休んでもいいんだよ」
「頑張ってます」
パンを齧りながら機械的な返事をするマユリを見て、
「母上。これで大丈夫なんですか?」
と聞くが、マユリが根を上げるまでは止めないことになっていた。
マユリは余計な事を考える暇もなく、毎日を走るように送っていた。
昨日からはかなりの運動である、ダンスも始まった。
食べて勉強して、運動して寝る。
充実した学生の合宿である。
フィルも、忙しい日々を過ごしてはいたが、マユリが傍に居ないことに毎日寂しい思いをしていた。
「さぁ、実践あるのみ。今日は音楽に合わせて踊るのよ」
「マユリ。始めますよ。私のリードと音楽に身を任せて。」
ヘレネとシオンの声に頷くとドレスをつまんで、腰を折った。
2時間が経ち、マユリは動けなくなった。
「マユリ。あなたリズム感がいいわ。ダンスはしたことはないと言っていたけど、姿勢もすぐに良くなったし、ステップの取り方がいいわ。シオンもそう思うでしょ」
「そうですね。2日目にしては、本当にのみ込みがいいし、踊りやすいですね」
「じゃ、後2~3日で仕上がりそうね」
2人の言葉を聞きながら、マユリは(そんな馬鹿な。こんなにボロボロなのに、2~3日ってありえない)と思っていた
しかし、3日後
「うん。見られるようになったわ。1週間でここまでになるなんて、よく頑張ったわ。一応合格点を上げましょう」
ヘレネが上機嫌でそう言った。
信じられない思いで、「合格点」と呟くと
「そう。あなたは優秀だし、努力家でもあった。私もあなたに教えるのは楽しかったわ。何かあったら、また教えてあげるわ。シオンも使っていいわよ」
と扇を口元に当てて、可笑しそうに笑う。
「シオン様を、使うなんて……」
「呼んだ?私も君の先生だから、何時でも助けてあげるよ。遠慮しないで」
その時、シオンが現れ、3人でお茶を楽しむことになった。
ナネットとルルもヘレネの侍女達から、お茶の準備に関しては合格点をもらい、3人はこの卒業が本当に嬉しかった。
「ねぇ、マユリ。あなたの声は素敵で心地良いわ。歌は歌える?」
「少し歌を習っていました」
「まぁ、素敵。私のために歌って」
「では、拙い歌ですが、ヘレネ様に捧げます。聞いて下さいますか?」
「楽しみだわ」
とヘレネとシオンが、ソファーに並んで腰掛けた。
マユリは少し緊張した様子で、2人の前に立ち、深呼吸をして一礼をした。
「私の故郷の、神の子の母に捧げる歌を歌わせていただきます」
と言うと、2人への感謝の心を込めて歌い始めた。
歌い出したマユリの声は最初の一声で、部屋に居た人を魅了した。
透き通るような優しい声は、日本でも周囲から天使の声と言われていた。
繊細で温かみのある声は空に吸い込まれるようで、高音が美しい。
ヘレネとシオンはその歌声に、驚いて目を見張った。
美しいメロディと豊かな声が部屋に満ちて溢れた。
「驚いたわ。シオン。どう思う?」
「素晴らしいの一言です。こんな幸せな驚きは初めてです」
「シオン。あなたの歌も聞きたくなったわ。マユリ。この子の歌も素晴らしいのよ」
「母上。そのように言って。でも、マユリ、私の歌も聞いてくれる?」
と言ってシオンが立ち上がると、歌い始めた。
(何。この素晴らしい声。バリトンの朗々たる声が部屋中に響き渡る。体に染み入る様な深くて包み込むような豊かなこの声。高音から低音部まで、ぶれることもない。緩急や歌詞の表現力が半端ない。歌で魂を揺すぶられるって、きっとこういうことなんだ)
歌声に感動して、よく分からないが涙が溢れて流れる。
「どうだった?」
「素晴らし過ぎます。シオン様は音楽の神に愛された方ですね」
涙声で何とか返事をすると、
「次は2人で歌おうね」
「そんな。恐れ多い。私なんか」
「マユリの歌は本当に素晴らしいよ」
「2人共褒め合ってきりがないわ。また私の為に歌うのよ」
と話を切ると、2人を部屋から追い出した。
マユリとシオンが2人で部屋から出ると
「勉強が終わったね。お疲れ様。よく頑張ったね」
「信じられません。一週間が長くて短かったです」
「でね、マユリ。デュエットは是非したいな」
「私では…、力不足だと思いますが」
俯いて小さく呟いた、マユリの顔を見て、
「マユリ。ご褒美にいい所に連れて行って上げよう。おいで」
と言うと、マユリの手を取って足早に歩き出した。
「あの、手、手を……」
笑顔のシオンの手を振りほどくこともできず、真っ赤になって連れて行かれた所は、バラ園だった。
咲き乱れた色とりどりのバラは今が盛りで,ふくいくたる香りが辺りに漂う。
バラの美しさと香りに酔ったように、バラ園に足を踏み入れた。
大輪のバラが競い合うように咲き乱れていた。
赤、白、ピンク、黄色、紫、数多くのバラに目を奪われて歩いていたが、自分が1人で歩いていたことに気が付いて周りを見回せば、近くの東屋に笑顔で座っているシオンが見えた。




