結
外は外で、人に見られる危険性があった。
今の彼女は大人びているが、しかし、それでも成人女性には見えない。
あどけなさやはかなさが漂っていた。
兄弟というのも、無理がある。
僕と彼女はパーツの個数ぐらいしか共通点がない。
苦肉の策で、親戚の子という言い訳を用意した。
もっとも誰かに聞かれるわけじゃない。
この街の人間は、関係性が気になっても、本人たちには聞かない。
ただ勝手に関係性を邪推するだけだ。
僕もそうだけど…
僕も彼女と年配の男性が歩いているのを見て…
先に思い浮かんだのは親子じゃなくて、いかがわしい関係だった。
まあ、ホテルから出てるから、そう判断したのだけど…
けど、たとえ、ホテルからじゃなくて…例えば本屋やレストランから出てきたとしても、僕は、そう判断していたと思う。
思えば、この勝手な邪推が色々と問題を呼んでるのかもしれない。
聞けば済むことを聞かず。
自分の思考が正しいと思い込み、聞くまでもないと思い込んでしまう。
僕も、中途半端に聞かず、中途半端に言わず。
せめて何も聞かず、何も言わずでいれば良かった…
でも、それはできなかった。
僕はそこまで、賢くなれなかった。
気になるから、聞いてしまうし、言ってしまう。
けど、臆病だからそれ以上聞けないし、言えない。
その結果が今だった。
僕はアパートから少し離れたところにある、カフェに彼女を案内した。
ビルの3階に入っており、ぱっと見お客も多くない。
店員に2名と案内されると、何やらむずがゆかった。
奥の人気のない席に座った。
メニューを渡すと、彼女は紅茶を頼んだ。
僕はコーヒーを頼んだ。
「コーヒー… 苦手でした?」
「いいえ…さっき飲んだので、別のものにしました」
「そうですか…」
「まあ、同じじゃないんですけどね… インスタントとお店のコーヒーは… けど、比べちゃいますよね。 どうしても、くくりが同じだと…」
「くくりですか… くくりを…好きになったんですか?」
我ながら好戦的な発言をしたものだ。
「…と、思っていたんですが、違いました」
「そうですか…」
「そうだったら、良かったんですが… それならいくらでも変わりはいたんですけど…」
「ですね」
「まあ、そのたびに比べちゃうんですけど」
「うん」
「私… やっぱり… 先生が好きです」
「…ありがとうございます。 けど、やはり君の想いに応えられません」
「魅力ないですか?」
「そんなことはありません。 とても魅力的です。 もしも、僕が同世代なら速攻で首を縦に振っています」
「やっぱり、子どもだからですか?」
「…そうですね。 私にとっては、子どもは恋愛対象になり得ないんですよ… ゴメンなさい」
「…それは意志ですか? 先生の」
その時、僕は頬杖をついていた、と思う。
途端に何やらめんどくさくなってきたのだ。
思えばぼくは、そういえば、この時まで、一度たりとも彼女と対等に接したことがなかった。
大人という土台の上に乗っかって、彼女を一段下の存在と見なし、絶対的に有利な立場から話をしていた。
今僕は、彼女の土俵に降りるかどうかの選択を迫られている。
このまま大人として、説教めいた言葉で無理やり話を終わらせることもできる。
だが、それだけではおそらく僕の気持ちは収まらない。
コーヒーが運ばれてきた。
「少しいいかな…」
「ええ、どうぞ」
紅茶も運ばれてきた。
僕は選択のタイミングを遅らせるために、話を逸らした。
「しおり… 本に挟んでいた、しおりがありましたよね?」
「ええ、それがなにか?」
「どうして、花がなかったんですか?」
「あれですね… 花占いをしたんですよ。 それで、最後に好きと出たので、お守り代わりに挟んでいたんです」
「そうなんですね… 花占いですか…懐かしいですね」
「古いアニメで見たんです」
「ですよね。 最近はそういう表現ってあるのかな?」
「私が読む本にはめったに出てこないですね。 テレビの占いや占い師がよく出ています」
「そうですか…」
僕はブラックのまま、コーヒーを飲んだ。
「花弁は何のためについているか、分かりますか?」
「虫をおびき寄せるためと… おしべとめしべを守るためでしたっけ」
「そうですね」
「理科の勉強ですか? 授業料は持ってきていませんよ」
「今は無職です」
「…ごめんなさい」
僕はコーヒーをグイっと飲み干し、店員を呼び、お代わりを頼んだ。
「いや… まあ、そういう意味で言ったんじゃないので… あまり気にしないでください」
「本当にごめんなさい」
「まあ、大丈夫です。 退きましたけど、僕は経営をしているので、役員報酬は貰えるんですよ。 ただ、それだけだと心もとないので、手ごろに稼げる仕事を探してるんですよ」
「…」
彼女が眉を顰める。
「いや、ほんとですって、疑わないでください。 ああ、で… 花弁の話なんですが… 花弁の集まりを花冠といいますね。 それらは、さっき言ってくれたように、虫をおびき寄せたり、守るためにあります。 花占いはいいですけど… あなた自身は、その…自分を守るものを自ら外さないであげてください。 自分を守るために、守ってくれるものを守ってください」
「…」
この時、僕はこの言葉を言い放ったことで満足していたなら…
これで、話が終わっていたならば…
おそらくこの話は最悪の結末を迎えていたことだろう。
ところで、僕のお代わりのコーヒーはなかなか届かなかった。
僕の思惑では、この話をしてすぐにお代わりが届き、僕はそれを飲みながらまとめの話をして、解散する。
僕は大人としての立場を全うできる。
そう思っていた。
後で、店長と思わしき人が、オーダーを忘れていたと、謝罪に来た。
それがなければ、一人の少女は救われなかったと思うと…このミスは人の命を救う大事なミスだった。
僕は言い放った後、不自然さを感じていた。
当意即妙な彼女に何も響いていない様子だった。
こういう話じゃない…
彼女が欲しいのはこういう話じゃない、と気づいた。
僕はまだ、一歩も彼女に踏み入れないままは話をしていたことに気が付いた。
僕は思い切り顔をしかめながら…
彼女に尋ねた。
「できるだけ… 全部聞かせて… くれないか… 君の事」
彼女は紅茶を一口すすると…
ぽつりぽつりと語り始めた。
家庭の事、学校での人間関係。
今の彼女の世界のすべては、僕の想像を絶するほど悲惨なものだった。
傍から見れば、両親がいて、お金があって、有名私立中学校に通い、複数の塾に通えている美少女。
だけど、そこに彼女の意志によるものは一つもなかった。
彼女の話は3時間にも及んだ。
それでも、まだ話し足りない様子だった。
見栄や期待、妬みに嫉み、性的な目線、心無い言葉、うわべのコミュニケーション。
全てが彼女を苦しめていた。
そこから逃れるために、彼女は自分の意志で動き始めたのだという。
その時僕と出会い、好意を抱いたという。
泣きながら話す彼女と、それをひたすら聞いている僕の様子を店員が遠巻きに眺めていた。
僕は突っ立っているなら、いい加減コーヒーのお代わりを持ってきてほしかった。
しばらくして、店長がお代わりを持ってきて謝罪をしてきた。
僕はそれをなるべく早く飲み干し、会計を済ませて店を出た。
外に出ると、まるで重厚な映画を立て続けに3本見た後のような、疲労感があった。
だが、このまま彼女を帰すのはいけないと思った。
だから、僕は彼女を連れて、しばらく街を歩くことにした。
彼女の真意は計り知れない。
事の真相も全てわかったわけではない。
けれど、せめて出来得るだけ長く彼女と一緒にいたいと思った。