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ー雪が降る

僕は冬が好きじゃない。

何かつらい思い出があるというわけじゃない。

単に寒いからだ。


ただ、受験に向けて追い込みをかけるこの期間は嫌いじゃない。

夏にはおふざけをしていた生徒もこの時期になると、真剣な表情で机に向かうようになる。

この時期の成長は本当に面白い。

これまでずっと解けなかった問題が、数日で解けるようになる。

教える側としても気合が入る。


この頃には、トミノさんは少し訳ありだが、教え子の中の一人という感じに落ち着いていた。

ただ、どうしてもあの街に行くと、探してしまう。

幸い、あの夏の日以来、彼女をああいう場で見ることはなかった。


少なくとも、僕の中ではあれは、解決したものだと、認識することができていた。

卑怯なことに、僕の目につくところで起きなければ、全ては他人事だった。

だから、このまま、後3カ月と2年ほど、彼女の良い塾の講師として付き合っていければ良いと思っていた。



あの電話がかかってくるまでは、、、

授業の準備をしていると、教室の電話が鳴った。

この時期はよく電話がかかってくる、大半は進路についての話だ。

相談から追加の授業につなげることもできるので、良い連絡の時が多い。

だから、僕はその時も、普段より高いトーンの営業向けの声で応対した…と思う。

「こんにちは。 倉林です」

低く野太い声がする。

父親からの連絡には、ついつい身構えてしまう。

何か重大な、重要な問合せである可能性が高くなるからだ。

「いつもお世話になります。 どういったご用件でしょうか?」

「こちらこそお世話になります。 あの…つかぬことを尋ねたいのですが…」

「はい、なんでしょうか?」

「ウチの娘は、塾に休まず通っていますか?」

「ええ、そうですね。 一度も休んだことはありませんよ」

「そうですか、なら良かった…」

「何かありましたか?」

我ながら、うかつなことを言ってしまったものだ。

社交辞令的なこの言葉さえ発しなければ、僕は巻き込まれずに済んだかもしれなかったのに…

「いえね… まあ、先生に言うのもお恥ずかしいのですが、ウチの娘最近学校も他の塾もさぼりがちで…そのことを問い詰めて、辞めさせようとしたら、先生の塾だけは辞めたくないと…そこだけは一回も休んだことないと言うんで… それで、確かめたんです」

丁寧な口調だが、その声は何か怒りを押し込めているようにも聞こえた。

「そうなんですね… 学校の様子など、気付きませんでした」

「まあ、ということで、しばらく… 忙しくなるので、塾は休ませようと思うのですが、落ち着いたら、また先生の所には通わせたいと思いますので、その時はよろしくお願いします」

「はい… こちらこそよろしくお願いします」



それから一週間後

僕の元に『訴状』が届いた。

内容は児童買春。

冤罪であった。

しかし、同様の立場の複数の人間がクロだったため、似た立場の僕も巻き込まれることになってしまった。

弁護士にも相談し、僕は早々に無罪であるということは正銘できた。

3か月後には僕は解放された。

しかし、変な噂が立ち、僕は自分で立ち上げた塾を辞めざるを得なくなった。

早々に説明会を立ち上げて、保護者や生徒にも冤罪であると主張し、納得してもらえたので、退塾する生徒も4,5名程度で済んだ。

それどころか、僕を励ましてくれる保護者や生徒もたくさんいた。

だが、それでも世間からの誹謗や中傷は簡単に収まるものではなかった。

これも、中途半端に関わった僕自身の落ち度と思い、戒める意味で、僕は仕事を辞した。


辞めるのも癪だが、どうせ何か言うヤツはどうしても、どうあっても文句を言うものだから、いっそ辞めてしまった方が話が収まるのも早い。


僕は有給休暇を使いながら、職探しをすることにした。

これで、話が終われば、まだ良かったのだが、この話にはまだ続きがある。



世間はゴールデンウィーク真っ只中だった。

働いている時には、これほどうれしい時期はなかったが、休職中だと、これほど嫌な時期はない。


僕が部屋で履歴書や職務経歴書を手直ししていると、ドアを叩く音が聞こえる。

訴えられてから何度か、ドアを叩かれたこともあり、若干のトラウマになっていた。

僕はいやいやドアへ向かい。

向こうの様子を確認する。

ドアの向こうには倉林トミノがいた。

心臓が震える。


なぜ彼女がここにいるのか、僕には理解ができなかった。

仕方なしに、ドアを開けて彼女を迎え入れた。

「久しぶり」

「お久しぶりです。 先生。 この度は大変ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。 お邪魔してもよいですか?」

「…どうぞ。 何もありませんが」


トミノは随分大人びた様子になっていた。

華奢だった身体は、ほどほどに肉付き、うっすら化粧もしている様子だ。

1年でこれだけかわるものか…と妙な感心をした。


トミノから、手土産のお菓子を受け取った。

僕はとりあえず、客人をもてなす最低限のマナーとしてコーヒーを準備した。

といって、インスタントだが…


コーヒーを置いて、対面するように座った。

が、僕は特に、何を話せばよいか思いつかなかった。

つらかったね、と同情するのもしらじらしい気がした。

文句を言う権利も、特に自分には無いし、それに言うとしたら親の方と思っていた。

だから、だいぶ濁した言葉しか出せなかった。

「どうですか? 最近」

トミノはコーヒーを一口飲む。

顔をしかめ、砂糖とクリープを入れてかき混ぜた。

「転校しました。 それと塾も全部辞めました」

「そうですか… これからどうするんですか?」

「そうですね… 彼氏でも作ります」

「あれ? そういう質問でしたっけ?」

「ええ、私の意志でできることって… これぐらいしかありませんから…」

「…」

僕はしばらく考え込んだ。

この期に及んで、やっと僕は彼女の言葉の意味を考えることができるようになっていた。

「できること… これぐらい… ですか」

「はい… 子どもが…自分の意志でできることは、恋愛ぐらいしかないですから… 勉強もしなければいけないからするわけだし、学校も行かなければいけないから行くわけだし、親とも親と子という関係だから一緒にいないといけないわけだし、友達も同じ空間にいるから関わらないといけないわけだし… どこにも意志はないんです。  でも恋愛だけは自分の意志でできます。

人を好きになる事だけは自分の意志でできます。 だから、私は自分の意志で生きたいから…恋愛をしただけです… 人を好きになっただけです」

「…相手は誰でも良かったんですか?」

「…好きな人は一人だけですよ? ずっと、去年から…」

「…」

「唯一自分の意志で、できることが…叶わなかったんです… 自暴自棄にもなりますよ」

彼女は笑っていた。

「大人は、色々なことができるから… 自分の意志でできるから… 恋愛がうまくいかなくても、それでもいいかもしれないでしょうけど… 恋愛ぐらいしかできない… 子どもは、その恋愛すらできないと… とても…悲しいんですよ」

「…あの時、受け入れてたら、良かったんですか?」

大人げなく、僕は彼女の挑発に乗ってしまった。


彼女は嬉しそうに、コーヒーを飲み干し、カップを置いた。


「先生。 外でお話しませんか? あまり私がここにいると、あらぬ噂がたちますよ?」

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