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死に物売り  作者: 沖田一
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3・火事屋

 荷物を連世穴(れんせいけつ)で店に送って身軽になった僕は、通りの石畳を心地よいテンポで蹴り歩く。


 今向かっているのは火事屋だ。このマルシェに来た時には、波屋と火事屋は必ず訪れる。特にこれから冬だから、波よりも火事の方が売れ行きがいいだろう。ちょっと多めに買っておくのもいいかもしれない。


 火事屋は、通りの少し奥にある。通りの入り口から見て、連なる街灯が見えなくなるところと入り口の中間点くらいのところだ。


 火事屋は明るい赤系統の色のレンガ造りの店だ。一色で統一されているわけではなく、薄橙から濃い赤まで、だいぶ多様な赤レンガで作られている。店の造りは爪屋と同じ一階建てだが、なんだが全体的に屋根が低い。


 火事屋に着くと、僕は重い鉄製の扉を押して店に入る。売り場はそんなに広くない。5,6畳といったところだろう。そして、天井が異様に低い。建物の屋根がそもそも低いものだから、必然的に天井も低くなる。僕の身長だと、少し背伸びすれば頭が天井に付いてしまう。


 そんな縦にも横にもこじんまりした店は、老婆が営んでいる。小さな暖炉の前でソファにくつろぎ、いつも何かを編んでいる、小さな老婆だ。確かに、彼女ほどの体格だったら、このくらいコンパクトな店のほうが適しているだろう。


 「やあ、火事婆(かじばあ)。こんばんは。」


 僕は、編み物に集中している火事婆に声をかける。返事はない。火事婆はもうだいぶ歳なので、耳が遠い。僕はもう少し大きな声であいさつする。


 「火事婆、こんばんわ。千夜だよ。」


 「お、おっ、はいはい、いらっしゃいませ。ご自由にどうぞ。」


 火事婆は僕の声に少し驚いた様子を見せると、ちょっとだけ視線を編み物からこちらに逸らして、そう言った。


 火事婆の目は、深いシワと厚く垂れたまぶたのせいで、とっても小さい。だから、彼女の視線はとっても分かりにくい。「視線をこっちに逸らした」とは言っても、ただ頭が少しばかりこちらに動いたというだけだ。


 僕は火事婆の挨拶を聞き受けると、店内の物色を始める。ここでは、色々な火事が褐色の小瓶に入れて売られている。放火火事、タバコ火事、油料理火事、その他さまざまだ。


 やはり一番人気はタバコ火事だ。この火事は薄めの褐色の小瓶に入れられて売られている。小瓶の奥で小さく揺らめく炎は白い煙を常に昇らせていて、その白煙が小瓶中に満ちている。だから、瓶の色が薄くても、その中身はくすんで良く見えない。


 それにしても、人間も不思議なものだ。だって、タバコって嗜好品だろう?自分が好きなものが原因で火事になったっていうのに、そこに未練タラタラでこの火事を買うんだからさ。僕にはよく分からないな。


 僕はタバコ火事をざっと4,5瓶袋に入れる。それから、放火火事を3瓶とコンロ火事も3瓶ほど雑に袋に突っ込む。そんな雑に扱っていいのかって?大丈夫さ。だって、火が入った小瓶がそんなすぐに割れるわけないからね。少なくとも、僕が知ってる間には割れたことはない。


 数十個の小瓶を入れてそこそこの重みになった袋を、火事婆のところに持っていく。ちなみに、この袋も以前火事婆が編んでくれた、火事婆からのプレゼントだ。


 「火事婆。これ、お会計おねがい。」


 「ああ、終わったのかい?いま、計算するからちょっと待ってねぇ。」


 火事婆は、机においた僕の袋から、小瓶を一度全部取り出す。取り出すその手がブルブル震えていて、見ているこっちがなんだか心配になる。小瓶を取り出し終えた火事婆は、その分厚い老眼鏡を今一度掛け直すと、何とか距離を調整しながら、小瓶のラベルを読んでいく。


 小瓶のラベルを読むとき、火事婆はいつもブツブツ何か呟いている。そして、どこから取り出したのやら分からない小さなメモ帳に、僕では読めない文字で小瓶の種類と数をメモし、金額を計算する。これが火事婆の会計のスタイルだ。実際、レジで打った方が断然早いのだけれど、火事婆のあまりにスローな動作を見ていると、急ぐ気も失せる。


 「はい、おまたせね。合計で4030円になります。」


 暖炉の中の小さな薪が黒こげになったところで、やっと火事婆の計算が終わった。


 「4030円ね。はい、これでおねがい。」


 僕は千円札4枚と十円玉3枚を火事婆に渡す。僕はこの火事屋に来るときは、どんな値段でもピッタリ払えるように小銭を調整してくる。なぜかって?それは言わなくても分かるだろう?火事婆のおつりの計算を待っていたら、沈んだ日も昇ってきてしまうからね。


 「はあい。ちょうどいただきました。ありがとさんね。」


 「こちらこそどうも火事婆。」


 火事婆が袋から取り出して机に並べた小瓶たちを袋に戻そうとしてくれたのを、僕も手伝う。


 「火事婆。これから冬だからさ、次来るときはもっと多めに買ってくかも。そん時もよろしくね。」


 「ええ、はい。お待ちしてますよ。」


 瓶を袋に戻しながらの火事婆の返事は、どこかかみ合っていない気がしたが、別に僕はもう気にしていない。言ってしまえば、耳が遠くなったおばあちゃんと孫が、お互いに少しの気を遣いながら談笑してるのと同じ状況なのだ。しっかり伝わったかどうかよりも、お互いに話していることの方が大事、な気がしている。


 袋に瓶を詰め終わると、僕はそれをもって店から出る。危ない。振り向きざま、頭を天井にあるろうそく台に当てそうになってしまった。腰を少しばかり折り曲げながら店内を出口の方へとすすみ、重たい鉄製の扉をその姿勢でなんとか押し開ける。


 「じゃあね。火事婆。また。」


 僕が立ち去り際に言ったその言葉は、多分火事婆には聞こえていないだろう。締まりかけの扉の隙間からちらと見えた火事婆は、もう編み物へと意識を戻していた。


 さて、仕入れもだいぶ済んできたな。次はそうだな……暖気と寒気を買おうかな。

「火事婆」という語感の良さを気に入っています。なんだか、『千と千尋の神隠し』に出てくる「蜘蛛爺」に似てますよね。語感が。


ちなみに、火事婆は老眼を極めていますが編み物に関しては達人の域らしいです。千夜は密かに、火事屋の傍ら、編み物屋も開けばいいのに、と思っているとかなんとか。

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