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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第2話

 私はこの春。大好きだった初恋の、そして、恋人だった少年を亡くした……。

 つい一週間前のことだ。

 星 空。星が名字で、空が名前。出逢った頃は、星空、星空と言ってはからかっていた。

 空とは付き合って2年だった。お互いが初恋で、二人で手を繋いで歩くのも、デートするのも、毎日電話するのも、小さな喧嘩をするのも、キスするのも、エッチするのも、その全てが初めてだった。ぎこちない二人が、ぎこちないながらに少しずつ距離を縮めて行った。

 2年たっても倦怠期なんてものは全然なくて、中学3年の時の私の誕生日にはプロポーズまでしてくれた。ぎこちないぶきっちょで幼いおままごとみたいなプロポーズだったかもしれないけれど、私にとっては最高のものだったし、心から嬉しく思った。だから、空に思いっきり抱き付いた。

「仕方ないから私がお嫁さんになってあげてもいいけどね」

 なんて、素直じゃない返事をして。だけど、空はそれが私の照れ隠しだって事を知っていた。

 私達は、お互いのいい所も悪い所もよく知りつくしていたのだ。


 空が事故に遭って死んでしまってから、自分の分身を失くしてしまったような喪失感が私を襲った。

 それは今も変わらない。

 夢の中では、いつでも二人は仲良しで、空が隣りにいるのが当たり前で、私はいつでも笑っていた。だけど、目覚めれば空の姿はどこにもなくて、空のいない今が押し寄せてきてやるせない気持ちにさせる。

 目覚めた後が一番辛い。天国から地獄へと真っ逆さまに叩き落とされたように、私は茫然と身動きが出来なくなる。夢の余韻の空の笑い声だけが、私の耳に甘く残っている。

 涙が止め処なく溢れ出る。涙が意志を持ったように自分から外へ出ようとする。涙に果てはないようだった。毎日泣いても涙は同じ分だけ流れ出た。


 いつまで泣けばこの悲しみは消える? いつになったらこの苦しみは消える? どこまで行ったら私は笑えるようになるの?

 空が……いない。


 校庭で体育の授業をしている生徒たちの楽しそうな声が私を現実に引き戻した。

 それを横目に私は盛大な溜息を吐いた。

 空のいない日常は、堪らなくつまらない。友達も欲しくない。人を好きになんて一生ならない。学校なんてどうでもいい。勉強なんてしたくない。成績なんてどうでもいい。自分の命ですら、もう……いらない。ただ、空の傍に行きたい。お願い……、神様。空を返して。それが出来ないなら、私を空のもとに連れて行って。

 自殺はしない。空が生前からよく言っていたから。

「どんな事があっても、どんなに生きてて辛くてどうしようもなくて死んでしまいたいって思っても、俺、自殺だけは駄目だと思うんだ。自殺で苦しい想いをするのは本人じゃない、残された人たちなんだ。だから、俺は間違っても自殺だけはしない。雫石も絶対するなよな」

 空の身内の中に、自殺をした人がいたらしい。空は、残された人間がどれだけ苦しんできたかを目の当たりにしていた。だからこその言葉だった。

 あの時、私はなんと答えたんだっけ?

 確か……。

「しないよ。どんなに苦しくたって絶対にしない。約束したっていいよ。はいっ」

 そう言いながら小指を突き出した。指切り拳万をして、私達は笑い合ったんだ。

 だから、自分で自分を殺す真似だけはしない。空との約束だから。いくら空が死んでしまったからといって破っていいわけなんてないもの。



 初登校日以来、私は英語の授業には出なくなった。どうしても、高遠先生の英語を聞きたくなかった。理由は、たったのそれだけ。

 英語の時間になると私は急いで教室を逃げ出した。

 誰もいない安全な場所を探して校内を彷徨い、私はとうとう見つけた。うちの高校には、第一校舎と第二校舎があって、ちょうどその間にプレハブ小屋がある。そこは、物置部屋と化していて、鍵はかかっているけれど、窓の鍵だけはいつも開いていて、私はいつも窓から侵入する。実際にプレハブに入るのは雨の日だけで、晴れの日はプレハブの裏手で座ってぼんやりと青い空を眺めていることが多い。そのプレハブには誰も来ない。プレハブの中に置いてあるのは、本当にがらくたばりで、散策してみたら、白雪姫を思わせるドレスや、鬘、看板やらなにやらと無造作に置かれている。多分ここは、文化祭で使用したけれど、捨てるのも勿体ない気がするからとりあえず押し込んでおけといったものが、たくさん置いてあるのだと思う。それらは、無造作すぎるほどに乱雑に置いてあり、誰も片したり整理しないまま放置されているようだった。

 私にとっては最高の場所を見つけ、嬉しい限りだった。私はここに自分の居場所を見つけたのだ。


 ある日、いつものように私は英語の時間をプレハブでさぼっていた。外はあいにくの雨で、私はプレハブの中に身を置いていた。

 朝から降り出した雨は止むこともなく、雨脚は強まるばかりだった。

 いつしか私はお昼のお弁当もプレハブで食べるようになっていた。教室の中に私の居場所はなかった。初日にあの派手な女―――確か明日香といったか―――に、反感を買ったせいか、翌日から私に話し掛けてくる生徒は誰一人としていなかった。私を無視しているつもりなんだろうけど、元々誰とも関わり合いになりたくなかった私にとっては、心が痛むどころか、心おきなく一人でいられて内心喜んでいた。

 その日はお弁当を食べて、そのままプレハブに残った。

 5時間目が英語の授業だったのだ。文庫本を読みながら、静かなプレハブの中にいたら、遠いようで近い雨の音が子守唄になって、ついウトウトとし始め、結果爆睡してしまっていた。どれくらいたった頃だろうか、ふと雨音が近くで聞こえた気がして、現実に引き戻された。

 ぱっと眼を開き、腕時計を確認すると、もう5時間目は終わり、6時間目に突入している時間だった。

 英語の時間は常にさぼっていたが、他の時間は真面目に授業を受けていた。それは私のポリシーみたいなものだった。がっくりと肩を落としていると、なんとなく何処からともなく視線を感じた。

 おかしいな、ここには私しかいない筈なんだけど……。

 そう思いながら辺りを見渡すと、そこには予想外の人物が胡坐をかいて座り、腕を組んで私を見下ろしていた。

「うげっ!?」

「うげっ!? とはなんだご挨拶だな。俺の授業は受けずに何処に行っているかと思えば、こんな所で優雅にお昼寝か?」

 ニヒルな笑顔で高遠先生がそう言った。

 さっき雨の音が一瞬近くに感じたのは、先生がプレハブのドアを開けたからなんだと合点がいった。

「なんで……ここに?」

 動揺しているようには見えないかもしれないが、実はかなり動揺していた。

 授業をサボっていたことには全然悪いとは思っていないが、乙女が寝ている姿を見られたのだ。一応涎は垂らしていなかったようだが、パンツが見えてしまったかもしれない。なんせここの制服は無駄にスカートが短いから。

「お前が俺の素晴らしい授業をボイコットするから、この間から探していたんだよ。お前は俺以外の授業には真面目に出るから、中々見つけられなかった。今日はお前が昼寝したお陰で漸く見つけられた」

 ああ、今日は本当にツイてないな。

 高遠先生は話し好きで、さっきからぺちゃくちゃぺちゃくちゃ女の子みたいに喋ってる。 

 もう、そんな事、事細かに説明してくれなくてもいいのに……。早く一人にしてくれないかな。

「あっ、今、早く一人にしてって思っただろ? お前、そんなぶーたれた顔ばっかりしてるとモテないぞ」

「……いらない」

「ん?」

「モテたいなんて思わない。私は人を好きになんて絶対にならない」

 そっぽを向いて、吐き捨てるようにそう言った。

「人を好きにならないってお前。恋はいいもんだぞ。お前にだってこれからたくさん好きな人が出来るだろうさ。そんなこと言うもんじゃないよ」

 能天気でお喋りで、無神経なこの担任教師が憎たらしくて仕方がない。

 先生になんか、大事な人を亡くした気持ちなんて絶対解りっこないんだ。

 先生を力一杯殴りたくなった。

「先生に、私の気持ちなんて解るわけないよ……。大っ嫌い、馬鹿っ」


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