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雨の雫  作者: 海堂莉子
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最終話

 ―――日曜日。

 先生がうちに迎えに来て、連れだって出掛けた。

 つい先日行ったばかりの空のお墓ではあったが、この間とは心境がまるで違う。途中お墓に供えるお花を買って、空のもとへ向かった。

 見上げた空には、飛行機雲が一筋筆で描かれたように伸びていた。

 墓地に入ると私は先生の手を取った。街中ではいつ誰に会うか解らないため手を繋げなかった。

 せめて、ここでならいいよね?

 そう願うように先生を見上げた。先生が優しく微笑み頷いてくれた。私は嬉しくなって頷き返した。

 空の眠る墓の前に立ち、暫く墓石に刻まれた空の文字を眺めた。

 初めて好きになった人。初めて好きになってくれた人。初めて気持ちが通じ合えた人。初めて互いに触れ合った人。忘れることのないかけがえのない初めてを沢山くれた人。

 私の胸元には首から下げられたペンダント。そこには空から貰ったリングが通されている。胸元のそれにほんの少し触れてから、私は小さな階段を上がり、墓石の前にしゃがみ、花を供え換えた。先生は線香に火を点けると半分を私に手渡した。私は先に線香を供えると、手を合わせ目を閉じた。

『空。今日は報告に来たよ。私ね、先生を好きになったの。先生も私を好きだと言ってくれた。まだ、先に進むには勇気がいるけど、先生と一緒に前に進んで行くって決めたの。空、応援してくれるよね? 空、空のことずっと好きだよ。それは変わらないの。この気持ちは永遠なんだよ』

 ゆっくりと目を開き、そこにもしかしたらいるかもしれない空に微笑みを贈った。

 私は振り向き、先生に頷くと交代に先生が墓石の前にしゃがみ込んだ。

「空。聞いてるか? お前のことだ。きっとその辺で見てるんだろ? 俺は雫石が好きだ。お前と最後に話した時には、自分の気持ちに気づいていなかった。あの時、お前には見えていたんだろう?だから、あんな約束を俺にさせたんだろう? 自分が死んだら雫石を守ってやってくれって。俺なら雫石を幸せに出来るって。俺は、そんな約束がなくたって、雫石を守るし、幸せにだってしてみせる。お前が雫石を笑わせた数よりももっと沢山、俺が笑わせる。だから、心配すんな。なあ、空。いつか俺がそっちに行ったらその時には、二人で雫石の話をしよう」

 先生は大きな声で空に話しかけた。

 空が先生に私を幸せにしてくれなんて頼んでいたなんて知らずにいた。

 先生の言葉は私の心にずしんと響いた。先生は振り返ると涙を流している私を抱き締めた。そして、ゆっくりと腕を放すと、口を開いた。

「記念日でも何でもないただの日曜日だ。それにここは墓地だ。ムードもへったくれもない。でも、今言いたい。俺は、雫石、君を愛している。今すぐに……とは言わない。俺の傍で俺の為に笑っていて欲しい」

「それってプロポーズ?」

 茶化した風に尋ねたが、私の手は緊張で震えていた。

「そうだよ」

 先生は私の顔を覗き込んで、そう言って微笑んだ。

 空の時のプロポーズよりも、先生の方が落ち着いているように見える。だけど、先生の手が僅かに震えているのを私は、見逃さなかった。大人の先生でも緊張するんだって、そう思ったら勇気が心の中にぼわっと湧き上がるように膨らんだ。

「先生。私の中の空はずっと消せない。そういうのイヤじゃないの?」

「言っただろう? 空を好きなお前ごと好きになったんだ。消す必要はない。俺にとっても空は大事な存在だ。俺の中にも空はいるんだから。それに、俺には空がお前にした何よりも幸せに出来る自信がある。俺の傍はイヤか?」

 私は顔を上げて先生を見つめた。

「私は……、先生といたい。ずっと、傍にいさせて下さい」 

 素直に自分の気持ちを伝えることが出来た。気付けば先生の腕が再び私をきつく抱き締めていた。先生の温かい胸に顔を埋め、涙を流した。どうして涙が流れてくるのかよく解らなかった。 

 悲しいわけじゃない。うれし涙にとても近い。感情の高ぶりによる涙だった。

 こんなに嬉しい涙を流せるようになるなんて、絶望の中にいた時には夢にも思わなかった。私は一生誰かを好きになることも、結婚することもないと思っていた。

 今の私を見たら、空は喜んでくれるよね。でも、きっとちょっぴりやきもちを妬くかな?

「先生。一つだけお願いがあるの」

 先生の胸に顔を押しつけながら先生に語りかけた。

「何だ?」

「あのね。死なないで。私を一人にしないで。もし先生までいなくなったら私、今度こそ生きて行けなくなる。だから、お願い。死なないで」

 先生が私の頭を撫でてくれた。私は先生がもし死んでしまったらという妄想にとりつかれそうになっていた。もし、本当に先生までもが私を置いて逝ってしまったら、私はどうなるんだろう。死んだように生きて行くんだろうか。想像しただけで震えるほどに怖くなった。

「俺は死ぬよ」

 私は息が止まってしまったような気がして胸を押さえた。

「寿命が来たらな。でも、俺の寿命はきっと長いぞ。空が俺は長生きするって言ってたからな。俺は生命を全うしてから死ぬ。雫石の前から突然いなくなったりしない。それは約束するよ。大丈夫だ。二人で年老いて行こう。もう充分すぎるほど二人でいよう。それじゃ、不満か?」

 私は首を大きく振った。

 空が先生は長生きするっていうのなら、自分の寿命を感じ取った空の言うことなら信じられる気がした。

「心配すんな。どんな大病に罹ったって絶対に治してみせるよ。どんなに苦しい治療だって、雫石の為と思えば耐えられる。耐えて見せるさ」

「先生。ありがとう。……大好き」

 私は微笑んだ。先生の顔が近づいて来て、私の顔に影を落とした。

「空が嫉妬するかもしれないな」

 苦笑いしてそう呟いた後、先生の唇が私の唇を塞いだ。

 軽い短いキスではあったが、そこには愛情がたっぷりと入っていたのが感じられた。

 先生は顔を離して、私の鼻を指でぴんっと弾いた。

「痛っ」

 と、短く不平を言うと、先生はケタケタと笑った。

「さあ、行こうか」

「何処へ?」

「それは、歩きながら考えよう」

 先生は私の手を取って歩き始めた。私も引っ張られる感じで歩き始めた。もう一度だけ、空のお墓を仰ぎ見た。ほんの一瞬だけお墓の上に座って手を振っている空の姿が見えた気がした。空の表情は優しく、私の大好きだった笑顔を惜しげもなく見せていた。

 ありがとう。

 口を動かし空に伝えた。空は微笑みながら僅かに頷くと姿を消した。幻かもしれない。白昼夢かもしれない。だけど、空が私達のことを祝福してくれている気がして嬉しかった。あれが幻影だったとしても構わない。空が私をいつまでも見てくれていることが解っただけでそれだけで私は嬉しかったのだ。

 しばし空のいたところを見て、それから先生の背中を見た。

 この2年間ずっと見て来た先生の背中が急に愛しくなった。

「先生。空ン家行こうよ。オバサンにも話さないと。沢山心配掛けちゃったもん」

 そうだな、と先生は呟く。

 少し足を速めて先生の隣りにピタリと寄り添い、先生を見上げて微笑んだ。先生の温かい笑顔が返ってくる。


 もう、これからは悲しい雨が降ることはない。

 悲しみを含んだ涙が雨の雫となって地面を濡らしていた。

 あれは、私が流していた涙の雫。

 涙の雫が大地を潤し、大地から育った名もない花が、今、花開いた。

 墓石の横にちょこんと咲いたその名もない花が二人の背中を見送っていた。


今まで読んで頂いて、有難うございました。

やっと最後まで書くことが出来ました。一度は書いてみたいと思っていた先生と生徒の恋愛をやっと書けました。自分としては、もっと明るい話を書きたかったのですが、死をテーマにしてしまったものだから、暗いものになってしまいました。

次作は、もう書き始めています。『赤青鉛筆』というタイトルです。

バーでバイトする短大生の女の子のお話。マスターに恋心を持ちつつも、新しくバイトで入って来た大学生に強引に口説かれ、揺れ動く女心といったものを書いております。コメディタッチでお送りします。

明日お休みして、10/29(木)から始動したいと思います。

そちらの方も何卒宜しくお願いします。

有難うございました。

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