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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第22話

 私はあてもなく走り回っていた。

 気付くと墓地に出ていた。暗くなりかけの墓地は不気味な雰囲気を醸し出していた。普段の私なら絶対に近付かず、早足で通り過ぎるだろう。ここは、中学1年の時にクラスのみんなで肝試しをした所であり空が眠っている所でもある。

 何度か訪れているから迷うことはない。星家の墓の前に立つ。花もお供え物も線香も何も持ち合わせていない。墓前にしゃがみ、手を合わせる。

『空。ごめんね、来ちゃった。……私ね、先生を好きになっちゃった。空のことは変わらず大好きだよ。でも、先生のことも好きなの。だけど、好きだって気付いた途端にフラれちゃった』

 涙が頬を伝って零れ落ちた。それを待っていたかのように、雨がサーっと降り出した。

『この雨は空が泣いているの? それとも、私が降らせてるのかな?』

 立ち上がり天を仰ぎ見る。目を閉じ、雨を感じた。ザーっという雨の音、それ以外は何も聞こえない。

 前にも同じように雨に打たれた。空の葬式の日、公園で、私は悲しみに打ちひしがれて、同じように天を仰いでいた。あの時の悲しみ、苦しみ、虚無感に比べれば失恋の悲しみなど、天と地ほどの差があった。それでも、今、私の心が悲鳴を上げていた。

 あの時は、先生が傘を差し出してくれた……。

「また熱を出すぞ」

 顔に当たっていた雨を感じなくなり、そして、聞き覚えのある声が降って来た。目をゆっくりと開けると、視線をずらした。そこには、あの日と同じように先生が傘を差し出していた。

「先生……」

 その声は雨の音に遮られて、先生には届かなかったかもしれない。

「帰ろう」

 先生の低い声が、雨に濡れた更に低く聞こえた。

「また、先生に迷惑掛けちゃったね。でも、先生。迷惑ついでに一つ聞いてくれる? もう、迷惑掛けたりしないから」

「風邪引くから、今は帰ろう。話はいつでも聞いてやるから。な?」

 先生は私の肩にそっと触れた。

「今! 今、ここで、聞いて欲しいの。1分で終わるから」

 私は先生を突き放し、声を張り上げた。

「解った。聞くよ」

 その言葉に私は微笑み、空の墓に目を移した。そして、再び先生を見据える。

「私は、空が大好きだった。空と一生一緒にいれるんだって信じて疑わなかった。空が死んで、傍に空がいなくても、今でも変わらず空が好き。この想いはきっと私が死ぬまで変わらないと思う。だけど、だけどね、気付いたら私の心の中にはもう一人好きな人がいた。いつも傍にいて、私を支えてくれて、色んな話を聞いてくれて、泣きたい時はいつでも泣かせてくれた。間違ったことは迷わず正してくれた。ずっと優しいお兄ちゃんだと思ってた。でも、間違ってた。その人は私にとってお兄ちゃんじゃなかった。私が勝手にそう思い込んでただけだった。自分の気持ちと向き合うことから逃げる為の肩書でしかなかった。やっと気付いた。やっと気付けた。この気持ちはその人にとっては迷惑でしかないかもしれない、だけど、どうしても伝えたかった」

 俯いて先生に見られないように小さく息を吐いた。

 手が震えていた。いや、体全体が震えているのかもしれない。手をぎゅっと握りしめて、顔を上げた。

 先生の瞳を強く見つめて、私は告げた。

「私は……、先生が好き。だいす……き……」

 目の前が急に真っ暗になり、ぐらりと体が傾いた。自分が倒れて行くのを感じながら自分では何もできないことに苛立ちを感じた。そして、辛うじて保っていた意識も徐々に遠ざかって行く。

「浅野っ。浅野! ……雫石」

 先生の姿が近付いてくるのが薄れ行く意識の中で見える。

 ああ、また先生に迷惑かけちゃう……。と思うと共に、ああ、先生が初めて名前で呼んでくれた。等と考えたのを最後にぷっつりと意識が途絶えた。


 私が目を覚ました時、私は手に温かい温もりを感じた。

 ゆっくりと目を開くと、見慣れた天井が目に入った。

 ああ、この手の温もりを私は知ってる。

 私が高校1年の時に登山中に倒れた時も、こうして手を握ってくれていた。

「せん……せい……?」

 体が重くて、燃えるように熱く、とても体を起こすことが出来なかったので、恐る恐る先生を呼んだ。

 自分の声があまりにも心許なくて驚いた。

「ん? 起きたのか?」

 先生の声と共に先生の姿がのそりと現れた。

 ああ、やっぱり先生だった。

 先生の手が私のおでこに乗せられた。おでこに乗せられた先生の手がひんやりと冷たくて、とても気持ちが良かった。

「まだ高いな。もう少し寝てろ」

 先生が幼さの残る笑顔を私に向けた。

「また、先生に迷惑掛けちゃった。ごめんなさいぃ」

 涙が勝手に目から出てくる。頬に伝う涙がまるでお湯のように熱かった。

「今は何も考えずに寝ろ。何も心配しなくていい。大丈夫だから。な?」

「先生。お願い……。私が寝るまで傍にいて」

「傍にいるよ。大丈夫、心配するな」

 先生の大きな手が私の頭を優しく撫でてくれた。その感触は、小さい頃に母にして貰った手の感触を思い出した。母の手もまた、優しかった。先生の手は、母の手よりも格段に大きかった。

 その手は、私を安心させ、私はゆっくりと目を閉じた。

 次に目覚める時にはこの手の温もりはない。この手の温もりは私のものではなく、美代さんのものだ。そう思うととても悲しくなった。だが、その悲しみも長くは続かず、私は体の中の熱に侵され、意識を手放した。

 再び目を覚ました時には体の熱が大分引き、熱があったことによる体の節々の痛みはあったものの、すっきりとした気分だった。

 カーテンの隙間から覗く一筋の日の光と、外でさえずる鳥たちの鳴き声、そして、新しい匂い。それらが、私に今が朝である事を教えてくれた。

 すでにある筈のないと思っていた手の温もりを今もなお感じていた。私はゆっくりと体を起こした。恐らくもう熱は微熱程度に下がっているだろう。

 目を移すと先生が私の手を握ったままベッドに突っ伏して寝てしまっていた。肩には毛布がかかっていた。

 ずっと傍にいてくれたんだ……。

 先生の頭に手を伸ばし、先生がしてくれたように優しく撫でた。

 その手の感触に気付いたのか、先生がんんっっと言いながら頭を起こした。

「先生、おはよう。ずっと傍にいてくれたの?」

「んんああ、おはよう。お前が心配で離れられなかった。調子はどうだ?」

 先生は少し眠そうにそう言った。

 寝癖で髪の毛がぴょんと立っていて、可愛かった。

「うん、大丈夫。多分熱も下がってると思う」

 どれ、と先生はおでこに手を置く。

「うん、大丈夫そうだな。お前のお母さんに伝えてくるな。お粥、食えるか?」

「うん、お腹空いた」

 先生は満足そうに微笑むと、手を放して部屋を出た。離れてしまった手がすぐに冷えて、悲しくなった。

 もう二度と先生と会えなくなるんじゃないかって、そんなイヤな考えが私の頭に浮かんで、私は温もりがほんのりと残る手を見ていた。

 私が自分の身勝手で先生に自分の気持ちを押しつけてしまったから、もう私の所には戻って来てはくれないかもしれない。そのまま帰って、そして、私が元気になって学校に行けるようになっても目も合わせてはくれないかもしれない。

 どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。先生には美代さんがいるのに。

 涙が次から次へと頬を伝い枕を濡らした。誰にも気付かれないように、声を立てずに泣いた。

 コンコンというノックの音に私は慌てて顔を拭った。

 母だろうと思っていたのに、入って来たのはお盆を持った先生だった。先生は、お盆の上に乗せてあるお粥とお水を落とさないように必死な顔をしていた。

 先生が私のベッドの横まで来るとお盆を置いて、私の顔を見た。その刹那、先生の目が大きく見開いた。先生の手が私の頬に触れる。

「泣いたのか?」

 私は首を振った。

「嘘つけ。どうしたんだ?」

 先生の低くて優しい声に問いかけられ、私はしゃくり上げた。

「先生が行っちゃうって思ったら悲しくて。あんなこと言っちゃったからもう、先生、私と目も合わせてくれなくなるかもしれないって思って……」

「どこにも行かないよ。今日はずっと傍でお前の看病するからな」

「でも、先生。学校は? 今日平日だよ」

 鼻声の酷い声でそう言ってから目覚まし時計を見た。7時を少し過ぎたところだった。

「今日はもう休むと連絡してある。とにかくお粥を食え」

「でも……」

 先生に制されてそれ以上何も言えなかった。

 私なんかの為に学校休んじゃっていいんだろうか。そうは思うものの先生はそれ以上なにも言わせてはくれなかった。


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