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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第20話

「じゃあ、美代さんは今も先生が好きなのかな?」

「それはないだろう。俺達はとっくの昔に別れてるんだから」

 そう断言する先生を見て、私は苦笑を浮かべた。美代さんがあの時向けた目を見ていれば、それが違うということが理解できただろう。先生の方で、いくら終わった恋だと思っていても、美代さんの方ではそうではないということなんじゃないか。

「私、先生のこと独占しちゃってるよね? そういうのもう駄目なのかな?」

 私はぽつりとそう呟いた。先生に語りかけるつもりもなくぽろりと出てしまった言葉だった。

「何言ってるんだ? 俺は、俺の意志でお前の傍にいるんだ。そうでなければとっくにお前を退けてるだろ」

 そうなのかもしれないけど。だけど、先生は空と約束したから私の相手をしてくれているだけに過ぎない。私はそれに甘え続けているんだ。私はもういい加減先生を解放しなければならないんじゃないだろうか。そうすれば先生も自分の恋を何とか出来る。

 ふと、もしかしたら先生の好きな人は美代さんなんじゃないだろうかと思った。

 二人がもし、私のせいで別れたのだとしたら……。私のせいで二人の恋が実らないのだとしたら……。本当は、二人は両想いなのだとしたら……。

 そんな風に思い、私はしばらく放課後、先生の所に通うのは控えようと考えるのであった。


「高遠先生と喧嘩でもしたの?」

 昼ご飯中に藍に問われ、私は慌てて首を横に激しく振った。

「じゃあ、なんで放課後、先生のとこに行かないの?」

「それは……」

 廻りが聞き耳を立てているんじゃないかと言い淀む私を見て、藍が場所を移そうと提案した。

 私達は久しぶりにプレハブに向った。晴れていたので、プレハブの裏手に二人並んで座った。奇麗に澄み渡る青空を見上げると、そこに空がいるような気がして一人微笑んだ。

「それで?」

 藍が同じように青空を見上げ、訊ねて来た。

「私って先生離れした方がいいんじゃないかなって思ったんだ。先生には好きな人がいるんだって。先生はその人と気持が通じ合うことはないって言っていたんだけど、それって美代さんなんじゃないかって思ったの。もしそうなら、私って物凄い邪魔者だなって思って……」

「雫石。それ、本気でそう思ってんの?」

 真剣な目で藍は私を見据えた。私は頷いた。

「……先生が可哀想」

 ぼそりと藍はこぼした。

「どうして? 私が廻りをうろちょろしているが為に、先生が好きな人と気持ちが通じ合えないのだとしたら、それの方が可哀想なんじゃない?」

「先生がそう言ったの? 先生が美代さんが好きだって言ったの?」

 藍の言葉が少しきつくなった。私は何か怒られる事をしたんだろうか。

「言ってないけど……」

 藍の厳しい雰囲気にしどろもどろになって私は答えた。

「じゃあ、雫石は? 先生と離れたい?」

 今日の藍は何だか怖い。問い詰められているようで居心地が悪い。

「離れたいわけじゃないけど、私がいるせいで先生が幸せになれないのはイヤだから」

「雫石は先生が好きなの?」

 藍の質問に一瞬言葉が詰まった。

「好きだけど、藍が考えているようなものじゃないよ」

 こんな話しをするのは正直イヤだった。だって、先生は私のお兄ちゃんみたいな存在なんだから。

「もう、この話は止めようよ」

 私は笑って藍を見た。藍は怒った顔をしていた。

「雫石。逃げちゃ駄目だよ。いつまでも空君のせいにして逃げちゃ駄目なんだよ。自分の心にまで嘘を吐く事を空君は望んでなんかいない。空君が望んだのは、雫石が幸せになることなんだよ」

「なに……? 何のこと言ってるのか解んないよ。私、逃げてなんかないよ?」

「鈍感なふりしないの。もう、雫石は解っているんだから」

 5時間目のチャイムが鳴った。藍はすくっと立ち上がり、私を置いて行ってしまった。

 次の授業は英語だった。

 私は立ち上がることが出来ず、膝に頭を押しつけた。

 藍を、怒らせてしまった。でも、私には藍が言っていることが理解出来なかった。藍は何を言いたかったんだろう。藍は先生が好きなのは、美代さんじゃないと言いたいの? 私が好きなのは先生だと言いたいの?

 私にとって先生はお兄ちゃんのような存在だった。頼もしいお兄ちゃん。いつも私の話を聞いてくれた。寂しい時は傍にいてくれた。泣きたい時は泣かせてくれた。先生が大好きだ。だけど、空を好きなのとは違う。やっぱり違うよ。

 無性に空に会いたくなった。空に会いたい……。

 良く晴れた青空を見上げて、私は久しぶりに泣いた。


 放課後、その日も私は先生に会いに行かなかった。

 藍とは、いつも通りバイバイして別れたが、その目が私を非難しているようで悲しかった。

 一人鞄を持って、廊下に出ると、先生と美代さんが楽しそうに話し込んでいるのが目に入った。私の目には、二人はお似合いの恋人同士に見えた。心が疼くのが解ったが、それの原因を深く考えるだけのゆとりは私にはなかった。ただ、ぼんやりと二人の姿を見ていた。

「絵になるね、あの二人。あの二人を見るのが、そんなにショックなほど好き? 好きなら気持ちを伝えればいいのに。でなければ、止めて俺にすればいいんじゃない?」

 急に耳元で話し掛けられて飛び上がらんばかりに驚いた。耳を押さえて振り向くと、生徒会長の坂本君が澄ました顔をして立っていた。

「あのねぇ。物凄い勘違いしてる。それに、そういうことは本当に好きな人にだけ言うものよ。あなた、明日香にも好きだって言ってるでしょ?」

 私は驚かされたことに腹を立て、鼻息も荒く捲くし立てた。

「ああ、ごめん。俺の悪い癖なんだよね。可愛い女の子を見るとつい好きって言ってしまうんだ」

 勘違いしているってことには触れようとしなかった。聞き耳を持たないといった感じで。

「何それ、イヤな癖ね。でも、安心した。私のことは好きでも何でもないってことだものね。私に言ったことは許してあげる。だけど、明日香のことはきちんとしてよね」

 藍の言っていたことに、半信半疑だったのだが、実際坂本君は本当に癖だったのだ。だが、坂本君の言葉や態度がただの悪い癖なんだと解るとなんだか途端に坂本君が怖くなくなった。

「あの子にはかなり辟易しているんだ。突然、お嫁さんにして下さいと言われて、毎日困っているところなんだ。何とかしてくれないか?」

 いつものどこか高圧的な態度はなれを潜め、眉毛が下がって本当に困っているのが窺える。そんな坂本君の姿が滑稽で私は吹き出し、声を立てて笑った。

「ふははっ。そんなの自業自得じゃないの。いっそ明日香のことお嫁さんにしてあげればいいのよ」

 笑い過ぎて目尻に涙が溜まっていた。こんなに笑ったのは久しぶりだった。坂本君を追いかける明日香の姿を想像するだけで、可笑しくて堪らなかった。

 ふと気付くと、一人で腹を抱えてげらげらと笑っていて、それをじっと見ている坂本君と目があった。一人で馬鹿みたいに笑ってしまって何だか急に恥かしくなってしまった。

「な、何よ?」

 なんか文句あんの? と言いたげに私は睨みつけた。

「笑ってる君って可愛いね」

 真面目な顔でそう言われ、一瞬怯んだが、それが坂本君の癖だと思うと坂本君の腕をグーで殴った。

「そういうこといちいち言わないのっ」

 それだけ言うと、ふんっと鼻息も荒くその場を立ち去った。

 下駄箱に向かう際にちらっと先生がいた方を見ると、先生はまどそこにいて、目があったような気がした。美代さんが一生懸命に先生に話し掛けていたが、先生はそれを知ってか知らずか、こちらを見て口を噤んでいた。

 先生は私と坂本君が一緒にいる所をずっと見ていたんだろうか。一瞬あった先生の瞳が酷く切なげだったのは錯覚だろうか。

 そんな事を私が考えていた頃、廊下に取り残された坂本君がぼそりと「やばい」と、呟いたのを知る人はいない。


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