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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第17話

「ごめん、違うんだ。そういう意味じゃない。お前のことは可愛い妹のように思っているよ。だけどな、世間の目には俺とお前は教師と生徒としか認識されないんだ。俺がお前ん家で飯食ってるって知られれば贔屓だと抗議してくる生徒や親が出てくる。心のない連中はお前と俺が如何わしい関係だって考えるかもしれない。そうなったら俺とお前は誹謗中傷を受けることになる。お前は学校に残れるかもしれないが、周りの目は変化するだろうな。最悪の場合、転校しなければならなくなる。俺はどこか別の学校に飛ばされるか、最悪教員免許剥奪ってことにもなりかねない。お前の傍にいてやれなくなる。話も聞いてやれなくなるかもしれないな」

 先生は、淡々とこの先起こりうるかも知れない事態を話して聞かせた。それは、とてもじゃないが、私には受け入れられない内容の出来事だった。

「ヤダっ! そんなのヤダっ。先生、置いて行かないでよ。イヤだよぉ」

 私は叫び、泣き出してしまった。まるで子供が駄々をこねるように「ヤダっ」を連発して。

 先生は、そんな私を抱き締めて、頭を撫でてくれた。

「馬鹿だな。例え話だよ」

「例え話でもイヤなものはイヤなの。先生はずっと私の傍にいて。居てくれなきゃ私泣いちゃうからねっ」

 無茶を言う私を優しく温かい先生の腕が包んでくれる。

 私は自分の傍にいる人が、突然いなくなるということに過剰反応をしていたのかもしれない。

 先生は、私が落ち着くまで、その腕を放さないでいてくれた。

「いいのか? そんな事言って。お前が邪魔だからどっか行けって言っても傍に居続けるかもしれないぞ」

「そんな事言うわけないよ。ずっと傍にいてよ、先生。お願いっ」

 自分で言った言葉に、なんかこれじゃまるで愛の告白みたいだと思い至った。愛の告白というよりもプロポーズかもしれない。

「約束する。ずっとお前の傍にいる。だから、もう泣くな」

 先生の顔を見上げると、眉が下がって今にも泣き出しそうな顔をしていた。その顔が面白くて思わず吹き出してしまった。

「あのな。俺はお前の涙に弱いんだよ。笑うな」

 ごめんね、先生。だけどね、本当に悲しくなっちゃったんだ。先生までどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって。今先生がしてくれた約束がいつか破られる事は解っているけど、いつか先生を解放しなければいけないことは解っているけど、今は、今だけは私の傍にいて。

「泣きやんだんなら顔洗って来い。そんな顔で帰したら、俺がお前に何かしたんだと思われるだろ」

 苦笑しながら私の頭をぽんぽんと叩いた。

 私は先生に指示されたとおり、洗面所で顔を洗った。戻って来た時にはタッパの用意は出来ていた。

「ほら、行くぞ。送ってく」

「えっ。いいよ。自転車で来たし、すぐ近くだから平気」

 私の言葉に耳を貸さず、先生は一人で玄関に行ってしまった。私は慌てて先生の背中を追った。

「先生、いいの? 今日は持ち帰りの仕事ないの?」

「んん? あるけど、お前ん家なんてすぐそこなんだし、別に大丈夫だ」

 そりゃ、行って帰ってくるだけならすぐだけど……。それだけで、済むとは思えないんだけど。


 先生が歩く横で私は自転車を押して歩いた。

「先生。さっきごめんね」

「ああ、別に気にしないよ。寧ろあんなに必要とされて嬉しい限りだよ」

「嬉しいの?」

「まあな」

 ふ〜ん、と釈然としない返事を返した。

「お前があんな風に自分の感情を素直に剥き出しに出来るようになったことが嬉しいんだよ、兄としては」

 ちらりと先生を見ると、優しい笑顔がそこにあった。幼さの残るあの笑顔は健在である。

 先生が私を家まで送り、その後母の長い話に先生が付き合わされたのは言うまでもない。

 あ〜あ、先生仕事あるのに可哀想。

 だが、私は先生を見捨て、自分だけそそくさと部屋に引っ込んだ。

 先生が玄関を出る気配を感じて、携帯を鳴らした。

 自室の窓から先生の姿を覗いていると、先生は携帯に出て、私の部屋の窓を見上げた。

「先生。仕事大丈夫なの?」

『大丈夫だよ。そんな大した量はないからな。風邪引くからもう寝ろ』

「もう大分暖かいし、風邪なんか引かないよ。先生、気をつけて帰ってね。また、明日」

『ああ、また明日。おやすみ』

 先生は手を振ってから、大股に歩きだした。私は先生の姿が見えなくなるまで、その背中を眺めていた。



「藍、私ジュース買って来るね。先食べてていいよ」

 藍にそう言いおいて、教室を出て自動販売機前まで来たが、凄い人だかり。自販機が見えない状態だった。だが、自分が買いたいジュースがどこに売っているのかは心得ているので、迷わずその自販機の前まで行って、最後尾に並ぶ。

「やあ、また会ったね。浅野さん」

 後ろに並んだ誰かに声をかけられ振り向いた。

「ああ、えっと……」

「坂本だよ」

「ごめんね。人の名前を覚えるのが凄く苦手で」

「別に構わないよ」

 坂本君はくすりと笑ってそう言った。

 とても優しい人なんだろうけど、私は早くこの列が進んで自分の番になればいいと、そればかり思っていた。

「率直に聞くけど、浅野さんは先生が好きなのかな?」

 耳元でぼそりと呟いた声に、ぎくりと震えた。

「何それ? 先生って誰のこと?」

 私の声は幾分震えていた。先生って言ったらこの場合、高遠先生でしかあり得ない。

 この人は一体何が言いたいの?

 坂本君はニヤリとイヤな感じのする笑顔を向けた。

「その分じゃ、まだ無自覚なんだ。じゃあ……」

 先ほどよりも耳元に近く唇を寄せて、ぼそりと呟いた。

「俺は君が好きだ」

 私の耳にだけ入り込んだ言葉。私にはそれが愛を告白した言葉というよりも、呪いのかかった言葉を囁かれた様な気分で体が動かなくなった。

 肩にポンと手が乗せられ、

「まあ、考えてみて」

 そう言って坂本君は私から離れて行った。坂本君が遠ざかった途端に、体がふっと軽くなり動くようになった。まるで金縛りにあった後のような疲労感を体全体に感じた。そして、今の今まで雑踏が全く耳に入って来ていなかった事を知る。

 私はジュースを買うと、逃げるように足早にそこを後にした。


「藍、坂本君って知ってる?」

 私はお弁当のおかずを頬張りながら藍に問いかけた。

「坂本君って生徒会長の?」

「生徒会長? 坂本君って生徒会長なの? あの、背が馬鹿高くてメガネかけてて、威圧的な人?」

「そう。その坂本君が一体どうしたの? なんかあったんなら隠さず言いなさい。私には解るんだからね」

 私のオーラがきっと変化しているんだろう。藍に何かを隠そうなんて無理な話なのだと、心底納得した気分にさせられる。

「坂本君ってどんな人か知ってる?」

 私がおずおずと尋ねると、箸を置いてまじまじと私を見た。

「雫石は坂本君を見てどう感じた?」

「あのね、あの人、怖い。威圧的で一緒にいると金縛りにあったみたいになる。なんか怖い」

「私も最初はそう感じた。でも、悪い奴ではない」

 え? と私は小さな声を漏らした。藍はちらりと私を見ると、再び話し始めた。

「で? その坂本君が一体何をしでかしたのかな? 大体の内容は見当がつくけどね」

「藍。坂本君と知り合いなの?」

「まあね」

 藍はその事実にとてもイヤそうに顔を歪めていた。

 坂本君となにかあるんだろうか? 若しくはあったんだろうか?


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