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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第16話

「ところで、あなた達はいつから付き合ってるの?」

 私が改めて二人を見つめると、二人して頬を赤らめて、俯いてしまった。

 んまぁ、なんて可愛らしい二人なの。

 二人いっぺんに抱き締めてしまいたい衝動に駆られた。勿論、ギリギリで理性を押さえたけれども。

「先週からなんだ」

 幸せすぎて蕩けてしまいそうだと言いたげに直登は締まらない顔のままそう呟いた。

 藍の方は恥ずかしさの余り顔を上げられないようだった。

「良かったね。藍、本当に良かったね。直登、藍をよろしく。絶対に危険な目にだけは巻き込まないでよ」

 自分のことのように嬉しかった。

 一番苦しい時に、いつも一緒にいてくれた大好きな親友。きっと藍は私の為に自分のことを後回しにしてくれていたんだと思う。きっとそうなんだと思う。この二人はとっくの昔に両想いになっていて、私のせいで恋人同士になれなかったんだ。二人は何も言わないけれど、そうなんだと思う。

「藍、直登。ごめんね。ありがとう」

「「え? 何が?」」

 二人とも何のことだかさっぱり解らないといったキョトンとした顔を私に向けた。

 私は小さくくすりと笑った。

「何でもない。あっ、そうだ。私、今日は急いで帰らなきゃいけなかったんだ。じゃあ、先に行くね。またねっ」

 手を振って走り出した。

「ちょっと、雫石」

 藍の声が追いかけて来たけれど、それを無視して走った。

 恋人同士は二人きりにしてあげないとね。



「ねぇ、先生。聞いてもいい?」

 放課後の英語準備室。1年の時に使っていた机は取り払われ、その場所にはソファが置かれている。もともとこのソファがここに置いてあったらしい。そのソファに腰掛けて、仕事中の先生の背中に声をかけた。

 んん? と、背中で返事をした。

「先生。今、彼女いるの?」

 くるりと振り返り訝しげに私を見た。

「何だ、突然」

「ねぇ、いるの、いないの?」

 先生の質問には答えず、重ねて質問をする。

「いないよ」

「先生。それって私のせい?」

 私が聞くと、先生は目を見開いた。

「何だそりゃ」

「だって、先生まだ若いし、モテるでしょ? それなのに彼女作らないのって私がいるせいなのかなって。私、もう大丈夫だよ。笑えるようにもなったし、友達だって出来たし、英語の授業にだってちゃんと出れるようになったんだし。夜もちゃんと眠れるよ。だから……」

 藍と直登がそうだったように、先生も私がいるせいで何かを我慢しているんじゃないか、そう思った。

「別にお前のせいじゃないよ」

「でも……」

「お前のせいじゃない。これでも一途なんだよ、俺。好きな女はいる。でも、恐らく一生気付いて貰えないような気がするな」

 先生の口から初めて聞く、先生の恋愛話。

 先生にも好きな人がいたんだ……。

 ずきんと胸が痛んだ。ズキズキズキ……。

 何だろう、これ。変なの。

「その人は先生の気持ち知らないの?」

「知らないよ」

 先生の寂しそうな顔に、その人への気持ちの強さが窺える。

 ズキズキズキ……。

「言わないの?」

「今はな。いつか……。う〜ん、一生俺の胸の中にしまっておくかもしれないな」

 ズキズキズキ……。

 この胸の痛みはきっと嫉妬だと思う。自分の大好きなお兄ちゃんが、他の人を想っているのが堪らなくイヤだって気持ち。お兄ちゃんを取られちゃうって焦りの気持ち。だって、先生は私のお兄ちゃんみたいな人だから。

「切ないね」

「ああ、切ないな」

 先生が苦笑した。

「でも、いいんだ。見守っていられるだけで、幸せなんだ」

「先生にそんな風に想って貰えるその人は幸せだね」

「そう思うか?」

 先生の悪戯っ子のような目に見つめられて、私は戸惑った。その瞳の奥には、何か強い想いのようなものが見え隠れしていたから。

 先生の好きな人ってどんな人なんだろう。


 私は先生にさようならを言って、準備室を出た。

 ぼんやりと先生の好きな人のことを考えながら歩いていた。

「そんなにぼんやり歩いていたら、またぶつかってしまうよ」

 突然声をかけられ、、私はびくりと身を硬くした。どうやら私は知らずに、下を向いて歩いていたようだ。

「あっ、この間はごめんなさい。えぇっと……」

 そこには、先日ぶつかってしまった男子生徒が立っていた。

「坂本だよ。坂本由樹。よろしく」

 私の弱点、それはすぐに人の名前を忘れてしまうこと。余程のインパクトのある人でないと、一発でその名前を覚えることは出来ないと思う。

「ごめん。坂本君か」

 背が高いせいで威圧的に感じ、ちょっと怖い。先生も同じくらいの身長だけど、先生にそんな威圧感を感じたことはない。

「えっと、じゃあ、行くね」

 逃げるようにその場を去ろうとした。

「君は気付いていないんだな?」

 私はぴたりと足を止めた。

「先生が可哀想だ」

 先生という言葉にくるりと振り向いたが、坂本君は既に背を向けて歩き始めていた。

「どういう意味?」

 その問いは相手に届くことなく宙に彷徨い、やがて消えた。坂本君は角を曲がり、完全に見えなくなった。

 先生って、高遠先生のこと? 気付かないってなんのこと? 可哀想って、どうして?

 謎の言葉を投げかけ、坂本君は行ってしまった。彼は一体何を知っているというのだ。解らないことだらけだった。先生の好きな人と坂本君の謎の言葉。私は悶々とした気分で学校を出た。



「雫石。ちょっとこれ先生に届けてくれない?」

 夕飯を食べ終えた私に母は紙袋を手渡した。中身を覗き込むと、今日のおかずがタッパに入れてある。

「えぇっ。今から? 面倒臭いよ」

 母は先生を気に入っている。先生の人当たりの良さ、そして、空の兄的存在だったことを知り、私にも良くしてくれるってことで、度々こうして色んな物を先生にお裾分けするのだ。そして、お使いに出されるのは当然私なのだ。

「先生ってまだ若いんだよ。解ってる? 男の一人暮らしのアパートに娘を行かせるの心配じゃないの? 万が一私が先生に襲われたりとかしたらどうすんの」

 私がそう言うと、母は笑い崩れた。

「先生がそんな事するわけないじゃないの。でも、まあそうねぇ、万が一そうなったとしても、雫石が先生のお嫁さんになればいいんだから問題ないんじゃない? あらっ、何かそれっていい考えね。いっそ何もなくてもそうしたら?」

 先生に絶大な信頼を寄せているのが解る。あんなこと言ったって私だって先生がそんな事するわけないって解っている。

「先生に迷惑だよ」

 自分の提案に大はしゃぎしている母を横目に、私は紙袋を持って家を出た。

 先生の家までは物凄く近いけれど、夜の一人歩きは流石に怖い。自転車に乗って夜の道を走った。頭上には満月が輝いていて、街灯がなくても大丈夫なほどに明るかった。

 先生が住んでいるアパートに着き、2階の角部屋を見上げた。明かりがついているのを確認してから、階段を上がる。

 チャイムを鳴らすと、先生の足音が近付いて来て、ガチャリとドアが開き、私服の先生が顔を覗かせた。

「はいっこれ。お裾分け」

 紙袋を顔の横まで持ち上げてそう言った。先生は小さく微笑むと私を中に招き入れた。

「ありがとな。今皿に移し替えるから上がって待ってろ」

 うん、と私はいつものように先生の部屋の中に戸惑いもなく入って行く。先生はいつもおかずを皿に移し換えて、すぐにタッパを返してくれる。きちんと洗ってから。

 その間、私は先生の部屋で待っている。

「あっ、先生。またコンビニ弁当で済ませようとしてたな。駄目だよ、ちゃんと栄養取らないと。うちのお母さんも心配してるんだから。ねぇ、先生。いっそのことうちでご飯食べたら? そしたらお母さんも喜ぶし」

「馬鹿。そんなに生徒の家族に甘えられるかよ」

 そんな先生の言葉に私は頬を膨らませた。

「私は確かに先生の生徒だけど、私は先生のこと本当のお兄ちゃんだと思ってるんだよ。何か今、先生に切り離された気がした」

 そうこの時私は、先生にとって生徒以外の何ものでもないと切り離された気がして悲しかったのだ。お前は生徒の一人にすぎないのだと。


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