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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第13話

 それから1週間は、補習がお休みだった。

 高遠先生は、何だかんだ言ってちゃんとお盆休みを作ってくれていた。お盆休みはないと断言していたけれど、あれは先生のジョークだったようだ。

 私はお盆休みのある日、ある家の前に立っていた。

 空がかつて可愛いと褒めてくれたお気に入りのワンピースを着て、小さな鞄をギュッと握りしめた。

 大きく息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出してから、ドアチャイムを鳴らした。パタパタと音がして、ドアが乱暴に開いた。

「雫石ちゃん、来てくれたのね」

 そう叫び、私を勢いよく抱き締めた。涙がボタボタと落ちてくる。私も耐えきれずに涙を流した。

 そこが玄関先で、道路を通る人が不審げにじろじろと見ているのもものともせずに。

「オバサン、ごめんなさい。ずっと来れなくて、ごめんなさい」

「いいの。いいのよ。あなたがどれだけ悲しいか、私には解るもの」

「うん、ありがとう。今日ね、空にお線香あげに来たの、いい?」

「勿論よ、さあ、上がって」

 ここは空の家。何度となく訪れた空の家。

 空の死後、事実を受け止められず、一度も訪れていなかった。

 やっと今、来ることが出来た。

 空のお母さんに通されて仏壇の前に座る。仏壇の写真には、私の大好きな空の笑顔があった。

 合掌して目を閉じる。

『空。今まで来れなくてごめんね。この間、私の夢に会いに来てくれてありがとう。空と約束したとおり、前を向いて歩いて行くから。私を見ていてね。空、大好きだよ。私がこの先誰を好きになったとしても一番は空だからね』

 ゆっくりと目を開き、写真の空に微笑んだ。空の写真がより一層微笑んだように見えた。もしかしたら、空はここで私を見てくれているのかもしれない。

 仏壇を離れると、オバサンにリビングに呼ばれ、麦茶を出してくれた。

「静香さんには、電話で色々聞いていたのよ。雫石ちゃんの様子」

 静香というのは私の母の名前だ。オバサンと母も中学校の保護者会を通して仲が良かった。

「今まで、正直死に片足突っ込んでるようなものだったと思う。だけどオバサン、私ね、この間空に会ったの」

 私の言葉にオバサンはこれ以上出来ないというほど目を見開いた。

「夢の中に会いに来てくれたんだ。空ね、私に笑って欲しいって、前を向いて進んで欲しいって言ってた。お母さんから聞いてるかもしれないけど、私ずっと笑えなかったんだ。笑い方を忘れたの。空が私をまた笑えるようにしてくれた。笑い方を思い出させてくれた。空って凄いね。ほんの一瞬ですぐ私を笑顔にしちゃったんだよ。私、空に恥かしくないように生きて行きたいと思う。すぐには無理かも知れないけど、私はもう大丈夫だから。オバサン、ごめんね。オバサンも空を亡くして悲しいのに、心配させて」

「空が夢に? 良かった、本当に良かった。雫石ちゃんのことが心配で空のこと悲しんでる暇もなかったのよ」

 オバサンの微笑みに、私も自然に微笑んだ。

「空はね、幼い頃霊感の強い子だったの。事故のあった交差点を通り過ぎると泣いて叫ぶの、『怖いぃ、痛いぃ、助けてあげてっ』って。この話知っているかしら? 主人のお兄さん、空からしたら伯父さんね、自殺しているの」

「具体的にはあまり聞いてないけど、小さい頃は霊感があったってのは聞いてるし、身内に自殺した人がいるっていうのも聞いてる。詳しくは知らないけど」

 オバサンは頷いて、先を進めた。

「空が小学校3年生の頃だったわ。空が突然泣き出して、『伯父さんが死んじゃう。早く助けてっ』って叫ぶのよ。あまりの切羽詰まった空の様子にただごとじゃないと思って、お兄さんに電話したんだけどでなくって。私達はその頃アメリカにいて、お兄さんは日本に住んでいたから、すぐに向かうことも出来なくて、近くに住む親戚に様子を見に行って貰ったの。その親戚が着いた時にはお兄さんは首を吊って死んでいた。手遅れだったのよ。あっと、ごめんね。お兄さんの話じゃなくて空の霊感の話だったね」

 空が自殺を絶対にしないと語った時の怒ったような、悲しげな様子の訳が解った。空はもっと早く自分が気付いてあげていれば助かっていたのだと、悔しい想いを抱えていたのだろう。

「空の霊感は歳を重ねるごとに弱くなっていった。中学に入る頃には全く感じなくなっていたんだと思うわ。ただね、あの子いつも言ってた。俺は父さんや母さんよりも長生き出来ないやって。すまなそうにね。何か空の中で感じるものがあったんだと思うのよ。そのお陰と言っては何だけど、私達家族はそれなりの覚悟は出来ていたのよ。でも、雫石ちゃんは知らなかったから辛かったでしょ? 空に口止めされてたのよ。いつか解らないことで雫石ちゃんを不安にさせたくないからって。まさか、こんなに早く死ぬなんて私達も思ってもみなかったけどね。空から雫石ちゃんに預かっているものがあるのよ。はい、これ」

 オバサンは私に手紙と、小さな箱を手渡した。

「読んでもいい?」

 どうぞ、とオバサンは笑顔で言った。

 私は丁寧にその手紙を広げた。


『雫石。君がこの手紙を読んでいるということは、俺はこの世には既にいないんだね。俺には自分の寿命が短いってことは解っていたんだ。だから、雫石に急いでプロポーズした。

雫石、約束したのにお嫁さんにしてやれなくてごめんな。雫石のウェディングドレス姿見たかったよ。俺が死ぬ前に雫石に出会えて本当に嬉しかった。雫石は知らないだろうけど、俺、お前に一目惚れだったんだぜ。恥かしくて面と向かっては言わなかったけどな。

雫石のお陰で中学に入っての3年間は俺には幸せすぎるほどだった。ありがとう。出来れば雫石をこの手で幸せにしたかった。雫石の笑顔をずっと見ていたかった。

雫石を残して先に行かなければならないのは、酷く辛いけど、いつか必ず会えると信じてるから。だから、頼むから泣かないでくれよな。俺は雫石の笑顔が大好きなんだから。なんかクサイことばっかり書きすぎた。じゃあな。

小さな箱は、俺からのプレゼントだ。本当は雫石の16歳の誕生日にあげる予定だけど、それも叶わないかもしれないから母さんに預けておく。いつか、誰か俺以外の人を好きになったら、遠慮なく捨ててくれて構わないからな』

 

 私の目には涙が一杯に溢れていた。

「オバサンっ、空、私に一目惚れだったんだってぇ……」

 涙でぐちゃぐちゃになりながらそう言った。

「そうよ。入学式の日、家に帰った早々『ヤバいっ、好きな子出来た。超、可愛いっ』って騒いでたんだから。2年生になって雫石ちゃんを連れて来た時にはやっと実ったのかって喜んだのよ。それに、連れて来た子が予想以上に可愛い子でびっくりしちゃった。雫石ちゃんが帰った後、でかしたって空を褒めてあげたわよ」

 中学にもなると反抗期の影響からか両親と話さなくなる男子が多いけれど、空と両親はとても仲が良くて、恋の話とかもよくすると聞いていた。

「そんな」

「本当よ。お赤飯でも炊こうかって思ったんだけどね、流石に空に止められちゃった。いつか雫石ちゃんがお嫁に来てくれるって思ってたんだけどね。叶わぬ夢だったわね。だけど、私達にとって雫石ちゃんは本当に娘みたいなものだったの。だから、いつでも遊びに来てね。人生の先輩として相談にも乗れると思うし」

 オバサンは母に似た柔らかい笑顔で私を見つめた。

「うん、勿論。絶対遊びに来るよ」

 私はオジサンもオバサンも大好きだった。そう言ってくれて本当に嬉しく思った。


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