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雨の雫  作者: 海堂莉子
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第12話

「空は……死んじゃった。高校生になるほんの数日前だった。交通事故で即死だった。私ね、空の死に顔見てないの。事故で酷く傷付いているからって、空のお父さんが私を止めたの。今から思えば、誰に何て言われようが見ておけば良かった。どんなに傷ついていたって空には変わりなかったのにね。空の死に顔見てないせいなのかな。まだ、信じている自分がいるんだ。『俺が死んだなんて嘘だったんだよ』って私の前におどけた笑顔で現れるんじゃないかって。いつか、迎えに来てくれるんじゃないかなって。それと同じくらい、空が死んだことも十分に理解してるんだけどね」

「英語の授業を受けないのは、空君と何か関係があるの?」

 あまりに静かだったので、もしかしたら藍は寝てしまったのだと思っていた。急に問い掛けられ、びくっとなってしまった。そんな私の気配に藍がくすりと笑った。

「空は帰国子女だったんだ。小学校までアメリカに住んでた。空の英語は流暢だったけど、文法が大の苦手でね。いつも放課後の教室で勉強してたんだ。私は空から英会話を教えて貰って、私は空に文法を教えていた。英語には空との思い出が多すぎるの。高遠先生の流暢な英語を聞いていたら、空を思い出して涙が出た。だから、逃げ出したの」

 そっか、と藍がぼそりと呟いた。その後、しばし沈黙が訪れた。

 ザーっと雨が降っている音が聞こえて来た。話をしていたから雨が降り出したことさえ気付きもしなかった。

「私、この部屋に初めて来た時、その写真を見て、彼はもうこの世にはいない人なんだなって思ったの。私、一度彼を見たよ。雫石が私を助けてくれた時、雫石を守るように彼が寄り添っていた。凄く優しくて、酷く寂しそうな顔で雫石を見つめていた。見ているこっちが苦しくなるくらい」

「空が?」

 藍がこくりと頷いた。私の瞳には涙が溢れていた。

「今、空いる?」

 暗さに慣れた私の瞳に、藍が首を横に振る姿が見える。少し残念な気がした。

「彼を見たのはその一度きりだった」

「そっか。私も霊感があれば、空に会えるのにな」

 ぼそりと呟いた。

 霊でも幻でもいい。空にもう一度会いたい。

 私は涙を流しながらそのまま眠ってしまった。


 夢の中で私は空に出逢った。その夢は、いつもの夢と少し趣が変わっていた。いつもは二人が中学生の頃の想い出の夢なのだが、その夢は今の私だった。

 高校の制服を着ている私の前には、中学の制服を着ている空が座っていた。机を向かい合わせにして座っているそこは、中学校ではなく、高校の教室だった。

「雫石。久しぶりだね」

 笑顔の空が私を見て、目を細めてそう言った。

「空?」

 私は問い掛けた。涙が頬を伝い、それ以上言葉が出て来なかった。

「雫石の新しい友達が俺達を会わせてくれたんだよ」

「藍が?」

 空が頷く。

「空。空っ。寂しいよ。寂しいよっ。苦しくて死んじゃうよ。傍にいてっ、お願いっ」

 空の名前を呼んだ途端に、気持ちが雪崩のように溢れて来て、子供のように駄々をこねて、泣きじゃくった。

「雫石、ごめんな。そんな風に雫石を泣かせたくはなかった。俺も寂しいよ。ずっと雫石の傍にいたかった。雫石と結婚して、子供を3人くらい作って、孫も抱いて平凡に年老いて死ねればいいのにって思ってた。だけど、思ったより早く死んじゃって、こんなに苦しい想いを雫石にさせてしまって、ごめんな。俺はもう雫石の傍にはいてやれないんだ。どんなに願っても生き返ることは出来ないんだ。雫石、想い出ばかりを見ずに、前を向いて進んで行って欲しいんだ。いつかもう一度会えるから。そんなに悲しまないで」

「本当に? 本当にいつかまた必ず会える?」

「会えるよ、必ず。だから、今を生きて欲しい。雫石がそんなんじゃ、俺が安心して成仏出来ないだろ?」

「空、成仏出来てないの? それって私の……」

「そう思うなら、雫石の笑顔を見せて。俺はずっと雫石の笑顔が見たかったんだ。なあ、笑ってくれ」

 私は空を見つめて、口元を緩めた。だけど、上手くいかなかった。涙で霞んだ目が空を見つめる。

「ちぇっ、せっかく久しぶりの再会なのになぁ」

 空の唇を尖らせた拗ねた物言いは私をいつも笑わせてくれた。どんなに泣いていても、怒っていても、その顔を見ると笑わずにはいれなかった。

 私はぷっと吹き出して笑った。

「ほらぁ、笑えるだろ? 雫石は笑顔じゃなきゃ。その笑顔を俺は好きになったんだぞ。だから、雫石。俺の為を思うなら、いつも笑っていて欲しい」

 私は笑顔を見せた。今度は上手くいった。空も私の笑顔に満足そうに微笑んでいた。

「私も空の笑顔が大好きだよ。もう、誰も好きにならない」

「雫石。いいんだ。雫石は、俺じゃない誰かを好きになっていいんだ。心を閉ざしちゃ駄目だよ。友達も好きな人も沢山作るんだ。俺はいつも雫石を見てるからね。後ろ向きになったら叱りに来るぞ」 

 空は叱りに来るといったけど、きっともう二度と会うことは出来ないだろう。私は空を置いて、前に進まなきゃならないのだ。

「どうしても、一緒にいられないの?」

 空は寂しそうな笑顔で頷いた。寂しいのは私だけじゃない。空も悲しんでいる。少しでも空を安心させてあげたかった。

「空。私、頑張ってみるよ。すぐには無理かもしれないけど、前の私みたいに笑えるように頑張ってみるね。でもね、この先何人好きな人が出来て、付き合って、その中の誰かと結婚したとしても、私はやっぱり空が一番好きなんだと思う。私の初めては、全部空だったんだよ。空のことは絶対に忘れない。忘れられない。忘れたくない。この気持ちは絶対に消えないよ」

「ありがとう、雫石」

 私と空は机に乗り出し、キスをした。今までずっとしていたように……。

 唇がひんやりと感じた。霊には触れられないっていうけど、私は今、確かに触れていた。

 今までの空の感触とは全然違ったけど、だけど、それは間違いなく空のものだった。

「雫石、愛してる」

 その言葉を残し、空は私の前から姿を消した。

 それと同時に私は瞳を開いた。


 視線の先には、心配そうな藍がこちらを見ていた。

「おはよう、藍。空に会えたよ。ありがとう」

 そう言って笑顔を作った。笑顔はぎこちないものだったけど、それでも今の私なら、合格点なんじゃないだろうか。

「おはよう。私は何もしてないよ。ただ呼んだだけ。彼はすぐに来てくれた。よっぽど雫石のことが心配だったのね」

 うん、と私は頷いた。

「空と約束したの。前を向いて進むって。頑張らないと、空に怒られちゃう」

 だけど、今はこの切り刻まれるように痛むこの胸がどうしても治まらない。

 今日だけは、泣かせて……。空、それくらいは許してくれるよね。

 私は藍にしがみ付いて泣いた。今、藍が傍にいてくれた事を神に感謝したい気持ちになった。

 こんなに思いきり泣いたのは、空のお葬式の時以来だっただろうか。

 思いきり泣いて、喉が枯れるまで叫んだら、涙が枯れた時にはすっきりとした気分になっていた。

 頑張ろうっていう意欲が湧いて来た。そうしたら、その途端盛大な音が腹から聞こえて来た。その音に藍と目を合わせ、そして笑った。今度こそ、自然に笑うことが出来た。あんなに笑うってどうやるんだろうと悩んでいたのが馬鹿みたいに感じるほどに、笑うことは簡単だった。

 階下に降りると、母が心配そうに私達を見ていた。こちらにまで、私の泣き叫ぶ声が聞こえていたのだろう。

「お母さん、お腹空いたよ」

 そう言って微笑みかけると、母は突然泣き崩れた。

 泣き崩れる母を見て、私は母に覆い被さるように抱き締めて、再び泣いた。

「ごめんね、お母さん。心配かけてごめんなさい。これからは大丈夫だから。私、大丈夫だから。ひ〜ん、ごめんなさい」

 私は必死に母に語りかけた。母に本当にすまないと思っていた。母も空の死に苦しんでいた筈だし、私のことも毎日気にかけてくれていた。それなのに、私はそんな母をウザいと思っていた。面倒だと思っていた。

 これからは、うんと優しくしようと思った。

 母の泣き崩れる姿を見て、私はそう心に誓った。


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