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初めて僕が彼に出会ったのは、幼稚園の頃だったと思う。彼は、僕の顔を見ると一言「フィネック」とだけ呟いた。“フィネック”について僕が知っているのは、2つだけだ。
まず1つ目は、背丈が僕と同じくらいで、顔はあんまり日本人ぽくはないという事。
2つ目は、彼がいつも僕の側にいるという事。僕が幼稚園に行く時、休日に家族みんなでお出かけする時、更には寝る時間になると僕の部屋まで着いてくる。ただ、彼が寝ている姿を僕は見た事がない。最初は怖かったけど、慣れというのは恐ろしいもので、すっかり僕は彼の存在をスルーするようになっていた。
ただ、彼の正体が気にならない訳ではない。ある日、誰か“フィネック”について知らないかな?と考えていた僕は、同じ幼稚園に通う、さとる君に聞いてみることにした。
「さとる君、“フィネック”って知ってる?」
「う~ん。お兄ちゃんが知ってるかも…」
「お兄ちゃんはなんて言ってた?」
「僕もあんまり知らないけど、ママに見つかって怒られていたかな。」
僕がさとるくんに“フィネック”の事を聞いている間、彼は澄ましたような顔で僕を見ていた。
“フィネック”の正体は、いまいちわからなかった。ただ、僕はママの前で彼の話はしないようにしようと思った。
僕が初めて“フィネック”と出会ってから、数年が経ち、僕は小学3年生になっていた。小学校は毎日楽しい。勉強はちょっと難しくて、眠くなっちゃう時もあるけれど、給食は美味しいし残さず食べると、先生が褒めてくれる。それに、なんと言っても休み時間に友達とサッカーをするのが1番楽しい!僕は勉強よりも運動するほうが好きみたいだ。友達とはしゃぎながら、校庭を駆け回っていると“フィネック”の姿を見かけることがある。僕が楽しそうにしている時、彼は決まって退屈そうな顔をしている。
そんな楽しい毎日楽しいを過ごしていた僕だけど、今日はとても悲しいことがあった。というのも、僕はクラスメイトのゆうと君と喧嘩をしてしまったのだ。休み時間にクラスのみんなでサッカーをしていたら、ゆうとくんの蹴ったボールが僕の顔に当たってしまったのがきっかけだった。僕は男の子だし、「これくらいへっちゃらだ」と、痛いのを我慢していたのだけれど、ゆうとくんは謝らないだけじゃなく、僕の事をどんくさいと馬鹿にしてきたのだ。それを聞いて腹が立った僕は、ゆうと君にひどい事を言ってしまった。先生に喧嘩を止められて、ゆうと君と一緒に怒られている時、ふと目の端に“フィネック”の姿があった。いつも澄まし顔の彼は、何故かその時だけは少し嬉しそうだった。
“フィネック”の正体が分からないまま、僕は中学3年生になり、受験シーズンを迎えていた。部活も引退して、毎日勉強三昧の日々。元々、勉強が得意ではないのでストレスフルな生活をしている。テスト前は友達と一緒に勉強をするが、なかなか点数が伸びず、親に怒られる回数も増える一方だった。
勉強の合間、ふと“フィネック”に目をやると、小さかった彼は僕と同じくらいの背丈に成長していて少し体が傷付いているようだった。それでも彼はいつも通り澄ました顔をしていた。
勉強に行き詰まっていた僕は、“フィネック”に話し掛けていた。
「ねぇ、フィネック。この問題わかる?」
“フィネック”に勉強ができるのかどうかは分からないけど、いつも僕の側にいるし、もしかしたら学校の授業も聞いているかもしれないとダメ元で聞いてみた。彼はうんともすんとも言わず、ただ黙って僕を見ている。
「わかんない?じゃあ、この問題は?」
あれから何個か質問してみたけど、彼が僕の問いかけに答えることは無かった。
次の日学校に行くと、この間受けた模擬試験の結果が返ってきた。僕の結果はC判定だった。正直志望校のレベルはそんなに高くないし、毎日勉強もしていた。確かに、模擬試験は学校のテストより難しかったけど、B判定は取れるだろう、と思っていたのでかなりショックを受けた。
「C判定だからと言って、不合格と決まった訳じゃない」
と先生は言ってくれたけど、親に怒られる事は確定だろうな、と僕は落ち込んでいた。
テストの結果や成績表はいつも晩ご飯の時間に親に見せることになっていた。家に帰って今日の分の宿題も終わらせて、気分転換に漫画でも読もうか、と数ページ読み出したところで、お母さんに呼ばれた。
今日の晩ご飯はクリームシチューだ。僕の好物だけど、この後の事を考えるとあまり味わっては食べられそうにない。ご飯を食べ始めて少し経った頃、お母さんが切り出した。
「模擬試験の結果は?どうだったの?」
僕は模擬試験の結果を見せた。すると案の定、お母さんの口からはお叱りの言葉が飛び出した。
「C判定!?本当に勉強してるの!?」
「ちゃんとしたよ…」
僕は小さく呟いた。それでもお母さんの説教は止まらず、いつまで続くのかと少しうんざりしていた時、何故か“フィネック”の事を考えている僕がいた。すると、
「ちゃんとお母さんの話を聞いてるの!?」
その言葉が耳に入ると同時に、僕は左頬に鋭い痛みを感じた。驚きと同時に怒りが込み上げてきた僕は、勢いよく席を立ちお母さんを睨みつけていた。言ってはいけないと分かっていても、咄嗟に言葉が口をついて出た。その時、楽しそうにニコニコ笑っている“フィネック”の姿が目の端に映っていた。
あのお説教以来、お母さんとは少し気まずい雰囲気が続いていたが、お父さんのフォローや、期末テストの結果も前より良かったおかげで、家族仲はすっかり元に戻っていた。そうして、僕は勉強をコツコツ頑張ったおかげで、不安だった高校受験も無事、志望校に合格する事が出来た。
春になり中学校を卒業し、しんみりする暇もなく、入学式を迎えた高校で、夢のような出来事が起こるなんて、このときの僕はこれっぽっちも想像していなかった。
それは、高校に入学して4ヶ月程経った、夏休みに入る少し前のことだった。中学校でサッカー部だった僕は、高校でも引き続きサッカー部に入ることにした。僕の高校のサッカー部は、そこまで強豪校という訳でも無く、のんびり和気藹々と楽しむ。といった感じだった。ただ、中学生の頃の部活と決定的に違うのは、女子マネージャーがいる事だった。中学時代、女子と話す機会が全く無かった僕は、たとえ部活でも女子と話す事が出来て嬉しかった。だが、それ以上に嬉しい出来事があった。なんと夏休み直前、マネージャーの一人のわかなちゃんから僕は告白されたのだ!なんでも、毎日真面目に練習に取り組む姿に惚れたと言うらしい。わかなちゃんとは、部活内でしか話したことは無かったが、僕には彼女の告白を断る理由なんて1つも無かった。
そんなこんなで、僕の高校生活初めての夏休みはとても素晴らしい幕開けとなったのだ。わかなちゃんと付き合い初めた頃の僕は、完全に浮かれまくっていた。どれくらいの浮かれようだったかと言うと、友達にはもちろんのこと、“フィネック”にさえ、彼女を話しを聞かせていたのだ。やれ今日はどこに行った、何を食べたなど、彼女とあった事を事細かに話していた。毎日が脳内お花畑だった僕が話している間、“フィネック”が退屈そうにしていたのも、ましてや、彼の体に傷が増え少し黒ずんでいた事にも僕は少しも気付かなかった。
わかなちゃんと付き合い出して3週間程経った頃、僕には1つ悩みがあった。それは、メールの返信が遅いと彼女が怒る事だ。初めての彼女で浮かれていたとはいえ、夏休みの間も部活はあるし、友達との約束もある。最初は心配症なのかな?と思っていたが、段々怒られる回数も増えていき、それが嫌になって僕のメールの返信速度は、低下する一方だった。
そんなある日、お盆で部活が1週間程休みになったので、久しぶりにわかなちゃんとデートすることになった。午前中は、駅前のショッピングモールで映画を観て、そのままモール内をブラブラした後、お昼ご飯を食べる為にフードコートに向かった。
2人でファストフード店のハンバーガーを食べながら、部活や宿題の話などそれなりに盛り上がっていた。しかし、急にわかなちゃんが黙り込んでしまった。僕は一体どうしたのか、彼女に訪ねた。すると彼女はポツリと呟いた。
「どうして最近メールを返してくれないの?」
「ごめん。ちょっと忙しくて…」
僕は少し言葉を濁した。
「本当に?でも部活休みだよね?」
僕は少しうんざりしながら
「友達との約束もあるし、宿題もあるから。」
と、彼女をなだめるように言った。
「でも前はすぐに返事してくれたじゃない。」
「だから、ちょっと忙しいんだって!他にやらなきゃいけない事だってあるんだよ…」
この時点でかなり嫌気が差していた僕は、つい強い口調になってしまった。彼女は驚いて泣いてしまった。
「なんで泣くんだよ…」
彼女の涙が、余計に僕をイライラさせる。
そう言えば、最近気付いた事がある。僕は昔からこういう場面になると、どうにも別の事を考えてしまう傾向がある。そう、“フィネック”の事だ。今もまた、彼の姿を探している自分がいた。すると彼女が、泣きながら叫ぶ。
「私と友達どっちの方が大事なの!?私の事ももっと真剣に考えてよ!」
その瞬間、僕の中で何かが弾けた。それと同時に“フィネック”は今まで見た事が無いくらい1番の笑顔で笑っていた。そして、その時初めて気付いたんだ。“フィネック”の体はボロボロに傷んで黒ずんでおり、彼の頬は涙で紅く染まっていた事に。