病み上がりの王子
「うう・・」
ようやく頭痛が治ってきた。意識がまだ不安定だ。
苦い薬を飲まされ、無理矢理内臓物を吐かされ、下剤を飲まされて、水分をたっぷりと取らされた。
すると頭痛や幻覚が現れ、フリーダの声が頭にガンガン響いた。
更に薬、下剤、水分と数日続いて、ようやく幻覚は治まった。
その代わり、あれほど恋焦がれた女の顔が・・なぜか思い出せなくなっていた。
周りを見渡す。どうやら病室だろう。1年前に怪我で入院した時、見覚えのある部屋だ。
あの時は、アガサが毎日病室を訪れて、甲斐甲斐しく花を飾ったり、タオルで顔を拭いたりしてくれた。
「やはり・・アガサはもう来ないのだな」
アルミドラはポツリと呟いた。
昨日、父である国王と宰相が来て、語った内容に愕然とした。
自分がやらかした事は・・
アガサに『婚約破棄』を告げたのだと。それも大声で。
しかも大勢の人がいる場所で、彼女を貶めたのだと。
言った、のか?
・・言った様な気がする。
思い出そうとするが、ぼんやりとした風景で・・
あの時嘗てない無い程の高揚感で、どんな無理難題も、困難にも打ち勝てる。
何でも思い通りに行く、そう思っていた。思い込んでいた。
驕り、慢心して。
その挙げ句、『婚約破棄』?私は頭がいかれていたのか?
皇帝である父、そして母が時間を掛けて選び、名門公爵家であるアガサの両親が認めてくれた婚約だった。私なら娘を幸せにしてくれると期待して。それなのに・・私は・・
「アガサは?どうなったんです!」
体を跳ね起こし、父に問えば、見たこともない厳しい表情を私に向ける。
「お前の声を、真摯に受け止めていた。毅然として、涙も見せなかった。強い娘だ」
泣かなかった。
・・・そうなのだ。彼女は強い。私の支えなど必要ない程だ。
学園でも首席、お妃教育も完璧、王家の妃として相応しい、満点の娘だ。家柄も公爵家。
嫌になる程完璧で、顔も姿も美しい娘だ。魔法も魔術もできるのだ!
皇帝である父も、妃の母も、アガサが嫁いでくる日を心待ちにしていた。
でも私に微笑んでいるが、心の中では私を馬鹿にしているのでは?
だんだん悋気で心が押し潰される思いで苦しくて、アガサに笑顔を向けられなくなっていた。
私は彼女に勝ることといえば、剣技と体術位だ。
だから私は最近休みにはギルドの依頼を受け、ダンジョンに籠もっていた。
彼女と一緒にいることも少なくなっていたと思う。
あの日・・
ダンジョンでフリ・・何て名だった?・・と出会った。
平民で気安く話す、可愛い娘だった。貴族の礼儀もマナーも無い娘だったが、私には気楽だった。
私が怪我をして、フ、リ・・・が治療をしてくれて。
ああ、優しい娘だな、そう思った。
そしてダンジョンを出て、別れる時、なんだか離れ難くて、彼女に送ると言ったのだ。
一緒に歩きながら話していると、ますます離れ難くて・・城に連れて行ったのだ。
城の中に入って、内部を見せると彼女は喜んで。
それが本当に嬉しそうで、私まで嬉しくなって。
このまま彼女が傍にいてくれたら、そう思った。
彼女の何もかもが愛おしく思えて・・・フリーダを抱きしめ、いつしかキスをしていた。
フワフワする多幸感で、私を見つめる彼女の笑顔がキラキラ輝いて見えて・・
翌朝二人は、一つのベッドに裸で目を覚ましたのだ。
本当に愛する娘を手に入れた、アガサなどもう要らない、本気で思ったのだ。
そして天使が囁くんだ。
この子と幸せになりなさいって。それには婚約者を捨てなけらばならないって。
うん。アガサは邪魔だ。捨ててしまおう。
すると天使も、彼女も喜んだんだ。そうしよう、そうしようって賛成するんだ。
なぜかこんな考えが浮かんだのだ。
このフワフワする多幸感は、彼女のクリーム・・媚薬の所為だったと宰相が苦悶の表情で告げた。
アルミドラが感じた愛とやらは、まやかしだったのだと。愚かにも薬で踊らされただけだったと。
「あなたはアガサ様の様な素晴しい女性を傷付けたのです。公爵家はそれはもう激奮されて、貴方の目が覚めたら『ご希望通り婚約破棄を受ける』と伝えて欲しい、と言われました」
「な、に・・?」
この言葉に、身体中の血が下がって冷えていくのを感じた。宰相は続ける。
「ここにアガサ様は見舞いに一度もお越しになっていません。それが返事なのでしょう。そもそも王族、しかも王子が只の庶民と結婚など出来ません。世界中の王族、貴族の笑い者になります。妃教育も、学校すら行っていない粗暴な冒険者を、将来国を担う妃と、誰が認めると言うのです?」
侮蔑の視線を隠す事もなく、宰相は彼を見つめた。
「もうアガサ嬢の様な優秀な妃候補は現れぬ!お前はなんと迂闊なのだ!これでは国政に関わらせる事なぞ出来ぬ!もう婚約破棄の噂は広まって、お前には期待していないと貴族たちが言っているのだぞ!せめて遊び相手が貴族の娘ならどうにでも出来ようが・・・婚姻まで1年を切ったこの時期に!愚か者!」
王が叱責するのは初めてだった。王は有能な息子、嫡男に期待していたのだ。
さらに有能なアガサと一緒なら、国は安泰だと。早く引退して任せようとも考えていた。
「ではゆっくりと静養なさってください。貴方のこれからはそれから決めましょう」
王は彼をもう見ようとしない。手はぎゅっと握り締められていて、震えている。
怒りを抑えようとしているのだろう。
宰相は慇懃な言い方だが、『ゆっくり』の言葉を強調している。
扉は閉まり、彼は一人になった。
昨日の事をぼんやりと思いだすと、彼は苦笑した。己にはもう、笑うしかない。
私は本当に愚かだった。
本当の愛と思ったのは、媚薬による幻想だったとは!
幻想だったのだろう。何故ならフ・・・なんと言う名だったのかさえ忘れているのだ。
顔も思い出せないし、情交さえ思い出せないのだ。
確かに二人は裸だったが・・・本当にしたのか?こんな事も思い出せないものなのか?
廊下からお喋りが聞こえる・・多分看護師たちだろう。
「本当?嘘!アガサ様にドラゴンの王子が?」
「そうなのよ!公爵家が、正式に王子様との婚約を破棄して、ドラゴンの王子に御輿入れなんだって!」
「国の象徴であるドラゴンとの婚姻は、100年前にもあったわよねぇ〜。さすがアガサ様!」
「あの残念王子よりも、そっちの方がすごいよねー!」
声は遠ざかり、聞こえなくなった。
「ドラゴン王子と、婚姻、だって?」
アルミドラは呆然として、身動き出来なかった。
ふと・・
思い出すのは、アガサが病室に花を飾ってくれた事。去年入院した時の事だ。
「ミドラ様、この花が咲き終わる前に退院出来るといいですね。一緒に観にいきましょう」
こちらを振り返るアガサの、美しいだけでない、キラキラした目、笑顔。
私だけを見て、私だけに向けられた笑顔。
私はどうして、アガサの笑顔を忘れていたのだろう。
彼女は私をちゃんと見ていたではないか。
有能だからと、馬鹿にしているかもと、勝手に勘繰って遠ざけたのは私だ。
アガサは何も悪くない。
「何故今頃分かったのだ・・本当に、私は愚か者だ・・!」
時間を巻き戻したい。
いや、彼女に謝りたい。
ここに、アガサがいて欲しい。
全てもう駄目なんだろうか。
王子は両手で顔を覆い、ただ咽び泣くだけだった。